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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


尋問はお茶の時間に

 それは、今ではとうに絶版になった写真集だ。ヨーロッパの、美術書ばかりを出版している小さな出版社で出たもので、最初から、好事家向けに少部数しか刷られなかった。
 西ヨーロッパの、あまり有名でない美術館・博物館に収められた、古くて貴重だし、歴史的・美術的に価値はあるのだが、かといって、国宝級というほどでもない骨董品・美術品を写真で紹介しているというものだった。その内容からしてマニアック。日本では、手に入れるのも一苦労だろう。
 けれど、セレスティの屋敷(のひとつ)の所蔵品であれば、ふいに、そんな稀覯本が転がっていても不思議ではない。
「破損もないし……これなら、問題ないですね」
「どうかしましたか、その本が」
 書斎の薔薇を活け変えながら、モーリスが訊ねた。銀色の髪の主人は、
「ええ。マリオンがね。この本を貸して欲しいと電話があったのですよ」
 と、写真集の頁をなでながら言った。
「マリオンが――?」
 モーリスの眉が怪訝な陰をつくったが、庭師はそれ以上はなにも言わなかった。彼の主人とて、暗愚ではない。モーリスが思うところがあったとしても、求められるまで余計な口出しは無用というものだった。
「これはなかなか珍しい品物の――現物が失われて写真しか残っていないものも紹介されていますしね。マリオンも研究熱心ですから」
「…………」
 花の活け変えが終わったモーリスは、それ以上何も言わずに書斎を辞した。
 入れ替わりに、その扉を開けてあらわれたのが、噂の人物であった。
「これですよ、これ。セレス様がお持ちなのは知ってたんですけど、どこにあったかまでわからなくて……助かりました、ローマの図書館に問い合わせてたのですけど、なかなか返事をくれなくて」
「まあ、落ち着きなさい、マリオン」
 優雅に、手をあげてたしなめると、セレスティは来訪者をソファに促した。
 マリオン・バーガンディは、一見、英国貴族の子弟――ケンブリッジあたりの全寮制のパブリックスクールにでも通っていそうな――を思わせる、華奢な体躯に小奇麗な身なりをした少年であった。もっとも、幼く見えるのはその外見だけで、実際には、庭師のモーリスと同じ長生者である。通常の人間の何倍もの寿命を生き、その永い時間もって、セレスティとリンスター財閥に仕えているのである。
「おまえはせっかちだからいけない。随分、早かったけれど、“直接”、来たのですね?」
 そのことは、マリオンが執事に案内されもせず、ひとりでドアから飛び込んできたことでわかる。異なる、離れた空間をつなげることができるのがマリオンの力。大方、自宅とこの書斎のドアをつなげて、文字通り、ドア・トゥ・ドアでやって来たに違いないのだ。
「すいません、セレス様。うれしくてつい」
 言われるままにソファに腰を降ろしてみたものの、うずうずしている気配が伝わってくる。セレスティはかるくため息をついた。まったく好奇心に突き動かされるばかりの少年そのものだった。実際には300年近くも生きているというのに……。
「さあ、こちらでしょう?」
「ああ、ありがとうございます!」
「マリオンの頼みですからね」
 これでもマリオンは一流のキュレーターとしてのキャリアを持ち、絵画修復の技術も身につけている。深い芸術の知識を買われて、リンスター財閥が所有する膨大な美術品の管理を任されているのである。
「本当にありがとうございました。すぐにお返ししますから」
 マリオンは、大事そうに本を抱えると、あわただしく出て行った。
 やれやれ、と、セレスティは苦笑するしかない。

 そんなことがあったのが、二、三日前のことだ。
 約束通り、マリオンは本を返しにきた。
「もういいのですか。別に急ぎませんよ」
「いいんです。用は済みましたので」
「用……?」
「あ、いえ、だからその――必要な頁は複写をとらせてもらいましたし……」
 セレスティの繊細な指が、頁をあらためるように捲った。
 そのとき、マリオンの猫属を思わせる金の瞳が落ち着きなく宙をさまよったのを、リンスター財閥の総帥が、見逃すはずはなかった。

 その夜のこと――。
「その本……マリオンが借りていったやつですね。もう返しにきたんですか」
 セレスティのナイトキャップに付き合いながら、モーリスが、その本に目を止めていった。
「ええ、そうなんです」
 思い出したように、セレスティは再び頁を繰った。
「……」
 モーリスの目が語っていることを嫌と言うほどわかって、セレスティはくすっ、と、笑いを漏らした。
「…………あ」
 小さく、声をあげる。
 そう――、実のところ、昼間、簡単にあらためたおりも、セレスティの目はどこか違和感を感じていたのである。
「モーリス。どう思います」
 セレスティは、ある頁の写真を示して問うた。
「…………」
 ブランデーを口に含みつつ、検分するように、とくと、モーリスの緑の瞳がそれを見つめた。
 それは19世紀の終わりにミラノのさる名家の令嬢が所有していたというラリエットの写真だった。
「どことなく――」
 モーリスは言った。
「アンバランスではないですか」
「そう」
 セレスティは写真の上に指を置く。
「この部分には、宝石が四つ並んでいたと思います。首からかけたとき、左右にふたつずつくるような感じでですね」
「石が三つしかない。ひとつ足りませんよ…………、あ」
 思い当たって、モーリスが口を開けた。セレスティが微笑む。
「明日のお茶に、マリオンを呼びましょう」

