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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


『命の水、砂時計のお茶』

<オープニング>
 チリリと銅のベルを鳴らし店の扉を開けたシュライン・エマは、象の置物や木彫りのシヴァ神像の間を縫って、カウンター席に座った。
 インドカレー専門店『アムリタ』。サリーを纏う印度娘が、ランチメニューと水とお絞りを置いてにっこりと微笑んだ。
「イラッシャイマセ〜」
 本当は流暢な日本語を話すウエイトレスのシャクティだが、営業用にたどたどしい日本語で「コンナノ始メタネ」と指を差したのは・・・。
『ランチタイム・ティーサービス週間』
 シュラインは、首を捻り、シャクティに「わざわざ断らなくても、ランチにはいつも飲み物が付いているのに」という旨のことを尋ねる。
「それとは別に、ご希望の方に『不可思議ティーポット』で煎れたお茶をサービスさせていただいているのですよ」と急にスラスラと日本語が出て来た。演技が面倒になったらしい。
「七福猫堂写真館さんから、少しの間、ポットをお借りしましたの。水だし紅茶で一杯飲むと5歳若返り、熱湯で煎れた紅茶だと5歳加齢しますの。カレー屋だけに加齢なんちって」
「・・・。」
 インド娘の親父ギャグに、すきま風が吹き込む。
「2杯飲むと10歳、10杯飲むと50歳ですの。12時間たてば、元に戻りますの。どうします〜?」

* * * * *
 シュラインは少し考えていたが、切れ長の瞳が好奇心を宿して輝いた。
「そうね、お願いしようかしら。お湯から煎れたものを6杯ほど。カレーはダルタルカをお願いするわね。ナンは今日はいいわ。お茶を6杯も飲まないといけないのですもの」
 薄い唇を横に結んで笑みを作り、メニューを閉じた。
 6杯で30歳加齢。現在26歳のシュラインは、56歳になることを希望したわけだ。
 ゴーストライターの仕事も請け負うシュラインは、もの書き特有の『何事も経験』と考える気質を持っていたし、草間興信所で年配の相談者と接するのにも役に立つような気がしたのだった。
「カシコマリマシタ〜」
 シャクティは、再び片言の芝居で応答した。

< 1 >
『そんなにおばさん臭くなくてよかった。これなら表を歩けるわ』
 アムリタの化粧室の鏡で、シュラインは50代になった自分を確認した。あまり見苦しかったら、シャクティに頼んで水出し紅茶をもらおうと思っていたのだ。
 焦げ茶のタイトなスーツは、肉の在り方が多少変わったのかウエストが少しきつくなった気がするものの、シュラインを、女社長か女編集長のような知的でやり手な女性に見せていた。白髪の混じった髪は、キャリアを積んだ女性の証として一筋二筋光り、そう悪い印象では無い。
 ブラウスのボタンは、一番上まで留めた。首の筋が今までより強調され、それが老けた印象を大きくするようなのだ。
 眼鏡もはずして、近寄って目尻を確認する。たいして小皺はできていないのでほっとした。20代向けのファンデーションは、50代の肌には潤いが足りないようで、粉が吹いたように毛羽立っている。目の下の弛みが目立つようになったのと、小鼻の横の皺が深くなったこと、これくらいは仕方ないのか。
 街を歩いていて、時々、同じ女性として目を背けたくなる人たちがいる。老いによる容姿の衰えは仕方ないとして、錆びついて悪臭を放つようなファッションセンスに眉をひそめたくなるのだ。
 わざわざ金をかけて、なぜあんな変なパーマをかけるのか。なぜ柄物のスカートに柄物のブラウスを合わせ、しかもジャケットやバッグまで柄物なのか。小指に、(他の指に入らなくなった)大きな石の指輪を幾つも嵌めるという行為もやめて欲しい。
『おばさん』という人種。そういう人たちとは、一線を画していることを確かめ、シュラインは安堵して『アムリタ』を出た。

