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夢の欠片
今日は彼との初デート。
なんだかドキドキして目覚まし時計が鳴るより早く起きてしまった。
パジャマのまま顔を洗って歯を磨く。それから朝食の準備。トーストにハムエッグ、サラダ。飲み物は、お砂糖ひとつ入れたホットミルク。
テレビで天気予報をみながら、トーストを頬ばる。今日の天気は晴れ。降水確率もゼロ。絶好のデート日和。
食べ終わっても、待ち合わせまでまだ時間がある。せっかくだから目一杯おめかしもしよう。
クローゼットを開けて、あたしは迷う。うーん、何を着ていこうかな。これだと、ちょっと地味だし。前に一目惚れして買ったけど、あたしには派手すぎて一度も着ていないのもあるけど……。
でも、今日はこれかな。ライムグリーンのツイードのワンピ。白いニットのカーディガンを羽織って、お気に入りのバッグも準備オーケー。
ついでだから、お化粧もしよう。口紅がはみだすなんて失敗はもうしないけど、特別な日なのでちょっぴり緊張してしまう。厚くなりすぎないように、派手になりすぎないように、ナチュラルメイク。うん、完璧。
今日のあたしをみて、彼は驚いてくれるかな? くれるといいな。
待ち合わせは駅の改札前。
三十分も早く着いたというのに彼はもう来ていた。あたしと同じ気持ちだったのかな、と思うと自然と頬がゆるんでしまう。
目があった。手を振って、彼のところへ駆けてゆく。
「おはよ。あたしより早く来てるなんて、びっくりしちゃった」
「ゆ〜なを待たせたくないなって──」
と言葉が途切れてしまった。
「ん?」
わざとらしく首をかしげる、あたし。彼の前ではいつもノーメイクだったしね。
「今日のゆ〜なって、いつもより可愛いね」
「ありがとう」
素直に笑みがこぼれた。逆に彼は照れちゃって、顔を赤らめてうつむいている。普段はみせない表情なので、ちょっと得した気分。
あらかじめ彼が買っていた切符で改札を通り、快速電車に乗る。なかは満員で、ぎゅうぎゅう詰めの状態。油断したらはぐれちゃうかも、と思っていたら、彼が手を握ってくれた。あたたかい手。体温を感じているだけで、あたしの心臓が加速をはじめた。どきどきどき……。
一日じゅう、このままでもいいなぁ。いやいや、今日はもっと素敵なことをいっぱいするんだから、このままだと困るぞ。でもでも、この状態も捨てがたいかも。
そんなことを考えていたら、
「なあに、ひとりで百面相してるんだ?」
彼に笑われてしまった。今度はあたしが赤面する番。恥ずかしいなあ、もう。
最初の目的地はアミューズメントパーク。遊園地とはちょっと違って、ゲームセンターの大きい版みたいな感じのところ。
この場所をリクエストしたのは、実はあたし。騒々しいのは苦手だったりするんだけど、どうしても来たかった理由があるの。お目当てはプリクラ。クラスメイトはみんな(といっても男の子は除くけど)携帯電話や手帳に貼っていて、プリクラをしたことのないあたしは、仲間はずれな気分というわけじゃないけど、少し羨ましくて。友達に話したら、ゆ〜ならしいって笑われたけど、かわりに可愛く撮れる方法も教えてもらっちゃった。
前置きはさておいて。
アミューズメントパークにはプリクラ専用のコーナーがあって、どれにしようか目移りしちゃう。これにしようかな、と選んだのは、店頭に大きなポスターが貼ってあったもの。新製品みたい。
なかに入ってコインを入れる。テーマとか背景とか明るさとか落書きとか、いろいろ選べるみたいなんだけど、うーん、初心者のあたしには分かりにくいかも。
「ゆ〜なははじめてなんだろ? だったら、シンプルでいいんじゃない?」
「うん」
テーマを「空」にして、あとは普通に撮影。しばらくして出てきたプリクラをみて、あたしは笑う。うん、きれいに撮れてる。一方、彼はというと、
「……やっぱ俺、写真うつり悪いなぁ」
そんなことないと思うんだけど、ね。
「次は恋愛占いとかしたいなぁ」
「俺、そういうの苦手なんだけど」
「初デートなんだし記念ってことで。ね?」
渋る彼の背中を押して占いコーナーへ向かう。
友達の情報によると、ホロスコープを作成するけっこう本格的な占いマシンがあるとのこと。占いコーナーの一番目立つところにあって、すぐにそれだと分かった。
コインを入れて占い開始。あたしと彼の生年月日、生まれた場所を入力。本当は生まれた時間も分かったほうがいいんだけど、さすがにゲーム機ではそこまでしないみたい。