 そして。
 冬でも花の愛でられる、温室庭園の中のあずまやで、セレスティとモーリス、マリオンが円卓についている。
「ところでマリオン」
 薔薇の香りの紅茶を一口。唇を湿らせながらセレスティが口火を切った。
「このあいだの写真集ですけれど」
「え」
 三段スタンドに手を伸ばし、盛られた焼き立てのスコーンを取ろうとしていたマリオンの手が、思わず、静止する。
「マリオンのことですから、またなにか、興味深いテーマを見つけたのでしょうね。そのための資料だったのでしょう? 今日はその話を聞かせてくれませんか」
 今は言語学の研究をしているマリオンだったが、キュレーターとして活躍していた頃、美術に関する論文もものしていた彼なのである。
「あ……、でも――、そんなに、面白いお話ができるわけじゃ……」
「わたしも是非、聞きたいですね」
 横合いからサンドイッチをつまみながら、しれっと、モーリスが言った。
「そう……ですか……ええと――」
 マリオンはスコーンにクロテッドクリームを塗りながら、言い淀む。
「そうそう、あの後あらためて、じっくりとこの本を見てみたのですけれど」
「…………」
「ご覧なさい、このラリエット――」
 どこからか、本を取り出して(最初から用意されていたのだ。……この時に至って、マリオンは自分が罠にはめられたことを悟りはじめた)、件の見開きを開く。
「おやおや」
 モーリスがわざとらしく高い声を出した。
「なんだかアンバランスな……変わったデザインですねえ」
「あー、もう!」
 子どものように、マリオンは叫んだ。
「わかりましたよ! もう! 私が悪かったです!」
「マリオン」
 たしなめるように、セレスティは言った。
「いくら写真の中のものとはいえ、勝手に持ち出しては泥棒ですよ」
 異なる空間を飛び越えるマリオンの能力は、写真や絵画といった仮想の空間にも及ぶ。ゆえに、その向こう側から、物を取り出すことさえ、彼には可能だったのだ。
「すいません、セレス様……」
 しゅん、と、うつむく。
「実は…………最近、フランスの古物商から古いゴブレットを手に入れて……」
 ぽつぽつと、彼は語り始めた。
「もとは宝石がついていたらしいのですけれど、今は失われていたんです。でも調べていくうちに、それは昔、ミラノの貴族がその宝石を気に入って取り外してしまったからだって――その貴族は、宝石を自分の首飾りにしてしまった、って……」
「それがこれだったんですね」
「その話を知って、どうしても、ゴブレットを完全な形に復元したくなってしまって……それで、その写真がこの本に載っていたのを思い出して、つい、拝借してしまったんです。ご免なさい、セレス様」
「しようのない子ですね」
 セレスティは困ったような微笑を浮かべた。
「美術品のこととなると見境がなくなる」
「でもセレス様。やっぱり、石を入れるととても素敵なんです。セレス様にもお目にかけます。本当にすごく――」
「マリオン」
 モーリスが釘を刺し、セレスティは、
「宝石は戻しなさい、マリオン」
 と、きっぱりと告げた。
「……はぁい」
「けれど……そんなに、そのゴブレットを元通りにしたかったのなら、モーリスに頼めばよかったではないですか」
 《調和者》たるモーリスならば、物をそれがあるがままの姿に還すことができる。もとあった宝石が失われた美術品ならば、それを復元できるはずだった。
「そんなの、とんでもない!」
 マリオンは、叱られたことも忘れて、ぷうっ、と、頬を膨らませ気味に言った。
「だって。モーリスさんにお願いなんかしたら、その代償を要求されてしまうでしょ?」
「マリオン、それは……」
「私はモーリスさんとは違って、そんなに軽々しく誰とでも――」
「ちょっと待て。私がいつ、おまえを!」
 たまらずに、セレスティが噴き出す。
 思わぬところで藪蛇になったモーリスが憮然とした表情で、ケーキにフォークを入れた。
「でも、ただでお願いなんてきいてくれないでしょう?」
「それとこれとは……」
「花から花へ――。移り気に浮き名を流すのもほどほどにしないといけませんね、モーリス」
「私のことはどうでもいいじゃありませんか。今はマリオンの……」
 とはいえ。モーリスが素直にマリオンに手を貸してくれる気質であれば、マリオンも、こんな盗みをはたらくような真似をしなかったかもしれないのも、事実なのだ……。
 そんなふたりを眺めながら、セレスティは、ぱたん、と、写真集の表紙を閉じる。
 時ならぬ、写真の中の宝石紛失事件は、ひとまず一件落着のようだった。

(了)