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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


シャイニング・ドリーマー


■序の、序■


 リチャード・レイの目の前で、かちり、と小さな音がした。
 人造人間の身体の中で響いた気がした。

 ごぅ・ん――

 その音は、確かに、頭の中で響いた気がした。
 この世の音ではなかった。
 ――儂は、何もしておらぬぞ。
 これから何かが起きると仮定しよう。それが、血を見る類の事象であったとしよう。信頼を置くものたちが、助けに来てくれたとしよう。
 彼らは揃って言うだろう、
「おまえ、今度は、どんな『うっかり』しやがった?」
 ――儂は、何もしておらぬ。
 リチャード・レイは、絶望的に歯を食いしばり、人造警備員を見上げたのだった。
 人が造りし人は、いつもの硝子の目を、今や凍る虹色に輝かせていたのだ。

 ついで、リチャード・レイを衝撃が見舞い、彼は予想通り、己の血を見た。


■序■

 コピーを100枚とる間、シオン・レ・ハイはまったくもって手持ち無沙汰で、その蒼眸をぼんやり編集部の一角に向けていた。彼が一度も入ったことがない応接室が視界にあった。
「今日もあの方は立ちっぱなしですねぇ……疲れないんでしょうか? うらやましいかもしれません、ね?」
 垂れ耳ウサギの喉をちょいちょいと掻いてやりながら、シオン・レ・ハイは呟いた。
 彼は3分前からずっと稼動中のコピー機に、ぎしりと寄りかかった。

 明治の狂科学者、芹沢門吉の残したもの。
 謎めいた動力をもって動く人造人間、陸號。
 彼がリチャード・レイに呼ばれて応接室に入っていき、程なくして、異変は起きた。
 応接室のドアを破り、リチャード・レイが吹っ飛んできたのだ――
 彼の胸に、きらびやかな、極彩色のけだものが組み付いていた。
 血がしぶき、三下の原稿が血に染まった。
 リチャード・レイの血は、麗香の頬をも汚した。


 きらめく獣の鳴き声は、空気ではなく、意思を伝わるものらしい。鳴き声は記者たちの頭の中に、がんがんと響きわたる。鳴き声は、咆哮は、嘲笑ってもいるようだった。
 恐るべき獣は、極彩色の、異星より訪れしもの。足の数は、3本、4本、1本と、刻々と変わり続けた。しかし、4足であることが多く、背は丸められ、目ばかりが大きい頭部が見せる様相は、どことなく地球の猫に似ていなくもない。
「土星猫……?!」
「ほほう、何かと思えば」
 エレベーターホールから来たのは九尾桐伯、
 資料室から出てきたのは星間信人。
 ふたりは図らずも、仲良く、その場に立ち尽くした。ふたりの視線は、うねうねと毎秒ごとに色を変える『模様』の塊に釘付けだった。幸い、猫は、立ち尽くすこのふたりの男には目をくれなかった。かれの好奇心をそそるものが、この編集部には多いらしい。ゆっくりと周囲を睥睨している。
 多くのものに見つめられる中、猫は倒れ伏したリチャード・レイの背から、すとりと軽やかにデスクへ跳び移った。
 デスクの前に座っていた記者は、電話取材の真っ最中だった。異形の猫を見つめたまま、記者は受話器を取り落とす。
 受話器が跳ね飛ばされ、記者の血が飛び散った。
 猫の爪が、記者の首筋を切り裂いたのだ。頚動脈から噴き出す血が、天井さえも汚した。
『もしもし――もしもし? もしもーし!』
 受話器から聞こえてくる声に、猫は小首をかしげる。
 それから、受話器をちょいと踏み潰した。


■鉄の味は、夢の味■

 すでに編集部内には血の臭いが充満していた。
 麗香の機転で、編集部が入っている階層は、防火シャッターによって閉鎖されていた。幸い腕の立つ『臨時記者』もいることだし、だいいち、こんな獰猛な化物を白昼の東京に解き放つわけにはいかない。
 だが、この獣ならば、シャッターや窓のひとつやふたつ、簡単に破ることが出来るだろう。獣は恐ろしく力が強かった。
「猫……!」
 全身に裂傷を負って倒れ伏すレイが、そう唸った。傷の深さにも関わらず、彼の意識ははっきりしているらしい。
「夢の中のものよ……なぜ、うつつに現れた!」
 きらめく獣が振り向く。まばたきをしないその目は、無言で立ち尽くす、つぎはぎの人造人間を見つめていた。
「夢と 現の 境界は」
 にゃあう、
「輝く 月色の 鍵が知る」


「陸號さんの様子がおかしいようですね」
 我に返った桐伯はすばやく屈んで、猫の視界から外れた。彼の目は、応接室からゆっくりと出てきて、その場に立ち尽くした――人造人間をとらえていた。
「レイさんは――特殊な身体の方ですから、とりあえず後回しですね。まずは陸號さんの確保を」
「おお、それは奇遇ですね。僕もそう考えていたところです」
 そこは要領のいい信人のこと、眼鏡を直しながら中腰で、桐伯の後ろを行く。桐伯は一瞬微妙な視線を信人に送ったが、あえて何も言わず、デスクの陰に隠れながら移動した。

 にゃあおぅ!