「あっ!」
 そして、店の前で、いきなり、転んだ。通りを見上げると景色がぼやけて、動揺したら躓いてしまったのだ。
「おばさん、大丈夫?」
 地元中学の制服の少女が、手を貸して助け起こしてくれた。
 礼を述べて立ち上がりながら、『おばさん』の言葉に軽く傷つく。今の自分は、少女の母親より年上だろうし、孫がいてもおかしくない年齢だ。それは頭ではわかっている。それでも、あまり愉快なものではない。
「割れなくてよかったですね」と、少女はメガネも拾ってくれた。
 そうか。老眼になったのだ。
 シュラインのメガネは遠視用だ。レンズは老眼用と同じ凸なので、近くを見る時は問題ないが、遠方を見ようとするとメガネが合わなくて目が眩んだのだった。
『30代でも兆候が出るのに、“老眼”だなんて、嫌な呼び名よね』
 シュラインはスーツの埃を払い、メガネをケースに収めてショルダー・バッグの奥深くにしまい込んだ。

< 2 >
『なんだか気分悪いわね。ゲーセンで颯爽と音ゲーでもやってみせて、若い奴らの度肝を抜いてやろうかしら』
 シュラインは当初の目的を忘れている。『おばさんコール』と『老眼』の打撃は大きかったようだ。駅前のゲームセンターへと向かう。
 平日の昼間なので、そう人もいない。高校生らしい集団が幾つかと、営業の暇つぶしのようなサラリーマンが黙々と格闘ゲームをやっている姿が目に入った。
 鼓膜が痛いほどの派手な音楽も、目が眩むストロボも、閑散とした店内では虚しい。赤と黄の派手なコントラストやショッキング・ピンクで描かれたアーケードマシンのポップなグラフィックも、昼の明るい街から入り込んだ者には、瞳に刺さって来て不快なだけだ。
 高校生達は、シュラインを見つけると、目配せをし合った。補導員や、地域ボランティアの見回りの類と思ったのだろう。
「なんかこの店、おばはんが多くねー?」
 ぼそっと少年が呟く。小声だったが、『おばはん』という口の動きに反応したシュラインだった。
『おばはんで悪かったわね。あんたもいつかオッサンになるのよ』
 むっとして、心のなかで突っ込みを入れてしまった。大人げない。
『・・・私以外にも年配の女性が?』
 でも、それこそ見回りの大人だろうと思った。さて、どれで遊ぼうかとゲーム機を物色していると、いきなり肩を掴まれた。
「いやあ、お仲間はんがいてよかった。うちと対戦してや?」
 見知らぬ婦人だった。セーターを解いたものの絡まってしまって途方にくれたくなるような、ちりちりと縮れた毛糸の大群のようなパーマをかけていた。見下ろすと(小柄なのだ)、てっぺんは薄くなっていて、頭皮が透けている。
 花柄のスカートに、花柄のブラウス。しかも化繊のてろんとした素材なのに、オーバーブラウスにしている。まつり糸がほつれてスカートに垂れ下がり、品質表示タグも覗いていた。
『絵に描いたおばさん』。・・・この人に『お仲間はん』と認識されてしまうとは。
「坊主どもに頼んでも、笑って手を振るだけや。一人で遊んどったが、つまらん。金はうちが出すから」
 この人も補導員では無さそうだった。
「ええ、いいですよ」
 詐欺や勧誘というわけでは無いし、対戦するぐらいのことなら付き合ってあげよう。上から落ちて来るケーキのピースの、同じものを4つくっつけ、一つのデコレーションケーキにして消すというゲームだ。昔からある、シンプルな落ち物タイプのようだった。こういうものなら何度か遊んだことがある。判断力があり、頭の回転も早いシュラインには、得意なゲームの部類だった。
 ご婦人は、本当にシュラインの分までコインを入れようとするので、「あ、いいです、自分で」と手を押し退ける。
「遠慮せんでええ」
「いえ、私も楽しみますし」
「そやかて、誘ったのはうちやし」
「でも私も遊ぶつもりでしたし」
 100円玉を握りしめたまま、押し問答になる。時々、レストランのレジ前などで見かける、中年女性グループの、あの風景。まさかシュライン自身が繰り広げるハメになるとは。かあっと耳が熱くなった。
「2回目は、私に出させてくださいね」と、仕方なくシュラインが折れる。

