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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


ねむりうお

「まあ」
 部屋の有様に、みそのはただそれだけ口にした。
 声に込められた感情は恐怖ではなく、また驚きですらない。ただ珍しいものを見たという感心と、少しの好奇心だけだけ。物怖じすることなく、むしろ嬉々として足を踏み入れる。
 そこに広がる光景は地獄だった。
 いずれも苦悶を、恐怖を浮かべて死に絶えた死体。死体。人だけではなく、うろこを持った歪な半魚のものも混じっている。砕け散り、食い散らかされ、骨までさらけ出した無残な肉とうろこの山。
 尋常な精神の持ち主であったなら悲鳴を上げて胃の中身をそこかしこにぶちまけただろう。豪胆な心のツワモノでも顔色を蒼ざめさせずにはいられない。
 だが、みそのは眉一つしかめず、平然として部屋の中を見回している。
「あら?」
 ふと、何かに気がついて視線を留めた。
 その先には半魚の人が一人、地面に転がっている。一見したならば死体にしか見えないそれに、みそのは当然のように声をかけた。
「あなたはまだ生きてらっしゃいますね」
 言葉に、半魚がびくりと震える。
 ただ目で見たならば、どうみても死んでいるようにしか見えないだろう。しかし、みそののもつ『“もの”の波動を感じる感覚』は、たしかにその半魚から生きているものの力を感じ取っていた。
『い、嫌。殺さないで。殺さないで』
 おびえるような“声”は、意外にも女のものだ。みそのは首をかしげる。その“声”は半魚の異形とはとても思えない、ただの人のものだった。「もしかすると、なにかの薬で無理矢理に魚にされたのかもしれませんね」考えをまとめながら、口の中で小さくつぶやく。
 まあ、考えていてわかることでもないだろう。みそのはとりあえず質問をするためにも、女を落ち着かせる事にした。
「大丈夫、落ち着いてくださいませ。わたくしはあなたを殺しに来たわけではありませんから」
『え……』
 意外そうな顔になって女の目がみそのを見上げる。
「人を捜しにきましたの。あなたは、みなもという女の子を御存じありませんか?」
 女はしかし、みそのの質問に答えない。満面の安堵と喜びを浮かべ、まくし立てるように言葉を吐き出した。
『たすッ……あなた、助けに来てくれた人!? 助かった、私助かったのね! はやく、警察。救急車を呼んで。痛いの、みんな。このままじゃ私死んじゃうから!!』
「いいえ。警察も、救急車も、呼ぶことはしませんわ」
 淡々とみそのは告げた。あまりにあっさりと、当然であるはずの自分の要求を否定されて、女は一瞬口をつぐむ。
「だって、そんなことをしてももう無意味ですから」
『どうしてよッ。凄い血が出て、死んじゃうのよ、私!』
「大丈夫ですよ」
 みそのは女を拾い、持ち上げながらにこりと微笑んだ。
「だって、あなたはもう死にますから」
『……え?』
 ぽかんと口を広げて、女は間の抜けた表情を作る。
 いまだ状況を理解していないその様子に、みそのは丁寧にそれを教えてやる事にした。
 女をくるりと返して、目をそれの方へと向ける。
「あちらにころがっているのがあなたの身体ですね」
 指差したその先に、肉塊があった。ぬらりと照り光るあおみどりのうろこと、くすんだ色合いのはらわたとを積み上げて、鮮やかな血の赤でトッピングを施したグロテスクなオブジェだ。松明の灯りに照らされた白い乳房の片方だけがはっきりと網膜に焼きついてくる。では、もう片方の乳房はというと、こちらはすでにえぐり取られて、みすぼらしくもピンク色の筋繊維をあらわにしていた。
『あ、ああ……』
 おののくように、女のくちびるがふるえだす。みそのはかまわずに続けて言う。
「あちらがもぎ離された左腕。右の肢は、骨だけになって少し分かりづらいですけれど、あちらのものがそうです」
 血の海に浮かんだそれらを順繰りに指差していく。
 女は抱えられたその状態で顔をそらすことも、また瞼の無い魚の瞳で目をつぶることも出来ずに、恐怖に歯を打ち鳴らしながら自らの遺骸を見せつけられている。
「そして、わたくしが今抱えている“あなた”が、千切れ取れたあなたの首ですわ」
「――――ッ!!」
 女はおそらく悲鳴を上げた。
 肺とつながらないその喉で、どうして空気を震わせ、声を上げることができるだろうか。
 みそのが先ほどまで女と交わしていた言葉は、すべて女の脳髄から発せられる思念の流れそのものだった。ならば、今まさに発せられた無作為で指向性もない恐怖の奔流は、ただ悲鳴と呼ぶべきなのだろう。
『うそ、うそお。わたし、しんでなんか。だって、いまあなたとしゃべってる』
「変化の副作用でしょうか? その魚の身体は首だけになっても少しだけ生きることが出来るようですね」
『ふくさよう。くびだけ。いきて、いきて』
 オウムのように言葉を繰り返す女に優しく微笑みかけて、あっさりと、残酷に、みそのは事実を言って聞かせる。
「それでも、安心してください。すぐに死にますから、大丈夫ですよ」
『死、しぬ。わたし、くびぃ。だい、いたい。逃げなかったのに。イタイイダイィ』
 ようやく女がすべてを理解したことに満足して、みそのは本題を切り出すことにした。
「ところで、あらためてお尋ねしたいのですけれど。みなもを御存じありませんか?」
『イィ。ちがウ。ちがうの。みなも、くすす。くび、くびィ。わたしの』
「青い瞳と青い髪の、わたくしの妹ですの」
『あおい、あおおい。みなも。ぴちゃん、ぴちゃん。うふふ』
 成り立たない会話に少し眉をしかめて、みそのは小さくため息をついた。残念そうに、そのまま女の首を石台に置く。
「壊れてしまったようですわ」
 首はぶつぶつと得体の知れないことをつぶやきながら、時折小さく含み笑いのようなものを漏らしている。どうせすぐに止まることは分かっていたので、みそのはその首を放っておくことにした。
 あらためて部屋を見回す。気配から、みなもが少なくともこの部屋に居たことは確かである。手がかりを捜し求めて部屋中の流れを探る。
 意識の端に青い色が留まった。知っている波動だ。ゆっくりと近寄ってみる。
「まあ」
 そこにあったのはよく見慣れた青い色の髪の毛。ごっそりと抜けて血の海に浸っているが、間違いなくみそのの妹のそれだ。
 普通なら蒼ざめるべきその状況で、しかし、やはりみそのは「うふふ」と笑う。
「これはかわいらしい鬘が作れそうですわ」
 嬉々としてなにやら恐ろしげなことを言いながら、そこらにあった腐乱死体を手繰り寄せて、頭に青い髪を当ててみせる。
 その余裕が、みなもへの信頼から来るものか、はたまた全く別の理由からなのかはどうにも微妙なところであった。


