 |
□■□■ 続き続ける階段(中編) ■□■□
「さぁて……どうするかな」
階段を睨みながら、草間は煙草のフィルターを噛み締める。じりじりと立てる音は、既に火がフィルターまで到達している事を示していた。だがそんなことに構っている場合ではない。
目の前に現れたのは、階段。見事に――唐突に、それはそこにある。何の変哲も無い道のど真ん中に、霧で上の確認できない巨大な階段。まるで立ち塞がり、上ることを強制しているかのような姿は、罠のようだった。だがそれにみすみす掛かってやるわけには行かない。――が。
「虎穴に入らずんば虎児を得ず、か……選択の余地もないな」
ぺ、っと吐き出した煙草を革靴で踏み潰し、拾って携帯用灰皿に突っ込む。それでもマナーを守るのだからマメな男だった。ぼりぼりと頭を掻いて、草間は振り向く――息を呑む助手達は、一様に階段の上を睨んでいた。
何も見えない。
だが、ここで逃がすわけには行かない。
どうするか。
答えは――決まっていた。
「……行くぞ」
何処に続くか。
何処に行くのか。
誰が居るのか。
何も判らない、霧中の階段。
――草間は足を踏み出した。
■□■□■
「っていきなり踏み出す人がある？ ちゃんと対策立ててから！」
「そうですよ草間さん、考え無しに踏み出しては元も子もありません」
「むしろこう都合よく現れたのを怪しむべきです……」
突っ込み三連発に草間が大きくコケた。肩を竦めて、シオン・レ・ハイはそっと階段の一段目に触れてみる。暖かくもなく冷たくもなく、なんだかひどく曖昧な感触だった。構成成分が知れないところがある。この世とは一つ違う場所にでもあるのだろうか？ 膝を付いたままに見上げれば、階段の上部は掠れていた。
幻のように消えているのか、霧や靄に隠されてしまっているのか。もしかしたらループでもしているのかも知れない。妙な気配はない――と言うか、生き物やあやかしであるようには思えないし、かと言って触れられるのだから幻でもなさそうだ。
大体、階段の上に居る人々もただ上らされ続けているだけで――別段危害を加えられているわけではない。ただ追い詰められ、閉じ込められ、上り続けている。上らされ続けている。暗示や洗脳があるわけでもなく、助けを求めることも出来る。
それに、この階段はあっさりと興信所の前に現れた。幸い人通りが途切れているために訝られることも新たな犠牲者が出ていることもないが、不自然過ぎる所がある。罠、だとしたら何なのだろう？ 術だとしたら、施術者の。もしかしたら階段そのものの？
階段が意思を持つ――否、有り得ない。それはいくらなんでも無理だろう。あまり思いつくところが無いな、とシオンは後ろを振り向いた。自分と同じ調査員達、そして草間を見るために。
「――え？」
目の前には。
真白な霧が、広がっていた。
足元には。
階段が、あった。
上ってなどいないはずだ、脚は一歩も踏み出していない。後退りしそうになってハッと気付く、ここは最下段だ。下には何も無い。足を踏み外せば、落ちる――少なくともあの記憶の中ではそうだった。数度頭を振って状況を把握しようと試みるが、どうも上手くいかない。収まらない混乱を押し込めるために、彼は少し強く自分の頬を張った。
じんじんとした痛みで、思考の霞みを抑える。
「……取り込まれました……か？」
浮かんだのは苦笑だった。ここは一つ笑うしかない、とでもいうのか――だが、そんな心境なのかもしれない。草間とも仲間とも逸れて一人取り込まれてしまった、独り取り込まれてしまった。それは少し不様で不覚の事態だったが、悔いても状況が変質するわけではない。適度にオプティミズムでいること、それが人生では大切だった。
首の後ろに両手を回し、シオンは掛けていたネックレスを外した。金属のヘッドを掴み、落ちないように気を付けながら少し身体を屈める。目の前に来た段の端に腕を伸ばし、ぐっとペンダントヘッドを擦り付けた。
金属が削れ、白い階段に色が生まれる。腕を引き続ければそこには一本、端から端まで線が引かれた。
