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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


■夢見る香炉

 「…お帰り」
 目を細め、何処か嬉しそうな顔をして先ほど店にやって来たそれを手に取って掲げる。
 彼女──碧摩蓮が手にしているのは、一つの古びた香炉だった。
 真鍮で作られたかの様な色合い──もっとも、それは月日を纏い、そこそこ変色してはいたが──に、作った者の愛情が感じられる精緻な細工が施されている。猫足に支えられた胴体部分は、まるで黄金律に則った美を思い起こす様なまろみを帯びていた。蓋に着いている手持ちの部分は、何とも知れない幻獣めいた動物だ。
 蓮はそっと、一番目立たない場所へと香炉を置いた。
 香炉が店内に馴染むのを目を眇めて見ると、フッ…と満足した笑みを浮かべる。
 この香炉は、手にした者に夢を見せる香炉だ。
 それは人によって良夢であり、悪夢でもある。時には未来や実は心の奥底に眠っている願望をも見せることもあった。
 ただ。
 夢の内容を選ぶことは出来なかった。
 そしてもう一つ、この香炉には曰くがある。
 それは……。
 「さて…。次は誰のところに、行くんだろうねぇ…」
 蓮は、妖艶とも言える微笑みを見せ、次の客を待つことにした。



 翌朝。
 何時もの如く、蓮は店を開ける為に、店内へと入った。
 「──うん?」
 何か、違う。
 そう感じる。
 何処がどう違うのか、明確な言葉で示すことは出来ないが、昨日と違うと言うことだけは解った。長年の勘とも言えるものだろう。
 嫌な予感から、彼女は足早に昨日帰って来たばかりの香炉の元へと向かった。
 「──ない?」
 溜息にも似た吐息が漏れ、怠惰そうに掌を額へとやる。
 後ろにある、これまた曰く付きのチェストへ凭れる様にして腰を下ろすと瞼を閉じた。
 繰り返す様だが、彼女はこの香炉を大切にしていた。
 それはある目的の為だ。
 この香炉の最終形を見たかったのだ。
 その為に、手塩にかけ──と言うには語弊があるが──、店に陳列し、売り、そして帰って来ると言うことを繰り返して育てて行った。
 それが何処の誰とも解らぬ様な奴に横取りされるなど、以ての外だ。
 ぎりりと唇を噛み、どうして探そうかと考える。
 が、その時。
 店のドアに付けられていた鈴が、澄んだ音を立てて来店を知らせた。
 蓮はにんまりとほくそ笑む。
 『こいつにしよう』、そう心で呟くと何時もの如く声をかける。
 「いらっしゃい、もう開いてるよ。入っておいで」



