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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


シャイニング・ドリーマー


■序の、序■

 リチャード・レイの目の前で、かちり、と小さな音がした。
 人造人間の身体の中で響いた気がした。

 ごぅ・ん――

 その音は、確かに、頭の中で響いた気がした。
 この世の音ではなかった。
 ――儂は、何もしておらぬぞ。
 これから何かが起きると仮定しよう。それが、血を見る類の事象であったとしよう。信頼を置くものたちが、助けに来てくれたとしよう。
 彼らは揃って言うだろう、
「おまえ、今度は、どんな『うっかり』しやがった?」
 ――儂は、何もしておらぬ。
 リチャード・レイは、絶望的に歯を食いしばり、人造警備員を見上げたのだった。
 人が造りし人は、いつもの硝子の目を、今や凍る虹色に輝かせていたのだ。

 ついで、リチャード・レイを衝撃が見舞い、彼は予想通り、己の血を見た。


■序■

 白王社ビルの前にたむろするのは、多くが月刊アトラス編集部の関係者だった。取材先から戻ってきたはいいものの、編集部に入れない。エレベーターも、編集部が入っている5階を通過してしまう。階段を駆け上って駆け下りてきた者によれば、防火シャッターが閉まっていて、やはり編集部に入ることはかなわないらしいのだ。だが、シャッターは下りていても、火災報知は出ていない。
 アトラス編集部内で爆発なり霊障なりの事件が起きるのはそうそう珍しいことでもないのだが、外部と隔離されるのはめったにあることではない。そしていくら電話を入れても、誰も出なかった。
 並みならぬ非常事態だ。そして、今の時点で状況を知っているのはごくわずかだった。彼らは運良くシャッターが閉まる前に異変直後の編集部から脱出したのだが、その証人のひとりが三下なのは、運が悪いとしか言い様がなかった。彼の話は恐怖のあまり支離滅裂で、いたずらに周囲を怯えさせるだけだった。三下は見知った顔を見つけては、わめきながら事情を説明している。
 尤も、その説明を受けて、怯えるどころか、状況を打開しようと決意を固める者も、居るには居たが。
「へ、へ、変な生き物が! 変な生き物が応接室からぁ!」
「応接室?!」
 三下の叫び声を聞いた少女のひとりが――黒尽くめの少女が、ばさりと持っていたものを取り落として、三下に詰め寄った。
「じゃあ、レイさ――先生は?! 先生は、無事なんですかッ?!」
「そ、そ、それが……」

 混沌としたその光景を、彼はタクシーの中で見守っていた。わずかに窓を下ろし、耳をそばだてているのは、影山軍司郎の、影のような姿である。彼はひとりの客をこの白王社ビル前で降ろし、そのまま客待ちをしているところ――いや、客待ちをするつもりでいた。
「……着いたが」
 外の様子に目をやったまま、軍司郎は後部座席の客に告げる。
「わかってるわ」
 客は、冷めた返事をして――軍司郎のように、窓を少し下げ、ビル前の喧騒に耳を傾けていた。
 軍司郎がちらりとルームミラーに目を向けると、客もちらりと軍司郎を見返した。
 客は、田中緋玻であった。
「火の元は応接室らしいわね」
 緋玻は、今回はどういう「うっかり」の結果なのかしら、と付け加えた。軽口なのか本気なのか、本人にもよくわからない。緋玻は3000円を軍司郎に渡し、釣り銭も受け取らずにタクシーを降りた。
「緋玻さん!」
 緋玻が降りた途端に、銀色がきらめいた。緋玻の視界に飛び込んできた銀は、大人びた女子高生のものだ。光月羽澄の髪に他ならない。
「レイさんが怪我したらしいの!」
 賢明な羽澄は、要領を得ない三下の話から、状況を把握したのだ。
 いつしか軍司郎もタクシーから降りていて、羽澄の話(突き詰めて言えば、三下の話)を聞いていた。
 だが誰も、群衆の中に小さな着物の少女の姿があることに、まだ気がついていない。和服である少女の姿は浮いているのに、彼女にはまったく気配がなく、混沌とした感情の中に埋もれていた。彼女は無表情に、まばたきもせず、白王社ビルを見上げていた。だが、羽澄が話し始めたとき、その目がツと動いて――状況の説明を辿り始めていたのである。

