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<東京怪談ノベル(シングル)>


小さないたずら



 海原みたまの娘は可愛い。見た目もさることながら、表情が愛らしいのだ。
 だから家族にからかわれる。みたまの娘はそのたびに、怒ったり、恥ずかしがったり、呆れたり――休むことなく表情を変えてみせる。その表情がまた可愛く、家族はさらに娘をからかう。それもこれも、娘が可愛いせいなのだ。
 だから許して頂戴、とみたまは思う。
(可愛いと思うだけなのよねぇ。私も、ダンナさまも)

 スーツに身を包み、大きなアタッシュケースを持った男から角三の茶封筒を受け取ったとき、みたまはこみ上げてくる含み笑いを隠すことが出来なかった。
「いつものです」
 と男は言った。
 そう、“いつもの”。
「ご苦労さま」
 みたまはそれだけ返すと、早々に帰宅した。

 とある特殊メイクの専門学校から、みたまの夫へ宛てられた封筒。
 中身はみたまの夫にとって、とてもとても大事なものだ。だからみたまは寄り道をしないで帰って来た。途中で落としたりすれば、みたまの夫は落胆するだろう。そんなことをみたまが望む筈がない。
 それに、みたま自身、封筒の中身を見るのを楽しみにしているのだ。
(どんな写真かしらね)
 さてさて、と封筒を開けることにする。
 本当なら手で豪快に破ってしまいところなのだが、夫のものだとそうはいかない。ペーパーナイフを取り出して丁寧に開封する。憲兵として生きてきたみたまにとって、こういう細かい作業はわずらわしいのだが、夫のためならば苦にならない。
 みたまの夫は色々なところでコネを持っている。妻のみたまと言えども、把握しきれない程だ。
 学校法人の支援もその一つだ。支援、と言っても表立ってではない。裏で、である。その仲介をするのがみたまの役目だった。寄付金の名目で多額の資産を融通するように、夫から頼まれている。勿論、みたまは喜んで引き受けた。みたまは最愛の夫から依頼されるのであれば、どんな些細なことでも嬉しかったのだ。それが裏事情のことであれば尚のこと、夫との共有の秘密が出来たようで胸が躍った。
「わかったわ」
 夫から頼まれごとをされると、みたまは決まってその一言だけで済ませた。喜んでいるのを、隠すように。人に感情を見せない憲兵の癖だった。
 夫は何も言わない。けれど、わかっている。みたまが喜んでいることも、ワクワクしていることも。黙っていても、みたまの感情は僅かながら顔に出ているからだ。みたまは、他の人間には完璧な嘘をつけても、最愛の人にだけは嘘を突き通すことは出来なかった。
 ――その夫が、何故学校法人の支援をするのか。
 夫は学校法人の中でも、ある美容専門学校を選び、そこにだけ特に多額の支援を行っていた。
 みたまは妙に思った。何故、この学校を優遇するのだろうか。
 わからないまま仲介をしていたが、夫は金銭以外にも素材研究所から新素材を見つけてはその学校へと運ぶようになった。研究段階の新素材を入手するのには莫大な金が要る。ますます妙だ。
(ダンナさまにはダンナさまの考えがあってのこと)
 みたまは無遠慮に質問を投げかけることはしない。夫を信頼しているし、訊ねたところではぐらかされるに決まっているからだ。
 そんなとき、新素材というのは特殊メイクに使われるものだと知った。特殊メイクといえば、娘がそれ関係のバイトをしている。もしやと思い、娘のバイト先の学校を調べてみると案の定、である。それは夫が支援している学校だった。
(となれば、見返りは当然……)
 男から封筒を受け取ったのは、そんな矢先のこと。
 笑いがこみ上げてくるのも無理はない。

 ああやっぱり。
 封筒の中身は馬メイクに関する報告書で、同封されている写真は馬になる前となったあとの娘の写真だった。
 四本足で歩いている馬が、涙目でこちらを見ている。
(ダンナさまったら)
 フフ、と笑う。みたまは笑顔の子の方が好みなのだが、涙目とはダンナさまらしい。娘には悪いがほのぼのとしてしまった。
 そこへ、夫が帰ってくる。
「封筒は届いているかい?」
「ええ」
 二つの笑い声。お互いがお互いを理解して、楽しみを共有している声だ。
 みたまが微笑むのにはもう一つ理由がある。
 今、娘はとある専門学校にいて、本日に帰宅する予定だ。大体二時頃に家に着くということなのだが、今はまだ朝。封筒だけが先に渡された形である。
 もう一人の娘が学校だ。
 つまり……今は二人きりということ。そして夫が再び出かけて、他の誰かが帰ってくるまで、大分時間があるということ。
(だから……ね?)
 みたまは夫の腕に自分の腕を滑り込ませた。
「封筒はここにあるわ」
 みたまは言った。
「御礼をねだってもいい……?」
 ふと、娘のことを思い出す。
(ごめんね。でも、今だけは独占させて頂戴な)
 ――目を閉じて。

 数時間後。玄関のドアが開いた。
 疲れきった少女の声。
「おかえりなさい」
 みたまは幸福そうな微笑で少女を迎え入れた。

 勿論、既に封筒は夫の机の引き出しにしまってある。




終。