 ――やれやれ、騒がしいと思うたら、何じゃ?
 三下のデスク下からのそりと現れ、呑気に伸びをしたのは、猫。
 とは言うものの、その猫はふかふかの毛並みを備えた愛らしい存在であり、デスクからデスクへ跳びまわり、恐怖する者たちを見ては嘲笑う猫とはちがうものだ。
 月のない夜に本性を現す赤き竜、羅火がとる姿のうちのひとつだった。彼はそれまで、取材に行く直前まで、三下にちょっかいをかけて楽しんでいた。このちょっかいは、「仕事に差し支えない範囲内でなら」麗香にも公認されている。
 はたはたと身震いすると、彼の背から竜の翼が飛び出した。
 焔の息をつきながら、可愛らしい姿のままで、デスクの上を闊歩する猫を目で追う。猫は羅火の視線には気づかず、ツイと視線をフロアの一角に向けた。

 猫は、まだ生きているばかりか、意識がはっきりしているレイに興味を抱いたらしい。
 ちいっ、とレイが舌打ちをした。意識はあっても、身体はもはやまともに動かないのだ。
「この身体は……気に入って……おったが」
 猫はその図体に似合わず、軽やかに跳躍した。
 が、レイに覆い被さることはかなわずに、どうと床に倒れこむ。横合いから、猫並みの身のこなしで、シオンが跳んだのだ。
 宙を跳んだ猫に組み付いたシオンは、きらめくすかし模様の塊を、ぎゅうと押さえ込んだ。
「これ以上傷つけて……何になるというのです!」
 猫が首をフクロウのようによじって、シオンを見つめた。
 シオンは、確かに、猫の背に組み付いたはずであった。
「……え?!」
 ざん、とシオンの胸から血が飛んだ。
 猫は脚を引っ込めて、背から3本の脚を出したのだ。
 否!
 この猫に、裏も表も、腹も背もないのだろう。猫は3本の脚でシオンを押し退けた。長身なシオンの身体が天井近くにまで浮き上がった。
 猫は唸り声を上げ、倒れたシオンに踊りかかった。シオンの目の前で、ダイアモンドのような牙がひらめいた。が、シオンはこう考えた――
 ――これでいいのです。他の方が傷つくよりは!
「麗香さん! 今のうちに逃げて下さい! はやく! はやく!!」
 視界に飛び込んだ鬼編集長に向かってそう叫び、シオンは猫に左手を伸ばす。
 麗香なら、きっと逃げ道を知っているはずだ。この場の全員を先導することも出来る。淡い希望に身を寄せるシオンの左手に、猫ががぶりと咬みついた。

 ぎゃうッ!

 たちまち、猫があぎとを離す。
 シオンの左手は危険物だ。流れ落ちる己の血さえ焼き尽くすタトゥーが、彼の手袋の下にある。
 隙を見せた猫が、突然飛んできた火の玉に弾き飛ばされた。
 シオンが顔を上げてみると――
 翼持つ、四肢を踏みしめたちいさな猫が、口から煙を上げて、にたりと嗤った。
 ――さアて……戦り合おうぞ?
 きらめく獣が身体を起こし、小さな猫を睨みつけた。
 その目が、確かに、望むところだと言っている。


■動く、銀の鍵の門■

 陸號の視線が、不意に、桐伯と信人を射抜いた。猫を見つめていたか、虚空を見つめていたはずの陸號は、その制帽のひさしに隠れた目を――きらりと虹色に光らせていた。
 陸號に近づくにつれ、振動のような、かすかなハム音が大きくなってくる。桐伯の聴覚は早くにそれを捉えていた。陸號の中から、その音は聞こえてくるのだ。
「おや!」
 信人が、いやに明るい声を出した。手袋をはめたその手が、陸號の頭上を指した。
「九尾さん、あれは一体何でしょうね?」
「あなたならご存知では?」
 桐伯もつられて、陸號の頭上を見つめていた。
 穴が開いている――
 いや、門なのか――
 切り取られた空間がそこにあって、陸號は今や、別の次元の空を抱いているのだ。
「僕も知りません。ただ……」
 信人はくつくつと含み笑いをしながら、無髯の顎を撫でた。
「このまま何もせず、状況に任せるのも、面白いかと」
「私はそうは思いません」
 桐伯は、袖からするりと糸を繰り出した。
「夢は夢のままであったほうが――」
 言いかけた桐伯の横を、まるで空気のように、ふわりと信人がすり抜けた。
 信人は、無言で立ち尽くす陸號の目を、真っ向から見つめ返した。
 信人が陸號の瞳の中に見たのは、凍てついた世界そのものだった。

