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イドゥンの林檎
●序――メール、二通
「なるほど。おかしな話ですね」
「でしょう? 悪戯にしては変だと思わない?」
某日。
都内某所にあるゴーストネットOFFでくつろいでいたセレスティ・カーディンガムは、顔見知りの雫より相談を受けた。困惑する彼女の前で、その内容に神妙な表情を浮かべる。
言われるまま覗き込んだ画面の中には、件のメールの内容が表示している。彼女の言葉通り、確かにメールの通信時刻はまったく同じだった。そして、同様に本文も。
「‥‥それに送信元も同じのようですね」
「そうなの。そういうのって出来るものなのかなあ」
「一概に出来ない、とは言えませんけどね。コンピュータに精通している人物なら、そのシステムを利用する事で可能かもしれません」
そう口にするものの、セレスティは内心疑問視していた。
なんとなくだが、相手はそういったコンピュータ技術は無関係の人間のような気がする。メールから受け取った印象によるものだが、その直感を彼は信じた。
「一度、返信してみてはどうですか?メールの内容からして、捜し物をして欲しいようですから。私達でよければ手伝います、と書いてみては?」
「そうね」
「いざとなれば、私があなたを守りますから」
「わかった。じゃあ、一度返信してみるね」
セレスティの言葉に後押しされ、雫がすらすらと文字を打ち込んでいく。そして最後に送信ボタンをクリックした。
ポロン、と軽快な電子音が送信された事を告げる。
「さて、どうなりますか‥‥」
――そして、翌日。
雫からの連絡で返事が来たことを知る。
今回もご丁寧に二通のメールが、同時刻で。
『‥‥文末に待ち合わせの時間と場所が書かれてるんだけど』
「わかりました。では、ご一緒に向かいましょう」
●伝――林檎、二説
待ち合わせの場所へ赴く途中、セレスティは車の中で考えを巡らせていた。
昨夜のこと。
雫と別れて自宅へ帰った後、彼は『イドゥン』と『林檎』をキーワードにネット内で様々な検索をかけてみた。
『イドゥン』とは、北欧神話におけるブラギの妻の名だ。
彼女はいつまでも若く、美しい存在だった。その理由として、永遠の若さを保つ林檎をその懐に持つと言われているからだ。とある説では、林檎は宝珠とも呼ばれ、老化を止めるとも言われている。
メールの差出人が探すのが、その『イドゥンの林檎』を冠するモノ。
「いったい、どのような理由でそのような物をその少女は求めるのでしょうか」
ポツリと呟く。
永遠を求める理由。永遠とは言えないまでも、気の遠くなるような長さを生きてきたセレスティであるだけに、それは愚かとも言える行為に見える。
が、もう一つ。
『イドゥンの林檎』を調べていくうちにある情報を見つけた。
北欧の女神であるイドゥン、とその懐にある林檎は、決して引き離せない存在であるということ。それの意味する所は――永遠に一緒にいる。
「一緒に、ですか‥‥」
永遠に。
誰と一緒にいたいのか。
「どちらにしても、その少女に会う事が前提ですね」
気がかりがあるのなら、なるべく手伝ってあげたい。
そんなコトを考えている内に、車は待ち合わせの場所へと到着した。すでに雫の姿がそこにある。
「お待たせしました」
「ううん、あたしも今来たトコだから」
「さて、例の少女の方は――」
周囲を見渡そうとして‥‥気配を背後に感じた。
ハッと振り向くと、そこにはまだ幼い少女が立っていた。見た目雫よりも幼く、小学校低学年ぐらいだろうか。ニコニコと笑みを浮かべている少女は、だが、どこか異質な存在に感じた。
「キミがメールの――」
セレスティがそう尋ねようとした、その時。
少女はいきなり踵を返し、そのまま逃げ出してしまった。
「あ、ちょっとぉ!」
雫が呼び止める声にも構わず、少女の姿がどんどん小さくなっていく。
「仕方ありません。追いますよ」
「う、うん」
かくして。
平穏な午後の昼下がり。
雑多な街中での奇妙な鬼ごっこが始まった。
●追――少女、二人
商店街を抜け、小さな通りを入ったその先には、遊具の置かれた大きな公園。都内には珍しく、幾つもの自然が残ったままのその場所は、人々の憩いの場所だ。
遊ぶ子供達の間を抜けながら少女が走る。
その姿をなんとか見失わないように、セレスティと雫も後を追う。
時々、こちらを振り向いては、クスクスと笑いながらまた走る。その動きから、本気で逃げようとしてるのではなく、追いかけっこを楽しんでいる、といった様子だ。
遊歩道ですれ違う人々に、少女は軽くお辞儀をする。
その事から彼女は近所に住む子供だという事が解った。
「もう。いつまで逃げるのよお。あたしは、貴女の話を聞きに来たのよ」
「あはははッ」
雫の声にも、少女の返事は笑い声だけ。
その内に――ここまで頑張って追い掛けていたセレスティの顔色が悪くなる。
元々人魚であるこの身故、通常の人間に比べて足が極端に弱い。普段はステッキで歩いているのだが、さすがに長距離は無理がある。ましてや、走って追い掛けるなどは‥‥。
「し、雫さん。さすがに私は‥‥」
「あ、大丈夫ですか?」
「さすがにこれ以上は無理ですね」
はあ、と大きな息を吐いて、近くにあったベンチにしゃがみ込んだ。顔を上げると、さすがに少女の姿はもういない。
雫と顔を見合わせて、少しだけ苦笑する。
「申し訳ありません」
「しょうがないよ、こればっかりは」
