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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


『 帰れないトランク 』

 こんなんありました。 不気味な泡【2004年/10/12 8:29:21】〔返信〕〔削除〕


 こんにちは。今日はこんな噂話を聞いてきました。
 えっと皆さんは、どこかで大きな空色のトランクを持った旅行者を見た事はありませんか?
 え、空港とかに行けば嫌でも見られるって?
 いえいえ、そういうのじゃなくって、空色のトランクを持ったものすごく不幸そうな…いかにもああ、私はどうしてこんな場所にいるの???って戸惑っている旅行者です。(笑顔)
 そう、そのトランクはそういうモノなんです。
 その空色のトランクを持っている人は絶対に旅行から帰れないのです。正確的には家には帰れない?
 家へ戻ろうとすると、絶対に何かのトラブルに見舞われて、帰れないって。
 もしもどこかで空色のトランクを持った疲れた旅行者さんを見たら、その空色のトランク、受け取ってあげたらどうですか?
 ものすごく楽しい旅行ができるかもしれませんよ?(笑い)
 ではでは。(^^)



 +++



「よし、と」
 シュライン・エマはペパーミント色の封筒の封をノリできっちりと貼り付けると、それに切手を貼り付けた。
 そしてちらりと横目で草間零を見て、口元で微笑む。
 椅子から立ち上がって、その封筒を手提げ鞄の中に入れると、彼女はデスクに座って調査資料を読んでいる草間武彦を見て、笑顔で言う。
「武彦さん、ちょっと出かけてくるわね」
「ああ。気をつけてな。強盗がまだ逃亡中だそうだから」
「ええ」
 シュラインを送り出す武彦の声が楽しげな響きを含んでいたのは彼が彼女がしていた事を知っていたからだろう。
 それはほんの数十分前の事だった。
 シュラインと零とでしていたお喋りの内容がハロウィンへと及んで、それでシュラインが日本育ちではあるが子どもの頃にはよくハロウィンパーティーをやったものだと子どもの頃の想い出話をしたら、それに零がとても羨ましそうな表情をして、なるほど、零も女の子。聞き慣れぬハロウィンにも興味を持つだろうし、それに女の子ならパーティーにだって憧れる。
 ハロウィンは日本でも多少は知られてはいるが、しかしハロウィンパーティーを日本人がそうはやる事は無い。目を輝かせた彼女にシュラインと武彦は同時に目を合わせあって、そしてこれまた同時にくすりと笑った。
 それでアイコンタクトは完了。
 興信所の雑務処理は来てすぐにさくさくと済ませてしまってあるので、シュラインはその作業に集中できた。デスクの引き出しに入っていた色取り取りの水性ペンで、紙にハロウィンパーティーの招待状をかわいく書き上げたのだ。
 それを綺麗に折って、零の名前を書いた封筒に入れて、封を閉じた。
 その招待状をもらって顔を綻ばせる零を想像するだけでシュラインの顔も綻んでしまう。
「さてと、今日は帰りにショップに寄って部屋の飾りつけの道具と、それとパーティー用のお料理の材料も買わなくっちゃね。あとはお菓子か。お菓子は手作りのクッキーにしようかしら」
 シュライン・エマは郵便ポスト目指して、にこにことしながら歩いていた。
 まさか、自分が雫のHPで見たあの記事の怪現象に巻き込まれるとも知らないで…。



