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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


託された手紙

 虎太郎はただ一度だけ、あれと出会ったことがある。
 すれ違っただけのような、ほんの数秒の邂逅。
 今の樹沙羅は樹沙羅だろうか……。それとも、もうひとつの人格でいるのだろうか。
 急ぐ必要はあるが、焦っても良い結果は生まれない。そんなことはよくわかっている。
 だがどうしても、焦らずにはいられなくて……。
 だから虎太郎は過去を思う。樹沙羅のこと思いだし再確認することで、少しでもこの焦りを抑えるために。


† † †


 その日も常と同じように、虎太郎は剣客のところを――正確には、そこに居る樹沙羅を訪ねた。
 だが穏やかな山の空気は剣客の家に近づいた途端に一変した。
 僅かではあるが、外からでも確実に分かる血臭。
 と同時に、周囲には剣客のものとも樹沙羅のものとも違う気配が漂っている。
 殺気と言うにはその気配はあまりにも広範囲に向けられていた。まるで、殺しを楽しんでいるような……。
 異様な気配に思わず歩みを止めていた虎太郎は、ハッと我に返って慌てて剣客の小屋へと駆け出した。
「大丈夫ですか!?」
 ノックをする余裕など当然なく、声とともにガラリと乱暴に扉を開ける。
 瞬間。
 視界に飛びこんできたのは、床一面に広がる赤い色。
 血、だった。
 その中心近くに倒れているのは、虎太郎が良く知る人物にしてこの家の主である剣客だった。
 とにかく応急処置をと思って名を呼ぶと、剣客は弱々しくながらも瞳を開けた。
 そして聞き取るのもやっとの細い声で告げた。
 樹沙羅を――と。
「……樹沙羅?」
 自分で思っていたよりも気が動転していたらしい。確かにこの家の中に樹沙羅がいない。
「樹沙羅が……危、ない……」
 一瞬、迷った。
 彼をここにこのまま放っておくわけにはいかないし、樹沙羅は外で大怪我をしているかもしれない。
 しかし迷ったのは一瞬だけ。
「わかりました、すぐに探しに行きます」
 冷静になって見てみれば、剣客の怪我は酷く、応急処置程度でどうにかなるものではなかったのだ。
 それでもせめてと簡単な止血だけして、虎太郎は小屋の外へと飛び出した。


 ……あの異様な気配は、薄く漂うようにこの周囲に満ちていた。
 多分これが、剣客と樹沙羅を襲った者の気配なのだろうと予測して、油断できない相手だと自らを戒める。
 樹沙羅の気配を辿ることができれば一番早いのだが、漂う気配に邪魔されてそれは難しそうだった。
「……くそっ!」
 急がなければ手遅れになってしまうかもしれないのに。
 樹沙羅の無事を祈りながら、小屋の周辺から外へ外へと探索を開始する。
 大声を出そうかと思い、けれど敵に知れたらかえって樹沙羅を危険に晒すかもしれないと考えなおす。
 地道に探すには山には障害物が多く、また、気配で探そうにも、満ちる気配が邪魔をする。
 殺気に良く似た、けれど妙に楽しそうな気配。
 それは最初に感じた時と変わらず、虎太郎の背筋に寒気を覚えさせた。
 そうしてどれくらいの時間、駆けまわっていただろう。
 ふいに虎太郎は、繁みの向こうに強い殺気を感じて立ち止まった。
 そこに樹沙羅の気配はない。
 樹沙羅は無事に逃げ延びて別の場所にいるのか、別の場所で被害を受けたあとなのか、それとも……。
 考えたくはないが、その場にいるけれど大怪我をしていて意識がないなどという可能性もある。
 虎太郎は一瞬にしていくつもの可能性を頭に浮かべ、そのどれであっても対処できるよう対応を巡らせた。
 そして、ゆっくりと。
 繁みの向こうへと姿を見せる――瞬間、
「樹沙羅!」
 虎太郎は思わず声をあげていた。
 目の前には樹沙羅の姿がある。
 けれど虎太郎は、それが樹沙羅ではないこともわかっていた。
 あまりにも、違いすぎる。
 外見ではなく中身が。
 ゆっくりと、彼女が振り向く。虎太郎の印象が正しいことを示すかのように、その気配が明らかになる。
 ……彼女の表情は、明らかに樹沙羅のそれとは違っていた。
 いや、表情だけではない。
 ニィッっと笑ったその笑み、気配。
 目が合った瞬間、彼女は狂気の瞳で虎太郎を眺めて手にしていた刀に舌を這わせた。
 血を舐め取るような仕草ののち、フッと彼女は舌なめずりをして、そして。
 決して素人ではない、数々の修羅場をくぐってきた虎太郎を一瞬でも圧倒するようなすさまじい殺気を向けてきた。

 ……虎太郎は、動くことができなかった。

 殺気に怯えたわけではない。
 彼女の狂気の瞳を怖れたわけではない。
 彼女を止めるには、本気で殺り合わなければならないと直観的に気付いてしまったから、動けなかった。
 彼女は樹沙羅ではないけれど、彼女は確かに樹沙羅だった。
 気配が違っていても。
 表情が違っていても。
 同じなのは姿だけだけれど。
 それでも、勘が、目の前の彼女が樹沙羅であると告げている。

 しばし虎太郎を見つめていた彼女は、唐突に視線を逸らし、つまらなそうに一瞥をくれた。
 くるりと虎太郎に背を向けて、繁みの向こう、森の奥へと入って行く。
 ……追いかけることは、できなかった。


† † †


 あの時の印象が間違っていたとは言わない。
 少なくとも、手加減して勝てる相手ではなかった。
 だが。
 虎太郎は、あの時剣客に託された手紙を見つめる。
 託された手紙には、樹沙羅についてのことが書かれていた。

 剣客が樹沙羅の両親とともに仕事をしていた事。
 そのせいで両親はとある殺し屋に恨まれ殺されたこと。
 その現場を目撃したショックで、樹沙羅に狂暴な人格が生まれたこと。
 殺し屋は剣客が捕らえて警察に引き渡し、その後剣客が樹沙羅を引き取ったこと。
 裏の人格を抑えながらずっと育ててきたということ。

 その手紙は、自分に何かがあったら樹沙羅を頼むと――そんな言葉で結ばれていた。

「大丈夫……きっと、取り戻せるから」
 もう中身を読むまでもなく、手紙の中身は綺麗に暗記してしまっている。
 それくらい、何度も読んだ手紙であった。
 ふっと気を取りなおして手紙を仕舞い、虎太郎は窓の外を眺めた。

 月は、もうずいぶんと地平線に近い位置まで下がっている。
 明日のことを考えるなら、そろそろ眠らなければならないだろう。