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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


想い花の簪

【壱】

 草間興信所はいつもと変わらず紫煙に満ちて、やる気がないのが明らかな所長である草間武彦が雑然とした机の上をいつもとは少し違った真面目な面持ちで眺めていた。口に咥えた煙草の先端で灰が長く伸びて、今にも折れて落ちてしまいそうだ。
「いらっしゃいませ」
 雑然とした所内を片付けたところで完璧になるわけでもないだろうに、今日も掃除にいそしむ零が御東間益零の姿を見とめて笑う。軽く挨拶をすると、何か依頼があったような素振りを見せつつ武彦に視線を向けた。きっとまた厄介な出来事を持ち込まれたのだろう。
 乱雑な所内の秩序を崩さないよう気を配りながら武彦が腰を落ち着ける机の前に立つ。ゆっくりと顔を上げる武彦の煙草が折れて、灰を舞い散らす。しかしそれを気にする様子もなく、再度机の上に視線を落とした。何も云わないところをみると、依頼されたはいいが武彦自身もよくその内容を理解できずにいるのかもしれない。
 机の上には明らかに年代ものの桐の箱とその中に収められた繊細な細工を施された帯留め。一見して高価なものだということがわかる。そしてそれがこの興信所にとって似つかわしくないものであるということも一目瞭然だった。武彦もそれを十分に承知しているのか指一本触れようとしない。ただどうするべきか思案するように眺めているだけだ。
「どうしました?」
 途方に暮れているといっても過言ではない武彦に問う御東間の声はどこか揶揄を含んで辺りに響く。
「随分高価なもののように見えますが」
 答えがないので重ねて問うと、そうだろうな、という気のない返事。余程気に入ったのか、それとも曰くつきの品物なのか。平素とは違う武彦の様子からはさっぱり見当がつかない。
 暫くの間、武彦が何も話してくれないせいで御東間はデスクの上に置かれた帯留めを眺め続けていた。特別何かを感じたわけではない。ただ奇麗だとか、高そうだとかそんな単純な感想を抱いただけだ。なんとなく特別なものであるような気がしたけれど、何がどう特別なのかはわからない。何も云わない武彦に付き合い帯留めを眺め続けるのにも飽きた頃、ようやく武彦が口を開いた。
「本当にここにあるよな?」
 らしくない言葉。不思議な依頼ばかりが舞い込む草間興信所で、今更何を疑問に思う必要があるというのだろうか。御東間を見る武彦は答えを待っている。それに深く頷くと、武彦は依頼の品なのだと云う。ならば何もそんなに真面目な顔をしてまじまじと眺める必要もないだろう。いつものように誰かに調査させればいいだけのことである。
「ならば……」
 云いかけた御東間の言葉を武彦が遮る。
「人かもどうかもわからん奴が、こいつと同じ作者の簪を探してほしいんだそうだ」
 不意に興味を惹かれる自分がいた。人かもどうかもわからない誰かが持ち込んだ依頼。高価な年代物の帯留め。上手く連続しない一つ一つを考えながら、もし完全に繋げることができたその先に何があるのだろうかと思う自分がいる。
 しかし武彦はそのように考える御東間を他所に事のあらましを説明するように言葉を綴った。
 いつものようにデスクに突っ伏して居眠りをしていた時のことだそうだ。目を覚ますと目の前に女が立っていたのだという。漆黒の髪を一つに纏め上げ、上品な刺繍が施された緋褪色の着物を纏った女だったという。着物の色彩が華やかさを漂わせていたというのが、それはどこか昼の明るさには馴染まないもので、だからといって夜の闇が似合うのかといったらそうでもない。現代の女性には失われてしまったような奥ゆかしさを漂わせた品の良い女が、桐の箱を手に目の前に立っていたというのである。寝惚けただけではないかと問えば、自分もそうだと思ったと武彦が答える。しかし桐の箱に収められた帯留めは確かに残されて、触れたからといって消えるものでもなくここにある。現に御東間に問うても確かにそこにあるのだから夢ではないことは確かだ。そうした現実に、疑う理由はなくなってしまったのだと途方に暮れたように武彦は締め括った。
 依頼を持ち込まれた張本人がそんな調子で、何ができるというのだろうか。苛立ちにも似たものを感じながら御東間は武彦が言葉を続けるのを待つ。視線は帯留めに向けられたまま、その細工があまりに美しいせいで妙に心が惹きつけられるのである。何かがあることだけが明白だ。しかしその何かがわからない。きっと武彦もそうなのではないだろうか。夢と現の狭間で依頼された出来事。しかし帯留めだけは確かにここにあり、それは揺るがない現実である。もし自分がこんなものを唐突に受け取るようなことになったら、きっと武彦と同じような反応しか見せることはできないだろう。
「どうするつもりで?」
「探すしかないだろう。そのどこにあるのかもわからない簪ってやつを」
 云って武彦は新しい煙草を咥えると、自分自身にはやる気がないことを示すように火を点けた。


