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<東京怪談ノベル(シングル)>


『1000=50×20』

 細かい雨が降っていた。
 静やかに木立を濡らす霧雨に、生徒のモチベーションも今ひとつ。欠席の目立つ教室に苦笑を零し、羽柴・戒那(はしば・かいな)は出席簿を開く。
 気分が乗らない、と。講義を休めるのは、学生の特権か。――まぁ、空模様にも負けず皆勤を目指す生徒たちは、私語や携帯で講義を中断させる不届き者はいないだろうが。
 とりあえずは、90分。生徒にとっても苦痛なら、喋り続ける講師にだってそれなりに苦行なのだから。
「あら、どちらへ?」
 研究室に戻るなり教科書をデスクに置いて回れ右した羽柴に、論文を翻訳していた秘書が怪訝そうに首をかしげた。
「あぁ、うん。ちょっと、出かけてくるよ」
 駅の方かな。
 そんな会話をひとこと、ふたこと。
 色づき始めた街路樹を濡らす程度の細かい雨に、傘をさすのも億劫で……空模様が人の心に及ぼす影響は、意外に侮れない。

■□

 駅前のインターネット・カフェは不思議な沈黙が満ちていた。
 完全な静寂ではない。
 ブゥン、と。微かに空気を震わせるファンの音、CPUがHDを読み込むアクセス音。機械というのは何かしら音を立てている。――どこか人間に似ているな…とも、思う。
 いくつかに区切られたスペースのひとつに陣取って熱心に液晶モニターを覗き込む少女に気付いて、羽柴は小さな笑みを口許に浮かべた。
 カウンターのアルバイト店員にドリンクを注文し支払いを済ませると、与えられたパソコンには向かわず少女の方へと爪先を向ける。
「やぁ、雫くん。掲示板の方はどうだい?」
 顔を上げた少女は、羽柴に気付くとにこりと愛想の良い笑顔を浮かべた。
「あら、羽柴さん。こんにちわ☆」
 笑顔のキュートなこの少女が、知る人ぞ知る巨大掲示板=ゴーストネット・OFF=の主催者であることは意外と知られていない。――自他共に認める“怪奇現象代好き少女”である雫のHPには、東京を中心に日本各地から怪奇現象の情報が集まってくる。
 この手の話には意外な人の心の機微が見え隠れして考え去られることもあり、羽柴も暇があればチェックしているサイトのひとつだ。
「ダメね。ここのところ、特に目新しいお話はないみたい。――まぁ、この時期はいつものことなんだけどね」
 キーボードから手を放し、雫は華奢な肩をちょっと竦める。
 夏の間は大盛況の会談サイトも、季節の移り変わりとともに汐が引くように落ち着きを取り戻す。――大方、流行のファッションを追うように話題を漁るネットサーファーが減ったのが原因なのだ。もちろん、雫はカウンターの回り具合を気に止めているわけではないのだろうけど。
「羽柴さん、何か面白い話知らない?」
「そうだなぁ」
 逆に問い返されて、羽柴は少し考え込むように形の良い顎に指を当てる。
「そういえば、俺のゼミにいる生徒からこんな話を聞いたんだけど――」

 彼は本屋でバイトをしていた。――大規模チェーンの大型店舗ではなく、個人経営の小さな店だ。
 何時の頃からだろう。毎週、決まって土曜日の夕方に、50円玉20枚を持ってきて千円札の両替を頼む男がくるようになったのは‥‥。
 特に本を買うわけではなく、両替だけして去っていく。――結局、彼の方が先にバイトを止めてしまったこともあり、男の真意はわからないまま。

