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<東京怪談ノベル(シングル)>


想い出は雪より白く

 泣き声が聞こえた気がして、静和は閉じたドアの方へ目を向けた。
「お客様にしては遅い時間の訪問ですね……。さて――」
 神聖都学園は夜の帳が下りて、静和が客員教諭用にもらっている部屋もすでに暗い。スタンドだけが白い光を放って、提出されたレポートに目を通している静和の影が揺れていた。
「入ってきたらどうですか? 私は構いませんよ。今ちょうど、急ぎの採点が終わったところですから」
 伊達眼鏡を持ち上げ、やはり閉じたままの木製ドアを見つめた。上部の明かり取りからは、廊下の青白い光がこぼれている。その光が僅かに揺らいで、静和の目の前に女性徒が立った。
 音は無かった。
 扉は開かれなかった。
 つまりは――――。
「私が見えるの……?」
「ええ、もちろんですよ。それより、何か用事があったのでしょう?」 
 半透明な彼女を一瞥して、静和は柔和な笑顔で話を促した。その笑顔にどう返答してよいのか困惑してしまったのは、幽霊である女生徒の方だったようだ。静和はといえば、目の前に現れたのが幽霊だったことよりも、彼女の積哀の表情が気になっていた。誰であれ、救いを求めている者を放っておくことはできない。それが氷女杜静和という人間だった。幾分か語弊が生じるとするなら、彼は今完全な人ではない。妖気を最愛の人から与えられたための半妖体質であった。
「さぁ、遠慮しないで。私の時間なら気にしないでいいですよ。妻には遅くなる旨を連絡済みですから」
 戸惑う青白い肌の女性徒。まだ二十歳にもなっていないくらいだろうか。長い黒髪に、学校指定の制服。彼女が動くたび空気が通り抜けていくかの如く、向こうの景色が揺らめいていた。
 話術が優れているということもあるかもしれないが、静和の物静かで人の心を落ち着かせるような話し方は、彼女の重く閉じていた口を開かせた。
「…寂しかったの……ずっとひとりで。生きている意味がわからなかった。楽しいことも見つからないし、友達もいなかったから」
 誰も必要とせず、そしてまた誰にも必要とされない生き方に疲れ、命を絶ったのだと。彼女は幻の涙を流した。
「貴方はどうして…そんなに楽しそうなの? 大人になって仕事だけしてるなんて楽しくなんてないじゃない……」
「なぜそう思うんですか?」
「だって、お母さんは仕事ばかりで私のことなんてどうでもよかったの。……仕事ばかりして私を置いて死んでしまった。こんなに辛いなら、ずっとひとりでいい…だから」
 目を伏せゆっくりと過去の情景を思い出しながら話す少女。静和は彼女の悲哀に満ちた表情を、忘れることのできぬ記憶のなかに重ね合わせていた。

 ――放っては置けませんね。
   そうでしょう?

 静和は妻の顔を思い浮かべた。今はとても幸せそうに笑っている愛しい人。
「……そうですね。確かに寂しいことはこの世の中にはとても多い。けれど、目を背け新しい世界を見ずにいることはもっと寂しいことなのではないですか?」
「…………分からない…わ」
「では、ひとつお話をしましょう。ずっと昔…けれど、確かにあった出来事ですよ」
 彼女はゆっくりと頷いた。静和は咳払いを軽くすると、目を閉じた。
「寒い雪の降る季節の頃。男は人伝に『恐ろしい雪女郎がいる』と聞きました。人を襲い、死に至らしめるというその妖を見逃すわけにはいかなかった。なぜなら、男は退魔師だったからです。男は雪女郎がいるという山へと登ったのです」
 静和の閉じた瞼の裏に、雪の中で精一杯の虚勢を張る美しい人の姿が浮かんだ。今は違うのだと分かっていても辛いものだった。だからこそ、静和は力強く物語を語り続けた。
「そこにいたのは、永く人との関わりを避け、常にひとりであり続けようとしている少女だった。そう、彼女の持つ優しさを覆い隠していたのは、人々の誤解と理解しようとしない心の在り方だったんですよ。そのことを知った男は少女を支え続けることを誓ったのです」
 話し終わると、静和はゆっくりと笑い女性徒の反応を待った。
「……でも、それはその時だけなんでしょう?」
「いいえ、それは違いますよ」
「なら…、その女の子と男の人は幸せだったの?」
 静和はしっかりと頷いて言った。
「幸福ですよ……今でもね」
 その言葉は彼女の肩を揺らした。その唇から零れ落ちるのは小さな後悔の声。
「生きていたら、私にもそんな人が現われたかしら?」
「ええ、もちろんですよ。きっとこれから出会うはずです、貴方の来世でね」
 彼女の顔に初めて笑顔が浮かんだ。静和の方へと一歩近づき頭を垂れた。
「私、今なら行ける気がするわ。ありがとう」
「いいえ、私は何もしてはいませんよ。ただ、お話しただけ。知って欲しかったのですよ。世界は闇ばかりではないことを」
 互いに微笑み、光が窓から差し込んでくる。それは天上の光。
 彼女の体がその暖かな光に包み込まれた。薄らいでゆく姿。
 最後の一瞬。
「お母さんにごめんねって言わなくちゃ…」
 呟いて、もう一度頭を下げた少女。静和は手を振って答えた。

 完全に光が消えた後、静和は受話器を取り上げた。まだレポートのチェックが残っている。でも、声を聞きたかった。
「……あの時誓いましたからね。永遠に傍にいますよ」
 呼び出し音が途切れ、大切な大切な妻の声が耳に届いた。

□END□

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 大変遅くなり申し訳ありません。ライターの杜野天音です。
 すこし体調を崩し気味だったため、執筆活動が低速になっていました。本当にすみません。
 さて、静和さんの日常は如何でしたでしょうか?
 女性徒の設定を考えるのがちょっと悩みました。どうひとりだったのかが分からなければ、静和も対処しようがないかなぁと。それにしても静和さん大人だわ。さすが160歳だけはある。幽霊もへっちゃらなんて。
 書きながら、奥様への愛情度の高さに当てられた感じ(笑) いつまでもラブラブでいて下さいませ♪

 では、初めてひとりの静和さんを書かせて下さり、ありがとうございました。