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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


餓える牙

 夜の静けさに亀裂を入れたのは悲鳴だった。高く長く、絞るような。末期を思わせる、悲嘆と恐怖に彩られた声は、夜の正体を晒した。夜と人とは相容れぬもの。駆逐出来ぬ畏怖。それを忘れかけた人々に知らしめるかのように。
 冷たい高層が連なる中にあって珍しく鬱蒼と緑を茂らせた公園を、疲れた身を凍えた夜気に委ねて歩いていた青年は、声を聞き届けた――夜より齎される闇に満ちた言伝を。
 青年は咄嗟声の方向へ目を遣る。だが、灯り少なく視界を遮る影の多い園内を見渡す事は叶わない。しかも、声は青年の在る場所より離れているようだ。
 青年は額に落ちかかった金の髪を苛立ちを抑えるように掻き上げて、足を早めた。それはすぐに駆ける速度へと変わる。
 駆けながら青年は、ロングコートのポケットからキーホルダーを取り出した。それに付けられたミニマグライトをつけ、辺りへ光を走らせる。照らすのが目的ではない。こちらの存在を報せる為だ。
「聞こえたら、返事をしろ!」
 声を求めるがいらえはない。
 青年の青い瞳に焦りが混じる。…もう、遅いか。
「何処に居る?!」
 更に叫ぶ。だがそれにも応えはなかった。
 そして青年はそれ、に気付く。
 濃厚な匂い。錆びた鉄にも似た。だが錆びには決して生み出せぬ膿む程のねっとりと絡む匂い。
――血臭。
 気付けば水溜まりに足を踏み入れていた――否。
 血溜まりに、足が浸っていた。
「…………」
 青年は1メートル程先へライトの光を向けた。
 無残な疵に身を犯された骸が三つ、折り重なっていた。

 話を終えて青年は、手にしたカップに口を付けた。一口で安物と判るコーヒーはそれでも疲れた身に染みた。昨晩三つの死体と遭遇してしまった後、警察による事情聴取やら何やらで、結局家には戻っていない。
「お前も本当にそんなモノばかりに縁のあるヤツだなぁ」
 冷め切ったコーヒーで眠気を散らそうと、草間興信所の主、草間武彦はカップを呷った。
「も、って言うのはソレ、自分の事? 草間サン」
 にこりともせず青年は返す。
「……あー、まあそれはともかく。で、土曜の朝から人んちに押しかけたのはそんな血生臭い話をする為なのか、聖?」
 神聖にして爽やかなる朝を曇らせるのが目的か? と他の者が聞いたら失笑を買いかねない言葉を付け加えて、草間が問う。
「そんだけの為にわざわざ来るわけないでしょー…。俺、昨晩の事情聴取で疲れてんだからさ」
 青年……聖は、彼にしては珍しく目の下にクマなどこさえて幾分やつれた顔を苦い笑いに歪ませた。
「それでそこの少年は?」
 聖の横に黙して座した少年に漸く気付いたと言った様子で、草間は顎で少年を示す。
 高校生だろうか、学生服をきっちりと着込んで、真面目な雰囲気の少年である。自分を見る草間に、少年はぺこりと雰囲気に違いない生真面目な会釈をする。
「だから、俺は依頼人を連れて来たんだって」
「……これが?」
「オキャクサマに随分と失礼だね、草間サン」
「……あの!」
 埒の明かない会話を続ける二人に業を煮やしたのか、少年が立ち上がった。
「アイツを、助けて欲しいんです。警察に言っても判ってくれないし……ここしか頼るトコなくって……」
「アイツ?」
「……俺の友達です」
「どうにも話が見えないな。聖が先刻した話と、君の話は関連が?」
 少年はこくりと肯いた。
「この子は、俺が遭遇した事件の犯人とおぼしき人間の……友達らしいよ」
「人外に友人が?」
「草間サン」
 咎める声に草間は肩を竦めた。
 煙草をシャツの胸ポケットから取り出して銜える。火を付けて、睨む様子の聖に右手を上げた。
「悪かった。だが聖、お前の話しを聞く限りじゃあ、人の仕業とは到底思えなくてね」
 三人の遺体はどれも身体に著しい損傷があり、警察は人の手によるものではないと判断している様だ。食い千切られた跡は、どう見ても獣の歯形であり、引き裂かれた跡は獣の鋭い爪と……それは実際に遺体を見た聖も感じた事である。
「でも! 確かにアイツだったんです! 俺がアイツを見間違う筈、無いんだ……」
 最後はいくらか勢いを落として、少年は言い終わると力が抜けたのかすとんと元の位置に腰を落とした。少年の背を聖がやわらかく叩く。
「この子は俺が見たのより一つ前の事件を目撃しててね。その時にお友達を見たそうだよ。その子が人を襲って食べるのを」
「俄には信じ難い話だが……寝惚けているのでも巫山戯ているのでもなさそうだな」
 少年の友人と言うことはおそらく同じ高校生であるのだろう。それが人を襲って食らうなどと、言われて容易に信じられるものではない。いくら草間が怪奇探偵と呼ばれているとしても、だ。
「寝惚けとお巫山戯でここまで来ないでしょ……で、今回の依頼と言うのはね」
「その少年を止めて欲しい、か?」
 先程少年は「助けて欲しい」と言った。それは友人の凶行を止めろ、とそう言う事なのだろう。
 聖は無言で肯いた。
「お、お願いします!」
 聖の隣で俯いてコーヒーを啜っていた少年が顔を上げた。真直ぐに草間を見て、言う。
「アイツ、本当は人を傷つけたりなんて出来ないヤツなんだ。臆病で……それ以上に優しいヤツなんだ。何があったか判らないけど、きっとやりたくてやってるワケじゃない。何かに巻き込まれたとかそんなのに決まってる」
 少年は言い終えてまた項垂れるように視線を自分の膝の上に落す。草間は膝上で握られた手が震えているのを寸時見下ろしてから聖へ藪睨みを向けた。
「しかし聖……どうしてお前の持ってくる依頼はこんなのばっかりなんだ?」
「俺に限らないでしょ。俺がここに来る前から草間サンとこの依頼って言えば『こんなの』ばっかりじゃない。それに俺は依頼を持って来たんじゃなくてたまたま依頼人に居合わせただけだし……と毎回似たような台詞言わせないでくれるかな」
 すっぱりと言いきって、聖は立ち上がった。インスタントコーヒーの粉末を空になっていた自分のカップに入れ湯を注ぐ。湯気がふわりと薫りを立ち上らせた。安いコーヒーでも、それなりに香ばしい。依頼人の分も新しく入れ、聖は席に戻る。
「で、草間サン、請けてくれるの? この仕事」
 聖からカップを受けとって恐縮気味に礼を述べた少年が、聖の声に顔を上げ草間を見る。瞳に浮かぶのは縋るような。
「……あいにく俺はまたもや忙しい身でな。だがちょうどいい、これから他の仕事を終えて報告に戻って来る奴等が居るからそいつ等に任せよう」
「草間サン、仕事を終えたばかりの人に任せる気なの?」
「何か問題があるか?」
「……別にいいけどね」
 ふんぞり返って開き直りを見せる草間に、聖は漏れそうになった溜息をコーヒーと共に喉に流し込んだ。

