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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>



   『異』 −追憶のひと−



 しとしとり。

 雨が霧雨へと変えた夕刻前。降り続く雨を少しだけ開けられた窓の外を覗いて、草間武彦は手に収まる煙草の煙を燻らせ顔を顰める。
「腐ったうどん」
「え?」
 ポツリと呟かれた言葉に、それまで掃除に没頭していた妹の零が思わず顔を上げた。振り返った先の兄を不思議そうに見ると、武彦は何でも無いと返される。
――嫌な予感がする。
 何とも言えぬ胸騒ぎを覚えながら煙草をもみ消すと、座っていたソファから急いで立ち上がった。
「俺は出かける」
 何の宣言だか分からぬ言葉を言い捨て、首を傾げる零を無視し雑然と積まれた紙の束を跨いでいく。そしてドアノブに手を掛けようとしたそのときだった。
――ガチャリ
 自動なはずがないアナログな戸が自動で開いたのは。
 思わず顔を引きつらせる奥に、見目の良い少年が一人。
「草間興信所はここでしょうか?」
 そして無情にも、逃げる所長にそう告げたのだった。


 結局、客の存在を零に知られ、逃げるに逃げられなくなった武彦は半ば不貞腐れたようにソファに座り直した。煙草を消したことを後悔する。
 目の前には、中に通された少年が勧められるままに座っている。
 零がそっとお茶を出すと、少年はペコリと頭を下げ武彦を見上げた。
「何のようだ? うちは怪奇の類は禁止だぜ」
 そう言って張り紙を指し示す姿に、少年は少しだけ迷ったような素振りを見せて頷く。その様子に、少しだけ怪訝な顔を向けながら新たな煙草に火を付けた。
「この人を捜して欲しいんです」
 紫煙を横に吐き出す武彦の前へ、少年は鞄から一枚の写真を差し出す。
 無言でそれを受け取ると、色あせたその写真を物珍しそうに眺めた。
 歳は三十前後、黒い髪を結い上げた和装の女性だ。顔は和風美人と言った感じだろうか、色あせた写真からでも伺える。
「この女性を、か?」
 机に置いた写真を武彦がトンっと指で指すと、少年ははっきりと頷いた。
「はい。名前はユキサと言います。降る雪に、糸偏の紗で雪紗」
「名字は?元居た場所は?」
「名字は残念ながら……。元は下町にいたそうです」
「下町っつったって色々あるぜ?」
 重ねた質問はほとんど情報もなく返され、思わず紫煙混じりの溜息を零した。これじゃあいくら難儀すると。
「せめて名字ぐらいはなぁ」
 先に溜まった灰を灰皿に弾き落としぼやく姿に、少年は写真に視線を落とした。
「この街に必ず居ます、それは違いありません。探して貰えませんか?」
 真剣な眼差しに、武彦は目を眇めた。
「訳ありか?」
「まあ、そんなところです」
 曖昧な返事は、つまりそっち系と言うことなのだろう。ここに来る奴にまともな依頼はないに等しい。
「お兄さん……」
 何とかしてあげてと言わんばかりに零に見詰められ、思わず髪を掻きむしった。
「だーっ! 俺はそーいうのやなんだっつーの。おい少年、名前は?」
「は? ああ、高浜です。高浜零」
「うちの優秀なバイトを貸してやる」
「え? じゃあ」
「ああ、その依頼うけてやるよ」
 素早く先ほどの写真をつまみ取ると、電光に透かしてニヤリと言った。

