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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


   ◆◇ 鏡のなかの歌姫 ◇◆


「まただ……」
 唇を押さえて、新見透己は呻いた。
 振り向くと、等間隔に窓と扉が並ぶ誰もいない廊下。無味乾燥の白い壁に、誰かの靴跡が残っている。それだけが、ひとの名残を探るよすが。人気がすでに絶えて、寒々しく空気が沈んでいる。
 下校時刻が近い、午後五時。薄闇のなか、さきほどまで響いていたのは、透己の唄声だった。お世辞にも唄が巧くない、それを自覚している透己の知らない、透己の唄。
 ぐっと前を見れば、薄暗い階段がある。踊り場の隅には机がいくつか重ねられ、そして――そこには、不似合いな鏡がひとつ、立て掛けてある。
 真鍮の飾りで囲まれた、曇った鏡だ。奇跡的にヒビはないけれど、かなりの年代もの。目の前に立つ透己の姿がすっぽり映るものの、頭の先で掠れ、足元は染みで真っ白に潰れてしまっている。きっと磨いても、元の曇りない姿には戻らない。
 透己の教室から図書館へ向かう最短距離。それ以上に、ひとの行き来のないルート。そうして見付けた透己のための隠し通路が、この使われなくなった教室の隙間を擦り抜ける階段だった。
 初めは、なにも感じなかった。
 だがひとつき、ふたつき経ってから、他ならぬ自分の異変に気付いた。
 プリーツスカートを翻し、階段を下りるとき。革のカバンを抱え、踊り場に踏み出すとき。全速力で、階段を駆け下りるときでさえ。
 鏡のなかの透己はいつも、唄を口ずさんでいる。
 しかも、その唄は透己本人でさえ知らないメロディなのである。歌詞はなく、ただ拙い音の連なり。おまけに、階段を下り切れば自分がなにを唄っていたかさえ、綺麗さっぱり忘れてしまう。
 この古ぼけた鏡が透己を唄わせている。現実と幻妖の有象無象を聴き取ることが出来る透己を通して、スピーカーのように自分の唄を現世に滑り込ませている。そんな気がする。
「すごい不愉快だわ。あたしを、便利に使って」
 ささやかな、謎。怪談と呼ぶには、他愛もない自分の行動。
 でも、自分の内側へ勝手に『不思議』が忍び込むのは、許せない。受け入れられない。
「本当に、冗談じゃない」
 こんな鏡、叩き割ってやろうか。
 拳を振り上げて、ふと、透己は考える。
 ――こういう厄介ごとは、こういう代物を好む奴に押し付けてやれば好い。
 自分の思い付きにひとつ頷き、透己はすたすたと、図書館ではない方向へ歩き始めた。

       ◆◇ ◆◇◆ ◇◆

 つい先日、ひょんなことで知り合った下級生を見付け、羽角悠宇は手を振った。
 名前を呼ぶと、彼女はぴたりと足を止め、くるりと振り返る。
 ――やばかったかな。
 あんまりにも『好都合!』と云わんばかりの満開の笑みに、悠宇は一歩、引き下がる。
「こんにちは、先輩。なにか、お急ぎですか?」
 前回は終始一貫、無愛想だったのに、今日は愛想の大売出し。ますます、気持ちが引いていく。
「ああ……いや、別に」
「そう。つまりは、いま、先輩はお閑ってことですか?」
 駄目押しのように、また笑顔。
 返事を待たず、ぐい、と腕を掴まれたのが、決定打だった。
「じゃあ、ちょっと付き合って貰えますよね?」


