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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


音霊探索記


「……逃げた?」
「うんー……そう、なんだよねぇー」

 へらり、笑う志戯のあまりの緊迫感無さに、シュラインは軽くこめかみを押さえて溜息を吐く。その肩に乗っている玄夜も同様に息を吐いていた。まったく、この看守のボケボケさには閉口も呆れも生温い。突っ込み気質の玄夜はさぞや辛いだろう、彼女は蒼い鴉を同情の篭った手付きで撫でた。

 東京某所、癲狂院跡。戦前から存在していたのではないかと思わせるほどに古びたその廃院の中には、『音』の監獄があった。
 口の端に上がり災いを成すもの、言霊。

 それらを収監し管理している看守と言えば、かなりの力を持つ人格者であることを連想させる。しかし実際彼女の前にいるのは、何処を見ているのだか判らないほどにぼんやりとした青年でしかない。しかし、音に対して敏感なシュラインには判る――彼、古殻志戯の声の、特殊さが。
 志戯の声にはいつも抑揚が無く、感情が篭っていなかった。それはある種、すべての言葉が何の力も意味も持たないことを現す。『言霊』に、なれない、声。封じているのか、封じられているのか。志戯の首に掛かる複雑な文様のリボン結びされた包帯を眺めながら、シュラインは問う。

「収監している言霊――音霊、って言うのかしら。普通にこの中でひょいひょい遊んでいるものだと思っていたんだけど?」
「んー、普通のは……ねぇー。だけど、あんまりにも、力が強い……のはー。危ないから、独房に入れて……あるんだよー。言ってなかったっけかなー?」
「初耳だわ。それで、その小瓶が独房ってわけなのかしら?」
「んー……そう。ある種、のー……防音瓶って、言うのかなー。僕の言霊の作用、なんだけれどねー……瓶の内側に、更に真空の膜を張って……響くことが、出来ないようにしてるー。魔法瓶と、仕掛けは同じ……だねぇー」
「へぇ……」

 ひょい、と投げ渡された小瓶を受け取り、シュラインはその中を覗き込んだ。何の変哲も無いそれは、薬瓶を連想させる。市販の風邪薬やジェリービーンズを入れたら似合いそうなそれには、なんの変哲も無い。何気なく、彼女は中に息を吹き掛けてみた。
 篭って響くはずの音は、何一つ聞こえなかった。

「逃げた……のはー。多分……嫌な、言葉。だねぇー」
「そんな曖昧な説明じゃ判らないわよ」
「そうですよ志戯、手伝ってもらうつもりならもっと詳しく説明しなさい。ついでにもっとテキパキ喋りなさい、なんですかその『徹夜三日目そろそろ精神崩壊』とでも言いたげな声は。そんなんだから五十年前だって」
「玄夜は黙っててー。んー……エマちゃんにはちょっとしんどい言葉、だと、思うー……?」

 エマちゃんは止めろといつもなら突っ込む所だが、今はその場面ではない。シュラインは首を傾げ、んー、と唸る志戯を見る。
 す、と志戯の眼が細められ、射抜く鋭さを持った。色素の少ない茶色の双眸が真っ直ぐに彼女を捉える。小言を繰り返そうとしていた玄夜も、息を呑んだ。
 それは、『虚嗄死』と恐れられる――看守の眼。

「言葉はねー、単純なほど……痛いー。とても、鋭く、突くんだよ。複雑で理屈っぽい言葉なんて、理解に脳が忙しくて……感情を刺激する暇も無いー。だからいつも怖いのは単純な言葉」
「……らしくなく、随分前置きするのね」
「基本的には戯言遣い並みに口数多い……よー? ただし無意味な言葉が多い……と言うか僕の言葉は何時でも無意味なつもりー」
「それで、なんなの? その言葉は。私にはしんどいって、どういう意味なのかしら?」
「『黙れ』」

 シュラインの肩が、僅かに揺れる。

「――――それが」
「音霊、だよー……彼はとにかく君を黙らせようとする、そういう言葉を紡ぐ、そういう姿で現れる……それは多分、君には……とても、つらいー。そう、でしょうー? エマちゃん」
「そう……かも、しれないわね」