    ***

「武彦さん……。その物言いは、さすがにお客様に対して失礼じゃないかしら?」
 依頼受理を武彦が宣言すると直ぐに、クスクスと苦笑いを零した女性が現れた。グラマラスな容姿に中性的な容貌が印象的な女性は、武彦の横に立つと艶やかな笑みを浮かべて頭を下げる。
「ここの事務をしています、シュライン・エマです」
 耳に心地よいソプラノの声音で言われ、少年は慌てて頭を下げる。
「高浜零です。お世話になります」
 こちらこそとにこやかに返すエマを、横で肩を落として見ていた武彦がぽんっと手を叩いた。
「そうだ、シュライン。お前はうちで唯一の優秀な調査員だな」
「唯一かどうかは知りませんけど」
 何を企んでいるのかと言う顔で見下ろすエマに、武彦は低い声音でフハハと笑い声を漏らし灰を叩き落として少年を見上げた。
 そこには、今までにない笑顔が張り付いている。
「今回の仕事はこのシュラインが調査に行ってくれることになった」
「なっ……武彦さん、また勝手を」
「所長決定だ。文句ねぇだろ、少年」
「俺は別に……」
 煙草を吹かしふんぞり返る武彦に言われ、戸惑いながらも少年は頷いた。それをエマは溜息混じりで見下ろす。
「まったく横暴ね、武彦さん」
 ぼやく声音も諦めが勝っており、それを楽しげな顔が煙草をくわえながら見上げてくる。
「優秀な所員を中で飼っとくほど、俺は馬鹿じゃないだけさ」
 煙草を噛みながら言われた褒め言葉に、エマは思わず肩をすくめて返した。
「あら、お上手だこと。いいわ、そこまで言っていただけるなら、今回は私が行きましょう」
 観念したとばかりに空いたソファに座ると、武彦が満足げな笑みを見せて新しい煙草に火を付ける。少年はその姿に、改めてよろしくと告げ、エマも心得たと頷いた。
 依頼内容の確認をと思い二人を見渡すと、エマは不意に目に付いた写真に手を伸ばす。
「これは?」
「この人物を捜して欲しいんです。名前は、雪紗。姓は不明になります」
「ちなみに、下町出身。その他手がかり希薄っつー難題。一応この街にはいるらしいけどって感じだな?」
「すみません。俺はあんま知らないんで」
 やっかいねぇと溜息混じりで見た写真は、年代を重ねた陰があり、それでも写し出された女性の白い肌と漆黒の髪、華奢な体つきは如実に伺えた。
 儚げな様子が、とても。
「美しい方ですね」
「……っ!?」
 声にならない叫びをあげたエマは、飛び退きそうになりながらも振り返る。そこには、ニコニコと笑みをたたえた大柄な男の姿があった。
「こんにちはー。シオン・レ・ハイでーす」
 少年に向かって陽気に挨拶をする男に、高浜は気の抜けた挨拶を返す。
「シオンくん」
 その前では安堵混じりに名を呼び、横で顔を覗かせる姿にエマが少し非難めいた目を向けていた。
 そして武彦はというと、訝しげな顔をシオンに向け、直ぐさま少し遠くで黙って立っていた零に目を向ける。
「なんで居るんだ?」
 酷い言われようだが、仕方ないだろう。神出鬼没なこの男は、雨降り・暇・腹ぺこの時にふらりとこの興信所に現れるのだから。
 しかし問われた方の零は、悪びれなくニコリ笑っている。
「雨だったので雨宿りに来たそうです」
「と、暇だったので遊びに来ました」
 こちらもまるで悪びれない様子のシオンに、武彦の額にはちょっと深めの皺が刻まれた。
「暇だったら遊びにくるんか、ここはなぁ仕事ば」
 だと怒鳴り散らしかけたところで、武彦の表情がまたもや悪巧みの顔に変わる。
「おい、シオン」
「はい?」
「暇だっつったな?」
「はい」
「お前も調査員決定」
「「え!?」」
 喜びと驚愕の二重奏に異を唱えることを許さず、武彦はピシャリと言葉を遮った。
「俺様決定事項。一人より二人、三人より二人だ」
「お兄さん、でも」
「でももかしこもあるか。いるヤツが悪い」
 なんじゃそらの理論である。
 しかし無理やり押しつけられたはずのシオンは、意外や意外、かなり乗り気で写真を興味深そうに眺めていた。パートナーのエマは少しだけ不安を覚えながら、明後日の方を見てため息を吐く。
 依頼人的には、大丈夫なのだろうかと膨大な不安を残して。