 暗く、静まり返った海の底。御方の眠る深い、深い寝所。
 時すら止まったように静かな夢の奥。夜伽の勤めを終えた心地の良い微睡みの中。みそのは誰かに呼ばれたような気がして身を起こす。
「御方?」
 問いかけるまでもなく否定の意思が返ってくる。
 御方ではない。この偉大なる海の神がみそのになにか言うならば、もっと大きな意思をもって、もっとはっきりと明確に伝えてくることだろう。
 では、なにか。
 この海底深く、夢に閉ざされた御方の眠る寝所まで“声”を届けることの出来るものとは一体なにものなのか。
「まあ、いいじゃありませんか」
 面倒になって思考を放棄した。
 此処なるは我らが御方の領域。先ほどの“声”に含まれた意味が善意にせよ、あるいは悪意にせよ、御方を揺り動かすほどのことなどあろうはずがない。
 みそのは彼女らの神に絶対の信頼を寄せていた。甘えるように寝転がって、御方に声をかける。
「ええ、そうですわ。夜伽の“だいにらうんど”といきましょう♪」
 楽しげに言うみそのの言葉に、返ってきたのはしかし否定の意思だった。
「……どうしてですか?」
 みそのは不満げに、そして不安げに口を尖らせる。
 もしかして、自分はなにか粗相をしたのだろうか。御方の気分を損ねる事はなによりの恐怖だ。
 御方の心の一部がみそのに触れた。伝わってきた感情はみそのを咎める怒りではない、どちらかというと過ちを犯した子どもを宥める優しさだ。
「どういうことでしょうか、御方」
 質問の返答に、強いイメージが脳裏に焼きついた。泣きそうな顔でこちらを見ている青い瞳。みそのがこの世で、御方の次に愛している大切な家族の姿。
「では、先ほどの“声”はみなもが?」
 御方の“言葉”を聞いて、みそのは目を見開いた。
 そういえば。と、みそのは思い出す。みなもは今、どこかの寒村で自分たちとは異なる“水のもの”と、昨今世を騒がしている連続失踪事件との関連を捜査をしているはずである。
 先日、同種族の人魚に誘拐事件の捜査を頼まれたとき、夜伽で忙しかったみそのは、ないしょでみなもを推薦しておいたのだ。
「もしかして、それがまずかったのでしょうか」
 御方から返ってきたのは肯定の意思だ。なにかは分からないが、みなもは今危ない状態にあるらしい。
 こんなところにまで届くほどの声である。みそのは少しだけ不安になってきた。
「すいません、御方。急な事ですけれど、退出をお許しくださいませんか?」
 様子を見てこようと決意するみそのに、御方の返答はまた肯定。それと同時にどこからか金色の鐘がみそのの足元に転がり落ちてくる。
「これは?」
 ――ィィィィィィン
 拾い上げると、澄み渡った音色が闇に響きわたった。思わずうっとりとして聞きほれてしまう。みそのの感覚ですらその意味を捉えきれない、鈍く尖ったような魔的な音だ。
「持っていけばよろしいのですか?」
 御方の心遣いにみそのは深く頭を下げる。
「ありがとうございます。それで、その……」
 珍しく少しだけ言いよどんで、みそのは艶っぽい微笑みを浮かべる。
「夜伽の続きは帰ってから、よろしいでしょうか」
 御方は大きく笑って、ただ“善哉”と答えた。