 ――――――――――――――――――
【Begin Story】
【T】


 季節は秋ももう終わり。
 10月最後の週。10月28日。今日、この封筒をポストに入れておけば、明日の午後には零の所にこの封筒が届くはずだ。
 街中の大通り、行き交う人々の流れに混じってシュラインはポストを目指して歩いている。
 と、その人込みの中で彼女はちょっと不思議な光景を見た。
 時刻はお昼前。人の出が多い時間帯。通りはいつものように人で溢れかえっている。違う点と言えば、何台ものパトカーが走り回っているという事だけ。でもシュラインの視線の先にはぽつーんと出来上がったそのエアーポケットもいつもとは違う光景であった。
 そしてそのエアーポケットの真ん中にいるのはなんだか疲れきってぼろぼろの旅行者。
 つまり通りを行く人々は、その旅行者を避けているのであって、だからエアーポケットが発生して、
 だけどシュラインは、
「ふぅー。やれやれね」
 周りを見据えながら溜息を零して、旅行者へと近寄っていった。
 明らかにあの旅行者は困り果てている、という風だ。放っておく事はできはしない。
 だからシュラインはその旅行者に話し掛けた。
「ちょっと、あなた、大丈夫? 何か困っている事があるのなら、手助けするわよ?」
 シュラインがそう言い終わるのが早いか、その旅行者は目を輝かせた。
「あ、あの、はい、困ってます。非常にあたし、困っているんです。あの、すみません。手助けしてくれるって、言いましたよね???」
「え、あ、ええ」
 何だか鬼気迫るようなその旅行者の様子に若干気圧されながら、シュラインはこくこくと頷いた。
 すると旅行者はぱぁーっと顔を輝かせて、それで、
「あの、このトランクを受け取ってください!!!」
「へぇ?」
 もちろん、シュラインは両目を丸くする。言ってる意味がわからない。あまりにもそれは唐突すぎて。
 そう、それはあまりにも唐突すぎて、だから彼女はつい考え無しにそのトランクを、
「え、ええ」
 と、受け取ってしまった。
 そしてその旅行者はそれからがものすごく早かった。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます」
 ぺこぺこと頭を下げると、旅行者はダッシュで残りの荷物を抱え上げて、シュラインをその場に置き去りにして、走り去ってしまったのだ。
 シュラインは茫然とし、そして次に自分に渡されたトランクに視線を送った。
「…どうしましょう、これ? うーん………」
 しかも中身はまだ入っている。
「トランクを受け取れと言われても、ねー」
 トランクの中身はそれに入っているのか悩むところだし、それについ、このトランクを受け取ってしまったが、やはり自分がこれを受け取る訳にもいかず…
「まあ、警察に持って行きましょうか?」
 肩を竦めながらシュラインは溜息混じりに言った。きっと落し物扱いで警察が保管してくれるはずだ。中にはあの旅行者の身元を証明する物が入っているであろうし。
 シュラインが向おうとしていたポストとは違う方向にある交番を目指して、彼女は歩き始めた。
「それにしても…」
 それにしても何かが引っかかる。
 彼女は小首を傾げた。何となくこの空色のトランクに覚えがあるような……
「何だったかしら?」
 ――――どうしても思い出せない。
 シュラインがきっちりと整理された記憶の棚から空色のトランクについての記憶を見つけ出し、引っ張り出そうとする作業に取り掛かろうとした時、しかしそれは聞こえてきた。
「誰かぁー、助けてくださいでしぃーーーーー」
 それはものすごく非常に切羽詰ったような声で、交番に向っていたシュラインの足を止めさせるには充分であった。
 シュラインは顔をきょろきょろとさせる。しかしそこには誰もいない。
 いないはずだ。
 だが………
「お願いでし、助けてくださいでしぃ」
 と、ふいに自分の服の袖が引っ張られる。
「ん?」
 シュラインが引っ張られる服の袖に視線をやると、そこには…
「虫?」
「ち、違うでし。わたしは…あー、違うでし。今はこんな事を言ってる暇は無いでし。来て下さいでし」
 どうやらそれは妖精のようだ。シュラインは小首を傾げた。この妖精は何やら非常に切羽詰っているようだが、しかし何をそんなに切羽詰っているのであろう?
「どうしたの?」
「あー、うー、生まれそうなんでし」
「へぇ?」
「あっちで、妊婦さんが苦しんでるんでし。生まれそうって言ってるんでし」
 涙目でそう言う妖精にシュラインは一瞬茫然とし、そして転瞬後に、
「案内して」
 ありったけの冷静さを慌てそうになる意識にぶち込んで、彼女は妖精に案内をさせた。交番からも離れていくが、しかし今はそんな事を言ってる場合ではない!!!
 シュラインと妖精があった道から西に500メートルほど行って、交差点を左に曲がった所でひとりの妊婦が蹲って、両手でお腹を押さえていた。
「大丈夫ですか?」
 シュラインは彼女に走り寄って、冷静な声でそう言った。自分までもが慌てた声を出せば、彼女を余計に慌てさせ、不安にさせるだけだ。慌てふためくのはこの小さな妖精だけでいい。
「あ、はい、いえ、すごく痛い。産まれそうです」
 妊婦はにこりと汗びっしょりとかいた顔に笑みを浮かべた。
 シュラインはわずかに目を見開いて、そしてにこりと微笑む。
「がんばって。私があなたをちゃんと病院に連れて行くから。任せてちょうだい」
「はい、お願い…します」
 痛みに時折声を詰まらせながらも、そう言って、微笑む彼女のその笑みをシュラインは綺麗な笑みだと想った。
 とても強く、綺麗な、母親の笑み。
 ――――汗が浮かんだ顔に浮かぶのは痛みに耐えながら浮かべる笑みなのだけど、でもそれは本当にどのような笑みにもまして綺麗な。
「いえ、それでもこれ以上に綺麗な笑みはあるわよね」
 シュラインは彼女のバックを右手にかけて、それで両手で妊婦を支えながら歩き始めた。トランクは妖精が引っ張っている。
「病院はどこ?」
「藤丘産婦人科です」
「わかったわ。すぐに着くから、がんばってね」
 ―――――そして綺麗な微笑みを浮かべましょうね。産まれて来てくれた子どもに向って、ありがとう、って。
 シュラインは彼女を支え、そしてずっと彼女に励ましの言葉を贈り続けた。
 妊婦も彼女の言葉に反応し続け、それが気を紛らわせてくれたのだろう。なんとか大通りに出る事が出来た。
 そこでシュラインは手をあげてタクシーを止めさせて、そしてタクシーに妊婦と妖精と一緒に乗り込んで、そのまま病院に向った。
 妊婦はシュラインの手を握って、何度も何度も何度も「ありがとうございます」と言い続けて、そしてそんな彼女にシュラインは優しく微笑むのであった。
「私は何もしていないわ」



