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<東京怪談ノベル(シングル)>


『仔猫』


 朝から曇り空であったがどうやら本格的に雨が降り出したようだ。
 初瀬日和は机に頬杖つきながら窓から絹糸のように降りだした雨を見つめながら溜息を吐いた。
「とうとう降りだしちゃったか。大丈夫かな?」
 日和はぽつりと呟いた。
 そして六時間目のチャイムが鳴って、今日最後の授業が始まる。



 +++


 日和の飼っているのはイヅナという不思議な生き物だ。
 それは空も飛べるし、知能も高い。
 普段は日和の持っているピルケースの中に住んでいるが、今日は特殊任務を受けて、学校近くの神社にいた。
 神社の社の上で体をまるめて耳をつーんと立てていた。人で言えば耳を澄ましているという状態だ。
 イヅナがいる神社は例外なく厳かな空気に包まれて、境内は静寂に包まれている。しかし耳を澄ませばその静寂な境内の中でもいくつかの音がしているのがわかる。
 そう、自然界において完全なる黙(しじま)は存在しない。
 沈黙というのが存在する条件を持つのは人が作り出した建物の内だけだ。
 わずかに雨の匂いが混じりだした湿った空気を震わせて境内に響く音は、
 周りの木々の葉が擦れ合う音に、
 境内の隅にある池で鯉が跳ねる音、
 鳥の鳴き声や羽ばたく音に、
 そして仔猫が鳴いている声。
 それと、

『大丈夫だよ、大丈夫。すぐにお父さんが来てくれるからね』

 幽霊の女の子が仔猫に笑いながらそう話し掛ける声。
 だけどその女の子の顔は泣き出す寸前の表情であった。



 +++


 その神社のすぐ近くにある家、そこではしめやかにお葬式が行われていた。
 多くの人たちがまだ10歳で亡くなってしまった彼女の為に涙を流していた。
 だけどその家の前で、ぎゅっと両の拳を握り締めている男の子は顔をくしゃくしゃにして、泣くのを一生懸命に堪えていた。
 隣に居る喪服の女性はおそらくはその男の子の母親なのだろう。
 男の子に2、3何かを言っているが、しかし彼はぎゅっと下唇を噛み締めて、走り去ってしまった。
 母親はその男の子の背に向って手を伸ばすが、その手を下ろして、重い溜息を吐き、顔を遺影へと向けた。写真に写るその女の子の顔は、彼女がよく見知っている顔であった。その写真を息子も持っているからだ。
 そう、その写真は亡くなってしまった女の子と息子のツーショット。遠足の写真。家のリビングの壁にかけられたコルクボードに貼ってあって、そしてその写真の中の女の子の顔はとても綺麗に微笑んでいるのだが、
 しかしその同じ写真のはずの遺影の中の女の子の顔は、とても悲しそうな顔に彼女には想えた。



 +++


 神社の境内に男の子は一息に走ってきた。
 向ってくる途中、雨に打たれて彼の服はびしょ濡れだ。
 でも彼は心がものすごく罪悪感で痛かったので、そんなのは気にしなかった。ともすれば…いや、絶対にこのままでいれば風邪を引くこと間違いなしであったが、しかし彼は雨に濡れる事を厭わなかった。だって…
「こんなの何でも無い。風邪を引いたって何だよ、そんなの。そうだよ、何だよ、そんなの」
 彼は神社の境内の下を覗き込んだ。するとその途端に猫が飛び出して来た。
 仔猫だ。
 とても小さい仔猫。
 真っ黒の毛並みで、青い瞳をしたかわいらしい仔猫。


『あたしがお母さんで、それでお父さんだね』


 そう言った彼女はもうこの世にはいない。
「おまえが悪いんだ」
 彼は猫掴みで仔猫を持ち上げると、2週間前にその仔猫が入っていたダンボールに詰め込んで、引越しでやるみたいにダンボールの蓋をした。
「おまえが悪いんだ」
 彼はもう一度繰り返した。そうやって彼は自分の決心を揺るがないようにしたのだ。
 そして彼はそのダンボールを両腕で持ち上げて、歩いていく。
 その足取りはもちろん、重い。迷っている。当然だ…
「おまえが悪いんだ。おまえが悪いんだ。おまえが…」
 ―――――彼はその猫を殺すつもりなんだから。



 +++


 授業は古文の授業だった。
 文法の説明を教師は黒板に細かく書いていて、教師が板書したその説明をクラスメイトたちはノートに書き写しているが、しかし日和はシャーペンを持ってはいるが、そのシャーペンを動かしてはいない。彼女はただずっと窓の向こうを見つめている。
 彼女の唇は何かを呟くように動いていて、その唇の動きを見れば、

 仔猫は大丈夫かな?

