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<東京怪談ノベル(シングル)>


子馬の生活


■□□□□□

 生徒さんを信じきっている訳ではないけど。
 前回は何事もなかったし、からかわれなかったし。今回はすぐ承諾しよう。
 ――あたしはそう思って、またあの学校へ行くことにした。
 勿論、気持ちは複雑だ。


■□□□□□

 それでもマスクやら馬のしっぽやら美術の時間でも見ないような大きな刷毛やらを眺めていると、好奇心が顔を出した。
 尻尾を軽く握ってみたり、絵の具の匂いを嗅いだり、ここは退屈しない。
 この学校で、一週間を過ごす。生徒さんがあたしの試験休みを見計らって(違う、と否定していたけど、そうに決まっている!)のことだ。
 初日は顔と腕、二日目は脚以外の身体、三日目は脚と、徐々に馬のメイクをしていって、残りを馬の姿で暮らすのだそうだ。
 メイクだけで終わらないのは、生徒さん曰く「動いている様子を確認したいから」。
 わかります。やっぱり、数日過ごして様子を見ないと、成功かどうかわからないですよね――って、あたしは騙されません。猫のときの経験があるんですから。
 だから、あんまり、生徒さんにはあたしを見ていて欲しくない。
 目が優しくて、企んでいるのはわかるのに、逆らえなくなってしまうから。
 それを生徒さんはわかっている。
 だから、あたしは生徒さんに眺められる。あたしが目をそらしても、視線を横顔に感じる。
 意識してしまう。
「上を脱ぎますから、あっち向いてください……」
 あたしはさっさと白旗を上げることにして、長袖の服を脱いだ。生徒さんには勝てないもん。
「あんまり温度は上げられないから申し訳ないんだけど」
 と言いながらも、生徒さんは暖房をつけてくれた。
「メイクするのに影響は出ませんか?」
「今回は、そのことも少しは考えていたからね」
 徐々に冷たい空気が暖かくなってくる。
 気を使わせちゃったかな、とも思うけど、明日や明後日は服を全て脱がなくてはならない。正直有難かった。


■□□□□□

 椅子に座らされて、目を瞑って。
 始まりは、いつも緊張する。
 生徒さんが近づいてくる音、服の袖が動く音。無意識に呼吸を一瞬止める。
 唇に触れてくる指の感触は、綿のように柔らかかった。前回と同じように口を開けて、というサインだろう。
 口を開ける。生徒さんが驚かないように、ゆっくりと。
「そのままで」
 掠れた声がして、舌を握られた。端を押さえられ、器具をつけられる。そこからさらに舌を取り付ける。本物のように弾力があり、ザラザラと砂利を舐めるような感触。それがあたしの舌に粘りついてきて、境目がなくなっていく。
 次はマスクを、と思っていると腕を掴まれた。
 一瞬驚いて、ああと納得する。腕も同時にやるんだった。
 あたしの腕を掴んでいるのは、細い指を持つ手だ。しっとりと湿っていて熱い指。それが神経質そうに動いて、あたしの腕にリズムを刻んでいる。
 震えているの?
「今日新しく加わる子がいるの」
 と、舌の微調整を行っている生徒さんが言った。
「仲良くしてあげてね」
「ほひろんれふ!」
 舌を握られている故の、ひどい発音。
 室内で笑いが起こった。
「勿論です、よね」
 生徒さんの一人が正してくれた。
 それで和んだのか、湿った手の震えが止んだように思えた。
「私にも腕触らせてー」
 他の生徒さんたちがあたしの二の腕を優しくつまむ。
 ふにふに。
 ふにふに。
 ふにふに。
 ――な、何でこんなに触るの?
 ……あ、あたしの二の腕、太くないよね??
「んーやっぱりまだ熟しきってない感じ?」
「良いねー」
「はふええ?(何ですか?)」
「ああ、みなもちゃん知らないのかしら? 二の腕の感触は胸の感触に近いのよ」
「おんなほほひれないれ、はやふさひょーひへふらはい!!(そんなことしてないで早く作業してください)」
 だんだん自分が何を喋っているのかわからなくなってきた。
 それに対して、「まぁいいじゃないの」と返す生徒さん。なんでわかるんだろう?