 明治の狂科学者、芹沢門吉の残したもの。
 謎めいた動力をもって動く人造人間、陸號。
 彼がリチャード・レイに呼ばれて応接室に入っていき、程なくして、異変は起きた。
 応接室のドアを破り、リチャード・レイが吹っ飛んできたのだ――
 彼の胸に、きらびやかな、極彩色のけだものが組み付いていた。
 血がしぶき、三下の原稿が血に染まった。
 リチャード・レイの血は、麗香の頬をも汚した。

「怪物退治なら、得意なほうだわ。あたしは行く」
「私も」
「つれてってください!」
 喧騒の中で、見知った顔を見つけていたのは、三下だけではなかったようだ。ビルを見上げて決意を固めた緋玻と羽澄の後ろに、黒い影が――ふたつ、あった。
 ひとつは蔵木みさとのもので、もうひとつは、影山軍司郎のものだった。
 振り返った緋玻と羽澄は、すうと音もなく視界に入ってきた新たな影に、ぎょっとした。小さな人形、いや、少女だ。蒼い目はまばたきもせず、うつむき加減の顔には表情がない。
「……わたくしも……お手伝い、致します……」
「あなたは?」
「四宮……灯火と申します」
 人形じみたその少女に、只ならぬ気配を感じたか。ふん、と軍司郎が小さく溜息をついて、灯火から目をそらす。目は、そのままみさとに向けられた。
「君はここに居ろ」
「えっ?!」
 言うなり、軍司郎はみさとをひょいと抱え上げて、タクシーの助手席に叩き込んだ。ついでにわめいている三下の襟首を掴んで、これは後部座席に叩き込む。軍司郎の手が、するりとドアの鍵を撫ぜた。みさとがドアの取っ手に手をかけようとすると、取っ手が甲高い雄叫びを上げ、たちまちドアをロックしてしまった。
「三下君の面倒をみていてもらいたい」
 車窓に詰め寄って驚いた顔のみさとにそう言い残して、軍司郎はトランクを開けた。中から黒い鞘のサーベルを取り出す――『番人』としての制服も、その中にはあったが、着替える場所も時間もないようだ。制帽だけで妥協するしかない。
 一部始終を見守っていた3人の女性のうち、緋玻がはじめに口を開いた。
「――みさとちゃんを閉じ込めたことにはお礼言っとくわ。あたしは連れてくことに反対だったから」
「……三下様も……ここに居た方が……よろしいでしょう」
「ちっょと強引だけど……まあ、仕方ないか。みさとちゃんなら、ダメって言ってもついてくるだろうし。――編集部にも戦闘が得意な人はいると思うけど、早く手を貸しに行かなくちゃ。麗香さんとは全然連絡つかないわ……」
 まあ、連絡はつかないというところで、かえって状況はわかるというものだ。つまりは、電話に出るどころではないということ。
 羽澄は携帯をたたんで、ポケットに戻した。
「怪我人の手当てもしたいわ。入るところ探さなきゃ」
 羽澄がビルの周囲に目を配ろうとすると、灯火がツイと彼女の手を取った。
「……その必要は……ございません」
 彼女は、足音すら希薄だ。
「アトラス編集部……わたくしは、初めて訪れるのですが……何階で、ございましょう?」
「5階よ」
「わたくしには……転移の力が、ございます……」
 呟くなり、灯火の双眸が輝いた。
 車中のみさとは、タクシーのそばで話していたはずの4人の姿が、出し抜けに消え失せるのを見た。