 がっ、と陸號の腕が動き、信人の身体を掴む。
「神々が 眠りに ついたとき――」
 虹色の光が、陸號の背後の闇でまたたいた。
「自分は 門 そのものになる」

「銀の 鍵の 門は 開く――」

「曖昧な 夢が 目を覚ます」

「おお! 彼は銀の鍵の門を、錫の鍵で超えたというのですか!」
 信人が目を輝かせて、哄笑した。
「芹沢博士! あなたの魂はそこにあるのですね! 僕はあなたを見直しましたよ! ――何を命じるというのですか、この、『門』に!」

 つぎはぎだらけの身体が、びん、と仰け反った。
 門の向こう側からは、またしても何かが――猫以外の何かが、飛び出そうとしている。触手と骨のない腕が、次元のはざまから、ぬうと現れた。
 しかし、桐伯の綱糸が、陸號の身体を拘束し、床に転がしたのである。
 桐伯は祈りじみた文句を並べ続ける信人には何も言わず、陸號の黒い制服の前を開いた。
 制服の中には、何も入っていなかった。
 何も……何も。

 無。

 しかし桐伯は、信人が陸號の目を覗き見ていた隙に、コピー用紙に何ごとかを書き記していた。
「これが怖くはありませんか」
 それは、
「門の上には、これを記さなければならない。――義務なのですよ」
 <コスの印>!
 眠りの神の戒め!

 ごぅ・ん!

 陸號の身体が大きく仰け反って、門が閉まった。


■血と縫い目■

 羅火の小さな身体が、極彩色の模様の塊に激突した。その大きさの身体が生み出したとは思えない衝撃が、編集部の空気を揺るがす。
 猫は、あの猫に任せておけば大丈夫そうだ。
 麗香が無傷の記者たちを引き連れて逃げていくのも、確認した。
 シオンは自分の胸の具合はさして確かめもせず、低い姿勢のままで、倒れ伏しているリチャード・レイに駆け寄った。とにかく、怪我人を助けたかった――シオンの視界の中にいる怪我人のうち、最も傷が深そうなのは、その灰色の紳士であった。
「もしもし! 聞こえますか?」
「……あなた、は?」
「誰でもいいですよ。一応、シオン・レ・ハイですけどね」
 レイの出血はひどかった。動脈が傷ついているのかもしれない。
 シオンは自分のシャツを引き裂いて、レイの傷の止血をした。
「……あなたも、怪我を……」
「大丈夫です! 今まで一度も死んだことないですから!」
「……」
「本当に大丈夫です。――この傷は、縫ったほうがいいですね」
「私が」
 応接室から出てきた、長髪の青年――桐伯が、シオンのあとを引き継いで、鋼糸をくわえた。
「ハイさん、でしたね。他の怪我人の応急処置をお願いします。……見たところ、処置がお上手なようですから」
「わかりました!」
 桐伯よりも、見かけも実年齢もずっと年上のシオンだったが、彼は仕事を頼まれた子供のようにきっぱりと返事をして、次の行動に移った。
 移りながら、ひょい、と桐伯を振り返り見る。
「……あの、いつ、私はあなたに名乗りましたっけ?」
「地獄耳でしてね」
 手際よくレイの裂傷を縫いながら、桐伯は素直に答えた。

 羅火の翼が、猫のあぎとにとらえられた。猫は乱暴に首を振る。真珠の輝きを持つダイアモンドの牙が、しっかりと羅火の翼に食い込んでいた。片翼が無残な音を立てて根元から千切れ、羅火は吹き飛んだ。