 +++


 妊婦が分娩室に入っている間にシュラインは彼女の夫に連絡を取り、そして腕組をして右足をぱたぱたとさせながら分娩室の前で妖精と、夫の到着はまだか? 子どもはまだか? などと落ち着かない時間を過ごしていた。
「あ、あなたがシュラインさんですか?」
 と、そこにようやく夫が来て、彼は両手でシュラインの右手を握って、ぺこぺこと頭を下げた。
「本当にありがとうございます。ありがとうございます。あなたが通りかかってくれなかったら、妻と子どもは」
 そんな彼にシュラインは顔を横に振って、
「だから私は何もしていないわ。それにあなたの奥さんを一番最初に見つけてくれたのはこの娘だしね」
 シュラインの柔らかな視線の先でスノードロップの花の妖精は照れたように頭を掻いていた。
 そして………
「おぎゃぁー。おぎゃぁー」
 分娩室から産まれて来た事を喜ぶ命の歌があがった。



 ――――――――――――――――――
【U】


「さてと、これでようやく警察に行けるわね」
 病院を出て、シュラインはうーんと両手の先を青い空に向けて伸びをしながら言った。
「はわぁ。シュラインさん、何か悪い事をしたんでしかぁ?」
 大仰なぐらいの仕草で後ろに後ずさりながらそう驚いた声を出したスノードロップにシュラインは苦笑を浮かべる。
「ちょっと、スノーちゃん。違うわよ」
 シュラインは肩を竦める。
「このトランクをね、落し物として交番に渡そうと想ってね」
「ほほぅ、そうなんでしか」
 こくこくと頷いているこの妖精は本当にわかっているのであろうか? シュラインは苦笑を浮かべながらやれやれと溜息を吐いた。
「と、それにしてもこのトランク…」
 ――――やっぱり、知ってる気がするのよね………。
「何だったかしら?」
 シュラインは小首を傾げる。
 その彼女にスノードロップは能天気な声で問い掛ける。
「でもここから交番までは遠いでしよ?」
 そしてそれでシュラインも思考を中断してしまい、肩を竦める。
「そうなのよね」
 ここから元いた場所までは8キロぐらいか? 交番に行くならば9キロはあるだろう。歩けない距離ではないが、意外にこのトランクが重いのだ。
「………ふぅー。やれやれね。しょうがない。タクシーを使うか。スノーちゃんも乗っていく?」
「はいでし」
 ちょうどそこにタイミングよくタクシーがお客を乗せてやって来た。その客と入れ替わりでシュラインとスノードロップがタクシーに乗り込む。
 と、
「わわ、何でしか、あなたは?」
 スノードロップが声をあげたのは突然、男がタクシーに乗り込んできたからだ。
 そして男はシュラインたちに抗う暇も与えずにタクシーのドアを閉めて、シュラインに拳銃を突きつけた。冷たく光る鉄の煌きは偽物には思えない。
 強盗と拳銃の銃口とを見比べながらシュラインは大きく溜息を吐き、そしてこんな状況なのに、しかしこの状況とはまったく関係の無い事をがたがたと震えるスノードロップに訊いた。
「ねえ、スノーちゃんにはこのトランクの色は何色に見えて?」
 と、おもむろにそんな事を訊かれて、それでスノードロップはこう答えた。
「そ、空色でし」
「やっぱり、そうよね。はぁー、困ったわ」
 と、銃を突きつけられているのに顔に片手をあてて、また大きく溜息を吐いた。
 強盗は苛立ったように怒鳴り声をあげる。
「こぉらぁ、勝手に喋るんじゃねーぇ。あんたらには悪いが人質になってもらうぜ。まあ、運が悪かったと想って、諦めるんだな」
 などと凄みを利かせた声で言う。
 しかしそれにシュラインは、もう一方の手を横に振って、こう答えた。
「いえ、別にあんたに会って運が悪い訳じゃないわ。運が悪いというのは、あの件のトランクを受け取ってしまったから、だから運が悪いと言うのよ」
 シュラインは肩を竦める。
 そう、彼女は思い出した。あのトランクの事をどうして見知っていたような気がしていたのかを。
(そうよね。このトランクって雫ちゃんのHPで見た、あのトランクなのよね。だから…)
 ――――だから交番に行こうとしたら病院に行ってしまって、病院から交番に行こうとしたら、このように件の強盗に遭遇してしまう。