―――――――――――――――――――――――――――


 銀杏の黄色い葉が色数の少ない地面を明るく彩る。
 光を散らしたようなそれに、セレスティ・カーニンガムは柔らかな微笑を浮かべた。
 朝の光が落ちてそのまま止まったかのような風情は、秋の美景の一つだ。
 セレスティの瞳ではっきりとした色彩を識る事は出来ないが、明るさは捉える事が出来る。
 明るい色の木々は尚も光のごとき葉を音も無く落としている。セレスティは目の前に降り落ちた葉の一枚を拾い上げ、指先に挟んだ。
「静かな……穏やかな光に満ちた此処で陰惨な事件が起きようとは……」
 微笑みを僅か曇らせて、セレスティは呟く。
 早朝のニュースで知ったのは、この公園で起きた事件。男女合わせて三人が獣に襲われたかのような傷を負い、死んでいたと言う。
 同じような事件はここ一ヶ月内に何件も起きていたが、手懸りが少なく捜査は難航しているとの事だ。
 夏が終わり、強い日射しは和らぎ。風は涼しくセレスティを包みゆく。優しく囁くような風の歌を乱す猟奇事件。
 厳しい季節を過ぎ、再び厳しい季節がやって来るまでの僅かな合間――それを脅かす者。
「調べてみますか……」
 杖を握る手に力を込め、セレスティはそれ、に気付いた。
「何方ですか」
「あら、バレちゃったか。やっぱり鋭いね」
 セレスティの後背、ひと際太い幹を持つ銀杏の陰から一人の青年が滑り出る。セレスティはゆっくりと青年へと身体を返した。
「人では……ないようですね」
 青年の帯びる気は人のものではなかった。幾らか抑えてはいるようだが、同じく人ではなく、感覚の鋭いセレスティを誤摩化す事は出来ない。
「そう言うアンタも人じゃないね。あんまり馴染みの無い感じだけど……ナニモノ?」
「さぁ……何者だと思われますか?」
「……俺、その辺は鈍いんだよね。ま、人じゃないなら頼めるかな?」
 青年は楽しげに喉を笑いに鳴らすと、無造作にセレスティへと顔を寄せた。
「最近ここら辺で物騒なコトが起きてるの、知ってる?」
 セレスティは青年の言葉に幽かに眉を顰める。
「知ってるよな? それ、止めて欲しいんだけど」
「……貴方はその『物騒な事』について何かご存知なのですか」
 静かに問う声に、青年はまた笑う。
「一寸ね、でも大した情報は持ってないよ。そうそう……『物騒な事』に関わってるらしい人物の知人が『草間興信所』に依頼を持ってった事は知ってる」
 か、とセレスティの杖が鳴らされる。
「貴方は何を知っているのでしょう?」
 強いものが過る瞳を覗き込むようにして、青年は三たび目の笑い声を上げる。
「ヒントがあんまり多いんじゃあ、面白くないじゃない?」
 言って、青年は弾むような足取りで退がる。一、二、三、とテンポを取り……四はなかった。
 唐突にその気配は消失したのだ。
「……否が応にも係らずにおれぬようですね」
 笑みを深めて、セレスティは青年が現れ、そして消失した銀杏の大木を見上げた。
 葉が風に揺られ、散る。
 セレスティの口許にはいつもの、優美な微笑みが浮かんでいた。


 セレスティが、移動を考え足を踏み出そうとしたその瞬間。
 1メートル程前方に赤い影が現われた。
 まるで陽炎がゆらめくように現れ出たのは牡丹の花の鮮やかな、赤い着物を纏った少女。
 突然現われた人影にセレスティが動じる事はない。現われた少女が誰であるのかにもすぐに気付き、偶然の再会に喜びすら感じる。
 少女はセレスティに気付き、驚きか、無表情にわずかな色を浮かべてセレスティを凝視した。
「――あ……」
 思わぬ自体であったのだろう。その場で動けなくなった灯火に、セレスティは柔らかに微笑んだ。
「四宮灯火さん……でしたね?」
 呼ばれて灯火は言葉を失ったようだ。セレスティを憶えていないのかも知れない。
 少女の反応を待っていると、灯火はおずと声を上げた。
「セレスティ・カーニンガム様……」
「セレスティ、で良いですよ、灯火さん」
 湖水の如き瞳を細めて笑むセレスティに、灯火は頭を下げる。
 無言の再会の挨拶に、セレスティも倣う。
「何かこちらに急用でも?」
 現われた灯火の表情に焦燥のようなものが見えたセレスティは、ゆっくりと杖を付きながら少女人形へと歩を進めて問うた。
「はい……この公園で起きた事について……調べようと思っていたのです」
 灯火は朝に見たニュースの話から、事件について調べようと思った経緯を言葉少なに説明する。人との対話はあまり得手でない自覚はあったが、それでもセレスティは灯火の話が終わるまで口を挟む事なく穏やかな表情のまま聞いている。
「どうやらこの度も、御一緒出来そうですね」
 話が終わって唇を閉じ自分を見上げた灯火に微笑んで、セレスティは言う。
「私も貴女が憂いておられる事件について調べようと思っていた所なのです。どうでしょう、灯火さん。私を供としてお連れ頂くと言うのは?」
「はい……あの、でも……」
 人形である灯火の供、と言うのではあまりにセレスティに失礼だと思うのだが、一緒に調査をするについては否があろう筈はない。どう言えば、と迷うに灯火にセレスティはくすり、と笑う。
「言い方が悪かったようですね。調査に御一緒させて下さい」
 言葉を変えての申し入れに、今度は灯火も素直に首肯した。