 悠宇が新見透己に引き摺られて、行き当たったのは学園内のミルクホールだった。
 ご丁寧にコーヒーまで差し出され、向かい合わせに座らせられる。
 放課後とは云え、まだ日は落ちず、暖かい日差しが大きく取られた窓から差し込んでいる。教科書を広げ予習復習と勤しむ学生や、お喋りに花を咲かせる女生徒で、館内は六割ほどの客入りだった。
「先日は、どうもありがとうございました」
 今更、付け足すように透己が頭を下げる。
「で、今回はなんだって?」
 先を制して、悠宇は云う。
「流石、話が早い」
 泡立ちミルクたっぷりのカフェラテに口を付けて、しれっと透己は返す。
 簡単に、透己は事情を説明する。唄を唄わせる鏡。知らないメロディ。曇ったアンティーク。聞き終えて、初めに口に付いた言葉は、
「唄くらいでなにを目くじら立てるんだか……」
 だった。透己は、きりりと眉を吊り上げる。
「先輩は音楽お好きだったりするから、音痴のココロがわからないんです。唄いたくない人間に唄を唄わせるなんて、こんなの、まるで新人OLにデュエットを迫る中年上司みたいじゃないですか」
「それ、訳わからないから」
「じゃあ、自分の内側にがすがす手を突っ込まれて、好きに動かされる感じ。あたしはあたしのものなのに、すっごい不愉快だと思いませんか?」
 ばん、とテーブルを拳で叩く。随分と煮詰まっている。面白いような、哀れなような。
 時計を見ると、まだ四時数分前。元々、彼女のレッスンが終わるのを待つつもりだった悠宇には、たっぷり時間が残されている。そう、気紛れに、少しばかり後輩に付き合う程度には。
 頷こうとして、悠宇は、歩いてくる女性に気付いた。
「羽角くん」
 艶っぽく、華やか美女が悠宇を呼ぶ。すっと、透己の顔から表情が消えた。
「響先生。どうしたんですか?」
 息を切らせて走ってきた響カスミに、悠宇は席を勧める。首を振って、カスミは長い髪をかき上げた。
「彼女、捜しているのよ。ちょっとレッスン室、手違いがあって変更になったの」
「あいつなら、もう行きましたけど」
「そう、わかった。ありがとう」
 踵を返そうとして、悪戯心か、カスミは付け加える。
「こんなところで、他の女の子とお茶しているなんて、羽角くんも隅に置けないわね」
「センセイのお好きなバケモノ話をしているんですよ、響センセイ」
 置き去りにされていた透己が、意地悪く唇を歪める。はっきりと、カスミの顔色が蒼白になった。強張った口許に、福笑いの笑みを乗せた感じ。
「一緒にお話をしていきませんか? センセイ」
「おい、透己」
 新見透己は、慣れない人間にはまず、攻撃からスタートする性質らしい。それを感じ取って、悠宇は彼女を遮ろうとする。なにせ、『バケモノ』の単語ひとつで、カスミは卒倒寸前、この世の終わりのように立ち竦んでいるのだから。
「先生。あいつ、きっと待っていますから、早く行ってやって下さい」
「そ……そうね……」
 かたかたと震えながら、カスミが後退る。
「カスミ様?」
 それを、また遮る人間が、ひとり。
「どうなさいました? 顔色が、好ろしくないようですが」
「ああ……鹿沼さん」
 なんとなく、ほっとした様子を見せて、カスミは大きく肩で息をする。そしてふと、気付いたように言葉を繋げた。
「ねえ、鹿沼さんはなんて云うのかしら、あの……ちょっと変わった感じのこと、解決したりするの、得意よね?」
 怪奇現象のカの字も口にせぬよう、苦心の跡が見受けられる発言に、たおやかな物腰の女性が柔らかく、カスミを安心させるように微笑む。
 学校と云う十代男女の放牧場に、不似合いな佳人。悠宇もついつい、見蕩れてしまう。
「まあ……得意と云う訳では、ありませんわ」
「でも、得意よね!」
 カスミは既に話を聞いていない。開いている椅子を彼女に押し付けて、さっと身を翻す。
「その子たちの、相談に乗ってあげて。宜しく、じゃあ」
 脱兎の勢いで、走り去る。呆然としたのは、後に残された生徒ふたりと、謎の美女。
「取り敢えず……自己紹介から参りましょうか?」
 困ったように、上品美人は小首を傾げた。


 そして数分後、件の踊り場で悠宇と鹿沼・デルフェスはふたり、鏡を覗き込んでいた。
 透己の姿は、ない。鏡の前で一曲、歯軋りしながら唄い上げ、悪態をつきながらさっさと退場した。云うものの、完全に立ち去る気もならないから、ミルクホールで待つつもりらしい。そこまで嫌がることはないのに、と悠宇は思ったりもする。
「随分と、古い品ですのね……。でも、丁寧な細工ですわ」
 デルフェスが嘆息する。
 云われてみれば、硝子製の鏡は曇ってはいるものの、濁った鏡面を縁取る金銀の彫刻に、ところどころ貴石がひかる。アンティークショップで何十万の値札が貼られていても、おかしくない貫禄ある品だった。
「誰が、こんな場所に持ち込んだんだか」
 悠宇はデルフェスに向き直る。
「デルフェスさん、俺は誰がここにこんなもん、置き去りにしたのか訊いてみる。デルフェスさんは、こういうものの専門家なんだよな? 鏡自体を、調べてくれないか?」
「かしこまりましたわ、悠宇様。では、取り敢えず二手に分かれましょう」
「……なんとなく、様付けは止めて欲しいんだけど」
「わかりましたわ、悠宇様」
「もう、好いよ」
 がっくりと、悠宇が肩を落とす。
 にっこりと、デルフェスは微笑んだ。


