|
□■□■ 続き続ける階段(前編) ■□■□
草間興信所に届けられた手紙を眺め、シュライン・エマは眼を細めた。傍らでパソコンに向かい、乱暴にキーボードを打ち鳴らしている草間武彦は、いつもよりも煙草の消費が多い。ひょい、とボックスを取り上げると軽く睨まれるが、言葉は無かった。無言の遣り取り。沈黙が保たれる空間で、草間が小さく舌を打つ。
「見付からんもんだな――」
「写真の場所を検索しているの?」
「ああ。特徴の無い路地すぎて特定出来ない」
「そう、ね」
「しかし――穏やかではありませんね。黒い封筒に血文字の手紙、とは」
写真を眺めていたシオン・レ・ハイの言葉に、その足元に佇んでいた四宮灯火もこくりと頷く。
「この手紙を出した方は、今もどこかに閉じ込められているのですね……。早くお助けしなければ……なりません。私達という事は複数でしょうか……それにしても、この封筒をどうやってここまで……?」
「そう、それ、なのよね。灯火ちゃん」
「それ――とは、シュラインさん?」
ぱちん、と指を弾いて見せたシュラインに、シオンは首を傾げる。首からぶら下げている眼鏡を指先で遊びながら、うん、とシュラインは頷いた。鋭い視線、便箋を眼の高さまで掲げた彼女はそれをひらひらと揺らしてみせる。
「この手紙がどうやって此処まで届けられたか、ってのは留意すべき点だと思うの。こんな手紙を貰っておいてなんだけれど――こうやって次々に誘い出している、っていう可能性も、捨てきれないでしょう?」
「な……る、ほど。罠かもしれない、と言うことですね」
「性格悪いなお前」
ぼそ、呟いた草間の頭に肘鉄が入るが、誰も突っ込みを入れないので全員でスルーした。灯火は軽く口元に手をあてる。牡丹をあしらった振袖を揺らしながら、彼女はシオンを見上げた。大きな眼に見詰められ、シオンは条件反射気味に彼女の頭を撫でる。子供は可愛い。
撫でられて少し擽ったそうにしながら、灯火は首を揺らす。見上げる角度が少しきつそうだな、と、シオンはしゃがんで彼女に視線の高さを合わせた。
「シオン様、お写真拝借できますでしょうか」
「ええ、どうぞ?」
「シュライン様も、封筒と便箋をお貸し頂けますか?」
「ん? ええ、はい」
身体を屈めて、シュラインは灯火に封筒を渡す。届けられた一式を手に持って、灯火は軽く目を細めた。
集中する――感じ取る。そこに残された思い、触れたものの思念。
シオン、シュライン、草間、零と、彼女の脳裏を手紙に触れた人間の様子が過ぎていく。ゆっくりと遡るイメェジで、残されたものを手繰り寄せる。血の文字。鉄のニオイ。赤黒く変色しているその様子。ゆっくりと瞼を閉じる、視覚情報を遮断し、代わりに第六感を鋭敏化させる。五感の一つを閉ざせば、それは飛躍的に発達した。一番閉じやすいものを捨てて、灯火はゆっくりと思念を辿る。
辿る、辿って――
「武彦さんはちょっと、階段の噂……みたいなのも検索してみてくれる? そういうのに詳しそうなのは多分――雫ちゃんのゴーストネットだと思うから」
「今当たってるとこだ」
「あら、珍しく手が回るのね」
「俺はいつでも優秀だ」
「はいはい」