 ぐうぐう げえるうぐえ ぐげえうる

 淵のある広間からは間断の無い、潰された蛙のような鳴き声と、おぞましいいびきのような低い唸りとが聴こえてくる。
 異様な光景だった。
 部屋の中は寄り集まった数十の、みそのたちとは異なる“水のもの”で溢れている。地面には食い残しのような、半端に変化した半魚の女が腹を膨らませて転がっている。
 みそのは身を隠しもせずに堂々と、その中へと入っていく。
「あらあら」
 魚たちにまぎれて、みなもはぼんやりと立っていた。
 見慣れた人の姿ではない。むろん、人魚の形でもない。彼ら半魚の魚たちや先ほど見た首だけの女と同様、緑のうろこを身体中に貼り付けた半人半魚の姿。ただそこだけ人の名残を残す、白く浮き上がった乳房と腹がどこかしら淫秘な雰囲気を漂わせている。
「可愛らしいわ、みなも」
 うっとりとみそのは言う。
 他ならぬみなもが正常な意識を保っていたならば盛大にツッコミを入れていたことだろう、独り言。しかし、魚たちが丁寧につっこんでくれるはずもなく、誰何の声がかかる。
『ナにものダ、キサまは』
 軋むような不自然な人語は、一際小さな体格の魚の口からもれた。他の魚たちも迎合するようにぐえぐええと喉を鳴らして歌う。どうやら正しく人語を使うのはその一匹だけらしい。
 ただ一人、みなもだけが口も開かず、ぼんやりと無表情でこちらを眺めている。
 みそのは魚たちを完全に無視して、みなもに向かって話し掛けた。
「みなも、帰りますよ。お父さまたちも心配します」
「かえりません」
 うろこに覆われた口から飛び出したのは、たしかにみなもの声だった。同時にその冷たい響きは、けしてみなものものではありえなかった。
「おねえさま、みなもはここにのこります。ここにのこって、これなる神の仔を孕むのです。みなもはこやしとなり、みかづきがさんどてんにのぼるとき父である神の仔を」
「お黙りなさい」
 静かに、しかし有無を言わせぬ迫力を込めて、みそのは言葉を遮る。
「わたくしはあなたに話しているのではありません。みなもに話しているのです」
「わたしがみなもです」
「いいえ、あなたはみなもではありません」
 言いながらみそのは、静かに歩み寄る。魚たちは誰もそれを阻むことが出来ず、また“みなも”も逃げようとはしない。金縛りにあったように、誰もが微動だにせずみそのを見つめていた。
「わたくしはみなもの名を騙る人を、たとえそれが“みなも”であってもけっして許しません」
 みそのはそうして、おもむろにみなもの唇に自らの唇を重ねた。
 じゅるじゅると唾液の流れる音。みなもは無感動に、全く抵抗をしない。驚いて動いた魚たちは、壁に阻まれたようにみなもたちの一歩手前で制止している。
 およそ三〇秒。
 ふいにみなもの瞳から一筋、涙が流れ出る。それを境に、みなもの身体からぐったりと力が抜けていく。みそのは腰を抱いてそれを支えると、ようやく唇をはなした。
「うふふ」
 ちろと小さく舌を出す。薄暗い濁った藻のようななにかがそこから転げ出た。魚の一人が「ぎゅあうッ」と、驚いたような悲鳴を上げる。
 藻のようなそれは、あたかも一個の小さな生き物のように時折どくりと脈を打ってはね動いていた。
「これが、変態の核ですね」
『ドウしテそれヲ』
 狼狽した様子の魚がうめく。
『身体ニとけ、我々トおナジものにナッタはずダ。ドウしてソレを抜キだせタ』
 じろりとその魚を睨みつけて、みそのは自らのふところに藻を隠した。
「みなもにこんな素敵な……いえ、恐ろしいものを打ち込んだのはあなたですか」
「オノれ。おのレ。ウミのはらカらよ。ナニゆエ邪魔をスル!」
 魚の猛りと同時に、そこいらに転がっていた女の腹を食い破って、半魚の胎児が飛び掛ってくる。みそのはあっさりとそれを躱して、困ったように首を振った。
「あなた方と同胞になった覚えはありませんよ」
 真面目な顔をして受け答えながら、気絶したみなもにカメラを向けて「ハイチーズ」と写真を撮る。魚は悔しげにがちがちと歯を鳴らした。一瞬、強いフラッシュが洞穴の中を照らし出す。
 暗い水の底に沈む魚たちには十分すぎるほど強い光が、弾ける。
 すると突然地鳴りが始まった。
「あら?」
 地鳴りは淵の奥から聞こえている。それに気付いた魚たちは狂ったように歓喜の声を上げ始めた。