 あたしが怒っている間に、新しい生徒さんは着々と作業を進めていた。
 腕の長さは脚よりずっと短い。伸ばす必要がある。舌と同じ要領だ。
 てっきりロボットのようになる自分を想像していたんだけど、全然違う。作り物なのに、本物以上の腕。
 作られていく様子は、植物が育つのを見ているようだった。小さな芽がでて、ぐんぐん伸びて。
 腕になって。
「あの、長さを見たいので馬の姿勢になってくれますか?」
「はい」
 目を開けて椅子から離れて、両手を床につける。腕の長さを正確に測るために、背中を曲げないように注意しなきゃいけない。
 生徒さんがあたしの背中を軽く押した。ちょっと曲がっていたのかな?
「うん、丁度いいんじゃないですか?」
「だねー。初めてにしては上出来ね」
 そんな会話が聞こえて、あたしもホッとした。
 ――あたしが作った訳ではないけど、新しい生徒さんが怒られるところを見るよりは、褒められているところを見たいもん。
「じゃあみなもちゃんまた椅子に座って。マスクつけるから」
 生徒さんの声が上から落ちてきて、その後、いつもの柔らかい指が近づいてきた。

 今日あたしが泊まったのは、二階の教室だった。“みなもちゃん用に用意した”教室らしい。床に黄土色の絨毯が敷かれている。生徒さん曰く「この色しかなかった」とのこと。
 暖かいから気にならない。床に直接座ると寒いもん。生徒さんが運んでくれたスープも温かくて美味しかった。ご飯も焚きたて。
 気を使ってもらって悪いような気もしたけど、生徒さんは気にしないでと言ってくれた。
「いいのよ。…………どうせ今だけだから」
 一週間だけなら、ってことなのかな?
 寝るときに気付いたんだけど、布団も黄土色だった。この近くのお店に行ったら、この色しか売ってなかったらしい。
 でも、黄土色の布団ってそんなによく見かけるかなぁ……?


■□□□□□

 身体を馬にするのは初めて。
 着ていた服を全て脱いで、すぐに目を瞑る。恥ずかしいから。
 こういうときに限って、生徒さんはこう言う。
「みなもちゃん、こっち見て?」
 ……ほらね。
「ヤです……」
 数十秒の静かな攻防(?)の後、あたしは観念した。
「見たのは一度や二度じゃにのにねぇ」と生徒さん。そういうことを言われるから、あたしは恥ずかしいのに……。
 今日は胴の部分を馬のように少し太くしてから、色を塗るとのこと。
 生徒さんが取り出したのは、茶色い粘土のような物。
「身体につけていくからね。背中なんかもつけた方がいいかしら? 身体を守ってくれるわよ」
 馬の格好をさせられる。様子を見て、つけていきたいんだって。生徒さんが後ろに立って、覆いかぶさるように粘土をつけていく。
 最初は、おへそのところ。くっつけるために、生徒さんが上からさするものだから、くすぐったくって仕方ない。笑い声を漏らす。
「笑われたら、付け辛いわ」
 そういいながらも、生徒さんは粘土をあたしの身体につけて、刷り込むように指でいじる。
 それは脇腹から徐々に上へ上がる。冷たくのっぺりとした粘土をのせて、そこを優しくなぞる指。脇腹から胸の端を掠めて、腋の下まで。何度も指が通る。どんどん力が入る。粘土を弾いたかと思えば執拗になぞり、絡み付いてくる。
 声を漏らす。笑い声ではなく、別の。
 生徒さんが、湿った含み笑いを浮かべた。
 次は色を塗る作業。
 首を刷毛で塗られるのはくすぐったい。妹のような無邪気な声を出して、身体をよじる。
 ところで、生徒さんにとって“惜しい”のは、首のところだそうだ。
 馬って、人間よりも首が長いから。ここばっかりは、急に伸ばせないもの。
 綺麗なこげ茶色が身体を覆っていく。
 脚も、塗るだけは塗ってしまう。色が違ってしまわないように、という判断だろう。
 肌の柔らかいところを刷毛でなぞられると、チクリと痛む。セーターを直接着ているような感触――と言うのが一番近いかな? 胸と太ももの辺りがそう。
 蹄をつけるから隠れるけど、一応――ということで足の裏や指も一本一本丁寧塗られたけど、これは拷問だ。
「あはははははっ」
 笑い転げるあたしの足を、生徒さんはしっかりと掴まえていないといけなかった。
 あやうく生徒さんを蹴ってしまいそうになる。
「ご、ごめんなさああああははは!!!」
「こんなの余裕よ!」
 と生徒さんは言い切る。そしてもっとくすぐったくなるように、刷毛が触れるか触れないかという感覚で、あたしの足を塗っていくのだった。
 ……わざとだよね?
 笑い疲れて力なく仰向けになったところで、急に膝を掴まれて足を開かされる。太ももの内側を塗っていなかったのだそうで――もうくすぐったいのか痛いのかわからなくなってしまった。
 あとはお尻に尻尾をつけて――。