「なるほどね。噂以上じゃない」
 そりゃあ、あの旅行者もシュラインに押し付けると同時に逃げ出すわけだ。
「やれやれね」
 顔を片手で覆って座席シートに脱力したようにもたれかかるシュラインに強盗は呆気に取られたような顔をするが、すぐに顔を横に振って、それで強盗はシュラインに銃を突きつけながらタクシーの運転手を脅した。
「もしもてめえが妙な行動のひとつでもしてみろ。その途端にこの客の頭がトマトのように弾けるぜ。そうなればあんたも血を頭から浴びて、そしてそうなったらこの姉ちゃんを殺したのはてめえって事だ。なあ、姉ちゃんももしもそうなったら毎晩、このタクシーの運ちゃんの枕元に立つよな」
 滅茶苦茶な強盗の言い分にシュラインは溜息を吐いた。
 しかし運転手には効果は絶大であったようで、彼はひぃーっと悲鳴をあげると、車のアクセルを踏んだ。
「それでどこに向えばいいのでしょうか?」
「ちぃ。知るかよ。とにかく警察の居ない場所に行きやがれ」
「わ、わかりました」
 そしてタクシーは発進した。
 シュラインは横目で強盗を見据えながら、肩を竦めた。
「さてと、どうしたものか…」
 スノードロップは服のポケットに入れて、シュラインは小首を傾げる。そしてその彼女が溜息を吐いたのはバックミラーにパトカーが映ったからか。
「な、警察だとぉ!!! 冗談じゃない!!!! もっとスピードを上げろォ」
 声を荒げる強盗。
 だが、その強盗にシュラインはまた肩を竦めた。
「馬鹿。あのパトカーはただの巡回中のパトカーよ。だからスピードを上げちゃダメ。上げたらスピード違反で追い掛け回される事になって、あっという間に周りをパトカーに取り囲まれるわよ?」
 クールにそう指摘されて、強盗はうぅっと言葉を詰まらせた。そしてシュラインは、
「まあ、しばらくの間、大人しくしていない? 拳銃を突きつけられているんだから、私にも運転手さんにも逃げようは無いでしょう?」
 にこりと笑って、それで彼女はトランクを開けて、中にちょうどあったコートを取り出して、それで強盗を隠した。
「寝てるふりをして。さあ、早く」
 強盗はそう言われて、素直にそれを聞いた。もちろん、コートの下から拳銃の銃口をシュラインに向けている。
 しかしシュラインは構わずに的確に運転手にも指示を出す。
「あなたはウインカーを出して車を止めて」
「は、はい」
 タクシーは左に車を止める。パトカーはその車の横を通り過ぎていった。
「ふぅー」
 強盗は重い溜息を吐いた。
 そしてシュラインに視線を送って、不貞腐れたような声を出す。
「悪かったな、あんた。助かったよ」
「ええ。こっちも死にたくはないからね」
 おどけた仕草で肩を竦めながら笑ったシュラインに強盗も苦笑した。
「それでこれからどうするの? 警察のこの封鎖網を突破するなんて無理よ?」
 ――――ってか、私と…このトランクと一緒に居たら、どんなトラブルに見舞われるかわかったものじゃないしね。
 と想ったところで、シュラインはふと想った。
(もしかして、このトランクにも行きたい場所があって、それでその行きたい場所と方向が違って、だからトラブルを起こして方向転換させるとか。だったら…)
 ――――トランクの行きたい場所に行けばいい?
 シュラインは小首を傾げる。
「まあ、気を長くして行くしかないわね」
「そうだな。警察の隙をつくには気を長くしていくしかねーよ。あんたらには付き合ってもらうぜ」
 強盗は勘違いしたようだったがシュラインはあえて何も言わなかった。
 そしてタクシーは動き出す。とりあえず客を乗せているタクシーが動いていないのはおかしいという事で。
「それにしても前々から想っていたのだけど、タクシーの運転手さんも大変よね。日本のタクシーも外国のタクシーのように強化プラスチックで運転席を取り囲むべきよね」
 シュラインは溜息混じりで言う。これは外国ならばもはや常識で、外国旅行者なんかは日本のタクシーを見て驚くという。
「上には言ってますよ。何とかしてくれってね。だけど経費の問題で、なかなか。国土交通省に言っても無駄だし」
