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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


やわらかいクレーン


「よう! ようようよう! どっか行こうぜどっか、YO!」
「だから声がデカいんだよ! それに何でHIPな黒人のモノマネしてんの?」
「黒人じゃねェ!」
 大学から帰ってきて、一息ついた葛のもとを、またしても和馬が訪れた。葛は、藍原和馬という男が、毎日暇を持て余しているわけではないことをよく知っている。毎日のように、毎日違う職場で仕事をしているはずなのだ。そのほとんどが、頭よりも身体を使う仕事だ。和馬のスケジュールで1ヶ月過ごせば、5キロは痩せて、ぷにぷにの腹もきっと引き締まるにちがいない。
「それに、どっか行くって……仕事は?」
「今日のはノルマ制でよう。ちゃっちゃと片付けたってェわけさ」
 午後5時だ。仕事帰りのはずの和馬はぴんぴんしている。
「どういう体力してんのさ……」
「ランクSアーマーナイト級の体力」
「……」
 びっ、と親指を立て、きらっ、と白い歯を光らせる和馬に、はあ、と葛は短く溜息をつく。
 それから、葛は苦笑いで頷いた。
 葛は葛で、忙しくはあるが、社会人よりもずっと楽な日々のなかにいる。今日は朝からこの時間まで大学にいて、とりあえず一区切りつくまで卒論を進められたのだ。その後の予定は何もなかった。
「チビ助はいないんだろ?」
「何で知ってんの?」
「帰りがけにアトラスの近くで見たんだよ。何人かで何か食ってたぞ」
「調査終わったのかな……何の連絡も来ないけど」
「帰巣本能あるだろ? ひとりで帰ってこれるだろ? 鍵っ子だろ?」
「ほんとに必死だね、まったく! 心配しなくたって、出かけるよ」
 葛は眉をひそめて乱暴に玄関ドアを閉め、手早く出かける支度を済ませると、居候に宛てた書置き(「和馬と外で何か食べてくる」)を残し、家を出た。
 玄関の前で、和馬は、尻尾を振る犬のような顔をしていた。


 秋分の日も過ぎたいま、午後5時過ぎの東京は、もう暗くなり始めていた。
 出かけてみたはいいものの、ふたりには特に行きたいところもなく――和馬はすでに腹を空かせていたが、5時の夕食は少し早い――しばらく、ただ他愛もない話をしながら、街の中をそぞろ歩いていた。
 暮れなずむ街に、コンビニと、カラオケボックスの看板と、気の早いネオンとは、まぶしく光り輝いている。
「おッ……そうだ」
 不意に和馬が、そんなまぶしい光のひとつを指差した。
「ゲーセン行こうや、な? 暇潰しにゃ、最高のロケーション!」
「暇だから出かけたはずなのに、外でも暇ってどういうことだよ」
「細けェこと言わない! あそこで1時間も騒ぎゃ、お前さんの腹も空くってもンよ」
 ゲームセンターで大騒ぎする性分でもないと、葛は言おうとした。
 だがそのときにはすでに、和馬が葛の腕をしっかり掴んで、パステルブルーの電飾のもとに先導していたのだった。


 平日の午後5時、ゲームセンター内は学生でそこそこの賑わいを見せている。
 和馬の黒スーツと葛の若草色のカットソーは、制服の波の中に溶けた。
「なァあれやらねェ? ダンスダンス! レッツダンス!」
「やだよ!」
「じゃ太鼓! 太鼓太鼓!」
「あれね、やったら絶対知能指数下がる」
「ちっ、インテリめ! 俺ひとりでやってくらァ! アニソンメドレーを今日こそ――」
「行ってらっしゃい」
「ギャラリってもくンねーのかー?!」
「俺は俺で、やりたいものがあるから……」
 葛の翠の目は、プリクラコーナーに隣接したUFOキャッチャー群に向けられていた。葛の皮肉にもめげず、和馬は懐から給料袋を取り出すと(今日も日払いの仕事だった)、両替機に突進していった。音ゲーに群がる学生の波をするりするりと縫っていく様は、こなれている。葛の知らないうちに、彼はゲームセンターに通っているのだ。
 和馬の黒い背中を見送って、葛はひとり、UFOキャッチャーにコインを入れた。
 ガラスに映る自分の顔が笑っていることに気がついた。
 ガラスの向こうのぬいぐるみは、愛想がない表情のものばかりだ――。

