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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


■コンピュータの世界へようこそ

 そのMSGを見て、『夏も終わって、秋を通り越す勢いで冬が来ているみたいな時に、これはちょっと遅すぎるかなー』と、瀬名雫は思った。
 ゴーストネットOFF。
 彼女が運営しているサイトのBBSの書き込みについて、だ。

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 件名 :No Title
 投稿者:噂好きの通りすがり

 私の友達の友達が通っている大学の話。
 その大学のコンピュータ教室のPCには、とても気味の悪い噂が流れているんだって。
 どんな噂かと言うと、窓際の一番後ろにあるPCにまつわるものらしい。
 そのPC、毎度のことではないんだけど、ふとした時に、終了出来なくなるんだそう。最初は、『終了するつもりが、再起動にしちゃった所為かな…』と思って、もう一度終了させようとするんだけど、また再起動してしまう。
 可笑しいと思って、もう一度終了させるんだけど、また再起動。
 三回終了させて、四回目の再起動の時。BIOSとかの設定や、メモリ、ディスクチェックなんかもしてるっぽいんだけど、一向にOSは立ち上がらない。何だろうって感じでそこにいると、何処からともなく『コンピュータの世界へようこそ』って声が聞こえて、モニタから右手が伸び、そのまま引き込まれてしまうんだって。
 そしてその時、終了させようとした人は、たった一人を除いて帰って来なかったって話。

 この話は、そのたった一人戻って来た人から、漸く聞けたお話。

 興味があれば、その大学に一度行ってみたら?

 ヒントは、門から校舎までを桜の並木道にしてるところで、某有名建築家、××が設計した教会がある大学。××って、フツー、ミステリ小説に出てくる様な変な家ばっか作ってて、大学の設計なんか(まあ、中にある教会だけど(^-^;))しない様な人だから、直ぐに解っちゃうよね。

 私立で五十年以上前に出来た、ふっるーいトコだよん。

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 そのMSGにRESが付いたのは、少しばかり後の話だった。



 件名 :初めまして
 投稿者:フェンリル

 > 噂好きの通りすがりさん

 初めまして。
 パソコンから手が出て来て引き込まれてしまうなんて、ずいぶんと興味深いMSGですね。

 通りすがりさんは、その学校に行かれたことはあるのでしょうか?
 もしも行かれたことがあるのなら、もう少し詳しいお話を聞かせて頂けませんか?

 宜しくお願いします。

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 「ちょっと、つまんないMSGだったかな?」
 そう思ってパソコンに向かっているのは、今はもう死滅しているのではないかと思える大和撫子の様な女性だった。
 黒い髪は肩を滑り背に伸びている。モニタを見つめる瞳は、まるでオニキスを思わせる美しい黒だ。一見して大人しい控えめなと言う印象のある彼女だが、一つだけそれに不似合いなところがあった。
 それは首に付けられたハードな首輪だ。
 この首輪を『グレイプニル』と言った。
 楚々とした容姿を持つ彼女には、人に言えない秘密がある。その身に神殺しと呼ばれる魔狼の影、フェンリルを飼っているのだ。その存在を制御する為、彼女はその容姿に不似合いな首輪を付けている。
 彼女の名は、雨柳 凪砂(うりゅう なぎさ)。
 現在二十四歳になる女性だ。
 もう休む前であったのか、パジャマにガウンといった服装だ。
 だが、その予定は、先のMSGを見たことで返上となる。
 凪砂はMSGを残して直ぐ、情報の収集を始めた。
 最初は噂の真偽を調べようと思った。
 後でもう一度、レスがあるかどうかを確かめるとして、ニュースサイトで行方不明者の情報を当たる。
 「ない…みたいね。人数はそれほど多くないのかしら?」
 それとも隠しているのか、もしくは結局噂の域を出ないものなのか。
 とまれ、ニュースサイトで話題になる程に、有名な話ではない様だ。
 違う方向から攻めてみるかと凪砂は思い、場所の特定をすることにした。
 これはあまり難しくない気がする。
 「某有名建築家、××なんて誤魔化してるけど、きっと蘇芳南都(すおう みなと)のことよね」
 流石は好事家と称するだけはあり、凪砂は直ぐに彼のことだと解った。
 確かに彼は、ミステリ小説に登場する様な館ばかり設計している。。一風どころか二風も三風も変わった館を建てる蘇芳のことを、実際に会ったことはないものの、名前と建築物くらいは知っている。
 ただ凪砂は、家を集める程の酔狂ではなかったが。
 「でも、大学内の教会を設計したって言うのは、初耳だったわ」
 即座に彼の名を打ち込み、検索キーを押下する。
 結果が現れるのは、数秒にも満たぬ時間。
 モニタにずらずらと並べたくられた文字列は、凪砂に溜息を吐かせた。
 「解ってたことなんだけど、……こんなにあるなんてね」
 このままではしようがない。更に条件を絞り、絞り、絞り……、とにかくは粗方知りたいと思える情報が絞り込めてから、彼女は内容を参照し始めた。
 ただこの建築家、何故かプライベート情報は皆無なのだ。
 まあ、今回のことは、別段プライベートが関係している訳ではないので、あまり気にすることはない。
 凪砂に必要なのは、今までの仕事の経歴だった。
 プライベート情報のない建築家、当然ながら、オフィシャルサイトなどない。所謂『マニア』と呼ばれる様な人物が、本当に個人的趣味で作っている様なサイトの中に、彼の経歴が掲載されていた。
 「……思ったより、少ないのね」
 凪砂は小首を傾げて、意外だと思う。
 上手くは言えないが、奇妙な建物を建てることから来る知名度が、仕事量の多さから来る知名度とイコールになっていた気がする。
 しかし経歴を見るに、この蘇芳、初っぱなから奇矯な建物を建てていた訳ではない。最初の三件までは、ごくごく一般的な館だった様だ。
 三件目の依頼から三年経ち、漸く四件目の依頼を受けた時に建てたのが、実は探していた学校の教会だった。これを機に、どうやらマニア向け──と言うには語弊があるかもしれない──の館を建て始めたらしい。
 「学校は、…新宮学院大学って言うんだ」
 住所も調べ、大学のサイトへと飛ぶと、コンテンツを一つ一つ見ていく。どうやら最近、この大学は校舎を建て直したらしい。
 ちなみにキャンパスは、本キャンパス──略して本キャン──、東キャンパス、サテライトと言う三つからなり、教会は東キャンパス内にある。
 「噂のコンピュータ教室って、何処にあるのかしら」
 配置図はあっても、流石に細々とした教室配備の図はない。やはりこれは、実際に行った時に探すしかないかなと思い始めたが、適当にピコピコとリンク先を見ていると、一番最初に見た時よりも、もう少し細かなキャンパスガイドを見つけた。
 「教室は、本キャンパスか…。ってことは、教会は関係ないわよ、ね?」
 本キャンパスと東キャンパスは、駅を挟んで正反対の位置だ。
 更に色々と見て回ると、今月…それももうすぐに学祭があることを知った。
 「大学祭…か」
 凪砂はそれを見て、ふと自分の大学時代を思い出す。
 積極的な、そう実行委員などと言う形での参加はなかったが、仲の良い友人同士で色々と模擬店を回ったり、企画に参加したことを懐かしく思った。
 正式に何処かから依頼を受けてと言う訳ではない為、学園祭真っ最中の時に行っても教室には鍵がかかっていて入れないだろう。
 少々残念だが、新宮学院大学へ行くのは、学園祭前にしようと凪砂は思った。



