コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


『命の水、砂時計のお茶』

<オープニング>
 チリリと銅のベルを鳴らし店の扉を開けた二人は、象の置物や木彫りのシヴァ神像の間を縫って、カウンター席に座る。
 インドカレー専門店『アムリタ』。サリーを纏う印度娘が、ランチメニューと水とお絞りを置いてにっこりと微笑んだ。
「イラッシャイマ・・・」
 客が、8歳の門屋将紀と、その叔父の貧乏臨床心理士だと知ると、シャクティは笑顔もメニューも途中で引っ込め、踵(きびす)を返した。
「ちょっと待て」
「待たんかい!」
 青年と少年が同時に突っ込む。
「お金を払うからこそ、お客と言うの。あなたたちは、お客じゃないの。うちはツケ・システムはやってない。いつもニコニコ現金払い」
 日本で生まれ育ったシャクティは、店では営業用に片言で喋るが、時々面倒になって流暢に日本語を話し出す。
「現金なら、あるで」
 将紀が、ぽんとブタの貯金箱をカウンターに置いた。
「失礼イタシマシタ〜。現在、『ランチタイム・ティーサービス週間』実施中デス」
 ウェイトレスは、一時停止ボタンを解除し笑顔を再作動させると、メニューを広げて見せた。
「ご希望の方に『不可思議ティーポット』で煎れたお茶をサービスしていますの。
七福猫堂写真館さんから、少しの間、ポットをお借りしましたの。水出し紅茶で一杯飲むと5歳若返り、熱湯で煎れた紅茶だと5歳加齢しますの。カレー屋だけに加齢なんちって」
「わははははは!」
 寒いギャグに叔父がのけぞって笑った。少年は、叔父の笑いレベルの低さに呆れて沈黙した。
「2杯飲むと10歳、10杯飲むと50歳ですの。12時間たてば、元に戻りますの。どうします〜?」

* * * * *
「サービスってことは、タダだよな?水出しで2杯飲んで、熱湯で2杯お替わり」
 叔父の意地汚さに将紀もあんぐり口をあけたが、再び無表情になったシャクティがメニューと水を持ち帰ろうとするので、叔父も慌てて「やだな〜、冗談だよ〜」と笑って誤魔化した。
「ボクは、おぶで煎れた茶ぁ、3杯しばいてええ?5かける3は15でええんよな?8歳足す15歳で23。間違いない?」
 紙ナプキンに鉛筆で計算してみる。九九は7の段まで授業でやった。5の段は簡単なので、4の段より先に覚えた。
「カシコマリマシタ〜。で、肝心のカレーはどれにしますの?」
 この時ばかりは、二人の気が合い、同時に答えた。
「一番安いヤツ」

 紅茶は10分くらいで効果が出ると聞き、将紀達は慌てて事務所に戻った。痩身の主人公がマッチョなヒーローに変身する時のように、服がビリビリ破けたら大変だ。服ももったいないし、裸でアムリタから帰るわけにはいかない。叔父の白衣を借りる手もあるが、裸で纏うのもなんだか変態じみていて嫌だ。
 普段は着流しに白衣という叔父だが、一応普通のジーンズやトレーナーも持っている。
「レンタル料、一着につき50円な。トランクスは新品だから、買い取りだぞ」
「可愛い甥っ子から金とるんか!がめつすぎや!・・・でも、おっちゃんに、よく新品パンツ買い置きの余裕があったなぁ」
 服一式とビニールに入ったままの下着を受け取る。
「ま、いざという時の為にな」と、叔父はにやにやと顎に手をやる。
「いざという時?」
「子供は、知らなくていい」
「ふん。糊の効いたパンツなんて穿いとったら、出かける時からねろうてたとバレて、あからさまやで。一回は洗濯しときぃ」
 言い捨てて、将紀は着替えを抱えバスルームへと消えた。