【弐】


 澄んだ秋空の下。冷たくなった風に躰を晒すことを厭うように、真新しいコートに身を包んだ風見二十は一冊の本を抱えて、早足にアスファルトの歩道を草間興信所に向かう。傍には風の護『凪』がぴたりと寄り添い、離れることなくついて来る。歩きなれた道は何も考えずとも目的の場所へと続いている。早足で向かうようなことをしなくても、草間興信所があるべき場所から動くことはないとわかっていても返すものがあるというそれだけで自ずと早足になってしまう。今日は調査を引き受けに行くのではなかった。零に借りた本を返すつもりで草間興信所に向かっているのである。
 東京という巨大都市の片隅にひっそりと存在している愛想のない、鉄筋作りの古い雑居ビルディング。そのなかに草間興信所は居を構えている。
「こんにちは」
 挨拶と共に草間興信所のドアを開けると、いつものように零が笑顔で迎えてくれた。
「零さん。先日お借りした本、とっても面白かったです」
 片付けの途中だったのか、雑多な書類を棚に収めた零に手にしていた本を手渡すと、それは良かったという応え。手狭な所内は一瞥しただけで総てが視界におさまってしまう。だから武彦の低位置でもある机の傍に御東間が立っていることにもすぐに気付いた。
「あれ……御東間さん?」
 無意識のうちに漏れた言葉に御東間が振り返る。見知った者を見つけた御東間の気軽な挨拶を受けて、近づくとふと二十の視界に緻密な細工が施された帯留めが飛び込んできた。雑然とした机には似つかわしくない。博物館や展示場のショーケースが似合うような代物だ。
「どうしたんですか?」
 問うと煙草をふかしたまま沈黙を守る武彦に変わって御東間が簡単に説明してくれる。
 桐の箱に収められたそれは人かどうかも判然としない依頼者から預けられたものだという。依頼内容は帯留めと同じ作者の手による簪を探してほしいものだそうだ。
「探すんですか?」
 御東間に問いながらも探すつもりになっている自分に二十は気付く。
 それはきっと帯留めに物悲しさを感じるからだろう。確かに美しい品であることは確かだ。しかしそれ以上にどこか物悲しい。足りない何かを求めているかのように、ぽつんとそこにある様は所在無げでさえあるのだ。
「探すのか?」
 御東間に問い返されて、二十は僅かな間を置いて頷いていた。
 放っておけない。そんな気がする。このまま踵を返すことは簡単だったが、何もせずにここを後にすれば後悔する自分が目に見えた。ならばいっそのこと引き受けたほうがいい。ちょうど凪を伴っている。きっと役に立ってくれることだろう。
「草間さん。この帯留め、お借りしても宜しいですか?」
 二十の問いに武彦はおざなりに承知の意の言葉を発する。そして机の上に置いていた桐の箱ごと二十に差し出すと、状況的に考えて受け取らずにはおれなくなった。反射的に手にした桐の箱は軽く、それでも何か強い想いがこめられている気配を隠さない。それを自覚すると手にした物がとても重たいもののように感じた。
 御東間が手伝うかといったような問いをする。頷いて、桐の箱を手にしたまま簡素な応接セットのソファーに腰を下ろした。何か見えるかもしれない。漠然とそう思ったから。草間や御東間から与えられた情報だけではどうにもならないだろう。古美術を専門に扱う店をまわるにしても数は膨大すぎる。しかも人ならざる者からの依頼かもしれないものだ。直に帯留めから情報を引き出したほうが情報を絞り込めるような気がした。
 ローテーブルの上に帯留めを置いて、そこに一番強く残る想いを見せてほしいと凪に伝える。承知とばかりに自身の能力を発揮する凪が見せてくれたものはあまりに淡く、慎ましやかな情景だった。断片的に繰り返される。近くにありながらもすれ違う男女の心。笑う女性は果敢なく、病に侵されているのか男性はひどく脆い雰囲気をまとっている。揺れる映像。何かが足りないのか、不鮮明に辺りに溶けていく。それでも二十は手がかりになるかもしれないと思った。
「どうする?」
 御東間が問う。
「探しに行きます。骨董品を扱う店を中心に探していけば、きっと見つかるような……そんな気がするんです」