 駅から五分ちょっと。
 そんな距離に新宮学院大学はあった。大抵大学と言うと、駅から少々離れたところに位置するものが多い中、それは珍しいとも言える。学校の横を抜ける様にして走る線路。その上を行く電車の窓から見えた学校は、とても綺麗だった。今近づいて見ても、その印象が裏切られることはなかった。
 それ程大きくはない正門を抜けると、真正面にプロムナードが延びている。プロムナードに沿って、今は枯れている桜並木があり、その右横が、教務課や学生課などが入っている事務局らしい。左はオープンスペース。学生達と行き交いつつ、更に歩くと右にグラウンド、左にはいくつかの建物があった。
 「当たり前だけど、サイトのキャンパスガイド通りね」
 肩にかけた鞄の中には、所謂必需品の他、取材の為に必要だと思ったデジカメ、そして手帳が入っていた。
 キャンパスガイドを頭に浮かべ、取り敢えず構内を一周してみる。
 見ていく中、五号館と称されていた建物だけが、何故か古い。丁度正面が六号館の影に隠れ右が八号館、左が三号館に囲まれた形になっている為に、五号館は電車から見えなかった。五号館の目の前の六号館には、PC教室がある。
 先にPC教室に行ってみようかとも思ったが、時間を見て諦める。
 今は午後三時過ぎ。まだ授業がある時間帯な筈だ。
 その割りに、校舎より外に学生の姿は多い。プロムナードを始め、有りとあらゆるところで、学生達が慌ただしく行き来しているのは、やはり学祭間近である為、その準備と言ったところだろう。
 凪砂が今いるのは、八号館と三号館、そして古い五号館に三方を囲まれたところにある中庭だった。幾つもの白いベンチが、碁盤の目を想像させる様に整然と置かれている。ベンチとベンチの間には、ささやかな芝生があった。ベンチの横は、喫煙者の為だろう灰皿。中庭を挟み、五号館と反対側にも建物があり、あれが四号館だと認識する。
 可成り広いスペースを持った中庭にも、やはり学生が右往左往している。
 聞き込みを行うのは、少々気が引けるなと思いつつ、凪砂は所在なさ気に当たりを見回した。
 一息吐いている風な学生を見つけ、よし、と自分自身に気合いを入れると近づいて行く。
 「あの、済みません。ちょっとお聞きしたいんですけど…」