 ミルクホールでは、恨めしげな顔をした透己がアイスココアのストローを噛んでいた。
 彼女と連れ立ち、向かったのは準備室棟。神聖都学園には、変人教師も多い。そのどれかがあの鏡を仕入れ、適当に放置していたと云うのも、ありがちな話だ。
「歴史か、美術か。どっちだと思う?」
「じゃあ、世界史に一票投じましょう」
 話しながら叩いたのは、史学準備室の扉。いまは中学高校日本史世界史合わせて、四〜五人の教師がいるはずだった。
「失礼します」
 悠宇が声を掛ける。内側からの答えは、ひとり分。
 引き戸を開けてみると、窓際のデスクに足を預け、三十代と思しき教師がひとり、煙草を吹かしていた。余り、見覚えのない教師だった。
「おう、どうした?」
「ちょっと、質問があって来ました」
「話、長くなるんなら、どこかに座れや。見下ろされるのは、嫌いだ」
 ぽい、と投げ出すように云う。言葉に甘えて、悠宇と透己は開いた教師の椅子をずるずる引き摺ってくる。
「図書館脇の教室棟、奥の踊り場にある鏡について、なにかご存知ありませんか?」
「ぁあ? ああ、あれね。えらい凝った、アンティークの鏡。昔このガッコの美術史のセンセが、置いてった奴」
「それです、多分」
 取り敢えず、悠宇は頷く。
「あれ……なんだっけなあ。奴が海外研修に行ったときに買ってきたんだと思うぜ。最初はすっげえ好い買い物したって喜んでいたのに、少し経ったら、家に置いておくの気味悪いって云って学校に持ち込んだんだよ。で、踊り場行き」
 喫っていた煙草を揉み消して、けけけ、とその教師は笑う。
「気味が悪いって?」
 透己が、今度は問いを重ねる。
「変な夢を見るんだとさ。若い女がふたり、云い争いをしている夢。普通の女の口喧嘩だってうんざりなのに、幽霊の諍いまで聞かされちゃげんなりだよな。俺も好くわかる」
 それらしく、教師は頷いた。


