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『異』 −追憶のひと−
しとしとり。
雨が霧雨へと変えた夕刻前。降り続く雨を少しだけ開けられた窓の外を覗いて、草間武彦は手に収まる煙草の煙を燻らせ顔を顰める。
「腐ったうどん」
「え?」
ポツリと呟かれた言葉に、それまで掃除に没頭していた妹の零が思わず顔を上げた。振り返った先の兄を不思議そうに見ると、武彦は何でも無いと返される。
――嫌な予感がする。
何とも言えぬ胸騒ぎを覚えながら煙草をもみ消すと、座っていたソファから急いで立ち上がった。
「俺は出かける」
何の宣言だか分からぬ言葉を言い捨て、首を傾げる零を無視し雑然と積まれた紙の束を跨いでいく。そしてドアノブに手を掛けようとしたそのときだった。
――ガチャリ
自動なはずがないアナログな戸が自動で開いたのは。
思わず顔を引きつらせる奥に、見目の良い少年が一人。
「草間興信所はここでしょうか?」
そして無情にも、逃げる所長にそう告げたのだった。
結局、客の存在を零に知られ、逃げるに逃げられなくなった武彦は半ば不貞腐れたようにソファに座り直した。煙草を消したことを後悔する。
目の前には、中に通された少年が勧められるままに座っている。
零がそっとお茶を出すと、少年はペコリと頭を下げ武彦を見上げた。
「何のようだ? うちは怪奇の類は禁止だぜ」
そう言って張り紙を指し示す姿に、少年は少しだけ迷ったような素振りを見せて頷く。その様子に、少しだけ怪訝な顔を向けながら新たな煙草に火を付けた。
「この人を捜して欲しいんです」
紫煙を横に吐き出す武彦の前へ、少年は鞄から一枚の写真を差し出す。
無言でそれを受け取ると、色あせたその写真を物珍しそうに眺めた。
歳は三十前後、黒い髪を結い上げた和装の女性だ。顔は和風美人と言った感じだろうか、色あせた写真からでも伺える。
「この女性を、か?」
机に置いた写真を武彦がトンっと指で指すと、少年ははっきりと頷いた。
「はい。名前はユキサと言います。降る雪に、糸偏の紗で雪紗」
「名字は?元居た場所は?」
「名字は残念ながら……。元は下町にいたそうです」
「下町っつったって色々あるぜ?」
重ねた質問はほとんど情報もなく返され、思わず紫煙混じりの溜息を零した。これじゃあいくら難儀すると。
「せめて名字ぐらいはなぁ」
先に溜まった灰を灰皿に弾き落としぼやく姿に、少年は写真に視線を落とした。
「この街に必ず居ます、それは違いありません。探して貰えませんか?」
真剣な眼差しに、武彦は目を眇めた。
「訳ありか?」
「まあ、そんなところです」
曖昧な返事は、つまりそっち系と言うことなのだろう。ここに来る奴にまともな依頼はないに等しい。
「お兄さん……」
何とかしてあげてと言わんばかりに零に見詰められ、思わず髪を掻きむしった。
「だーっ! 俺はそーいうのやなんだっつーの。おい少年、名前は?」
「は? ああ、高浜です。高浜零」
「うちの優秀なバイトを貸してやる」
「え? じゃあ」
「ああ、その依頼うけてやるよ」
素早く先ほどの写真をつまみ取ると、電光に透かしてニヤリと言った。
***
そんな珍しい来客を知ってか知らぬか、家主が煙草を買いに行っている隙に招かれたシオンは興信所の奥で雑然と置かれた本や不可思議なものを見ていた。そして、少し騒がしくなった事務所が気になり、そっと顔を出しに行く。
そこには武彦、零の他にエマと一人の少年がいた。なにやら深刻そうだが楽しそうな光景に、思わず足が向いてしまう。
そして足を忍ばせ、気付かれないようにそっと覗き込んだ写真は、年代を重ねた陰がありながらも写し出された女性の白い肌と漆黒の髪、華奢な体つきは如実に伺えるものだった。
儚げな様子が、とても。
「美しい方ですね」
「……っ!?」
声にならない叫びをあげたエマが、飛び退かんばかりに振り返った。それにニコニコと笑みを向ける。
「こんにちはー。シオン・レ・ハイでーす」
そして少年に向かって陽気に挨拶をすると、高浜からは気の抜けた挨拶が返ってきた。
「シオンくん」
その前では安堵混じりに名を呼ばれ、エマに少し非難めいた目を向けられる。
そして武彦はというと、訝しげな顔をシオンに向け、直ぐさま少し遠くで黙って立っていた零に目を向けていた。
「なんで居るんだ?」
酷い言われようだが、仕方ないかもしれない。神出鬼没なこの男は、雨降り・暇・腹ぺこの時にふらりとこの興信所に現れるのだから。
しかし問われた方の零は、悪びれなくニコリ笑っている。