「大変ね」
 強盗は苦笑を浮かべながら、助手席に置かれたノートを手に取った。
「これは詩?」
 シュラインもそのノートを覗き込む。
「へぇー、綺麗な詩ね。これは歌詞よね?」
 彼女がそう訊くと、運転手は照れたように頭を掻いた。
「夢なんですよ、メジャーデビュー。仲間と一緒に東京に出てきて、それで活動してるんです」
「へぇー、凄いじゃない」
 シュラインは胸の前で手を合わせてにこりと微笑んだ。
「や、まあ」
 バックミラーに映る彼の顔にははにかんだ笑みが浮かんだが、しかしすぐに暗い表情へと変わる。
「だけど今回のこの歌で賞が取れなかったら、そしたら諦めるつもりなんです」
「あら、どうして? この歌詞は素敵だわ。とても。心に染み渡る感動がある」
「ありがとうございます。だけど決めた事だから」
 車を運転しながら運転手は顔を横に振った。
 そしたらその運転手の座席シートを強盗が後ろから蹴った。タクシーが大きく揺れる。
「あうし」
 ポケットの中で寝ていたスノードロップが何か声をあげたが、それはほかっといても平気だろう。
 シュラインは強盗に視線をやり、そしてタクシーの運転手もブレーキを踏んで、強盗を見た。強盗は舌打ちをする。
「けぇ。あんたがあんまりにもわかったような事を言うからむかついたんだよ」
「どうして?」
 シュラインは小首を傾げる。
「俺にだって、夢はあったよ。俺の夢はプロボクシングのチャンピョンになる事だった。いいところまで行ったんだぜ。剃刀ジンってよ。けど、ある日、酔っ払いに絡まれていた姉ちゃんを助けようとして、それでその酔っ払いに今度は俺が絡まれて、それでその時に俺は親指を噛み千切られて、ボクサー生命を絶たれちまった。だからよ、この兄ちゃんの言いようが気に入らなかったんだ。わかったふりして、夢を捨てようとする。しがみつきようはいくらでもあるっていうのによ」
「それからどうしたの?」
「堕ちてったよ。喧嘩して、ヤクザの事務所に入って、馬鹿な事をたくさんして、そして…」
「そして?」
「はっ、この様よ。……………俺にだってボクシングにしがみつきようはいくらでもあったのにな。けど、あの時の俺は若すぎたし、それに突然に夢を奪われたショックはでかすぎた」
「ねぇ、気になったんだけど、どうして強盗なんか? ヤクザの上納金、って事ででもないんでしょう?」
 シュラインがそう訊くと、強盗はけらけらと笑って、拳銃を収めた。
 そして大きく溜息を零す。
「こんな俺でもさ、いいって言ってくれる女が居るんだよ。そいつは俺の為に泣いてくれて、それで俺は悪くはないって言ってくれて」
 訥々と語る彼にシュラインは静かな声で問う。
「なら、あなたはどうして強盗なんかしたの?」
「彼女は父親がした借金が元で、うちの事務所の親分の愛人にされたんだよ。それで、彼女を自由にしたかったら俺に彼女の借金をチャラにする代わりに殺しをしろとさ」
「はい?」
「だから、強盗ってのは殺しをカモフラージュするためのものさ。本当の目的は殺しだったんだよ。事務所と付き合いのあるお偉い政治屋さんをスキャンダルから守るためにな」
「はぁー、やれやれ。最悪ね。それで彼女は?」
 シュラインのその問いに彼は顔をしかめる。
「だからあなたはつまり、その政治屋さんにとって知ってはいけない事を知ってしまったのでしょう? それならあなたと彼女の身が危ないんじゃないの?」
 だが、その問いに彼は顔を横に振った。
「それは心配無い。彼女は逃がして、彼女の無事を確認して、それで俺は殺ったんだ。一応は信頼されていたらしい。要するに彼女と俺の事は極道なりのけじめって事だったのさ」
「やれやれね」
 シュラインは顔を横に振った。
「皆、色々ね」
 シートにもたれながら彼女は溜息を吐いた。
 そしてトランクに視線を落として、にこりと微笑む。
「それであんたにはどんなドラマがあるのかしらね?」
 強盗と運転手は顔を見合わせるが、シュラインは構わない。
「ねえ、あんたはどこに行きたいの?」
 そうシュラインが続けると、


