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<東京怪談・PCゲームノベル>


Battle It Out! -Overseas Blues-


    01 prologue

 冷たくなった身体は何も語りかけてこなかった。
 眼窩に嵌った二つの眼球は、透き通ったガラス玉というよりは、真夏の陽射しにさらされてどろりと溶けてしまった飴玉の色。
 人の身体は重い。死んだ人間の身体はもっと重い。生より死のほうが重いのかもしれない。妙な思いつきだった。
 冷たくなった女の身体を抱きながら、志賀哲生は、ラジオから流れてくる音楽を聴くともなしに聴いていた。
 時々英語の解説が入る、受信状態の悪いラジオ。在日米軍兵に向けた、遠い海の向こうの音楽を聴いている……。
 あのときはまだ、ファー・イースト・ネットワークだったろうか。それとも既にアメリカン・フォース・ネットワークに改名していただろうか……。思い出せない。あのとき流れていた曲が何だったかも思い出せなかった。
 そうして、
 AFNのDJが、さっぱり聞き取れない早口の英語で何か捲くし立てている声で、志賀哲生は夢から覚めた。
「……寝過ごしたか……」
 いつ眠りに落ちたんだったかな、と胡乱な頭で記憶を辿った。ラジオをつけっ放しにして眠ってしまったらしい。
 不精髭が目立つ顔を洗面所でざばざばと水洗いし、床に放りっぱなしになっていたシャツを拾って着替えた。アイロンがかかっていないよれったシャツには、すっかり香水の匂いが染み込んでしまっている。
 今日はやることがないな。今日は、ではなくこの先ずっと、か。
 白紙に近いカレンダーを眺め、志賀は欠伸を噛み殺す。
 浮気調査の仕事でも入れば依頼人からがっぽり金をふんだくってやるのだが(私立探偵に浮気の調査依頼をするのなんて、懐に余裕がある奴らばかりだ)、生憎、ここ数日は志賀の事務所にも閑古鳥が鳴いている。何か事件でもあれば、鑑識の知り合いが死体検分の話を持ちかけてくるだろう。しかし志賀が暇を持て余しているときに限って、東京は平和なのだった。今日は殺人犯も休業しているのかもしれない。
 退屈な日曜の新聞を漫然と読み耽り、他にやることもないので、間に挟まれたスーパーの広告の隅々まで読んだ。まったく、吐き気がするほど平穏な日常がそこには展開していた。あるいはスーパーの特売は、主婦にとって一大事なのかもしれなかったが。
「……退屈だ」
 新聞も広告もラジオも飽きた。テレビもあまり見る気になれない。
 無限にもつづきそうな暇を上手い具合に潰してくれそうな電話がかかってきたのは、ちょうど正午を回ったところだった。
 受話器を取ると、電話の奥で耳慣れない男の声がした。
『――よぉ、志賀さん。元気にしてるか』
 つっけんどんでラフな口調だった。可もなく不可もないが、あんた誰だ、と問い返しそうになった。が、少し考えてみた。
「……火村さんか?」
 辛うじて記憶の底から掘り起こした名前を口にすると、ああ、と男は肯定した、
『突然すまんな。この間の礼とか、時候の挨拶とかしたいところだが、面倒くさいんで用件だけ。――これからちょっと時間あるか?』
「これから?」反射的に時計を見たが、確かめるまでもなく暇だった。「暇だが……何の用だ?」
『まあ、ちょっと他愛ない話とかな。昼飯を奢るが、出てこれないか?』
「昼飯か。そりゃ大歓迎だ」
 腹が減ってきたところだったので、志賀は二つ返事で頷いた。
『Escherって店わかるかな。入ったことあったっけか?』
「この間な。駅の近くの店だろ」
『オーケイ、じゃ一時間後に、そこで』
 火村は、志賀の返事もろくに聞かず、がちゃんと電話を切った。
「相変わらず愛想が悪いな、火村さんは」
 いや。自分もたいして変わらないか、と思い、志賀は苦笑した。
 火村義一は、都内の大学院で犯罪心理学を専攻している院生だ。『殺人事件の容疑者捕縛』などという物騒な依頼を通じて知り合った人物だ。
 火村のプライベートについて詳しくは知らないが、年齢もさほど変わらず、形は違えども犯罪に関わっている(そして、やや傾倒している)という点で志賀と共通しており、親近感のようなものを覚えなくもない男だった。
 その火村義一が、こんなうららかで欠伸しか出てこないような日曜日に、何の用があるというのだろう。
 疑問には思ったが、突然舞い込んだ昼飯のアテをふいにする理由もない。志賀は午後の東京の街へ出た。