■次元のいたずら■


 めくるめく光と闇を、4人は見た。
 羽澄が息を呑む。色彩の中に埋もれかけた、見知った顔かたちを垣間見たのだ。
「陸號さ……」


 どさっ、と4人は揃って倒れた。ひんやりとした床の感触が、手のひらや頬に伝わる。空気さえもぶっきらぼうで、まったく人気が感じられなかった。灯火が身を起こし、きょとりと周囲を見回す。
「……5階じゃ、ないわね」
 頭を打った緋玻が、呻き声のようなものを上げた。
 4人がいるのは、4階から5階へ続く非常階段の踊り場である。
「……転移に……失敗したのは……初めてのことでございます。初めての場所……だからでしょうか……」
「それもあるだろうが」
 起き上がりながら、軍司郎が制帽を直した。
「レイのうっかりが引き起こした事件であるならば、次元が歪んでいるということも考えられる」
 投げ出されていた黒いサーベルを、灯火が拾い上げて、軍司郎に差し出した。
 ……軍司郎が灯火から半ばサーベルを引ったくり、すばやく振り向いたのは、気配を感じたからだ。
 緋玻もいつまでも頭の痛みには付き合わず、起き上がった。
 5階の光の中から、きらびやかな光の獣が――奇妙な鳴き声を上げて、あらわれたのだ。
 獣は踊り場の4人の姿を、そのふたつの目でみとめたらしい。
 にゃあおぅ!
 ぞっとする咆哮は、別の空気を伝わって聞こえてきた。

 その身体に、肉などあるだろうか。
 かれは、『模様』で出来ている。うねうねと毎秒ごとに色を変える、すかし模様が彼の身体だ。見開かれた大きな目は虹色に輝き、背は丸められ、3本ないし4本――1本でもあり2本――の脚は、すらりと胴から伸びている。
「猫……?」
 羽澄が呟いたように、その姿は、猫に似ていた。
 猫にしては恐ろしく大きく、そして、恐ろしいものであったが。
「この次元には居ないはずのものだ」
 軍司郎がサーベルを抜き放った。
「たぶん、現れたっていう怪物はこいつだけじゃないわね」
 緋玻が呟いた。その視線は、猫の鉤爪にあった。
「大勢襲われたはずなのに、こいつはどこにも血がついてない」
 そうだ、だとしたら、この猫は、
 血に餓えている。

 猫の視線が、小さく、無力そうに見えるものに――灯火に向けられた。
 その四肢が、床を蹴った。蹴られた床に、深い傷痕がつく。


■追いかけてくる爪痕■

 硝子色の衝撃が、踊り場を包んだ。衝撃の結界が猫を弾き飛ばす。緋玻は、猫の視線の先のものを察して、灯火を庇っていた。結界を張り巡らせたのは羽澄だ。
 倒れた猫に、軍司郎がサーベルの一撃を浴びせかけた。
 猫は猫らしい俊敏さでサーベルを避けた。切っ先はなんとか猫の脇腹を捕らえたが、血らしいものは飛び散らず、かわりに、模様が舞った。不条理な夢の中のできごとのようだ。
 ぎゃにゃう!
 だが、猫は、確かに悲鳴を上げたのである。
「ここは狭いわ。場所を移せない?!」
「4階に行ってしまったらどうする」
「おびき寄せましょう! ……5階に!」
 幸いというべきか、猫は傷つけられたことで恐怖することもなく、かえって怒り、奇妙な唸り声を上げて、4人を睨みつけていた。
 ただ、相手が思わぬ力を持っているということは学習したようだ。動きは慎重になっている。
「こっちが怖がってるところを見せるといいわ」
 緋玻は、ひょいと灯火を抱き上げた。
「獣も人も、背中に飛びかかるものよ!」
くるりと一行は猫に背を向け、階段を駆け上がった。
逃がすか、と言いたげな鳴き声が上がった気がする。
緋玻に抱きかかえられた灯火は、猫がしっかり自分たちを追ってきているのを確認した。

「えっ?!」

 先頭を走っていた羽澄が、声を上げて足を止める。
 無人のエレベーターホール。
 閉め切られた防火シャッター。
 その前に……だらりと両手を垂らして……肩幅に足を広げて……立ち尽くしているのは……
「陸號さ――」
 デジャ=ヴュを感じる!