ブックマークしてある一覧の中、ゴーストネット・OFFの掲示板。CtrlとFのキーで検索窓を出し、階段の噂を探る。どこまで遡ればいいものか、とにかく過去ログをすべて漁ってみるが――それらしきものは、何も引っ掛からない。多くは『怪談』の誤変換だった。
階段の怪談、語呂合わせの言葉遊び――それとも駄洒落か。草間の椅子の後ろから肩越しに画面を睨み、シュラインは笑えない、と軽く口唇を噛んだ。
シオンは灯火の手にある写真を眺めながら、ふと思案する。
何の変哲も無い路地の風景。住宅街。電柱に、貼り紙。真ん中に階段がある所為で画面が大分塞がれてしまってはいるが、それでもどこかで見た記憶があった。どこか、何かが、引っ掛かる。何かが――階段。道の真ん中に聳え立つ。そんな道は知らない、けれど、そうでない道、ならば――
「見え、ました」
ほんの少し白い顔を蒼褪めさせて、灯火がぱっちりとした双眸を開く。草間とシュラインが椅子を回して振り向いた。シオンも灯火を見る。もともと白っぽい彼女の顔は、影が掛かって尚更にそれを増していた。そして、蒼い。
何が見えたのか。ごくりと唾を飲む音が響いた、それが誰のものなのか、全員のものなのかも判らない。灯火はちいさな手を、自分を見下ろす三人に差し出す。
「お見せ、致します。お手を――」
小さな手に手を重ね、触れる。
閉じられた眼に従えば。
そこには――
■□■□■
白い、階段が足元にあった。
周りは――何も見えない。そこが暗いのか、それとも明るいのかも判らない。目を凝らしても空間の認識はできなくて、ただ、自分のものと思しき手足が確認できるだけだった。そして足元の階段。階段は白い。その認識は、出来る。
前を向いても何も見えない。階段が続いている。続き続けている。上が見えない、遠すぎて――否、霧か霞みのようなものが掛かっているのだろうか。ゆっくりと霞んで、そして認識できなくなる。周囲に溶け込むように、飲み込まれている。
振り向いた。
下には何も見えない。
ぞっとする。
もしも、ここで、脚を、踏み外したら――
今上って来たはずの、一段下が既に無い。自分が脚を掛けている場所が、常に最下段だった。膝を折り曲げて恐る恐る腰を下ろせば、崩れることなく身体は支えられる。硬いそれはコンクリートのようにざらりとしているわけではなく、かと言って大理石のように滑らかなわけでもない。木のささくれ立ちや木目があるでもなく、何か、判らない。
身体は、冷えない。冷たくないし暖かくもない。寒くもないし暖かくも無い。空腹も感じない、が、満腹でもない。何かがねじくれた場所、一人でただ階段を上り続ける。どれだけの間ここにいたのか、忘れてしまうぐらいに。
気が――狂うと、思った。
一人でひたすらに上り続けて。
歩き続けて。
何も判らない場所で。
でも、そんな逃げすらも、出来ない。
いっそその方が楽なのに。
見渡せば何も見えない。ただ足音が静かに聞こえる。微かな泣き声。きっと自分だけではなく、沢山の人々がこの階段に向わされているのだろう。誰によって? そもそも此処は何処? 自分は――自分は、誰だったか。誰にも触れなかった、自分にも触れなかった。自分がなんだったかすら、おぼろげになってくる。誰? 誰って、何だっけ?