「雨だったので雨宿りに来たそうです」
「と、暇だったので遊びに来ました」
こちらもまるで悪びれない様子のシオンに、武彦の額にはちょっと深めの皺が刻まれた。
「暇だったら遊びにくるんか、ここはなぁ仕事ば」
だと怒鳴り散らしかけたところで、武彦の表情がまたもや悪巧みの顔に変わる。
「おい、シオン」
「はい?」
「暇だっつったな?」
「はい」
「お前も調査員決定」
「「え!?」」
喜びと驚愕の二重奏に異を唱えることを許さず、武彦はピシャリと言葉を遮った。
「俺様決定事項。一人より二人、三人より二人だ」
「お兄さん、でも」
「でももかしこもあるか。いるヤツが悪い」
なんじゃそらの理論である。
しかし無理やり押しつけられたはずのシオンは、意外や意外、かなり乗り気で写真を興味深そうに眺めていた。パートナーのエマは少しだけ不安を覚えながら、明後日の方を見てため息を吐く。
依頼人的には、大丈夫なのだろうかと膨大な不安を残して。
***
翌日、エマとシオンは未だに小雨の残る午前中から、調査のために街に繰り出していた。なんやかんやで二人だけでの調査になった今回の依頼を、預かった写真のコピーを見ながら反芻する。
依頼人は高浜零、探し人は写真に写る『雪紗』という名の女性。姓は不明。この人を、街はずれの公園にある桜の巨木に連れて行くことが今回の仕事になる。見つかったら連絡が欲しいと、用意周到に携帯電話の番号まで渡された。
一応ここまでが少年から直ぐに聞けた詳細だったが、もう少し手がかりをと粘った結果、昔は高浜の住む隣街の下町に住んでいたと言う情報も得られた。他にこの街に確実にいるとも言っていたが――
「だったら、霊の類かと思ったんだけど」
少し違うと言われてしまった。『見えないもの』の類ではあるらしいが、死者ではないと。
「どういうことでしょうね? あ、妖怪も見えないですよ?」
雨音を響かせる傘の下を楽しげに歩きながら、ひらめいたように言うと、横のエマからピシャリと反論が返されてしまう。
「見えるのもいるでしょう。それに、この人は妖怪に見えます?」
たしかに、妖怪には見えそうにない。
良い意見だと思ったのにと打ち拉がれていると、ふぅっと小さなため息を吐いてエマは再び歩き出してしまった。
「取り敢えず、隣街の前居たという場所に行ってみましょうか。下町なら、そう多くはないでしょうし」
「そうですね。その前に腹ごしらえを……」
そう呟いた声音に、ニッコリと笑みが返される。
「お昼まではあと三時間もありますね」
「はい」
迫力ある絶対零度の微笑みに、シオンは泣く泣く頷いたのだった。まだ調査は始まったばかりである。
始めにエマの提案で、二人は雪紗の昔住んでいたという下町に足を運んだ。そこでは雪紗の昔を知る人物が数人まだ住んでおり、名字は分からないままだが、結婚して歳めの旦那がいること、そしてあの街にいることが確かな事が分り、それ以上の情報を見込めないと踏んで街に戻った。
あの静かな町から三駅ほどで着いた街からは、数時間ぶりの雑踏が押し寄せてくる。
先ほどの下町とはガラリと色を変えた都会的な街の姿に、彼女はどんな風に過ごしていたのだろうか疑問に思い人が行き交う駅の中で足を止めた。
「雪紗さんは、幸せでしょうか」
突拍子もない言葉にエマは一瞬驚いた様だったが、足を止めて困ったようにシオンに微笑んだ。
「きっと幸せよ、旦那様と一緒なんですもの」
ややあって休憩しましょうかと呟いたエマに、シオンは少しだけ覇気のない声で上等文句を返す。
「奢ってください……」
それにエマは、吹き出すように笑って頷いた。
そしてしょぼくれたシオンを慰めるように入ったカフェも、二人は結局手がかりなしで店を出た。二人は仕方なく人の多そうな飲食店や雑貨屋などに焦点を絞りながら、多くの人に写真を見せて歩くというとても地道な方法で探していくことにする。
数件を周り、許可を得て客にも当たってみたが、相変わらず首を傾げられるばかりだ。もっと範囲を拡大した方が良いかも知れないと、エマに言われ場所を変えようとしたときだった。
最後にと、念のために寄った……と言うか、思わず店先のパンに引かれ足を向けてしまったその店で思わぬ幸運が訪れた。
たまたま聞いた客の一人が、写真の人物を見たことがあると言ったのだ。
「本当ですか?」
思わず声を高くして聞き返す二人に、その人は戸惑いがちに頷く。
「ええ。何度も見てるから、間違いないと思うけど」
「どこでですか?」
「この先の総合病院よ。姑のお見舞いの時、前はよくすれ違ったの」
病院!?
