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<東京怪談・PCゲームノベル>


Tokyo Nightmare / the another episode


  小羊がその七つの封印のひとつを解いた時、
  私が見ていると、四つの生き物のひとつが
  雷のような声で「来れ」と呼ぶのを聞いた。
  そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。
  そしてそれに乗っている者は、
  弓を手に持っており、また、冠を与えられて、
  勝利の上にもなお勝利を得ようとして出掛けた。


 かすれたインクの活字が並ぶ古い紙の上に、ゆれる蝋燭の灯が文字をなぞる指の影を落した。
「……」
 ふと、汐耶はそこで、顔を上げて、振り返る。そっと近付いてくる気配に、気がついたからである。
「またここにいらしたんですか」
 呼び掛ける声は優しかったが、呆れたような調子を含んでもいる。あるいはそれは諦めだったろうか――? 汐耶は、男に微笑みかけると、ぱたん、と本を閉じた。
「本に囲まれていると、どうしてだか落ち着くんです」
 利発な少年のような瞳が、眼鏡の奥で輝く。
「インクや、古い紙の匂いが……そうさせるんだと思います。もしかしたら―――」
「汐耶さん」
 相対するのは、黒いカソック姿の、人目で聖職者と知れる男だった。だが、目でも悪いのか、真っ黒な眼鏡で目を覆い隠しているのである。まだ若いようだったが、そのせいで、今ひとつ、表情が読みづらい男だった。
「もしかしたら、私の記憶と関係が」
「汐耶さん。そのことは無理にお考えにならないほうがいい」
 たしなめるように、黒眼鏡の男は言った。
「……そうでしたね。すいません、八島さん。でも……単純に、古い本が好きだっていうのも、本当なんですよ――」
 と、汐耶は、そこでいったん言葉を切り、男が片眉を跳ね上げたのをみとめて、
「立ち入り禁止の書庫に入ったのは謝ります」
 と、肩をすくめてみせた。
「おわかりなら結構。……それより、河南教授がお見えです。うるさいのですよ。今夜は汐耶さんのシチューを食べさせろと」
「大変」
 汐耶は大げさに声をあげた。
「食材はありましたっけ」
「河南教授がみずから持参下さいましたよ」
「それならいいわ。神に感謝を――」
 ふたりは微笑み合った。

 人々は、悪夢の時代を生きていた。
 東京が、かれら――人ならざるものたちの勢力に支配されてから、わずか一年ほどしか経っていない。だが、その一年に起きた出来事は、かつては極東でもっとも栄えたこの国を、崩れかけた廃墟に、生き残った人々がわずかに身を寄せあって生きるだけの過酷な荒野に変え、その人々の心からあらゆる希望を奪うに充分であった。
 それでも――
 いまや暗黒の中枢と化した――すなわち、この災厄の元凶である、不死の王・リッキー2世の居城がある《東京》から遠ざかれば遠ざかるにつれ、そこにはまだ人間らしい暮らしと、わずかな平穏が残っているのである。
 一方で、《東京》にあえて足を踏み入れ、そこに取り残された資源や情報を得ようとするもの(それが、この時代において、通貨以上に価値を持ち得た)、または正義感や義侠心、信仰、ないし自身の信念から、《東京》に救う魔の眷属たちを狩り出すことを生業とするものたちもいた。
 その街は、悪夢の勢力に完全に呑み込まれるには、あの都市から遠く、しかし、この国を覆う災いをすべて忘れるには、まだあの都市に近い場所に位置していた。

「素晴らしい。いつもながらエクセレントですよ、汐耶さん」
 金髪の男は、スプーンを置くと、手を広げ、天を仰ぐようにして言った。
「褒め過ぎですよ」
「汝の隣人を愛せよ、ですよ」
 男は片目を瞑ってみせる。しぐさが逐一、演出じみている人物だった。
「それに……ずっとこの黒ずくめの陰気な男と暮らしていては気詰まりでしょう。たまにはボクのような華のある人間が訪れないと、ここも、腐ってしまいます」
「『汝の隣人を愛せよ』ではなかったですか、教授?」
 寡黙に、食事を口に運んでいた八島神父が、鋭く応酬した。
 それはつつましい食卓だった。
 じゃがいもと、豆類だけを煮込んだシチューに、ぱさぱさしたパン。かろうじて古いワインが、彩りを添えるが、それとて、来客があってはじめて抜かれたものなのだった。そしてこの食卓を準備するための材料も、当の客人――その河南という男がもたらしたものなのである。
「でも、教授が来てくださるのが嬉しいのは本当です」
「汐耶さん、あなたはなんて素直で純真な女性なんでしょう。その上、お料理がお上手だ」
「八島さんだって、教授の来訪をいつも心待ちにしていますよ。ねえ?」
「わ、わたしはべつに――」
「この男はボクが物資を持ち帰ってくるのを当てにしているだけです」
 河南はにべもなく言った。
「……で。今回の首尾はどうだったのです、教授」
「まあまあだね。それなりの成果はあった。……渋谷のほうまで行ってみたんだよ」
「そんなところまで!? 危ない橋を!」
「なに。本当に危ないところは避けているからね。しかし、予想以上に悪夢の領域は拡大してきている。その件は――」
 ワイングラスを傾けながら、河南は視線を流した。
 しばし、食事の手を止めていた汐耶が、あわてて、なんでもないふうを装い、パンをちぎった。
「あとで、チェスでもしながら話そう」
 しばし、沈黙の時間が、食卓を流れた。
「あ。雨――」
 汐耶が言った。窓を水滴が叩く音がする。
「降ってきたのか」
「今夜は泊っていかれるでしょう、教授?」
「もちろんですよ」
 にっこりと笑う河南。他方、八島神父の表情は、さえなかった。