【参】


 他人の目に見える手がかりも必要だろうという御東間に従って、帯留めだけをさまざまな角度で写したものを数枚。収められていた桐の箱に刻まれていた銘を写したものを一枚。そして桐の箱に収まった帯留めを移したものと蓋を閉めた状態の桐の箱を写した写真を手に、御東間と二十は骨董品を扱う店を虱潰しに当たっていった。
 しかし思っていたほど多くの作品を遺した作者のものではないらしく簪にはなかなか行き当たらない。
 ただ皆が総じて同じ反応を見せるのが二人に驚きを与えた。どこから出てきたものなのか。譲ってもらうことはできないだろうかと、皆が驚きと共に目を輝かせて二人に云う。二人の予想をはるかに越える額を提示してくる者まであった。それでもどうしても譲ることはできないのだと告げると落胆したように大きく肩を落として、作者について知りうる限りのことを教えてくれた。
 帯留めの作者は昭和の時代に活躍した者なのだという。決して貧しい家の出ではなかったが、長男であったせいで芸術の道へ進むことを反対され、半ば勘当されるようにして家を出て慎ましやかな暮らしを送りながらただひたすらに、和装の飾り物を作り続けたそうだ。遺された作品は少ない。それはあまりに細かな細工を施したものばかりで、作者が妥協という言葉を知らなかったせいだという。商売目的で作品を生み出すということを知らなかったそうだ。高価な値で売ることができるものも安価で譲り、時にはただ同然での取引もされていたそうである。そして病のせいで短命であったことも手伝って、現存する作品は極僅かで、市場に出回ることは稀なこともあり現在愛好家の間では高額な値段で取り引きされているそうだ。オークションにかけられるようなことがあれば、相場の倍以上の額で取り引きされることが常だという。
 そんなことが本当にあるのだろうかという疑念を抱きながらも、二人はめぼしい骨董店が一つ、二つと減っていくにつれて多くの情報を手にすることができた。しかしそれに比例するようにして肝心の簪に辿り着けるのだろうかという不安が肥大していく。もし辿り着くことができたとしても、高額な値段を提示されたら引き下がるほかないかもしれないと二十は思う。借り出すことさえできないまま、引き下がるようなことになったら引き受けた手前武彦に対して申し訳ないと思った。
 半ば絶望的な気持ちになりながら、最後の頼みの綱とばかりに裏通りに店を構えた慎ましやかな骨董店の暖簾を潜ると、帳場に腰を落ち着けた老人が古めかしい、それでいて使い込まれた煙管をふかしながら云った。
「何をお探しだい」
「この帯留めの作者と同じ作者の簪を探しているんです。ご存知ではありませんか?」
 云いながら写真を文机の上に並べて、金の花弁。銀細工の葉。花の中央には珊瑚があしらわれ、紅の一文字が刻まれた硝子珠が果実のようについている簪を探しているのだと二十が云うと、老人は興味深げに写真を一枚一枚手にとって眺め、顔を上げて笑った。
「良いものをお持ちですな」
 すっかり聞きなれてしまった言葉だった。
 そして店の奥にあれを持ってきておくれと声をかけると老人の妻とおぼしき女性が小さな箱を手に顔を覗かせ、老人に手にしていた箱を手渡すと、ごゆっくりという言葉を残して再び奥へと戻っていった。
「お探しの品はこれではないのかね?」
 二人の目の前で老人の皺だらけ手が帳場の文机の上に置かれた箱の蓋を開ける。
 中には簪が収まっていた。 
 探していたものと同じ形状のものだ。
「これです」
 弾かれたように二十が云うと老人は微笑み蓋を閉ざしてしまう。
「申し訳ないが、これは売り物ではないんだ」
「でも……」
「まあ、何もあなた方を悩ませようと思って云ってるわけではないよ。事情というものはそれぞれにあるものだからね。ただ、これは人の手を金銭によって渡り歩くような品ではないんだ。誰かの手によって作られたものだからといって、それが総て商品だというわけではないからね」
「では、お貸し頂けないでしょうか?」
 御東間が云う。すると老人は沈黙して煙を深く吸い込む。そしてゆっくりと吐き出すと、一つのことを提案した。
「一つ条件をのんでもらえるだろうか?この帯留めを譲ってもらいたいんだ。もし駄目ならそれでかまわない。持ち主に訊ねてきてくれるだけでいい」
 云う老人にはそれまでの骨董店の店主たちとは違う真摯さがあった。
「あの、何かこの帯留めと簪についてご存知なんですか?」
 二十が問うと老人は、友人の形見だ、と哀しげに笑った。
「この簪もあなたが持つ帯留めも商品として作られたわけではない。愛した人のために作られたもので、二つが離れることなどあってはいけなかったのだよ。それがいつしか市場に流れ出てしまいこのざまだ。この簪一つ見つけ出すのに何十年かかったかわからない。友人の遺言でな、市場に出回り二つがばらばらになることがあったら一つに戻してくれと頼まれているんだよ」
「今すぐにお答えすることはできません。でも訊いてみることはできます」
「良い答えであることを祈っているよ。―――持っていきなさい」
「ありがとうございます。出来る限り努力させて頂きます」
 二十が云うとどうしてでも買い取るつもりだったのか、御東間が自身の指を飾るエメラルドの指輪に触れていた手を離した。


