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<東京怪談ノベル(シングル)>


入れ子(前編)
「ほんま、今日はついてへんなぁ」
 しみじみとそうつぶやいて、松山華蓮は大きなため息をついた。

 昨日の夜、陰陽師としての仕事が予想以上に長引いたのが、ケチのつきはじめである。
 そのせいで、今朝はうっかり寝過ごして、急いだのにタッチの差で遅刻した。
 寝不足でイライラしていたせいか、友達と些細なことでケンカした。
 昼食に購買で買った新発売のパンは大ハズレで、これ以上ないほどマズかった。
 そしてとどめに、午後の数学の授業ではうっかり眠ってしまって、見つかって、怒られて、恥をかいた。
 悪いことは重なるとよく言われるが、さすがにこれだけ重なったことは記憶にない。

「こんな日は、はよ帰って寝るに限るわ」
 そうは思っても、浮かない気分に引きずられるように、自然に足は重くなり、視線はうつむきがちになる。

 そんな彼女の視界に、不意に、真っ赤な空き缶が飛び込んできた。
 道化師の顔が描かれている、あまり見たことのない缶だ。
(こんなん、この辺にあったやろか)
 少し興味を引かれて、華蓮はふと足を止めた。
 眺めていると、次第に道化師が自分を笑っているように見えてきて、何となく腹が立ってくる。
「なんや、これ。腹立つなぁ」
 そう一言吐き捨てて、華蓮は足下の缶を思い切り蹴飛ばした。
 しかし、缶はまっすぐ前には飛ばず、斜め前にふらふらと飛ぶと、電信柱に当たって後ろに跳ね返っていってしまう。
「ほんま、ついてへんなぁ」
 たかが空き缶一つすら、思い通りにはならないのか。
 華蓮がもう一度大きなため息をついた、ちょうどその時だった。

「お嬢さん」
 後ろから聞こえてきた声に、華蓮は反射的に振り返る。
 声の主は、真っ白なスーツに某戦闘サイボーグばりのサングラスという、ものすごくうさんくさい格好をした男だった。
「お嬢さん、だいぶイライラしてますねぇ」
 苦笑する男を、華蓮は軽くにらみつける。
「なんや、あんた。あんたに関係ないやろ」
 格好悪いところを見られて気まずいのが半分、あまりにも怪しすぎるので関わり合いになりたくないのが半分。
 いずれにせよ、早くどこかへ行ってほしかった。
 ところが、男は華蓮のぶっきらぼうな態度など一切意に介さず、表情一つ変えずにこう続ける。
「まあまあ、そうおっしゃらず。
 実は、一ついいストレス解消方法があるんですが、どうですか?」
 うさんくさい奴の、うさんくさい話。うさんくささの二乗である。
「どうせ、金がかかるか、身体に悪いか、法律に違反してるか、やろ。
 だいたい、あんたみたいな怪しさの固まりにそんなこと言われたかて、はいそうですかとついてくヤツなんかきょうび一人もおらんで」
 腹立ち紛れに、華蓮はきっぱりとそう言いはなった。
 これだけ言えば、さすがにこの男も引き下がるだろう。

 けれども、男は引き下がるどころか、むしろその言葉を待っていたかのように、嬉々としてこう答えたのである。
「お金もかかりませんし、身体に悪くもありません。もちろん法に触れることもありません。
 必要なのはちょっとの時間と好奇心だけです」
 さらに、華蓮があっけにとられている間に、おどけた仕草でサングラスを外す。
 サングラスの下から現れた瞳は、まるで少年のような無邪気な輝きをたたえていた。
「怪しさの方もこれで少しは何とかなったでしょうし、話くらい聞いてくれる気になりました?」
 気がつくと、華蓮は首を縦に振っていた。





 男に案内されてきたのは、近くのビルの一室だった。
 広さは和室に換算して八畳、いや、その倍の十六畳くらいはあるだろうか。
 それだけの広さがあるのに、窓もなければ、机や椅子の類も一切ない。
 あるのは、天井にぶら下がっている明かりと、部屋の真ん中に置かれた巨大なジオラマだけだった。

 ジオラマは、この周辺をどこまでも正確に再現したものだった。
 どういう仕掛けかはわからないが、電車も車も動いているし、窓やドアなどの細かいところもちゃんとできている。
 それどころか、ビルの中をのぞいてみると、中の机や椅子まで精密に作られていた。
 考えようによっては、これを見られただけでもこの男についてきた価値はあるかもしれない。

 一通り観察してから、華蓮は改めてこう尋ねた。
「ずいぶんとようできたジオラマやな。で、これでどうやってストレス解消するん?」
 その問いに、男はあっさりとこう答える。
「壊すんですよ」
 これは、全く予想もしていなかった答えだった。
「あなたはこの街で生きている。
 そして、あなたはストレスを感じている。
 ということは、そのストレスの原因のほとんどは、この街のどこかにあると考えられます。
 それなら、そのストレスの原因となっているものを壊してしまえば、ストレスもなくなるんじゃないですか?」
 確かに、男の言うことはそれなりに筋が通っている。
 自分のストレスのもととなっているものを、自分の手で壊すことができたなら。
 例えそれが模型であるとしても、悪い気はしないだろう。

 だが。
「それは楽しそうやけど……これ、ほんまに壊してええの?」
 目の前にあるミニチュアの街は、壊すにはあまりにも精巧にできすぎている。
 相当の手間かお金がかかっているのはほぼ間違いないだろう。
 それを、本当に壊してしまっていいものなのだろうか?
「もちろん。心配しなくても、後でお金を払えなんて言いませんから」
 男はそう言っているが、やはり、引っかかるものはある。

