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<東京怪談ノベル(シングル)>


冬空の来る頃に
 
 冬は、高い場所から先にやってくる。
 晩秋とは言え、日が隠れると山の空気は急激に冷たくなった。
「やっべ……。真っ暗になっちまう」
 呟いて、菱賢は山路を行く足を早めた。山頂にある無人の寺を利用して、一人修練を行った帰り道。開かれた山ではないため、街灯はなく、道も舗装されていない獣道だ。早く街に降りなければ、下手をすると道を見失ってしまう。
 息が白いことに気付いて、賢は首元をかき寄せた。しかし、僧衣の薄い生地は寒さをあまり防いではくれない。
 この衣を、賢が身に着けるようになって数年が経つ。夏は暑く、冬は寒い。そういう衣装だ。もう慣れた。
 足元では、踏みしだかれる落ち葉が騒がしい。耳に入る音といえばそれだけだ。
 ふと、賢は歩を止めた。すると、あたりは途端にしんと静まり返る。風で枯れ葉の揺れる乾いた音を、妙に大きく感じた。
 薄暮の闇の中、下生えの茂みが濃い影になって見える。賢の周囲には、いくつもの気配が潜んでいた。ネズミかイタチか。小さな獣たちは、けして一定以上の距離から近付いては来ない。
 頭上を仰ぐと、葉の散った梢の連なりあう向こうに空が見えた。まだ夕焼けの明るさのかすかに残る紺色の空に、ぽつぽつと星が現われはじめていた。一つ一つの輝きが鮮やかなのは、空気が乾き清んでいる証拠だ。
 何かが、賢の琴線に触れた。するりと手繰り出されるのは、数年前の記憶。
 13歳の頃、初めて妖怪退治をしたのは、丁度今くらいの季節だった。