 良い出物があるかとも思い、彼はその限られた者しか辿り着けないと言われる、アンティークショップへと足を向けた。些か早い時間だったのだが、それは今になって思えば、『虫の知らせ』と呼べるものだったのかもしれない。
 そしてそこで見たのは、襟足が高く際どいスリットの入ったチャイナドレスを身に纏い、何時もより数段妖しげな雰囲気を醸し出す、二十歳後半の美貌の女だった。
 「で? その何か企んでいるかの様な笑みは、一体何なのです?」
 彼は、そう言って軽く微笑んだ。
 背に流れる艶やかな髪の色は銀。優しげに向けられる瞳の色は、太陽を受けて煌めく海を思わせる様な青だった。透き通るような白い肌はすべらかで、染み一つない。軽く弧を描く唇は、赤く瑞々しげに潤っていた。
 仕立ても質も趣味も良いチャコールグレーのスーツを嫌味なく着こなし、紫檀のテーブルに付いている。彼の腰掛ける椅子の背もたれには、ステッキがそっと寄り添っていた。
 彼の名は、セレスティ・カーニンガム。
 世にその名が轟くリンスター財閥、創設以来よりの総帥だ。
 ──もっとも、それは彼の一面でしかなかったが。
 「企んでなんかないさ。馬鹿お言いでないよ」
 煙管をふかし、溜息混じりにそう言う蓮に、小首を傾げたセレスティは先を促す。
 「…ただね、ちょっと頼まれて欲しいだけさ」
 「依頼…ですか?」
 「そう思ってくれて良いよ」
 「では、話をお聞かせ下さい」
 煙管を再度一服。
 「うちの商売モンが盗まれた。それも、…あたしが一等大切にしているヤツがね」
 彼女は今までの経緯──と言っても、大した内容ではないが──を、セレスティに話してくれた。
 盗まれた物は香炉で、それは何時もの如く曰く付きの物である。曰くとは、『その香炉は、手にした者に夢を見せる。但し、その夢は選べない。良夢である場合もあれば、悪夢である場合もある』と言うこと。
 その香炉は、店から出て行き、そしてまた戻ってくると言うことを繰り返していること。
 その香炉が昨日店に戻ってきて、何時もの場所──そう言って、蓮はある場所を煙管で指して教えた──に陳列した。だが翌日、つまり今日だが、店から消えていたこと。
 「何だか嫌な感じがしてね。行って見たら、影も形もありゃしない。…全く。香炉が独りでに歩いて行く訳ゃないから、誰かに盗まれたんだろうさ」
 「…侵入した形跡は、店の外にはなかったのですよね?」
 「ああ、なかったね。ドアも壊れちゃいなかったし、店内だって綺麗なもんさ。まるで鍵を開けて入ったみたいだよ。香炉だけがなくなっちまってた」
 またもや蓮は煙管をふかした。
 どうやら今日は、溜息を吐く回数だけ、煙管で誤魔化すつもりらしい。
 「解りました。お調べ致しましょう」
 「頼むよ」
 「ええ、お任せ下さい」
 どんな堅物も老人も、昇天させてしまいそうな程に蠱惑的な笑みを乗せると、微かに蓮は苦笑した。
 「あんた、あたしにその笑顔見せてどうすんのさ」
 「失礼致しました。…では、好事家、蒐集家などには、知られていると思っても間違いないですね?」
 少し疑問に思うこともあるが、そう確認してみる。
 「どうだろうね。…まあ、知る人ぞ知る…だろうね。変な話、あの香炉自体が、持ち主を選別してるんじゃないかって、長年見てるとそんな気がしないでもないけどさ」
 「選別…ですか。……取り敢えず、まずは裏のルートを探ってみます。昨日の今日で、出ているかどうかは解りませんが、何か情報があればとも思いますし」
 「そこらへんは、あんたに任せるよ」
 またもや溜息…ではなく、煙管をふかす。
 そしてふと、気になったことがある。
 「一つ、お聞きして宜しいですか?」
 「何だい?」
 「アンティークショップ・レンの店主ともあろうお人が、まさか『夢を見せる』だけの香炉を、それ程大切にする理由が私には解りかねます。その香炉には、一体何があるのですか?」
 セレスティの問いに、蓮は何処か面白そうだと言った雰囲気を纏い、言った。
 「聞きたいかい?」
 「宜しければ」
 「そうさね…。香炉をここへ連れ戻してくれたら、話しても良いよ。ただね…。あんたの欲しがる様なモンでもないってことは、先に教えておくかね」



 まずセレスティは、帰路の最中から自分の情報網を使って、闇のオークションやら蒐集家などから情報の収集を始めた。
 時間は無駄には出来ない。
 日が経つ程、香炉の行き先は不明になってしまうかもしれないからだ。
 彼は高級リムジンの中から、あちこちに電話をし、情報の提示を求めた。その多くは、『そんなものは、こちらにはない』、『あれがもう、売りに出されているのか?』もしくは『聞いたのは初耳。見付かったら、是非こちらに教えてくれ』と言う内容だったが、流石はリンスターが誇る情報網だ。
 「え? 今欲しがっている者がいるのですか?」
 その情報が引っかかったのは、いい加減、電話をかけ続けるのも疲れていたところだった。
 「ええ、…はぁ…。何でしょうか? その『異文化交流研究所』と言うのは…」
 何だか胡散臭げな名前を聞き、セレスティの優美な眉根が歪む。
 だが胡散臭くても、手懸かりは手懸かりだ。もう館も見えようかと言う頃合いだが、電話の相手からその住所を聞き出すと、運転手に向かう様に指示をした。
 ふと何かが引っかかったセレスティは、顎に手をやり考え込む。
 「この住所、何処かで聞いたことがありますよねぇ…」
 長い長い時を生きている彼のこと。些細なことは、忘れている時もある。要は、自分に必要なことさえ頭に残っていれば良い。だから特にと言うことがなければ、覚えてはいなかった。
 つまり、その『異文化交流研究所』と言うところは、セレスティにとってそう言う場所であったと言うことだ。
 「まあ、行ってみれば思い出すかも知れませんね」
 とまれ、アポなしと言うのも余りに不躾であると考えた彼は、そのまま最後になる様にと言う願いも込め、まずは秘書へと電話をかけた。
 「…私です」
 コール音は、僅かに一度。そこにかけるのは、セレスティしかいない為、即座に通じるのだ。
 「『異文化交流研究所』の所長に、会ってお話ししたいことがあります。私はもう、そちらへ向かっておりますので、至急、アポイントを取って下さい。お願いしますね」