 あれから小一時間ばかり聞き込みを行い、学内の写真を撮っていた。
 収穫はあった。
 ネットで調べた時に、あまり手懸かりと呼べるものがなかったので、ここに来て報われた感じがする凪砂だった。
 まず、人が消えたと言う事実は、確かに存在した。ここ数年、行方不明者の話を良く耳にするとも言っていた。だがその大半は、現在学祭準備に忙しく、一時的に音信不通になる者達だと言うことだ。ただ、学祭が終わった後でも、一部連絡の取れないままの者もいたのはいたらしい。だが、聞き込みを行った者達の周囲にはいなかった為、あくまで噂の域を出ない。
 その噂流れ始めたのは、三年前からで、やはり学祭時期だと言う。
 「これだと、五分五分…かなぁ」
 ある程度、自分の意志というものが確立しているのが、この年代だ。いなくなったとしても、即座に事件や怪奇現象には結びつかず、年間数万と言われる自立的行方不明者の一人として換算されている。自立的行方不明者、つまり自分の意志で失踪したと言うことで、端的に言えば、警察はあまり気合いを入れて探さない者と言うことだった。
 「それにしても、この学校って、怪談話が案外あるのね」
 聞き込みの途中である男子生徒から聞いた話だ。
 『手が出るパソコン? そんなの見たことねぇよ。あ、それよりこっちのはどう? 俺の友達がさ、研究室棟で実際に見たらしいんだけど、エレベータが、勝手に行き来するんだってさ。呼んでもいないのに、いきなり目の前でチーンとか言って開くんだって。暗くなって、自分しかいない時にんなことあったら、マジビビるって』
 『いや、それより、東の教会の地下にあるっつー、吸血鬼の灰だろうー。あっちのが、話は古いぜ』
 等々。
 まるで『学校の怪談』の取材をしている気分になって来てしまった。
 だが、そんな中、ミステリ研と言う名を持つ、実態がオカルト研究会の少女二人から聞いた話は、凪砂には有り難かった。
 同じミス研の仲間が、凪砂の探っている噂を同じく探っていて、連絡が取れなくなったと言うのだ。
 連絡の取れなくなる二日前、彼女は言っていたそうだ。
 『コンピュータ教室は、後もう一つある』
 と。



 聞き込みを終えた後、図書館へと行き、サイトには掲載されていなかった学校の略歴や、学内で発行された機関誌を読みあさった。
 どうやらこの学校、十五年程前にもキャンパス内を総合整備したらしく、その際校舎なども全て立て直し、何故か教会までも作ったのだと言う。
 現在やたらと綺麗な校舎であるのは、再度の整備を三年前にも行ったからだ。その時は本キャンパスの一部のみの立て直しだった。
 現在、コンピュータ教室は五つあるらしい。六号館四階のフロア全てがそうだと言うことだ。このコンピュータ教室も、三年前に改築され、中のコンピュータも全て一新されたと言う話だ。設備も当時の最新のもの。
 以前のコンピュータ教室は、五号館にあったと言うからには、もう一つあるコンピュータ教室はそこなのだろうかとも最初は思ったのだが、現在五号館は、資料室や倉庫の様な使われ方をしているらしい。三年前に、他の校舎を次々と建て直していく中、備品などを退避していて、当初は建て直しをする筈だったのが、そのままお流れになったのだと言う。そう既に教室としては、使われていないのだ。
 そして連絡の取れなくなったミス研の一員が、重点的に調べていたのが、六号館四階の643号室。
 凪砂は今、その643号室にいた。
 643号室は、凪砂以外に一名の男子生徒がいるだけだ。
 この階の教室は、六時半に職員が鍵をかけに来るのだと聞いた。それまでは学生が自由に使用して良いことになっている。調べものをしていた為、職員が来るまで後、もう十分もない。
 凪砂は学生のフリをして、パソコンを使おうとしたが、出来なかった。
 「…やっぱり、ID管理されてるのね」
 ふうと溜息を吐く。
 図書館なら自由に使えたパソコンも、授業に使うことになるここでは、生徒の学籍番号を元に発行したIDがないと使用が出来ない。
 一応、噂通り、窓際の一番後ろの席を陣取ったもののあまり意味がなかった。
 むうと唇を尖らせ、認証画面で止まってしまったモニタを睨み付けるも、パスワードが解る筈もない。
 学籍番号を元にしたIDは、法則に従って入れることは出来るが、パスワードは無理だ。IDと同じにしている学生もいるのだろうが、それこそ適当に入れていたら、何時ログイン出来るのか解らない。
 「困ったな」
 ぽつりと呟いて窓の外を見る。
 丁度五号館と窓同士が向き合っているのが解る。
 と、何か向かいの部屋で動いた気がした。…いや、動いている。
 凪砂の視力は、通常の人よりも遙かに良い。
 「──人?」
 凪砂は、窓からあちら側に移りたくなる衝動を抑え、不審に思われない程度で、けれど出来うる限りのスピードで走り出した。