「夢と 現の 境界は――輝く 月色の 鍵が知る」

 確かにそこに居たはずの、人造人間は消えていた。
 羽澄の声を受けて、シャッター前を見た軍司郎、緋玻、灯火も、確かに立ち尽くすつぎはぎだらけの顔を見たはずだった。
 鳴き声が頭の中で直接響いている。
 軍司郎が振り返ったとき、すでに猫は眼前で身体を沈め、
 跳躍していた。

 すかし模様で出来ている身体は意外なほど重い。胸に圧し掛かられて、軍司郎は倒れた。きらびやかなゴシック模様の中に、凶悪な、悪意に満ちた牙があった。牙は真珠色に輝いていた。
 しゃあぁぁぁーッ!
「影山さん!」
 緋玻の腕の中で、灯火の蒼眼が、またしても輝く。
 軍司郎の喉笛に咬みつこうとした顎の動きが、ぴたりと止まった。牙と顎とは、小刻みに震えている――不可視の力が、猫を押さえ込んだのだ。
「灯火ちゃん、あなたが――」
 灯火が、さほど長くはもたないと言おうとしたとき、軍司郎が猫を蹴り飛ばした。
 猫の脇腹の傷は――見えない。血も涎も流さない生物だ。模様だけで出来たその身体は、すぐに傷を模様で埋めてしまえるのかもしれない。動きにいささかの鈍りもなく、瞳から悪意と怒りは消えていない。
 猫は再び、音もなく跳躍した。
 目にうつらないほどのすばやさだったが、その頃には羽澄がすでに振動と衝撃でもって結界を張り巡らせていた。またしても衝撃に弾き飛ばされた猫は、防火シャッターに激突した。200キロ以上あるという鉄の壁は、音を立てて大きくひしゃげた。シャッターの向こう側で悲鳴が上がった。
 猫は床に降り立ち、へこんだシャッターを見て首を傾げた。
 シャッターを見るのが初めてなのだ。
「やっぱり、リチャードに怪我させたのはこいつじゃないわ!」
 シャッターの向こう側に、この4人よりも弱いものがいると踏んだのか。猫はシャッターに体当たりをした。鉄の壁はその一撃で打ち破られ、猫は編集部の中へと飛び込んだ――悲鳴が、また上がった。


■光明■

「――麗香さん! 逃げて!」
 シャッターの向こう側にいたのは、碇麗香だった。悲鳴の主ではなさそうだが、猫を睨むようにして立っていた。どうやら、彼女は記者たちを避難させようとしていたらしい。彼女を除いて、彼女についてきたらしい記者たちは、皆すくみ上がった。
 灯火の目が光り、羽澄の髪が振動で翻る。手近な女性記者に襲いかかろうとした猫は、虚空で見えないものに弾き飛ばされ、女性記者の目の前で倒れた。
 緋玻はひょいと灯火を軍司郎にパスし、唸り声を上げて、穴が開いたシャッターを天井から引き剥がし、背後に投げ捨てた。有無を言わさず灯火を受け止めるはめになった軍司郎は、無言で片膝をつき、宙を舞うシャッターを避けた。
「……君は随分軽いな」
「……木製……ですから……」
 灯火の言葉は終わらぬうちに、ふたりの姿はかき消えた。シャッターが床に落ち、麗香が率いていた記者たちが、こけつまろびつの足取りで駆け抜けていく。
「麗香さん! 怪我人は?!」
「大勢よ! そのままにしてきたわ!」
「麗香さんも避難して!」
「お願いね!」
 麗香は記者陣の最後尾につくと、非常階段に向かっていった。
 猫は灯火の力の戒めを破り、羽澄の振動をくぐり抜けた。が、その瞬間に悲鳴を上げた。悲鳴は次元を超えて聞こえてくる――。
 緋玻が、デスクに置き去りにされているメタル製のシャープペンをダーツの如くに投げたのだ。HBの芯が飛び出したままのペン先が、バロック模様の中の大きな目に突き刺さった。ガラスの割れる音が、鳴き声と同じ次元から届いた。
 猫は前脚で顔をこすり、突き刺さったペンを抜く。
 しかし、隻眼が目の当たりにしたのは――
 軍司郎が掲げた、奇妙な印だった。コピー用紙に油性マジックで書かれた、それは、<コスの印>。

 ふぅぎゃあっっ!!

