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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


   ◆◇ 水晶人魚 ◇◆


 『それ』は手のなかでほんのり、甘いひかりを放つようだった。
 手のひらにすっぽりと収まるサイズの、水晶で出来た人魚。くるりと、背中を丸め眸を閉じて、まどろむ姿が彫り込まれている。尾びれは濃紺、長い髪は青紫。曖昧に溶け合い滲む二つの色。薄い尾びれと緩やかに波打つ髪が絡み合って、描き出すのはいびつな円。
『悪い魔女に騙されて、石にされてしまった人魚姫です』
 その水晶を手に、灰色の眼をした少女はお伽噺を語ってみせた。


「この子を、助けて欲しいんです」
 制服姿の少女が、無造作に青い塊を突き出したのが、始まり。不覚にも、彼女がいつ店に来たものか、蓮は全く気が付かなかった。眸の淡さと同じく、気配の薄い娘だった。
「綺麗なもんだね」
 受け取って、店の薄闇に近い黄ばんだ灯りに透かす。水晶の青に、指が染まった。
「人魚です」
「人魚のかたちの玩具の間違いだろ? 玩具じゃなかったら、文鎮かい?」
 この品物が『不思議』に纏わるものと知りながら、蓮は皮肉げに唇の端を吊り上げる。
「本物の、人魚です。動けないけど、生きている。わかりませんか?」
 不機嫌に促され、ぎゅっと握り込むと成程、冷たい感触のなかにもかそけく指先に響くものがある。とくんとくん、と、石の冷ややかさと相容れない鼓動。確かに、どう云う仕掛けだかこの石は生きているらしい。
「元に戻してあげたいんです。彼女を助けてくれるひとを探して下さい」
 一気に云い切って、少女は念を押すように蓮の眸を覗き込む。
 そんなひたむきさが、蓮は嫌いではなかった。石にされてしまった哀れな人魚を助けるというナイト的な役回りも、無心に頼られることも決して嫌いではない。損な性分だ。
「引き受けた」
 蓮の囁きにやっと、少女は強張った頬を緩めた。
 不器用に頭を下げ、少女は退場。蓮の右手には、人魚の水晶が残される。
「魔法の匂いがするね」
 彼女を石にした悪意と、もうひとつ。絡み合うように、人魚を守る魔法を感じる。先刻の少女がまじなったものか。耳鳴りにも似た、『音』が聴こえた。
「さて、どんな王子様が現れることやら……」

     ◆◇ ◆◇◆ ◇◆

「それであたしは、あんたが王子様役に適任だと思ったんだよ」
 にやりと、意地悪く蓮が笑う。最近の蓮の趣味はどうやら、小ネタを見付けては新米の妻帯者を揶揄うことらしい。
「生憎ですが」
 まだ馴染み切れてはいない左手の指輪を撫で、向坂愁は苦笑する。
「僕にはもう、「妻」と云う姫がいるから、人魚さんの王子にはなれませんよ。勿論、彼女を助けることは、やぶさかではありませんが」
「新婚ほやほや、今が一番愉しい時期って訳かい?」
 自分で振っておきながら、蓮はひどく不愉快そうに顔を顰める。
「それとも、半年も経ったら新婚気分も下火か。あんまり景気の好い顔じゃあないね」
 一瞬、愁の綺麗に作られた笑顔が強張る。それでも、身じろぎひとつで繕われる表情。慣れっこの擬態。
 偽りがもうひとつの皮膚だったときは、それほど遠くはない。
「そんなことはないですよ。とても、幸せですから」
 ――そう、今は。
 小さく、聴こえないように、付け加える。
「ふん、ご馳走様」
 苛立たしげに、蓮が水晶を放り投げる。
 薄暗い空気を横切って、深い青が柔らかな放射線を描いた。
「危ないじゃないですか」
 慌てて、愁がキャッチする。
 触れた瞬間に感じたのは、波動。魔法の匂い。そして――。
「どうしたんだい?」
 思わず笑みを浮かべた愁に、蓮が不審そうに訊ねる。
「いいえ、なんでも」
 慌てて、首を振った。
 気を取り直して、眸を閉じる。水晶に絡み付く悪意を、縺れた糸を解すように浄化していく。愁には難しくない、作業。
 ふわりと、淡いひかりが水晶を包んで――すぐに、消えた。
 蓮の同じ問いに、今度は愁はなにも返せなかった。
「おかしいな……」
 てのひらには、先ほどと同じ、水晶に変えられてしまった憐れな人魚の姿。
 冷たい感触が、肌に突き刺さる。
「確かに、おかしいね」
 覗き込んだ蓮もまた、異変に気付いたらしい。
「人魚は、魔女の魔法で石になっているんだったね? でも、魔法は浄化した」
「そうですね」
「じゃあ何故、こいつは元に戻らないんだい?」
「……わかりませんよ、僕にも」
 自分の能力には、ある程度自信がある。だから、断言できる。この状態で、人魚が石となっている理由などひとつもない。魔法は解けているのだから。
 とん、と指先で突付いてみる。瞼を閉じたままの、つれない人魚姫。
「他の理由が、あるのかも知れませんね……」
 そうは思っても、判断するには情報が足りない。
 人魚の水晶をポケットに滑り込ませて、愁は立ち上がった。
「これを持って来たひとに、逢いたいのですが」
「そう云うと思って、用意しておいたよ」
 愁の言葉に、蓮は書類の束を押し付ける。
 一番上には、一目で隠し撮りとわかる、神聖都学園の制服を着た少女の写真。
「どうしたんですか? これ……」
「蛇の道は、蛇ってね」
 半眼で訊ねる愁に、涼しい顔で蓮は嘯いてみせた。


