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三丁目のペット達
「零さん? どうしたんです?」
事務所の玄関で佇んだまま困った顔をしっぱなしの零に、シオン・レ・ハイは首を傾げながら声を掛けた。流石に寒くなってきた昨今では野宿していると不審者扱いが激しいので、本日は草間興信所に来ている。暇潰しに見ていた教育番組のエンディングが妙に場にそぐわない。
零の寄せられた眉根に、シオンは彼女の手に握られたメモ用紙へ視線をずらした。可愛らしいハムスターのイラストが描かれたそれには、クレヨンでこれまた可愛らしい依頼が書かれている。
「女の子がこれ、置いていったんです。犬を探して欲しい、って……近所でもたくさん犬がいなくなっているから、って。どうしましょう、シオンさん」
「えいん、と言うのがその犬の名前……なんでしょうね? 黒くて大きい犬、ですか――ああ、見覚えがありますね。近所の公園で女の子と散歩しているのを何度か見掛けたことがあります」
「あら、それなら丁度良いわね」
デスクで新聞紙を顔に被せて眠っている草間に毛布を掛けながら、シュライン・エマが言う。シオンが言葉の意味を計りかねて軽く首を傾げると、彼女はクス、と笑って見せた。
「武彦さんはやる気が無いみたいだから、私達でその子の依頼を受けてあげましょう? それほど複雑でもなさそうだしね。近所の事なら尚更よ」
「私は構いませんけれど、シュラインさんのお仕事は良いんですか? 事務もあるのでしょう?」
「今は幸い暇だからね。でなかったら受けてあげられないわよ、こういう依頼……それでも受けないのがこの人なのだけれど、まあ疲れていると言う事にしておいてあげましょうか」
優しい微笑を草間に向け、シュラインは零とシオンの立つ玄関に脚を進める。シオンは可愛らしい依頼書を眺め、苦笑した。小さな子供にとっての動物は、その心の成長を担う大切な家族でもある。自分だって兎が居なくなったら食うもの食わずに探すだろう――少女の気持ちも、少し分かる。ここは、協力しよう。
「ですがシュラインさん、依頼料はどうするつもりです? まさか小さな子供から――」
「取らないわよ、いくらなんでも。まあ、それは笑顔一つってところにしておくわ」
「それは良いですね、それでは行って来ます、零さん」
「行って来るわ。そこの狸寝入りさんも暇なら手伝ってね?」
二人が出て行く、と同時に、草間は溜息を吐いた。
「ばれていたか……」
■□■□■
興信所近く、シオンがいつも子供を眺めている公園のある地域で、ペットの蒸発は集中しているようだった。近くの交番にも十数件報告され、困っているらしい――交番でリストを読みながら、シュラインは時系列を整理していた。
最初の報告が一週間前。二日後に二件目と三件目。更に翌日、五件が一気に寄せられる。そして現在に至るまで、行方知れずになっているのは犬ばかりが十二件――動物が統一されてはいるが、犬種やサイズはまちまちである。大型犬もいれば小型犬も多い。何よりも、屋内飼いの犬まで消えているというのは奇妙な点だった。
「進入の気配はなし、か……その点はもう警察が調べてくれているのね。ん?」
呟いて彼女は地図を引き寄せる。何色かのペンで、犬が居なくなった家に印を付けた。彼女はその様子が自分の予想通りだったことに一瞬満足するが、瞬時に眉を寄せる。その意味が、次は判らないのだ。
犬が消える地域が、同心円状にどんどん拡大している。現在は三丁目に留まっているが、このまま時間が経てばさらに拡大する可能性がある。中心にあるのは、一番最初に犬の消えた家だった。
思ったよりも簡単ではないかもしれない。笑顔一つどころか、三つは貰っておきたい所かな――そんな事を考えながら、彼女は警察の資料室を後にした。
廊下の公衆電話に硬貨を入れ、自分の携帯電話の番号を押す。コール音の後、出たのは――
■□■□■
近所で捜索をしていたシオンは、ふと通り掛ったいつもの公園に視線を向けた。
色々な場所を探したが犬達の気配はまるで無い。一箇所に集められているのならば鳴き声で近所にも判りそうなものだが、そう言った噂はまったくなかった。また、野宿先を探すことで地形に詳しくなってしまっていることを利用し、普通はあまり人が見付けないような所まで足を伸ばしても見たが――結果は出ていない。強いて言えば、野良犬一匹にも遭遇しなかったこと程度だ。犯人がいるのならよほどの蒐集家である。