 時間的に一分と経ってはいない筈。
 幸い、五号館の入り口は開いている。
 蹴破る必要はない様だ。六号館と五号館の間は、何処か寂れた雰囲気がする。やはり古い建物を前にしている所為なのかも知れない。人通りも他の場所に比べると、遙かに少なかった。
 覚悟を決め、五号館に飛び込み、周囲を探る。
 どうやらここは、人が殆ど入って来ないらしい。
 エレベータを使うより、階段を駆け上がった方が早いと判断した凪砂は、直ぐさま目の前の階段を目差す。あっと言うまに四階を目の前にすると、今度は足音を立てない様に慎重に登る。
 四階。
 廊下へと出る階段の壁際に隠れ、そっと階を伺った。
 光は漏れていない。
 けれど、──いる。
 一つ気になったのは、人以外の何かの気配もしたことだ。
 抜き足差し足と言う言葉通り…ではないが、それに近い様相で、凪砂は目的の部屋へと進んでいく。
 扉からそっと覗き込むと、──そこには男がいた。
 凪砂と同じ黒い髪は、肩まであった。黒尽くめの服を纏って、あちこちを物色するのは、如何にも怪しすぎる。凝視していた凪砂が悪かったのか、不意に声がかかった。
 「誰だ? 出て来いよ!」
 厳しい声にびくりと身を竦ますが、直後に自分が怖がる必要はないと思い直す。
 『そうよ、どう見ても怪しいのはあっちじゃない』
 うんと頷き、凪砂はその身を晒した。勿論、警戒はしている。
 「あ? 女の子?」
 厳しかった声が、凪砂の姿を認めると同時、いきなり和む。
 「あ、あの。ここで何をしてるんですか?」
 「あれ? 職員の人?」
 「違いますけど…」
 「じゃあ学生?」
 「違います」
 そこまで言って、はっとする。ここでうんと言っていれば良かったのだ。だがそう思ったのも、後の祭り。次の男の言葉で、凪砂は硬直した。
 「ふーーん。じゃあ、……ミス・フェンリル?」
 にやりと笑う、その金の瞳が光った。
 「……誰?」
 自分では予想もしない程、きつい声が出てしまう。
 「誰って、俺は、金浪征(きんなみ せい)。しがない委託職員一号だ」
 そっちは? と言う視線を向けられ、凪砂は戸惑った。
 素直に答えても良いものだろうかと思ったのだ。だが戸惑いも僅か。凪砂には、二親に躾られた礼儀と言う物が、大きく大きく存在していた。
 「あたしは、雨柳凪砂と言います。あの、どうしてあたしのことをフェンリルと?」
 まるで機嫌の良いライオンの様な笑みを浮かべた征は、ああそのことかと肩を竦めて答えた。
 「あの書き込み、見たからね」
 今回の件と繋がる書き込みと言えば、あれしかない。ゴーストネットOFFのものだ。ネットで情報を収集した後、再度BBSを見たのだが、RESはなかった。
 「あれが、何故あたしだと言えるんですか?」
 「適当に言っただけ。でも、その反応から大当たりだろ?」
 ぐっと詰まる。そんなに自分は、解りやすい反応をしていたのだろうかと思うと、少々悲しい。何か言い返そうと言葉を探しているのだが、悲しいかな見付からなかった。
 入り口に突っ立ったままの凪砂に向かい、更に彼が言葉を続ける。
 「ちなみに俺、別に怪しい者じゃないからな。一応、学校側から依頼受けて、ここにいる訳だし」
 「学校から?」
 「そう、学校から」
 「やっぱり、行方不明者のことで?」
 大学は動いていたのだと、凪砂は少しほっとした気分になる。幾ら何でも、この大学の学生がいなくなって知らないふりは、あまりに無情だと思ったのだ。
 「多分、考えてるのと違う理由だぞ?」
 「え? 学生さんを探そうって言う理由じゃないんですか?」
 「大学はそんなに親切じゃない。大まかな筋を言うと、学内で収まっていた噂が、何でか知らないけど、ネットに載っちまった。見るヤツが見りゃ、ここだってことなんか直ぐにバレる。そうなると、来年度の入学生が、ぐぐんと減っちまう。そりゃー困ったなーと。だからお願い、何とかしてってね。まあ、こんなとこ」
 凪砂の顔が曇る。
 「酷いわ…」
 「酷いねぇ。ま、こっちに来た依頼は、そんな事実はありませんってことを証明してくれってことなんだがね」
 話を聞き、大学側の酷い対応に腹を立てつつ、凪砂は釈然としないものを感じている。
 「でも、それで何故ここに? コンピュータ教室って、六号館ですよね?」
 「ああ、あっちは、ネットワークを介して、隅々まで調べさせてもらったからね。それで何にも可笑しなとこはなかった。でもどうやら、コンピュータ教室は、あそこだけじゃないって話も、耳にしたからな」
 それはあの『コンピュータ教室は、後もう一つある』と言う話と一致するものだ。
 「それが、ここなんですか?」
 「そう言うことだな」
 ぐるりと見回す。暗いままであるが、凪砂には関係なかった。明るい場所と同じ様に見えるのだ。布に覆われた何かが、窓際を始め、壁に沿って置かれているのが見える。凪砂のいる入り口から右手には、ホワイトボードがある。金浪征と名乗った男は、丁度凪砂の対角線上にいた。
 「ここのパソコンは、当たり前ながらネットワークに繋がってない。使われてないからな。直に出向かないとダメだったんだよ」
 「でも、確かめるってどうやってやるんですか?」
 噂通り、電源のON、OFFをやってみるのだろうか。…何だかその姿を想像すると、可成りマヌケだ。
 「それは…」
 と。
 いきなり、髪が逆立ちそうなくらいに嫌な気配が立ちこめた。
 「どうした?」
 不意に変わった凪砂の様子に、不思議そうに尋ねてきた。目の前の男は、これを感じないのだろうか。
 「あの、解らないんですか?」
 凪砂の声に続く様に──。
 『待ってたよ、待ってたよ、待ってたよ、待ってたよ………』
 永遠に続くかと思った声。
 しゃがれた、けれど何処か子どもを思い起こさせる様な老人の声だ。
 「うわっ、何だこの声」
 流石にこれは聞こえた様だ。
 まるで汚泥の中にいるかの様な、嫌な臭気まで追加された。
 脳味噌の中にヤスリで研がれている様な不快感。金浪征と名乗った男は、耳を押さえて声を遮断しようとしているが、恐らくその行為は無意味だと、凪砂の勘は語っていた。
 『不快だ』
 凪砂の内から声がする。
 フェンリルの影だ。
 魔と近しい彼でも、これは不愉快なのだ。人である自分達が不愉快であるのは当然とも言えよう。
 未だ室内深く入っていないのが幸いした。電気が通っているかどうかは疑問だったが、凪砂は咄嗟に照明のスイッチを押す。
 眩い光が上から落ちる。
 突如として出来る影。
 その『凪砂の影』が、異様なまでに伸びると、征の背後、窓の下一面に布を被せてあるそこへと、一直線に向かって行った。
 瞬時に切り裂かれる布。
 布が舞い、その舞った勢いで更に埃まで立つ。
 二人して、げほげほ咳き込んみ、目をこすると、そこには俯いてはいるものの、こちらを見ているのが感じられる子どもの姿があった。
 「げっ! またこっちか!!」
 心底嫌そうな声を上げる征に、何のことだろうと訝しげな視線を向ける凪砂。その視線を感じ取った様に、征がごほんと再度咳き込むが、それは埃にむせたのではないと解った。
 「お前、誰だ?!」
 それは凪砂も聞きたい。
 だが。
 『儂は、うち捨てられたもの』
 地の底から響く声。それに伴い、俯いた子どもが、ゆっくりゆっくり顔を上げる。
 「──っ?!」
 思わず悲鳴を上げそうになる。
 口元に両手を当て、凍り付いた瞳で見る先は、子どもの顔。
 その子どもの瞳には瞳孔がなく、ただただ、白い闇があったのだ。
 『儂は、……この手にしたものは、帰さない』