「これはいったいどういうコトだと思う?」
「え〜、なにそれ」
 わかんない、と。あっさりと思考を放棄してキーボードに向き直った雫を制し、羽柴は笑う。
「おっと。ネットの仲間に頼ってはダメだ。――俺はキミの推理が聞きたいんだから」
「そんなコト言われても、困っちゃうよう」
 答えは電脳の波のまにまに、漂っているかもしれない。ぷぅと桃色の唇を可愛らしく尖らせて、雫はゆったりと鷹揚な笑みを浮かべる羽柴を上目遣いに睨んだ。
「ダメダメ。そんな顔をしても、今回は目こぼしなし、だ。――彼はどうして20枚の50円玉を持って本屋に通うようになったんだと思う?」
「そうねぇ」
 諦めたのかコンソールから放した手を頬に当て、雫はほんの少し小首をかしげる。カウンターの下で組んだ足をぶらぶら許すのは無意識の癖だろうか。
「……偏執気質…よね」
「なんだい、それは」
 飛び出した専門用語に、羽柴は微かに顎を引く。
 ネット世代――それも、『ゴーストネット・OFF』なんて非現実サイトの主催者らしく、雫も妙な単語にはやけに詳しい。
「毎週、土曜日に50円玉を20枚。同じ本屋で両替するなんて……何かこだわりがあるとしか思えないわ」
 その、こだわりが何なのかを推測して欲しいのだけれど――
 苦笑を浮かべた羽柴の表情に大きな眸をかすかに細め、キーボードの横に置いたグレープフルーツジュースのグラスを取り上げ、ストローを手慰みにくるりと回す。
「あら、なんだか不服そうね?」
「そうかい?」
 生来、あまり深く考えるのには向いていないのかもしれない。
 ちょっと肩を竦めて、雫は足を組みなおした。そして、口をつけたストローからジュースをひとくち。――甘い水滴に唇を湿らせると、改めて羽柴を見上げる。
「何だかよくわからないけど、願をかけてたんじゃない?」
「願?」
「そうよ。50円玉ばっかり20枚も集めるのって結構大変じゃない?」
 確かに。
 自分の財布を思い浮かべて羽柴は、ふむと頷いた。硬貨そのものは珍しいものではないが、10円玉や1円玉に比べれば入っている比率は少ない。
「今時、50円で買えるものってそんなに多いわけじゃないし。――お賽銭泥棒かな〜とも思ったんだけどぉ」
 お賽銭に投げるコインは、5円がデフォだ。
 ついでに言うと、穴の空いたコインは5円と50円。――5円玉を繋いで宝船などが、教授の研究室や事理の応接室に飾ってあるのを希に見かけることがある。尤も、そちらでも、50円玉の宝船というのにはお目にかかった覚えはない。
「1週間かけて、50円玉を20枚集めるのよ」
「うん。なるほど‥‥」
 よくやく面白くなってきた。羽柴は手近な椅子を引き寄せると黒目がちな眸をキラキラさせて語る雫の隣に、腰をおろした。
「それで?」

 何のために?
 ――そして、20枚集めた50円玉で何をするのか?

 話に耳を傾ける体勢を取った羽柴に、雫はくるりと悪戯っぽく眸を回す。
「それだけ」
「‥‥‥‥‥‥」
 思わずがくりと頭を落とした羽柴に、雫は少し言い訳するように可愛らしく唇を尖らせた。
「だからね、50円玉ばかり20枚も持っててもしかたないじゃない?」
 1週間に20枚の50円玉を集める。
 それが、目的であったなら‥‥集めてしまった50円玉は、目的を果たした夢の残滓のようなもの。
「だから、近くの本屋さんで両替するの」
 縁起を担いでるのかもね。こともなげに肩を竦めて、雫は淡い檸檬色の液体をストローで吸い上げる。そして、ちらりと羽柴に視線を向けた。
「それで、本当のところはどうなの?」
 彼は、彼に恋をしていた…ちょっと切ない片想い?
 それとも、50円玉ばかり狙う陽気な怪盗の悪戯――?
 次々に紡ぎだされる可能性に笑みを零して、羽柴はゆっくりと立ち上がる。――壁の時計はそろそろお昼の終わりを告げていた。
 午後の授業で、取り上げるのもいいかもしれない。
「羽柴さん?」
 催促を帯びた声色に首を振り、羽柴は温くなった珈琲を胃に流し込む。別れが物寂しいのは、雨が呼び込む冷気のせいか。
「残念ながら、俺もその答えは知らないんだ。――答えを見つけたら教えてくれるかい?」
「いいわよ」
 解禁のお達しに顔を輝かせてモニターを覗き込んだ少女の声は、ネットカフェの不可思議な静謐に僅かに明るい波紋を落とした。

[ライターより]
 遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
 週に一度、20枚の50円玉を両替していく男……なかなか不気味なリドルといいましょうか…皆目見当が付かないのですが…答えが知りたいです。