 僅かに額に浮いた汗を、シュラインは軽く拭った。肩の上の玄夜が心配そうに彼女を覗き込むが、無理をして笑って見せる。
 確かに、失声症を経験している彼女に、その言葉は少し特別だった。志戯は感情の篭らない、ただしけっして冷たくは無い眼でシュラインを見る。彼女は顔を上げ、気丈に笑って見せた。

「まあ、大変な時に来ちゃった気分だけれど、だからってサヨナラってわけには行かないでしょう? ここで志戯くんに恩を売っておくってのも、中々魅力的だしね」
「あははー……恩ならぬ、音なら買って……あげるよー。僕はエマちゃんの声の、凛とした感じ……好き、だからねぇー?」
「あら、褒めたってなーんにも出ないけれどね。それで、院内から出てはいないのよね? その音霊」
「んー……それは無理、なんだよー。この地域も、僕の言霊で……結界してあるから、ねー。『界』を『結』ぶ……結んだら外には出られないー、こんな風に」

 す、と志戯は自分の喉の包帯を指差す。シュラインは肩を竦め、玄夜を肩から腕に移らせた。

「それじゃ、行きましょうか」

■□■□■

 声を失うのは、正直に怖い。今でもその恐怖は健在だった――玄夜の案内で院内を巡るシュラインは、耳を澄ませながらもそんな事を思考していた。カツン、カツンとパンプスが音を立て、たまに音霊達の声がする。その全てを詳細に聞き分けながら、ゆっくりと確実に彼女は歩みを進める。件の音霊はまだ何も行動を起こしている様子が無く、必然院内を虱潰しに当たらなければならないのは少し骨の折れることだったが、仕方が無いと諦めるしかないだろう。病室棟の三階、未だに手がかりは掴めていなかった。
 志戯は他の独房のチェックと探し物とかで、後から違うルートを辿るらしい。少し不安はあったが、自分も素人ではないし、独房の小瓶は預かっているのだから大丈夫だろうと、彼女は殆ど無理矢理に思考をプラス方向に向けていた。もしかしたら、志戯の方が捕まえるかもしれない。
 だから何も、怖くないのだと。

 黙れ。喋るな。話すな。声を出すな。失ってしまえ。声など。消えてしまえ。

 そんな言葉は今でも心の隙を突くように、入り込む。
 言葉を封じる言葉、確かに音霊としては独房に入れられる程度に凶悪だろう。ある意味でそれは、他の音霊達にとっても。そうだと言うのにあの看守はどうしてああもボッケーとしていられるのだろうか、彼とて言葉を封じられてしまえば無力なのだろうに。
 邪魔をしないようにと黙って周囲に気を配っている玄夜に、シュラインは声を掛ける。

「ねぇ、玄夜」
「はい? 何でしょう、シュラインさま」
「志戯くんはあんなボッケーとしていたけれど、彼は大丈夫なのかしら。喉の封印を解いたって、声が出なければ意味が無いのでしょう? もしも音霊に『黙』らされてしまったら、彼だって危ないんじゃないのかしら」
「ああ――それは、問題ありませんよ」

 玄夜はそう告げる。それ以上の説明が無いことを訝って、シュラインは首を傾げた。ぐり、と首を彼女に向け、玄夜は笑う。

「声嗄らし、恋枯らし、虚から死――『虚嗄死』の名は伊達ではありませんよ。あれでも志戯は一流の言葉使いです。ロマンサーだの言霊師だの、そういうものではありませんが、あれの言葉は音霊程度に止められませんよ。だからこそ看守たり得るんです」
「なるほど……余計な心配、ってやつだったかしら?」
「いいえ、そうやって案じて下さる言葉も、志戯を強くしてくれるものです。ですから、ありがとうございます、シュラインさま。志戯に代わってお礼申し上げます」

 ぺこりと玄夜が頭を下げる、盲いた眼を細めて笑う。何だかんだ言いながら、この主従はしっくりと馴染んでいるのだろう。ボケと突っ込みのバランス以外のところでも。
 それはもしかしたら、自分とあの人のように――

「っ、!」

 シュラインが足を止める、玄夜が神経を研ぎ澄ます。隙間風、音霊達の話し声、その中に確かに混じる言葉――それが彼女の聴覚に引っ掛かったのは、その声がひどく聞き覚えのあるものだったから。
 男声、よく知った、よく識ったその声。もうずっと聞き続けていて、どんな人混みでもきっと聞き分けられるだろうと自負すらある。その声を使って、その言葉を吐く。
 院内の、元は個室だったのだろう一部屋に――それは響いていた。
 冷たいコンクリートに、よく反響する声。薄暗い部屋の真ん中に人影が立つ。音霊の姿は見るもの次第、音霊次第で可変なのだと、教えてくれたのは玄夜だったか志戯だったか。