 動いたのは二人同時だった。
 凪砂が『影』の脚力でもって、助走なしでは有り得ない程の跳躍を見せ、征は腕から滑らせた鞭をしならせる。
 しかし、征の鞭は空手で戻り、また凪砂の伸ばした手も空を切った。
 「消えたっ?!」
 凪砂は、その動きに反応するかの様に消えた、子どものいた場所を凝視する。
 「これって」
 視線の先に、一つだけぼんやりと明かりの灯ったパソコンがある。電源の入ったのは一台だけで、他の十数台はみな暗いままだ。恐らく、もう壊れているのだろう。
 「嘘だろー? これ、ペケロッパだ」
 「ペケロッパ??」
 何だか間抜けな言葉だ。それが取り敢えずは、このパソコンをさしているのは解るのだが…。
 「何です、それは」
 「ああ、某S社のゲーム関係が強かったパソコン。X68000 PROって言うんだ。この前のが、X68000。PROと同時期に発売されたのが、EXPERT。EXPERTはマンハッタンシェイプって言う筐体を使ってたのさ。和製マックとも呼ばれてたそうだ。…それにしても、もうこれ、骨董品の域に入るな」
 それならば聞いたこともある。確か1900年代後半のものの筈だ。
 同時期にE社からは、世界初のノートパソコンが、N社から初の携帯用ゲーム機が発売されている。ちなみに携帯電話のサービス開始も、この時期だ。
 「…しっかしまあ、幾ら性能が98シリーズ上回ってたとは言え、何でこれなんだか。大抵の学校じゃ、TOWNSが使われたって聞くぜ」
 当時、全盛だったのはPC98シリーズだった。その中、鳴り物入りで登場したのがこの機種だ。当時、ハードディスクは、一般市民にとって高嶺の花で、通常はオプションとして付けていた。このパソコンも例に漏れず、通常モデルではハードディスクがない。グレードの高いもので、漸く40Mのハードディスクが付いている。ちなみにこれは、付いている方のモデルだった。
 「繋げて大丈夫そうなインターフェースは、……やっぱりこれか」
 がっくりと肩を落としている彼の横から覗き込むと、その視線の先にはRS-232Cの口があった。
 「繋げてって、どう言うことですか?」
 異様な気配を発しているパソコンと、がっくり来ている征を見比べた。
 一番納得の行く説明を、凪砂なりに考えてみる。
 「あの、さっきの老人の様な子どもは、このパソコンに関係しているんだってことは解ります。でも何故『繋げる』と言うことになるんですか?」
 未だ気分が浮上していないのだろう。征の声は溜息混じりだった。
 「さっきさ、どうやって調べるのかって聞いたよな?」
 「え? ええ」
 唐突に話題を変える征に、凪砂は戸惑う。
 「俺の仕事って、こう言ったコンピュータやらネットワークやらに入って、色々と調査したり、不味いもん入ってたらパージやらデリートやらさせる訳。クラッシュにまで追い込むこともある」
 「今、入ってって…」
 「そう、入るの」
 これで、と、何処から取り出したのか、見たこともないケーブルと機材をぶらぶらさせて、凪砂に示す。
 「それってつまり…。パソコンの世界に入るってことですかっ?!」
 「だから言ったでしょー。所謂『コンピュータの世界へようこそ』ってことだな」
 「それって、BBSの…」
 ゴーストネットOFFにあったMSGだ。
 凪砂は、先ほどの子どもが、消える前に言った言葉を思い出す。
 『儂は、……この手にしたものは、帰さない』
 「帰さない、返さないじゃなくて、そう言ってましたよね?」
 ニュアンスの違いは、はっきり凪砂に伝わった。
 では、帰さないと言うのは、一体何処からだ?
 「まさか、行方不明になった人達って、この中にいるってことなんですか…?」
 「多分ね。全く、何で最近はこんなオカルトが混じった仕事ばっかなんだ…」
 苦々しげに言う征を見、凪砂はとある人を思い出す。彼もまた、怪奇探偵と呼ばれることを嫌がっていた。
 「まあ、確かめるにしろ助けるにしろ、どのみち中に入る必要がある」
 「一人で入るつもりですか?」
 そうは言ったものの、未だ『入る』と言った言葉に実感はない。
 「まさか。取り敢えず、中で戦闘になった時の為に、肉体労働専門のヤツを呼ぶ。俺は、ナビ専門だからな」
 呼ぶと言うのは、これから連絡するのだろう。そうすると中に入るのは、今より更に後になる。
 いなくなって数日、時には数年経っているのは間違いないから今更なのかもしれないが、中に人が捕らわれているのかもしれないのなら、出来る限り早くに助け出した方が良いだろう。
 知らない時ならいざ知らず、知ってしまってから悠長なことは言ってられない。
 凪砂は、知らずの内に生唾を飲み込んだ。
 「あの…。あたしが一緒に入ります」
 思わず胸元で両手を強く組み合わせる。
 即座に返ってくると思われた答えは、しかし未だない。
 凪砂を見つめる征が、無表情なまま、一言。
 「は……?」
 「は、ではなく、あたしが一緒に入ります。……ダメですか?」
 漸く頭の回線が繋がったとばかりに、征が諭す様に話し始めた。
 「ダメとか言う以前なんだが。一応、俺の信条っての、聞いてくれる?」
 凪砂には、征が何を言い出すのか察しが付いた。
 腹に力を入れ、内なる存在を呼び覚ます。
 漲る力が右手に宿り、一閃──。
 風の音すらさせず、征の背後にある暗いままのパソコンが、鎌鼬にあったかの様に真っ二つへと変わる。
 「……俺より、充分強いな」