    ***

 翌日、エマとシオンは未だに小雨の残る午前中から、調査のために街に繰り出していた。なんやかんやで二人だけでの調査になった今回の依頼を、預かった写真のコピーを見ながら反芻する。
 依頼人は高浜零、探し人は写真に写る『雪紗』という名の女性。姓は不明。この人を、街はずれの公園にある桜の巨木に連れて行くことが今回の仕事になる。見つかったら連絡が欲しいと、用意周到に携帯電話の番号まで渡された。
 一応ここまでが少年から直ぐに聞けた詳細だったが、もう少し手がかりをと粘った結果、昔は高浜の住む隣街の下町に住んでいたと言う情報も得られた。他にこの街に確実にいるとも言っていたが――
「だったら、霊の類かと思ったんだけど」
 少し違うと言われてしまった。『見えないもの』の類ではあるらしいが、死者ではないと。
「どういうことでしょうね? あ、妖怪も見えないですよ?」
 雨音を響かせる傘の下を楽しげに歩きながら、ひらめいたようにシオンが言うと、横のエマからピシャリと反論が返される。
「見えるのもいるでしょう。それに、この人は妖怪に見えます?」
 たしかに、妖怪には見えそうにない。
 良い意見だと思ったのにと打ち拉がれるシオンに、ふぅっと小さなため息を吐いて再び歩き出した。
「取り敢えず、隣街の前居たという場所に行ってみましょうか。下町なら、そう多くはないでしょうし」
「そうですね。その前に腹ごしらえを……」
 そう呟いた声音に、ニッコリと笑みが返される。
「お昼まではあと三時間もありますね」
「はい」
 迫力ある絶対零度の微笑みに、シオンは泣く泣く頷いたのだった。まだ調査は始まったばかりである。