 それは――
 想像していたよりも、少し。
 彼女を、竦ませた。

「黙れ」

 『彼』の姿が言った。

「煩い、耳障りだ、黙ってろ。喋るんじゃ――無い。聞きたくないんだ、お前の声なんて」

 『彼』が、顔を顰めてねめつける。

 喉が熱い。それは少し過去を思い出させた。伝わらない、伝えられない。ここから、音は漏れない? 何も何も伝えられない。
 『彼』にそれを否定される、ならば。
 自分は、今度こそ。

「シュラインさま!」

 玄夜の声に、シュラインは我に返った。手には独房を持っている、目の前に対象は、いる。ただし、『彼』の姿で――『彼』の声で。
 自分は今、声を出すことが出来るのだろうか? 今、この喉から声は出るのだろうか? 震えていた身体、ぎゅっと眼を閉じ歯を食い縛って、彼女はそれを振り切る。強い意志でもって、瓶の口を『彼』に向ける。その姿に、その声に、その言葉に。その言霊に――音霊、に。
 眼鏡の奥の眼は自分を睨んでいる。偽物だと判っているはずなのに、どうしてだか胸が痛む。偽物。それはとてもよく出来た偽物。心の中に入り込むために、姿を、声を、模しただけ。
 その声が、自分に、声を、禁じただけで。

 開いた口からは、しかし音が漏れない。漏らすことができない。喉が熱い。締め付けられるように痛む、玄夜の声すらも遠い――

「なあ、俺はお前の声好きだぜ」

 背後から、『彼』の声が響いた。

「お前の歌とか結構好きだな。ほら、たまーに台所で口ずさむのとか? そんなんでも綺麗だって思えるんだからさ、大丈夫だって、なぁ」
「た、け……ひ、」
「ほら、シュライン」

 シュラインは、息を大きく吸った。

「戻りなさい、監獄の闇へ」

 それは、志戯を模した声だった。彼女の完璧な模写能力が言霊をも複写し、音霊を従わせる。『彼』の姿は崩れ、白い靄のように霞んで、シュラインが手に持つ小瓶に――独房に、吸い込まれた。すかさず蓋を閉じれば、玄夜がぐるりとそこに文様の描かれた帯を巻きつけ、厳重に封印する。
 ふぅ、と息を吐き、シュラインは自身の喉を押さえた。力の抜けた身体を壁に持たせかけ、そして、視線を投じる。
 廊下の闇の先には、志戯が佇んでいた。

「……人が悪いわよ、そこまで来ておいて私にさせるなんて」
「んー……僕が、しなくてもー……エマちゃんが、片付けられそう、だった。から……ねー」
「これでも精神力が随分浪費させられたわ。まったく……あの人だと思うと、調子が狂うのよ」
「でも、頑張れた……でしょー? 良い子良い子ー……」

 志戯は笑う。
 シュラインは溜息を吐いた。

「ありがとう」
「……なに、がー?」
「あの時、あの人の声をくれて」
「さあ……僕は、知らないー。助けに来て……くれたんじゃ、ないのー?」
「なら、そういうことにしておくわ。でも貸し借りはチャラね。本当、骨折り損のくたびれもうけだわ」

 うん、っと伸びをしたシュラインは、小さく歌を口ずさむ。
 声が出る、だから、歌える。
 言葉を伝えられる、あの人に。
 大丈夫。
 きゅ、と手を握り締める彼女の背中に、志戯は静かな微笑を向けていた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 二十六歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


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■         ライター通信          ■
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 再びご依頼下さりありがとうございました、哉色ですっ。音系能力の強い方でしたので、そういう設定とプレイングを混ぜつつ、こんな感じのお話になりました。ひっそりと愛情出演(笑)に『彼』を引っ張り出したりと、ちょっと遊びすぎてしまった感はあるのですが……い、如何だったでしょうか。
 キャラクターが立っていてとても書き易い人なのですが、イメージの食い違いが無いかとちょっとビクビクしております……ともあれ、少しでもお楽しみ頂けていれば幸いです。それでは、失礼致しましたっ!