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<東京怪談・PCゲームノベル>


あちこちどーちゅーき -Music Underground New York-


    01 prologue

 バックパック一つ背負って全国津々浦々、今回は足を伸ばして海の向こうまで。
 乗り換え駅は、様々な線が乗り入れるグランド・セントラル・ターミナル。
 アップタウン・アンド・ダウンタウン、オレンジ色のメトロカードがあれば、シティで行けない場所なんてない。
 ひっきりなしにやって来ては去っていく、シルバーボディの地下鉄。
 薄暗いホームを照らすヘッドライトに、車輪が枕木を叩くリズミカルな音色が合図。
 地下鉄ミュージシャンのサキソフォンが負けじと唸り、

 ――さて、やって参りました、ニューヨーク。

 天然のさらりとした茶髪に、人柄の良さそうな顔立ちの青年は、ポケットから銀色のコインを取り出した。
「まずは何処に行きますか、と」
 日本語でつぶやき、親指でぴんっと弾いた。
 すとん。25セントコインは、敦己の手に吸い込まれるように落下した。
 彼の手の中では、自由の女神が燦然と松明を掲げていた。敦己は人知れず微笑を浮かべる。
「では、南下で」
 行き先決定。
 4、5番線のどちらかに乗れば、あとはメトロが終点まで彼を連れていってくれる。彼――桐苑敦己を。
 桐苑敦己は二十七歳。のんびりのほほん、何があってもマイペース、のスタンスを崩さずにあちらこちらを渡り歩く旅人だ。
 彼の旅にはあてもなく、これといった目的もない。
 出逢いや、小さな発見や、旅にはつきもののトラブルさえも糧として、北へ南へ、東へ西へ。
 そんな彼の今回の旅先は、アメリカ東海岸、ニューヨーク・シティだ。
 いつもは徒歩で移動するところを、珍しく地下鉄中心にしている。なんていったってニューヨークのメトロと言えば、ストリートミュージシャンの殿堂なのだ。プラットホーム・駅構内問わず、あちこちで音楽家が演奏を披露し、道行く人々が小銭やドル紙幣を彼らの楽器ケースに投げ込んでいく。
 見たこともないような民族楽器を奏でるアジア人あり、ペンキの空バケツを逆さにしてドラム代わりにしてしまう黒人あり。音楽への愛さえあれば、何だってアリのアウンダーグラウンドだ。
 楽器はやらないけれど。敦己は足を止めた。――音楽と、音楽を愛する貴方の魂へ。
 親指で弾いたクォーターは敦己の手の中には落ちず、緩やかな弧を描いて、サキソフォンプレイヤーの楽器ケースに収まった。敦己とそう年の頃が変わらないであろう青年は、明るい笑みを浮かべてThanks! と礼を言った。敦己は片手を上げてそれに答えた。

 さて、と。
 ニューヨーク旅行はまだ始まったばかり。
 今回の旅では、一体どんな出来事が待ち受けているだろう――?