 灯火は自分達以外に人気の無い公園にその身を浮かばせた。着物姿の小さな身体は音もなく空を滑る。
何かに導かれ、引かれるように行くのは何も当てずっぽうに進んでいるのではなく、灯火の能力を活用した上で公園内に存在する人の手によって作られた無機物達の記憶を見、情報を得た上での道行きである。
 セレスティは少女人形よりも幾分遅れて、後方を行く。
 落ち葉の降り落ちる中を行く二人を迎えたのは、テープが張られた一角。囲われた中には、地面に白い線が描かれている。
「どうやらここが現場のようですね」
 遺体が見付かったのは昨夜未明。男女合わせて三名が無惨な姿で見付かった。その、場。
 セレスティは目を閉じて黙祷を捧ぐ。
 捜査員は現在はおらぬようで、忘れ去られたかのように残るテープと白い描線が秋風に晒され、物悲しさを誘う。
 灯火は不意に顔を上げる。そこには夜に公園を照らす街灯が、二人を見下ろすように立っている。やはり音なくそれの間近に行くと、灯火は小さな手を延べて触れさせた。
 街灯は、灯火に声なき声で語る。昨夜動かぬその身に刻んだ過去を。
 灯火は見る。
 抵抗もままならず、爪と牙に掛けられる者達。
 逃げまどうものの、暗闇から現われるそれは動きが早く、すぐに追い付かれ、彼等は少しずつ動きを削がれて行く。
 爪が足に掛かり、ふくらはぎの肉を削ぐ。痛みに転ぶ身体にのしかかり、牙が肩に噛み付き食い込む。
 引き千切り、咀嚼する。
 咀嚼して、牙は嗤う。旨い、と、温かい、と。
 全てを食い終わらぬ内に、恐怖で動けなくなっている二人を見る。
 飛びかかって、同じように絶命させ、また喰らう。
 喰らう度に牙は嗤うが、それは決して満足のそれではない。
 喰っても、喰っても、喰っても。
 満たされないと、哭く。旨いのに、温かいのに、少しも旨くないと、温かくない、と。
 嗤いながら――哭く。
 灯火は感じない筈の寒気を感じて、ふらりと街灯へ凭れかかる。
「灯火さん……?」
 傍らに黙して、少女人形を見守っていたセレスティが彼女の身体を支えるように肩に手を添えた。
「済みません……少し……」
 どう言い表わして良いのか判ずる事が出来ず、口籠る灯火を宥めるようにセレスティが頷く。
「気を反らしてしまいましたね。どうぞ私の事は気にせず続けて下さい」
「ありがとう……ございます」
 セレスティの気遣いに灯火は礼を言う。微笑みが心強く思えて、灯火は再び金属の感触に心を寄せる。まだ、続きが残っているようだ。
 物に宿る記憶は、明確な言葉としてより朧な言葉の断片、イメージとして伝わって来る事が多い。
 この街灯に残る記憶は時が新しい為か、刻まれたものが鮮明だ。
 それとも。
 人を屠るこの凶牙に、宿る鬼気があまりに強い為か。
 これまで鮮明な、映像と音を伴った記録はそうはない。
 鬼気が灯火の身へ吹き付ける程に、人の身体を食い荒らすそれから溢れ出している。
 鬼獣、と称すれば良いのか。
 ざんばらに伸びた髪、黄色がかった瞳は炯と光り、手足の爪と牙は鋭く伸び血に塗れ街灯の光に照らされててらてらと滑る。
 鬼獣は一心に肉を喰らい血に酔って、満たされぬ思いを咆哮へと変える。
 ややして、鬼獣は唐突に、目が覚めたように顔を上げると光の届かぬ闇へと姿を消して行った。
 後には食い荒らされて無惨な姿へと変わった死体が、残されていた。
 灯火は顔を上げて、セレスティを見る。
「……セレスティ様……」
 今、見たものをなるべく細かに伝える。
 セレスティは灯火が話を終えた後も思案するように黙している。
 灯火は、今は背後にある、死体のあった場所を見た。ここで行われたのは単なる虐殺ではない。
 獣は哭いていた。
 満たされない餓えに、更に餓えていた。
 灯火にはそれが、ただの食欲から来る餓えには見えなかった。
 何に餓えているのか。何を求めて哭くのか、それが判れば止められるのだろうか、あの凶牙を。
「灯火さん」
 声を掛けられて灯火は我に返る。
「実はここからさほど離れていない場所に、今回と同じ犯人によるものと見られる事件のあった公園があるのですが……、御同行願えませんか?」
 灯火に否はない。セレスティに連れられて共に車で次の現場へと移動する。
「こちらでも先程と同じように調べて頂く事は可能でしょうか」
 問われて灯火は頷く。こちらは先程より狭い公園である為、その場所はすぐに見付かった。
 今度はベンチが灯火に語る。
 似たような光景が現われる。やはり映像は鮮明で、灯火は苦もなく情報を入れる事が出来る。
 先程と同じように凶牙は闇から生み出されるように現われ、人々を手にかける。
 だが、今度は先程と違っていた。
 途中で、一人の少年が現われたのだ。
 少年は、獣を見て、恐怖の為か顔を引きつらせ、硬直した。それから半歩下がり、背を向けて走り出すのかと思われたが、反して足は止められた。
 少年の顔に更なる驚愕が立ち上る。
「……お前、あつ、し……? 熊野、篤司……じゃないか?!」
 少年は獣を呼ぶ。
 獣はそれに顔を上げ、少年を見た。見て、また食事に戻りかけ、止まる。
 もう一度、少年へと顔を上げて、にた、と笑った。
 その笑みは先までのものとは質が違うように見える。
「あ、りき……?」
「そうだ……美濃部有生、だよ篤司……お前、なに、してんだよっ……」
 知人だと判っても恐怖は消えぬのだろう、美濃部は胸元で拳を握って、肩を震わせながら声を上げる。
「たべて、る」
 熊野篤司と呼ばれた獣は嬉しそうに言うと、首を傾げた。
「おいしいよ。でも、お腹がいっぱいにならない」
「なんで……そんなもの食べてんだよ……何してんだよ、篤司……ッ」
 悲鳴のような声にも、熊野はゆるりと首を傾げるだけだ。
「温かい……」
 言って、手を既に死体となった身体に落とす。溢れる血が、ぴちゃ、と湿った音を上げた。
「なんで……なんで……ッ、止めろよ、違うだろう! お前はそんな事……」
 美濃部は声を詰まらせる。
 対して熊野は、美濃部の態度を理解出来ない様子で僅かな困惑を瞳に浮かべ、じっとしていたが、遠くから遠ぼえのような声が聞こえた瞬間、顔を後方へ向けた。
「呼んで、る」
 呟いて、驚く程俊敏に、闇へと駆けて行く。その足は、美濃部が呼び止める声にも止まらなかった。


「美濃部有生くんと熊野篤司くん、ですか」
 セレスティは灯火の報告を聞くと、車へと灯火を促した。
「灯火さんが調査をされている最中に、私も少し調べてみたのですが……」
 セレスティは財閥の総帥であるだけでなく、元の生まれを人魚とする人でなきもの、である。
 仕事柄、そして永く生きる者として持つ人脈は多く多岐に渡る。
 その伝手を辿って、情報を集めてみたのだ。
「先ず事件は全て公園で起きているようです」
 何時の間に用意したのか、セレスティは車中で地図を広げる。
 そこには幾つか印があり、線でつないだそれは円を描いている。
「現在地がこの公園ですね……、犯行域がこの円上だとすると、灯火さんが見た……熊野くんはこの円内に拠点を持つと考えられます」
 灯火の話を聞く限りでは、熊野自身に何らかの目論見があるとは考え難い。
 彼は何かに捕われ、理性を奪われて、執着のままに行動しているに過ぎないのだろう。
 手を引くものは他にある。
 と、なれば熊野が遠方から訪れ、犯行を繰り返していると言う事もまた考え難い。
「この地域に彼が住居を持っているか調べてみましょう」
 言うと、セレスティは運転手に声をかける。運転手は車内に据え付けられた電話をセレスティへと差し出した。
 既に何処かに繋がっているのか、セレスティは受け取ってすぐに話し始め通話を終えると灯火を見る。
「さて、調べがつくまで得られた情報の整理をしましょうか。事件は先程も申し上げた通り、この地図に描いた線上で起きています」
 灯火の瞳は地図上で動くセレスティの指を追う。
「この円は……本当に綺麗な円を描いています。不自然な程」
 言われてみれば、と灯火は気付く。
 公園の位置は円を描いているだけでなく、間の距離も等間隔だ。まるで計算されて置かれたように。
「調べてみた所、この公園は全て同じ時期に作られています。……恐らく故意にこの位置に据えられたものです」
「故意……?」
「ええ。目的は判りませんが、公園は全て置くべき場所に置いたものと推測出来ます。その公園で事件が起きる……この事件が起きる順番もまた計算されたものであるようです」
 時計周りに順番に起きている、とセレスティはくるりと円をなぞった。
「彼は『誰か』の予定通りに動かされていると考えた方が良さそうですね」
 セレスティの言葉に、灯火は視線を手許に落とした。
 予定を消化する為に、彼はあのような獣へと変貌させられたのだろうか。
 満たされない餓えに喘ぎ、人を襲うだけの鬼獣へと。
 そう思うと、胸が締め付けられるような思いがする。
「ああ、連絡が入ったようですね」
 セレスティは運転手から再び受話器を受け取ると、何ごとかを話す。
「……そうですか……」
 灯火はセレスティの声が沈んだように聞こえて顔を上げた。表情にさほど変わりはないが、少し伏せられた瞳は陰って見えた。
「熊野篤司くんは既に……亡くなられていました」
「……」
 予想はしていましたが、と言いおいて、セレスティは続ける。
「推測通り、彼の家はこの円の中……しかも中心にありました。彼は事件が起こる前に餓死で亡くなっている所を帰宅された御両親に見付けられたようですね」
 停車していた車が動き出す。セレスティが指示した為だ。
「今から熊野家に勤めていた家政婦に話を聞きに行きましょう」
 熊野篤司の両親は、普段事業が忙しく共に海外に出ている事が多かったと言う。
 他に兄妹もない熊野はだから、通いの家政婦と過ごす時間の方が多かったらしい。
「亡くなる直前の彼についてはきっと、御両親よりその女性の方が詳しいでしょうから」
 車はそこへ向かっていると説明するセレスティに、灯火はただ頷いた。