< 1 >
『なんか嫌や〜。おっちゃんと、顔、そっくりやん』
 バスルームの鏡に映る青年。叔父より数歳若いものの、骨格や目鼻だちには門屋家系の特徴が出ていた。高い鼻、しっかりと張った顎。瞳も、子供のつぶらなものでは無く、切れ長で目つきの悪い人相になっている。
『ショックや。本当の大人になった時も、こんな顔やろか』
 それでも、無邪気さや愛らしさは表情に残り、スカイブルーの清々しいトレーナーとジーンズという服装のおかげで、三十路に近い着流しの男とは雰囲気がだいぶ異なっていた。
『あ、靴も借りんと』
 もう50円取られるのか。うんざりしてドアを開けると、叔父はソファで鼾をかいていた。満腹になると寝る。小学2年だって給食の後で授業があるのに、臨床心理士とは気楽なものだ。
 脱ぎ散らかした事務所用のサンダルをこっそり拝借し、将紀は事務所を出て行った。

 まずは、飲酒だ。陽は高いが、かまうものか。将紀はコンビニに飛び込むと、酒の並ぶ大きな冷蔵庫の前に立った。
『どこがどう違うんや?』
 ビール及び発泡酒だけでその大きな棚は埋めつくされていた。同じ柄で色違い。同じ名前でも秋用と冬用。同じ銘柄なのに『日本代表応援缶』とやらで、日の丸が付いているものもある。鉛筆に、HBやら2Bやら、六角形やら丸形やら、細いのやら(これは女子の間で流行中)太いのやら、色々あって、でも結局どれでもいいやん、書ければ!というのに似ている。
『何でもええわ、ビールなら!』と、一番値段の安い(やはりそれか)1本を鷲掴みにして、会計へ持っていった。
「196円です」
「あ、6円あるよ」と、声を出して、飛び上がりそうになった。誰の声だよ、これ。鎖骨が奮えるほど低い声。
 動揺しながらビニールをぶら下げて店を出た。

 公園のベンチに足を組んで座る。風も無く、秋の終わりとしては暖かい昼下がりだった。
『おうし、大人になったボクに乾杯や』と、景気よくプルトップを引っ張る。・・・景気よすぎた。ぶら下げて運んだせいもあるだろう。小さな飲み口から、一気に白い泡が溢れ出した。
「あわあわあわ・・・」
 思わずくだらない駄洒落を言いつつ、慌てて吸い上げる。缶からこぼれ落ちる泡が、ジーンズの腿に染みを作った。
「痛・・・っ」
 将紀はべっと舌を出した。口の中がビリビリ痺れている。舌も痛い。何だこの飲み物は。中にマキビシでも混じっているのか!チクチクと、舌が針にでも刺されているようだ。
 殆ど飲んでいない缶ビールをごみ箱に放り込むと、口直しに自販機でオレンジ・ジュースを買った。
『ああ、生き返ったわ。大人は、あんなマズイもんを、よう好きこのんで飲むわな』

『気ぃ取りなおして。次はHビデオや!』
 実は、借りたGパンの尻に、診察券やスーパーの割引券などと一緒にビデオ屋の会員証が入っていた。もちろん叔父のものだが、店員が叔父の顔を覚えていたとしても、これだけ似ていればフリーパスだろう。
 その店は、叔父と時々来て、ねだってアニメを借りてもらったこともある。奥に、黒いビラビラした暖簾がかかったスペースがあり、叔父は『ちょっと待ってろ』と言って、暫く将紀を待たせると、腕に何本も抱えて出て来るのだ。その時の叔父の顔が、とても嬉しそうな笑顔なので、よほど楽しいすばらしいビデオなのだと将紀は思った。暖簾の横には、『18禁コーナー』と赤い文字で看板が出ている。
『ボ、ボクは今、23歳なんや』
 心で自分にそう言い聞かせて、将紀は暖簾を潜って行った。

<『東京怪談』は18禁描写は禁止されています。残念ながら、暖簾の中はお見せできません。将紀が出て来るまで、暫くお待ちください>

「は、は、はっくしょーん!」
 暖簾の中で、将紀の盛大なくしゃみが聞こえた。青年は、鼻を擦りながら、黒のビラビラの間から顔を出した。
『なんやか、裸の人ばかりで、寒そうや』
 たまたま、手に取ったビデオのパッケージが、荒波の海辺の岩場に横たわる女性の裸体の写真だったり、大理石の上で裸で寝ている男女の写真だったりしたもので、見ていて寒くなってしまったのだ。
 あれを1本400円もかけて借りる気にはなれない。Hビデオというのは、かき氷と同じで、寒い季節には向かないと思った。