 手のこんだCGのオープニングと、ボリュームだけ大きい安っぽい曲が流れ出した。モニターを見ながら、落ちて来るケーキをボタンでくるくる回し方向を決めたら、収まる場所をレバーで移動させ、6列ほど並んだ下の皿に着地させる。完成したデコレーションケーキが多いほど得点が高くなる。
『あ、あら?』
 シュラインはこういうゲームは得意なはずだった。だが、落とす場所が何故だかズレてしまうのだ。
 目が『次はチェリーパイ』という情報を脳に伝え、脳が『チェリーパイの皿を探せ』と目に再び命令する。視線がモニターを動き、左から2番目の皿が、あと1切れで完成するチェリーパイだと認識。その時同時に、『左上に嵌める』ことも確認する。そして、ボタンを数回叩いて、左上にぴったり収まる方向にケーキのピースを回転させる。右手のレバーで左右に移動させて、目標の皿の上に落とす。
 ぐしゃ。
 移動は間に合わず、チーズケーキの皿の上でパイが潰れ、モニターから消えた。
『おかしいわね。調子が出ないわ』
 もう上には次の苺のケーキが落ちて来ている。瞬間的な判断と、素早い動き。老いが奪っていく最たるものだ。シュラインはまだ気づかない。
 背後の高校生たちが、そのトロさを嘲笑し、にやにやと笑っていた。もちろん笑われているのは、隣の婦人も同じだ。
「なんや、ボタン、反応遅いわ!」
 バンバンと強く叩く。強く叩けば反応が早くなると思っているらしい。だいたい、反応が遅いのはボタンでなく、婦人の手である。
 勝負としては、なかなか接戦だった。
「あんた、歳、いくつや?」
『は、話かけないでよっ!』
「にじゅ・・・56です」・・・チーズケーキが潰れて消えた。
「うちより10歳若いんか。ハンデつければよかった」
「関西のかたですよね?ご旅行?」
「いや、嫁いだ娘が初産で。一月ほど面倒見に来たんや。おととい無事に産まれたものの、退院する迄は用なしでな。マンションにいてずっとテレビ見とるのも退屈で」
「まあ、それはおめでとうございます」
「うちも、ついに『おばあちゃん』や」
 口許に2本ずつある皺を深く刻ませ、婦人は笑った。目元の笑い皺も深くなる。いい笑顔、美しい皺だった。
『あ、しまった!』シュラインのマロンケーキが潰れた。だが、婦人の苺ケーキも潰れていた。
「うちかて、つい昨日、文金高島田を結うて、おとうちゃんと結婚したような気がするんやけどなあ。あっという間やったわ。
 あんた、お子さんは?」
「いえ、いません」
「おや、悪いこと聞いてしもた。かんにんなぁ」
 子供を産んで育てる事こそが、女性の生き甲斐であり義務であることを、全く疑わない世代。シュラインは、それを不幸な洗脳だと思う。だが、婦人の、孫ができたことを告げた笑顔を思うと、簡単に批判する気にはなれなかった。哀しくそして幸福な価値観。
「なんや!なんで動かんのや!」
 婦人は、力まかせにボタンを殴った。
「おばは〜ん、ゲームオーバーだよ!」と、高校生の一人が静止の理由を教えてくれた。
「こら、『おばはん』言うな!女性に向かって、『おばはん』なんて言うたらあかんよっ!」
 自分で『おばあちゃん』と言ったくせに。人が『おばさん』と呼ぶのは嫌なのだ。シュラインは下を向いてこっそりと笑った。

