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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


 おもひで  〜今は見ぬ友への伝言〜
 
 
 
 ◆
 
 かすかに残った最後の余韻が消え去ると、教室は一瞬の静寂ののちに満場の拍手に包まれた。
まるで雨の音のように降り注ぐそれはすぐに止みそうにない。
 初瀬日和はチェロを構えていた腕を下ろし、顔を少し高潮させた。かすかに照れたように髪をかきあげつつ、惜しみない賞賛を送る生徒たちに向かってお辞儀をする。


 ここは神聖都学園、講義室。
 黒板前にてチェロの腕前を披露していた日和、その彼女を半円状に取り囲むよう、すり鉢上に座席が設置されている。
決して狭くない部屋だが、今座席に空きはない。学園の音楽科生徒対象のレッスンだったはずだが、どうやら一般の生徒も随分混じっているようだ。

 日和は国際コンクールに出場経験もある自らのチェロの腕を買われ、同世代対象の公開練習に招かれていた。
 ちなみに羽角悠宇も一緒だ。
彼女が視線を送ると、窓辺で日和をじっと見ていたらしい悠宇がゆっくりこちらにやってくるのが見えた。その表情が優しくほころんでいるのが見え、日和はホッとする。
 ……身近な人に聞いてもらうのが、一番緊張するな。
「日和」
「悠宇くん、どうだった?」
「やっぱり日和のチェロはいいな。なんか、心……とかだけじゃなくて、体全体に音が染み渡ってく感じがするよ」
「……ありがとう」
照れくささに少しだけうつむくと、悠宇は日和の頭をぽんぽん、と撫でた。
「ああでも。最初の方、ちょっとだけトチっただろ」
「う、うん。……悠宇くんには分かっちゃった? 先生も分からなかったのに」
「先生っていえば、あのヤロー。指導にかこつけて日和にベタベタしやがって、ったく」
「そんなことないわよ、他の人にも同じ態度だったでしょう?」
「俺は音楽に詳しくないし、お前以外のヤツの時は寝てた」
「……悠宇くんってば」
 
 と。
「どうもどうも、こんちわ!」
 指導役の教師が退場した代わりに、軽いノリの生徒が近づいてくる。
「あ、オレ報道部です。今度の学園通信に記事を書くんで、ちょっとインタビューいいですか?」
「ええ、私などでよければ」
 悠宇にチェロを預け、日和は生徒に向き直る。
だが、彼女に詰め寄ったのはその生徒だけではなかった。
「すいません! 彼氏はいますか!」
「趣味は!」
「学校、どこですか! ねえねえ、どこ住んでんの!」
 報道部の問いかけがきっかけになったのだろう、今まで拍手を送っていた他の生徒たちが、日和に向かってわっと殺到してきたのだ。
これも日和の魅力の賜物だろうが、何しろ生徒の数が半端ではない。
思わず後ずさる日和をかばうように、さっと悠宇が前に進み出た。
「おいお前ら、さっさと下がれ!」
「何なに〜? お前が日和ちゃんのカレシ?」
「日和をなれなれしく呼ぶな!」
「おいどけよ、日和ちゃんが見えないだろ!」
「ひっこめ、ひっこめ!」
「おい、いいかげんにしろ!」
 悠宇の恫喝も効かない。
 うねる群集はますます迫ってくる。もはやパニック状態、興奮した生徒たちは一種凶暴な雰囲気になっている。
一触触発だ。
 ――どこかで鳴った、パリーンと窓の割れた音。小さな悲鳴。ぱらぱらと降り注ぐガラス。それさえも乗り越えて迫り来る足音。
最早止める手立てがない。
 日和が息を飲んだ。それを背中で感じてますます悠宇は胸を張り、かばう腕に力を込める。
彼の背中を一筋の冷たい汗が流れた――。
 


 その時だった。
「何をしている」
 低い声が聞こえた。その大きすぎない声が日和と悠宇にも聞こえたのは、あれだけの騒乱がぴたりとやんで、生徒たちが動きを止めたからだ。
二人が戸惑うばかりの静寂。と、出口付近の生徒たちが二つに割れて、入り口に立っていた人物を日和たちに示す。
「今日は音楽科主催の公開練習だったはずだ。一般生徒は慎みなさい。
私たちは誇りある神聖都学園生だろう、自覚がないのか」
 凛と響く声で一同に呼びかけていたのは一人の男子生徒。制服をぴしりと着こなし、その口調同様一分の隙もない。
誰かが小さく、生徒会長、と言った。
 ……へえ、あれが生徒会長、ね。
 あんまりイイお友達にはなれそうにないな、と悠宇が小さくうそぶいた。
そして、
「ねね、キミたち」
 生徒会長が登場したのとはちょうど反対、窓側から、二人だけに向けられた小さな呼びかけ。
最初に気がついた日和が振り向くと、窓わくから半分だけ顔を覗かせている女生徒が、小さく手招きをしている。
「コッチコッチ。みなが気づいてないうちに、おいで」