 かぱぁ、


 と、突然、トランクが勝手に開いた。
 そしてそのトランクの内側のシートがいきなり剥がれて、そこに挟まれていたのであろう写真がひらりと落ちてくる。
「写真?」
 シュラインはそれを手に取った。その裏側には、写真が取られた日の日付と文章が書かれていた。
 取られた日付は昭和51年 11月27日。
 写真に写っているのはひとりの若い女性とおそらくはその彼女の生まれたばかりの子ども。
 文章はなんだか悪い気がしたので読まなかった。
「ひょっとしたらこれがこのトランクの理由なのでは?」
 シュラインから話を聞いた運転手が言う。
 強盗も頷いた。
「だろうな。だけどよ、これはどこだ? この写真だけじゃ、トランクを行きたい場所に連れて行くのは無理だぜ」
 しかしシュラインは溜息を吐いた。
「知ってるわ」
「え?」
 シュラインは運転手に地名を言った。そして不思議がる二人に説明する。
「この写真に写っている花は希少種で、ここにしか咲いてはいないのよ」



 ――――――――――――――――――
【V】


 そこは海沿いにある小さな町だった。
 対岸には遊園地の観覧車も見える。
 そんな町にタクシーは停まった。
 そう、警察の包囲網をなぜかタクシーは抜け出て、ここまで無事に来れたのだ。
「綺麗な町ね。潮風が気持ちいいわ」
 シュラインたちはタクシーから降りた。
「だけどこの町に来たのはいいけど、それでどうするんです?」
「そうだよな。あのトランクはここに来れて、それで満足したのかもしれないし」
「とにかくこの写真の人を探しましょうか?」
 シュラインはいちいち写真を人に見せて回るつもりだった。そういう作業には慣れている。だけどそんな事をしなくっても済んだ。
 シュラインは顔を綻ばせる。そして顔を綻ばせたシュラインの視線の先に居た彼女も小首を傾げながらも、その顔に微笑みを浮かべた。
「こんにちは」
 シュラインは穏やかに声をかけた。
「ええ、こんにちは」
 そして彼女も声を返す。
「えっと、どこかで会った事がありましたっけ?」
「いえ、会うのは初めて。だけど私はあなたを知ってるの。昔のあなたを、ね」
「え?」
 不思議がる彼女にシュラインは一枚の写真を渡した。
「あ、これは…あたし? や、お母さん?」
 そう呟いた彼女にシュラインは頷いた。
「そう、あなたのお母さんと生まれたばかりの頃のあなたね」
 シュラインがそれに気付けたのは、写真と同じ花の前で、成長した写真の中の彼女も母親と同じように自分の子どもを抱いていたから。写真に写る母親とそっくりの姿形、優しく温かい笑みを浮かべながら。



