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【 金盥の影 】
「ねえ、ねえ。知ってる? 友達の友達から聞いたんだけど、神聖都学園の高等部で……」
「知ってる、知ってる。夜の校舎で金ダライでしょ」
「じゃ、じゃあコレは? その金ダライの音、遭得徒狼(あうとろう)のタライで死んだ人が落ちてくるタライの数を数えてるっての」
「え〜、それはナイでしょ。いくらなんでも」
【 仕事中 】
夜の校舎の片隅で、黒いスーツの彼が黒いトランクから取り出したのは青い液体が詰まった小瓶。
「ほ、本当にこれで何もかもが元通りになるんですか?」
手渡されたのは、まるで少女のように可憐な少年。小瓶を握り締める少年に真剣な眼差しを向けられて、微笑を浮かべる彼が扱う商品の確実さを保障する。
「ええ、本当ですよ。もちろん、お客様から相応の代価は頂きますが」
「あ、あの。僕、あんまり貯金なくて分割払いとか……」
代価と聞いて困り顔でうつむいた少年は、不意に響き渡った金ダライ落下音を聞くと、今にも泣きだしそうな情けない顔で悲鳴をあげた。
「ひぎゃああっ!」
端正な顔を台無しに歪めた少年は目の前にいる青年の後ろに逃げ込もうとしたが、彼の後方に何かを見つけて凍りつく。何があるのかと青年が振り返れば壁の中に人影がある。だが影の主がいるべき場所には誰もいない。ただ影だけが壁の中を走っていく。
「お散歩ですかね」
遠ざかっていく影を見送りながら青年が呟くと、悲鳴すらあげられずに口をパクパクと動かしていた少年が弾かれたように影とは逆行方向に駆け出した。けれども進んだのは数十メートル。この場から逃げ出したい気持ちが消えた訳ではなく、拡声器を通した声に呼びかけられたからだ。
「お前、そこで止まらんかい!」
その声を聞いた瞬間、少年は意思に反して立ち止まっていた。もう限界だと気を失いかけるも、自分の側で始まったのは和やかな会話。
「聞き覚えのある声だと思いましたが、倉田様でしたか」
「あれ、影さんやないですか。こんばんは、こんな時間まで仕事ですか?」
「ええ、まあ。倉田様こそ、こんな時間までご苦労様です」
このまま気絶すれば存在を忘れられて置き去りにされる。数多くの経験から判断し、少年は辛うじて動く首を二人の方へ向けて自分はここだと主張する。
「あ、あの〜」
「あ〜、ゴメン。すっかり忘れとった」
押しのかけらもない弱々しい主張だが、眼鏡をかけた倉田に人の存在を知らせることには成功したようで、彼は再び拡声器で少年に呼びかける。
「そや、君。名前は?」
「み、三下忠雄……あ、いや忠です。三下忠です!」。
二つの名前を名乗って慌てふためく三下を面白そうに眺めながら倉田は言葉を続ける。
「ほな、二つ名前がある三下君。逃げてく影と間違えて足止めしてもうて迷惑かけました。もう自由に動いて下さい」
数歩その場で足踏みをして自分の足が動くようになったことを確認すると、三下は安堵のため息とともに座り込んだ。
「今、影と間違えて足止めと仰いましたね。つまり、こちらへはあの影を捕まえにいらしたのですか」
「そうなんですよ、浅野君が……あ、三下君。浅野君ってのは僕の友達な」
両手で耳をふさいで聞かなかったことにしようとしていた三下に補足を入れてから、倉田は再び影を見て話し始める。
「仕事中にミスって影切られたせいで、意識不明で入院中なんですよ」
「それで倉田様が影を追いかけていると」
影の指摘に頷いた倉田は肩を落として、苦笑する。
「そやけど僕は浅野君ほど運動神経ないから、ごっつ難儀で」
「でしたら、私が捕まえてきましょうか」
「ホンマですか? わ〜、ありがとう御座います」
頂いたサインのお礼を兼ねましてと微笑む影の言葉を聞いて倉田は顔を輝かせ、こっそり逃げだそうとしていた三下の肩をしっかりと捕まえた。
「では、お二人はこちらでお待ち頂けますか」
「はい。影さんの邪魔したら悪いですからね、三下君。もちろん一緒に待っててくれますよね」
ふるふると首を振りながら泣き声混じりに「僕は遠慮します」と呟くも、確信犯達が聞いてくれる訳がなく。三下は階段に腰を下ろして、倉田が持参した魔法瓶の中に入った温かいお茶を飲みながら、影の帰りを待つことになった。
「そうそう、戻るまでこれを預かって頂けますか。勿論、開けないで下さいね」
「了解しました。開けずに、ちゃんとお預かりしときます」
不可思議な品が詰まっているだろう影のトランクを預かった倉田と二人で。
【 影 】