今度もまた意外な事実が聞き渡され、二人は目をパチクリさせる。旦那さんがいて病院通いで……、和装の女性。なんだか。
「ああ、でもこんな古い写真じゃ違うかしら?」
「え?」
頬に手を当て首を傾げ、写真を見ていた女性が不思議そうに言われ、思わず聞き返す。
「まだ三十ぐらいの若い方よ? 着物は着てたけど」
この写真の日焼け具合からは裕に十年は経っていそうに伺えるのだが、どういうことだろうか。
不思議を抱えながらも二人はその女性に礼を言い、その病院へと急ぐ。何はともあれ、核心に近い情報は得られるはずだと。
着くなり二人はナースステーションに顔を出し、例の写真を差し出した。対応に当たってくれた看護士が、首を傾げながらも頷く。
「ええ、確かにご家族様ですね」
そう言って人気の少ない廊下へと移動した看護士は、改めて写真を見て深く頷いた。
「間違い有りません、写真は古そうですがうちの患者さんの奥様ですよ。見崎重人さんの奥様で、雪紗さんじゃないですか?」
「あ、はい」
まさかと思うと同時に、二人は何処かで納得していた。あの興信所に来る話で幽霊や物の怪じゃないにしても、まっとうなものはないと言う諦めからだ。年を取らないぐらいで驚いていられない。
「あのぅ、住所とかも聞いていいですか?」
「それが……引っ越されたそうですよ」
「引っ越しですか?」
「ええ。旦那さんが亡くなられたのがよほどショックだったんでしょうね。数日も経たず、家はそのままでどこか越したらしいです」
「旦那さん、亡くなったんですか?」
「ええ、先々週ぐらいに」
「……念のため、住所を教えて貰えますか?古い友人なんです、連絡が取れなくて」
今更言い訳のようなエマの言葉に不思議そうな顔をしながら、看護士は困ったように笑って今回だけと住所を教えてくれた。
教えられた住所は、駅からほど近いながらも閑静な住宅街だった。住所通りに行けば、この家なのだが……。
一見の大きな家を見上げ、二人は足を止める。
呼び鈴は応答なし、声を掛けてみたがこれも反応はなかった。しつこく声を掛けていると、隣の住人が訝しげに出てきた。
「お隣なら、ここ数日帰ってないわよ」
突っ慳貪に言い放たれた言葉に、シオンは思わず気の抜けた返事を返す。
「はぁ」
「あんた達、何者?」
明らかに警戒の目を向けられ、二人は苦笑いを零しながら女性に写真を差し出した。
「この人を捜してまして、家がここだと聞いたものですから」
覗き込むようにして写真を見ていた女性が、エマの言葉にああっと頷く。
「確かにここの奥さんよ。旦那亡くなって、家を出たみたいだけど……。まぁ玉の輿状態だったから、居づらかったんでしょ?歳の差も結構あったみたいだし、遺産目当てだったんじゃないかって噂よ」
聞いてもないことを次々と喋る女性に、二人は呆気にとられながら一応とばかりに合図地を打った。
「こっちきて六年? 最近は落ち着いてたみたいだけど、周りから結構言われてたらしいしのよ。お葬式の時だって、ねぇ。ま、逃げたくもなるわよね」
このての話しが得意ではないシオンは、だだ苦笑いを浮かべているだけだった。横のエマも同様らしく、心なしか表情が険しくなっているように見える。
「今はどこに住んでらっしゃるかご存じですか?」
多少堅く聞こえる声音で話を遮るようにしてエマが問うと、女性は眉を寄せて笑いながら首を振った。
「知るわけないわよ、ふらっと出てったんですもの」
挨拶ぐらい、と面白くなさそうに呟く女性に、エマはこれ以上聞く気がないらしく「ありがとうございます」と言って話を打ち切った。
女性は一通り話してスッキリしたのか、気が晴れたように笑いながら家に戻っていった。
「嫌いだわ、ああいう話」
家に入っていった女性の姿を見送りながら、呆れるように呟くエマにシオンも同意する。
「同感です」
溜息をお互いに吐くと、踵を返して女性の家に背を向けた。
「結局いままでの情報は役に立たなくなるし、足取りはぷっつりだし、低俗な話しは聞かされるし。散々ね、まったく」
不服そうに言い放たれた言葉に、ハハハと笑い返すだけでコメントは差し控える。
結局いいところまで突き止めたが、振り出しに戻ってしまったわけだ。