結果は──イマイチだった。相性がピッタシだったら素直に喜べるし、逆に最悪でも「逆境を乗り越える恋は、乙女のロマンよね」と笑えたりもするけど、「ふたりの運勢はあなたしだい」といわれたらリアクションに困ってしまう。
「ま、しょせんゲームだしね。気にしないほうがいいよ」
「うん」
「それにホロスコープは運命を決定づけるものじゃなくて地図みたいなものなんだってさ。結局、運命は自分で切り開くしかないんだよ。俺たちのも、ね」
驚いて顔を見上げてみると、彼は照れ笑いしていた。柄にもないこといっちゃったなというふうに。
「俺、対戦ゲームしてくるわ」
ごまかすように彼は奥へ行ってしまった。慌ててあたしもついていく。
彼が座ったのはサッカーゲームの台。あたしは一緒にプレイしないで、みているだけ。ゲームは得意じゃないし、眺めてるだけでも楽しいしね。
青のユニフォームが彼で、白が相手のひと。今、ボールを持っているのは青。ドリブルでゴール前まできてからシュート、でもキーパーにとられてしまう。
今度は彼がピンチの番。パス、パスとボールをつながれて──でも彼がボールをとりかえした。ドリブルシュート。やった、決まった。
それにしても最近のゲームは本物そっくり。本当にサッカーをやってるみたい。
お昼になって喫茶店に移動。
ここは彼がリクエストした場所。パスタがおいしくて有名みたいで、喫茶店というよりちょっとしたレストランのような感じ。入ってみると内装もおしゃれ。
あたしたちは窓際の奥の席に座った。頼んだのは彼がペスカトーレにコーヒー、あたしはサーモンのクリームペンネにミルクティー。食後のデザートにはフルーツパフェ。
このオーダーにはちょっとした思惑がある。しばらくしてパスタと飲み物が運ばれてきて、あたしはしたり顔。いただきます、とフォークとスプーンを手にした彼に、
「ねえ」
と声をかける。
「はい、あーん」
フォークでペンネを差しだした。数秒ほど躊躇った彼は、でも食べてくれた。なんだか恥ずかしそう。あたしだって実は照れてしまうんだけど、一度、こういうことをしてみたかったの。
「……ゆ〜ながこういうキャラだったなんて知らなかった」
呑みこんでから彼がいった。照れがなかったら口元のソースをペーパーで拭いてあげたりもしたいけど、さすがにそれは自粛。
「意外?」
「うん。でも知らない一面がみえるのは嬉しいよ」
よかった、と一安心。
たぶん、彼のこういうところを好きになったんだろうなぁ。ありのままのあたしを受け容れてくれる。彼だったら、楽しいときだけじゃなくて、落ちこんでしょげてるときも一緒にいてくれそうで。いいひとと出会えたなぁ、と本気で思う。
食後にフルーツパフェが運ばれてくると、彼はもうあたしが何をしたいのか分かってくれていて、もうひとつスプーンを持ってきてもらった。他愛ないおしゃべりをしながら(「はい、あーん」もやったり、してもらったりもして)ふたりで半分こは、やっぱりちょっとどきどきした……。
デートの後半戦は、ショッピング街でお買いもの。ここまでくるとシナリオとかは関係なくて、ほとんどアドリブで進行する。このあとのことは何も考えていなくて、その場の雰囲気で適当に決める感じ。
欲しい本があったことを思いだして本屋さんに入ってみたり、これから寒くなるから新しいコートを選んでみたり、お店をひやかしてみたり。
だから、「それ」をみつけたのは本当に偶然のこと。
そこは大通りから少しはずれた、こぢんまりとしたお店。オリジナルのアクセサリーを扱っているお店みたいで、所々に制作過程の写真が飾られてあったりする。並んでいるのはシルバーのアイテムがほとんどで、星や翼、チャペルや天使をかたどったリングやピアスがある。
「これなんか、ゆ〜なに似合うと思うよ」
彼が選んだのは月の形をしたピアス。ぷっくりと丸みを帯びた三日月は、真ん中がくりぬかれている。シンプルだけど可愛いデザインで、一目で気に入ってしまった。
「欲しかったら買ってあげるよ」
「ほんと?」
「初デートなんだし記念ってことで、ね」
アミューズメントパークでのあたしの言葉をそのまんまいって、彼は笑う。
「ありがとう。でも買ってもらってばかりじゃ悪いし、あたしも何か選んであげるね」
すぐに目がついたのは、星の形のピアス。デザイン的にはさっきの三日月とおんなじ。ペアだと嫌がるひとが多いけど、これなら大丈夫かな?
「可愛いけど、男の俺にはちょっと変じゃないかな」
そうかな。似合うと思うんだけど、もう少し探してみることにした。
ハートやクローバーや雪の結晶をかたどった、リングやネックレス。キーホルダーや携帯ストラップもある。男の人にはブレスレットなんかがいいのかな。
「これは?」
青い三日月のチョーカーペンダント。無意識に月のデザインを選んでしまうのは、たぶん名前のせい。でも、月をみてあたしを思いだしてくれたら、それはやっぱり嬉しいし。
「うん、いいと思う」
お金を払ったら、さっそく彼はそれをつけてくれた。うん、よく似合う。
ピアス初体験のあたしは、まだ耳につけられない。なんだか、もどかしい。早くこのピアスをつけて、彼とデートがしたいな。
お買いものも一段落着いたころには夕方になっていた。
今は、海辺の公園をのんびりとお散歩。ひと気は少ないけど、ときどきカップルとすれちがう。彼とつきあう前は、ふたりきりの恋人を羨んだりもしてたっけ。今のあたしたちをみて、誰か羨んだりしているのかな。
「少し休もっか」
ベンチをみつけて彼がいう。うん、とうなずいて、ふたり並んで座った。
海辺に面したベンチで、ゆっくりゆっくりと沈んでいく夕日を眺める。沈んでいく太陽の光が海面で乱反射していて、すごくきれい。
「これから、どうしよっか」
「どこかで夕飯を食べて、おしゃべりして……」
そのまま別れてしまうのは、寂しいな。でも寮の門限もあるから、いつまでも一緒というわけにはいかないし。
「次はいつ会えるの?」
「来週の日曜かな」
「そっか」
溜息がこぼれた。今度の約束をするというのは、それまで会えない約束もしてしまうみたいで、それもなんだか寂しい気がする。でも、心情的には訊いておきたいし……。
「俺は、これがあるし」
買ったばかりのチョーカーペンダントを手にして、彼は続ける。
「夜になって空を見上げれば、ゆ〜なのことを思いだせるけど」
「……プリクラで我慢します」
ピアスがつけられるようになれば、彼を身近に感じられて、寂しさをまぎらわせられるかもしれないけど。
「プリクラだけで寂しくない?」
「寂しいよ。寂しいから……」
続きはいわなくても彼には伝わっていた。心臓が早鐘を打っている。手をつないだときの倍の速さで。
目をつむる。
彼の呼吸をすぐ近くで感じ、唇が重なり──
──あたしは目を覚ました。
そこは海辺の公園なんかじゃなくて、見慣れたあたしの部屋、学生寮の一室だった。
「夢?」
声にでた。あれは夢だったの?
満員電車で手をつないだのも、プリクラを撮ったのも、喫茶店でパスタを食べたのも、ピアスを買ってもらったのも、キスをしたのも、全部が夢?
指で唇を触れてみる。彼の唇の感触は──残っていなかった。
ベッドを抜けだして、クローゼットを開けてみる。絶句した。目を疑ってしまった。
あのとき着ていったはずの、ツイードのワンピースなんてなかった。ニットのカーディガンも。口紅は? と思ったけれど、そもそもあたしはお化粧なんてしたことはあっただろうか。
泣きたくなった。
彼とのデートは、あたしの夢だった。眠っているときにみる夢じゃなくて、希望や願望という意味の夢。ささやかな夢の欠片。
それらを探して部屋をはいつくばるけれど、夢の欠片はどこにも見当たらない。
残酷なくらい何もみつからなくて、あたしは声をあげて泣いた。泣けば彼が来てくれそうな気がして、彼の名前が口にでそうになって──。
けれど、名前すら憶えていないことに、あたしは愕然とした。
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