『一杯引っかけて、体あっためてから帰ろ』
 夕方、駅前などで、しばしば聞くセリフを真似してみた。23歳の青年のモノローグにしては、おやじ臭い。まあ、将紀にとって、大人は23歳も53歳も同じなのだ。
『一見さんをボる店もあるやろうし』
 どこの呑み屋に入ろうか、繁華街をぶらぶらと物色して歩く。秋は、夕陽の背中を押すのが早い。早々と夕闇が通りに忍び寄り、華々しいフィラメントが輝き出す。
 いくら物色しようと、どの店も全部『一見さん』に決まっている。それでも、少しは見覚えのある店をと思い、『ドラゴン・ハウス』の前で足を止めた。何のことは無い、昼間来た『アムリタ』の向かいの店なのだ。ここなら外見もお洒落な感じだし、トレンディ・ドラマに出てくる店みたいだろうと、将紀にも店内の予想がついた。
 将紀は、ゴクリと唾を飲み込むと、穴蔵のバーへの階段をゆっくりと降りて行った。

< 2 >
 古い木の扉が軋む。正面のカウンターでグラスを磨いていたバーテンの口が、『いらっしゃいませ』と動いた。低く音楽がかかっている。ジャズってやつだろうか。
 浅い時間なので、客はまだ数人だ。だがそれでも、紫煙は目に見えるほどに立ち昇り、焦げたような壁の色に靄をかけて見せた。そう広い店では無い。時代ものの振り子時計が揺れる。年季の入ったフローリングを踏みしめると、『この若造が』と叱るように音を立てた。テレビドラマで見たような、安っぽい感じの店とは違っていた。もっと、隠れ家のような、危険な雰囲気を醸し出していた。
 将紀は、白いシャツに蝶ネクタイのウエイターに案内され、壁際のテーブル席に付いた。
メニューを渡され、例によって「一番安いもの」。ウエイターは面食らうが、ひるまずに尋ね返す。
「バドワイザーでよろしいですか?」
『・・・バドなんとかって、何やろ?』
 メニューに目をやると、ビールのカテゴリーの中にその名前が見えた。
「あ、ビールは嫌や!・・・このカシス・オレンジちゅうのがええわ」
 