    02 An Old Saxophone

 ニューヨーク・シティを語る上で、外せないものが一つあるとしたら?
 エンパイア・ステート・ビルディングでも、ブロードウェイでも、イエローキャブでも、フードスタンドでも何でもいい。
 けれどここは敢えて、MTAを挙げよう。メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ、すなわちニューヨーク交通支局だ。その中でもとりわけ、地下鉄が果たしている役割は大きい。シティの地下を縦横無尽に走る地下鉄に乗れば、そう、とにかく行けない場所なんてないのである。東京の地下と似たようなもので、アンダーグラウンドが丸ごと一つの世界になっているんじゃないかという状態。
 ところで、旅を生業とする桐苑敦己の主だった交通手段は、実は地下鉄でも自転車でも何でもなく、徒歩である。自分の足で歩くからこその面白さがあるのだ。弊害があるとすれば、「一代で遺産を食い潰すこと」という祖父のありがたい遺言を、当面は果たせそうにないことくらい。
 今回は渡航費の出費がある。市内の移動も、半分は公共の交通機関を利用する予定だ。――が、そもそも観光シーズンを外していたために航空券はさほど高くなく、MTAに至ってはどこへ行くにも一律2ドルなのであった――
「なかなか減らないものですね」
 一度どかんと海外旅行でもすれば、数十万は軽くすっ飛ぶものかと思っていたのだが。
 それこそ世界一周旅行でもしない限り、金なんて簡単には減らないものなのかもしれない、と敦己は思う。連日ブロードウェイで観劇なんていうプランを立てたら、あるいは遺産の減りも早いのかもしれないけれど。
 ――それはさておき、地下鉄である。
 昔に比べて幾分安全になったとは言え、未だに物騒な感は否めない。引っ掻き傷でこさえた窓ガラスのラクガキとか、テーマパークのアトラクションみたいな暗いホームとか、なんというか、全体的に薄汚いのである。
 しかし、洞穴のような灯りのない場所から芸術が生まれるのもまた事実。ここニューヨークの地下は、今にも爆発しそうなポテンシャルを内に隠し持っている。芸術は爆発とかなんとか。
 目的地までは、グランド・セントラル・ターミナルから乗り換えなしで一本。窓の外の景色はないけれど、人種入り乱れる車両は眺めていて飽きない。物の十数分の距離、のはずだったのだが。
「あ――」
 ユニオン・スクウェアに列車が滑り込んだところで、敦己の隣りに座っていた女性が、荷物をスタックに置いたまま降車してしまった。敦己は慌てて荷物を取り上げると、閉まりかけの扉から飛び降りた。
「すいません、あの――」
 敦己は女性の後を追いかける。人波に揉まれて、なかなか前へ進めない。
 女性の波打つような金髪だけが、辛うじて視界に映っている。見失わないようにと目を凝らしつつ、客の間をすり抜ける。
 改札を抜けて、地上へつづく階段を上がる途中、やっとのことで敦己は彼女を捕まえた。
「すいません、これ……」息を切らしながら、重い荷物を差し出す。「電車の中に、忘れていかれましたよ」
 金髪碧眼のアメリカ人女性は、え、と一瞬表情を強張らせた。
 今の英語通じたかな?
 敦己はプラットホームの方向を指差し、身振り手振りで、忘れていった、と英語で繰り返す。
「あ……、どうも、ありがとう」
 女性は弱々しい微笑を浮かべると、敦己の手から荷物を受け取ろうとした。
 したのだが。
 荷物は彼女の手に渡ることなく、がしゃん、と音を立てて落下した。
「ああっ、すみません――」
 階段を転げ落ちていく荷物、ごとんごとんごろごろ、とやけに重い音がする。布の袋から転がり出た黒いケースを見て、
 ――はじめてそれが、何かの楽器であることに敦己は気づいた。
「これ……」
 サックスだろうか?
 階段の半ばにぼんやり棒立ちになり、女性は、何とも言えない顔つきで敦己を見下ろしていた。
「駄目じゃないですか、こんな大事なものを忘れていっちゃ。大丈夫かな、落とした拍子に壊れたりしてないだろうか――」
 慎重に抱え上げると、敦己は今度こそケースを女性に返した。彼女はなぜか困ったような表情を浮かべた。
「……貴方の物ですよね?」
「いいえ、違うの」
 彼女の返答に、敦己のほうこそ困惑してしまう。え? と首を傾げる。
「……もしかして人違いでしたか?」
「違うの」再び否定し、首を横に振る女性。「私の――恋人の楽器なの。先月、死んでしまった」
「え――」
 敦己は目を見開いた。
 楽器ケースを胸に抱え、顔を俯ける女性。その肩が小さく震えている。
 途方に暮れてしまった。
 とにかく、これでは通行人の邪魔になってしまう。地上へ出ましょうと女性を促した。
 女性は、すすり泣いているようだった。