「この印に見覚えがあるだろう」
 軍司郎の冷たい声が、模様を逆立てた猫に降り注ぐ。
「これが印された門のうちに戻れ。さもなければ、貴様も呪われるぞ。――この、神に」
 猫は、まるで迫り来る乗用車を相手にしたかのようにすくみ上がっていた。
 軍司郎に襲いかかろうとはしなかった。
 畏れているのだ。
「影山さん――それ、コピーして、ばらまいたらどうかしら」
 猫から目をそらさずに、輝く鈴と鞭を持って、羽澄が言う。部屋の隅のコピー機には電源が入っていて、誰かがこの異変の直前まで使っていたらしく、コピー済みの原稿が周囲に散らばっていた。さすがは雑誌編集局、最新式の大型コピー機だ。
「……コピー機の使い方がわからんのだ」
 しかし軍司郎は、彼らしからぬ情けない台詞を、ぽつりとこぼした。
 そのとき、猫が、弾かれたように背後を見た。
「コピーよ! はやく!!」
 爛々と目を光らせた緋玻が、猫を押さえ込んだのだ。
 軍司郎の手から、<コスの印>が描かれた紙が消えた。羽澄が半ばひったくり、灯火が、羽澄のスカートの裾に触れたのだ。
 瞬時にして隅のコピー機のそばに現れた羽澄は、適当に枚数を設定して、印をコピーした。
 軍司郎は――
 鞘に収めていたサーベルを抜き放つと、緋玻が押さえ込んでいる猫の脳天に、ばぎゃりと一撃お見舞いした。血も脳漿も、その猫にはなかった。猫は狂ったように暴れ、緋玻を弾き飛ばす。
 猫の模様は、今や凄まじい色彩のものと化していた。
 これは――
 ああ、
「『ルイス・ウェインの猫』……」
 数十の<コスの印>を抱えて、羽澄が呟く。原色だけで構成された、渦を巻くすかし模様。こころを病んでしまった画家が描いた、あざやかな猫がいる。
「……夢……」
 硝子のような蒼い目に極彩色を映して、灯火が囁いた。
「……夢は……かように……あざやかなものなのでしょうか……?」

 羽澄が、数十の印をばら撒いた。
 何かが唸り、何かが叫ぶ。

 頭を潰された猫が後ずさった。
 後ずさりが出来る生物は、高等な脳を持っているという。
 この猫には、今や、脳などないはずなのに。

 印という印が叱咤し、印が門を刻む。
 印はもはや、紙の中の存在ではない。
 そこには在りもしなかった、目に見えぬ門のうえに刻まれた、眠りの神の戒めだ。

 ふ、ぎゃああああーッ!!

 身動きが取れなくなった猫の背を、ロングシザーがつらぬいた。記事スクラップ用の、刃があまりにも長い鋏だ。これも、雑誌編集局だからこそ、その辺に落ちていたもののひとつだ。ロングシザーを逆手に持って、今は猫の背に突き立てているのは、鬼のような形相の(言い得て妙か)、緋玻である。
 とどめとばかりにサーベルを振りかぶった軍司郎が、はッと天井を見て――
「退け!」
 張り詰めた声を上げた。
 命令に従う義理はなかったが、緋玻は大人しく跳びすさった。
 途端に、天井近くで浮いていたロングシザーとカッターとデザインカッターと万年筆と、とにあえず、ありとあらゆる危険な文房具が……
 ひょう、と空気を裂いた。
 猫の模様が、ばちんと弾けた。
 猫がいたところの床に文房具が突き刺さって、びぃぃん、と震えていた。
 灯火の瞳の輝きが、すうと消え失せる。