『甘くてウマいやないか。ビールとは大違いや』
 細いグラスのそれを、ズルズルと飲み干す。甘いと言っても酒は酒だ。顔がほわほわと熱くなり、頭もぼうっとしてくる。
 斜め前に座る、若い女性の二人連れが、こちらをちらちら見て、含み笑いしていた。「カーワイイ〜」などと言う声が聞こえた。
『なんや、感じ悪いわ』
 男が一人で店に入って、カシス・オレンジを頼もうが、チョコパフェを頼もうが、大きなお世話だ。だいたい、その女どもだって、まだキャピキャピした感じで、この店に全然ふさわしくない。
 だが、霞み始めた瞳を何とか凝らしてよく見ると、左の女性は、なんとなく母に似ていた。門屋家の伝統であるきつい切れ長の目も、母の場合は日本女性らしい優しい女らしさに満ちていた。通った鼻筋も、母のものは冷たい印象を与えず、彫りの深い品のいい雰囲気を作るのだ。
 心がきゅんと切なくなった。ジャーナリストの母は、今、どこの国の空の下だろう。安全な場所にいるのだろうか。両親の離婚は、子供がとやかく言うことでは無いと将紀もわかっていた。母側に引き取られても、結局は叔父に預けられ、母とは殆ど会えずにいる。でも、生き生きと仕事をする母が好きだ。寂しくなんて、無い・・・。そう言い聞かせ、将紀はグラスに残る氷をバリバリと食べた。
 またクスクスと笑い声が聞こえた。あの女達だ。
「大阪のヒトなの〜?」
 右の方が話しかけて来た。
「そうや」とそっけ無く返す。
「待ち合わせ?」
「いいや」
「一緒に飲まない?」
「よしなよ」と、母に似た方が右の女の腕を揺すった。
「一人で楽しんで飲んでいるのに、悪いじゃない」
「あら。女性から誘ったのに。私たちに恥をかかせたりしないよねえ?」
 クラスの女子は、2年生位だと、男子よりたいてい体が大きくて、走るのも早くて、口だって達者だ。偉そうに、先生と同じ口調で命令する。
『掃除、ちゃんとやりなさいよ』『きちんと並びなさいよ』『給食は全部食べなさいよ』『標準語喋った方がいいわよ』・・・。
「うっさい。おまえと一緒にいるくらいなら、食い倒れ人形と一緒に飲んだ方がマシや」
 酔いも回っていたのだろう。将紀の口から出た言葉は、辛辣だった。子供の言う悪口は、容赦が無い。相手を叩き潰し、痛めつける為だけに発せられる。
「ひどい・・・」と、女性は蒼白になり、涙をためた。バッグを抱きしめると、素早く店を走り出て行った。人前で、若い女性が男性を相席に誘って、ここまで酷い言葉で拒否されたのだ。ショックも大きい。
 もう一人も、追いかける為に、伝票と自分のバッグを抱えて立ち上がった。だが、一瞬、将紀を見据えた。
「あのねえ!」と、母に似た瞳が将紀を非難している。
「彼女も確かに高飛車で感じ悪かったとは思う。それは同伴の私も謝っておく。でも、一人前の男として、あなたの態度はどう?
 彼女だって、嫌がらせで誘ったんじゃないわ、あなたが魅力的だと思ったからでしょう。
 もっと大人になったら?」
「・・・。」
 声まで、母に似ている。将紀は母に叱られているような妙な気分だった。
「ごめんなさい・・・」
「ちょっと〜、いい大人がベソかかないでよ。もしかして泣き上戸?
 とにかく、彼女には、あなたが謝ったと伝えておくわ」
 薔薇のコロンが前をよぎり、母に似た女性も店を立ち去った。
『一人前の男』『大人』・・・それって何だろう。頭がガンガンと痛んだ。
 これぐらいの悪口、クラスの女子にはジャブ程度だ。悪気はなかった。たいていは、もっとすごいストレートやアッパーの反撃が、続けざまに飛んで来るのだ。口で奴らに勝てた試しは無い。
 でも大人の女性はクラスの女子では無いし、もしかしたらクラスの女子だって、初対面の男の子を遊びに誘って、いきなり悪口を言われたら泣くかもしれない。
『・・・。』
 大人って、難しい。男って、難しい。
 頭痛を抱え、将紀は席を立った。床はやっぱり『この若造』と軋んだ。
 身長は180くらいになっているのに、なんだか120センチの自分に戻っている気がして。大きなファンの回る店の天井が、限りなく高く遠くに感じられた。

「1,160円です」
「え。・・・ええーーーっ!」
 会計で仰天した。オレンジ・ジュースみたいな酒を1杯飲んだだけだ。
「カクテル800円。テーブルチャージ300円。それに消費税。切り上げて1,160円になります」
 自販機の缶のオレンジ・ジュースは120円だ。缶入りカクテルだって、昼間コンビニで見たのは200円くらいだった。呑み屋というのは恐ろしい所だと、将紀はつくづく思った。
『おっちゃんみたいに、事務所で箱買いの発泡酒を飲んどるのが、一番利口やわ』

 外に出ると、トレーナー一枚では肌寒く、将紀は思わず首をすくめた。凍った月が、殆どを削ぎ落とされた欠け方で、尖って夜空に引っかかっている。丸くなれる日は、まだまだ遠い。
 歩き初めて出た炭酸カシスのゲップは、つんと鼻に来て、痛くて目にしみた。舌には今、渋みだけが残る。

 夜は浅く、商店街の本屋やおもちゃ屋さえも、まだ開いている時刻だった。
そうだ。立ち読みしたくても棚に手が届かなかった、あの漫画。今の背なら。
 将紀の足は、煌々と明りを灯す馴染みの本屋へと向かった。大人の姿になって、初めて、成功しそうな心踊る計画であった。

< END >

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

2371/門屋・将紀(かどや・まさき)/男性/8/小学生

NPC
シャクティ
二人連れの女性客

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

発注ありがとうございました。
このティーポットの設定は、絵師・匠成織さん(七福猫堂写真館)との共同企画の第1回です。
ノベル作品としては、第2作目になります。
ほんと、呑み屋ってなんであんなに高いんでしょ。将紀くんで無くても、腹が立ちますよ、ほんと。
小2の秋頃っていうと、子供も保護者も九九100%の生活でしょうか。将紀くんも頑張ってください。
* ライター・福娘紅子 *