 そこは可成り古く見える洋館であった。
 研究所と銘打っていることと、東京のど真ん中と言うこともあり、近代的な建物を思い浮かべていたセレスティは、少々意表をつかれる。
 運転手がリムジンを降り、石積みの門柱にあるインターホンを押下して訪問の意を告げているのが見えた。
 運転手がリムジンに戻ると同時、ゆっくりと錆鉄色の門扉が開く。
 石畳が続いている。両脇は、この都会には似つかわしくない木々が立ち並ぶ。
 緑の多さなら、セレスティの館も負けてはいない。だが根本的に、あるものが違うのだ。セレスティの館にある緑は、人の気持ちを和ませる様な、庭師が丹誠込めて構築した芸術だ。ここにある緑は、手入れはされているものの、何処か野生の香りが残っている森の様に思えた。
 石畳の終焉は門の外から見えた洋館で、そこは階段状のアプローチになっている。
 一段一段は低く、木製の両開きドアまで距離もさほどない。運転手がセレスティの乗車する、後部のドアを開けて待っている。彼はステッキを手にし、ゆっくりと石畳の上に降り立った。
 と。
 突如開かれた両開きのドアから、ヤケに艶めいた声が降ってくる。
 「ようこそ、高貴なお方。『異能者互助会』へは、どんなご用かな?」
 その言葉から、セレスティの脳裏に忘れていた存在が浮かび上がった。



 セレスティが夜の天高く鮮やかに煌めく月なら、彼は黄昏時にゆらゆらと淡く朧気な月だ。
 だがそんな印象は、最初の一瞬。彼が口を開いた瞬間、それは木っ端微塵に打ち砕かれた。
 視力が弱いからこそ、セレスティは人の気配には敏感であり、また己が持つ能力故に、第一印象が激しく打ち砕かれることはないのだ。
 そう言った意味で、この目の前の三上美雪と名乗った男は少々変わっていると言える。気配を完全に変えると言う芸当は、なかなかに面白い。
 そう、セレスティが読み違えたのではなく、彼が気配を変えたのだ。
 『まあ、それも、ここがあの『互助会』で、彼がそこに関わっているのなら、さもあらん…と言ったところでしょうね』
 意味深に笑う彼は、先ほどまですっかりと忘れていた『異文化交流研究所』について思い出していた。『異文化交流研究所』は通称が『異能者互助会』。
 セレスティが忘れていたのも無理はない。この会の存在は、今となっては大して彼に必要でもないからだった。会の名の通り、ここは異端な能力を持った者達が助け合う為に存在しているのだから。
 現在、セレスティには、自身が築き上げた力もあり、また周囲の人にも恵まれていた。ここを頼る必要性は、全くない。
 そしてセレスティが何者かを知り、敢えて裏での通り名『異能者互助会』を美雪が口にしたのだと確信している。
 その美雪が、テーブルに置かれているティーカップを、気合いで押しやる様な勢いで大声を上げた。
 「うそでしょー! マジで? 盗まれたって?」
 ただそれは、唖然としていると言うよりは、勘弁してくれと言った調子に聞こえたが。
 「ええ、昨日戻って来たのが、今朝になってみると、既に店にはなかったそうです」
 ここへ来た用件をかいつまんで話し、香炉が盗まれたと言う件(くだり)で、彼はその言葉を吐いたのだ。
 先ほどとは打って変わり騒々しいまでの雰囲気を持った外見『は』良さ気な男は、そう言うと次に少し首を傾げて考える風を装う。
 「うーーん、戻って来たのに盗まれたってことは、まだジイさんの手に渡るもんでもないってことか」
 「どう言うことです?」
 「え? ああ、まあ簡単に言えば、ジイさんに縁がなかったってことかなぁ。あ、ジイさんってここの所長ね」
 「縁、ですか…」
 「そう、縁」
 そう言ったものなど鼻で笑いそうに感じるのに、しれっと言ってのけるのが面白い。セレスティは、もっと反応を見たくて更に不可思議なことを言ってみる。
 「…香炉探しを頼まれた方からお聞きしたのですが、これは人を選んでいるかの様だと仰っておりましたね」
 「ま、そう言うのも、アリでしょ?」
 返った言葉は、やはり無条件に受け入れてると言った風に聞こえる。いや、これは言った人間を見て答えているのかも知れないと、そうセレスティは感じた。同じ言葉を違う人間が言った場合、素直に認めることがないのかもしれないと言うことで、つまりのところ、彼から感じるイントネーションが、セレスティと蓮の両方を信用に値する人物であると認識した結果、そう答えたのだと考えたのだ。
 『まあ、自惚れかもしれませんがね…』
 自嘲しつつも、セレスティは次に核心に近いことを聞く。
 「そうですね。…しかし、昨日の今日で、早々情報が回るものでしょうか?」
 セレスティは、暗に戻ってきたのを知ってると言うことから、この男か、もしくは老人が今回の盗難に絡んでいるのではないかと言っていた。
 「あ、疑ってるんだ。酷いねぇ。ああ、疑われてるのはジイさんか。なら、まあどうでも良いね」
 とても酷いと思っている様ではない。くすくすと面白そうに笑っているのだ。
 「でも、そんなこと、ない、ない。だって、あの香炉を欲しがったのは、ただ単にジイさんの道楽なんだもん。たかが道楽に、盗みは割に合わないでしょ?」
 「道楽で、窃盗ばかりか殺人まで犯す方は、いらっしゃいますよ。…悲しい話ではありますけれど」
 これは事実だ。溜息を吐きたくなることだが。
 「しかし。…今回は本当に無関係の様ですね」
 それは手懸かりが切れたと言うところだ。先ほど、あちこちに連絡を取った者達から情報が入るのも、もう少しかかりそうなことだし。
 魔の気配はなかったと思われる。だが、場所が場所なので、周囲のそれに相殺されてしまった可能性もなきにしもあらずだ。ただし相殺されてしまう程度の気配なら、特に気を遣う必要もない。通常の警戒心を身につけておくだけで良い。セレスティなら、それで十分すぎる程だ。
 「だから言ってるのに。で? 総帥としては、どうするつもり?」
 「仕方ありません。まずは占いで…」
 「……当たるも八卦、当たらぬも八卦ってやつ?」
 「いいえ、『どんな悩みもぴたりと当たる』と言う方ですよ」
 冗談だと思ったらしい美雪に、セレスティは大真面目に答えた。