    ***

 エマの提案で、最初は雪紗の昔住んでいたという下町に足を運んでみることにした。
 隣街にあるとは聞いていたが、どうやら隣街には下町のような古い町並みが二カ所も残っているらしいと、向こうに着いてから二人は知った。ちょうどここからほど近い場所と、少し離れた場所にあるらしい。
 先に足を向けた近い方の下町からは、残念ながら情報は皆無だった。そうと分かれば肩を落とすまもなく、二人は時間を惜しんで直ぐさま片方の下町へと向かった。
 電車で一区程の距離を置き、先ほどよりは少し大きい町並みが姿を現す。木造の家屋が向かい合って軒を連ねる、路地裏の様なところだ。
「ここですか?」
「そのようね」
 タイムスリップしたかのような町並みに全くそぐわない二人は、雨でぬかるむ道を歩きにくそうに歩いていく。どんどんと奥へ歩いていく後ろで、シオンは辺りを物珍しそうに見渡しながら楽しげに歩いていた。
 そして一軒の駄菓子屋を見つけ、取り敢えずとのれんを潜った。
 興信所並みの立て付けの悪い引き戸を開け、傘を閉じると奥に声を掛けてみる。
「ごめんください」
 肩に着く水滴を払っていると、奥から中年の女性が顔を出した。
「はいはい、いらっしゃい」
 ふくよかな体格に穏やかな笑みの女性は、エプロンで手を拭いながら現れ、エマとシオンの姿に少し驚いたような顔をした。
「あらあら、美人さんに美形さんだこと。何かご用かしら?」
「この方を知りませんか?」
 顔を合わせたなりの褒め言葉に、苦笑いで差し出した写真のコピーを受け取り、女性は頬に手を当て首を傾げる。そして少し悩んで、ハッとしたように大きく頷いた。
「ああ、雪紗ちゃんじゃない。確か……菊菜雪紗ちゃん、あのころはそんな名前だったかしら?」
「あのころは、ですか?」
 引っかかりのある言葉尻に、思わずエマが反芻して返す。すると女性は、明るく笑って頷いた。
「そうよ。雪ちゃん、このもうちょっと先の角にあるスナックで働いててね。とても控えめで優しくて、挨拶はちゃんとするしとても良い子でね。この辺でもかなりの人気者だったのよ。七年ぐらい前だったかしら? お客さんに口説かれて、結婚したって聞いてるけど」
「結婚、ですか?」
 とんでもない情報だ。結婚していたとは……。
「ええ。それで、隣街にある旦那さんの家に越したはずよ?」
 旦那持ちと分かり肩を落とすシオンの姿に、エマは「顧客恋愛、御法度」と冷たく言い捨て、最大の手がかりで最大の疑問で手がかりを少しの期待を込めて訊ねてみる。これで名字が分かれば、捜索は格段に進展するかも知れないと。
「結婚後の姓をご存じですか?」
「さぁ、さすがにそこまではねぇ」
 しかし、困ったように微笑み写真を返す女性からは芳しい答えは得られなかった。
 やはりかと思い肩を落としつつ、笑顔で写真を受け取ると、深々と礼を言って店を出た。
 そのあとは教えて貰ったスナックや近所の人にも聞いて歩いた結果、それからも少ないながらも多少の情報を得ることが出来た。
 名字は相変わらず分からないままだが、結婚して歳めの旦那がいること、人柄は穏やかなこと、そしてあの街にいることが確実なことも分かった。
「戻りましょうか?」
「そうですね」
 雨雲を見上げ、ここにいても埒があかないと判断した二人は、再び元の街へと戻っていく。数時間ぶりの街からは雑踏が堰を切ったように押し寄せてきた。
 相変わらず騒がしいと思いながら歩いていると、後ろのいたはずのシオンが沈んだ様子で人が行き交う中足を止める。
「雪紗さんは、幸せでしょうか」
 突拍子もない不可解な台詞に、エマは一瞬驚いた表情を見せたが足を止めて困ったように微笑んだ。
 あの町は、数時間もいなかったのにこの街より随分と温かそうに思えた。シオンじゃなくとも、多少感傷的になってしまうのは仕方ないのかも知れない。
「きっと幸せよ、旦那様と一緒なんですもの」
 ややあって休憩しましょうかと呟いたエマに、シオンは少しだけ覇気のない声で上等文句を返す。
「奢ってください……」
 それにエマは、吹き出すように笑って頷いた。

    ***

 しょぼくれたシオンを慰めるように入ったカフェも、二人は結局手がかりなしで店を出た。
 多くの人に写真を見せて歩くという地道な方法で捜索を続けていた結果、紆余曲折の末に現在の雪紗の居所を突き止めることができた。そかしそれは、旦那の死と雪紗の突然の失踪で、ぷっつりと手がかりを断たれてしまった。
 また一から出直しである。
 思わず溜息しか出てこない状況に肩を落としながら歩いていると、道の向こうからたまたま聞こえた、かしましい声音が嫌に耳に付いた。
 それに「あっ」と思い、呟く。
「――さくら」
「はい?」
 反射的にそれを聞き返された言葉に、そのことで頭がいっぱいのエマは目を丸くしたまま同じように呟き返すので精一杯だった。
――さくら、と。
 何を急にをと首を傾げるシオンを、エマはバッとすごい勢いで見上げる。見上げられた方のシオンは、思わず一瞬怯んでしまったように後退った。
「シオン君、桜よ。桜の花」
 しかしそんな様子も気にならないほど焦ったように告げた言葉に、シオンが相も変わらず言葉の意味を察しきれない様子で返してくる。
「花、ですか?」
 それに真剣な面もちで、深く頷き返す。
「そう。なぜ、零さんはわざわざあの桜の下を選んだのか。うちの事務所でも、その辺のカフェでもいいはずじゃない? あの公園じゃなくとも、桜なんてあるし」
 桜の木ではなくてはいけなかったのか、あの木でなけれはいけなかったのか。そう言わんばかりの言葉に、シオンは見る見るうちに目を見開いていった。
「キィは『桜』ですか?」
「分からないわ。でも、一回行ってみる価値はあると思わない?」
「そうですね」
 頷き合った二人は、高浜に指定されていた街はずれの公園へ足を向けることにする。
 雨は、いつの間にか上がっていた。