次はどこを探してみようかと思ったところで、公園を通り掛ったのは偶然だった。いつものベンチに腰掛け、彼は遊んでいる子供達に視線を巡らす。いつもならばただ眺めて、その微笑ましさを堪能するばかりだが――今日は、違った。明確な目的を持って、彼は子供達を観察している。
「――いない?」
黒い犬を連れた少女。子供達とは遊ばず、いつもその犬とじゃれていた。年の頃は小学校に上がっているかいないか、少し俯き加減で、だけど犬はよく懐いていたし――彼女も、犬と遊んでいる時はひどく無邪気な表情を見せていた。
思えば、このところあの少女を見ていないような気がする。犬を連れていなくても、あの俯き加減な様子を見れば判るはずだ。少なくとも依頼を聞いた時に連想できる程度に、その少女の事を――彼は記憶していたのだから。
と、彼の懐に振動が走った。連絡手段としてシュラインから預かっていた、彼女の携帯電話である。通話ボタンを押し、もしもし、と声を掛ける。
『電話に出た方がもしもし、って言うのはちょっとおかしいわよ、シオンさん』
「ああ、そうなんですか?」
『文法的にはね。今、どこかしら』
「公園にいます――と、サボッているわけではないですよ、全然」
『疑ってないわよ、そんなこと。うん、なら丁度いいわ。私も今からそこに向うから、一緒に、最初に犬がいなくなったお家に聞き込みに行きましょう? ちょっと気になることがあってね』
「ええ、ではお待ちしています」
『子供の観察も程ほどにしないと不審者扱いされるから、気をつけてね』
「……肝に銘じておきます、どうせオジサンですからね」
『ふふっ冗談よ、それじゃ』
■□■□■
夜の公園に、犬達は集まっていた。
一匹の黒い犬が、その中央にいる。
他の犬達は、細い声で鳴いていた。それは少し寂しげで、悲しんでいるようでもあった。黒い犬はその声にふるふると首を振り、一同を見渡す。どの犬も、少し哀れむような目で彼を見ていた。その視線が堪らないのか、黒い犬はぶるぶると強く頭を振る。
「エイン、あのね」
少女の声が、不意に公園に響いた。
犬達は一斉に辺りを見回すが、姿は無い。どこから聞こえるのかと耳をそばだてても、何故か音の発生源は掴めなかった。妙に響く、開けた空間だというのに――その違和感に数匹は怯えた声を発した。
声は続く。
「わたし、もういないんだよ。死んじゃったんだよ。ごめんね、エイン寂しいのにね。でも、わたし――もう居ないんだよ。探しても、いないんだよ」
黒い犬は頭を振る、しかし、集まっていた犬達は――黙って、少女の声に聞き入っていた。
「ごめんね。でも、どこにもいないの。もうこの町にはいないから――皆に探してもらっても、見付けて、もらえないの」
くぅん、と、一匹の犬が悲しそうに鳴いた。
つられるように他の犬も鳴き出す。それは、中央にいる黒い犬に向けられていた。
――――判っていたんだろう
――――あの子はいないんだ
――――どこを探しても
――――どんなに探しても
――――いるとしたら、家だ
――――だから
――――帰ってあげよう
犬達は散会する。一匹残された黒い犬は、大きく吼えた。
夜の静寂にその声は強く、長く響く。
余韻の全てが消えて、黒い犬――エインは、とぼとぼと公園を後にした。
…………ベンチの影では、シオンがぐずぐずと泣いていた。それを見ながらシュラインは小さく溜息を吐き、その背中をぽんぽんと撫でる。さっきからまったく泣き止む気配が無い。優しいのは良い事だが、いい大人がここまで泣くことはないだろう、人前で。かく言う彼女も、人前だからこそ、少し我慢を効かせている状態だった。
泣き顔を晒す人は、一応決めているつもりだ。これから興信所に戻ったら、少しその顔を見せるかもしれない。その時は、少しぐらい労わってもらおう。コーヒーぐらい入れてくれれば良いのだけれど、と、彼女は思う。
「シオンさん、いい加減に泣き止んでよ。居場所がばれないか冷や冷やしちやったじゃない。せっかく声の発生源誤魔化していたの、台無しにされるところだったわよ?」
「だ……だって、悲しいじゃありませんか……可哀想じゃありませんかッ」
