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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


それは夢を食べる小さなもの

 いつの頃からかは全然覚えていません。もしかすると、私が産まれる前からそこにあったのかもしれません。とにかく、私の部屋の本棚には小さい頃から外国語の絵本があったのです。さし絵がとても印象的で、だけどなにが書いてあるかは全然わかりませんでした。
 中学生になったくらいにようやくその文字がドイツ語だということはわかったのですけど、それでも内容がわからないことには変わりありませんでした。家族の誰に聞いてもどうしてこの絵本が私の部屋にあるか、なにが書いてあるか、まるでわからないのです。
 高校生になっても、不思議は不思議のままでした。多分このまま、一生わからないままなんだろうなって気がしていて、絵本の存在自体半分忘れかけていました。今日もいつも通り朝起きてごはんを食べて、さあ学校へ行こうと部屋を出て行きかけたんです。
「あれ」
どうして今日、突然絵本のことなんて思い出したのでしょう。今日なら絵本の中身がわかる気がする、って感じたんでしょう。
 学校からの帰り道、私は絵本の入った鞄を下げて気の向くままに歩きました。そうしたら、私の通う高校の近所にある大学の正門前に出たんです。そうだ、大学の先生に聞けばいいんだって私、思いつきました。
 ドイツ語のできる先生はどこにいるんだろうって探して歩いていたら、ドイツ語らしい本を持った人が私の目の前を歩いていきました。髪の毛を銀色に染めた、背の高い男の人です。あ、あの人に聞こうって後を追いかけたんですけど、その人は歩くのがとても早くて、なかなか追いつけなくて、ようやく声をかけられたのは小さな建物に入った後でした。
「あの」

 教授から返却を頼まれた辞書が重かった。整理まで言いつけられたのは全く不運だ。早く用事を済ませて家に帰ろう。そんなことを考えながら図書室の鍵を開けた。そして中へ入ろうとしたら、背中から声をかけられた。
 振り向くと小さな女の子がいた。うちの学生じゃない、絶対。どうしてかって、その子はセーラー服を着ていたからだ。確か、近所の高校の制服だ。髪の毛が長くて、わりと可愛い。にこにこして、俺が喋るのを待っている。
 その子の肩のあたりでなにか、小さなものが動いた気がした。俺は片方の目をきゅっと細める。見えにくいものを見るときの癖だった。こうすると、ものの輪郭がはっきりしてくる。セーラー服の肩にいたのは子供が描いたらくがきのような小人だった。全身、青い色をしている。口をぱくぱく動かして、なにか訴えていた。
「なに?」
小人が気になったので、俺は関わることにした。
「すいません、あの、お兄さんってドイツ語わかりますか?」
俺が頷くと、その子は鞄から一冊の絵本を取り出した。その前に間違えて数学の教科書を取り出して、慌てて片付ける。教科書に書かれた名前がちらりと読めた、志神みかね。
「この本になにが書いてあるか、知りたいんです」
「・・・・・・Das Traumfresserchen・・・・・・?」
薄っぺらい絵本だ。タイトルをそのまま訳せば「それは夢を食べる小さなもの」。なんとなく、読んだ記憶はあるが思い出せない。表紙の下に書かれている作者の名前はMichael Ende。
「ああ、ミヒャエル・エンデか」
彼の本なら図書館の中に揃っていたはずだから、日本語版が見つかるかもしれない。探そうかと言ったらその子、志神みかねは体いっぱいで頷いてみせた。
「ありがとうございます」
まだ見つかってもいないのに、嬉しそうだった。

 お兄さんの名前は鏡野貴哉さんといいました。私も名前を言おうとしたら
「志神みかね」
名字も名前も当てられて、どうしてわかったんだろうと驚いていたら数学の教科書に書いてあったと種明かしされました。さっき、絵本と教科書を間違えたときに見えたのだそうです。なあんだと思うのが半分、恥ずかしいって感じたのが半分。そのうち恥ずかしいのが顔に出てしまったみたいで、貴哉さんは私の顔を見てふっと小さく笑いました。その顔がなんだか、あの人に似ている気がしました。
 どうしてでしょう。顔は全然似てないのに、髪の毛の色も全然違うのに、なぜか私の大切な人に、貴哉さんが重なるのです。私はそのとき、いつもはあんまり考えないようにしていることを少し考えてしまいました。
 世界には目で見えるものと目に見えないものがあって、目に見えないものは恐いものが多くて、だから私は苦手なんですけど、でも、時々目に見えないものにはすてきなものもあるんです。その、目に見えないすてきなところがひょっとすると、貴哉さんとあの人と似ているのかもしれません。
 夕方の柔らかな太陽が注いでくる図書館の中で、貴哉さんは私のために本を探してくれました。きっと、貴哉さんもあの人と同じように優しさを口に出すのが苦手なんだと思います。だから本当に、とても優しい人なんだと思います。
「あった」
大きくて立派な本棚の下のほうから、貴哉さんは私のと同じ絵本を取り出しました。でもそれは、題名が日本語で書かれていました。
「ゆめくい小人」
「持って帰ってもいいし、ここで読んでもいい。俺は図書館の整理を頼まれているから、あと一時間はここにいる」
一時間なんて、嘘です。図書館の整理なんて、三十分もあれば終わるはずでした。私のことを思って一時間と言ってくれたに違いないのですが、いくら私でも絵本を読むのに一時間はかかりません。でも、その気持ちに甘えて私は図書館で読んでいくことにしました。