 教室、もとい“みなもの部屋”に戻ると、布団の様子が変だった。
 掛け布団の上から何かが草が生えている……ように見える。
 昨日より寒いだろうから、という生徒さんの心遣いらしい。
 ……本当にそうなのかなぁ。
 これ、藁みたいに見えるんだけど……。


■□□□□□

 両手両足に蹄をつける作業――手を握られて蹄をはめられる。
「指輪をはめてあげる男みたいね」
「あはは。そしたら素敵ですね」
「やっぱりそういうことに憧れがあるのかしら?」
「はいっ」
「あはは、女の子ね〜」
 でもこれから馬になるのよ、と生徒さんは呟いた。

 本当に綺麗な“馬”だと生徒さんは言う。繊細そうな瞳をしていると。
 手を床につけたあたしは、全身鏡に映し出されている姿を見た。
 青いタテガミを後ろで揺らして、青い瞳を持ち、こげ茶色の身体をしている。
 まだ慣れない四本足にぐらつき、不安そうに尻尾を揺らしている、艶かしい子馬がいた。
「さあ、みなもちゃん」
 子供をあやすような口調で、生徒さんは言った。
「お部屋に戻りましょうね」

 絨毯の上には草が敷き詰められている。
 そこに横たわる。まだちゃんと歩けないのだ。
 背中をなでられた。
「頑張れば、歩けるようになるわ。歩いてみましょう?」
 手に力を入れて、お尻を上に上げる。足は震えながら、だがゆっくりと伸びていく。
 何とか立つことが出来た。
 こちらへおいで、と生徒さんが呼ぶ。
 右足を前へ出して。左足を前へ出して。
 四本足で歩くのは難しい。頭の中でいちいち確認してから足を動かさなければいけない。
 それでも生徒さんのところまで歩くことが出来た。
「良い子ね」
 頭をなでられ、タテガミをいじられる。くすぐったい。
「じゃあこれをあげるわね。あーん」
 口を開くと、入れられたのはニンジンのグラッセ。
 ……あまいの。


■□□□□□

 ここで暮らしてみてわかったのは、食材としての草も悪くないということだった。
 勿論あたしが食べているのは本物の草じゃない。あくまで“草を模したもの”だ。
 最初はこれを口に入れるのは恥ずかしい。何故と聞かれると答えられないけど、皿に顔を近づけて草を食べる、ということに抵抗がある。

「ふぇ……」
 なみだ目で泣きそうな声を出していると、生徒さんはあたしを抱き上げてこう言った。
「鳴くときは、“ふぇ……”じゃなくて“ヒヒーン”な筈よ?」
 ……字が違うもん。生徒さんはたまにいじわるを言う。

 草は外が柔らかく、中は少々硬い。ほぐすために幾度も噛まなければいけない。
 最初口の中に広がるのは、吐き出したくなるほどの青臭さだった。それを我慢して噛み続けていると、甘味が出てきていることに気付く。草は甘いのだ。
 さらに噛む。噛めば噛むほど味が出る。唾液の中でぐちゃぐちゃに草を潰していくと、草の弾力性にも気付く。おいし……。
 ただし、最初は顎が痛くなって、すぐ食べられなくなってしまう。
 初日は我慢していたために顎がどうしようもなく痛くなってしまって――ヒンヒンと泣いていたら、生徒さんが冷やした掌であたしの顎を包んでくれた。その後出されたのはニンジンを柔らかく煮込んだもので、これは軽く噛むだけで良かった。
 そして発音。草ばかり食べているせいか、喋ることのない生活を送っているせいか、それとも馬の口の構造のせいか――発音し辛くなってきた。ハ行以外がやたらと言いにくい。馬が「ヒヒン」と鳴くのにはこういう理由があったんだ、と納得。
 ……人間はいいなぁ。色んな音を発音出来て。
 あれ?
 ……あたしもヒトだったっけ?
 ちょっと曖昧だ。