これならもう一度ここを通った時に気付くだろう。物理的に考えれば、どこまでも続く階段なんて有り得ない。どこかでループしている可能性の方が高いのだから、その途切れ目があるとすれば――この、最初の一段付近であるはずなのだから。
「えぇと、三、四……線の五段下が最初の段、ですね。ああ、削れちゃいましたねペンダント……少し惜しいですが、背に腹は変えられませんか」
苦笑して首にそれを掛け直し、シオンは階段を上り始めた。
霧が掛かった見えない方向へ、脚を進めた。
■□■□■
何処かから声が聞こえる。
たくさんたくさん声が聞こえる。
泣き声、叫び声。
この空間に囚われている人々なのだろうか。
「――誰か」
どれほどの時間上っただろうか。不思議と疲労感はなく、空腹や睡眠に対する欲求も感じない。ただ退屈ではあるが、ある意味で人間を追い詰めるにこの状況は適しているのかもしれない。刺激を奪われれば、その退屈さに発狂してしまうだろう。昔の精神病院――当時は癲狂院と呼ばれたが、そういう場所はそうやって狂いを増長させていたものだ。
「誰か、いらっしゃるんですか？」
声を掛ける、張り上げる。
振り向いて霧の中に投げ掛ける。
こだまもしない、何も響かない。返事も無く、自分の声の余韻が頭蓋を通じて鼓膜を震わせた気配だけが微かに残っていた。だがそれもすぐに消える。
自分が声を上げたという事実すら、曖昧になる。自覚が出来ない。そもそも自分とはなんだったか？ ここにいるのは何故で、ここにいるのは誰で。どこかで感じたことのある思考だ――ああ、あの手紙の主か。手紙？ 手紙とは、なんだったか。
ふる、と頭を振る。どうもいけない、単調な動作の連続が感覚を麻痺させている。少し考えよう、思考を働かせて自分を繋いでみよう。シオンは腰を下ろし、息を吐いた。自分の声が妙に不自然に聞こえることに苦笑する。
「やれやれ――目印も見えませんし。本当に、どこまで続いている階段なのだか……」
下段は見えない。歩いて来た道を見下ろすことが出来ない。いや、何と無く覚えてはいるが――下りていって確かめることは出来ない、記憶しか頼りにならない。どんな道だった？ 真っ直ぐだった？ もしかしたら、ところどころでゆったりと曲がりくねっていたかもしれない。随分長い時間歩き続けた、長い道だったのだから。そしてまだまだ続いているのだから。
溜息を吐いて、聞こえてくる声に耳を傾ける。啜り泣きや怒鳴り声が一方的に聞こえて、どれも会話をしているようには感じられなかった。眼を閉じれば真っ暗な空間が広がっている。目を開ければ白濁、閉じれば漆黒――なんとも相反する、世界。
身体を倒せば、背中が階段の角にぶつかって痛む。その刺激すらも愛しい。何の刺激も無いと言うのは、どんな苦痛にも匹敵するのかもしれない――何も見えなくて、何も無くて、何気なくて、他愛なくて。伸ばした長い脚をブラブラと振ってみる。ブランコで遊ぶ子供を連想して、似合わないと笑ってみる。子供――子供、の、頃。
思考が沈んでいく錯覚に、目を開けた。白濁を見止める。疲労が無いのだから休む必要は無い、こうやって留まっているのは考えるためだ。だが、考えてもドツボに嵌まっていくような気がする。ネガティブな心地は、気持ちが悪い――いつもの自分のスタンスが、崩れていくようで。
暗いことなど考えたくない、明るい方向を考えていれば良い。そうすればいつも幸せでいられる。悲しいことがあったら楽しい事を考えよう、楽しいことがあったらもっと楽しいことを考えよう。そうしていれば、幸せでいられる。そうしていれば、楽しくいられる。
楽しいのが、望みか？
否。
否定する、拒否する、拒絶する。
知っている。
悲しいことが怖いだけ。