     +++
 
 夜のドライブウェイに、女の子の幽霊が出る。
 轢いてしまいそうになって、慌ててブレーキを踏むと居なくなるという――噂の真相を究明するために、賢は真新しい僧衣に身を包んでその山へと赴いた。最初はよくある怪談だと思われていたのだが、あまりにも頻繁に目撃談があるので、関係者が寺に泣きついてきたのだ。
 悪戯者の変化妖怪か、力の弱い霊の仕業だろうと判断されたため、初めての調伏には丁度いいだろうと賢一人に任された事件だった。が、賢が現場に到着した時には事情が変わっていた。
「昨夜から今朝方にかけて、立て続けに事故が……」
 賢を迎えた関係者は、額に汗を浮かべていた。
 山の中に通っているため傾斜があるが、何の事はない、まっすぐな道だ。まだ検証が終わっていないのかパトカーが停まり、警官達が数人動き回っている。慌しい雰囲気だ。
 路上に目を落とし、賢は緊張に喉を上下させた。ガラスや塗料片が飛び散っているのが生々しい。黒々と残ったタイヤ跡は、ガードレールを突き破った向こうまで続いていた。車は急斜面を落ちて大破。
「……悪戯じゃ済まねえな、これは」
 目を閉じて、賢は感覚を研ぎ澄ませる。山に入った時から、奇妙な気配は感じていた。悪意を持った者の気配。それがどこから発せられているか、すぐに掴むことができた。
 その単純さと無防備さが、賢を戸惑わせる。悪意の底にあるのは、滾るような怒りだった。策略もなにもない真っ直ぐな感情だ。その人外の者に、賢は嫌悪よりも疑問を感じた。何故に怒り、人に危害を加えるのか、と。
 しかし理由を詮索することよりも、被害をこれ以上出さないようにするのが先決だ。山向こうの町にとっては出入りのための唯一の道であり、一晩たりとも閉鎖することは不可能だという。もうすぐ日が傾き始める時間だった。日が暮れるまでになんとかしなければ、また今夜事故が起こりかねない。
 戸惑いと不安を押し殺し、賢は山へと分け入った。
 日頃の修行で慣れているとは言え、人の手の入っていない山林は歩き辛い。錫杖で木の枝や下生えを払いながら進み、賢はその場所へとたどり着いた。
「なんだこりゃ」
 展望台のように張り出した崖の上に出て、目の前に開けた光景に、思わず賢は呟いていた。
 隣の山が見下ろせた。削られ、露になった土の山肌。重機の群れ。
「レジャー施設、とやらができるらしいな」
 背後からの声に、賢は弾かれたように振り向いた。じゃり、と錫杖の輪が音を立てる。
 身構えた賢を見て、赤い唇が笑みの形につりあがった。そこに居たのは少女だった。時代劇で子供が着ているような、袖の短い和服を着ている。その色は白で、幽霊の目撃証言と一致した。
「なんだ、小童ではないか」
 賢と同じ年頃に見えるくせ、そんなことを言う。そっちこそ、と噛み付くところを、賢は飲み込んだ。見た目通りの存在ではないことを、空気でひしひしと感じたからだ。
 少女は賢の衣装と錫杖、手首に巻かれた数珠の順に視線をめぐらせ、ふん、と鼻を鳴らした。
「だが、僧侶か。坊主はいつになってもやることが変わらんな。大方、主らの同胞を殺めた報いを与えに来たのであろう。妖怪退治を気取ってな!」
 言いざま、少女は袖を振った。
「うわ!」
 風が起こり、足元に積もった枯れ葉が舞い上がる。
「しかし我らとて、あのように住処を切り崩されては生きて行けぬ。人が生きる為に必要とあらば、納得もしよう。しかし、あの地に造られるのは遊び場だと言うではないか。……報いを与えて何が悪い!」
「ま、待てよ! じゃあ、山を崩されて怒ってんのか!? ……うわわっ!」
 叫んだ口を土埃と枯れ葉に塞がれ、賢は咳き込んだ。賢の言葉に反応してか、風が一層強くなる。
 ごう、と空気が唸った。体ごと吹き飛ばされそうになるのを、賢は身を低くして堪える。腕で顔を庇いながら、薄く目を開けて前を見た。風の中心で、少女は賢を睨み据えている。
 宝輪を投げれば届く距離だ。懐に手を伸ばし、しかし賢は躊躇した。少女が高く叫ぶ。
「こちらの領土を先に侵したのは主らのほうだ。警告はした。それでも、人は我らの存在を理解しない。ならば、そちらも我らと同じ痛みを味わって当然だ!」
 住処を奪われた――その怒りは理解できる。一方的に調伏しても良いのかと、疑念が頭を過った。
 その一方で、もう一つ、賢の脳裏を過る映像がある。
 斜面の下で滅茶苦茶に壊れていた車は、家族向けのワゴン車だった。落ちた後で炎上し、乗っていた全員、助からなかったと聞いた。
「だからって……、やってやり返しての繰り返しかよ!」
 やりきれない思いで叫び、賢は宝輪を投げた。金の輪はあやまたず弧を描き、少女の袖を破って賢の手に戻る。
 風が弱まった。怯み、少女は背後へと飛びずさった。しかし目に宿る輝きは消えていない。
「そうだ。それで何が悪い」
「もっと他に……!」
 ニ撃目を繰り出さない賢に、ふと、少女の目がたわんだ。
「何もない。我にとってはな」
 頭を振って言い、ざ、と残った片袖を振る。静かに、風が少女の周囲を巡った。
 我ら、と先ほどから少女は言っていたが、山には他に妖しい気配はなかった。彼女が残った最後の一匹なのかもしれない。
「……悪ィ」
 許せと言うことは出来ず、賢は錫杖を構え直す。この瞬間、出来ることは一つだと悟り、感情を殺したのだ――。
 

     +++

 あの山にも、今頃同じように冬が来ているだろうか。
 梢に残った枯れ葉が揺れるのを見上げながら、賢は思いを巡らせた。
 結局あの後、レジャー施設開発は悪い噂が立ったのと、資金不足とで頓挫したと噂で聞いた。近々、別の企業が買い取って建設が再開されるそうだが、周囲の自然との調和を意識した方向へと計画は変更される予定らしい。
「もう二度と、ああいうことがねえといいんだけどな」
 白い息を吐き、賢は呟いた。何時の間にか、空は紺色を濃くし、星の瞬きも数を増やしている。
 あの時、調伏を終えた後も、同じ星を見た。これからこの季節の夜空を見る度、あの少女のことを思い出すだろうと思ったのを、覚えている。
 賢は再び歩き始めた。やがて街の灯りが見えてくる。どこからか漏れてくる夕飯の匂いに目を細め、賢は家路を急いだ。


                                      END