 神聖都学園の図書館の前で、意外と簡単に彼女は捕捉出来た。
「新見、透己さんですね?」
 愁の声に、黒い制服姿の少女が振り返る。
 特別綺麗でも、目立つ訳でもない少女。だが、艶のない真っ黒な髪と、ぎょっとするほど薄い灰色の眸のコントラストに違和感があった。
 ――まあ、僕もひとのことは云えないかな。
「あなた、誰?」
 無彩色の双眸に相応しい、無愛想な声。無遠慮に、物珍しそうに愁の真っ青な目を見返している。
「僕は、碧摩さんの店の者です。あの水晶について、少し話を聞かせて貰えませんか?」


 神聖都学園から、十五分ほど、歩いただろうか。
 人気のない、コンクリートに囲まれた海に出たところで、透己は足を止めた。
「ここで、あの人魚を拾ったの」
 テトラポットの狭間。無造作に空き缶が割れた空き瓶、スナック菓子の袋が投げ捨てられた申し訳ばかりの砂浜を、透己は指差す。
「海に帰りたかったのかも知れない。だけど、そんな重い身体じゃあ、海に入っても沈むばかりだわ。第一からして、ここの海は汚すぎる。だから、助けてあげたかったの」
 ばさばさと、潮風が愁の髪を弄る。透明な海を前にしたならば心地好いはずの風も、汚れた海岸を目にしていると、無闇にべたつく不快感しか感じられない。
「この水晶を守っている、魔法」
「魔法?」
 訝しげに、透己が眉を顰める。
「耳を澄ませてみると、聴こえる。この……唄」
 鮮やかに、透己の顔色が変わった。
「あなた、聴こえるの!?」
 みるみる、真っ赤に。
「耳だけは、好いんですよ」
「……へたくそって、思ったんでしょう。どうせ、あたしは音痴よ」
「いいえ。……聴いていると、温かな気持ちになりました」
 それは、本当のことだ。
 初めにその音を拾い上げたとき、自然と、笑みが漏れた。優しい気持ちになった。
 透己が戯れに囀ったのであろう、拙いハミング。
 それが、ふんわりと人魚の水晶を包み込んでいる。
「魔法のつもりで、やったんじゃないわ。ただ、唄っただけよ。人魚のために。そういうものが、人魚には必要だと思ったのよ」
 ぽろぽろと呟くうち、透己の声から感情が削ぎ落とされていく。もともと、激することに慣れない少女らしい。硬質の口調が、自然に感じた。
「大好きなひとに聴かせるつもりで、唄ったの。……今は、逢えないひとのために」
 ぽつん、と透己が付け加える。切なげに。
「人魚を助けて。幸せにしてあげて。こんな、幻妖の生き物まで不幸になるなんて、赦せない。それなら、他の、もっと生身の血肉を持つ生き物は、どう足掻いたって幸せになれないみたいじゃない」
 激しい言葉を、冷たく沈んだ声で透己は呟く。
 幸せになりたい。
 ――愛されたい。
 人魚の願いと重なる祈りを、彼女は囁く。
 じんわりと、胸に沈む。
「……なんとなく、わかってきました」