 鏡に水を一打ち。
 それでその鏡には、魔力が宿る。
 水の性を持つ鏡。
 ふっと吐息を吹きかける。
 背後で腕を組んでいる美雪の視線を感じつつ、セレスティはその鏡の飾り枠へと指をかけた。
 『わざわざ家に帰ることもないんじゃない? ここで良ければどーぞ』と言う美雪の言葉に甘え、山のように飾ってあった鏡を一つ、何故か部屋にあるキッチンバーより水を僅かばかり借り受けた。
 意匠に凝っている鏡だ。またその鏡面も、綺麗に磨かれている。
 姿見よりは大きくもなく、さりとて顔だけ映すには少々縦がある。上半身が綺麗に映り込む程のそれは、しかし今、セレスティの姿も、そして部屋の様相も映してはいなかった。
 そこにあるのは、闇。
 いや、暗く昏い、まるで千年の昔に取り残されたかのような水底だった。
 本来そんなところにあろう筈もない波が、セレスティに見つめられているのを恥ずかしがっているかの様に、ゆらりと揺れる。
 その様を見、セレスティが微笑むと、またもや景色が変わった。
 「これはまた、何とも面白い」
 何処か呆れる風でセレスティが呟いた。
 「センスないねぇ…」
 背後で美雪も失笑しているのが解る。
 二人がそう思うのも仕方のない話だった。
 そこにあったのは、取り敢えず何でも集めてみました…的な部屋だったのだ。
 制作されて百年経とうかと言う木製のラットや、真鍮制のエンジンテレグラフと言う船舶関係のものがあったかと思えば、保存状態は取り敢えず良好な朱卓台や、何やら抽象画かとも思える掛け軸、オーク材を用いたトールボーイやヴィクトリアン・マルケットリー・キャビネット。それらが分類もされず、ただそこに詰め込まれていた。
 要は…。
 「節操という物が、全くありませんね。ここには」
 と言うことだ。
 いや節操だけでなく、美を愛でると言う精神が全く感じられなかった。
 取り敢えず珍しいから置いておけ、な感じがする。
 「取り敢えず、やたらと財力はあるんだねぇ。ここの主。あ、そうとも限らないか。道楽で盗むヤツかもねぇ…」
 美雪の皮肉を苦笑しながら聞き流していると、セレスティの意識にとあるものが引っかかった。
 「ああ、勿体ない…。これは本物のトーマス・チッペンデールの作品ですよ」
 セレスティは嘆きの声を上げる。
 セレスティが本物と言うからには、チッペンデール様式ではなく、チッペンデールその人が作ったものなのだろう。
 「あ、同じジョージアンのヘップルホワイトの椅子もあるねぇ…」
 「これはマッキントッシュじゃないですか…」
 マッキントッシュ──、林檎マークのコンピュータではない。不遇の家具デザイナー、チャールズ・レニー・マッキントッシュのことだ。
 二人はやれ朝鮮唐津がどうの、景徳鎮がどうの、ミュシャがどうのと、目にするもの、一つ一つに嘆きと落胆と呆れの声を暫しあげ続けた。
 そして。
 「これは……」
 瞳の青が、更に深まる。
 「見つけました」
 「オメデトウ」
 「こう言うことを申し上げるのは何ですが…。こんな所に、一時も置いておきたくはありませんね」
 あまりにぞんざいな扱いを受けている諸々に、セレスティは腹を立てていた。
 「って言うか、元々盗まれちゃったんだよねぇ」
 すっかりと忘れそうになっていたことだが、その通り、この香炉は盗まれたのだ。
 「これってさ、多分、札びらでほっぺたひっ叩いて、プロに盗みに入らせたんだろうねぇ」
 のほほんと言う美雪は、セレスティが口に出したくなかった下劣な想像と言う名の核心を口にした。
 「では、報いと言うものを、その身に受けて頂いても、全く問題はありませんね」
 盗人には盗人相応の報いを。
 「あ、総帥、ちょっと怒ってる?」
 「ええ、少しばかり」
 そう言うセレスティは、何とも言えない妖しげな笑みを浮かべる。
 「つまらないことに、お時間を割かせてしまいましたね。申し訳ありませんが、これで私は失礼させて頂きます」
 ステッキを手にし、ゆっくりと歩き出そうとしたセレスティを、美雪の声が遮る。
 「あれ? 場所解ったの」
 「ええ、あそこまで無節操に収集している人物と言えば、直ぐに思い当たります」
 「何だ。総帥もか」
 「キミも?」
 「本人に会ったことないけどね」
 「私もです」
 会いたくもないと、心の中で呟いた。
 「ね、もう一つ聞いて良い?」
 「何ですか?」
 「あのさー、あんな便利なこと出来るのに、何で最初からそうしなかった訳? 人に聞くより早いでしょ?」
 「人に聞くと言うことは、情報を与えることにもなります。そうして与えていれば、逆にその人達からも何かを聞くことが出来るからですよ。言わば、気の長い根回しの様なものです」
 「成程。アンテナ掃除してた訳か」
 納得した美雪に、『では』と立ち去ろうとしたが、ふと気になってセレスティは聞いてみた。
 「それにしても、ここには鏡が沢山ありますね」
 「まあね」
 「それにとても綺麗に磨かれている」
 「そりゃーそーだよ。だって、曇ってたら、俺の綺麗な顔が見えないでしょ?」
 自信満々言い切る美雪に、セレスティは思わず脱力しそうになった。