「追いかけるのは手の音ではありませんが、まるで鬼ごっこだとは思いませんか」
落下音を辿って主なく動き回る人影を見つけると、影は楽しそうに人影に笑いかけた。
無論、意思を持ってはいても主のない人影が返事をするわけがない。自分を追う相手に気づいて今までのように逃げ出すだけだ。けれども、今までのように逃げることはできなかった。突然現れた影の壁に行く手を阻まれたからである。
「申し訳ありませんが、貴方には所有者の所へ返って頂きます」
壁に映っていた彼の影は人の姿を崩して鞭が絡むように人影を捕縛しようとするが、影の鞭が丸い影に弾かれて落下する。直後、静寂を破る金ダライ落下音が校内に響き渡る。
「残念ですね。所有者の許可を頂いているのなら、もう少し貴方と遊んで差し上げても良いのですが」
影はくすくすと笑みを漏らし、影の鞭を今度は人影の足下から引き出して素早く足首を縛り上げる。
そして影は倉田と三下が待っている階段に戻るために歩き始め、彼から伸びる影は縄で縛り上げられてなお暴れる人影を引きずっている。さながら西部劇のように。
【 代償 】
「おやおや、開けないで下さいと言っておきましたのに」
「そうなんですけど、うっかり三下君が開けちゃったんですよ」
戻った影を出迎えたのは、黒いトランクに襲われている哀れな三下の悲鳴。まだ指先を飲み込まれたばかりなので、もうしばらくは放って手おいても大丈夫だと判断し、まずは捕まえた影を倉田に引き渡す。
「ところで、どうやってお持ち帰りになるつもりですか」
影が尋ねると、倉田は階段下に置いていたリュックを開いた。
「こん中に影がくっつくトリモチが塗ってあるんで上から突っ込んで貰えますか」
言われた通りに暴れる影をリュックに詰め込むと、倉田がファスナーを一気に下ろす。閉じ込められても蠢き続ける影が詰まった不気味なリュックを気にすることもなく背負って、倉田は影に頭をさげる。
「ホンマに助かりました。ありがとう御座います」
「いえいえ、早く病院に影を届けて差し上げて下さい」
頷いて駆け出す倉田を見送って、影は残る仕事に取りかかる。
トランクは三下の右腕を飲み込み、次の狙いである頭を飲み込もうと大きく開いた所。だが影が側面を軽く叩くと、トランクは飲み込んでいた三下の腕を開放し、ごく普通のトランクのような顔をして影の腕に収まった。助かった三下は泣きじゃくりながらポケットを探り、受け取っていた小瓶を影に差し出した。
「けっ、けっ、結構です」
影は受け取った小瓶の栓を抜き、中に詰まった青い液体を三下の体に振りかけた。すると青い煙が辺りに立ち込め、風が煙を運び去ると神聖都学園の制服を着た少年の姿は消えていた。
「お受け取り下さい。もう貴方から代価は、いえ代償は支払って頂きましたから」
少年がいた場所に座り込んでいるのはスーツを着た眼鏡の青年。謎の年齢逆行現象で十七歳になり、彼の大嫌いな怪奇現象の宝庫である神聖都学園に潜入調査員として送り込まれていた三下は、影に代償を払うことで彼が望んだ通りに月刊アトラス編集部のヒラ編集員・三下忠雄に戻ることができた。
「代償は安堵の一夜。怪奇現象とは無縁で、自分を取り戻したことを素直に喜ぶことができる幸せな夜を頂きました」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 3873 / 影 / 男性 / 999 / 詳細不明(セールスマン?) 】
【 4253 / 倉田・誠吾 / 男性 / 24 / 遭得徒狼(あうとろう)ボケ担当 】
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■ ライター通信 ■
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金ダライライターの猫遊備です。二度目のご依頼ありがとう御座いました。
倉田さんは好奇心旺盛であるものの、自ら危険に首を突っ込むタイプではないので被害者役として三下氏に登場して頂くことになりました。そして、どうでも良いことかもしれませんが三下氏が受け取った小瓶の中身が青いのは某マンガの青と赤のキャンディが出典だったりします(苦笑)
異界【殺しの現場に金ダライ】
http://omc.terranetz.jp/creators_room/room_view.cgi?ROOMID=845
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