 行くぞ、とチェロを持った悠宇が日和の手をつかみ、先にたって窓に向かい歩き出す。
握られている手の強さに戸惑いつつ、後を続いて――ふと日和が入り口を振り返った時、目が合った生徒会長は日和に向かって小さく笑ったような気がした。


「この中庭をつっきると向こうの校舎が見えてくる。そこにある図書室にほとぼりが冷めるまでしばらくいるといい。
恐らくこの時間には誰もいないであろ」
 それじゃ、と言って去ろうとするその女生徒を、日和は寸前に呼び止める。
「ね、その……」
「なんだい?」
肩で切り添えられた黒髪が振り返った反動でなびく。こちらを真正面から見返してくる金色の光が、好奇心で揺れていた。
「あのね、変なこと言うみたいだけど。……私たち、どこかで会ったことなかったかしら」
 戸惑いながら日和がそう言うと、彼女はニッ、と笑った。
「ボクもそう思うよ」





「悠宇くん、聞いてくれる?」
 図書室に移動した日和と悠宇。
 あの女生徒に案内を請うまでもなく、ましてや校内案内図を見るまでもなく、二人はそこへとたどり着いていた。
彼女の言った通り、今図書室には誰もいなかった。
返却カウンターにすら誰もいなくて、なぜか二人は戸惑う。
「あのね。……私、最近気になることがあるの」
 悠宇は一つうなずいて、日和をじっと見つめる。
「たぶん、夢……そう、最近夢を見るの。
夢の中で私は神聖都学園に通っていて、そこには必ず悠宇くんや末葉や白露も一緒にいてくれたの。
さっき窓ガラスが割れた時とか、悠宇くんに手をぎゅっと握られた時とか、なんだかとてもドキッとしたし……それにこの図書室の匂いもすごく、すごく懐かしい」
 傍らの本棚から『パプロ・カザルス』と書かれた本をとりだした日和は、その本の背表紙をそっとなでる。
「それでね、あともう一人……とても懐かしい誰かがいた気がして。でも名前も思い出せない」

 これって私だけなのかしら。そう言いながら不安げに、日和は悠宇を見上げた。
「ねぇ、悠宇くん? 
笑ってくれていいわ、それに夢かどうかもはっきりしないんだけど。私達がいて、末葉や白露がいて、とても大事なお友達の女の子がいて……これって、私だけ? あれは一体誰だったのかしら?」


 無言のまま、じっと日和を見つめていた悠宇は、やがてぽつりと言った。
「それで、突然『神聖都学園に行きたい』なんて言い出したのか」
「う、うん。でも、公開練習に招かれたのも本当よ? ぜひって言われて、それで……」
「いいんだ、別にお前を責めてるわけじゃない」
 と、悠宇は優しく日和の髪を撫でる。
「俺も、そんな気がしてた」
そして悠宇はそう言った。
「きっとあれは、お前にとって大事な……」



 悠宇が何かを言いかけた時だった。
 窓から風が吹き込んできた。風はかけてあった白いカーテンを大きく巻き上げる。
日和の髪をもふわりとなびかせたそれは
 ――まるで、誰かからの返事のように、二人には思えた。
 
 誰もいない部屋、薄暗い図書室の空間の中で、カーテンの白が陽光に輝いているようにも見える。



「……これ、やるよ」
 と、悠宇がポケットから小さな包みを取り出した。
「お前に似合うと思って」
「私に?」
「実はさ、大分前からお前にやろうと思ってたんだよな、でもなんか渡しづらくてさ。
それでもずっと持ち歩いてたんだから、俺もたいがい意気地なしだよな」
 ははは、と照れくさそうに笑った悠宇が、ふと表情を改める。
「気がついたのもさ、実は夢の中だったんだ。 ……これ、お前によく似合うんじゃないかって」



 ――小さな紙袋から出てきたのは、日和の長い髪に似合うような、ピンク色のリボンだった。