駅前の通りにひとまず出た二人は、家や病院から反対の方向に歩き出した。聞いた話が本当なら、たぶんこっちの方にはいたくないだろうからと。
騒がしい通りを重い足取りで歩いていると、横にいたはずのエマが視界から消えた。不思議に思って振り向くと、道ばたで足を止めてしまっている。
「――さくら」
不思議に思いながら駆け寄ると、遠くを見たままエマがポツリと呟いた。
「はい?」
反射的にそれを聞き返したが、エマは目を丸くして目の前の通りを見詰めたまま同じように呟く。
――さくら、と。
何を急にをと首を傾げていると、エマがバッとすごい勢いで振り返った。見上げられた方は思わず一瞬怯んでしまう。
「シオン君、桜よ。桜の花」
そんな様子も構わずエマが急いたように告げる言葉に、シオンは相も変わらず言葉の意味を察しきれずに戸惑い気味に問い返した。
「花、ですか?」
「そう。なぜ、零さんはわざわざ桜の下を選んだのか。外じゃなくともうちの事務所でも、その辺のカフェでもいいはずじゃない? あの公園じゃなくとも、桜なんてあるはずよ」
桜の木ではなくてはいけなかったのか、あの木でなけれはいけなかったのか。そう言わんばかりの言葉に、シオンは見る見るうちに目を見開いく。
「キィは『桜』ですか?」
「分からないわ。でも、一回行ってみる価値はあると思わないかしら?」
「そうですね」
うんと頷き合った二人は、高浜に指定されていた街はずれの公園へ足を向けることにする。雨は、いつの間にか上がっていた。
***
足早に公園を目指していた二人は、それでも途中途中で手がかりを探るために聞き込みをしながら歩いていく。あまり役に立たない情報しか得られなかったが、目的がある分気落ちはしなかった。
あと少しで、件の公園に着く。そう思ったときだった。
「シュラインさぁん!」
目に入ったものにキッと足を止め、シオンが声を大きくしエマを呼ぶ。驚いて踵を返したエマに、シオンは満面の笑み向けた。
「桜餅です、奢ってください」
シオンが張り付いていたショーウィンドウには、季節はずれの桜餅と栗きんとんが並べられている。エマは思わず漫画のようなコケっぷりを披露すると、怒気をはらませゆらりと立ち上がった。
「しぃおぉんくぅん?」
この殺気にはさすがにシオンも背筋を凍らせ、ガラスに張り付きながら愛想笑いを浮かべて振り向く。
「冗談ですよぉ」
さぁ気を取り直していきましょうと、わざとらしくも張り切って方向転換をすると、目の前を通り過ぎていった姿に目を疑った。まさかと、足早に追いかけようとすると、エマが慌てて声を掛けてくる。
「シオン君?!」
「しっ」
短くに言った言葉に訝しい顔をしながらも、エマが後ろを着いてきた。
相変わらず早足のシオンはある程度歩みを早め、追いついた女性の肩を叩く。
まだ幾分若そうな、和装の女性。
「雪紗さん、じゃないですか?」
いつもの上品な笑みで、出来るだけ穏やかな声音で言った言葉に、驚いた女性は息を詰まらせシオンを怯える目で見上げた。
そして肩の手を振り払う。
「違いますっ」
まるで逃げるように駆けだした女性は、着物姿にもかかわらず思いの外速い足取りで人混みに紛れていく。
「どうしましょう?」
困ったように振り返ると、エマが肩をすくめて返した。振り返った姿は、まさに写真そのものだったにも関わらず、違うも何もないだろう。
「追いかけましょう。できるなら、話が聞きたいわ」
「ハイ」
そう頷くと、雪紗らしき人物を追いかけ二人は街を疾走していく。途中、パンプスのお陰で遅れがちになるエマが、苛立ちながら後ろを気にするシオンに先に行くよう告げた。
「直ぐに追いつくわ、行って」
頷いたシオンはスピードを上げ、雪紗を追うことに集中する。
雨上がりのお陰で比較的人は少ないが、それでも紛れてしまう小柄な雪紗を人を縫うように追いかける。コンパスの差や着物というハンディがありながらも、それでもあまり縮まない距離に驚きながら足を速めた。
一人追い越し、二人追い越し……。やっと追い付いたと思ったとき。
突然、雪紗が消える。
慌てて駆けて行き辺りを見回すと、路地の奥に消える影が見えた。見失うか……、脳裏によぎらせながらも走る。