 『ああ、海が、──見える』
 どうんと、凪砂の身体に振動が伝わる。
 ねっとりとした水よりも密度の濃い液体が、取り巻いているのが感じられた。まるで母の胎内にいる時の様な、そんな心地の良い感覚。このままずっと眠っていたい、そんな衝動。
 けれど──。
 「凪砂ちゃん。大丈夫か?」
 声が、聞こえる。
 最初、遠くに聞こえていたそれは、徐々に凪砂の身体に沁み込んで行く。身体中に声が響き渡った時、自分が揺れていると感じた。
 『揺れる…?』
 そう自覚した、その時。凪砂の意識は覚醒した。



 「あ、良かった。このまま目ぇ醒めなかったら、俺どうしようかと思ったわ」
 瞬きすると、言葉通り安堵したかの様な、征の顔が見えた。
 まだはっきりしない身体は、何かに支えられている。それが目の前にいる男の腕だと解ると、即座に凪砂は跳ね起きた。
 「ご、ごめんなさい。済みませんっ」
 顔が赤いのが、自分でも解る。
 『ああ、失態だわ…』
 まるで啖呵を切るかの様な態度であったのに…と、自己嫌悪に陥るも、笑いを堪えている様な征を見るとそれも薄れていく。
 「まあ、初めての上、こんなオンボロの中だし、仕方ないって。で、大丈夫?」
 「はい。大丈夫です」
 ぐるりと周囲を見回すと、そこはセピアに変わった新宮学院大学のプロムナードがあった。
 「ここは、学校、ですよね?」
 「ああ。多分、あいつが作った大学だろう」
 人通りはない。
 「でも、ちょっと違う気がします。…あ、校舎が古いんですね? もしかすると、これは立て直される前の学校…?」
 「そう言うこと。行こうか。ナビは任せてくれ」
 征は、何時の間にかコンソールパネルを手にしていた。それを慣れた調子で叩き出す。見る間に周囲の風景に色が付き始め、目に見えての違いが現れた。
 ざわめく音、風の薫り。吹き抜ける息吹。
 しかしそこは無人のまま。
 「邪魔が入るとは思うが、そっちは任せて大丈夫なんだよな?」
 改めてそう問われ、凪砂は唇を噛みしめる。
 『何時もと違うけど、きっと大丈夫よね』
 胸に手を当て気を引き締める。と、凪砂の中で影が笑った。
 満足の笑み。期待の笑み。
 『この子、面白がってるじゃない…』
 呆れそうになるも、その影の様子が可笑しくて、凪砂の緊張は解けていく。
 「でも、どうして場所が解るんですか?」
 「簡単な話だ。あいつが動けるなら、目と鼻の先の六号館にも出ていた。だがそれはなかった。つまりあいつは今いる場所を動けない。だからあの部屋にしか、出てこなかったんだよ」
 つまり、目的地は五号館。先ほどまで凪砂達が立っていた場所だった、