 一方、デルフェスは踊り場に座り込み、そっと曇った鏡に触れた。
 好く見てみると、鏡面に長い傷があった。鋭く刻まれた直線の傷が、三本。まるで――人間の爪で引っかいたような軌跡。
 すっと、指でなぞってみる。そこから、なにかを感じ取れればと思う。
「無理ですわね……」
 知らず、苦笑する。デルフェスは、真銀製の人形――血の通わぬ無機物だ。柔らかい、曖昧なひとのこころの在り様を、興味深いと思う。いとおしいとも思う。だがそれは、己の内側に存在しないものに対する、純粋な好奇心に過ぎない。
 ひとの狂気も激情も、理解しようにもし切れない。紛い物の真銀の肢体に、熱が生まれないように。
「それにしても、この鏡……」
 じっと鏡を見ているうちに、気付いた。この鏡は、完璧に左右、同じもので構成されている。左右対称、と云うわけではない。右側に紅玉の果実がふたつ生っていれば、左側には碧玉の果実がやはりふたり、垂れ下がっている。宝石の数は全く同じ、だけど意匠が違う。それを見ているうちに、これはどうやら、ふたりの人間が共有するために作られた鏡なのでは、と考え始めた。
 同じ年頃の、同じ顔立ちの姉妹。彼女らが喧嘩しないよう、同じだけのものを与える父母。その延長線上にこの鏡がある。そんな気がする。
 右側から姉が顔を覗かせれば、左側から妹が髪を梳る。そんな微笑ましい風景が想像できた。もしかしたら――デルフェスの身体のモデルとなった王女も、そんな生活を送っていたのかも知れない。
 愛される少女たちのために作られた品。それが何故、こんな場所で埃を被っているのだろうか。
「鹿沼さん」
 ハイヒールの音に、デルフェスは振り返った。
「さっきは、ごめんなさい。失礼をしちゃって」
「好いですわ。気にしておりません」
 片手で拝む響カスミに、鷹揚にデルフェスは微笑む。
「さっきの子たち、この鏡のこと云っていたのね」
「この鏡のことを、ご存知だったのですか? カスミ様」
「ええ」
 少しばかり引き攣った顔で、それでも余裕を繕ってカスミが頷く。
「昔、同僚に聞いたことがあるの。そのひと、海外研修のときに骨董屋で曰くありげな鏡を見付けたんですって。店の主人が云うことには、なんでも、その鏡はヨーロッパのどこかの国のふたりの王女のために作られたものだったらしいの。ふたりはとても仲の好い姉妹だったんだけど、妙齢になった頃、ひょんなことから仲違い。ふたりのために作られた鏡も売りに出されてしまったんだそうよ。それを同僚が手に入れて、ここにあるって寸法」
「何故、その方はご自宅に置かれなかったんですか?」
 デルフェスの問いに、カスミは声を潜める。
「部屋に置いておくと、ふたりの女が云い争う声が聞こえるんですって。それと、音楽」
「……亡き王女のための、孔雀舞」
 ――永遠に失われた姫君のための、哀歌。
「そう! ……聴こえたの?」
 さっと、カスミが顔色を変えた。慌てて、デルフェスは首を振る。
「いいえ。別に」
 この鏡から直接聴いたわけではないから、嘘ではあるまい。そう自分に云い聞かせる。人間のためにつくられたミスリルゴーレムは、その特性ゆえに、嘘が余り得意ではなかった。
「そうよね? 私、ここ、好く使うけど一度も! 聴いたことないもの」
 力強く、カスミは云う。どうやら、この場所はカスミにとって、怪奇現象不在の証であるらしい。いかにも怪しい鏡がただの曇った鏡である限り、カスミにとって不可解なことは存在しないままでいられる。
「そうですか……」
 デルフェスは苦笑する。このひとは、目の前にいるデルフェス自身が不思議の結晶だと知ったら、どうするだろうか。
 偽るつもりではなく、偽っている気になる。微かな、罪悪感。
 暗い思考に囚われそうになったデルフェスの耳に、微かな唄声が届いた。
 ひく、とカスミの喉が鳴る。
「……これって……」
 さっと、面白いほどあからさまに、カスミの様子が変わる。
 そうしている間に、どんどん唄声が大きくなる。
 哀切な響き。もどかしい切なさは、知ったもの。
 ――亡き王女のための孔雀舞。
「きゃああああッ」
 ぱったり、カスミが崩れ落ちる。慌ててそれを支えながら、デルフェスは軽く声の主を睨んだ。
「わざとですね? 悠宇様……透己様」
 なんとも云えない渋い顔をした悠宇と、舌を出した透己が、階段を下りてきた。