声が聞こえる、どこか遠くから朧にいくつもいくつも。誰の声なのか、何を言っているのか分からない。空間にはそのぼんやりとした周波数だけが満ちている。それだけ――それだけ、が、ある。白い階段は上も下も見えない。上れるけれど戻ることは出来ない。出来ない、出来ない――何も出来なくて道は一つしかなくて。ある意味で、それはとても楽なことなのかもしれない。選択しなくていいぐらいに大雑把な流れに身を任せているのは、素晴らしいことかもしれない。
後悔する必要も無くなるのだから。恐れても仕方ないと思えるのだから。開き直り、そして免罪符が揺れる。揺ら揺ら、揺ら揺ら。ブランコから下ろした脚のように、階段から垂れ下げた足のように。
え？
シオンは、視線を下げた。
脚は階段の上に放り出されてはおらず、その下に霧に向って突っ込まれている。
膝から下が白い色に飲み込まれて見えない。黒いパンツは目立つはずなのに、そう簡単に溶け込んだりしないはずなのに。怒鳴り声が聞こえる、何処かから。呼ぶ声が聞こえる、何処かから。まるで近付いてくるように、声が明瞭になっていく。
どうして自分は脚を引き抜いて階段を上がらない？
どうして逃げ出してしまわない？
それは、ソれは、ソレは、ソレハ。
シオンの背中にはべっとりとした汗が浮かんでいた。口元が震えている、カタカタと歯の根が合わない音が聞こえる。振動が身体を崩してしまいそうな錯覚すらあった。左手のタトゥーを隠す手袋が肌に張り付いて気持ちが悪い。外してしまおうか？ 外したら何が出てくる？ 凶暴な炎が。焼き尽くす炎が。恐ろしい炎が。
口唇が引き攣った、もしかしたらそれは笑う形になったのかもしれない。
笑うしかない、状況だから。
熱い手が足を掴む。
声が、はっきりと響く。
「、ッひ」
『――シオン』
「ぃや、だッたすけ」
『シオン！！』
「やめて、やめてくださ、ッ」
父の、声が。
彼を階段から引き摺り下ろし。
霧の中へと沈めていった。
■□■□■
蹲っている子供の前に、立っていた。
彼は、泣いていた。
彼も、泣いていた。
震える身体で頭を抱え、必死に謝っている。
誰に？
……世界中に。
「め、なさぃ……ごめんなさ、いぃッ許して、許して――おねが、しますぅッ」
誰か助けて。
この子供の頭を撫でてあげてください。
こんなに、可哀想なのに。
こんなに、一人ぼっちなのに。
こんなに、泣き叫んでいるのに。
声を掛けようとして、口唇を開いた。
何も言葉は、零れなかった。
せめて抱き締めようと、手を伸ばした。
触れるはずの手は、すり抜けた。
不可侵。
何も、出来ない。
子供はぐしゃぐしゃの顔を隠しもせずに、拭く事もせずに、泣いている。
自分もまた、泣きながら必死に手を伸ばしては空を掴んでいる。
何も悪くなど無かった、きっと謝る必要など無かった。それでも許しを請うていた、世界中に請うていた。許してほしくて、肯定して欲しくて。
楽しい事も考えられないぐらいに、悲しくて。
悲しいのが嫌で、どうしようもなくて。
「どうして――こんなの、見せるんですか」
誰にとも無く呟く。聞こえないのだろう、子供は泣き続けている。
「見たくない、嫌なんですよ――こんなの、もう嫌なんです」
怖い怖い怖い怖い怖い。
恐い恐い恐い恐い恐い。
こわいコワイこわい。
気が、狂いそうだ。
「嫌、なんですよ、お願い、ですから――」
シオンはしゃがむ。
頭を抱える。
子供のように、子供と同じ格好で、しゃがみ込んだ。
子供の両掌には青いタトゥが刻み込まれていた。
>>>to be continued
■□■□■ 参加ＰＣ一覧 ■□■□■
３３５６ ／ シオン・レ・ハイ ／ 四十二歳 ／ 男性 ／ びんぼーにん（食住）＋α
■□■□■ ライター戯言 ■□■□■
こんにちは、ライターの哉色です。中編は一人ずつになりまして、こんな感じでございます……はははこんなところで切って次回で終わるのか。自分に突っ込み中ですが、終わりますのでっ。提示して頂いた『こわいもの』はこんな感じで出させて頂きました。かなり曖昧で捏造気味ですが、『こんな裏話が！』と言うことがございましたらどうぞお申し付け下さいませ……；
それでは次回に向かい……失礼致しますっ。
|
|
 |