「もう一年になるのかい」
「13ヵ月と2週間ほどです」
「ふん」
 ポーンを進めながら河南は鼻を鳴らした。
「ずっとこのままにしておくつもりかい?」
「そうできるなら」
 八島は、盤上のナイトを滑らせる。
「いっそ、海外にでも出てしまって、《東京》の消息が聞こえないところで暮らしてもらえればいいのだけどね。ヴァチカン本山にお願いできないの。いや、しかし、それはそれで問題があるか」
「そう……それよりも教授」
「あー、八島くん。やめて。なにか不穏なことを言おうとしてる目だ」
「茶化さないで。……近々、聖騎士団による、大規模な《東京》奪還作戦の予定があります」

 夜が更けるにつれ、雨と風は強くなってきていた。ガタガタと窓枠が音を立てている。汐耶と八島の暮らすこの教会は、それでなくとも古い建築だったので、嵐となると心配であった。
 もっとも、そのとき、汐耶がベッドの中で、じっと目を開いたままでいたのは、なにも雨漏りが心配だけだったからではない。
(その日も嵐だったと、八島さんは言っていたっけ)
 およそ一年前だ。
 汐耶が負傷した身で、この教会に逃げ込んできたのは。
 まさにそのとき、《東京》を中心に、悪夢の世界から侵略してきたモンスターたちが、日本中で猛威を振るっていたときである。汐耶も、その被害者のひとりであろうと目された。
 目された、というのは――、彼女はそれ以前の記憶を、失っていたのである。
「そういう人は、汐耶さんだけではないです。日本中に、たくさんいるのです。なにか、大きな災害があったときには、そういう……PTSDといいますが、いろいろな心の不調を訴える人が出るものですよ」
 そう言いながら、八島神父はそれ以来、汐耶を教会に置いてくれている。
(無理に思い出さないほうがいい――、失われた記憶というのは、自身が忘れたいと願ったことなのだから……と、八島さんは言うけれど……)
 灯りを消した部屋の中で、汐耶の瞳からは熱っぽい光が去らない。
(それが八島さんの思いやりなのだとはわかるけれど……)
 ときおり、脳裏をかすめるなにかの断片。
 それを、古いインクと紙の匂い、びっしり並んだ活字と、本の重みの感触といったものたちがもたらしてくれることを、汐耶は気づいていた。
(でももう一年。いつまでも、ここで厄介になるわけにもいかないし)
 そっと、身を起こす。
(やっぱり私は本当のことを知りたい)
 手持ちのランプに火を灯すと、そっと部屋のドアを開けた。
(教授はもう眠ったかしら。……教授に話そう。きっとわかってくれる)
 かすかに、閃く記憶のかけら――それが《東京》の街並だと、汐耶は知っている。自分が知っている、ということを感じるのだ。そして、その《東京》へとフィールドワークに出掛けている、あの青年学者なら、なにかその手がかりを――
「…………?」
 ふと、思考を中断し、汐耶は足を止めた。
 廊下の窓が開いていたのだ。
 そこから雨風が入りこみ、廊下を濡らしている。
「いやだ。たしかに閉めたと思ったのに。……八島さんか教授かな」
 しっかりと窓を閉ざす。
 そして、教授がいるはずの客室へと、汐耶が向きなおった、そのとき――

「!」
 八島と河南ははじかれたようにあげ、腰を浮かせながら、お互いに目を見交わした。もっとも、八島はあいかわらずの黒眼鏡だったが。
「今の悲鳴――」
「汐耶さん!」
 ふたりして、部屋を飛び出す。

