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<東京怪談ノベル(シングル)>


激動の日

「へくしっ」
 異変は、ほんの小さなくしゃみがきっかけだった。
 石神月弥、当年とって100歳。性別未決定。
 哀しくも美しい誕生秘話を持つブルームーンストーンの化生である。
 人型を取ったときの外見年齢は、美幼年から美少年の間をいったりきたり。
 どの年代に化身しようと青い氷砂糖のような双眸は威力絶大。片っ端から人心を撹乱している。しかも自分の魅力に無自覚。そろそろ「魔性の宝石」の称号を得る日も近いと思われる。
 ――それはともかく。
 その日、ミラクルキュートなつくも神は、とある激変に翻弄されることとなったのだが……。

 運の悪いことに、月弥の保護者は不在であった。
 表向きは普通の開業医、裏向きはもののけ関係の患者さんも手広くどんと来いな「先生」は、西表島に生息している希少極まりない山猫の妖怪が体調不良であるとのSOSを受け、往診に旅立ったからである。
 知名度が高いと、移動距離も長くなる。名医は大変だ。
 もちろん、月弥ひとりを家に残して留守にすることに、不安がなかったわけではない。
 むしろ心配で心配で心配で、心配のあまりに遠方への出張は見合わせようかと思ったほどである。
 しかし、今回の患者であるとことろの山猫の妖怪は可愛らしい子猫であるそうで、当の月弥がどうしても助けてやって欲しいと懇願したのだ。行かねばなるまい。
 悲壮な覚悟をした先生は、出がけに何度も念を押した。
「ひとりで遠くへ行っちゃいけないよ。知らない誰かが何かをくれようとしてもお断りするんだよ。ましてっ! いいものをあげるから一緒においで、なんてことを知らないお兄さんやおじさんやお姉さんに言われても、絶対に、ぜっったいに! ついていっちゃいけないよ。いいね。わかったね」
「知ってるひとだったらいい?」
「知ってたら、ある意味なおさら危険じゃないか! ああもう、心配だな。わかった。こうしよう。必要なものは全部揃えておくから、私が帰るまで外出はしちゃいけない。いい子で待っていなさい」
「えー? つまんないよそんなの」
「ほんの二、三日だよ。子猫の診療が終わったらすぐに戻ってくるから」
 過保護極まりない先生が、家を空ける決心をするまでにさらに一悶着あった。だが、それは長くなるので割愛し、話を進めるとしよう。 

 さて、いかに先生が気を回そうと、好奇心旺盛で交友関係も広い月弥は、おとなしく家でじっとしているつもりはない。
(んっと。どこへ行こうかな)
 今日の気分は、外見年齢10歳前後。それに合わせて、あかんべえをしたうさぎのイラストがついているお気に入りのトレーナーに着替える。
「へくしっ」
 リビングから出ようとして、小さくくしゃみをした、その瞬間。
(――あれ?)
 トレーナーの袖が急に、でろんと伸びた。
 鎖骨の上あたりで止まっていた襟ぐりも、横に伸びたあげくにするっと落ちて、華奢な肩が剥き出しになる。
(トレーナーが……大きくなっちゃった?)
 最初は、そう思った。しかし冷静に考えてその可能性は少ない。むしろ。
「月弥の身体が、いきなり小さくなったのじゃよ」
 リビングのテーブルに乗っていたギザ十に、そう声をかけられる。
「ええっ?」
 驚いて自分の姿を見回せば、たしかに縮んでいた。外見年齢でいえば5、6歳くらいの大きさだ。
「変だなあ。……っくしょん!」
 首を捻ったその時。またも盛大なくしゃみの衝動が来た。
 思い切り身体に力がこもる。と。
「うわぁぁぁ!」
 今度は身長が一気に伸びた。14、5歳程度になった身長につられてトレーナーが持ち上がってしまい、おへそがひょいと顔を出す。
「おかしいなぁ。こんなこと、今までなかったのに。はっくしゅん。くしゅん」
 二度、月弥はくしゃみをした。その度に身長は盛大な伸縮を繰り返す。
『うぅむ。着ていたのがトレーナーで良かったのぉ。これがもっと薄手のシャツだったらばりばりっと破れて、某このごろ流行りの女の子の変身シーンのようになってしまうところじゃ』
 ギザ十は少々マニアックな感想を漏らした。
 この十円玉の発行は昭和26年である。月弥より年若であるが、激動の昭和の日本を渡り歩いてきた生き証人として、この家の金属製品たちからは「長老」と呼ばれている。日本経済の動向から時事風俗の変化まで、何でもござれの知恵袋だ。ちなみに昭和26年といえば、マッカーサー国連軍最高司令官が解任され、アメリカに帰国した年である。
「長老〜。どうしよう……」
 月弥は、すがるような目をギザ十に向けた。しかし長老は、ううぅぅ〜んと唸ったきりである。
 歴代の日銀総裁の中にシャーロッキアンがいるのだがそれは誰かというような、無駄知識をたくさん所持しているギザ十といえど、つくも神の異変には打つ手はないらしい。
「ふわっくしょん!」
 またもや月弥は大きなくしゃみを放つ。
 14、5歳から6、7歳へ。急激に縮んだ拍子に、足がもつれてこけてしまった。
「うー」
 フローリングに思いきり打ちつけた膝小僧をさすりながら、月弥はとてとてとリビングを突っ切り、窓を開けた。
 窓のすぐ外に、仲良しの電信柱が立っているのだ。もしかしたら、何かいい知恵があるかも知れないと思ったのである。
 外は秋晴れ。風が涼しい。
『まぁ月弥くん。今日はずいぶんと小さいのね』
「ちいさくなっちゃったんだ。さっきまではもっとおおきくて……っっくしょん!」
『あらあら』
 またも、身長がぐんと伸びた。電信柱は驚きの声を上げる。
 毎日のように月弥と話しているので、この宝石が日によってまちまちの外見年齢の人間に変化するのは知っていた。だが、こんな風に制御できなくなっている姿を見るのは初めてだったのである。
「困っちゃった。何が原因なんだろう? 長老にもわからないみたいなんだ」
 あどけない幼児の声から一転して、少し大人びた少年の声で問われても、電信柱にはどうすることも出来ない。
『そう、ねえ。……だめもとで、他のみんなにも聞いてみたらどうかしら?』
 困惑しつつ、そう言うのが精一杯である。
「うーん。やっぱそうだよね……」
 それは月弥もたった今考えたことではある。電信柱に礼を言って窓を閉め、リビングからキッチンに移動する途中で――新たなくしゃみが発生した。
「くしゅっ。……ふえ?」
 今度の縮みっぷりは派手だった。月弥は3、4歳くらいの幼児になってしまったのである。
「あーあ」
 かろうじて腰に絡みついているトレーナーをずるずる引きずってキッチンに行き、必死に背伸びをして引き出しをいくつも開ける。
 月弥に少しでも美味しいものをと、保護者は料理研究に余念がない。なのでキッチンアイテムも充実している。
 菜切り包丁や刺身包丁やポテトクラッシャーや泡立て器やおたま、骨董品のナイフやフォーク。普段から仲の良い金属製品たちに、月弥は相談してみた。
 しかし……。異変を訴えて助力を乞うブルームーンストーンに、当然ながら彼らは無力であった。
『ごめんな。おれたち、力になれないや』
『ごめん、月弥』
『とりあえず、そのトレーナーは何とかした方がいいぞ。引っかかって転んで怪我しそうだ』
 おたまとナイフとフォークが、そう口を揃える。
『ちょいと、月弥。もっぺん原因を考えてみたらどう? 本当に心あたりはないのかい?』
 菜切り包丁に気っぷの良い口調で言われ、月弥は首を傾げてみる。
「う……ん。わからな……はくしゅん!」
 飛び出したくしゃみに、月弥の身長がまた伸びる。
「どうしよう。へくしゅっ」
『あ。今度は縮んだ』
『先生が帰ってくるのを待つしかないんじゃないかな』
『ずっとくしゃみばっかりだねぇ。これが人間だったら、風邪引いたのかいって言うところなんだけど』
 まさかねえ、と笑いかけた菜切り包丁は、不意に真剣な声になった。
『そういえばあんた、昨日お風呂に入ったあと、すぐ寝ないでずっと起きてたね。山猫の妖怪のことを調べるんだとか言って……。湯冷めしちまったんじゃないの?』
『だけど、菜切り包丁の姐御。月弥は石妖怪だぞ?』
『風邪なんか引くかぁ?』
『妖怪だって病気になるさ。何のために先生が西表島に出張したと思ってンだよ』
 半信半疑なナイフとフォークに、菜切り包丁は大人の貫禄で言い含める。
 それを裏付けるように、月弥はくしゃみを繰り返した。

 くしゅっ。
『一に褒められ』
 へくし。へくしっ。
『二に憎まれ』
 くしゅん。くしゅん。っしゅん。
『三に惚れられ』
 っしゅ。っしゅん。くしゅっ。ふわっくしゅっ!
『四に風邪を引く』
 くしゃみに合わせて月弥が伸びたり縮んだりする度に、菜切り包丁が合いの手を入れる。

 ――風邪決定、のようであった。

 先生の帰還まで、早くともあと二日。
 月弥と金属製品たちの激動の日々は……続く。


 ――Fin?