「おッ?」

 何故かかなりいい汗をかいてから葛のもとに戻ってきた和馬は、思わず声を上げて、顔を明るくした。葛がUFOキャッチャーの景品取り出し口から、苦心しながらぬいぐるみを引っ張り出していたのだ。取り出し口から出すのに苦労するほど、葛が獲ったものは大きかったのである。
「なにゲットしたんだ?」
「あ、和馬!」
 振り返って和馬を見た葛の顔は輝いていた。先ほどまでの、つまらなくもないが楽しくもない、微妙な表情とはわけが違う。和馬は思わず言葉に詰まり、咳払いをして、葛の翠の双眸から目をそらした。和馬の目がつぎに(とりあえず)とらえたのは、葛の手の中にあるぬいぐるみだ。
 最近のプライズ景品というものは、よく出来ている。それはその中でも秀逸のできばえといえるだろう。重量感もあるし、使っている生地もいい。ただ、難点は……
「目つき悪ッ」
「そういうキャラなんだよ」
「……こんなキャラ、何かにいたっけか?」
「いるいる。だから欲しくなっちゃってね。あいつも喜ぶだろうし」
「チビ助も知ってるってか?」
「水曜の5時半にやってるアニメのやつなんだ。俺、あいつと見てるんだよ。ええと、確か……あれ……」
 嬉しそうにしていた葛の表情が、たちまち難しくなる。
 のどの辺りでつかえている、そのキャラクターの名前。
 和馬が知らない、子供向けのアニメの中の……いじわるなやつ。口にするナンセンスな皮肉。いつも、最終的に貧乏くじを引く。
 でも、結局、だれだったっけ?
 名前が思い出せない以上、それは、「目つきの悪い黒い犬」のぬいぐるみである。
「案外簡単な名前かもだぞ。クロイヌ君とか」
「こいつオオカミだよ」
「なに!」
 黒い狼と聞いて、和馬はぴくんとはねた。何故そこでそこまで驚くのか、一般的な観点から見れば、疑問であっただろう。
 名前を思い出そうと必死の葛は、その反応に突っ込む余裕もない。
「黒いオオカミなんだよ。犬って言われたら凄く怒るんだ」
「そ……そうっすか」
「これ、多分犬呼ばわりされて猛反論してるときのポーズと顔だね。毎週1回は必ずそういうシーンがある」
「で……名前は?」
「う、うううん」
 難しい顔が、途中で、出し抜けに笑顔に変わった。
「ま、いいか。ぬいぐるみゲットだぜ!」
「……」
 和馬は複雑な表情でヌイグルミを見つめたあと、葛がコインを入れていたであろうUFOキャッチャーの中を見た。
 無造作にぬいぐるみが詰め込まれていた。
 白いヒツジ、ピンクのウサギ、青いカエル、黒いオオカミがいた。
「あのヒツジの方が、よっぽどいい顔してンじゃんかよ」
 何故、よりにもよって、目つきの悪いオオカミか。
 ガラスに映る自分の顔が笑っていないことに気がついた。
 ガラスの向こうのぬいぐるみも、愛想がない表情のものばかりだ――。


 ゲームセンターを出た頃には、街灯という街灯が道を照らし、学生の姿の中にサラリーマンの姿が混じり始めていて、街は不思議な活気を帯びていた。
 気だるい活気とでもいうのだろうか。
 仕事や授業が終わって、疲れたはずの身体が、気晴らしを求めているのだ。
「腹減ったね」
「ようやくか」
「どっか行く? あ、でも俺いまあんまり金な……」
「俺が奢っちゃる!」
 どん、と気前よく胸を叩いたはいいものの――
 和馬が葛を引っ張っていったのは、全国にチェーン店が点在するファミリーレストランだった。

「何だよ……寿司とかトンカツとか期待した俺がバカだった」
「ゴーカな食いモンとして寿司とかトンカツ挙げる、そんな庶民的なところには好感が持てるぜ」
「は?」
「さあ、何でも食え!」
「……」
 和馬の言葉を受けて、葛はなるべく高価なものを頼んでやろうとメニューに目を落とした。……この店で一番高いものは、サーロインステーキ定食1180円(税込)の模様。
「……」
 こんなファミリーレストランで出るサーロインステーキなぞ、たかが知れている。葛は苦笑混じりの溜息をつくと、メニューを閉じた。
「チーズハンバーグセットでいい」
「そんなんでいいのか? 819円だぞ」
「……に、秋限定マロンパフェ714円」
「そう来たか。そう来るなら俺は特製カツ丼980円税込特別価格だ」
 ふたりを見守っているのは、どちらが置いたのか、テーブルの上の黒いオオカミ。
 注文したものが届くまでの間に、ずっと葛はそのオオカミの名前を思い出そうとしていた。しかしやはり、どうしても思い出せないのだ。
「ゴメス……ゴゴンガ……ゴードリー……うーん、ちがうなあ」
「とりあえずゴが付くのか」
「ガだったかも」
「ガ行が名前に入るキャラって大抵悪役なんだよな」
「悪ってほどの悪じゃないと思うけど」
「このツラでか?!」
「だって、子供向けだし」
「子供向けなら、覚えやすい名前が多いと思うんだがなあ」
「和馬は見たことないのか? 結構いま流行ってるのに」
「その時間、仕事してることが多いからなア」
「……そっか。ごめん。学生は暇なんだったな」
 ふうっ、と葛が不意に笑った。
 柔らかい微笑だった。
 束の間和馬はそれにみとれて、黒いオオカミのことを忘れた。


 可もなく不可もない味の食事を終えて、ふたりは帰路についた。
 それほど葛の家からは離れたところでもなかったし、葛はひとりで帰ると言ったのだが、和馬はついてきた。送ると言って、聞かなかったのだ。
「なア、あのパフェ、相当甘かったな」
「マロンだからね」
「チビ助が喜んだぜ。たぶん」
「居たらね、きっと」
「今度は、3人でだな」
「3人で、寿司かトンカツ」
「ワリカン?」
「ははは、それでもいいよ」
 アパートの影が夜空に伸びているのが見えた。
 葛は抱えていた黒いオオカミを、突然、振り向きざまに和馬に押しつけた。
「やる」
「は?! なに?!」
 素っ頓狂な声を上げる和馬に、葛は歩き出しながら笑いかける。
「お礼!」
 車道を横切り、葛は行く。和馬は思わず、黒いオオカミと見つめあっていた。
 ――あのチビ助にやるんじゃなかったのかよ。
 ――あのチビ助が喜ぶって、お前は喜んでたんじゃないのか?
「じゃあね!」
 アパートの入り口近くから、葛は声を張り上げていた。
 おウ、と和馬はぬいぐるみを振りかざす。結局、何も言えないままに。
 ――ああ、今日も結局、いつもの日だ。何も変わりゃアしない。
 東の空を見れば、満ちかけた月が光っていた。




<了>