そしてもう一つ角を曲がると、そこには袋小路に立つ雪紗の姿があった。
シオンはホッとしたと同時に、しまったと思う。雪紗は完全に警戒し、怯えた色を含んでいたからだ。
「あの、すみません。怪しいものじゃないですよ、ナンパでもなくて。シオン・レ・ハイと申しまして、只のしがなき『びんぼうにん』でして」
あまりに言い訳がましい言い訳に睨め付ける雪紗に、どうしたものかと困り果てる。そして、ああっと手を叩いた。
「零さんから頼まれたのです。雪紗さんを捜して欲しいと」
「零?」
「はい」
大きく頷いた後ろに、まだ息の荒い声が重ねられる。
「高浜零さんですわ」
振り返った先にいたエマが、大きく息を吐いて呼吸を整え、笑みをたたえながら女性へと歩み寄ってきた。
すぅっと静かに息を吸ったエマは、形の良い唇をうっすらと開き言葉を紡ぐ。
「――雪紗を、探して欲しい。彼女に時間がないんだ」
明らかに彼女のものではない、高浜とそっくりなその声音に、女性は口を押さえたまま驚愕する。
目を見開き、ポツリと言葉を零した。
「……な、れい……さま?」
それに顔を見合わせた二人は、確信を得たとばかりに微笑んだ。
「雪紗さんですね」
もう一度訊ねたシオンの言葉に、雪紗は今度は静かに頷いたのだった。
***
雪紗を無事に見つけた二人は何とか説得に成功し、雪紗に高浜の元へ連れて行くことを了承して貰った。そしてその後に急いで高浜に連絡を取ると、約束通り街外れの公園へ足を向けた。
驚くことに、そこにはすでに高浜が学ラン姿で立っており、二人に深々と会釈を寄越した。
「ありがとうございました」
いえ、と二人はかぶりを振ると、高浜は雪紗に目をやる。
「久しぶり。七年ぶり、か」
「はい。雪乃さまはお元気で?」
「うん、まぁ……。期限が切れるって、とても気にしてた」
「ご迷惑をおかけしました。なんとか夫も看取れましたし、もう心残りはありません」
「そう、ならいいけど」
言葉少なながらも深刻そうな話を、二人は居心地が悪いように見守っていた。すると高浜が突然、二人を振り返る。
「そうだ、見ていきませんか? 見えざるもの、気になられたでしょう?」
「ええ、まあ」
二人が戸惑いがちに頷くと、少年は小さく笑って近くにと手招いた。そしてポケットから幾重にも巻かれた透明な糸を取り出し、「いきますよ」と告げると糸を鞭のように鳴らす。
驚くほどに響いたその音に何事かと見上げると、少年は笑った。
「ようこそ、合間の世界へ」
響いた音が潮が引くように消えると、驚くことに音が一切無く、人の気配さえ伺えなくった。時が止まっているような、そんな錯覚さえ覚える。
そんな空間に面白いと思いながら振り返った先に雪紗の姿にをみつけ、思わず感嘆の声を漏らす。
「おお!雪紗さん、お美しい!!」
「え?」
困ったように微笑む姿は相変わらず和装の美しいままなのだが……、髪が薄紅に染まりしなだれた髪の先からはハラハラと桜の花びらが舞っていた。
「これが私の本来の姿なのです」
少し寂しげな言葉に、シオンは笑みを漏らした。まるで桜の精のようだと。
「綺麗ですね」
そう雪紗に言葉を掛けると、意外そうな顔が返される。変なことを言っただろうかと首を傾げると、雪紗は微笑みながら見上げてきた。
「気味が悪いと仰る方が多いでしょうに。ありがとうございます」
「まったく信じられません、こんなにお美しいのに」
「お上手ですのね」
クスクスと楽しげに笑う姿がまた綺麗で、シオンは再び感嘆の声を漏らす。やはり気味悪く思う人間の気が知れない。
そんなたわいもない話をしていると、高浜に雪紗が呼ばれた。
「雪紗、帰るよ」
呼ばれ頷いた雪紗が歩み寄っていくと、高浜はエマとシオンを少し離れるように言って、持っていた糸をひと一人通れるほどの輪にして宙に垂らす。
「お世話様でした」
それぞれに深く頭を下げた女性は、糸の輪に手を掛け隙間に身体をねじ込み、えっ?と思う暇もなく輪に消えてしまった。呆気ない別れに、二人は戸惑いを隠せない。
「手品ですか?」
目をパチクリさせるシオンに高浜は笑い声を上げて頷と、明らかに怪訝そうな顔をエマに向けられ思わず肩をすくめて溜息を零した。