    ***

 足早に公園を目指していた二人は、それでも途中途中でなおも聞き込みをしながら歩いていく。あまり役に立たない情報しか得られなかったが、目的がある分気落ちはしなかった。
 あと少しで、件の公園に着く。そう思ったときだった。
「シュラインさぁん!」
 キキッと足を止めたシオン大声で呼び止められる。まさか何か見つけたのかと慌てて踵を返すと、不思議なことに満面の笑み向けられた。
「桜餅です、奢ってください」
 シオンが張り付いていたショーウィンドウには、季節はずれの桜餅と栗きんとんが陳列されている。エマは思わず漫画のようなコケっぷりを披露し、怒気をはらませゆらりと立ち上がる。
「しぃおんくぅん?」
 この殺気にはさすがにシオンも背筋を凍らせ、ガラスに張り付きながら愛想笑いを浮かべて振り向く。
「冗談ですよぉ」
 さぁ気を取り直していきましょう、とわざとらしくも張り切って方向転換をしたシオンが何かを見つけ、急に駆けだした。驚いたエマが、慌てて声を掛けてみる。
「シオン君?!」
「しっ」
 しかし珍しく真剣な様子で黙るように言わてしまった。その様子に訝しく思いながらも、只ならぬ様子が気になりその斜め後ろに着いていくことにする。
 相変わらず早足のシオンはある程度歩みを早め、追いついた女性の肩を叩いた。
 まだ幾分若そうな、和装の女性。
「雪紗さん、じゃないですか?」
 上品な笑みで穏やかにで言った言葉に、振り返った女性は驚き息を詰まらせシオンを怯える目で見上げた。
 そして肩の手を振り払う。
「違いますっ!」
 まるで逃げるように駆けだした女性は、着物姿にもかかわらず信じられない速さで人混みに紛れていった。
「どうしましょう?」
 困ったように振り返ったシオンに、肩をすくめて返す。振り返った姿は、まさに写真そのものだったにも関わらず、違うも何もないだろう。
「追いかけましょう。できるなら、話が聞きたいわ」
「ハイ」
 そう頷いたシオンと共に、雪紗らしき人物を追いかけ二人は街を疾走していく。
 途中、パンプスのお陰で遅れがちになるエマは、憎々しく足下を見やりながらも尚も走る。しかしさらにシオンとの距離を開き始めると、後ろを気にする姿に先に行くよう告げた。
「直ぐ追いつくわ、行って」
 言われ直ぐに距離を離していったシオンの後ろ姿をさすがと感心しながら、エマも引き離され過ぎないように走っていく。なんて速さなんだと内心毒づきながら、路地へ折れた二人を追った。
 二人を追って入った路地の突き当たりからは、紛うことなくシオンの声が聞こえた。追いつけたらしいと、速度をややゆるめて走る。
「零さんから頼まれたのです。雪紗さんを捜して欲しいと」
「零?」
「はい」
 大きく頷いたシオンの後に、まだ息の荒いままで言葉を重ねた。
「高浜零さんですわ」
 そして大きく息を吐いて呼吸を整えると、笑みをたたえて女性へと歩み寄ってゆく。シオンはエマの登場に少し驚いた様子だったたが、それに小さく微笑み横を通り過ぎてゆく。
「高浜などという人は存じ上げませんわ」
 襟元をかき集め不安げに眉を寄せる女性の前に立つと、エマはすぅっと静かに息を吸い、形の良い唇をうっすらと開き言葉を紡ぐ。
「――雪紗を、探して欲しい。彼女に時間がないんだ」
 明らかに彼女のものではない少年の声……、いや高浜とそっくりなその声音に、女性は口を押さえたまま驚愕する。
 目を見開き、か細い声でポツリと言葉を零した。
「……な、れい……さま?」
 それに顔を見合わせた二人は、確信を得たとばかりに微笑む。
「雪紗さんですね」
 もう一度訊ねたシオンの言葉に、雪紗は今度はゆっくりだが静かに頷いた。
「高浜零さんがとても心配してお探しです。一緒に来ていただけないでしょうか?」
 伺うようにして言ったエマの言葉に、雪紗はそれでも戸惑いの色を隠せず二人を信じかねているようだった。
 それにエマは、高浜に借りた写真のコピーを差し出してみせる。
「この方は雪紗さん、ですよね? 零さんは、雪紗さんが時間が無いんだと言っていました、とても急いで欲しいと。零さんのためにも、来てくださいませんか?」
 恐る恐ると受け取った雪紗は差し出されたものに目を見張り、それを掻き抱いて俯いた。
「……承知致しました」
 はらはらと涙をこぼし、頷いたのだった。