 と言っているのがわかった。
 日和が仔猫と女の子に会ったのは、四日前だ。
 ――――学校からの帰り道、日和は神社の社へと続く階段の下を歩いていた。
 その日はたまたま学校が教師たちの職員会議で通常よりも早く終わって、それでその神社の前を通りがかったのだが、その神社の階段を赤いランドセルを背負ったひとりの女の子が上っていくのだ。
 それを見て日和は眉根を寄せた。
「どうしよう、ここら辺は最近、痴漢が出るっていう噂なのに…」
 ほんの一瞬迷って、そして日和は女の子の跡を追った。
 そして階段を上り終えて、視界に神社の境内を映して、だけど彼女は小首を傾げた。女の子は社の下を覗き込んでいる。
「あの、スカートが汚れるよ?」
 日和がそう言うと、女の子が日和の方を見た。その顔はもう泣きそうだ。
「どうしよう、猫が居ないの。いつもなら呼んだら来るのに、来ないの」
 その言葉で日和は事態を理解する。要するにこの女の子はここで猫を飼っていたようだ。
 日和は小さく溜息を零し、そして優しい笑みを浮かべて、女の子の頭を撫でてあげた。
「じゃあ、お姉さんも一緒に探してあげる」
 そして仔猫を探しながら日和は彼女から、
 彼女とそして幼馴染みの男の子とで、仔猫のお父さんとお母さんになる事を誓って、
 女の子は体が弱くって、
 だから男の子は女の子の体をいつも気遣っていて、
 だけどそのせいで男の子はクラスの男の子から浮いていて、
 それで女の子は今日はいつも二人で来ているのに、自分ひとりで大丈夫だから、と言って、男の子を置いてきた事を聞いた。
 他にもたくさん。
 男の子の事を。彼にどれだけ感謝しているのかを。
「そっか。だったらちゃんと仔猫を見つけて、ひとりでも大丈夫だよ、って教えてあげないとね」
「うん」
 日和には彼女の気持ちがわかった。日和も彼女と同じような身の境遇だから。だから自分のせいで男の子が浮いているのが耐えられない、自分ががんばらなくっちゃいけない、っていう気持ちは痛いほど理解できて、
 だから同時に日和にはこれもわかった。
「だけど頑張りすぎたらダメだよ?」
 日和がそう言うと、女の子は小首を傾げたが、しかしすぐに頷いた。
 二人して神社を取り囲む林の中を探す。
 そして程なくして仔猫が見つかった。
「よかったー」
 ほっとしたような表情を浮かべる女の子の腕の中で仔猫は「にゃぁー」と鳴いている。
 日和はにこっと笑った。
 しかしそれもそこまでだった。いきなり冷たい雨が降り出した。とても冷たい雨だ。
 傘は二人とも持っていなくって、そして日和は女の子を連れて、社の屋根の下に避難して、
 だけど雨は一行に止む気配は無くって、携帯電話は充電切れで使えなくって、それで日和は女の子を送っていこうとして、でもその女の子の様子がおかしいことに気がついて、
 そうして日和はバックの中から体育のジャージを取り出して、女の子の頭からそれをかけて、女の子を背負った日和は一生懸命走った。女の子の家まで。
 しかし、その次の日の夜に日和の家に電話があったのだ。
 ――――女の子の母親から、娘が亡くなったと。日和に迷惑をかけてすまなかった。家まで連れてきてくれてありがとう、と告げてきたのだ。
 もちろん、日和は泣いて、昨夜の通夜にも出た。
 そしてその日の夜に、見た夢は、

『お姉ちゃん、仔猫と、それと……』

 そこで女の子は消えた。だけど日和には彼女が何を言いたいのかわかっていた。
 ………。
 ぼぉーっと物思いに耽っていると、窓をこんこんと叩く音がして、それで日和の意識は外へと向けられて、そこにはイヅナがいた。