「昼間の段階でわかっていたことでしょう? 彼女、一週間前に小学校で亡くなってたの。それをちゃんと判らせてあげないと、あの犬はずっと彼女を探し続けていたわ。周りの犬みんなを巻き込んで、ね」
最初に犬が居なくなった家、それこそが依頼人の少女の家だった。彼女は一週間前、小学校のジャングルジムから転落し――打ち所が悪く、亡くなっていた。その日からエインはずっと、少女を探し続けていたのだ。何処までも足を伸ばしながら、沢山の仲間に協力を請いながら、もうどこにも居ない彼女を捜し求めて。
死人の魂は四十九日が過ぎるまで、現世に留まっている。自分の家を見守っていた少女は、犬が何処へ行ってしまったのか本当に分からなかったのだろう。自分を探していることなど判らなかったのだろう――どうしたらいいのか考えているうちに、犬達の蒸発は広がった。だから彼女は、誰かが連れて行ってしまっているのだと考えたのかもしれない。そして、興信所に、やってきた。
動物とは元々人間よりも霊感が強い。悲しみに取り乱していなければ、帰り着いたエインはきっと彼女を見付けられるだろう。二人は、心からそれを願っていた。
「でも凄いですね、シュラインさんの声帯模写……まるっきりあの女の子でした」
「お家で見せて頂いたビデオのお陰でね。さて、それじゃあ帰りましょうか――依頼は、これで解決したようなものですからね」
「他の犬たちも、家に帰っているでしょうしね」
「そーゆーこと」
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シオンはぼんやりと、いつものように公園で子供達の様子を眺めていた。楽しそうな声が響くのは心地よい、無邪気で元気に――彼らは生きている。生き生きと、生きている。それはとても素晴らしくて、遊んでいるのはその生命の発散のようだった。命の輝きのようなものなのだろう。
それを見詰めているのは、とても楽しい。とても優しい。心に、暖かい。
「わんっ」
ベンチの前に、一匹の黒い犬が佇む。見覚えのある犬だ。行儀良く足を揃え、お座りの状態で、彼はシオンの前にいる。シオンは微笑し、彼の頭を撫でた。そして――彼の後ろにある空間に、微笑みかけた。
そこには少女が浮かんでいる。少し俯き加減ではあったが、何か言い出そうと必死になっている。もじもじとするその様子を黙って眺めながら、シオンは、ただ微笑していた。
『あ……あのね』
「はい?」
『あの……』
少女は顔を上げる。
めいっぱいの笑顔を浮かべて。
『ありがとうございました、ですっ!』
依頼料の回収。
シオンは僅かに浮かんだ涙を指先で拭った。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 二十六歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3356 / シオン・レ・ハイ / 男声 / 四十二歳 / びんぼーにん(食住)+α】
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■ ライター通信 ■
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【シュラインさま】
参加頂き有難うございました、哉色ですっ。今回は頭脳労働と解決用細工担当(笑)で行って頂きました。声帯模写能力はとても使い勝手が良いので乱用中です……す、素敵だ。興信所に戻った後は、きっと草間さんが出迎えてくれていると思いますっ。狸寝入りでサボッていたことを責めるのも一興かもしれません……?
【シオンさま】
参加頂き有難うございました、初めまして哉色と申します。一瞬幼女好きかと誤解しそうになったことを白状します、スミマセッ……。今回は優しさとエピローグ担当をして頂きました。子犬ではありませんが、わんこ撫で撫でを入れて(笑) あまり設定を組み込めなかったのが心残りですが、また参加頂ければ幸いです。
それでは、少しでも楽しんで頂けている事を祈りつつ、失礼致しますっ。
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