    ***

 雪紗を無事に見つけた二人は急いで高浜に連絡を取ると、約束通り街外れの公園へ足を向けた。
 驚くことに、そこにはすでに高浜が学ラン姿で立っており、二人に深々と会釈を寄越した。
「ありがとうございました」
 いえ、と二人はかぶりを振ると、高浜は雪紗に目をやる。
「久しぶり。七年ぶり、か」
「はい。雪乃さまはお元気で?」
「うん、まぁ……。期限が切れるって、とても気にしてた」
「ご迷惑をおかけしました。なんとか夫も看取れましたし、もう心残りはありません」
「そう、ならいいけど」
 言葉少なながらも深刻そうな話を、二人は居心地が悪いように見守っていた。すると高浜が突然、二人を振り返る。
「そうだ、見ていきませんか? 見えざるもの、気になられたでしょう?」
「ええ、まあ」
 二人が戸惑いがちに頷くと、少年は小さく笑って近くにと手招いた。そしてポケットから幾重にも巻かれた透明な糸を取り出し、「いきますよ」と告げると糸を鞭のように鳴らす。
 驚くほどに響いたその音に何事かと見上げると、少年は笑った。
「ようこそ、合間の世界へ」
 響いた音が潮が引くように消えると、驚くことに音は一切無く、人の気配さえ伺えなくった。時が止まっているような、そんな錯覚さえ覚える。
「おおっ雪紗さん、お美しい!!」
 叫ぶシオンの声で我に返り、エマは思わず振り返る。その先には、確かに雪紗がいたが。
「?」
 困ったように微笑む姿は相変わらず和装の美しいままなのだが……、髪が薄紅に染まり肩へとしなだれた髪の先からはハラハラと桜の花びらが舞っていた。
「これが私の本来の姿なのです」
 少し寂しげな言葉に、エマは溜息を漏らすばかりだった。確かに、霊はないが。
「物の怪でもなさそうですわね……言うなれば、精霊かしら」
 そう呟く声に、高浜は同意の声を漏らす。
「でも、俺たちは異形と呼んでいます。この世界のものとは異なるもの」
「随分な差別言葉ね」
「そうですね。でも、彼らにとっても俺らは異形だからおあいこでしょ」
 同意しながらも悪びれなく言われた言葉に、エマはただ肩をすくめただけだった。
 それに少年はふっと笑みを零し、シオンと話をしている様子の雪紗へと視線を向ける。
「雪紗、帰るよ」
 呼ばれた雪紗は、深く頷いて高浜に歩み寄ってきた。高浜はエマとシオンに離れるように言い、持っていた糸をひと一人通れるほどの輪にして宙に垂らす。
「お世話様でした」
 それぞれに深く頭を下げた女性は、糸の輪に手を掛け隙間に身体をねじ込み、えっ?と思う暇もなく糸の輪に消えてしまった。呆気ない別れに、二人は戸惑いを隠せない。
「手品ですか?」
 目をパチクリさせるシオンに高浜は笑い声を上げて頷と、明らかに怪訝そうな顔をエマに向けられ思わず肩をすくめて溜息を零した。
「向こうと入り口を開いただけです。戻ります、こっちへ」
 手招きされ近寄ると、最初と同様に糸が鳴り、今度は押し寄せるようにして音が戻くる。
 それにシオンは直ぐに慣れたようだったが、エマは耳に流れ込んできた大量の音に慣れることが出来ず、思わず顔をしかめてしまう。
「大丈夫ですか?」
 耳を押さえていると、シオンが心配そうに覗き込んできた。それにエマは大丈夫だと小さく笑って返した。
「この度は本当にありがとうございました。異形にもこの世界と相性の善し悪しがあって、あの子はギリギリ形を保っていられる状態だったんです。お陰で、消えることなく元の場所へ戻せました」
 改まったように少年が深々と頭を下げて礼を言うと、ようやく音に慣れてきたエマが向き直って問いかける。
「その『異形』のことなんですけど、いったい」
 何なのだ、と。
 副業とは言えゴーストライターをしている身としては、その未知の物体を知っておきたいと思う言葉の真意を知ってか、高浜は少し黙って髪をさらう風に煽られるように桜を仰いだ。
「その話は、後日機会があったらにしましょう。謝礼金は、改めてお支払いに伺いますと、草間さんにお伝えください」
 そう言って、二人に微笑み返す。
 今日は詮索しないでくれと言われているようで、それ以上追求できずに大人しく頷いた。
 こうして、依頼は少しの疑問を残し終了した。