    03 Music Underground New York

「すみません、少し落ち着きました」
 数ブロックに一つはあるドーナツ屋の、奥まった席。
 緩やかに立ち昇る珈琲の湯気の奥で、女性は一つ深呼吸をした。
「いいえ。大丈夫ですか?」
 床に置かれた楽器ケースをちらりと見てから、敦己は女性に視線を戻す。二十歳かそこそこ、まだ学生の域を出ていないような女性は、にこり、と魅力的な微笑を浮かべた。
「大丈夫。優しいんですね」
 あそこで貴方を放ったらかしにしてそのまま去っていく男なんて、男として失格ですよ。なんて考えたが、口には出さなかった。
 ミルクを少量に砂糖を三杯も入れた甘そうな珈琲を、女性はこく、と一口啜る。
 突っ込んだ話はまずいかと思わないでもなかったが、敦己はおそるおそる、訊いた。
「そのサックス……、亡くなった恋人のものだとおっしゃいましたか?」
「ええ」
 女性は頷く。しばし無言。顔をほんの少し俯けて、言葉を探している。口を開きかけ、逡巡の後、何も言わずに鎖してしまう。そんな状態が数分はつづいた。待つことには慣れていたので急かすことはせず、敦己は黙々とドーナツを頬張っていた。
 ――そんな大事なものなら、尚更電車に置き去りにしていくなんておかしい。何か事情があったのかもしれない、と思う。
 窓の外に目をやると、忙しなく人間が車が行き交っていた。
 それにしても、タクシーの比率が高いな。数台に一台はイエローキャブだ。慌しい午後、飛び交う英語に、車の騒音。何かと冷たい印象の付き纏う都会だが、底知れぬパワーを感じさせる何かが、この街にはある。
 道行くニューヨーカー、あるいはそうでない人、一人一人が違う人生を歩んでいる。
 目の前の女性は、そんな都会人の一人だ。何か、とても悲しい出来事を抱えた……
「自殺、してしまったんです」
 彼女の唐突な発言に、敦己はドーナツを喉に詰まらせそうになった。
「じ、自殺?」
 女性は儚げな微笑を口元に刻んだ。床から楽器を取り上げ、膝の上に載せる。愛しげに黒いケースを撫でながら彼女はつづけた、
「……先月の終わり頃、地下鉄の線路に飛び降りて……」
「それは……」
 日本語なら、ご愁傷様です、と言う場面。アイ・アム・ソーリー、で良いのだろうか。どうもしっくり来なくて、敦己は結局何も言うことができない。
「この楽器は、その恋人の……」
 形見です、と消え入りそうな声で、彼女は言った。
「……拝見してもよろしいですか?」
「え?」
「その、楽器」
「あ――、はい」
 敦己はテーブル越しに楽器のケースを受け取った。
 蓋を開けると、少し錆びた金色の、表面に美しい装飾があしらわれたアルト・サックスが姿を現した。
「綺麗な楽器ですね。音楽のことは良くわからないけれど」
 そっと触れる。金属の冷ややかな感触。
 しかし、長く使い込まれたものなのであろう、そこから感じ取れる「何か」は熱い。ニューヨークの街みたいに。魂、だろうか?
「古いものだけど、良く手入れしていたみたいだから……」
「大事なものなんでしょう?」
 それなのに、なぜ?
 女性が口にするのを恐れていたのは、おそらく、その「なぜ」の部分なのだろう。彼女は苦悩するように目を閉じる。
「――見ているのが辛くて、どうしようもなかったの」
 テーブルの上できゅっと握り締めた拳が、震えていた。
「彼は音楽と共に生きているような人だった。ちょっとした口喧嘩になって、私より音楽のほうが好きなんでしょうと言うと、ああその通りさ、何が悪いって言い返してくるような人だったんです」
 敦己はつづきを促す。
「プロを目指して、長いこと駅で演奏活動をつづけていて……。彼のサックスの音色が好きだって言って、何度も聴きにきてくれる人や、CDを買っていってくれる人もいたわ。もちろん、私も彼の音楽が大好きだった」
 それなのに、突然死んでしまった。
 彼が良く演奏活動をしていた、地下鉄の、線路に身を投げて。
 たった一月前のこと、今でもまだ信じられないし、信じたくない。彼のサックスの音色がまだ鼓膜に残っているようで、独りの夜は寂しくてたまらなくなる――。
「そんなのおかしいと思いました。なんで彼が死ななきゃならないんだろうって。あんなに音楽が好きで、聴きにきてくれる人達のことも、地下鉄だって、愛してたのに」
 敦己はサックスに目を落とす。
 主を失った楽器はどこか寂しげに、それでも店内の照明をはねて、凛とした光沢を放っていた。
「彼の両親が、それは貴方が持っていなさいって、私に……。でも、見ているとどうしても彼のことを思い出してしまって……辛くて……」
 敦己はぱたんを蓋を閉じると、女性に返した。彼女は故人を偲ぶように、楽器のケースを胸にぎゅっと抱き締めた。
「処分するわけにも、売るわけにもいかなくて……どうしようもなくて……」
「それで彼が亡くなった地下の、電車の中に置き去りにしていったんですか……」
 女性は、はい、と短く答えた。
「…………」
 いたたまれない気持ちになって、敦己は押し黙る。
 どんな思いで、彼女は故人の思い出が詰まった楽器を、電車の中に置き去りにしていったのだろう……。望んで下された決断では、あるまい。
「でも、それでは、」差し出がましいかもしれないと思いながらも、言わずにはいられなかった。「――そのサックスは、二度と吹かれることがなくなってしまいますよ」
 彼女ははっとして顔を上げた。透き通った青い瞳とぶつかる。
「彼がなぜ亡くなったのかはわかりません。でも、それではあんまりにも寂しすぎませんか?」
 ふ、と彼女は青い目を敦己から逸らした。
「ええ……そう、ですね」
 苦しげながらも、同意する女性。
 何度も、そうね、その通りだわ、とつぶやくように繰り返した。
「花を、手向けにいきませんか?」
 敦己の提案を、彼女は受け入れた。
 顔を上げ、そうして、にこりと微笑んだ。