【肆】


 簪を探しに出てから数日後。御東間と二十はそれを手に再度、草間興信所を訪れていた。
「作者っていうのは本当にいい仕事をする奴だったんだな」
 自分は何の苦労もしていない気楽さも手伝ってか武彦が純粋な感嘆の声を漏らす。
 目の前には古物商の老人から借りた簪と帯留めがそれぞれ桐の箱に入って並んでいる。それを眺めながら二十が呟く。
「でも金の花弁に銀細工の葉……凄く綺麗だけど、なんか、こう、淋しい感じがします。う〜ん、うまく云えないけども」
 誰かを待っているような気がしたのは帯留めもそうだったが、簪もまた同じような雰囲気をまとってそこにある。一人では淋しいのだと訴えている気がするのだ。美しいものであるからこそ余計に、それが際立つような気さえする。
 零は買い物に出かけているとかで留守にしている。御東間と二十と武彦の三人は向かい合うような格好では帯留めと簪を並べた応接セットのローテーブルを挟んでソファーに腰を下ろし、七日後に訪れると云った依頼者の女性を待っていた。御東間と二十が簪を手に草間興信所を訪れてから既に数時間が過ぎている。
「この二つが売り物でないなら、あの女は一体なんなんだ?」
 先ほど話題になった古物商の老人から聞いた話しから考えたことだろう。
「さぁ。もしかすると誰かのために作られたもので、売り物ではないということではないだろうか」
「でも、そうしたら年齢が合わないような気がしますけど……」
 二十が云う。
「幽霊かもしれんな」
 さらりと答えた御東間の言葉に、
「まさか」
 武彦が云う。
 すると不意にドアが開いて、ひんやりとした空気が流れ込んでくる。
 二人が同時に顔を向けると、息を呑むような美しい女性が立っていた。
「簪は見つかりましたか?」
 淋しげな眼差しで女性が問う。漆黒の髪に飾りものは無い。武彦が云っていたように緋褪色の着物姿。上品な刺繍が施されている。
「立ち話もなんですから、どうぞ」
 武彦が女性に座るよう促す。女性は小さく頭を下げて空いていた武彦の隣に腰を下ろすと、ローテーブルの上の簪を目に留めて武彦の顔を見た。
「探したのはこっちだ」
 云って武彦が二人を指差すと、女性はその指の動きを追いかけるようにして正面に座る二人に向き直り深々と頭を下げてありがとうございますと云った。
「いいえ。お礼を云われるほどのことではありません。これはお借りしたもので、お返ししなければならないんです。できることなら簪の持ち主の方は、帯留めも引き取りたいとおっしゃっているのですが……」
 申し訳なさそうに二十が云うと、女性は顔を俯けたまま、かまいませんと呟く。
「こうして二つが揃ったのであれば、私がこれ以上この姿でここにとどまる理由は御座いません」
「もし宜しかったらお話しを聞かせて頂けませんか?それと、これについて説明してもらいたいのですが……」
 云う二十の言葉に女性が小さく頸を傾ける。
「『凪』、もう一度、あの情景を見せてくれる?」
 すると辺りに淡い情景が広がった。
 しかしそれは以前とは違って鮮明だ。
 病床の男性の傍らで淋しげに女性が笑っている。男性もそれを受け止めるように笑い、他愛もない会話を交わしているようである。二人の双眸は温かく、やさしい。互いに互いを慈しむような、そんな温かさがあった。以前には見ることのできなかった情景が四人の前に広がる。女性がそこにいるからなのか、凪が見せる情景は鮮明だ。そしてそれと同時にどこか物悲しい。寄り添いたくても寄り添えきれないような距離を感じるのだ。
 それが緩やかに収束して、すっかり消えてしまうのを確認して二十が問う。
「売りものではないと聞きました。それをどうしてあなたが探していたのですか?」