 「いやぁぁぁぁっ!!!」
 絶叫するも、凪砂の身体は反射的…いや、脊髄反射と呼べる形で動いている。
 中の影は、まるでオモチャを相手にした時の様に嬉々としていた。
 今のところ、獣化するまでには至らないものの、ラスボスになったら解らないだろうと凪砂は思っている。
 「……女心を的確に付いた攻撃だな」
 「そ、そんなこと言ってないでっ、何とかして下さいっ!!」
 涙目になりつつそう言う凪砂の前にいるのは、大きな大きな、とっても大きな…。
 『ゴのつく茶色のアブラムシ』
 人類発生以前より生息していると言われている、あれだ。
 一体は、先ほどの一撃で胴体を真っ二つに切り裂かれ、毛の生えた足をびくびくとしながら、戦意(?)を見せてはいないものの、未だ生きてはいる。
 後の二体は、今まさに飛ぼうとしていた……。
 もうおぞましいと言うより他はない。これなら、先ほどの白目を剥いた様な子どもの大群の方が、まだ随分マシだ。
 今は三階に付いたところ。後一階分、出てきてくれなければ良かったのにと思ってもしようがない。ここにいるのだ。
 失神しそうになるが、すんでのところで踏ん張っている。意識喪失と言うことになれば、良く知らない空間でどうなるか解らないし、何より一番不安なのは、中の魔狼の暴走なるかもしれない。
 いざ、校舎内に入る際、凪砂は釘を刺されてはいた。
 ナビゲーションに不備があれば、無事にここから出て行けなくなってしまう為、戦闘は任せることになるが、本当に大丈夫だなと。もしもダメなら、今からでも遅くはないから、帰っても良いと。
 それに胸を張って、大丈夫だと答えたのは、他ならぬ凪砂だった。
 けれど所詮正体がウィルスであろうと、流石に大抵の人間が毛嫌いする『ゴ』の姿を取っている。
 「まあ、……これは仕方ない、…か」
 どうやら征は『ゴ』の残りを引き受けようとしてくれるのを察したのだが。
 「もうっ、いやぁっ!!」
 飛び立つ気配を感じる前に、凪砂は動いていた。
 有り得ない力で、階段横の手すりを引き千切ると、そのまま真正面に迫ったそれの──あればの話──眉間へ叩き込む。
 ぐじゅっと言う嫌な音。
 体液が吹き出すのを待たず、バックステップで即座に避ける。流れる様な動作で、止めとばかりに地を蹴って、渾身の力を込めて床に手すりで縫いつける。
 「あ、あともう……」
 一匹は…?
 「ああ、こっちで駆除した」
 そう聞き、安堵のあまり思わずへたり込みそうになるが、その床から嫌なものが滲み出しているのを見て、慌てて足に力を入れた。
 「後、一階上ですよね」
 「階段登らなくても、済みそうだ。コマンド、使える様にしたからな」
 一階部分で、一挙に四階まで上がろうとした際、コマンドの使用をブロックされていた為、やむなく親から貰った両足──しかし仮想──で駆け上がることにした。どうやら征は、ナビゲートしつつ敵の干渉を跳ね返そうとしていた様だ。
 彼曰く、この階段はリアルワールドで言うところの階層だと言う。その階一つ一つがディレクトリを模したもので、そこから抜けるのに、正常なハードやネットワーク空間なら、コマンドをコンソールに叩き込むことで移動出来るのだそうだ。だが、今回、このハードの主によって、干渉を受けていた為にそれが出来ないでいたと言う。
 「丁度真上がそうらしいから、移動後、早々に戦闘開始だ」
 凪砂が頷くと同時、二人の姿は、その階から遷移した。



 ブラックアウトの感覚もなく、次に凪砂の視界に入ったのは、古ぼけたペンキで塗られた引き戸だった。
 見たことがある。つい先ほどのことだ。
 「ウィルスとは違う反応があるな。大きいのが一つ、小さいのが五つ。位置は、Zが同じ、一番奥。Xが大きいのを挟んで、プラスとマイナスに小さいのが対称。固定のトラップは、ZがなしでXがプラスで至近」
 瞬時に理解しやすい様にと、位置指定は数学的な置き換えをしている。Xが横位置、Zは奥行き。ちなみにYは高さとなる。細かな数値は、凪砂に取って逆に邪魔になると解った瞬間に、征は言わなくなったのだ。
 「大きいのは、あの子でしょうね」
 となると、小さいのは行方不明になった人達と考えるのが妥当だろう。今まで向かってきたものは、ウィルス反応を示していたから。
 凪砂の意識は、引き戸を目の前にして高揚している。
 「このまま扉ごとぶち壊すのは、不味いな」
 「ええ。この中の人達が、無事に戻れなくなるのは困ります」
 そう言う凪砂の顔を見て、征が何とも言えない表情をする。
 「何ですか?」
 「…いや。とにかく。開けるぞ」
 言葉と共に、征がコンソールパネルに手を滑らせると、扉がバンっと開く。プロテクトを力業で解除したのだ。
 逡巡すら瞬き以下の時間。凪砂は、抜群の瞬発力で駆け抜ける。固定トラップの発動する猶予は与えない。
 トラップの発動が背後で聞こえるが、既に凪砂は有効範囲を超えている。征は引っかかる訳がないと踏んだ。
 真正面奥に見えるのが、あの子ども。
 両脇には、ずらりと並んだ、とても綺麗に輝いているパソコン。そのパソコンと重なる様にして、幾人かの男女の姿が見えた。
 子どもの姿はリアルワールドより、遙かにクリアだ。そのまま勢いのまま目の前へと進むが、けれど凪砂は攻撃を仕掛けることはなかった。
 中の影が、不満の声を上げるのを宥めると、凪砂は今は普通の色合いを帯びているその子どもに向かって声をかける。
 「教えて下さい。どうしてこんなことをしたんですか?」
 俯いたままの子どもは、黙ったままだ。それでも辛抱強く、凪砂は言う。最初のトラップを抑え込んだ征が、黙って背後に立った。
 「寂しかったの?」
 浮動トラップを次々と無効化していく征の視線を感じるが、何も言わないことで、自分が続けても良いのだと解る。
 「ここの人達を、元に戻して欲しいんです」
 「何故だ?」
 初めて口を開いた子どもに、凪砂の口元は綻んだ。
 「儂は人の子にうち捨てられた」
 無機質な声の元、ゆっくり子どもの面(おもて)が上がる。
 またあの瞳孔のない瞳が待っているのかと、僅かに構えるが、それは杞憂であると直ぐに知れた。
 凪砂にその顔を見せた子どもは、黒い瞳を潤ませている。
 「泣きたいの?」
 普通の子どもに見えた。勝ち気な、何処にでもいる様な子どもに。
 「儂は泣かぬ」
 そう言い、への字に結んだ唇は、何処か駄々っ子の様にも見えた。
 「儂は。…人の子がこの身に触れるのが嬉しかった。儂に触れ、語りかけるのが嬉しかった。だが、何時の間にか、人は来ぬ様になっていった。儂は明るい場所から暗い場所へと移され、塵芥にまみれていった。誰も儂を、省みぬ。儂は、時折しか見掛けぬ様になった人の子に、帰って欲しくはなかった。だから帰らずとも良い様に、ここへと連れて来た」
 どうやら電源が落ちなかったと言う話は、ここから来たらしい。帰るなと言っていたのだろう。帰ろうとした者達を、こっちの世界に引っ張り込むことで、一緒にいられる様にしていたのだ。
 「人は身勝手だの。不要となれば、見向きもせぬ…」
 そこまで言うと、子どもはまたもや俯いてしまった。
 「一緒にいてくれる人が欲しかったのですね…」
 凪砂は溜息混じりにそう言った。
 そして少し思案する。
 「あの、ここにあるパソコンって、引き取っても良いんでしょうか?」
 振り返って征を見ると、そう聞いた。腕を組んで、成り行きを見守っていたらしい征は、肩を竦める。
 「そうしたいなら、こっちでオキャクサマにお願いするか。…ついでに、引き取り先は俺達のとこにして良い」
 小声で、『凪砂ちゃんも、こんなに沢山持って返っても仕方ないだろ?』と付け加えた。
 自然に笑みが浮かぶ凪砂は、俯いてしまった子どもと視線を合わせる為にしゃがみ込む。両肩に手を置き、小首を傾げて語りかけた。
 「もう一人にしないから」
 「…本当か?」
 上目遣いに見る瞳は、不安だと告げている。凪砂は、その不安を打ち消してやらないといけないと思った。
 「本当よ。約束するわ」
 凪砂の顔と、足下を交互に見ているのは、未だ疑惑が去らないからなのかもしれない。それでもじっと、納得するまでここでこうしているつもりだ。
 暫しの沈黙。物音一つしない空間で、漸く一つのことが動いた。
 「…連れて帰ってやるが良い」