どちらにせよ、追いつけなければ意味がない。相手側の方がこの辺りの地理に詳しい分、どうしても後手に回るというものだ。
諦めたように雫もセレスティの隣に座る。
「あーあ、『イドゥンの林檎』ってなんだったんだろう?」
「そうですね。伝説では――え?」
ハタと気配を感じて振り返ると、そこに少女が立っていた。姿が見えなくなった事で心配したのか、少し眉根を寄せた表情で声をかけるかどうか迷っている。
その隙を逃さず、雫は素早く少女の手を取った。
「つっかまえた!」
「!?」
途端。
「――ええ!!」
少女の身から莫大な霊気が立ち昇る。
思わず目を瞠るセレスティの前で、その霊気は完全なる人型を形作った――少女と同じ姿をして。端から見れば、少女が分裂したように見える。
いや、セレスティには解った。
少女は、間違いなく二人に分裂したのだ。
そして、呆気にとられる二人を後目に、別れた方の少女はアッという間に逃げ出してしまった。
「ど、どういうこと?」
驚く雫。
が、さすがにもう一人の少女の手は離さない。青ざめる彼女を前に、セレスティはようやく合点がいった。目の前の彼女は、かなり高い霊能力を持っている。
そして。
「――キミは、二重人格ですね?」
「え?」
断言に近いその問いに、少女は黙って頷いた。
●戻――願い、一つ
「‥‥ここですか?」
「うん」
三人が向かった場所は、長い河土手。綺麗にライトアップされた近代的な橋のたもとだ。
もう一人の少女は必ずここに現れる。
車で移動する中、少女がセレスティ達に告げた言葉だった。
「――あれはもう一人のあたしなんです」
幼いながらもしっかりとした口調で少女は話し始めた。
きっかけは些細なこと。女の子ならよくやる人形を使った一人遊び。普段から両親が不在で、人見知りの激しかった少女は、ついその遊びにのめり込み‥‥やがては自分の中にもう一人の自分を作ってしまった。
普通ならば、そこで終わっていたかもしれない。
だが、少女にはかなり高い霊能力があった。両親が高名な退魔師であることが原因だろう。
「お二人の名前はよくご存知ですよ。そうですか、キミがお二人の娘さんですか」
セレスティの言葉に、頷く少女。
高名であるが故に孤独を知った。財閥総帥としての彼もまた、同じ孤独を抱えている。
「もう一人のあたしは――あたしの知らない事ばっかりやって。気が付いたら、あの子の支配されてる時間が長くなっていたの。だから」
一人に戻りたかった。
だから、メールを出したのだと少女は言った。その為に『林檎』を探していたのだと。
「あなた達から返事が来た時、すごく嬉しかった。誰かが答えてくれたんだって。でも」
「もう一人のキミが邪魔をしに来た、と」
「うん」
少女の言が本当なら、何故メールは二通届いたのだろうか。それもご丁寧に同じ時間に。
「もう一人の少女の行き先、本当にこの先の橋ですか?」
「うん、あそこはあたしの大好きな場所だもん。イルミネーションに夕陽がかかると綺麗なんだよ」
「‥‥ですが、私達は『イドゥンの林檎』を持っていません。キミ達二人を元に戻す、その林檎を」
そう。
少女が何故、『イドゥンの林檎』を探していたのか。
それは、彼女の願いでもある一つに戻りたい――永遠に一緒である事への暗示であった。落胆する少女に、なんとかならないかと思案するセレスティと雫。
が、その策が思いつかないまま、車は橋のたもとへと到着した。
「――いた!」
少女が指差した方向。
うっとりと橋を眺めるもう一人の少女の姿。声に気付き、慌てて逃げようとしたのを止めたのは――少女の悲痛な叫び。
「待って! お願い、あたし‥‥もう元に戻りたいの!」
セレスティが考えた策。
ひょっとしたら‥‥分身は元に戻る方法を知っているのではないか?
同時に来た二通のメール。同じ願い。同じ思い。
ならば。
(あちらの少女も元は同じ存在。きっと思考も似ている筈。ならば、少女自身が強く望めば、或いは‥‥)
「お願い! あたし‥‥」
涙目になり、思わず声が詰まる。
ピタリと足を止めた、その少女は。
「――クスクス、やっと言ったね」
にこりと笑いながら、すっと取り出した髪飾り。そこには、真っ赤な林檎の絵が描かれている。
「まさか」
「うん、これが『イドゥンの林檎』だよ」
「やっぱり‥‥キミも元に戻りたかったのですね?」
セレスティの問いに、笑顔のまま頷く少女。
とある偶然から生まれたもう一人の人格。本来ならそこで終わる筈が、霊力の高さが災いしてその身さえも分けてしまった。
だけど、本当は。
いつだって願った事は一つだった。
「‥‥子供の時間は、終わりだよ」
「うん」
少女の手が伸びる。
セレスティと雫が見守る中、掌の上の髪飾りをそっと掴む。
――と。
眩い閃光が一瞬。
夕闇を切り裂く。
そして、光が止んだ後に残されたのは。
「――え?」
思わず雫が驚く。
が、セレスティ自身に驚きはない。何故なら、高名な退魔師の夫婦の事はよく存じていたから。
「‥‥今回は迷惑かけてゴメンなさい」
深々と頭を下げる少女――いや、そこにいたのは、高校生ぐらいの女性。
「彼らの娘なら、もう高校生の筈ですからね」
そう。
分身してしまったが故に、子供返りを起こしていたのだ。目を白黒させる雫に、苦笑するしかない少女。セレスティもまた苦笑を洩らす。
夕暮れ時のライトアップされた橋のたもとで、やがてその笑い声は次第に大きくなっていった。
【終】
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