 アンティークショップ・レンの戻った愁が用意したのは、グラスに一杯の水。そして、愛用のヴァイオリンだった。
 蓮が提供したクリスタルグラスの傍らに、そっと、人魚の水晶を置く。
「一体、なにを始めるつもりだい?」
 弦を調律する愁を、蓮は面白そうに眺めている。
「碧摩さんは、何故、可哀想な人魚姫は、魔法から解き放たれても石のままでいるんだと思いますか?」
「知らないよ。あんたは、どう思うんだい?」
 ぽい、と問いを放り投げる。蓮らしい、無造作で投げやりで、ひとを試す台詞。
「僕は……怖いからだと、思います」
 魔女に騙された人魚が、胸に抱え込んでしまった負の感情。
 これ以上騙されるのは――なにかを、失うのは怖い。
 だから、石のままでいる。これ以上、なにも感じないように。
「弱虫だね」
 蓮が断じる。愁はなにも云わずにただ、薬指に嵌る指輪の存在を確かめる。
「喪失は、自明の真理さ。失わずに流れるものなど、なにもない」
 こういうとき、蓮は女神のように美しい。強くて、鋭い。だから平然と、魔道と不思議に塗れた呪物を扱って生きるのだろう。
 女神の神託は、愁にもまた、痛い。
「だからと云って、弱さが悪いわけじゃない。弱虫もまた、愛しい生き物だ。手を差し伸べたくなるよ」
 全てを圧して、ふてぶてしく蓮が笑う。
「……碧摩さんらしい、云い草だ」
 弱虫と詰られてしまった、人魚。魔女に騙されても陸に上がった彼女が、欲しかったもの。
 王子に、逢いたいと願う気持ち。
 誰かに、愛されたいと祈る気持ち。
 ――誰かを、愛していると想う、気持ち。
「まあ、聴いていて下さい」
 怖れと、希み。ふたつを測る天秤を、ほんの少しだけ傾けてやろう。
 弱い人魚姫と――惑う愁自身のために。
「本当に、僕が適任だったかも知れませんよ、碧摩さん」
「云ってくれるね」
「自信が、ありますから」
 愁はそっと、微笑む。感情を誤魔化す術ではない、本当の笑みが浮かんでくる。
 ヴァイオリンケースから、愛用のヴァイオリンを取り出す。滑らかな、飴色の木肌。するりと手に馴染む、愁の分身。
 触れてもいない人魚の鼓動を感じながら、最初の一音を紡いだ。
 愁が弾き始めたのは、技巧が必要な難曲でも、愁が得意とする曲でもない。ヴァイオリンを始めたばかりの子供が弾くような、他愛もない小曲だ。
 他愛もなくて、可愛くて、誰かを微笑ませたいときに弾く、そんな曲。
 甘い砂糖菓子のようなメロディを、愁は長い髪に縁取られた横顔を思い出しながら奏でた。自分と同じ顔をした、最も近い血を持つ青年を想いながら、紡ぎ出した。
 愁の幸せの象徴。幸せだからこそすぐに失ってしまいそうで――この世で一番、怖いもの。
 ――愛している。
 微かに、テーブルの上の、水晶の人魚が震える。
 ――逃げないで。
 愁は、語り掛ける。
 怯えていても、なにも変わらない。
 愛するひとがいれば、硬い土で覆われた地上だって、そんなに悪いものではないから。
「あ……」
 蓮が、短い声を上げる。
 愁が、閉じた眸を開く。
「うわ……」
 目の前に、人魚の、綺麗な顔があった。
 ふたいろ、みいろ。幾つもの色が交じり合った青で、視界が染め変えられる。
 海の底に沈んだ虹のように透ける肢体を晒して、人魚が愁に手を伸ばす。
『海の、青ね。あなたの、眸も』
 声とも云えない、ささやかな吐息。清浄な潮の香り。
 ふっと、唇を、柔らかな冷たさが掠めた。
『ありがとう』
 淡く淡く、水に溶けそうなほど淡い声。
 一瞬、人魚の青い眸と、愁の青い眸が重なる。
 しゃらり、と澄んだ水音を遠くに聴いた。
 後に残ったのは、僅かにさざなむグラスに、にんまり人の悪い笑みを漏らす蓮。
「浮気だねえ、これは」
「違いますよ。……不可抗力です」
 透明な水で満たされたグラスはじきに静けさを取り戻し、飛び込んだ人魚の姿は跡形もない。
 全ての水は、繋がっている。だから、グラスの水を通り、彼女はどこかへ還っていたのだろうと、蓮はそれらしく付け加えた。
「それよりも、あたしを口止めしておかなくて好いのかい? この、浮気者が」
「違いますってば」
 人魚の口付けの感触は、儚く愁の唇に残っている。でも、それ以上に焼き付いたのは、人魚の双眸。愁と同じ海の色の眸に宿る、寂しさ。
 ――あれは、昔の愁だ。
 ユリに出逢っていない頃の、愁。
 蓮を捜し出せなかった頃の、愁。
 誰も傍にいない、愛情を知らない。孤独を堪え切れず、薄っぺらな笑みで隠す愁がいた。
 傷の生々しさは、過去のものにならない。抱えた幸せに怯える愁は、どこかがまだ、独りぼっちだった愁と繋がっている。
 それでも、彼女たちが傍にいるのなら――。
「不景気な顔をしているねえ。問題解決、結構なことじゃないか」
 愁の胸中を知ってか知らずか、乱暴に蓮が愁の肩を叩く。
「ほらほら、もう用なしだよ。早く、新婚家庭に帰って存分にいちゃつきな」
「そうですね」
 揶揄に素直に頷いて、ぎゃんぎゃん吠える蓮を背中に、愁はひとつ、願いをかける。
 昔の愁と同じ、寂しい目をした人魚姫。
 ――どうか彼女も、大切な王子様に、巡り合えますように、と。 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2193 / 向坂・愁 / 男性 / 24 / ヴァイオリニスト】

【NPC1859 / 新見・透己 / 女性 / 16 / 高校生】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、カツラギカヤです。
こんな新人ライターの、正真正銘初仕事を発注して頂き、ありがとうございます。まず、一言お断りを。発注の際のプレイングの台詞が余りにも素敵だったので、冒頭に使わせて頂きました。事後になりますが、ご了承の程を。かなりウェットな仕上がりになっておりますが、少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
繰り返しになりますが、ありがとうございました。また、お付き合い出来ることを祈りつつ。