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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


海の王国へようこそ

 イベントごとというのは、急に話が持ち上がってまとまったりするもので、綿密に計画を立てたそれよりも、こんなふうに、降ってわいたようなもののほうが、心を躍らせる気がするのはなぜだろう。
「おーさかーなさん♪ おーさかーなさーん♪」
 ご機嫌の蘭を横目に、葛は出かける支度をしている。
 昨夜のチャット上で、今日の予定が急遽、決まったのだが、いったいなんでそんな話になったのかはもう思い出せなかった。
「水族館なんて何年ぶりだろ」
 水筒にお茶を入れながら、葛は思う。
 タオルに、もしもの時の折り畳み傘とバンドエイド、それから、おやつのチョコレート。そうだ、デジカメも持っていかなくちゃ。
「今日、和馬と水族館に行くよ」
 そう告げた葛に、緑の髪の同居人は、銀色の瞳を丸くして、小首を傾げた。
「すいぞくかん?」
「お魚さんがいっぱいいるところ」
「魚屋さん……?」
「違う違う。お魚さんが泳いでるんだよ。海の中が見られるみたいな」
「本当!?」
 蘭の目が輝いた。
「すごいすごい、とっても楽しみなの!!」
「だから、お出かけの支度しようね」
「はーい、なのー!」
 そんなこんなで、土曜の朝はにぎやかに幕を開けた。

「うぉーい、来たぞぅ」
 ドアがノックされる。
「もう来たの……って、こんな時間か」
「わーい、和馬おにーさん!」
「おう、蘭! 今日も元気に光合成してるか!」
「うん、なのー!」
「あ、こら、リュック忘れてるよ、蘭。帽子もかぶって、ほら!」
「はい、なのー!」
「さあ、出かけるぞー」
「ちょっと待って、ええと、忘れ物は……」
 にわかに騒がしくなる。
 わいわい言いながら、和馬の車に乗り込み、出発進行。一路、目指すは水族館、である。
 わりと最近、オープンしたらしいその水族館は、今までにない、かなり大規模なもので、豊富な水量の水槽に、世界の海の生態系を模したさまざまな魚介類や海の生き物がいるらしかった。葛は姉からその評判を聞いていて、たまたま、その話題を昨晩、出したのが発端だったか。抜け駆けしたとわかると「なんで私を誘わないのよ!」と怒られるだろうな、と思ったが急に決まったのだから仕方ない。とりあえず適当な土産ものを買っておけばいいだろう。
「あれか……結構、大きいね」
「メインの水槽は5000トンはあるらしいぜ」
「んー、それがどのくらい凄いのか、ちょっと感覚が掴めないけど」
「とにかくバカでかいってこった」
 車が駐車場に滑り込む。
「ジンベエザメが泳いでるってさ」
「じんべえざめってどんなお魚さんなの?」
 目をくりくりと期待に輝かせて訊ねる蘭に、
「ジンベエザメか。ジンベエザメはおめぇ、ありゃあおそろしいぞ」
「こ、こわいの」
「ああ、あんなにおっかない魚はめったにいるもんじゃない」
「そう……だっけ。ジンベエザメって確か――」
「俺ぁこの目で見たんだ。ありゃあフロリダの高速道路を、真夜中にぶっとばしているときだった」
「ちょっと待て、なにさ、高速道路って!」
「目の前にまぶしい光が」
「それUFOかなんかだろ!」
「すごーい、光るの!?」
「ちょっと蘭にヘンなコト教えないで」
「わははは、よーし、ついたぞ。ジンベエザメの真実は、てめぇの曇りなきまなこでたしかめやがれ!」

 そして。
 入場料を払って、足を踏み入れる。すると目の前に、まさにその大水槽がぱっと開けて、視界に飛び込んでくるのだ。この施設の設計者は、入場者のファーストインプレッションの驚きと感動をきっちりと計算していた。
「わぁあー……っ……」
 蘭が――いつもなら吸い寄せられるように駆けていくところを、思わず、そこに立ち止まって息を呑んだ。和馬でさえ、ほう、と、息をついたのだ。
 5000トンの水槽というのは、ビルの一階や二階の高さではきかないのだ。身上げると、建物の中央に配された水槽の上から採り入れられた陽光が、水を通して降り注ぎ、まるで海の底に迷い込んだような錯覚をおぼえる。そして、その水の中は……まさに魚の楽園、だった。
 銀色に鱗を輝かせ。水を切り。抜きつ抜かれつ。
 円筒形の水の世界を回遊する魚たちの群れは、空を舞う鳥たちのようでもあった。
 そして、その中にひときわ威容を誇り、まず目に飛び込んでくる、巨大なすがた――。

  ジンベエザメ
  甚平鮫 学名:Rhincodon typus 英名:Whale Shark
  軟骨魚綱テンジクザメ目ジンベエザメ科ジンベエザメ属
  世界最大の魚として知られるジンベエザメは、体にある模様が甚平に
  似ていることから名付けられたといわれる。体長は10〜12mにも及ぶ。
  性格は大変、おとなしく、プランクトン、海草、オキアミなどを主食
  としている。

