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【武彦に憑いた悪霊】
「お集まりいただきありがとうございます……」
一礼して顔を上げた草間零の瞳は潤んでいた。彼女の元に集まった面々は、これから話されるであろう依頼内容にただならぬ不吉を感じた。しかし、主である草間武彦はどうしたのか。ひとりがそう言うと、
「兄は悪霊に体を乗っ取られてしまったんです」
一同はどよめいた。
武彦がいつものように、気の乗らない怪奇現象の依頼を受けて、すぐに戻ると言い残し出て行ったのが5日前。それ以上待てなかった零は探しに探した。そして見つけた武彦の顔は変貌しきっていた。憑かれた探偵は凄まじい運動能力と凶暴性を身につけており、零に攻撃を仕掛けた。零は何とか逃げ帰ったものの、ショックのあまり動きが取れないでいた。誰かに助けを求むしか法はなかったのである。
「お願いします。兄を救ってください。兄は今、この近くの公園に潜伏しています」
「すぐに兄貴は元に戻してやるからな、お嬢ちゃん」
「まかせてちょうだい。必ず助けるわ」
リィン・セルフィスとシュライン・エマが零を慰める。
「ま、荒療治決定だけどな。場合によっては、病院送りになるかもしれんが……」
「そうネー。レイ、無傷は期待しないでヨ」
水滝刃とジュジュ・ミュージーが現実的に告げると、零は臆することなく頷いた。
「はい、兄がちゃんと戻ってくれるなら」
草間武彦ほどの男が遅れを取ったその幽霊、相当に厄介に違いない。しかしこちらは4人の軍勢である。誰も負ける気はしなかった。
それでもビルを出た一行は、まっすぐ公園へと向かうことはしなかった。充分な下準備が必要と感じていたのだ。それに日中の公園で暴れては他の人間に被害が及ぶ可能性がある。
決行は深夜となった。
朧月に霞み雲がかかっている。人気の途絶えた暗闇の公園で動くものは、チラチラと明滅するいくつかの電灯ばかり。息を潜めて、4人は入口に集合していた。
脇には、傷ついた武彦をすぐに運び出せるように、救急道具と車が配置されている。武彦を清めるために――ということでそこらの神社から入手したお神酒もある。これらはすべてシュラインが用意した。
「Are You Ready? いよいよ戦闘開始だぜ」
リィンが先頭に立って合図する。
「位置は……ここから2時の方向に50メートル。先制攻撃をできればいいのだけど」
シュラインが心音、呼吸音、足音等から武彦の位置を割り出した。刃が腰につけた木刀の柄を握る。一方。
「ムダな抵抗止めるネ。ユーは完全に包囲されてるYOー」
ジュジュが拡声器でしまりのない声を響かせた。驚き不審がる面々。
「ソーリー。ホントは携帯に電話してやりたかったけど、通じなかったのネ」
ジュジュはこれでデーモン『テレホン・セックス』が武彦に憑依したと説明する。先に憑いた悪霊と乗っ取りあいをさせ、武彦を弱らせるのが目的らしい。それがどこまで効果があるかはわからなかったが。
4人は一切の気配を消し、足音を立てずに園内を走った。瞬く間に50をメートルを駆け抜け、広場まで来た。武彦の姿は見えない。リィンが問う。
「位置は?」
「え、と。間違いなくここで――」
シュラインが言った、その時。
刃が木刀でシュラインの頭上を突いた。か細い悲鳴が上がって、何かが落ちる音。
それが武彦だった。
「グ、グギュル……」
電灯の薄明かりでわかる。眼鏡の奥の目が血走り、口元には涎がだらしなく糸を引いている。人間のものではない呻きとあいまって、飢えた虎のような形相である。これが、木の上に隠れシュラインを一撃の元に殺そうとした。
「おいおいおい、あれが人間の顔か。悪霊ってのは生前はよっぽど汚い面だったんだな」
リィンがたまらず毒づく。
と、武彦がスプリンターのように両手を地について、体を屈ませる。4人は突進に身構えた。
咆哮。武彦は地を蹴って――ひとりでに転んだ。鼻が折れるほどの勢いで顔から地面に突っ込んだ。
「um……テレホン・セックスは半分半分成功しているようネ」
武彦が起き上がらぬ間に、リィンと刃が間合いを詰めていた。初めてとは思われないコンビネーション。握り締めた剛拳と疾風の斬撃が左右から挟み撃ちにする。
武彦は身じろぎひとつしない。これから与えるダメージで悪霊を追い出せる。ふたりはそう確信していた。
鈍い音がこだました。
拳と木刀は、武彦の両手で止まっていた。そのまま掴み、リィンと刃は驚愕のうちに投げ飛ばされる。ふたりとも受身を取れず背中から落下した。
「へえ、よっぽど身体能力がアップしているんだな」
リィンは何事もない様子で立った。再生能力が半端ではないのだ。
「いつ……。木刀だけでは勝てないか」
刃も体を起こし、目付きを変えた。本気にならなければやられるのは自分だ。
一瞬で気を練る。秘技を存分に繰り出して戦うと決断した。木刀に、陰陽の呪符による風属性が付与される。空気が流れ、刃の衣服と髪が上方に揺らめいている。シュラインとジュジュは一歩下がることにした。
「すごいわね。私たちは安心して補助に回れそう」
「イエス! ふたりとも頑張れ〜」