 後日談になるが、約束通り数日後に高浜は結構な金額を謝礼金として興信所に残していった。お陰で羽振りの良くなった所長が、ボーナスだと二人に少し多めの分け前を手渡したらしい。
 エマは、だったら残して月末に給料にしたらどうかという言葉を飲み込み、謹んで受け取ったそうだ。
 そして暫くしてまた、高浜が厄介事を興信所に持ち込むが、それはまた別の話となる。


   終。


-------------------------------- キリトリ --------------------------------

〓登場人物〓
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
‖3356‖シオン・レ・ハイ‖男性‖42歳‖びんぼーにん(食住)+α     ‖
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
‖0086‖シュライン・エマ‖女性‖26歳‖翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員‖
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※PNC=高浜零・男性・16歳・学生



〓ライター通信〓

≪シュライン・エマ様≫
初めてお目に掛かります、遠江悠(とおとうみ・はるか)と申します。
この度は新人の危なげなシナリオに発注いただき、本当にありがとうございました。

理想のプレイングッ!……とはいかないまでも、楽しんでいただけたでしょうか……? ああああああっ、すみませんっ。
ヴォイスコントロールという魅惑の武器に、思わずそれらしきものを取り込んでみましたがいかがだったでしょう?(<いかがも何も)
美人、グラマー、格好良く、知的を目指してみました。 それが少しでもにじみ出ていれば幸いです。
ツッコミが甘くて申し訳ない限りで、シリアスの中に多少のギャグを織り交ぜたつもりぃ……です。
性格が違う、話が違うなどのご叱咤や、あるようでしたら激励など、頂ければとても喜びます。

また、エピソードで多少割愛したところがありますが、シオン様のところで書かせていただきました所もありますので、お暇なときや気になられたら読んでいただければと思います。


 この度は長々とお付き合いありがとうございました。
 正直、書き手としてとても楽しく書かせていただき申し訳ない限りですが、もしこの様な感じでもお気に召すようでしたら、よろしくご贔屓くださいませ。


 遠江 拝


------------------------ アリガトウゴザイマシタ ------------------------