 到着したのは、熊野家に通っていた家政婦が登録していた家政婦紹介所だ。
「申し訳ないのですが……」
 熊野家の知人であり、評判が良い家政婦だと聞いた、と面会を求めた家政婦はいないと言う。
「辞められたのでしょうか」
「いえ、実は……」
 人の善さそうな女性は、声を潜める。
「……行方不明なんです」
 その言葉にセレスティと灯火は目を瞠る。
「あの、熊野さんのお子さんが亡くなられた事は……」
「存じ上げております」
「そうですか……。息子さんが亡くなられる前に、急に連絡が取れなくなったんですよ。おかしいと思って、熊野さんのお宅に電話をしたら息子さんが出られて……しばらく来てないと言うんですね」
 家政婦の女性には成人した息子が一人居た為、連絡を入れたがやはり帰っていないと言う。
 朝、家を出たまま戻らず探していると。
「結局捜索を願いを出されて……でも未だ見付からないようなんです」
「それはさぞ御心配でしょう」
「ええ……最近は物騒な事件も起きていますし……こう言ってはあれですけど、生きていらっしゃると良いのですけどねえ……。熊野さんのお宅も息子さんが亡くなられて、それを知ったのが家政婦が行方不明になったと聞いて帰宅した所で、と言うところがもう」
 こういうのは何と言ったらいいのかしら、と溜息を付く女性にセレスティも灯火も黙する以外なかった。


 紹介所を出て車内に戻った所で、それは告げられた。
「やはりそうですか……。灯火さん、これから一度草間興信所に向かいましょう」
 何も言わず見上げて来る少女にセレスティは笑む。
「どうやら私達が調べている事件についての依頼が、彼の興信所に入ったようですよ」
 最初に訪れた公園で、セレスティに告げられたのは嘘ではなかった。
「あちらでも既に、調査を始められている事でしょう」
 車外を見詰めるセレスティの横顔見上げて、灯火は頷いた。


「その先は私に説明させて頂けませんか」
 それまでなかった声に、三人が同時に興信所のドアを見る。
 そこには銀髪の青年と、着物姿の少女があった。
「……セレスティさん」
 シュラインの声に、セレスティ・カーニンガムは優雅な仕種で軽く頭を下げると、少女……四宮灯火を伴ってソファへと足を進める。
「座ってもよろしいでしょうか」
 問われて草間は席を空けた。
「有難うございます……やはりこちらでもお調べになっているようですね」
「こちらでもって……あんたも調べてるのか?」
「ええ初めまして……私はセレスティ・カーニンガムと申します。こちらは四宮灯火さん」
「俺は朏棗」
 互いの名乗りを終えたのを見て、シュラインが僅かに身を乗り出す。
「セレスティさん、説明をお願いします」
 何かを感じ取っている様子のシュラインに、セレスティは流石ですね、と小さく微笑んだ。
「その前に少し確認をさせて頂いても良いでしょうか」
「ええ」
 シュラインは首肯する。
「熊野篤司君に関する依頼を請けられたのですね? それはどんな御依頼ですか」
「熊野くんの友人からの依頼で、彼が事件に係っているようだから止めて欲しい……助けて欲しい、と」
「そうですか……」
 呟くように声を落とすセレスティに過る暗い表情に、棗が苛ついたような声を上げた。
「なんだよ……何があったんだ?」
「熊野少年は既に亡くなっています」
「……なに?」
 驚愕に見開かれた瞳はシュラインも棗も同じく。声も同時に二人はセレスティを痛い程の視線で射る。
「熊野少年が係っているとされる事件……獣に襲われたような痕を残して亡くなっていると言う事件ですね? これが一番最初に起きたのは先月の終わりです。熊野少年はその事件の前に亡くなられています」
 セレスティは灯火と調べた内容を告げる。
 熊野篤司は自宅で亡くなっていたのを両親に発見された。その両親は通夜の最中に、篤司の身体と共に姿を消している――。
「そん、な……」
 棗は呆然と呟く。その脳裏には、先程の美濃部の顔と声が浮かぶ。
 また、一緒に遊ぼうと。
 助けたいと願う瞳と共に。
「……美濃部くんの死因は?」
 努めて冷静に問うシュラインの顔も、流石に色を失っている。
「餓死だそうです」
「……餓死」
 携帯に残されたメール。そして美濃部が聞いた言葉。
「熊野様は彷徨っておられます……、餓えに囚われて」
 静かな声は、セレスティの横で人形のように座した――正しく人形であるのだが――灯火から。
「求めても、得られても、満たされない餓えです……」
 抑揚が無いようにも思える声に、だが悲しみが見える。
 シュラインも棗もそれ以上の言葉が無かった。
「熊野少年の御両親は事業の為に海外に出られる事が多かったようです。一人残された彼は通いの家政婦に食事等の面倒を見てもらっていたようですが……その女性は彼が亡くなる前に行方を失くしています。足取りを調べてみたのですが、少年の家に行った後の消息が掴めませんでした。警察に捜索願いが出されていますが見付かっていないようです」
「……熊野篤司の自宅は今?」
 声を失ったシュラインと棗に代わるように草間から声が上がる。
「親戚の方が管理されているようですが、今の所処分は保留されているようですね。私も直接伺ったわけではないのですが」
 部下に調べさせた事柄だと最後に付け加える。
「どうする、シュライン、朏」
 草間へと同時に顔を上げ、先に言葉を顕わしたのは棗だ。
「……どうするって、決まってる。生きていようが死んでいようが……止める」
「そうね。彷徨って、苦しんでいるなら……助けるのよ」
 確かな決意の声に、草間は溜息を落とす。
「あんまり無茶はするなよ……」
「そんなの今更だわ、武彦さん。無茶でも何でも、依頼を請けたらきっちりと」
「そ、お仕事しなきゃ、だろ?」
 痛みを隠して笑ってみせる二人に、草間は何も言わず、煙草を銜えた。