    04 epilogue

 ニューヨーク・シティを語る上で外せないものが、もう一つある。
 それは音楽だ。
 薄暗い地下ですら、絶え間なく何かしらのメロディが奏でられている。
 刻まれるリズム。
 クリッキティ・クリック、クラック、ミュージック、アンド、ミュージック。
 ――女性と共に訪れた、グランド・セントラル・ターミナルの構内。
 彼女はそっと花束を地面に置いた。
 死んだ彼女の恋人への餞であるかのように、サキソフォンプレイヤーがジャズの渋い音色を響かせている。敦己がコインを投げ込んでいったプレイヤーだった。
「ここなら、彼も寂しい思いをしなくて済むかもしれませんね」
 敦己はミュージシャンが奏でるメロディに耳を傾けながら言う。
 不思議そうな顔で敦己を見上げる女性に、敦己ははにかむような笑顔を浮かべてこう言った。
「いつもたくさんの音が溢れているから」
 車輪が枕木を跨いでいくリズム。
 警笛と、車掌のぶっきらぼうなアナウンス。
 ニューヨーカーが慌しく行き交う足音。
 そしていつもどこかで誰かが奏でている、音楽。
「……ええ。本当に……」
 慌しくて、やかましくて、
 ――けれど活気に溢れている。今にも爆発しそうなパワーが眠っている。
 ニューヨークの地下は、そんな場所だ。
「やっぱり、それは貴方が持っていたほうが良いと俺は思いますよ」
 彼女の胸に抱かれたサックスを指して言う。
「私にも、吹けるかしら?」
「ええ、きっと」
 敦己は力強く頷いた。

    *

 ――貴方はどこの出身?

 別れ際の短い会話が蘇る。
 地下鉄に揺られながら、敦己は彼女と交わした言葉の一つ一つを思い返す。

 ――俺は日本出身です。ニューヨークへは旅行で。
 ――日本……素敵ね。……折角遊びにきたのに、嫌な思いをさせてしまったかしら?
 ――いいえ。こういう出逢いこそが、旅の醍醐味ですから。
 ――貴方に、彼の音楽を聴かせてあげたかった。

 俺も聴きたかったですよ。
 小さくつぶやき、敦己は車窓の外を見た。もちろん地下鉄なので、何も見えない。視界が退屈な分、がたんごとんという音がやけに耳につく。乗客の早口な英語は、あまり聞き取れなかった。

 ――自殺では、ないと思っているの。

 彼女はそう言った。

 ――彼にはまだ奏でるべき音楽があったはずなの。きっと……自殺なんかじゃないわ。貴方も、そう思う?

 彼の音楽を聴くことは、もはやできない。
 けれどここには、たくさんの音楽が溢れている。音楽を愛するたくさんの人々が、暗い地下に彩りを添えている。

 ――だから、彼が奏でられなかったメロディのつづきを、きっと誰かが演奏してくれるだろう。

 電車から降りる。
 ようやく目的地へ辿り着いた頃には、日が暮れかけていた。ニューヨークの十一月は日没が早い。まだ五時前だというのに街灯が煌々と夜道を照らし出しており、月が上空で輝いている。轟音を立てて旅客機が上昇していくのが見えた。
「さて……と」
 敦己はポケットの中を探った。指に触れるはずのクォーターコインの感触が、なかった。
 そういえば、地下鉄ミュージシャンの楽器ケースに投げ込んできてしまったんだっけ。
「あてもなく、歩いてみましょうか」
 苦笑を浮かべる。
 敦己はどこへともなく歩き出した。
 昼間とはまた違った顔を見せる、夜のニューヨークへ。



fin.



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■桐苑・敦己
 整理番号:2611 性別:男 年齢:27歳 職業:旅人


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
 ニューヨーク旅行シナリオへのご参加ありがとうございました! 旅人の桐苑さんが主人公ということで、書き甲斐がありました。ニューヨークが舞台なのに登場するのは地下ばっかりという、映画にしたら何とも地味な画面構成のお話になってしまいました。が、雨宮はニューヨークの地下鉄が大好きなのであります…(笑)。そして(納品作の傾向をお読みいただければわかると思いますが)またしつこく音楽の話。お楽しみいただければ幸いです。
 桐苑さんが、これからの長い旅路の中で、どのような体験をしていくのか。一読者としても楽しみです。
 それでは、またニューヨークのどこかでお会いできることを祈りつつ。