 とはいえ、せっかく壊していいと言っているのだから、壊さない手はない。
 一応、途中で男の気が変わるかもしれないから、最初からあまり大きく壊すのはやめておこう。
 そのくらいに考えて、華蓮は適当な標的を探した。
 先ほどの男の言葉のせいもあってか、自然と自分が普段行く場所に目がいく。
 自宅、学校……そして、通学途中にいつも通る、あの交差点。
 今朝は、急いでいたのに、ここの信号に足止めを食わされて、遅刻した。
 あの時信号が赤にならなければ、遅刻なんかしなかったのに。
「遅刻したんは、こいつのせいや」
 小さな小さな信号機を、指で軽く小突く。
 すると、信号は根元からぽきりと折れた。
 本当に軽く突っついただけなのに、あっさりと折れて、近くにいた車の上に倒れた。

 あまりの脆さに、華蓮はしばし呆気にとられた。
 精密に作られた信号機はどこまでもリアルで、まるで本物が壊れてしまったかのように思える。
 いつもいつも、彼女を頭上から見下ろしていたあの信号機。
 それが、こんなにも簡単に折れてしまうなんて。

「楽しいでしょう?」
 男の声で、華蓮は我に返った。
 言われてみれば、確かに楽しい。
「せやな。なかなかええ感じや」
「中へ入って、もっと景気よく壊したら、もっともっと楽しいと思いますよ」
 気が変わるどころか、むしろけしかけるようなことを言う男。
 その言葉を拒否する理由は、華蓮にはなかった。

 靴を脱いでジオラマの脇に置き、先ほどの交差点の近くに、ゆっくりと足を下ろす。
 下敷きになった建物が、まるでお菓子の空き箱のようにあっけなく潰れていく。
 その感触を楽しみながら、華蓮は改めて眼下に広がるジオラマの街を見下ろした。

 まるで、神様にでもなったかのような気分だった。
 遙かな高みからこの世界を見下ろし、天罰を下す神様に。





 まずは、ケンカした友達の家。
「あんな言い方したうちも悪かったかもしれへんけど、あいつもあいつや」
 周囲の建物もろとも、思い切り踏みつぶす。

 彼女は、もう家に帰っているだろうか。
 それとも、まだ学校に残っているのだろうか。
 もしそうなら、帰ってきた彼女はどんな顔をするだろう。
 
 次は、あのパン工場。
「あのマズいパン作っとった工場はここやな。潰したるわ」
 かがみ込んで、豆粒ほどのパン工場に、平手を振り下ろす。

 工場も、周りの家も、全てぺしゃんこだ。
 こんな大惨事の原因が、たった一つのマズいパンだとは、まさか誰も思わないだろう。

 それから、数学教師の家。
「少しうとうとしとっただけやのに、あんな大声出しくさって、ようもさらし者にしてくれたな」
 小さな小さな家を、なるべく壊さないようにつまみ上げ、ある程度の高さまで持ち上げてから、ひと思いに潰す。

 あの高さまで持ち上げたら、きっと学校からも見えただろう。
 自分の家が巨大な指につまみ上げられ、そして押しつぶされる様を、あの先公はどんな思いで見たのだろう?

 一つ、一つ、潰すごとに。
 一つ、一つ、心の中のもやもやが、ぱあっと晴れていく。

 それと同時に、奇妙な快感が華蓮の心の中に生まれ始めていた。
 さっきまでの自分は、たかが空き缶一つすら思い通りにはならなかったのに。
 今の自分には、思い通りにならないものなんかない。

 少しでも気に入らないものは、みんな壊してしまえばいい。
 少なくとも、今の自分には、そうするだけの力がある。

「だいたい、何で学校行くのにこんな遠回りせなあかんのや」
「あー、もう面倒くさい。学校なんかいらんわ」

 だんだんと、破壊する理由が希薄になっていく。
 それでも、町を破壊することによって感じる快感は、弱まるどころかどんどん強くなっていた。

 もっと。
 もっと壊したい。

 理由なんかいらない。
 壊したいから壊す。それだけ。
 今の自分には、その自由がある。

 そう考えたとき、心の中で、何かが弾けた。





 あとは、文字通り手当たり次第の破壊があっただけだった。
 オフィスビルを踏みつぶし、マンションを蹴り倒し、電車を振り回し、小さな車をまとめて叩きつぶす。
 そのたびに、そこにいるはずの人々の姿が脳裏をよぎった。

 これが現実なら。
 これが本当の街なら。

 物を壊す。人を殺す。やってはいけないこと。わかっている。
 けれども、ここでは全てが許される。ジオラマだから。人などどこにもいないから。
 それでも、極限まで精巧に作られたジオラマは、そこに暮らしているはずの人々の姿を想起させずにはおかない。

 ここには破壊の快感と、最大の禁忌を犯す快感だけがあり、罪悪感や後ろめたさなどは全くない。
 破壊と殺戮という行為の快感だけを抽出したもの、と言ってもいいだろう。

 まさに、それは至高の快楽と呼んでもいいほどのものだった。





 気がつくと、ジオラマの街は全壊していた。
 原形を止めている建物など、一つたりともありはしない。
「これ、ほんまにうちがやったんやなぁ」
 廃墟と化した街を見下ろして感じるのは、奇妙な満足感と達成感。
 例えどんな災害がこようと、ここまで見事に壊れることはあるまい。
「楽しかったでしょう?」
 にこやかに尋ねる男に、華蓮は心からこう答えた。
「ほんますっきりしたわ。おおきに」

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<<ライターより>>

 撓場秀武です。
 他の方々の作品を意識して、あえてそれとは違った方向で書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?
 直球というより若干変化球気味になってしまった感はありますが、まあ、何とかストライクゾーンに入っていてくれればいいなあと。
 ともあれ、もし何かありましたら、ご遠慮なくお知らせいただけると幸いです。