 次の行動指針を出す為に、セレスティと灯火、シュラインと棗、それぞれが得た情報を互いに開示する。
 被害者に共通点が無く、熊野篤司とも関連が無い事。共通を見い出すならば、犯行現場であり、それは熊野篤司の自宅を中心に円を描くように存在する事。再犯があると仮定した場合の次の犯行現場の可能性が大きい地域。そして犯行時刻が深夜に集中している事――。
「家系的――血統によるものかも知れないと思ったんですが、どうやらそれは無いようです」
 セレスティの報告に顔を地図から顔を上げたのはシュライン。
「じゃあ獣人の線も無いのね……亡くなった後の行動だから病原菌の可能性もあまりなさそうだし」
「……ウイルスによる蘇り人、だとどっかの映画みたいだけどなー」
 シュラインの台詞を受けた形の棗の呟きを捉えて、灯火が首を振る。
「熊野様が纏われていたのは鬼気です……、やまいではないと思います……」
「となると呪術ってのもありだよな」
「鬼、……」
 セレスティの声は、呟きにも満たない。だがそれを拾ったシュラインがセレスティを怪訝に見る。
「セレスティさん?」
「一番新しい事件が起きた公園で鬼に会いました」
「なんだって……」
 強い反応を示したのは棗だ。棗も鬼である――同族が係っているとなれば、見逃せない。
「この事件を止めて欲しいと、そのような事を言っていましたね」
「……もしかしたら」
 考え込むようなセレスティに続くように灯火も思案に瞳を伏せる。
「わたくしも……御会いしたかも知れません」
「灯火ちゃんも?」
「はい……あの『気』は今思えば……鬼気です」
 シュラインの手にしたペンが、地図を叩く。
「偶然では、ないでしょうね……別人でも」
「ないだろうな」
 棗が続けて、一息つくと勢いよく立ち上がった。
「後は動いた方が早そうだよな。 事が終わってないなら、次があるだろ? 犯行が予測される場所を特定しないと」
「……そうね」
 シュラインも地図をたたんで立ち上がる。
「セレスティさんはどうするの?」
「私は、熊野少年の自宅に行ってみます。中心になっていると言うのが気になりますから……灯火さん、手伝って頂けますか」
「はい」
 静かな、だが意志のこもった答えにセレスティもまたソファから離れる。追うように灯火も席を立つ。
「連絡は携帯で良いかしら」
「そうですね」
「んじゃ、行くか」
 棗の声を合図に、4人はそれぞれの目的地へと向かう為に扉へと向かう。


 真っ先に外へ出て、そのまま勢いを付けて走り出しそうな棗をシュラインが止める。
「今車を出して来るから、ここで待っててくれる?」
「俺、飛行出来るけど? あ、勿論隠行で」
「じゃあ手分けした方が早いかしら」
 顎に手を添えて思案するシュラインに、セレスティが微笑みかける。
「地図からすればそう広い範囲ではありませんから、一緒に行かれても良いのでは」
 余計な力を使う必要もないでしょう? とやはりにこやかなそれは、今度は棗に対して妙な引力を持っていた。
「……ああ、うん。そうだな。じゃあ、待ってる」
「? ええ、行って来るわね……すぐに戻るから」
 走り去るシュラインの背を見送って、セレスティは棗を見る。
「彼女に貴方のような、鬼と対峙する程の攻撃的な能力はありません」
「――そうか」
 そりゃ迂闊だった、と舌を出す棗にセレスティは頷く。
「お願いします」
 何を、と言われない頼みにも棗は明るく請負う。
「同族が係ってるようだからな、餅は餅屋だ」
「危険が無ければ良いのですが」
「……ああ」
 棗はシュラインに危険が及ばぬように、と願うと同時、出来れば、熊野と一戦を交えるような事はしたくないと思う。例え相手が死者でも――
「それでも、いざとなったら……俺が」
 先を言わずに身体の両脇で拳を握る姿をそっと見て、セレスティは繰り返す。
「……お願い致します」
 セレスティの傍らで灯火も、言葉無く頭を下げる。
 願いを同じくするそれを、棗は笑んで受け止めた。
「では私達は一足先に失礼しましょう」
「そっちも気を付けてな」
 棗の言葉に二人は無言の頷きを残した。


 シュライン達と分かれたセレスティと灯火もまた、車のシートに身を預けていた。
 こちらはセレスティの所有である。
 いつものように運転手に行き先を告げ、セレスティは静かに座している少女人形を見る。
「……美濃部様は……おつらい事でしょう……」
 友人である熊野の死を知れば。
 何をと言われぬそれを察し、セレスティは面を外へ向けた。
「ええ……それでも、熊野篤司くんが苦しいままでいるよりは良いでしょうから。やはり私達は彼を止めなければ」
「……はい」
「ですが……、彼は既に止まれぬ所まで堕ちてしまっています。――違いますか?」
 静かな声に、灯火は顔を上げる。
 首を横に振れたら、と思うも、灯火は頷く。
「浄めはもう……届かないと……思います」
 言うと同時思うのはシュラインの言葉。
 熊野を助けると言った。
「消滅を……助けと……救いと呼べるでしょうか……」
 魂の浄化は有り得ない。
 そうなれば残されたのは消滅のみ。地にも天にも種残す事なく、闇に消える、それだけだ。
「それは難しい問いですね」
 セレスティは窓から視線を離す。
 灯火を真直ぐに見て、悲し気な微笑みを浮かべた。
「けれど、永遠の枯渇を味わうよりは良いのだと……私は信じていますよ」
 セレスティを見る灯火の表情は変わらない。だが、受ける印象は決して、血の通わぬ冷たいそれではない。
「わたくしも……信じます」
 灯火は青い瞳に意志を秘めて、小さな頭を決然と前方へ向けた。


 辿り着いた熊野の家は異様な空気を纏わせていた。
「人の居る気配はありませんね」
 幸い、と言えようか。もしこのような家に住んでいたなら、まともな思考が保てるか怪しいところである。
「熊野様と……同じ……鬼気を、感じます……」
 灯火は閉ざされた門に手を充てる。
「そちら留守ですよ?」
 掛けられた声にセレスティは振り返る。そこには中年の女性が立っていた。手には買い物袋を抱えている。隣人だろうか。
「熊野さんのお知り合い?」
 訝しむような不躾な視線にも、セレスティは優美な笑みを変える事はない。
 向けられた微笑みに、女性はわずか頬を染める。
「以前仕事の上ででお世話になった者です。近くに寄らせて頂いたものですから、御挨拶に伺ったのですが……御不在なのですね。残念です」
 勿論嘘である……が、女性はまるで疑っていないようで、朗らかに言う。
「ああ、熊野さん御夫妻は海外で事業してるって聞いたわ。向こうのお知り合いね」
 でも、と女性は声のトーンを落とす。
「御存知なかったのね。お二方とも行方が知れないのよ」
「行方が……?」
 思わず顔を見合わせたセレスティと灯火に、そうなのよぉ、と女性は手を振る。
「あたしは良く知らないんだけど、実は息子さんが亡くなられて……、そのお通夜の日にね途中で、いなくなっちゃったらしいわよ。いきなり」
「お通夜は……御自宅で?」
「そう。だから、余計変だって言うのよ。それまで一緒に居た筈なのに、いきなり消えちゃったらねえ、しかも息子さんの遺体も一緒に」
 熊野篤司は今、人の肉を求めて彷徨っている。では、鬼獣として蘇ったのは通夜の日だ。
 家は現在親戚が管理していると聞いたが、それは二人が事業の為に海外に戻ったからではなく、行方知れずになったからか、と得心する。
 黙って聞くセレスティをどう解釈してか、女性はまくしたてるように続ける。
「で、このお宅は御夫妻の親戚が保管しているようなんだけど、その割に誰も来ないのよねえ。様子を見に来るくらいしてもいいと思うんだけど。しかもねえ、普通そんな不審な行方のくらまし方をすれば警察があれこれ調べに来るじゃない?」
 詳しくないと言う割には色々と知っている様子である……が、それを噫にも出さずセレスティは頷くに止める。
「そうですね」
「来たには来たんだけど……一度来て少ししたらすぐに帰っちゃったらしいのよ」
「すぐに、と言うと?」
「そうねえ、時間にして一時間もなかったのじゃないかしら」
 それは、と声を上げるセレスティに、女性は満足したのか更に話を続ける。それは何時の間にか熊野家とは関係の無い、世間を騒がせる事件にまで及び、解放された頃には流石のセレスティも苦笑を禁じ得なかった。
「これで詳しく御存知だった場合はどうなるのでしょうね」
「……調査が遅れてしまいます……」
 生真面目に答える灯火にセレスティは笑って、そして家を見上げた。
「では調査に戻りましょう。家に入ってみたいのですが、鍵を開けられますか?」
「出来ると……思います」
 灯火は門扉に触れる……、そして頼む。
 開けて欲しい、と。
 灯火の心に応えて、扉は開く。二人を迎え入れるが如く。
「もう少し……鬼気が強かったら……開かなかったかも知れません」
「ええ、でもここに漂う気は残滓のようですね」
 残されたものでもこれだけの鬼気ならば、実際にはどれだけの気が廻っていたのだろうか。この家で何が起こったのか。確かめねばなるまい。
「さあ、行きましょう」
 促して先を行くセレスティに灯火は従った。