もしかしたら、もう狂っている、の、かも。
嫌だ。
助けて助けて。
誰か助けて。
ここはとても暗くて明るい。
私達は――殺されてしまう。
誰でも良い、ここから助けてくれる人なら。
誰か、助けに来て。
ここから助けて。
助けて、下さい。
■□■□■
「この手紙は、書かれたものではありません――作られた、ものです。紙の質感や形状がありますが、それも多分……幻想、でしょう。これがここに存在して……いるのかすら、怪しいものです」
「それは、どういう意味……かしら?」
「差出人の方の、追い詰められた精神……が、作り出したもの、です。わたくし達には視認でき、触感も働きますが……これは、この方が……無意識に助けを求めて発したサイン、です。多分どこかで、怪奇探偵としての草間様のことなどを……聞いていたのかも、しれません。とにかく誰かにと、ここへ――流れて、来た」
狂ってしまう。
くるくる。
苦しい。
くるくる。
たすけてください。
「写真は、多分この方が――最後に『こちら』で見た光景、だと……思います。『こちら』と『あちら』の繋がっている光景――現れた階段は、それ、だと」
灯火の言葉に、草間はフィルターまで焦げていた煙草を灰皿に押し付けた。ち、と舌を鳴らし、頭を掻く。その後頭部をぺしっと叩きながら、シュラインは溜息を吐いた。頭皮に悪いことをするな、剥げて困るのは本人だけじゃないと言いたげに――では、もちろんない。
「『普通』の人間に、そこまでの力を与える――そこまで、追い詰めるのね。中々にえげつないことだわ、本当」
「まったくだな。ああくそ、なんでウチに来るんだ、そんなもん」
「そう言ってはいけませんよ。頼られる探偵さん、結構なことじゃありませんか」
「俺はもっと普通の仕事がしたいんだよ……浮気調査とペット探しは御免だがな」
「何を言いますか、ペットは大事で――あ」
シオンはふっと声をあげ、灯火の手の写真を覗き込む。
電柱、貼り紙、そうだこれは――
「ペット探し、そうですよ」
「シオンさん?」
「シオン……様?」
「この写真にうつっている貼り紙、一週間前に三丁目にあったものです。ペット探しの貼り紙ですよ、今はもう剥がされていますが――つまり、この写真は一週間以上前の三丁目と言うことですね」
「あ――なる、ほど。言われてみれば確かにそうね、この路地」
「少なくとも今はこんなものありませんし、過去にも――階段のある建物があったという話は聞きません。戦後からずっと住宅街でしたからね、あの辺りは」
「と言う事は、この階段は移動してるってのか? どうやって探せってんだ」
「ともかく、出てみましょう? 手分けして探せば、また……なんて言うのかしら、『あっち』との接点がどこかに見付かるかもしれないじゃない」
言ってシュラインは一つ息を吸った。
「見付けても絶対に単独で上がったりしちゃ駄目、まずは連絡を入れて。っと……そっか、連絡手段が無いんだっけ、二人は」
「ありませーん」
「有りません……」
はーい、挙手するシオンと灯火にシュラインは自分の携帯電話を差し出す。
「それじゃ二人は一緒に行動してね、私の携帯貸してあげるから。武彦さんは私と一緒、サボらないこと。一応三丁目近辺を行って見ましょう? もし、連絡が付かなかったら興信所に電話して……零ちゃん、お留守番お願いね」
「はい、頑張りますっ」
「張り切ってんな、シュライン……」
「人の命が関わる問題みたいだからね」
「そうですよ、真面目にやらなきゃいけません。ねぇ灯火さん」
「そうです、草間様」
「子供に言われてもヘタレているつもり?」
畳み掛けられて、草間は溜息を吐く。どうも分が悪い。
すう、と眼鏡の奥で彼の眼が細められた。
真剣に取り組む気になったらしい。クス、と笑って、シュラインは玄関に足を向けた。三人がそれに続く――その後ろ姿を見送る零は一瞬瞠目し、眼を擦った。ぱたん、とドアが閉じられる。
「……まさか、ですよね」
歩いて行く四人の向こう側に。
階段が見えた、なんて。
まるで――上っていくようだったなんて。
■□■□■
「とは言え、近辺にもう一度あの階段が出現するのかって言うのは――ちょっと疑わしい所でもあるのよね」
「まあな。だが法則性を持っているのか、そういった情報は一切無い。階段を上り続けてる連中同士での交流が無いとそういったことも纏められないだろうしな――どっちにしても、この辺しか手掛かりがない。現状は」
「そうね……依頼人が判らないんじゃ、姿を消しているのかどうかすら判らない。もしかしたら何かに成り代わられているのかも、しれないしね」