    02 smelling doom

 ジャズバーの扉を潜ると、静かな音色で店内に流れているエレクトリック・ブルースの音色が耳についた。ジャズの親戚は何でもBGMになり得るらしい。
 火村義一は、あまり美味くなさそうに珈琲を飲みながら、手元の資料に目を通していた。
「久しぶりだな、火村さん。――言うほど久々でもないか?」
 志賀は火村の向かいの席に腰かけた。
 火村の前に置かれた灰皿には、吸殻が山になっている。カウンタの奥にいる店員の女性が、煙たそうに顔をしかめていた(この間も会ったが、彼女の名前は知らなかった)。
「呼び出して悪かったな」
 火村はたいして悪くも思っていなそうな口調で言うと、資料から顔を上げた。
「そりゃ構わないが、どうしたんだ? 急に。今度は殺人犯が脱獄したから捕まえてくれ、とかいうじゃねェだろうな」
「ははっ、そりゃいいな。そんな依頼があったら回してやるよ。荒事は嫌いなんでね、任せるさ」
 過激な性格しといて良く言うな、この男も。
「死線を彷徨うような依頼は、しばらく勘弁願いたいぜ」
「死神に好かれてるんじゃないのか、あんた」
 火村は口元に皮肉っぽい笑みを浮かべ、片目を細めて、志賀を見た。
 その台詞の意味するところを、志賀は判断し兼ねた。それは――俺の『嗅覚』のことを言っているのか?
 すなわち、『死』を嗅ぎ取るこの能力を。
 火村の意味ありげな目つきが、無言で、あんた何者なんだ――と、そう問いかけているようだった。志賀は黙っていた。
「残念ながら、今回の“依頼”はちょっと地味だ」
 火村は志賀から目を逸らすと、眼鏡を押し上げた。両目を細めて紙面を睨む火村に、依頼は良いんだが、と志賀。店の壁時計に顎をしゃくった。
「もう二時だぜ。腹が減った。なんか頼んでいいか?」
「ああ、好きなだけ食ってくれ」
「遠慮しないぜ。こちとら貧乏私立探偵だ」
「俺も決して裕福じゃないが、ま、半分ツケにしとこう」
 火村は片手を上げて店員の女性の注意を促した。彼女はカウンタから出てくると、ばんっ、とメニューをテーブルに叩きつけた。
「ツケは無効です」
 美人で、こざっぱりとした清楚な雰囲気の女だった。が、じとっと火村を見下ろす双眸に気の強い性格が滲み出ている。悪くない。
「何怒ってんだ、橘さん」
 火村は店員の女性を見上げ、きょとんと目を丸くした。橘と呼ばれた女性は、火村の前から灰皿を取り上げた。
「あ。何すんだ」
「煙草だけでも我慢してるのに、その、」彼女は唇をへの字に曲げ、火村が手にした紙束を指差した。「趣味の悪い文章。何とかなりません? 他にお客さんがいないから良いものの、白昼堂々と死体の写真を眺めるってぇのは、どうなのよ?」
 どうなのよ、え? と凄みを利かせる女。
「ファミレスで見てるよりマシだろ?」
「それは貴方の都合。私の都合じゃない」
 あーもう、どうして彰人の知り合いってこうなのかしら、などとぶつぶつつぶやいている。彰人――水上彰人のことか。ぼんやりとした顔つきが脳裏に浮かんだ。
「それで、注文は?」
 志賀も火村と一緒くたに『胡散臭い人物』と見なされてしまったのか。客相手にしては険のある口調で彼女は言った。
「腹にたまりそうなモン頼む」
「パスタでよろしいですか?」
「ああ、構わんよ」
 彼女は注文を訊くと、カウンタの奥へ戻っていった。それを見届けてから、
「彼女の名前、なんて言った? 橘?」
「橘夏樹、だ」
「綺麗な娘さんだな」
 志賀のコメントに、火村は、あー…と煮え切らない返事をした。
「綺麗だが、キツい」
 なんか言った!? と奥から声が飛んできた。火村は「ほらな」と肩を竦めた。
「で? 死体の写真がどうしたって?」
 なるべく関心のない素振りを装って、火村に問う。表面的な演技は成功していたはずだが、どうも火村は志賀の性癖を見抜いている節があった。伊達に犯罪心理学を齧っているわけではなさそうだ。
「ここに、ある猟奇殺人事件の捜査資料がある」火村は芝居がかった口調で言い、紙束を目の高さに掲げてみせた。「女ばかり七人。サドでサイコな殺人鬼の犯罪記録だ。俺からの依頼はシンプル。プロファイリングしてくれ」
「素人の俺が、か?」
「素人じゃないだろ?」
「…………」
「俺は法律畑の人間なんでね。俺よかよっぽど、あんたのほうが詳しいと思うぜ? こがイカれた連中については。あるいは一線を越えてしまった奴らだな」