静けさの海だった園内が、絶え間ない打撃音と残響音で渦巻く。
ほとんど野獣の動きを誇る武彦と、人外の力を繰り広げるリィンと刃。両者の激突はもう常人の目では追えなかった。武彦はジュジュのテレホン・セックスで動きが制限されることがあったが、それでも互角である。いくら武彦をなるべく傷つけまいと配慮した戦いとはいえ、苦戦であった。
リィンが何十発目かの拳打を当てる。刃が風の衝撃波を連続で見舞う。しかし憑かれた探偵は倒れない。
「ったく、やりにくいな。燃えるけどよ!」
武彦が足を滑らせたのを見逃さず、リィンは脚を払った。武彦が地に伏せった。
当然すぐ起き上がると予想したが――武彦は膝を突いたまま動かない。
彼の動作を封じているのはシュラインだ。特殊なヴォイスコントロールで、内部に衝撃を与えている。停止する隙を見計らっていたのだ。
「OK、今のうち今のうち!」
ジュジュの声に反応するまでもなく、リィンが武彦の背後に回り、首筋に手刀を浴びせた。
必要最小限の一撃。武彦は声もなく崩れ落ちた。
「おっし、成功したぜ!」
リィンが武彦の表情を覗く。元の穏やかな人間のそれに戻っていた。
ダメージを負いすぎた寄り代を捨てて、悪霊は抜けたのだ。もちろんまだ終わりではない。
「逃げるな。降りろ、妖!」
刃が気配を察して叫び、飛んだ。風を纏った木刀を――そこに浮かんでいた、青白い雲のような不定形体に打ち下ろす。べシャッと気持ち悪い音を立てて、それは地面に追突した。そして起き上がる。
顔らしき顔が見当たらない。ただ目が虚ろに黒く空いているだけの、粗末な形だった。
悪霊は奇声を上げて浮かんだ。再び宙に逃げようとする。
「こらこら、往生際が悪いぜ」
リィンがブーツ左側から取り出した、対霊用の銃を乱射する。また悪霊は墜落する。
見れば悪霊の体から、湯気のように霊気が垂れ流されている。もうボロボロだった。
「そろそろとどめと行くかい」
「草間さんに憑いた妖……。在るべき場所に還れ!」
リィンと刃がそれぞれの獲物を改めて構えた。
「Oh! 待った待った!」
ジュジュが皆を呼び止める。振り返ると、彼女の傍らに草間零が立っていた。シュラインの声が上ずる。
「連れてきていたの?」
「ンフフ、ブラザーの憎き敵だもの。彼女だってぶっ飛ばしてやりたいだろうってネ」
「散々困らせられました。……皆さん、一緒にやってください」
零の目が光る。大日本帝国軍の残した心霊兵器。その端正な顔が、怒りに燃えていた。
やがて断末魔が聞こえた。悪霊は跡形もなく、宙へと霧散していく。
いつしか空は雲が消え、優しい月がその形を露にしていた。
■エピローグ■
「ったく……不覚をとったもんだ」
数日後の事務所。体のそこかしこに包帯を巻きつけた痛々しい姿の武彦が零たちに事の詳細を語った。
「依頼人から悪霊を引っぺがしたのは良かったんだが、その瞬間に襲いかかって来やがって。……まさか最初から俺を狙っていたなんてことはないだろうな」
「ありうるわ。東京中の悪霊から恨み買っていそうだもの」
シュラインはからかうが、内心はこの上なくほっとしていた。
「なるほど、怪奇の相手ばかりしてるからこんな目に遭うんだな」
武彦が不機嫌そうにぼやく。零は深く頭を下げた。
「……皆さん、本当にありがとうございました。感謝してもしきれないくらい、感謝しています」
と、刃が兄妹に進み出る。
「草間さん、零さん。これもらってください」
そう言って彼が取り出したのは、シンプルな形状のお守りだった。難しい漢字が施されている。
「家の神社特製のやつで。まあ今後のために」
「ありがとう。ところで、報酬はちゃんと払うつもりだが……何がいい?」
リィンとジュジュが真っ先に手を上げる。
「そんじゃあ、ストロベリーサンデーを2杯ほど!」
「欲がないネ。ミーは依頼料をちゃんともらうYO」
シュラインと刃はひとまず返事を保留したが、その後に武彦が散財したのは間違いがなかった。そうして彼は、二度と悪霊沙汰は御免だと固く思ったのだった。
【了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4221/リィン・セルフィス/男性/27歳/ハンター】
【3860/水滝・刃/男性/18歳/高校生/陰陽師】
【0585/ジュジュ・ミュージー/女性/21歳/デーモン使いの何でも屋(特に暗殺)】
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■ ライター通信 ■
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担当ライターのsilfluです。ご発注ありがとうございました。
草間では初めての仕事でした。普段東京怪談にはあまり
顔を出さないので。しかし4人もの方に参加いただけるとは
思ってもいませんでした。だいたいこんな戦闘を書きますので
以後よろしくお願いします。出現頻度は低いと思いますが。
それではまた。
from silflu
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