「お孫さんに、キャッチャーでぬいぐるみでも取ります?」
「あかん、あかん。赤んぼには、口に入れても安全な繊維でないと。それに、うちらの実力では、何千円かけても無理やろ」
 ははは、と婦人は豪快に笑う。
「子宮癌の手術をした時には、娘の花嫁姿も見れんかと思ったが。孫のおしめを換えられる事を神様に感謝せんとなあ」
「え・・・」
 いきなり耳に飛び込んだシリアスな病名に、シュラインの頬は緊張でこわばった。
「そんな顔しなさんな。まめに検査もして、幸い再発はしとらん。こうなったら、うんと長生きして、孫の花嫁姿も見たるで。
 あんた、出産しとらんのやろ?子宮の病気、気ぃつけや?」
「あ。ありがとうございます」
 出産経験のない高齢の婦人は、子宮の病気になりやすいという話は、シュラインも聞いたことがあった。

「そろそろ、産院へ洗濯物を取りに行くか。30過ぎても、娘は親を使う使う」
 2戦目は無さそうだ。1回対戦しただけで、シュラインももう疲れてしまった。やはり歳を取ると疲れやすいのだと痛感した。このあと本屋で資料を探したら、あとは家で静かに翻訳の仕事に戻ろう。
「そういえば、2回目は私が払う約束をしていましたね。代わりに、一緒にプリクラを撮りませんか?」
 紅茶の効果があるうちに、この姿を写真に収めておきたいとは思っていた。家に戻ってから、自分で携帯電話のカメラででも撮るかと思っていたが、この婦人とツーショットで撮るのもいい記念になるかもしれない。
「イヤや〜、写真なんて。歳取ってから、カメラを向けられると、逃げまわって来たわぁ。あかんよ〜」
「そう言わずに。エンゼルが飛んでいるフレームのものがあるんです。記念に撮りましょう?」
「エンゼルか。・・・そうかあ。そうやなぁ」
 シュラインは、婦人を、ビニールの暖簾で覆われたマシンへと誘った。細かい写真だと見えにくいだろうから、2分割を選択し、フレームを探す。金髪巻毛のエンゼルが、白い小さな羽で飛ぶ愛らしいイラスト。天使は四隅にいて、ラッパを鳴らすもの、頬杖をつくもの、それぞれのポーズを取っている。ピンク系とブルー系の背景があったが、「お孫さん、女の子でしたよね?」と確認し、ピンクにした。
 身長差があるので、シュラインが膝を曲げる。普段の自分なら何でも無い動作だが、腰が痛いし、ふくらはぎもすぐに震え出した。片手で機械に触れて体を支えながら、シャッター音を待った。
「娘に、笑われてしまうわなあ、プリクラ撮ったと言うたら」
 婦人は、まだ照れているようだった。
「ああ、化粧してくればよかったなあ。しもうた」
 天使の巻毛のくるくるに負けない、婦人のパーマヘアが、シュラインの頬に触れてくすぐったかった。

< END >

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

NPC
シャクティ
関西弁の婦人

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■         ライター通信          ■
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発注ありがとうございました。
音ゲーのプレイはありませんでしたが、56歳の姿で落ちもの対戦ゲームとプリクラで遊んでもらいました。
いかがでしたでしょうか。
このティーポットの設定は、絵師・匠成織さん(七福猫堂写真館)との共同企画の第1回です。
ノベル作品としては、第1作目になります。
本当は9杯位お飲みになりたかったそうですが、小さいティーカップをご利用になれば可能かと思います。
+45歳だと、シュラインさんは71歳。それも少し描いてみたかった気がします。
知的で素敵な老婦人の立ち居振る舞いをされたでしょうね。

* ライター・福娘紅子 *