 ここが、と火村は自分の頭の横を指差した。
「一線を越えちまった連中、ね……」
 志賀は資料を取り上げた。
 被害者は若い女性ばかり七人。年齢は十代後半から二十代前半まで。死体の状態は酷いもので、生前の面影はほとんど残っていない。
 一緒に添付された写真には生前の彼女達が写っており、いずれも、知的な顔立ちをした美人だった。清楚な雰囲気で、髪が長い。
「……被害者の選別に何かこだわりがあるようだな。清楚で髪が長い」
 志賀と火村は、なんとなく店の奥へ目をやった。ちょうど、志賀の注文したパスタの皿を持って、夏樹が出てきたところだった。
「お待たせしました」
 皿とお冷を志賀の前に置く。志賀と火村の意味深な視線に気づいて、夏樹はちょっと首を傾げた。頭の後ろで一つに縛った長い髪が揺れる。
「何? どうしたのよ」
「橘さんよ……、夜道には気をつけな」
「はい?」
「この猟奇殺人事件の」火村は資料を手の甲で叩いた。「被害者像に、ぴったり一致する」
「え。やだ。怖いこと言わないで下さいよ」
「ふむ――被害者が出てる地域もそう広くないな。……橘さん、冗談抜きで危ないぜ」
「……あんまり聞きたくないけど、どんな事件なんですか、それ」
「強姦殺人。陵辱殺人でもいい」
 さらりと答えると、夏樹は顔を青くした。
「や、やめて下さい、っていうか、早く犯人捕まえて!」
「悪りぃな、俺はもう刑事じゃないんだ。捜査権も逮捕権もない」
「捕まえなさい!」
 夏樹は火村に人差し指を突きつけた。
「悪いね、俺ももう検察官じゃないんで。一応、独任官庁制とかいう権限はあったんだが」
「やだもー、やめてよ、脅すだけ脅しといて役に立たないんじゃない!」
 この能無し! と夏樹嬢は二人の三十路男を罵った(火村は正確には三十路直前である)。
 そりゃ、女性にとって一番関わりたくない犯罪はやはり強姦だろうな、と思う。
 それにこの強姦魔――犯した上で残虐な殺し方をしている。相当なサディストだ。
「送り迎えでもしてもらえば?」
 自身にはさっぱりその気がないらしい火村は、他人事のように言った。
「癪に障るけど、ヤられた上にぶっ殺されるなんて真っ平御免だわね。彰人でも呼びつけてやろうかしら」
 訂正。外見はぴったり殺人犯の好みに当てはまるが、その言動はどうなんだい、橘のお嬢さん。とても清楚とは言いがたい。ぶつぶつ言いながら、夏樹はカウンタへ戻っていった。
 夏樹嬢の手製らしいパスタをがつがつ胃に掻き込みながら(なかなか美味かった)、志賀は資料片手にプロファイリングをつづける。
「被害者の何人かは自宅で発見されてるな。被害者の部屋に血痕が残されていたというケースもある。ってことは、この女どもは安心しきって犯人の男を部屋へ上げたってことだ。尻の軽い連中にゃ見えないし――、犯人は被害者と同年代かやや上、完璧に社会に適合した、おそらくは社交的で頭が切れる、かつルックスの高い人物、ってとこか」
「ふむ。そこまで特定できるか……」
「本間啓一郎と似たタイプだ。女を殺した当事の年齢は違うにせよ」
 火村はそうだな、と同意した。何の感慨も抱いていないような表情だった。かつて親しい仲だった『殺人犯』の名前を聞かされても。
「――それから、何か支配欲めいたものがあるように感じるな。性的な倒錯もあるようだが」
「支配欲?」と火村が問い返す。
「ああ。同タイプの女ばかり選んでいるのには何か理由があるんだろう。例えば――まったく同じ容姿をした女に、一度こっ酷くフラれた、とかな」
「それで、その惚れた女に似た奴を殺して、『支配した』気になってるってわけか」
「ああ。……『死』は絶対的な支配だからな」
 おそらくはパーフェクトな青年に殺された女性達には、強姦された後に、さんざん陵辱された形跡があった。その上で生命を奪われるのだから――、まったく。救いようがない。
「反吐が出るな。この殺し方はよ」
「そうか?」火村は無感動に言った。「女からすりゃ、たまったもんじゃないだろうが。生憎、俺は男だ」
「女性には優しくしてやらないと駄目だぜ、火村さんよ」
 夏樹のパスタを消費しながら、志賀。手元には、さんざん弄ばれたであろう女性達の無残な死体。
「いまいち説得力に欠けるな。死体の写真を眺めるのと飯を食うのと同時にやりながら言われたんじゃなぁ」
 そういうあんたも平気な顔してるじゃねぇか、火村さん。と、志賀は胸中でつぶやいた。