 「うわー、凄い不細工。絶対に悪気があって盗んだんだねぇ。うん、間違いない。さっさとシバキ倒して、香炉を取り戻そう。そうしよう」
 真昼よりも少々日差しが柔らかくなって来た時間に、正々堂々と、正面突破…と言うか、訪問を果たした二人は、今その不細工と言う本人を目の前にしている。
 あの貴重品の山な部屋はともかくとして、人目に付くような部屋は、恐らくコーディネータにさせたのであろうことが明白で、無節操でも成金趣味でもなかった。
 今通されている洋風な部屋も、目眩のするような趣味の悪さと言う物はない。適度で節度のある調度品が置かれ、絵画と生花がアクセントの様にして飾られている。足下に伸びる絨毯も、そこそこに品の良い色合いだ。腰を下ろしているソファのスプリングも、可もなく不可もなく、ティーカップの置かれているテーブルもまた、室内に馴染んでいる。
 ただ、玄関マットとして、無造作にアンティークキリムを置いてあったのには、些か腹に据えかねたが。
 「お待ち下さい。あの、何故そうなるのでしょう…」
 盗みに悪気がない場合と言うのは、直ぐに解ったが、何故不細工だとそう言う結論に落ち着くのか、セレスティには理解不能だ。
 そもそも、この男が付いてくるとは思ってもみなかった。
 別段セレスティの身を案じている様でもなく、疑問をぶつけてみると、『暇だから』と言う答えが返ってきた。
 暇なら暇でも良いのだが、ともかくもう少し聞こえない様に言って欲しいかもしれないとは思う。だが、珍しくセレスティは諫める様なことは言わなかった。
 「あれは悪人面って言うのさ。俺がそう言うんだから、間違いないね」
 まあ、確かにセレスティ自身も、目の前の男からは良い感情は拾えなかったのだが。
 「何だ、お前達はっ。屋敷に押しかけてきたかと思えば、いきなりの雑言。失礼にも程があるっ!」
 青筋を立てていた男が、いきなり二人に向かって怒鳴りつけた。
 しかし、怒鳴りつけられた当の本人達は、全く以て泰然としている。
 確かに小声でもなく、普通の音量で悪口と言うレベルな言葉を投げつけている──約一名のみだが──のだ。腹も立とう。
 「そもそもそこの男が言う、『香炉』とは何のことだっ。しかも盗むだとっ?!」
 「押しかけたとは、聞き捨てなりませんね。私は、こちらへお伺いする前に、秘書からアポイントメントを取らせた筈ですが?」
 そう、リンスターの名に尻尾を振ったのは、この目の前の貧相な男だ。
 ひょろりとモヤシの様に細く、青白い顔色をした五十過ぎの。
 セレスティは、その湖面の様に美しい瞳を眇ませそう言った。
 「そ、それはっ…。そちらの秘書が、ごり押しして」
 しどろもどろになる男に、セレスティは冷たい視線を向けたまま問いかける。
 「ごり押し、ですか? 私の秘書が、一体どの様にしてアポイントを取ったのか、お教え頂けませんか? 失礼なことを申し上げていましたのなら、きちんとお詫び致しますし、また以降、リンスターの名を貶めることのないよう、躾直さなければなりませんし」
 お詫びだの躾直すだの言ってはいるが、セレスティがその必要性を感じていないのは、イントネーションで解るだろう。
 詰まった屋敷の当主と、したくもない睨み合いを数秒続けた後、不意に口元に笑みを浮かべる。
 「まあ、そのことは後でお伺いすることにして。本日お伺いした用件についてですが、宜しいでしょうか?」
 ソファへ深くかけたセレスティは、有無を言わさぬ口調でそう言うと、相手の返事を待つことなく畳みかける。
 「こちらのコレクションを、私に拝見させて頂けませんか? なかなかに幅広いご趣味でいらっしゃるとお聞きしましたもので、前々からお願い申し上げようと思っていたのです。……宜しいですね?」
 慇懃な姿勢を崩すことなく言うセレスティに、美雪が明後日の方向を向いてアドバイスと言う名の茶々入れをする。
 「宜しくないんじゃなーい。だってー、そんなことしたら、香炉盗んだって、バレちゃうじゃない」
 「あ、あれはっ! 元々ここにあったものだっ!! それを、あの馬鹿が…」
 「ほら、ゲロった」
 「っ!!」
 あたふたと立ち上がる男を指さし、にっこりと笑う美雪は、表情とは逆で馬鹿馬鹿しいとばかり肩を竦めた。
 馬鹿馬鹿しいと思ったのは、セレスティも同じだ。ここまであっさりと、白状するとは、…と言うより、引っかけでもない言葉に躓くなど、頭痛がする程に情けない。
 「リ、リンスターの御当主は、足がそれ程達者でないとお聞きしている」
 その言葉と共に、ばたんとドアが開いて、お約束の黒服が数人見えた。しかもそれを口にした男は、及び腰になっているのがありありと解る。
 「それでも、お前に後れを取る総帥だとは、俺には思えないんだけどねぇ」
 意味深な言葉を吐いた美雪は、どうやらセレスティの本性を知っていると確信する。
 「仕方ありませんね。キミが手ずから、私に譲りたくなる様、お願いするしかありませんか」
 唇だけで、セレスティは鮮やかに笑った──。



 悠然とソファに座ったままのセレスティめがけ、黒服の一人が突進する。
 笑みを更に深くした瞬間、彼の元へと飛びかかろうとした黒服の足下が、急激に下がった血圧にがくりと崩れて卒倒した。
 美雪は、既に他の黒服の相手をしていた。凄まじい破壊音が聞こえるのは、どうやら壁に黒服が激突した音の様だ。
 「おや、まあ。力持ちですねぇ」
 のんびりと緊張感の欠片も持たず、セレスティが呟いた。また一つ、爆音じみた音が聞こえる。爆発物もなかった様だが、一体どうすればあんな音が作れるのだろうかと、少々不思議な気もするが、とまれ今は、また別の黒服を捌かなければならない様だ。
 先ほどから、水の香りがセレスティを誘っている。
 指先を弾くと、その水が、主であるセレスティの意を受けて、部屋の各所にある花瓶から舞い上がった。美しい調和を見せ、その水達は近くに迫っていた黒服の頭上で集合すると、一挙に勢いを付けて落下する。
 そのまま顔にまとわりつくと、掻きむしりつつ剥がそうとしている男から酸素を奪って窒息させた。勿論、死なない程度、だ。
 「全く、往生際の悪い…」
 その部屋に、戦闘可能な人物は、最早セレスティと美雪、そして黒服一人と、形勢不利とばかり、後今まさに逃げようとしている屋敷の主人だけだった。
 「お待ちなさい」
 鞭の様に撓る声が、そのこそこそとしている男の背を打ち、更に水蛇がその身体に巻き付いた。
 ひぃっ、と、情けない声を上げて、屋敷の主人はその場へとへたり込む。
 その襟首を掴みあげ、美雪がセレスティの前へと軽々放り投げた。
 「総帥、今度ちゃんと水芸見せてね」
 ゆっくりと歩いてきた美雪は、まるでひき逃げされた蛙の死体の様に床に這い蹲っている屋敷の主人を踏んづけて、足でぐりぐりと踏みにじった。
 「水芸などでは、ありませんよ」
 呻く声をBGMに、セレスティは苦笑する。
 そして。
 「さて、如何です? お気は変わりましたでしょうか?」



 「香炉とは、こちらで宜しかったでしょうか?」
 香炉を入れた木箱を開け、中身の確認を求める。
 セレスティからその木箱を受け取った蓮は、中身をじっくり見ることもなく、はっきりと言い切った。
 「ああ、これだよ。有り難う」
 「それは宜しゅう御座いました。何やら、売る予定のなかったものを、息子さんが勝手に持ち出してこちらに持ってきてしまったらしく、それを取り戻しただけだ…と仰っておりましたよ」
 「馬鹿だねぇ…。そいつ」
 微笑みを浮かべたセレスティだが、ふとあの屋敷の前で分かれた美雪を思い出す。彼は、香炉をまた買いに行くと言っていた。
 「そう言えば、三上美雪さんと仰る方が、香炉をお求めになりたいそうですよ」
 そのセレスティの言葉に、蓮は眉を顰めて問いかける。
 「ああ、あんた、あの性悪に会ったのかい」
 「性悪…」
 「ああ、性悪だね。あの男は。…まあ、今のところは、手綱を持ってるヤツがいるから、悪さはしようがないけどさ」
 微かに呆れの色は寄せてはいるものの、言葉程に嫌っている訳ではないと言うのが、セレスティには解る。
 「まあそのことは良いか。…ところであんた、これの夢は見たかい?」
 「いえ…」
 「見たいとは思わなかったのかい?」
 「特に、その様には思いませんでしたねぇ。それが?」
 「これが報酬だなんて、ケチ臭いことは言わないけど、まあ、その一部として一度見てごらんよ」
 何処か愉快そうにそう言う蓮に、では…とセレスティは香炉を直に持つ。
 「…あの、持つだけで宜しいのですか?」
 「ああ、じっとそれを見つめてご覧。別に、目で見る必要はないからね。ただ、そこに意識を集中して……」
 その声は、ゆっくりと立ち上る、何も入ってはいない香炉からの香りで、徐々に小さくなって行った。



 気が付くと、白い靄に包まれていた。
 上も下も、右も左もないそこは、まるで空に浮かんでいる様でもあり、また海の中に身を委ね、漂っている様でもある。
 「ここは…。香炉の世界…ですか?」
 セレスティは、そう呟く。
 視界…と言うよりは、直接脳に送り込まれている映像だった。
 彼の意識が徐々に清明になると共に、靄もまたゆっくりと晴れていく。
 次に見えたのは、様々な人が持つ思いだった。
 それぞれがシャボンの様な泡の中に閉じこめられ、そしてセレスティに気付くことなく時が進んで行く。
 まるで一つ一つが世界を構成しているかの様にも思える、泡。
 そのいくつかを、何時もの様に水を扱う要領で、そっとこちらにたぐり寄せた。
 ふわりと近寄ってきた泡は、セレスティの存在を通り抜ける。

 『ああ、こんな夢みたいな生活。一生味わえないと思ってたわ』

 そう思っていたのは、冴えない風貌をした三十過ぎの女性。彼女は綺麗でこぢんまりとした庭付き一軒家のリビングで、うっとりとした表情で座り込んでいる。

 『鏡よ鏡。この世で一番幸せなのは…誰?』

 聞かなくても解っている。幸せなのは『私』。幾万もの家臣に傅かれ、お菓子の城に住み、優しい王子様が手を差し伸べる。もう明日の食べ物にも困ることはない『私』が一番幸せ。

 『くそっ、何時まで経っても終わりゃしねぇ。もう、止めた止めた! サービス残業なんかまっぴらごめんだ』

 よれよれのスーツに何日も洗濯していないと思しきシャツを着込み、ネクタイをだらしなく首にかけたサラリーマンが、目の前に山と積み上げられた書類を周囲にまき散らす。

 『もう私を虐めたりしないわよね? もしも虐めたら…解ってるわよねぇ?』

 まだ幼い少女は、以前自分を虐めていた少女に向かい、残酷な笑みを浮かべる。突如笑みを消した少女は、大きな口にと変身し、怯えて竦む彼女を丸飲みした。

 『血の香り、拉げる骨の感覚。そう、そうだ。俺がいるべき世界は、ここなんだっ』

 歓喜に震える声を上げ、剣を揮っては目の前に現れる敵を斬り殺している男は、とても充実感を覚えている。

 『やっぱり嘘だったのね。貴方が死んじゃったなんて、私、信じてなかったわ』

 大粒の涙を零し、目の前で微笑む青年の胸に飛び込んだ女性は、泣いているのにとても幸せそうな笑みを浮かべていた。


 そしてまた一つ、一つ、一つ、一つ──。
 セレスティの中を通り過ぎる。
 「走馬燈の様ですね」
 駆け抜ける思いは、都度セレスティの心にその主の感情を鮮明に焼き付けていく。
 「ああ、でも。走馬燈だとは、…まるで死に行く人の様ですね」
 くすりと笑う。
 「もう充分です」
 そう呟いたセレスティの視界が、突如反転した──。



 ゆっくりと、香炉の世界に入った時と同じく意識が覚醒していく。
 どうやら座ったまま、暫し夢の世界に生きていたのだと解った。
 目の前には、煙管をふかしている蓮がいる。彼女は目覚めたセレスティを見て、唇の端で笑った。
 「どうだい? 夢は、見れたかい?」
 「ええ、見れました。しかし、あれは私の夢と言うよりは、人の夢の様でしたね」
 「人の夢?」
 何処かまだ身体が浮いている様に思える。
 「ええ、恐らく…ですが、私が見たあれは、今まで香炉が見せた他の人の夢ではないでしょうか」
 少々驚いた風の蓮は、暫しの沈黙の後、口を開いた。
 「それはまた、あんたらしい夢だったねぇ」
 目を眇めて微かに笑う。それはとても暖かい笑みだった。
 未だ暖かな湯気を上げている紅茶を一口飲んだセレスティは、ゆっくりと蓮を見つめる。
 「お約束を果たして下さいますか?」
 「ああ、良いよ」
 そう言うと、蓮はそっとセレスティに耳打ちをした。
 『あの香炉はね……』
 密やかに交わされる秘密。それを聞き終えたセレスティは、微かに唇へと笑みを浮かべる。
 「成程…。そう言うものでしたか」



 涼やかな音が鳴る。
 アンティークショップ・レンのドアにある鈴の音だ。
 そこから出てきたのは、銀の髪、青い瞳を持つステッキを手にした青年だった。
 見計らった様に、彼の前へ高級リムジンが停車した。その運転席から出てきた男は、慣れた動作で後部へと周り、男の主──セレスティ・カーニンガムの為にドアを開ける。
 足の不自由さを感じさせない、洗練された動作で乗り込むセレスティを確認し、ドアを閉めるとそのまま運転席へと滑り込んだ。ゆっくりと滑らかにリムジンが動き出す。
 セレスティは、後部座席で呟いた。
 「確かに…、あれは私が欲しいと思うものではありませんね」
 「…ご主人様は、欲が御座いませんから」
 だから欲望と言うものとは無縁だと、そう言外に滲ませる。
 その運転手に微苦笑を浮かべると、セレスティは微かに首を振った。
 「いえ、あれがもたらすのは、本来自分の手でつかみ取るものだと、私はそう思うからですよ」


Ende

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1883 セレスティ・カーニンガム 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い

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          ライター通信
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セレスティさま、初めまして、斎木涼です。

 今回は依頼を受けて下さり、ありがとうございました。
 初めて手がけるウェブゲームと言うこともあり、少々緊張してまして、ご期待に添った内容になっているか不安が残るところです。
 香炉の最終形は、まだ少しばかり公表する訳には参りませんでしたので、ひっそりとお伝えすると言うことになってしまいました。大々的な暴露は、もう少々お待ち下さいませ。
 また作中に、NPCである美雪を放り込んでみました。わたくしが彼に成り代わりお喋りしたいっ、でも出来ないからせめてNPCだけでも…と言う葛藤の産物でございます。ご迷惑になっておりましたら、申し訳ありません。

 セレスティさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
 ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。