 +++


「あたしの父のトランクです、それ」
 彼女は懐かしそうに言った。
「だけどそれがどうして?」
「父はカメラマンになるのが夢で、でも母と結婚するためにはその夢を諦めて漁師にならないといけなかったんです。父は母の為にその夢を一回は諦めたのですが、でも母が言ったんだそうです。父に夢を諦めないで、って。それであたしが4歳の時に父は夢を叶えるためにこの空色のトランクとカメラを持って、この町を出て行きました。いつか立派なカメラマンになって、あたしと母を迎えに来るから、って言い残して。でも父はそれからすぐに事故で…」
 彼女はぽつりとそう言って、一滴の涙を流した。
 シュラインはその涙をハンカチで拭ってやった。
「きっと届けたかったのでしょうね、自分の気持ちをあなたに」
「はい。この空色のトランクにはあたしたち家族が幸せだった頃の思い出がいっぱい詰まっていますから」
「そう。それであなたは今、あなたの家族と幸せに暮しているのね?」
「はい」
 彼女はにこりととても綺麗に微笑んで、そしてその母親の笑みが嬉しいのか、彼女の腕の中の子どもも嬉しそうに笑って、シュラインと彼女は一緒に顔を見合わせてくすくすと笑った。



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


「さてと、これでようやく帰れるわね」
 シュラインは背伸びをした。
 そして強盗を見る。
「ねえ、あんたはこれからどうするの?」
「お、俺は…」
「あんたのために彼女は泣いてくれたんでしょう? そういう彼女なら、きっとあんたをずっと待っててくれると想うわよ」
「………そうだな。うん、そうだ。どのみちこの手は二人の血で汚れてるし、腐る程悪い事もした。だからせめてそれを拭えずとも、少しでも綺麗な手で…俺もあいつと自分の子どもを抱き上げたいもんな」
「そうね」
 シュラインはこくりと頷いた。
 そして強盗はこの犯罪などひとつも起こらない平和な田舎町の警察官に手柄のひとつでもあげさせてやるんだと笑いながら交番へと自首していった。
「それであんたはこれからどうするのかしら?」
 強盗に別れ際、胸をぽんと叩かれて、「夢を諦めるなよ。いつか自分の自分だけの花を咲かせろや」と言われた運転手は、シュラインににこりと笑いながら頷いた。
「続けられる限り、やってみたいと想います。いつか自分だけの花を咲かせられるように」
「ええ」
 彼女はこくりと頷き、そして、
「さあ、帰りましょうか」
 タクシーは東京目指して走り出した。もちろん、未来の人気ロックバンドのボーカルの歌声をBGMとして。



 ― fin ―




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


【NPC / スノードロップ】





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■         ライター通信          ■
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こんにちは、シュライン・エマさま。
ご依頼ありがとうございます。
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


今回はご依頼いただけて本当に嬉しかったです。
前回シチュエーションノベルをやらせてもらった時もすごく面白くって素敵なプレイングを頂けて、そして今回も本当に面白かったです。
この依頼に関しましては、シュラインさんが初めてのPCさんですし、そこら辺がまた何とも、良かったなーと想います。
プレイングであのような嬉しいお言葉もいただけていますし。^^
こちらも本当にまた書きたかったし、是非とも依頼で!!! という望みも持っていましたので。^^


ラスト間際はどうでしたでしょうか?
ストーリー、お気に召していただけてましたら、嬉しい限りでございます。^^
プレイングに書かれていたシュラインさんの雰囲気も上手く書き表せていたら嬉しく想います。^^

それで補足ですが、写真の裏に書かれていた文章はその写真を撮った時の父親の娘への願いと、奥さんへの愛情とかそういうのが書かれていました。
だからこそ、トランクはその写真を娘さんに届けたいと想ったのだと想います。
今回の物語は夢と家族愛がテーマです。(^^
でもそのようになれたのは、シュラインさんが書いてくださったプレイングのおかげです。妊婦さんが最初に出てこなかったら、この物語もまた違ったお話になっていましたでしょうから。
本当に素敵なプレイングを書いてくださってありがとうございました。(^^


それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
本当にありがとうございました。
失礼します。