■動く門■

「でも……どうして、こんなことに?」
 羽澄が手元に残った<コスの印>を見つめながら呟いた。サーベルを収めた軍司郎は、深淵へ続く応接室を睨んでいた。
「あの中のものが知っているだろう」
「そうだった! リチャード! 大怪我したんじゃ――」
「一応、まだ生きています」
 壁に寄りかかって座りこんでいるイギリス人に、4人は歩み寄った。灰色のスーツは血で汚れていたが、傷は手当てもされているし、出血もおさまっているらしい。
「……今回も、皆さんのおかげで命拾いしました。どうも有り難うございます」
「どんなうっかりしたの?」「どんなうっかりしたんですか?」「……」「……」
 緋玻と羽澄の同時攻撃に、レイはがくりと首を項垂れた。
「……儂は、何もしておらぬ……」


 そのときだ、


 応接室から、ゆらりと、あのつぎはぎだらけの姿が現れたのは。
 灯火と軍司郎は思わず呆気に取られ、緋玻と羽澄は「あっ」と声を上げた。
 確かに、閉め切られたシャッターの前で見たはずの……
 あの、狂科学者が造り上げた人間は……
 猿人のような前屈姿勢で、銀の吐息をつきながら、虹の眼光をひらめかせて、歩いていた。はだけた胸元からのぞくのは、漆黒の闇だ。闇の中に浮かび上がっているのは、階段である。
「門が開いたのか」
 軍司郎が歯噛みした。
「何故だ? 時が整ったというのか?」
「理由はまだ不明です。……彼の腕章と、帽章と、背中の<コスの印>は、健在だというのに」
 レイが青褪めた顔を上げた。その顔に焦りはない。
 陸號も……4人を見つめてはいるが、襲ってくる気配はなかった。
「今は、<コスの印>をロクゴウさんの体内に施しました――わたしが施したわけではありませんが。門の向こう側からこれ以上何かが来ることはないようです」
 灯火が、まばたきもせずに、初めて見る人造人間を見ていた。
「……羨ましいかも……しれません……」
 彼女の呟きを、誰が聞いたか。
「……人形で……いらっしゃるのに……あの方は……夢を、見ていらっしゃる……」
 銀の煙を吐く陸號に、緋玻と羽澄は近づいた。
 陸號はやはり、何もしない。ただ、いつもとは違う姿勢で、黙っているだけだ。
「陸號さん――」
 羽澄の心配に、初めて、人造人間が応える。
「 せ せ、 正常 稼動中 で す」
「どこが」
 ぴしゃりと、緋玻が言い放った。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1996/影山・軍司郎/男/113/タクシー運転手】
【2240/田中・緋玻/女/900/翻訳家】
【3041/四宮・灯火/女/1/人形】

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               ライター通信
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 モロクっちです。大変お待たせしました!
 『シャイニング・ドリーマー』、こちらはビル外からのスタート組編になります。今回、ノベルは完全に2分割しており、共通部分はほとんどありません。ですので、めずらしく、登場人物リストも分割しています。
 アトラス編集部が白王社ビルの5階にあるというのは、モロクっちオリジナルの設定になります(笑)。確か、1階にはけっこうものが美味しい喫茶店があるはず……これもモロクっち設定ですけど。
 さておき、猫退治、おつかれさまでした。実は2匹いました(笑)。
 もう1匹、つまりレイを襲った猫の方(あと陸號)がどうなったか気になる方は、もうひとつの『シャイニング・ドリーマー』をご覧下さい。
 前々から書きたかったクリーチャーでしたので、感慨ひとしお。
 次に登場させるのは何にしよーかなーグフフ。

 それでは、この辺で。
 ご参加有り難うございました!


追伸:『ルイス・ウェインの猫』について調べるときは、覚悟して下さい。凄いです。