 手入れがまるでなされていない事には、入ってすぐに気付いた。
 あちこちに埃が積もり、空気の入れ替えもしていないのだろう、むっとした空気がこもっている。
「確かに誰も訪れていないでしょうね……これでは」
 外で見るよりも鬼気は強い。
「熊野少年の部屋は何処でしょうか」
 呟くセレスティの服を、灯火が引く。
「どうしました」
「あちらに……強い何かを……感じます」
 指差す先は家の様子から見て、家内のほぼ中央にあたる場所のようだ。そこには大きな穴が空いていた。
「こんな穴にすぐに気付かないとは」
 苦笑してセレスティは穴へと近付く為、足を踏み出す……が、灯火の言うように鬼気が強い。
「これは中々に曲者ですね」
 言ってセレスティはスーツの中から小さな瓶を取り出す。中を満たす水を自分と、灯火に一雫ずつ垂らした。
「少しは違うと思うのですが……如何ですか?」
「はい……ありがとうございます」
 水の護りを身に帯びて、二人は穴へと近付く。それは床を貫いて、更に地面をも抉っている。
「何かを掘り出したような跡ですね……一体何を……」
「見て……みます」
 灯火は言い、手を穴の縁に触れさせた。
「……、あの鬼が……」
「鬼?」
 腰を落とすセレスティの腕に、灯火は触れる。
 すると、セレスティにも映像が見えた。
 朝、公園であった黒髪の青年……人でない、鬼。
 鬼は空いた穴から何かを取り出す。それは土に塗れて判らない。
「彼が何故……」
 青年はセレスティに事件を止めろと言わなかったか。その彼が何故この家に。
「……直接聞かねば判らないでしょうね。取り敢えず熊野少年の部屋をさがしましょうか」
 立ち上がり、灯火の手を引く。少女は黙って引かれたままついて来る。
 二階に上がり、廊下の突き当たりに少年のものらしい部屋を見付けた。
 壁にかけられた学生服や、机の脇に置かれた学生鞄。他にも少年の私物が、生前のままに残されているようだった。
 セレスティは机に歩み寄り、それに気付く。
 机の上には、ナイフか何かで削ったのだろうか。文字が書かれていた。
 セレスティは指で文字を辿る――。

 お腹が空いた。お腹が空いた。
 何を食べても、お腹がいっぱいにならない。おいしくない。味を感じない。

 あれならお腹がいっぱいになりそうだ。
 あれは温かそうだ。肉をさいて、血をのんで。
 あれはおいしそうだ。

 まともな思考で刻まれたものでない事は、読んですぐに判る。
 だが何故少年はこんなにも歪んでしまったのか。
 セレスティは傍らに立った少女人形を見る。灯火は机の足に手をあてていた。机が、部屋が持つ記憶を探っているのだろう。
「……熊野様はお寂しかったのです……いつもひとりで。誰もいなくて。食事をするときもひとり、誰もいない……。そして……鬼に囚われてしまわれたのです」
「それは……先程の?」
「はい……」
 餓死をする程に、何をも受け付けなくなったのは鬼に囚われたからだと言う。
 餓えて餓えて、だが普通の食事を受け付けなくなった。
 欲するのは同じ、人間の肉――。
「家政婦はどうしたのでしょうか」
 食事の用意をしても食べない、雇い主の少年に何も言いはしなかったのだろうか。
「……恐らく……鬼の影響はその方にも出ていたものと……」
 では、全てはあの鬼が、原因と言う事になる。
 この家に在る者の正常な思考を奪い、少しずつ狂わせ、狂気の檻に閉じ込めた。
「だから誰もがこの家には寄り付けない……」
 親戚も警察も、気付かぬ内に排除された。少年と言う傀儡を手に入れる為に整えられた家は、必要の無いものを受け入れないのだろう。
「……そして」
 セレスティは言葉を呑む。
 ――そして、家政婦は熊野篤司の、最初の犠牲者だったのだという推測を。
「行きましょう……。ここに残された鬼気は、熊野少年にしか解けません」
 熊野が消えなければ、解けない。
 暗に言い、部屋を後にするセレスティを追う為に動きかけ、灯火は振り返る。
 残された机が、寂し気に見えた。


 家を出た所で、セレスティの持っていた携帯電話が鳴る。
「草間さん……何か?」
『シュラインに連絡を入れたかったんだが、繋がらなくてな。今いいか?』
「ええ」
 セレスティは車に乗り込みながら応える。
『今回の事件に係った被害者の遺体なんだが……全部消えている』
「……全部?」
『ああ。収容された翌日には消えているようだな。異常に過ぎて情報の流出を抑えられていた』
 報道規制も敷かれていたようだ、と草間は言う。
「判りました、これから彼女の元に向かいますから、お伝えします」
『頼む』
 通話を切って、吐息を零すセレスティに何があったのかと無言で訴える灯火に、草間との会話を解説する。
「こうして被害者は害する者へと変わって行くのかも知れません。二人が気になりますね」
 次の犯行が予測される場所へ行くのだと言っていた。
 もしセレスティの予測が正しければ、待ち受ける鬼獣は熊野のみでなく。
「急いで下さい」
 セレスティは運転手に、命じた。


 公園の周辺は閉じられていた。物理的なものでない……結界に。
「この鬼気は、熊野家と同じ物ですね」
 躊躇う事なくセレスティと灯火は足を踏み入れる。
 力を持たない人間であれば弾かれよう結界も、二人には及ばないようだ。
 気配を殺して進めば、セレスティの予想通りにシュラインと棗が鬼獣と化した人々に囲まれている。彼等は二人に意識を奪われているようで、後から現われた異邦者には気付かない。
 獣達に気付かれぬよう、刺激せぬように近寄る。何とかシュライン達に接触せねばならない。
 じりじりと距離を詰める間に、シュラインと棗の前に青年が現われる。
 それは、セレスティと灯火が出会い、そして家の記憶で見た鬼だった。