 陸號の様子が落ち着いたのを見届けて、信人は呑気に応接室から顔を出す。
「おや!」
 珍しく、彼が驚いた声を上げた。
 ぼふん、と彼の胸に猫が飛び込んできたからだ。猫とは言っても、あのすかし模様で出来た不条理なほうではなく、虎縞と豹柄の毛並みの、ちま猫の方だ。
 蝙蝠じみた翼も生えているし、見れば見るほど奇妙な猫だった。
「……お手伝いしましょうか?」
 信人が笑いかけると、猫は――羅火は、傷などものともしていない様子で、しゃあッと凄んだ。
 ――余計な手出しをしてみい! あ奴ごと撲り倒してくれる。これはわしの闘いじゃ!
 愛らしい顔に殺気と闘気をあらわにした猫に、信人は肩をすくめて笑みを見せた。彼はひょいと羅火を解放した。
「出来れば、かれを殺さないでほしいのですが? ……門は、われわれが閉じてしまいましたが、だからこそ、出来れば生け捕りにして調べてみたいのですよ。九尾さんも、おそらく同じことを仰るでしょう」
 ――案ずるな。どのみち、わしは命という命を奪えん仕様よ。
 毛を逆立てて猫に対峙する羅火の首には、不殺の戒めが成されたままだ。
 だが、その鎖は、未だに締まる様相を見せない。
 別次元の猫は、羅火が負わせた傷を、すでにすっかり塞いでしまっているようだった。
 ――面白い。これほど骨のある相手は、そうそうおらんでの。
 ばちばちと光を飛ばして、羅火は嗤った。
 相手も、嗤っているようだ。
 そのとき、
 羅火と猫の視界を、白い小さなものがかすめていった。獰猛な猫は、知性はあっても、本性は獣であったようだ。反射的に、その白いものを大きな目で追った。
「どこを見とるか、莫迦め!」
 羅火は思わずそう吼えると、毛並みの中に埋没していた己の力の結晶を抉り出し、猫に投げつけた。

 ふ、ぎゃああああッ!!

 燃える赤の宝石は、まばゆい光を伴って、大爆発した。編集部を熱い爆風が駆け抜け、デスクの上の原稿や、コピー機がコピーしたばかりの原稿を巻き上げる。
 模様で出来た猫は、生あるものの脳裏に悲鳴を飛ばして、壁に激突した。首から横腹にかけての模様が大きく抉れていた。
 それでも、羅火の首の鎖は沈黙している。
 証拠に、猫は3本の脚を伸ばして立ち上がった。
「まだ欲しいか! なんぼでもくれてやるぞ!」
 高らかに笑い声を上げ、羅火は再び石を投げた。猫の傷口の中に落ちた赤い石は、先よりも小さく爆発した。それでも、猫の身体は派手に跳ね跳び、ドアを破って、給湯室に突っ込んだ。
「ふむ――そろそろ、水を差しますか……」
 部屋の片隅で大人しくしていた信人が、手袋をはめた手をかざす。
 いやに渇いた突風が吹き、給湯室のそばにあった本棚とデスクを吹き飛ばした。風に押された棚とデスクは、給湯室の戸口を塞ぎ、手負いの猫を中に閉じ込めた。

 桐伯が、すでに動いていた。
 手近にあった油性マジックを手に取って、吹き荒ぶ風を引き裂き、倒れた棚の上によじ登って、給湯室の戸口の上にペン先をあてる。
 猫が見えた。
 深手を負った猫は、まだ生きている。そして、その身体を構成する模様は今や、直視するのも難しいほどの色彩だった。
「『ルイス・ウェインの猫』――」
 桐伯は目をすがめ、呟いた。
 ドアを失った戸口は、門に見立てた。
 門の上に見出されるはずの、神の印をマジックで刻む。

 何かが唸り、何かが叫ぶ。
 デスクに体当たりをして、給湯室から脱しようとしていた猫が、たちまち後ずさる。桐伯が描いた印とは、<コスの印>。

「あ、あれは――? 猫が……怖がってますよ!」
「かれの世界の、神のしるしです」
 シオンの疑問に、重傷ながらも元気なレイが答えた。
「我々にも、死というルールがあるように……かれにとって、あの印はルールなのですよ。侵してはならないという……絶対的なものなのです」
「じゃ、あの猫は、もうあの給湯室から出られないと?」
「おそらく」
「……お茶、淹れられなくなりましたねえ」
 ふうむ、と溜息をつくシオンのそばに、白いものが――信人よりも先に、羅火と猫の闘いに水を差したものが、ひょこひょこと寄ってきた。
 ああ、とシオンが破顔一笑。
「無事でしたか! 私のいとしいしと!」
 それは、小さな垂れ耳ウサギ。
 シオンはウサギを抱きかかえて、……そのままばたりと倒れた。
「ん?! ……ハイさん? ああ! キュウビさん! ハイさんが! 失血で倒れましたよ!」