 +++
 

 どうして、あの日、自分は彼女と一緒に神社に行かなかったのだろう?
 自分が仔猫の父親、そして彼女が母親となって、一緒に仔猫を守ろうって、決めたのに。
 でも、彼は仔猫を守るのと同時に彼女も守りたいと想っていた。
 しかしやっぱり彼はまだ子ども。同世代の男の子と遊びたいと想っていた。そしてそこにクラスの男子に箱当てに誘われて、それで彼は彼女から行ってもいいと言われたので行ってしまって………
 ―――――それが間違いだった。
 突然降りだした雨。
 彼は神社に向った。でももうそこには彼女は居なくって、社には仔猫が居て、濡れないように社の下に入れられていた皿には給食に出た小魚の煮干とミルクがあった。
「ああ、もう帰ったんだ」
 彼はそれだけ見て、彼女は雨が降る前に帰っていたのだと、安心して自分の家に帰って、温かい風呂に入って、ココアを飲んで、ゲームをして、そして次の日に彼女を家まで迎えに行って、昨日の夜に雨に濡れて、容態を悪くした彼女がそのまま病院に入院した事を彼女の家の隣人から聞いたのだった。
 もちろん、病院に行こうとしたが、母親に迷惑をかけるだけだと怒られて、学校に行って、そしてその夜に彼女の訃報を知った。
 彼は自分を恨んだ。責めた。
 そしてその感情は………


「おまえが悪いんだ」


 仔猫へと向った。
 彼はその仔猫さえいなければ彼女は死ななかったのだと想った。だからその仔猫を川へと捨てに行った。
 ダンボールに閉じ込められた仔猫はずっと鳴いていた。遊びたがっているのか? それとも自分の運命をわかっているのか?
 彼は鳴き続ける仔猫が入ったダンボールを持ったまま川の前にずっと立っていた。そして雨が降りだした。冷たい雨に打たれながら彼はずっと川を睨んでいた。
「にゃぁー」
 と、ふと、雨が途切れた。だけど雨がやんだわけじゃない。
「傘?」
 彼は頭上を見上げる。そこには美しい空色の傘があった。
 振り返るとそこには女子高生が居た。
「あんたは?」
「初瀬日和よ」
 その名前には覚えはあった。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう」
 彼は、ずっとそう言い続けた。
 その言葉を彼女の代わりに言わなくっちゃいけないって、わかっていたから。
 そして彼は日和に抱きしめられた。
 彼は雨に打たれて、びしょ濡れだったのに、なのに彼女はそれにも構わずに抱きしめてくれて、日和の体の温もりと柔らかみはとても優しくって、
 だから………
「うわぁーーーーーん」
 彼は泣いてしまった。
 みっともないぐらいに感情を剥き出しにて、大声で泣いた。



【ラスト】

 日和はぎゅっと彼を抱きしめた。
 彼がやろうとしていた事は日和にもわかっている。だけどそれを責めるのはあまりにも酷に思えたし、彼はそれをやらなかった。
 だから今、日和が彼にしてあげなくっちゃいけないのは彼をぎゅっと抱きしめる事なんだって、わかっていた。
「悪くはないよ。君は悪くはない」
 日和はそう言ってあげる。
「感謝していたんだよ。彼女は君に。だから君がやるべき事、やらなくっちゃならない事は彼女の分まで仔猫を守る事。お母さんの分まで、お父さんの君が。そうする事が、君と仔猫が笑って、元気一杯に生きる事が何よりもの、彼女へのしてあげられる事だから。ね、がんばろう」
 雨はやむ。
 そして彼は日和から離れて、ダンボールから仔猫を取り出して、彼はぎゅっと仔猫を抱きしめた。
「まずはうちのお母さんを説得する事からがお父さんの役目」
 そう、ぽつりと言った彼に日和はにこりと笑って、それで彼と一緒に夕暮れ時の道を歩き始めた。
 あるいはその日和たちの後ろを見ていたイヅナがふいに空を見上げたのは、きっと………。



 ― fin ―


 ++ ライターより ++

 こんにちは、初瀬日和さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はこのようなお話に。^^
 わりかしと草摩作品では日和さんの内面を描くと同時に彼女の成長を描くのを基本とさせていただいているのですが、今回は日和さんは優しいお母さん、お姉さんという形で大事な人を亡くした男の子を受け止め、包み込み、見守り、背中を押す役目をしていただきました。^^
 確実に成長している日和さんを描けて楽しく思えました。
 また何かを感じていただけますと、嬉しい限りでございます。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 本当にありがとうございました。
 失礼します。