 ふんぐるい むぐるぅなふぅ くするるぅ ふたぐぅん るるぃいえ うがふるなぐぅ ふぅたぐん

 耳に忌まわしく響く祭祀の言葉。魚たちの喉から漏れる声を無理矢理人の言葉に直すとすると、このような音になっただろう。
 水を噴き上げて現れたのは、これもやはり強大な半魚の人だ。魚たちをそのまま大きくしたような姿で、大きな瞳をらんらんと光らせている。おそらくは、これが彼らの言っていた神なのだろう。みそのは思い至って、悲しげにつぶやく。
「甥っ子は少し見てみたい気もしましたけど、あなたの子どもなら期待出来そうにはありませんね」
 その言葉を解したのかは知らないが、巨大な魚人は大きく咆哮を上げる。びりびりと洞穴中が震えた。そのまま何とも知れない激情に任せて拳を振り上げて、落とす。
 拳はみそのには当たらない。轟音を立てて、ぶちゃりと魚を潰す。さかなびとたちはさらに熱狂して叫び狂う。いあ。いあ。くするるぅ。ふんぐるいぃ。むぅぐるなふ! イアッ!
「あらあら」
 みそのは少しだけ困っていた。この大きな魚が神と呼ばうにはとてもではないがおこがましい、つまらない奉仕種族に過ぎないことをみそのは知っている。しかし、彼の仕えるさらに大きな存在のことを考えると、うかつに手をだすわけにはいかないことも十分に理解していた。
 ここでさかなびとを潰すのは容易い。それによりみそのの仕える御方に迷惑がかかるのはとてもではないが耐えられないのだ。

 ――ィィィィィィン

 この音が鳴り響いたのが単なる偶然か、それとも初めから計算ずくのことだったのかは知れない。ともかく、唐突にそれは鳴り響いた。
 みそののふところから、御方より預かった金色の鐘が転がり出る。そこで一瞬、大魚の動きが鈍くなる。

 ――ィィィィィィン リィィィィイイン

 みそのは気付いて、鐘を鳴らした。巨大な魚はどんどんと動きを鈍らせていき、やがてゆらゆらと淵に倒れこむ。眠りへといざなう鐘の音だ。音にあわせてゆっくりと、淵の底に帰っていく。
「ああ、そうでした」
 後に残ったのは静寂。
 あれほど熱狂していた魚たちも、彼らの崇める神とともにいつのまにか眠りについていた。みなもも先ほどからずっと気絶したままだ。誰も聞いていない闇の中で、深淵の巫女はささやく。
「一つ言い忘れておりました」
 みなもの肩に優しく服をかけて、抱き上げる。どこかから轟々と唸るような音が聞こえてくる。
 魚たちは気付かない。深い、深い、眠りに落ちている。
「みなもを泣かせていいのはわたくしたちだけなんですよ。ですから、あなた達は罰を受けなくてはなりません」
 轟音はどんどん近づいてきているようだ。魚たちは気付かない。みそのはゆっくりと、誰も居ない虚空へと向かって言って聞かせる。
「この洞穴、水浸しですね。それに、入り組んでいてどこもかしこも穴だらけ知ってますでしょうか、水を吸った地盤というのは意外に脆いんですよ」
 言葉を切って、嫣然と微笑む。それはとても綺麗で、背筋の凍えるような微笑であった。
「もし、突然の集中豪雨で土砂崩れが起きて、岩盤にさらに力がかかったりしたらどうなるんでしょうね」
 そこまで言って、みそのはふと思い出す。
「そういえば、わたくしたちはどうやって帰りましょうか」
 もちろん誰も答えない。
 部屋の中に大量の水が流れ込んできた。