    03 until I'm dead and...

 店内には相変わらず、気だるげな音量でブルースが流れている。
 どこかで耳にしたことがある歌だった。渋い声で愛を歌っている。

  おまえを愛しつづけるよ/俺が死ぬまで/俺が死んで冷たくなるまで……

「あんたのことを調べさせてもらったよ、志賀さん」
 ぽつりと、火村義一が言った。ブルースで注意が逸れていた。何? と訊き返す。
「調べさせてもらった。色々と」
 志賀は黙って火村の目を見返した。眼鏡の奥の瞳は、やはり何の感情も映していなかった。
「色々って……、刑事を辞めた理由も?」
「それ以外のことも」
 火村はどこからか煙草の箱を取り出すと、一本取り出して口に咥えた。
「あんたも吸うか?」
「いや……」
 志賀は結構だと片手を振った。
「――って、灰皿没収されたんだったかな」
 短く溜息をつく。カップの底に数ミリほど残った黒い液体をくいっと飲み干し、火村は不味そうに顔をゆがめた。この男は何を飲んでも何を食べてもこんな顔をするんじゃないか、と志賀は思った。
「今日の本当の目的は、俺か?」
「ああ」誤魔化すでもなく、火村義一は頷いた。「プロファイリングはおおいに参考になったがな。半分あんたを試す目的だった。――プロファイルってのは、単に現場に残された痕跡から犯人像を推察する作業に留まらない。犯人像を探るってことは、」
「犯罪者の心理に潜るということだな」
「そう。理解しようという意志があり、かつ理解できる人間のみが、犯人に辿り着ける。あんたが、そうだと思った」
 煙草は諦めたのか、箱に戻し、
「――まず、あんたの恋人が殺されたってことだな。因果関係については、知らんが」
 因果関係、か。
 志賀は、一言で言ってしまえば忌々しい、だがはっきりと『嗜好』を自覚させることになった事件を思い返す。
 私立探偵に鞍替えする前、志賀哲生は刑事だった。
 現役時代に担当した事件で、志賀は彼の『特殊な嗅覚』の手助けを借りて、犯人へ肉薄するに至ったのだが――その男は、逮捕直前に志賀の恋人に手をかけたのだ。
 志賀への当てつけとして彼の恋人を殺害したのか。それとも偶然、最後の被害者が彼の恋人だったのか。因果関係だとか前後関係については知らないと言ったのは、そういう意味だろう。
 志賀は、殺されて冷たくなった恋人の身体を一晩抱いて寝た。
 因果関係は……、複雑だ。
 あのとき、志賀は自分の奇妙な(人によっては『異常』に感じるであろう)嗜好に気づいた。否、あの出来事がきっかけで死体へのフェティシズムが目覚めたのか。その辺りの因果関係も、不明だ。
「ナイーブな奴だと思ったよ。最初は」火村は、くっ、と喉の奥で笑った。「恋人を殺されたことで、刑事をつづけていく自信を失ったんだと思った」
「それで刑事を辞めたと?」
「ああ。だが違った。――何でも証拠物件の着服が問題になったらしいじゃないか?」
「そこまで調べたのか。物好きだな」
 火村はまあね、とおどけるように言った。
「死体の写真収集、屍姦……、あんたみたいなのを、俺達の用語で『ネクロフィリア』と言う。死体愛好、死体性愛とか、そういう意味だ。ちょっと前に、死体愛好者の女を主人公にした映画なんかがあったな」
「ご大層な呼称をいただいちまっているようだ」
「はっきり言うが、真っ当な嗜好ではない。しかし犯罪心理学なんてけったいな学問をやっている以上、俺も偉いことは言えん」
 それは、自分も少なからず『死』に惹かれているのだと、そういう意味だろうか。
「人の嗜好についてあれこれ言う趣味はない。むしろ、研究者の立場としては極めて『興味深い』――ってところだな」
 火村はにやりと笑った。志賀も、口元に微かな笑みを浮かべた。
「惚れるなよ?」
「もう惚れたかもしれん。I just can't stop loving youだ」
 ふざけているんだか真面目なんだかわからない口調で言う。
 渋い声で愛を歌っている。ブルース。海の向こうから聞こえてくる……。
「あんたが何に興味を持ってるか知らんが、深入りすると戻れなくなるぞ」
 俺みたいに、と志賀は言った。
「――そっちは快適かい、志賀さん」
 その台詞すら、真面目なのか、不真面目なのか、わからなかった。
 真面目に訊いているのだとしたら、なんて答えるべきだろう。
 ああ、快適さ。火村さんもこっちに来いよ。一人で退屈してたところなんだ、とでも?
「……何とも言えないな」
 結局、お茶を濁すような回答になってしまった。
 火村義一は、そうか、と短く言って頷いただけだった。