「当たり」
 聞き覚えの無い声に、シュラインと棗は声の方向を見る。
「おっと、美人なおねーさん、俺とデートしない?」
 何時の間に現われたのか、人々を従えるように黒髪の青年が立っている。
「今それ所じゃないの……出直してもらえるかしら」
 シュラインは青年を睨む。その強い視線に、青年は楽し気に喉を慣らした。
「増々イイねえ。まさかこんな所で美女と出会すとは思わなかった」
 戯けて拍手をする青年を、シュラインに負けず睨んだ棗が声を上げた。
「なんで――、なんでこんな事をしたんだ……ッ」
 青年は一見無防備に見えるが、ただの人ではないことを棗は見抜いている。
 人ではなきもの――それは棗も同じ。
 しかも棗は同種の匂いを感じ取っていた。
 棗は鬼、だ。同種とは、つまり――。
「答えろ……、何の為だ!」
 激昂する棗を宥めるようにシュラインの手が肩にかかる。とっさにシュラインを振り返る棗に、頷いてみせる。
「こんな事をして、あなたに何の得があると言うの? 女性をデートに誘うならそれくらい答えてくれるのが礼儀だと思うけれど?」
「お姉さん凄く好みだから出血大サービスしようかな。先ずは名乗っておくよ……俺は敦賀朴洋」
 今にも飛びかかろうと声を上げる熊野の眼前で、敦賀と名乗った青年は手を振る。途端に熊野は大人しく身を伏せた。
「俺はあるものを集めていてね。それを手に入れるのに、術を解きたかった。それだけ」
「それだけって……!」
 こちらも飛び出そうとする棗を、シュラインの手が肩を掴む事で止めた。
「術を解くのに、公園で人を殺す事が必要だったと言う事?」
「そう。俺は直接人に手を下せない……だから、代わりを用意した。本当はこの公園も穢す予定だったんだけど、それまでの穢れで充分だったみたいでね……だから、そこの人に止めてって頼んだんだけど」
 そこの、と指差す先を見ればセレスティと灯火が獣の囲いの外に立っていた。
「……やはりお気付きでしたか」
 気配を殺したつもりでしたが、と微笑するセレスティに、敦賀は笑う。
「美人の気配には鋭くて」
「残念ですが私は男性ですよ」
「でも美人は美人」
 断じて、敦賀は笑う。
 灯火は無意識に隣に立つセレスティの服を掴んでいた。初めて会った時と同じ。歪んだ笑み。
 掴まれたのに気付いたセレスティが灯火の頭に優しく手を置く。
「頼んだんだけどね……あんまり楽しい面子が揃ってるもんだから、つい」
「つい、結界を張って、彼等と私達を対決させようと?」
 険のあるシュラインの声は震えもしない。冷たく鋭いそれに宿るのは怒りだ。
「そう……、楽しめそうじゃないか」
「そんな事で……貴方様は無力な人の死を貶めるような真似をなさったのですか……」
 死してなお飢える魂に力を与え、陥めるような真似を何故するのか。
 灯火の声はいつもと変わらない。だがそれでも咎めの響きは他の三人に感じられた。
「術を解いて……手に入れたかったモノは何だ……!」
 周囲に負けぬ咆哮に似た、声を棗が上げる。
 それにも敦賀は笑んだまま、右手を前に掲げる。
「これが何か、わかるかな?」
 愉快げに笑みを浮かべたままに言う敦賀の手にするのは黒ずんだ骨。泥がこびりついているようだ。
「……骨、ですね……それもまた、人のものではない?」
 セレスティが確かめるように答えると、棗が首を振る。
「人のものだよ……確かに死ぬ時は人じゃなかったかも知れない、けど。元は人間だ――」
 棗は骨を凝視したままに言う。
 棗のように生まれながらに鬼であった者とは違う。
 元は人であったもの、それが鬼と落ち、そして死んだ。その骸。
「そう。元は人だった鬼の骨だ。俺はこれを集めていてさ。これでいくつめだったかなぁ……よく覚えてないんだけど、でもあと少しで揃う筈」
 ちゅ、と音を立てて敦賀が骨に口付けた。骨は新しいものであるのか、形を損ねてはいない。
「これはねえ? うらんでうらんでうらんで死んだ鬼の骨だよ。あんたらならわかるだろ? 今でもくやしい、にくいって言っている。殺したい、殺したい、殺したいって恨んでる」
 頬ずるように青年は骨を顔に寄せ、続ける。
「叫ぶ声が聞こえない、かなぁ?」
 敦賀は、泥のついた骨を舐めた。
 棗が堪らずに叫ぶ。
「止め――ろ……ッ」
 敦賀が骨をいとしげに扱うごと、骨の陰気が深まる。
 青年が言うように、骨は恨み憎しみの気を纏い、それは未だ叫びをあげるかのようだ。
 そしてその声なき恨み声は、敦賀に向けられている。
「……ひとつ、お聞きしても?」
 セレスティがわずかに眉をひそめて問う。静かな声音には嫌悪が滲んでいる。彼にしては珍しいことと言えよう。
「何?」
「貴方はその骨を集めてどうしようと言うのです」
「それは集まってからのお楽しみ……、面白いものが見られるかも知れないな?」
 言いつつ、青年は後方へ下がる。
「……行ってしまいます……」
 灯火がセレスティの服を引く。
「待て……ッ!」
 棗が足を踏み出そうとした時には青年の姿は薄れている。
 消える瞬間、全員の耳に声だけが届く。
「彼等はお土産に置いて行くよ……楽しみな?」
 完全に敦賀が消えると、それまで大人しく声もなかった獣化した人々が四つん這いで立ち上がる。
 棗は会話の間に傍に来たセレスティと灯火を含めた三人を庇うようにして立つ。
「彼等は一体……?」
 シュラインが周囲に気を配りつつ、疑問を呟く。
「彼等は熊野くんに殺害された人々です。あまりに異常な事であるが故に、警察も報道陣も情報を伏せていたようですが。彼に殺害された方々の遺体は、翌日には姿を消していたそうです。そして彼等もまた、熊野くんと共に他の人を襲い……そうして増えて行った」
 セレスティは灯火との調査中に入った情報を告げる。
「……なんて、事を」
 シュラインは思わず口を覆う。
「どうすれば、解放出来る?」
「……鬼気の中心は今、熊野様にあります……」
 灯火が瞳を伏せて、言う。
「彼等の魂はもう、浄化出来る状態ではありません。私達ではどうする事も出来ません」
 セレスティの水による浄化も彼等の救いにはならない。セレスティは瞳を、自分を庇う背に、向けた。
「中心である彼を滅する事が出来れば、彼等を無力化する事が出来るでしょう」
「そんな! ……消滅させるって」
 シュラインが上げる声に、灯火が真直ぐに彼女を見る。
「存在を無に帰すのでなければ……彼等は何度でも、立ち上がります……」
 灯火には痛い程感じられる。彼等の中に残るのは、人であった時の魂ではない。落とされて虚ろに染められた闇。
 闇は闇に帰さねばならない。
「……これだけの数をさばいて、熊野の懐には入れない。シュライン、さっきの出来るか?」
「不可聴音ね……ええ、出来ると思うわ」
「足止めならばお手伝い出来ると思いますよ」
 セレスティが請負うのに、棗は頷く。
「……少しの間でしたら、防護壁を作れます……」
 灯火は念動力を持つ。それの応用で、自分達の周囲に壁を作り出す事なら可能だ。
「じゃあ、頼めるか? 俺が切り込む」
 棗は笑って、灯火の頭に手を置く。少女人形が軽く首を竦めたのは本人の意識しない照れからだ。
 話が纏まったのを知るかのように、周囲が咆哮を上げる。
「行くわ」
 咆哮に掻き消される事なく、シュラインの凛とした声が棗を押し出す。
 棗が走り出すと同時に、シュラインが喉を開く……溢れるのは、人には聞き取れぬ声。
 シュラインの、声に圧されて、そして捕われて獣達は跳ねようとした身体を竦める。咆哮が悲鳴へと変わって行く。
 セレスティは懐から、小さな瓶を取り出す。そこにあるのは聖なる水。
 眷属たる水を地に落としセレスティは命じる。
 奔れ、と。
 青き光が糸のように縦横に走る。それは、シュラインの声に捕えられなかった者達の動きをも縫い止めた。
 水の網を抜け出て、三人に襲い掛かった者は、灯火の防護壁によって阻まれる。
 その間にも、棗は彼等の間を抜け、真直ぐに自分に向かって来る熊野へと距離を詰める。
 棗の姿は、美濃部へと変じたままだ……それを見ているのか、熊野は棗から視線を逸らさない。そして、向かって来る。
 勢いを付け、熊野の身体が飛ぶ。
 棗は立ち止まってその牙を右腕に受けた。食い込む凶牙でなく、熊野を見て言う。
「……お前とゲームをするのが好き、だった……楽しかったよ、篤司」
 それは、美濃部が伝えたかったであろう、言葉。
 代わりに伝えると約束した言葉とは少し違えてしまった……だが。
「……ごめん、な」
 棗は左手に力を集める。小さな雷球と化した拳を右腕を噛み千切ろうとしている熊野の頭に突き出した。
 光が爆発する――。