「どうしましたッ!」
「い、いけない……そいつは!」
 腐臭を放つ、奇怪な緑色の粘液だった。
 ねばねばとした、不気味な感触に、半身をとらえられながら、それでも汐耶は気丈に意識を保ち、どうすればこの状況を乗り切れるか、頭を回転させている。
「八島さん……」
「グリーンスライム! こんなところに……!?」
「しまった。ボクか!」
 苦々しく声を荒げたのは河南だ。
「ボクの車にでもついて……《東京》から持ってきてしまったんだ。やつら、乾燥すると動けなくなるけど……」
「こ、この雨で!」
「…………」
 汐耶は、きっ、と唇を引き結んだ。
「乾燥に弱いモンスター。と、いうことは」
 突然、襲いかかられて、思わず取り落したランプに、彼女は手を伸ばした。
「火にも弱い!」
「ああっ、汐耶さんッ!」
 たしかに、炎は、その奇怪な生物を傷つけはしたのだろうが……
「危ない!」
「火を――消してください、汐耶さんが!」
「うう、しかし、これしきじゃスライムを完全に殺すには足りないぞ!」
「汐耶さん!」
 混乱する男たち。燃え上がる炎。焦げ臭い匂い。ぐつぐつと泡立つ、緑色の粘液――。
(逃げなきゃ)
 汐耶はもがいた。このままでは怪物と一緒に自分まで焼いてしまう。
 ――そのとき。
(……――ッ!)
 雷鳴――
 稲光りが、あたりを真昼のように照らし出す。
(あ――)
 古い本の……羊皮紙の手触り。
 かすれたインクの活字をなぞり……そして――

「……せ、汐耶さん!」
 八島が駆け寄る。
 空気はまだ焦げた匂いがするが、火は消えていた。
「大丈夫ですか」
「平気……」
「これはいったい……あのモンスターは? 跡形もなく燃え尽きるなんて、そんなこと――」
「封印したんですね」
「え――」
 河南の、こわばった声に、八島ははじかれたように振り返り、そして、あらためて、抱き起こした汐耶の顔を見た。青ざめたおもてのまま、彼女は頷く。
「それじゃ、汐耶さん…………記憶が……」
 再び、汐耶は首を縦に降った。
「私…………だったんですね。かれらの――悪夢の軍勢の封印を解いてしまったの。ほんの出来心みたいな……好奇心で」
「そうではありません!」
 八島は叫ぶように言った。
「正当な、研究者としての、正しいあり方でしたよ。……あの呪文書自体が罠だったのですから。何百年もかけて、“あちら側”の連中が仕組んだ策略なんです。われわれの世界に侵入するための扉を開くために、すこしずつ仕組まれた」
「でも、私が……」
「いいえ。封印はあのひとつだけじゃなかったのはご存じでしょう。同時多発的にバラまかれた封印の鍵の、すべてがそろって、あれは起こった。汐耶さんひとりの責任ではない。人類すべてが、賭けに負けたんです」
 雨はまだやんでいない。
 それどころか、ますます、嵐はその勢いを増していくようであった。

 だが――
「一晩明けたらすっかりいい天気だ」
 ジープの運転席から、空を眺めて、河南が言った。
「……ほら、八島クン、いつまでもそんな仏頂面してないで」
「あいにくこういう顔なんです」
「私、八島さんにはずっと心配かけっぱなしですね」
「まったくです」
「………………あの、結構、本気で怒ってます?」
 八島は、深い息をつくと、すこしだけ表情をやわらげた。
「お願いがあります」
「何でしょう」
「戻ってきたら、またシチューをつくってください」
 汐耶は――、河南のジープの助手席に坐り、笑顔で頷いた。それが彼女の答だった。
「帰ってきますよ。また、ここへ。《東京》を見届けたら、戻ってきます。私のなすべきことを――、そうしたら、八島さん、一緒に考えて下さるでしょう?」
「シチューを食べながらだったら」
「ええ。それも約束します」
 そして、汐耶を乗せた河南の車は、また、一路、《東京》を目指して旅立っていった。
 《東京》――、悪夢に支配された街。八島は、その暗い旅路の果てに、希望があることを、そっと祈って、彼女を見送るのだった。

END

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1449/綾和泉・汐耶 /女性/23歳/都立図書館司書 】

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■         ライター通信          ■
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リッキー2号です。大変、お待たせいたしました。
NPC登場シチュノベ・ゲームノベル(?)、ご依頼、ありがとうございました!
「おおっ!」とご発注内容を確認した瞬間、奇声を発してしまったライターです(笑)。

設定からおまかせいただく格好になってしまったので、
いろいろと考えさせてもらって……やっぱり『本』がらみがいいであろう、ということで
バックグラウンドを例の(笑)「Tokyo Nightmare」ワールドにして組み立てました。

八島神父(笑)というのが、なにげに気に入ってます。妙に似合ってて……。

また機会がございましたら、お会いできれば嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします!