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<東京怪談ノベル(シングル)>


終わらない悪夢は、緋色


 調子が出ない。
 何もかも夢のせいだ。
 終わってしまったことにいつまでもすがりつくのは、何とも自分らしくないことだと、彼女は――涼香は思うのだ。それでも、過去の夢と、過去そのものに思いを馳せつづけた。脳裏によみがえるのは、おぞましい緋色の思い出と、あまりにも淡すぎる楽しい思い出。
 涼香の母は、涼香がまだ幼いうちに命を落とした。彼女の目の前で……ヒトならざるものに殺されたのだ。
 きちきち、ころころ、きりきり、
 その音を思い出から閉め出そうとして、彼女は呻き声を上げ、枕に顔を押し付けた。
 居酒屋の仕事を、ここしばらく休んでいる。
 昨夜、明日こそは仕事に復帰しようと、鏡の前で、客に見せる笑顔をつくってみた。笑顔は強張っていて、不自然だった。客商売は、笑顔が第一だ。とても、客の前に出せるしろものではなかった。
 ――うち、どないなってしまうんやろ。
 枕から顔を出すと、涼香は窓に目を向けた。
 昼下がりの、静かな青空がある――
 不意に、重苦しい沈黙が破られた。電話がかかってきたのだ。

「はい、友峨谷です」
『……』
「……もしもし?」
『……』
「もしもし!」
 こういうときに限ってこういう失礼な電話だ。
 いつもならマシンガンばりの文句の応酬をくれてやっているところだが、いまの涼香は溜息をついて、受話器を戻そうとした。
『……電話って、面白いわね』
「!!」
 可愛らしいが憎らしいその声は、涼香なら聞き違えるはずもないものだった。
「何の用や!」
 怒りもあらわに声を荒げる涼香に、電話口の向こうのおんなは、ころころと美しい笑い声を上げた。
『こわい声。せっかく、いいこと教えてあげようと思ったのに』
「……」
『「人形」の親の居場所……教えてあげる』
「何やて?!」
『もう、あんなものに興味ないわ。それに、私は、キミがだいすきよ。だから教えてあげるの。いま、退屈だし』
「……」
 涼香は、確かにその情報が喉から手が出るほどほしかった。
 だが、この相手に物事を乞うのは、死んでもごめんだった。涼香はそのジレンマに苦しみ、ただ黙りこむ。おんなはその気持ちを読んだのか、愉快そうにくすくすと笑って、ある山奥への道を伝えてきたのだった。
 礼は言わず、涼香は相手よりも先に電話を切った。


 きっとこの山にも名前があるに違いない。もう、日本に人の手が入っていない場所など、いくらも無いはずなのだ。
 しかし、紅蓮とともに涼香が足を踏み入れたその山は、名も人も知らぬ風情であった。昼過ぎに家を出た涼香だったが、電話で示されたこの山中に辿り着いたのは、もう夜も深い時分である。
 それも、まだ目的地には到達していない。
 梟の声も聞こえない暗闇の中は、すでに音に満たされている――
 涼香を包み込む、その音は――
 涼香を狂気じみた憤怒に駆り立てた。
 それは、きりきり、きちきち、ころころと、木の関節が立てる人形たちの息吹なのだから。木々の間から覗く硝子の目は、涼香の紅蓮の光を浴びて、獣のように光り輝いていた。
 だが、今や獣じみた咆哮をあげているのは涼香だった。

 人形という存在は、友峨谷涼香から、大切なものをいくつも奪った。
 生命の刻限を奪われ、母親を奪われ、今は正気を奪われている。

 涼香の目的地であるあばら家は、樹齢400年はくだらない大樹に抱かれていた。人形たちは、まるで傾いたその家を護る尖兵のようだ。実際に護っているつもりがあるのかどうかは、定かではない。人形には、意志も本能すらもないはずだ。
 もはや物の怪と化したこの人形たちに、その常識が通じるかどうかはあやしいが。
 人形たちは、同胞が涼香に斬り捨てられ、焼き尽くされ、破壊されても、怯むことなく襲いかかってきた。最後の一体になっても、まだ逃げなかった。
 人形だというのに、彼女たちは血と脳漿と臓腑を持つ――
「あんたで最後やあッ!!」
 全身を返り血に染め、臓腑が引っ掛かった退魔刀を振りかぶった涼香は、
 羅刹であり、
 無慈悲な刃は、無表情な人形の頭を叩き割った。


 外の喧騒と殺戮には無縁だというのか。
 あばら家の中では、静かながらも楽しい食事が進んでいた。
 家の中央で、せっせと生肉を食べては皮膚を吐き出し、手元の人形の顔に貼り付けている人形――彼女が、もっとも古い人形であった。顔や指先のひびから、乾いた血が滲み出ている。
 その周りで、彼女そのものである人形たちが、肉を咀嚼しているのだった。
 人形たちが作っている最中の人形たちも、出来上がりかけた指や顎を動かして、臓腑を味わっている。
 ばうん、と出入り口の木戸が外れた。
 おんなたちは、ゆっくりと顔を上げた。
 彼女たちが硝子の目で見たのは、角の無い鬼だ。
 鬼は、彼女たちが食べていたものを見て、凄まじい絶叫を上げた。


 涼香をじっと見つめていたのは、どろりと濁った死体の目。
 少女と、壮年の女の目。
 顔だけになったふたりだったが、その顔立ちは似通っていた。親子なのだ。死ぬときも、恐怖するときも一緒だった、仲良しの親子なのだ、
 たぶん買い物袋からネギの頭を覗かせて、買出しの帰りに、ふたりは命を奪われて、いまはこうして骨と肉まで奪われている。
 涼香を見つめる目は見開かれ、血を流す口は悲鳴の形で固まったまま――


「ぁぁぁああああぅあアアアーッ!! 殺したる!! こォろしたるぅッ!!」


 涼香は、最後の一枚になった符を振り上げて、あばら家の澱んだ空気に叩きつけた。涼香の凄まじい怒りが、符の力に火をつけた。
 光と熱が爆発し、あばら家も、人形も吹き飛んだ。
 ただ、その爆発の中で、涼香は立っていた。爆風も光も、彼女には影響を及ぼさなかったのだ。
『あ……ああ、あ・あ、あ……御主人・さまが……わたく・しの……骨……顔……あ、ああああ・あ……』
 焔の中で、恨めしげなか細いおんなの声がある。
 涼香は焔の中を歩き、その声めがけて、紅蓮を振り下ろした。湿ったような音がして、血が焦げる匂いがした。
 涼香の短い囁きを受けて、焔が嘘のようにさっと鎮まる。
 涼香と、親子の骸とは、焔にも爆発にも傷つけられなかった。
 涼香は泣きながら、湿った森の土を手で掘り返し、あまりにも小さくなってしまった親子の骸を葬った。

 ――うちのせいや……うちが、家でぐずぐすしてたから……
 ――うちのせいやない。うちは、間に合わんかったんや。
 ――うちが、もう少し、急いでいたら……
 ――うちは、めいっぱい、走ったやないか。
「ごめんな……ごめんな……ごめんな……」
 ――うちが、もっともっと強かったら……
 ――うちは、あんとき、まだ小さかったやないか。
 ――うちのせいや……

 ――おまえの責ではない。

「……」

 誰かが、涼香の背を押した。
 涼香は、涙を拭って、走り出していた。


 きちきち……きりきり……ころころと。
 未だに街にその音がある。
 以前よりも弱々しく、少なくなったその音に、街は目覚め、人形を忘れていく。
 人形の音を忘れぬ者が――
 友峨谷涼香の姿が、その音があらわれるとき、必ず街の闇の中にあった。
 そうして、やがて、現実の中の音は止まる。きっと。
 だが、彼女の夢の中で、その音は永遠に廻り続けるにちがいない。



<了>