■□□□□□

 粘土のお陰で、腰や背中は普段よりは強くなっている筈だけど、強度がわからない。
 だから、ということで、生徒さんが上に乗せる子供を呼んで来た。
 二歳くらいの、小さな女の子。髪を二つに束ねて、はにかんで笑う。人見知りする、綿菓子みたいな子。
 足にぐっと力を入れて。あたしが潰れたら、女の子が落ちちゃう。
 ちょっと心配そうな生徒さん。大丈夫です、とあたしは心の中で思う。
 女の子には背中に乗ってもらって。
 ……ほらね、歩ける。
 ……あ、でもちょっと辛いかも――。
 背中と腰に影響はないのに、後ろ足が積みすぎた積み木のように揺れるのだ。
 力を入れても同じ。カタカタと震える足。
 生徒さんは女の子をおろした。
 ……ごめんなさい。頑張りたかったのに。
「ひん……」と鳴くあたしを、生徒さんは抱きしめてくれた。
「気にしなくていいのよ。足も補強しなきゃいけなかったのね」
 足をなでられた。生徒さんではない、もっと小さい手。
 ――女の子が、あたしを見上げていた。
「おうまさん、おうまさん」
 はしゃいでいる。
 ……可愛い。良かった、泣かれなくて。乗せてあげられなくて、ごめんね。


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「顎も強く出来るように工夫した方がいいのかしら」
 ある日、生徒さんは悩んでいた。
 あたしを見て、宙に目をやって。どうやったらいいのか、材料を頭の中で思い浮かべているのだろう。
 あたしも賛成だ。今は大分慣れたけど、元から顎が強ければ楽だろうなぁと思う。
 一緒に考えるけど、なかなか案は浮かばない。素人だし……あたしは馬なんだもん。
 そう、あたしは馬。
 日に何度かは、生徒さんに“いい子いい子”してもらう。
 要はなでてもらうだけなんだけど、子馬にとってはとても重要なこと。寂しがりやなのだ。
 甘えるために、努力もする。歩く練習を怠らない。
 歩けるようになってからは、廊下に出て――生徒さんの傍で、テッテッテと小走り。よく出来たね、と褒めてもらう。
「馬になってから、とっても良い子ね」
 どういうことだろう? 馬になってから?
 生徒さんは時々難しいことを言う。
「期日が近づいていて寂しい」とか「元に戻ったら怒られるかもしれないわ」とか。
 あたしも話に混ざりたいのになぁ。


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「ついに一週間過ぎちゃったわ」
 生徒さんはそう言った。「もうお別れね」
 お別れ? やだやだ、とあたしは首を振る。生徒さんと離れちゃうの?
「泣いちゃだめよ」
 と生徒さんは慰めてくれた。
「またきっと会えるわよ」
 本当?
「……みなもちゃんは嫌がりそうだけど」
 嫌がらないです!
「というか、そもそもメイクを落とした後が心配だわ……まさかこんなに“その気”になってくれるとは思わなかったしねぇ」
 どういうことですか?
「まぁ、とにかくメイクを落としましょうね」
 あたしは別の教室へと連れて行かれた。
 メイクを落とす、らしい。それってどういうことだったかなぁ?


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「ふぁ……」
 目を覚ますと、服の袖が目に入った。
 起き上がる。全身鏡に映っているのは、紛れもなくあたしだ。
 ごく普通の少女。
「起きた?」
「もう一週間経ったんですか?」
「ええ。覚えてない?」
「それが全然なんです……」
 馬になる前までは憶えているんだけど……。あたしにはそれ以降の記憶がなかった。だから結果がわからない。
「あの、どうだったんですか?」
「んーそうねぇ」
 生徒さんは赤い唇をニっと伸ばして微笑んだ。
「直さなくちゃいけないところがあるみたいなの。みなもちゃんのお陰よ」
「わぁ、そうだったんですね」
 役に立ったみたいで、うれしい。同時に憶えてないことが悔やまれる。
「ご飯食べたら、駅まで送ってあげるわね」
「ありがとうございますっ」
 お辞儀をして、箸を握った。お魚もご飯もお味噌汁も美味しい。

 それにしても。
 ……今回も何事もなくて良かったなぁ、と思う。生徒さんもあたしをからかうのをやめたのかな?
 それにしてはやたらと生徒さんが嬉しそうな顔をしている気もするけど……。
 まぁ、いいや。生徒さんも気分がいいときって、あるよね。

 駅で生徒さんとお別れして、家に帰った。あたしも何だか気分がいい。玄関のドアを開けたら、お母さんが笑顔で迎えてくれた。バイトだったんでしょう、大変だったわねぇって。

 ……お母さんも機嫌がいいのかな?




終。