 図書館の中は埃臭い。臭いを嗅いだ拍子にくしゃみが出そうになった。本の整理より、掃除をしたほうがいいのではないか。本棚に飾られているランプの傘をこすってみると、指が白く汚れた。想像以上に汚い。やっぱり机の上に積み上げられた本を片付けることにした。
 しばらく黙々と働けば、あらかた整理も終わる。机に残ったのは志神みかねの絵本だけ。「ゆめくい小人」、変なタイトルだ。暇つぶしに読んでみることにした。志神みかね本人は教授がドイツ出張のとき現地から買ってきた揺り椅子に座って、ゆっくり読み進めていた。文章より、絵に二倍の時間をかけている。
 絵本は簡単な話だった。昔あるところのお姫さまが恐い夢を見るので眠れなくなった。恐い夢をなんとかするために王が旅に出る、とかそういう内容だ。そしてその「なんとかする」奴がタイトルの「ゆめくい小人」だった。
 挿絵を見て、俺はおやと思った。そして志神みかねの肩に向かって目を細める。間違いない。彼女の肩にいるのは絵本の中に登場する「ゆめくい小人」だ。どうやら彼女が望んでここへ来たというより、あいつが連れてきたらしい。志神みかね自身は全く気づいていないらしいが。
 俺は考えた。なぜ「ゆめくい小人」はここへ来たのだろう。志神みかねがここへ来てわかることといえば。
「聞きたいことがある」
投げつけるように訊ねると、志神みかねは顔を上げた。射しこんでくる夕陽のせいで、髪の毛が明るい茶色に浮かび上がっている。図書室の前で顔を合わせたときは生粋の日本人に見えた。でも、こうして見ると外国の少女みたいだ。
「最近、夜は眠れるか?」
そう。ものを考えるときに少し上を向くところ。特に外国人めいて見える表情だ。
「そう・・・・・・ですね。ときどき、恐い夢を見ます」
目に見えない不思議なもの、に会うとそういう夢を見るのだそうだ。抽象的なたとえだが、要するに超常現象というやつだ。彼女の写真は撮れないな、と心の中で呟く。多分、今彼女の写真を撮ると「ゆめくい小人」も写るだろう。
「ゆめくい小人が、キミを助けてくれる」
この一言を誰かに伝えてもらいたかったらしい。志神みかねの肩にいる「ゆめくい小人」は小躍りして喜んでいた。両手にはナイフとフォークが握られている。

 ゆめくい小人とは、恐い夢だけを食べてくれる不思議な小人なのだそうです。絵本にも書いてありましたし、貴哉さんもそう言いました。ただ困るのは、恐い夢を見ている人みんなの夢を食べられるわけではないことです。ゆめくい小人を呼び出すには呪文が必要で、それを唱えなければ恐い夢をずっと続くし、ゆめくい小人は恐い夢を食べられずにずっとお腹を減らしているのだそうです。
「それに呪文を唱えれば」
と、貴哉さんはつけ加えました。
「キミもゆめくい小人を助けてやれる」
私は絵本の中の、呪文に目を落としました。開けゴマより、もうちょっと長い呪文です。この呪文を唱えることで、本当に恐い夢を見なくなるならいいのだけど。そして私が唱えることで、ゆめくい小人がお腹いっぱいになれればいいのだけれど。
 ゆっくり、間違えないよう、私は呪文を唱えました。一度ではゆめくい小人まで届かないかもしれないので、三回繰り返しました。すると私の声に重なるようにして貴哉さんも、ドイツ語で呪文を口ずさみはじめました。ドイツ語はこんな響きなんだなって思いながら、私は貴哉さんの呪文を聞いていました。貴哉さんも恐い夢、見るのでしょうか。
「ゆめくい小人、来てくれるでしょうか」
「来るよ」
呪文を唱え終わった貴哉さんは、なぜか私の肩のあたりに目を注ぎながら答えました。
 今夜、ゆめくい小人は私と貴哉さん、どちらの恐い夢を食べにやってきてくれるのでしょう。