「そういう考えも、ある――か」
「何もかも疑って掛からなきゃね、探偵さん?」
「判った判った、ったく」
■□■□■
「シオン様は……この近辺に、お詳しくていらっしゃるのでしょうか……?」
「ええ、一応この辺りで寝泊りしていますので。ですが、道に現れる階段と言うのは、聞いたことがありませんね」
「つまり、手紙を出した方は……最初の遭遇で、階段を上られたのですよね……。どうして、そんな階段に登ったりなど……されたのでしょうか」
「……いくつか、考えられますね」
「…………?」
「何者かに追い立てられて上らざるを得なかったか。階段上から誰かに呼ばれたか。階段に何か、『上らなくてはならない』という術が掛けてあったか――」
「……階段以外に、進む方向が無かったか」
「そうですね。術だとしたら厄介ですが、まあ、そうでないことを祈りましょうか……ところで灯火さん、何かお菓子でも買いましょうか?」
「え? い、いえ、結構です……」
■□■□■
「階段か――ねぇ武彦さん、階段の上には何があると思う?」
「ん?」
「何か連想できないかしら、と思って。予断は危険だけれど、ある程度なら有効でしょう? もっとも情報が皆無の状態じゃ、ただの雑談にしかならないか」
「さてな。二階じゃないのは確かだ」
「つまらないわ」
「う。……地獄か天国ってところだろ、オーソドックスに」
「暗くて明るくて――確かにそんな感じね、と?」
不意に流れる『where my heart will take me』――草間の携帯だった。
「ん? ……興信所から? 零か、どうした――あぁ?」
■□■□■
「階段……上る。戻れないということにも、何か意味はあるのでしょうか」
「後には行けない、進むことしか出来ない――ですか。何かを暗喩しているのかもしれませんね?」
「戻れないもの、とは、なんでしょうか……もしくは、戻らないもの……?」
「色々ありすぎますねぇ……灯火さん、キャンディ美味しいですか?」
「あ、はい、美味しいです……」
「それは良かったです。さてはて、階段に意味があるのは、それはあくまで暗喩でしかないのか――何か、無意識な想像の範囲なのだとしたら後者なのでしょうね」
「そうですね……妖物だとしたら、前者」
「階段妖怪ですか? ぬり壁みたいですね……おや?」
シオンの懐から『a star beyond time』が響く。シュラインの携帯だ。
「もしもし、おや零さんどうしま――え?」
■□■□■
「あ、あの……えっと、判らないんですけれど、階段、なんです。多分写真にうつっていたのと同じだと――白い階段が、はい、その……興信所の前に、あるんです……!!」
>>>to be continued
■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■
0086 / シュライン・エマ / 二十六歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
3356 / シオン・レ・ハイ / 四十二歳 / 男性 / びんぼーにん(食住)+α
3041 / 四宮灯火 / 一歳 / 女性 / 人形
■□■□■ ライター戯言 ■□■□■
こんにちは、ライターの哉色です。今回は初めて連作モノにチャレンジしているので、非常にドキドキしているのですが……ど、どんな感じでしょうか。前編ではここまで、階段の謎は中編・後編でゆっくりと明らかになっていく予定です。余談ながら初めて草間さんをマトモに描写し、自分で戸惑っています……こ、こんなんで良いのか。
【シュラインさま】
ご依頼頂きありがとうございますっ。今回は草間さんとの行動に出て頂きました。まだまだストーリーは動いていない状態なのですが、今後もちょっとずつ絡んでいく予定です。ちなみに草間さんの携帯の着メロ入れたのは彼女だと思います(笑)
【シオンさま】
ご依頼頂きありがとうございます、今回は保護者っぷりを遺憾なく発揮していただきました(笑) 屈んでみたりお菓子を買ってみたり、ペット探しに心削ってみたり。優しさが主成分の方なので、物語の中では緩衝になって頂いております……。
【四宮さま】
初めまして、この度はご依頼頂きありがとうございます。サイコメトリ能力のある方でしたので、その能力を発揮していただきました。初めてのキャラなのでまだ掴みきれていないところが多々あるかと思われますが、大目に見ていただければ幸いです;
それでは次回に向かい……失礼致しますっ。
|
|
|