「おっきぃー……の」
「すごいね」
「どうだ」
「あんたが威張ってどうすんの」
「もっと近くで見ようぜ」
 言われるまでもなく、蘭は水槽のガラスにめりこまんばかりに顔と手をつけて、魚たちの世界をのぞきこんでいた。まるで巨大な飛行船のように、ゆっくりと、漂うように泳ぐジンベエザメ。けれど、その巨体に似合わず、ちいさなプランクトン類だけを食べる、と、解説にあるように、それはきわめて大人しく、平和的な生き物のようだ。そのせいか、巨大さに圧倒されるが、恐ろしくは感じないのだ。その目は、像のような、おざやかな草食動物のそれに似ていた。
「王様みたい」
「え?」
「王様みたいなの」
 蘭が言った。言われてみれば――、単に最大の魚だというだけでなく、泰然自若としているかのような、ゆったりとした身のこなし、そして、そのまわりを、家臣のように、取り巻きのようについて泳ぐ小さな魚たちの群れを見ていると、海の王国の王様が、のんびりと、国の見回りをしているようにも見えるのだ。
「これだけで、元取れたって感じ」
「まだまだ。これからだぜ」
「……だから、なんであんたが得意げなのさ」
 だが、和馬の言葉は嘘ではなかった。

 ジンベエザメの王宮である巨大水槽があるのが、建物の中央部分の吹き抜けである。それを取り囲むように、4層のフロアがらせん状に連なり、その外側に中規模・小規模のサブ水槽が配置されている、というのが、この海の王国の構造だった。

「きれーい、なの」
 ひらひらと、色あざやかなひれを誇示するように泳ぐ、熱帯の魚たち。ネオンテトラ、グラミー、グッピー、プレコ、エンゼルフィッシュ、コリドラス……その名前さえも、どこか音楽のように、楽しい。

「うわ、すごい顔」
「あっちのも相当だぜ」
 凶悪な牙をもち、のそり……と岩のあいだから顔をのぞかせるウツボに、毒のある棘を秘めたひれをそなえたミノカサゴ。

「あー、たこさんだー」
「蘭、たこの足は何本だァ」
「えーと、一本、二本、三本……八本なの!」
 ユーモラスにからだをくねらす、軟体の生き物たち。

「なんか、なごむよね……」
「おいおい、なんか目が危ねーぞ」
「うん……なんかさ、こう……じっと見入っちゃわない?」
「み、魅入られるな! それがやつらの策略だ」
 ふわりふわりと、人の目をひきつける、くらげのダンス。

「ふくらんだ! ふくらんだなの!」
「蘭! おまえも負けるな!」
「わかったなのー!」
 ぷーっと頬をふくらませ、ハリセンボンと、ガラス越しのにらめっこをする蘭と和馬。

 かなり大規模な――、と聞いていた評判どおり、水槽から水槽へ、巡り歩くだけでもかなりの距離がある。途中、いちど建物の外に出られるテラスがあって、売店などもある休憩スペースになっていた。
「ちょっと休もうか」
「おう、腹減ったな。蘭はどうだ?」
「うん、お腹すいたなのー!」
「はいはい。なにか買ってくる。お茶とお菓子は持ってきたからね。席、取っといて」
「了解であります!」
「了解なのー」
 ふざけて敬礼。それから、笑い合い、和馬と蘭は席を探した。しかし、休日の、いい時間になってきて、休憩スペースはずいぶんと混雑しているのだった。
「まいったな。空いてる席、ねぇぞ?」
「ここはー?」
「あ、バカ」
 蘭がぴょこんと坐ったのは、たしかにその椅子は空いているけれど、すでに他の客がとったテーブルのようだった。あわてる和馬に、しかし、
「いいですよ。そこの荷物どけますから。ご相席でも」
 と、先に坐っていた老夫婦は言ってくれたのだった。
「はあ……そりゃすいません……あと一人来るんスけど……。こら、蘭、お礼言え!」
「ありがとうなのー!」
「いえいえ。どういたしまして」
 夫妻の妻のほうが、にこにこしながら、蘭に言った。その様子を、夫の老紳士も穏やかに目を細めて眺めているのだった。

「……じゃあ、わたしたちはこれで」
「あ……そうスか」
「ありがとうございました」
「こちらこそ。じゃあ、蘭ちゃん」
「おじいちゃん、おばあちゃん、さようならなのー!」
 蘭に手を降られながら、老夫婦は先に席を立っていった。
 去りぎわに、
「いいコにしててね。パパとママの言うこと聞いて」
 と、言い残して。
「ふに?」
 蘭は小首を傾げた。
「パパさんとママさん」
「それって……」
「俺たちのことかよ」
 和馬と葛は顔を見合わせて苦笑した。
「まー、ガキ連れで三人でいりゃあ……いや、しかし、待てよ」
「子どもいるように……見えたんだ……ははは」
 葛の渇いた笑いと遠い目に、和馬は思わず腰を浮かせた。
「あ、いや、なんつうか、あれだ! それだけ、仲良し家族っぽく見えたつうか、な?」
「…………」
「き、気にすんなよ」
「……いいけど」
「……」
 それから、葛はふっ、と、息を吐いて、
「でもなんかいいな。老夫婦って」
「はァ?」
「あの年になっても、夫婦で水族館に出掛けられるなんて、いいな、って思ってさ」
「あー……」
 和馬の目が、妙な方向へと泳いだ。
「あれ。蘭は?」
 ――と、気がつくと、緑の髪のいたずらっこは姿が見えないのだ。
「なんだよ、迷子かぁ?」
「ねーねー!」
「あ、いやがった」
「あっちにカニさんがいるのー!」
「なにがカニさんだ。勝手にうろうろすんなー」
「早く行こう、なの! ――パパさん?」
「な、なんだと!」
「今日は和馬おにーさんがパパさんでー、持ち主さんがママさんなのー」
「ちょっと、蘭。あんた、なに妙なこと……」
「早く早く!」
 そして、引きずられるように、連れていかれる。
 海の王国は、ふたたび、奇妙な家族のような三人を迎え入れるのだった。

(了)