    04 epilogue

 昼飯の礼を言って、志賀は店を去った。
 火村義一は、また何かあったら頼むよ、と志賀を送り返した。物騒な依頼もよろしくな。
 頭の中に、店で聴いたブルースのメロディが流れていた。
 何度も、何度も、繰り返し。
 I love you, I love you, even more...
 唐突に思い出した。
 AFN、いや、FENだったか……とにかく、あのラジオから流れていた曲を。
 さっき店で流れていたのと同じ曲だった。

  そして、おまえを愛しつづける
  俺が死ぬまで
  俺が死んで冷たくなるまで……

「死んで冷たくなるまで……か」
 恋人に対してどんな感情を抱いていたのか、今となってはわからない。
 愛していた、それは確かだ。愛していた……愛?
 既に冷たくなってしまった身体は、どろりとした瞳は、もはや何も語らず。
 それでも愛しかった女の、肌の、冷たい感触を思い出す。
 そうだな。歌の歌詞を、書き換えよう。
 愛しつづける/おまえが死んで/死んで冷たくなっても
 ――と。
 遠い海の向こうのブルース。ここからはあまりにも遠い地だ。
 だが彼女の場所と、俺が今いる場所ほどの距離はないだろう。天国がどこにあるのか、本当に存在しているのかどうかも定かではないが、地上とは遠く隔たったところには違いあるまい。
 それに比して、生と死の境界の、何の曖昧なこと。
 両者を区別することがそもそもナンセンスだ。一線を越えるのは――、
「あんたが思ってるほど難しくないんじゃないか、火村さん――」
 難しくない代わりに、戻れなくなるけどな。
 ちょいと覗き見したら帰ろうってわけにはいかない世界だ。片道切符しか手に入らない。
 太平洋戦争中に、遥々極東の地までやって来た米軍兵士達のように。運が良ければ生きて再び故郷の大地を踏めるが、そうでない奴らは……。


 ブルースを口ずさみながら、志賀哲生は境界線をひょいと跨ぐ。あっち側の世界に足を踏み入れる。無事に帰れる保証なんて、ああ、どこにもない。

  And I'll keep on loving you
  Until you're dead,
  Or, after you're dead and cold...



fin.



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■志賀・哲生
 整理番号:2151 性別:男 年齢:30歳 職業:私立探偵(元・刑事)


【NPC】

■火村 義一
 性別:男 年齢:29歳 職業:大学院生

■橘 夏樹
 性別:女 年齢:21歳 職業:音大生


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
 この度はゲームノベルへのご参加ありがとうございました。
 志賀さんは個人的にとても好きなタイプのキャラクタでして、火村との絡みを書くのがとても楽しかったです。「犯罪や死にやや系統している」「ちょっとヘンな男達の友情(?)」というモチーフも好んで良く書いているものなので、とても美味しくいただけました(笑)。
 会話中心の淡々とした雰囲気になりましたが、楽しんでいただければ幸いです。引用しているブルースは、ラスト二行を勝手に書き換えております。
 それでは、またどこかでお会いできることを願って。