「向こうと入り口を開いただけですよ。戻ります、こっちへ」
手招きされ近寄ると、最初と同様にして糸を鳴らし、押し寄せるようにして音が戻ってきた。
それに直ぐに慣れたシオンとは対照に、エマは思わず顔をしかめてしまう。
「大丈夫ですか?」
耳を押さえるエマに手を差し伸べ、心配そうに覗き込む。手を取ったエマは、大丈夫だと小さく笑った。
「この度は本当にありがとうございました。異形にもこの世界と相性の善し悪しがあって、あの子はギリギリ形を保っていられる状態だったんです。お陰で、消えることなく元の場所へ戻せました」
改めて礼を言う高浜を見返し、ようやく音に慣れた様子のエマが問う。
「その『異形』のことなんですけど、いったい」
何なのだと食い下がるエマに、高浜は風にあおられるようにして桜を仰いだ。
確かに疑問に思っていたことだが。
「その話は、後日機会があったらにしましょう。謝礼金は、改めてお支払いに伺いますと、草間さんにお伝えください」
そう言って、微笑み返されてしまった。
今日は詮索しないでくれと言われているようで、それ以上追求できずに大人しく頷く。
こうして、依頼は少しの疑問を残し終了した。
後日談になるが、約束通り数日後に高浜は結構な金額を謝礼金として残していった。お陰で羽振りの良くなった所長が、ボーナスだと二人に少し多めの分け前を手渡したらしい。
せっかくシオンの手ものに渡ったバイト代も、某少女にまんまと没収されていったとかないとか……。
そして暫くしてまた、高浜が厄介事を興信所に持ち込むが、それはまた別の話となる。
終。
-------------------------------- キリトリ --------------------------------
〓登場人物〓
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
‖3356‖シオン・レ・ハイ‖男性‖42歳‖びんぼーにん(食住)+α ‖
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
‖0086‖シュライン・エマ‖女性‖26歳‖翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員‖
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※PNC=高浜零・男性・16歳・学生
〓ライター通信〓
≪シオン・レ・ハイ様≫
初めてお目に掛かります、遠江悠(とおとうみ・はるか)と申します。
この度は新人の分かりにくいシナリオにも関わらず発注いただき、本当にありがとうございました。
可愛らしく(え?)ボケだけど、ちょっと格好良くを目指してみたのですが……いかがでしたでしょう……か?(ドキドキ)
まさにプレイング通りっ!とはいかないまでも、楽しんでいただけたら幸いです。
もっと溢れんばかりの紳士さ加減を出したかったのですが、いつの間にか年齢をすっ飛ばしたおぼけな感じで申し訳ないです。
格闘術が実はお得意とのことでしたので、思い切り走っていただいたりして、実は体力担当という不思議なポジションですが、どうでしょう?
性格が違う、話が違うなどのご叱咤や、あるようでしたら激励など頂ければたいそう喜びます。
また、エピソードで多少割愛したところがありますが、シュライン様のところで書かせていただきました所もありますので、お暇なときや気になられたら読んでいただければ……と思います。
この度は長々とお付き合いありがとうございました。
正直、書き手としてとても楽しく書かせていただき申し訳ない限りですが、もしこの様な感じでもお気に召すようでしたら、またよろしくご贔屓くださいませ。
遠江 拝
------------------------ アリガトウゴザイマシタ ------------------------
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