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<東京怪談ノベル(シングル)>


名も無き者達のサーカス


 日は確実に短くなっている。
 殊にこの鬱蒼たる森では、太陽の生命が短い。
 正午の高い陽射しですら満足に足元を照らし出すことができず、湿っぽい場所を好む陰性植物が我が物顔で蔓延っている。
 不慣れな者なら数分もしないうちに完全に路頭に迷ってしまうであろう山道を、黒髪の少女が苦もなく進んでいく。さらりとした髪といい、人形のような肌といい、とても山歩きに慣れているようには見えない外観だ。ただ一点、黒い作業服を纏っていることを除けば。
 少女――グザイは、目指す麓で、ある『組織』の人間と待ち合わせている。
 陽が傾き、地平線へ没するかというところで、彼女は山を降り切った。
「よお、待たせたな」
 日没直前の燃えるような太陽が、無言でじっと立っている男の横顔を照らしていた。
 男はグザイの姿を認めると、僅かに目を細めた。逆行のためか、グザイの姿を視認するのに手間取ったためかはわからない。
「何の用件だ?」
 開口一番、無愛想とも取れるそんな台詞を彼は口にした。彼のそんな態度には慣れているため、特に気にはならない。
 そもそも組織の構成員同士という間柄で、親しげに交わす挨拶などないというものだ。もっとも彼らの間には、透明な、細い糸のような絆が存在している。目には見えないが、拠り所を持たない彼らにとってそれは大事な繋がりであり、ただ一つの共通項だ。
 すなわち、ホムンクルスである、という。
 ホムンクルス――人造人間。何者かの手によって「作られた」操り人形である。
 しかし一個人としての意志や自我を持っている以上、作り手の意のままに動くのは不可能だ。独立した生命体なのである。その命がまやかしだとしても。
「あんたに頼みがある」
 グザイは簡潔に言い、つなぎのポケットから一枚の絵を取り出し、男に手渡した。彼はちらりとグザイを一瞥してから、絵に目を落とした。
 幾何学的な文様が単色で描かれている。術的なもの――それも悪魔的な――を感じ取れる、禍々しいデザインだった。その筆致の一筋一筋に、呪いが込められているとでもいうような。
「不気味な絵だな」
 顔をしかめ、一言吐き捨てた。
「幽霊さんの背中にあるタトゥーだよ。そいつにどういう意味があるのか調べてくれや」
「これだけでか?」
 彼はますます迷惑そうな渋面になる。真に迷惑がっているわけではないのだろうが。面倒なことには変わりあるまい。
「他に渡せる情報もないんでな、悪いけど」
 何しろ天然記念物級の希少価値だ、と言ってグザイは肩を竦めてみせた。
 否、天然記念物ほども存在しないだろう。宇宙の理に反するものがそうあちこちに存在していては、とっくに世界は混沌と化してしまう。『ゴースト』という不老不死の誕生で、既に調和は乱されつつあるのかもしれなかったが。
「ふむ……」
 男は目をすがめて絵に見入る。
 左右対称に描かれたラインで構成されたタトゥーの中に、唯一それと認識できる『角』の模様が織り込まれている。ねじくれた角は、等しく見る者に攻撃的な印象を与えるようだ。水牛とか、何かそういった類いの獰猛な動物を彷彿とさせる。
「難しいかもしれないが……」
「頼む」
「わかったよ。とりあえずやってみる」男は頷いた。それで、と絵から顔を上げる、「『幽霊』はどうなんだ?」
「能力についてはなんとも言えねぇけど……」
 グザイはそこで一旦口を噤んだ。
 辛うじて彼らを照らしていた一条の光が、ふっと消えたのだ。
 残光が稜線を彩っていた。今や山は、巨大な赤黒い影と化して二人に迫っている。……夜が近い。
 グザイは男へ視線を戻した。
「不老不死なのは確かだよ。『生命』が身体から溢れ出てる」
 決して枯れることのない泉のように、だ。
 あの『ゴースト』の生命の量は尋常ではない。
 終始無感動な、何を考えているか判然としない『ゴースト』の顔を脳裏に思い描く。不老不死を手に入れたことに対していかなる感情も抱いていないように見えるが、本当のところ、彼が自分の運命をどう受け入れているのかグザイは知らない。
 擬似的な生命しか持たない“人形”であるからこそ、グザイはより強く、他者の生命を感じ取ることができる。オーラと似たような概念かもしれない。あるものは強く光り輝き、あるものは消えかかった焚き木のように弱々しく。
 泉、オーラ、あるいは蝋燭、だ。自身を食いながら燃えつづける炎。蝋が溶けてなくなってしまえば、その生命は終わる。
 ゴーストの生命は、いくら燃えても、燃え尽きることはない蝋燭のようなものだ。周囲の蝋燭はどんどん短くなっていくのに、ゴーストのそれだけは煌々と輝きつづけている。まったく、キリのない生命だ――。
「ホムンクルスの治療には使えるのか? その『生命』は」
「……わからん」だが、とグザイはつづける。「今のところ望みらしい望みは、ゴースト以外にないだろ?」
「ああ、そうだな……」そうつぶやいた男の表情が曇った。眉間に苦悩が浮かんでいる。「仲間のホムンクルスを救うには、あいつの『生命』が絶対必要なんだ……。やってもらうしかない」
「…………」
 グザイはつなぎのポケットに手を突っ込み、何気なく空を見上げた。
 いつもは木々に遮られて見えない星が、今は良く見える。
 呼吸しているようなあの星の一つ一つも、生命のようなものだ。無数に存在する。だがいつかは滅びる。
 赤い残光もついに消え、夜の帳が舞い降りた。
 これからは俺達の時間だ。


 ――ユーモラスだが、それでいてどこかミステリアスな音楽が流れ始める。
 おいで、おいでと冥界に招くようなメロディ。
 普段は夜遊びを許されていない子供達が、今日に限っては外出の許可を得て、
 今にもはちきれそうな好奇心と、ほんの少しの恐怖を胸に抱いて、知らない顔を見せる夜の街を行く。
 やがてライトアップされたテントがぼんやりと魔法のように浮かび上がり、
 テントは子供達のはしゃぐ声に満たされる。
 ――さぁ、道化師の出番だ。
 顔を真っ白に塗って、赤い口紅をしたピエロが、どこからともなく現れる。
 彼に名前はない。あるのは『ピエロ』という仮の呼び名のみ。
 道化師が前振りをし、満を持したところでサーカスが始まるも、
 団員の誰一人として、名前を持たない。
 無名の団員達が、一夜限りのショーを繰り広げる。
 愉快で、滑稽で、そして悲しいサーカスだ。


 グザイは、ゴーストが一度だけ、ぽつりと己を端的に称してみせた言葉を思い出した。
「……出来損ない、か……」
 ヒトの出来損ない、と彼は言ったのだった。
 自分達も、ゴーストとそうさほど変わりはすまい。ヒトの形をしている何か別の生き物、けれど結局はヒトになることを望んでいる、哀れな道化師達だ。

 彼らの名前は『ネイムレス』。
 それは名前を失った、出来損ない達のサーカスである。