 凪砂はナイトキャップを嘗めながら、パソコンの前に向かっていた。
 リアルワールドに復帰し、後の始末があるからと言って、征は慌ただしく去って行った。連れ帰ることが出来た人は、暫く後遺症が出るかもしれないと言うことだが、そちらも責任を持って何とかすると言う答えを貰っている。
 自分に出来ることは、あまりないのかもしれない。
 「でも、一つくらいはあるよね」
 俯いてばかりいた子どもを思い出す。
 『人は身勝手だの。不要となれば、見向きもせぬ…』
 この言葉に込められた思い。これを伝えることは出来るだろう。
 事件に絡ませ、一人でも多くの人に伝えられたら、少しはあの子の寂しさが紛れるかもしれない…。
 「何か、自己満足っぽいかな…。まあでも…」
 『良っか』
 記事を纏める為に、アプリケーションを立ち上げた。
 構成を纏め、重点的に書くところをピックアップしては、細部をノートと照らし合わせた。かたかたとキーを打っては、記事を作り上げていく。
 書いては直し、直しては書きと繰り返している内、ふとあのゴーストネットOFFの書き込みはどうなったのだろうかと気になった。
 ブラウザを立ち上げ、慣れた調子でサイトを開く。そのままBBSへと飛ぶと、あのMSGを探した。
 そう日も経ってはいないのに、かなり流れている様だ。
 漸く自分が最後に見た時間まで、戻って来たが。
 「あれ? ない…?」
 そこにあのMSGはなかった。自分の書き込みをキーに検索をかけて見るが、やはりない。
 「消されちゃったのかな」
 別に削除対象になる様なことは、互いに書いていなかった筈だ。それとも、大学側からクレームでも来たのだろうか。
 不思議に思いつつ、しかし凪砂はある答えに到達すると、笑みを浮かべる。
 「そうよね。あたしが覚えていれば、良いもの」
 ぽつりとそう呟いて、凪砂は再びキーを打ち始めた。


Ende

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1847 雨柳・凪砂(うりゅう・なぎさ) 女性 24歳 好事家

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          ライター通信
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雨柳さま、初めまして、斎木涼です。

 今回は依頼を受けて下さり、ありがとうございました。
 大人しくて控えめでありつつ、芯の強さを感じる女性と言うイメージがありましたので、それを念頭に置いて書かせて頂きました。成功しておりますでしょうか…。
 またお書き下さったプレイングを生かし切れているかどうかが、可成り不安でございます。
 フェンリルの影を内に秘めていると言うことでしたので、『ああ、強くて可憐な女の子って素敵v』と思いつつ、楽しんで書かせて頂きました。
 …しかし作中、あんなものと対峙させてしまって申し訳ありません。あれは、男女問わずいなくなって欲しいものNo1ですよねぇ…。
 また、NPCである征が、お邪魔になっていなければ宜しいのですが。


 雨柳さまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。