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<東京怪談ノベル(シングル)>


思い出のむこう‥夜色の天使‥

「すっかり遅くなっちゃった。早く帰りまそう」
「ええ、もう真っ暗ね。だんだん寒くなってきたし‥」
 早くなった秋の宵。道路を早足で歩く女子高生達は呟きながら身体を震わせた。
「それに、夜って怖いもの‥。早くお家に帰りたいわ」
「夜が怖い? そうなの?」
 隣を歩く友達の言葉に、その黒髪の少女は足を止め‥目を瞬かせた。
「だって‥暗いし、何が出てくるか解らないし、それに得体が知れないし‥日和さんは怖くないの?」
「えっと‥あれ?」
 立ち止まったまま考え込んでしまう彼女の手はぐい、と強く引かれ引っ張られた。
「もう、日和さん、真剣に悩まない! こんなところにいつまでも立ってたら風邪ひいちゃうって」
「‥くしゅん!」
 ほらほら、そう言って先に進む友達の顔と、手を見返しながら、彼女、初瀬日和はまだ考えていた。

 翌朝。母は娘が脇の下から取り出した体温計を受取って軽く見やる。
「38.2℃ 風邪かしらね。急に寒くなったから仕方ないのでしょうけど‥今日は学校をお休みして寝ておいでなさい」
「‥ごめんなさい」
 額の上の濡れタオルを交換し、首の下の氷枕を代えた母は、娘を見て微笑んだ。
「そんなことは気にしなくて良いの。ゆっくり休むのよ。貴女が元気がないとお兄ちゃんたちが大騒ぎするんだから‥」
 後で、おかゆを持ってくるわ。そう言いながら母はドアを開けて外に出た。
 何やら誰かを叱っているような声。それに答えるのは言い訳するような焦った声達。階段を降りていく4つの足音。
 そして‥静寂がやってきた。
「また‥皆に心配かけちゃった。今日もレッスンがあったのに‥」
 部屋の中にいるのは自分と、それからチェロ。どこか寂しそうなパートナーにごめんね、と口の中で唱えて日和はそっと目を瞑った。
 目を閉じると瞼の裏に広がるのは、小さなプラネタリウム。暗い夜に散らばる星たちを思わせる。
(「そうとう熱が出てるのかしら‥」)
 ふと、彼女は目の前を何かがよぎったような気がした。
 目を閉じていて見えないはずなのに感じた、影が通ったような不思議な感覚。
 でも目を開けてみても、誰も居はしない。
 熱い身体はもう一度、目を閉じて、と訴え日和は希望に答えた。
 静かに横たえた身体と思考の彼方、薄れ行く意識とは反対に、蘇ってくるものがある。
「そういえば‥昔、私‥見たわ。月を横切った‥あの‥」
(「黒くて‥綺麗な‥か‥げ‥」)
 小さく穏やかな寝息だけが聞こえる部屋の扉がほんの少しだけ、開いた。
「日和? 眠ったようね‥お粥は後にしましょうね‥」
 パタン。扉は閉じる。開いた夢の扉の代りに‥

 木から少女が落ちる。小さな小鳥を腕に抱いて。
 少年は、それを捕まえる。黒き翼を広げ宝を抱きしめるように。
『一緒に、行こう!』
『ありがとう!』
 黒き翼が空に羽ばたく。
 二人は空を飛んだ‥。

『ねえ、お兄ちゃん。あのね、天使さんと一緒にお空を飛んだの。黒い翼の天使さんだったんだよ‥』
『日和、何処に行ってたんだ。って顔が赤いぞ!』
『母さん、日和見つけた。熱がある〜』
 誰も嘘だとは言わなかったけど、信じてはくれなかったことがある。
 空を飛ぶ黒い翼の天使の話。
 迷子になった街で、少年と出会い、一緒に空を飛んだのだと。
 でも、家族達はそうか、と笑うだけで誰も、信じてくれなかった。
 本人も、あの頃それが本当のことだったのか、自信が無かったのだ。
 あの後また熱を出し、また倒れ数日眠り続けたらしいから‥。
 目が覚めた後、日和は『彼』を捜した。でも、見つからなかった。
「あれは‥夢だったのかしら‥?」
 二人だけの思い出の日から、ほんの少し大きくなった日和は月を見ながら呟いた。
 部屋の窓から見た月は満月で‥電気を消した部屋でも影を作るほどに十分明るい。
 でも、明るすぎて‥どこか寂しい。
「もう、寝ましょう‥」
 窓のカーテンを開けたまま日和は布団に潜り込んだ。
 月光が部屋を支配し、目を閉じてもその明かりが見える。
 月は夜の支配者‥
「えっ?」
 目の前をさっと影がよぎったように感じて日和は目を開けた。
 部屋の中には誰もいない。だが‥
「うそっ?」
 少年の姿が彼女には見えたのだ。漆黒の‥夜色の翼で銀色の髪に光を弾いて‥
 月さえも従えて彼は空を飛ぶ。そう見えた。
「あ‥さっきは見えたのに‥」
 目を擦り、ほんの数瞬目を瞬かせる。その時もう空には誰の姿も見えなかった。
「夢‥? いいえ、きっと夢じゃない。だって‥あんなに綺麗だったんだもの」
 日和にはあの時出会った少年の姿は、今はもう夢のようなおぼろげな記憶としか残ってはいない。
 だが翼と、笑顔の輝きは瞼の裏に残っている。だから‥
「いつか、会える‥きっと」
 それは確信。理由は解らない。さっき見たものだって夢か幻かもしれない。
 でも‥その日から日和は夜が怖くなくなった。
 何故なら‥

「‥和‥日和‥」
 自分を呼ぶ声、額に触れる手の温もりに日和はゆっくりと目を開けた。
「お母さん‥」
「顔色は、少し良くなったようね‥熱も下がってきたみたい。何か食べる?」
 優しい母の気遣いに日和は小さく首を縦に振った。
 ふと、気がついて身体を起こすと部屋を見回した。自分が眠る前と変わらない‥いや、一つだけ違っているものがある。
「あの‥お花は?」
 ああ、あれね? 母はニッコリと微笑むとそっと耳に囁きかけた。
「学校の帰りに持ってきてくれたのよ。‥彼が」
「えっ? あの‥」
 顔を赤らめる娘に母は嬉しそうに笑った。今度の顔の赤さは熱のせいではないだろうから。
「お兄ちゃんたちに知られたら大変よ。黙っていてあげるから早く治しなさい」
「お母さん!」
 布団を被った日和は頬の火照りを止めるのに、少し時間を必要とした。
 母が部屋から出て階段を下るまで。

 いつの間にか寝すぎたのだろうか。部屋は闇紫に包まれている。
 でも、日和は電気をつけずにじっと、夜空を見つめていた。
 夜は怖くない。大切な物を隠していたことを、いろんな秘密を思いを、しまっている事をもう知っているから。
 ベッドサイドに優しく桔梗の花が揺れる。

「早く治さないと、叱られるわね。きっと」
 もう一度布団を被りなおして、日和は目を閉じた。
 次に目が覚めたとき、母に兄に、そして‥大好きな大切な人におはようと元気に笑いかけられるように。
 
 これは、どこにでもいそうな少女の、どこにもないごく普通の一日。