■閉ざされた門■

「こりゃあ! まだ勝負はついとらんじゃろうが! 戦らせろ! 戦らせんかぁ!」
「はいはい、あなたも手当てをしましょう」
「わしのどこに手当てをする必要があるかーッ!」
 すっかり己のいまの姿も忘れ、わめくちま猫・羅火を抱きかかえて、桐伯は給湯室から遠ざかる。
 デスクと本棚の隙間から給湯室の中を覗き、信人はしきりに頷いては、「すばらしい」「じつに興味深い」「主よ、感謝します」とぶつぶつ呟いていた。その辺に落ちていたデジカメで、ぐるぐると色を変え続ける猫を激写してもいる。
 猫はおそらく、間もなく駆けつけるであろう、どこかの秘密組織の連中が連れ出していくことになるにちがいない。いつまでもアトラス編集部の給湯室で飼える生き物ではなかった。羅火が負わせた重傷は、塞がりつつあるのだ。
 猫はそのうちうろつくのをやめ、デスクと本棚の隙間から、じっと信人たち人間を見詰め始めた。
 ふ、と信人が噴き出す。
「どちらが観察されているのやら……」

 重軽傷者は十数名、死者は3名の大惨事だった。尤も、この事件の全貌はいくつかの組織の力によって韜晦され、マスコミは当たり障りのない事故のニュースを嗅ぎつけるだけだろう。この次元の、まっとうな人間が知るべきではない部分が多すぎた。
 しかし、シオンと桐伯の応急手当の甲斐あって命を取り留めたのは、リチャード・レイだけではなかった。
 
 怪我人が運ばれ始めた頃、シオンが目を覚まし、羅火の手当てが終わり、
 桐伯が気がついたとき、信人と手負いの猫の姿はどこにもなかった。
 入れ替わるように姿を見せたのは、蔵木みさとだ。
 レイの傷の手当てをしたシオンと桐伯に慌しい礼を言うと、彼女はレイに泣きついた。


「あ、」


 壁際で安静にしていたシオンは、声を上げた。誰もその声には気がつかなかったかもしれない。
 応接室から、ゆらりと、黒い影のような男が現れたのだ。
 シオンがかいつまんだ話を聞いたところによれば……
 それが、今回の事変の元凶……
 明治の狂科学者が生み出した……人造人間。
 シオンの記憶の中で、彼は、いつも背筋を伸ばして突っ立っていた。その人造警備員は、いま、猿人のような前屈姿勢で、銀の吐息をつきながら、虹の眼光をひらめかせて、歩いていた。はだけた胸元からのぞくのは、漆黒の闇だ。闇の中に浮かび上がっているのは、階段である。
 シオンは息を呑んだ。
「やっぱり……あんまり立ちっぱなしでいるから、疲れたんですよ……ね?」
「背中にも、帽子にも、腕章にも……<コスの印>はあるのに……どうして?」
 桐伯が眉をひそめ、煙を吐く陸號に――ともすれば、誰にともなく、問いかける。
「 せ せ、 正常 稼動中 で す」
 人造警備員の報告に、桐伯とシオンは頭を抱えた。
「……ポンコツめが、叩けば直るか?」
 桐伯の肩に乗っていた羅火が、不機嫌な声でそう唸った。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0332/九尾・桐伯/男/27/バーテンダー】
【0377/星間・信人/男/32/私立第三須賀杜爾区大学の図書館司書】
【1538/人造六面王・羅火/男/428/何でも屋兼用心棒】
【3356/シオン・レ・ハイ/男/42/びんぼーにん+α】

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               ライター通信
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 モロクっちです。大変お待たせしました!
 『シャイニング・ドリーマー』、こちらは編集部編になります。今回、ノベルは完全に2分割しており、共通部分はほとんどありません。ですので、めずらしく、登場人物リストも分割しています。
 猫退治、おつかれさまでした。実は2匹いたのですが(笑)、その2匹目を巡る顛末が気になる方は、もうひとつの『シャイニング・ドリーマー』をご覧下さい。生け捕りにするのは一匹で充分……ということは……。
 編集部編の方が背景は血みどろなのに、どこか展開は(わりと)ほのぼのしているという、狂気じみたことになってます(笑)。それにしても、ドリームランドの危険生物が「現実の次元」で生け捕りにされるというのは、とんでもなく珍しいことではないでしょうか(笑)。
 前々から書きたかったクリーチャーでしたので、感慨ひとしお。
 次に登場させるのは何にしよーかなーグフフ。

 それでは、この辺で。
 ご参加有り難うございました!


追伸:『ルイス・ウェインの猫』について調べるときは、覚悟して下さい。凄いです。