『昨夜未明、埼玉県秩父郡○○町にある陀子村が原因不明の突発的集中豪雨やそれにともなう土砂崩れなどの被害により、甚大な打撃をこうむりました』
 ニュースを聞きながら、みそのは楽しげにここ数時間の充実した時を振り返る。
 あの後、魚たちの使っていた地下水脈を利用して脱出し、みなもの身体の流れを巻き戻して人に戻し、さらに眠っている間に記憶の流れを断ったりつなげたりして、休む暇も無かった。
 それでも、楽しい時間であったと思えるのはやはりこの収穫があってこそだろう。現像した写真を眺めてみそのは思い出し笑いに浸る。
 半魚の姿のみなもは可愛かった。秘蔵のみなも専用アルバムに迷わず差し込んでしまうほどの出来だ。どうせなら誰かにツーショットで撮ってもらえばよかったと、叶うはずのない理想を夢見る。
 今度写真を撮る時は絶対にそうしよう。没収した藻のようなものはみそのの部屋で金魚蜂に入っている。いつか絶対に使ってあげよう。密かに企むのもまた楽しい時間だった。
『陀子村は昭和六〇年ごろに過疎で最後の住人が居なくなった小さな集落で、現在は廃屋の建ち並ぶ廃村となっており、死傷者の数は〇名。下流での鉄砲水などによる二次災害が心配されて……』
 そこでみなもの息が乱れ、寝返りを打つ気配がする。どうやら気がついたようだ。みそのはゆっくりと秘蔵アルバムを隠して、声をかける。
「起きましたか、みなも?」
「あ、お姉さま……?」
 ぼんやりとした様子でみそのを見つめてくる、みなも。突然驚いたように目を見開いて、首をかしげ、さらに辺りをきょろきょろと見回し始める。
 どうやら、記憶の遮断が完全でなかったようだ。それだけみなもにとって強い印象の出来事だったのだろう。そんな風な事を考えながら、しかしみそのはそうした内心を一切出さず、心配そうに訊ねる。
「大丈夫ですか、みなも。百面相をしてらっしゃいますけど」
「あ、いえ。本当に大丈夫です」
 ぎこちなく笑みを浮かべて、みなもは言った。
「あの、お姉さま? ここは家ですよね」
「そうですよ」
「あの、あたし昨日なにしてたかわかりますか?」
「昨日ですか。特に何も……強いてあげるとすればキドニーパイを作ってました。美味しかったですわ」
 みそのはぬけぬけとありもしない事を言って聞かせた。逆に不思議そうな顔を作って問い返してすらみせる。
「それがどうかしましたか?」
「いえ、何でもありません」
 やはり釈然としない様子でみなもは「今度また作りますね」などと言う。棚から牡丹餅だった。ほくほくと幸せな気分で、みそのはテレビに目を向ける。ちょうど先日来の、世間を騒がせている失踪事件のニュースが流れていた。
「犯人、まだつかまってないって……」
「怖いですね……あら?」
 気付いて、驚いた。
「なにを泣いているのです、みなも?」
「え、あれ?」
 みなもは泣いていた。確かに記憶は封鎖しておいたはずなのに、まるですべてを鮮明に覚えているかのように、自然に泣いているのだ。
 それはどれほどの恐怖だったのだろう。あるいは哀しみだったろう。みなもが魚たちに囚われて、自分が救出するまでの時間をみそのは知っていない。
 ここに至ってはじめて、みそのは後悔のようなものを感じた。
「やだ、あたし、どうして泣いてるんだろう」
「怖い夢を見たんですね」
 夢。そういうしかないのが辛い。肩に手を置いて、撫でさする。
「大丈夫ですよ、みなも。もう大丈夫ですから」
 みなもの顔を胸に押し付ける。嗚咽が、肌を通して胸の奥までしみこんでくる。
 そのままみそのは、みなもが泣き止む時までじっと抱きしめていた。