 カスミを引き摺って、透己は保健室へ行った。意外な馬力を発揮して、カスミを背負った透己を見送る。
 曇った鏡の前に立つ。白濁りした鏡面に輝きはなく、佇むデルフェスも悠宇も、曖昧にしか映し出さない。
「なにも映さずに、なにかを抱え込んでいるのかな」
 ぼんやりと、悠宇は呟く。デルフェスはそっと、指先で鏡面に触れた。
「この鏡を石化します。そして、異物だけを練成します。すなわち――唄う、要素を。そうすれば、唄は吐き出され、鏡は声を失いましょう」
「そんなことが出来るのかよ?」
「ええ。お任せ下さい」
 優雅に、デルフェスは微笑む。鏡に接した指先から、白銀色のひかりが零れる。
 綺麗だけど、冷たいひかり。なんとなく、デルフェス自身に似ていた。
 ぴきぴきと、鏡が悲鳴のような細かな音を立てる。すっと、デルフェスの細い指が、完全に石化した鏡面から、なにかを引き摺り出した。
 その、瞬間。
 響いたのは、鋭い破裂音。
「きゃあッ」
 鏡が内側から爆ぜて、デルフェスが吹き飛ばされた。
 とっさに、悠宇はデルフェスの腕を掴む。一緒に勢いに流されて、踊り場から弾き飛ばされる。
 悠宇は、息を詰める。頬を、破片が抉っていった。
「……あ」
 デルフェスが、驚きの声を上げた。不自然なほど歪みのない、端正な顔立ちに似合わぬ、生身じみた声。
 ふんわりと、悠宇に掴まれた身体が、宙を浮いている。
 そのまま、階段の下に軟着陸。悠宇の顔を見れば、全く平然としている。
「凄いことが、お出来になるんですね」
「おまえの方が、凄い」
 ぼそりと、悠宇が呟く。子供っぽく、少しばかり、悔しそうに。
「とんでもありませんわ」
 デルフェスは、首を振る。
 踊り場に戻ってみれば、鏡は粉々になっていた。靴底でじゃりじゃりと破片を踏み潰しながら、近付く。
「これを、練成できました」
 デルフェスの手のなかには、小さな、冷たい感触が残されていた。
 それは、手のひらにすっぽり収まる、陶器の人形――否、オルゴールだった。
 リャドロを思い出させる、柔らかなフォルム。幼い少女がふたり、向かい合わせに両手を繋ぎ、愉しそうに踊る姿がかたちづくられている。
 台座には、銀色の螺子があった。巻いてみると、優しい音がする。耳に馴染んだ旋律――亡き王女のための孔雀舞。
 甘い、記憶。おそらくは、ふたりの姫君が互いを想い合っている頃の緩んだ空気。
 そっと、悠宇も手を伸ばす。やさしく、硬い陶器の髪に触れた。
 すると、かそけき、いまにも溶けてしまいそうな囁きが、ほんのり、空気を振るわせた。
『ごめんなさい。……お姉さま、ごめんなさい』
 それだけで、ふっと掻き消える。耳を澄ましてももう二度と拾えない、掠れた囁き。
 なにがふたりの姉妹を破綻させたのかは、想像するしかない。だけど、痛みはずっと残り、鏡の陰にこびり付いていた。
 壊れて、砕けて、散ったことが果たして、彼女らの救済になったのだろうか。
 窓からは、斜めに翳り始めた日のひかりが落ちる。
 デルフェスは、そっとかがんで硝子のかけらを拾い上げた。
「……私は、間違っていたのでしょうか」
 ものが、壊れる瞬間。失われることにつきものの、取り返しの付かない切なさ。
 ずっと抱えていた情を奪われた所為で、この鏡は死んでしまった。そんな気がする。
「ずっと、このまま、唄わせてあげておけば好かったのでしょうか」
 握り込んだ陶器の人形が、重い。
 所詮、デルフェスも紛い物だ。己の行動全てが正しいとは、思えない。
 だから、足掻く。だから、術を使い続ける。そして、また後悔する。
 繰り返し、繰り返す。
「そんなこと、ないだろ」
 嫌にはっきりとした声で、悠宇がデルフェスの思考の迷路を断ち切った。
「この鏡だって、そんな哀しいことばかり見続けたいなんて、絶対に思っていなかった。このふたりだって、そんなもの、ずっとこの世に残しておきたいなんて思っていなかった。絶対に、そうだ」
 まるで全ての真実が見抜けるかのような、強い眸で悠宇が割れた鏡を見詰める。
 もしかしたら、見えているのかも知れない。自分の意思で、自分の真実を見付けると、決めているのなら。
 眩しいような気持ちで、デルフェスは悠宇を見た。
「なあ」
 少しばかり砕けた口調で、悠宇が云う。
「デルフェスさん、アンティークショップのひとだよな?」
「ええ……蓮様のところに、置いて頂いております」
「なら、アンティークの修理も、受けて貰えるかな?」
「……もちろん」
 にやりと、悠宇が笑う。とびきりの悪巧みを思い付いた、子供のように嘯く。
「かなり古い、アンティークの鏡。鏡面だけ割れちまったけど、めちゃくちゃ好い細工物の外枠は無事。新しい鏡を入れれば、また、なにかが映し出せる。そう思わないか?」
 遠い昔、不幸を封じ込めて濁った鏡が、新しい眸を得て、誰かの笑みを映し出す。
 凝った時間が、動き出す。
 それは、とても幸福な想像だ。
 デルフェスは、にっこりと微笑んだ。
「もちろん、お引き受け致します」


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3525 / 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生】

【2181 / 鹿沼・デルフェス / 女性 / 463歳 / アンティークショップ・レンの店員】

【NPC1859 / 新見・透己 / 女性 / 16歳 / 高校生】


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■         ライター通信          ■
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この度はご発注、ありがとうございました。カツラギカヤです。このようなかたちの結末となりましたが、如何でしょうか? 少しでも、驚いて頂いたり、なにかがあればと思います。

● 羽角様…二度目のご発注、ありがとうございました。能力について余り描くことが出来ずに、大変申し訳ありません。その代わり、元気で明るくて、ぽっと火が灯るような性格を前面に!と思って描きました。

● 鹿沼様…先日はメールを頂き、ありがとうございました。重ねて、ご発注頂きありがとうございます。ミスリル製ゴーレム、と云うことで、こんな葛藤があるんじゃないかな、と想像しつつ描きました。少しでも、琴線に触れるものがあれば、嬉しいです。

繰り返しになりますが、この度はご発注、ありがとうございました。またぜひ、機会がありましたら宜しくお願いします。