「想いを寄せていた方の遺品だったのです。思わせぶりなことしかおっしゃらない方でした。けれども私はその方を心よりお慕いしておりましたし、いつまでも傍にありたいと思っておりました。けれどそのような会話をしたことはございません。ご実家から勘当され、それでも自身が愛してやまなかった和装の飾り物を作り続けるあの方の傍にありたかったのです。たとえどのようなことがあったとしても。帯留めは生前あの方が下さった最初で最後の贈り物です。そこに何の想いもこめられていなくとも、私は肌身離さずそれを身につけておりました。あの方はそれを喜んで下さって、いつか揃いの簪を誂えようと約束して下さったのです。けれど簪があの方の手から私のもとに届くことはありませんでした。病があの人を奪ってしまったから、言葉も何もなく簪だけが私のところへ届けられたのです」
「それがこの簪だと?」
 御東間が云う。
 女性がこくりと頷く。
「『凪』……簪は何を知っていたんだろう……」
 二十の呟きに答えるように、凪は簪の抱く過去の残滓を映像に変えて描き出す。女性を見つめる男性の目はやさしい。病床にありながら、細い指先が簪を作り上げていく様は物悲しいくらいに真摯なものだ。まるでそれが完成した暁には何か重大な告白をしようと心を決めているかのように、震える手で簪を作り上げていく
 不意に女性が目頭を押さえた。
「……何故、素直に想いを言葉にしないままあの人を逝かせてしまったのでしょうか……」
 こぼれる涙が着物を汚すことなく空中に消える。
「あの人亡き後もずっと、今に至るまでずっと想い続けていたというのに、何故あの時言葉にすることができなかったのでしょう……」
 独語は哀しく響き、凪が見せる情景が消えたその後も辺りを物悲しい雰囲気で包み込んだ。
 どれだけ長い間沈黙していたかわからない。物悲しい沈黙だけが辺りを包んで、誰もが言葉を失っていた。それを破るように二十が唇を開く。
「もう二つが離れることはないと思いますが……、それでは駄目ですか?」
 二十の言葉に女性が不思議そうに頸を傾げる。
「簪を持っていた骨董店の店主が作者の遺言だから手元におきたいと云ってるんですよ」
 御東間の言葉にようやく女性はうっすらと笑った。まるで骨董店の店主を知っているかのようだった。
「あの方のご友人の方ね。―――それなら安心して私も逝けます。あの方の傍に、本当に」
 云って女性が満足そうに微笑む。
 そして花が散る光景を見たような気がした。
 女性の微笑みが空気に溶けるように消える。
 髪の一筋までも緩やかに溶けていく。
 慎ましやかな愛情だったのだと思った。
 伝えあうようなことをしなくとも互いに互いを愛し、それぞれの幸せを願い物に想いを託す。人はどれほどまでに強く誰かを愛せるのだろうかと思った。物に想いを托し、それを介して理解しあおうとするその強さと弱さはどこからくるものなのだろうかと。
 答えは出ない。
 けれどきっとそうした想いには確かな値はつけられないことは確かだ。
 残された三人はそれぞれに、そうしたことを考えながら在るべき場所にようやく戻ることができる二つの品にどんな不幸があるというのだろうかと思った。
 そしてそれを手にするであろうあの古美術商も、そして今は亡き女性も女性を愛した作者も今はもう何も哀しむことはないだろう。

 
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2795/風見二十/男性/13/万屋(現在、時計屋居候中)】

【2952/御東間益零/男性/69/(一応)開業医】


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■         ライター通信          ■
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ご参加ありがとうございます。沓澤佳純と申します。
プレイングから少々ずれている感が否めないのですが、少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します