 棗を中心とした光は一秒と経たず消え、後には遺体が……既に獣としての姿を失い、伏していた。
 それも、見る間に土塊のように色を変え、崩れて行き。
 結界が消えて元の空気を取り戻して、吹いた秋風に流されて散って行った。


 四人は草間興信所に戻り、美濃部に対する報告は翌日にするとして、解散した。
 次の日、興信所に訪れた美濃部に報告をしたのは、所員であるシュラインだ。
「……以上です。……信じられないかも知れないけれど、彼は既に亡くなっていたの」
 事実を告げる事は辛い。だが、友人を思う彼に、嘘を告げる事も出来なかった。
 そして、出来る事なら、受け止めてやって欲しいと、これは全員で出した結論だ。
「……俺が、もっと早く気付いてやって、たら」
 こんな、と続けた言葉は最後迄綴られず、美濃部の地に向けられた顔から足下に雫が落ちる。
「なんでもっと早く連絡を取ってなかったんだろう……俺は、莫迦だ……ッ」
 シャツの胸元を握りしめて、声を絞り出す。
 報告を見守る為に訪れた、他の三人と、シュラインは声もなくそれを見る。
 かけよう言葉がある筈も無い。
 助けたいと願った友人は既に亡く、遺体すら残らなかった。
「……だけど、貴方がこうしてここへ来てくれたから、彼を解放する事が出来たわ」
 そうでなければ、犠牲者はもっと増えていたろう。
 それが、彼にとって何の救いでも無い事は判っている。それでも、とシュラインは思う。
「彼はずっと餓えていたわ……それを終わらせてあげたのが貴方の声だったと言う事は、知っていて欲しいの」
 セレスティが、優しく咽ぶ少年の背を撫でる。
「彼の魂は浄化される事なく、消滅しました……だからこそ、貴方が彼を覚えていてあげて頂けませんか?」
 苦痛であろうと判っていて尚、それを望むのは酷だ。
 だが、友人であり、彼の凶行を止めた美濃部にしか出来ない事だ。
「お願い、いたします……」
 灯火が、少年を見上げる。瞳から涙を溢れさせる彼の思いが灯火には判る気がした。
 会いたかった人に、二度と会えない、それを思うだけで灯火も苦しい。
 だが、灯火なら、会えなくなっても覚えていたいと、思う。例え探す彼の人が見付からなくても。
 会えないままでも忘れたくない。
 それがどれ程辛い事でも――。
「……あのな」
 一人黙っていた棗が、美濃部の前に立つ。
「篤司に伝えといた……ゲームの事」
 再会を望む声は、過去を思う声へと変えてしまったけれど。
「……あいつ、消える直前、な」
 そこで、美濃部は顔を上げた。涙に濡れた顔は、歪んで見えた。
 棗は自分も泣きたくなって、だが笑った。
「笑ってたから」
 その言葉に、少年は新たな涙を溢れさせた。


 依頼人である美濃部に報告を終え、セレスティが自邸に戻ったその夜。
 草間興信所から電話が入った。所長である草間直々の、である。
『済まんな、こんな時間に』
「しおらしい草間さんも可愛らしいですが、珍しいですね、何かあったのですか?」
『可愛いってお前な……、いやまぁそれはいいとして』
 草間の咳払いにセレスティは笑う。
『遊ぶな……、報酬の事なんだが』
「私は結構ですよ。イレギュラーな形での参加でしたし」
 草間の先を取って、セレスティは言う。元より未成年から巻き上げようとは考えていない。草間に協力して、結局報酬を得られない事など数えたらキリがない。只単に慣れと言うのもある。
『いや、そうじゃなくてな……これが』
 美濃部少年は資産家の一人息子であり、彼の両親が報酬を言い値を払うと言って来ている、と草間は説明する。
「良かったですね、草間さん」
 微笑んで祝福を送れば、草間は言い難そうに言葉を途切らせた。
『いや……それが。更に続きがあってだな……、その、シュラインがな』
「はい」
 草間は言いかけて沈黙するが、セレスティは急かす事はせず、続きを待った。
『……結局、熊野篤司を連れ帰る事が出来なかったから、依頼を完全な形で遂行出来たとは言い難いと言ってな』
「必要経費程度しか頂けそうにないと?」
『ああ、まあ……そんなようなもので』
「頂くつもりのなかったものですから、私は構いませんよ」
 シュラインの気持ちは、自分とそう違わない。
 熊野の凶行を止める事は出来たが、二人の少年を再会させてやれなかった悔いは残っている。
 依頼を請けた時には既に熊野は亡くなっていたのだから、どうする事も出来なかったのだと判ってはいるが、理屈ではないのだろう。
 セレスティも……そして、係った者が皆。
「受け取らなければ、気にする方もおられましょうから……後日伺いましょう」
 優秀な女性所員に差し入れでも、と考え乍らセレスティは言う。
『……本当に、いつも済まんな』
「どうしたんですか、草間さん。今日は大盤振る舞いですね」
 くすくすと笑い乍ら言えば、草間の声に苦味が混じる。
『なんのだ、なんの』
「ですから、可愛いですね、と」
 絶句する草間の表情を想像して、笑い続けるセレスティの耳に、草間の長い溜息が届いた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

PC
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0545 / 朏・棗*ミカヅキ・ナツメ / 男性 / 797歳 / 鬼】
【3041 / 四宮・灯火*シノミヤ・トウカ / 女性 / 1歳 / 人形】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

NPC
NPC
【美濃部・有生*ミノベ・アリキ / 男性 / 16 / 高校生】
【熊野・篤司*ユヤ・アツシ / 男性 / 16 / 高校生】
【敦賀・朴洋*ツルガ・ナオミ / 男性 / ? / ?】


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■         ライター通信          ■
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大変お待たせしました匁内アキラです。
ただただお詫びを申し上げる以外に言葉がありません。
遅くなりまして申し訳ございませんでした。

せめて、このノベルを楽しんで頂ける事を祈りつつ、失礼させて頂きます……。