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■真夜中の晩餐■
「何とかして欲しいんです!」
そう言って、草間武彦を睨み付けているのは、うら若い乙女だ。
まだ二十歳そこそこと言ったところだろうか。風に舞う様に流れている栗色の髪、白磁の肌にチェリーピンクの唇。清楚なお嬢様を演出している様な、細かなレースが印象的なブラウス、そしてシルク素材に控えめなスパンコールをあしらった若草色のマーメイドスタイルのスカート。
美人と言っても差し支えない彼女は、しかし迫力だけは尋常ではなかった。
別に草間自身に問題がある訳ではない。だが、一言そう言ったっきり、彼女は口をつぐんでしまった。
煙草を唇の端で銜えつつ、もう少し待ってみようかと思ったが、こうしてにらめっこをして三分が経とうとしていた。
『ああ、カップラーメンが食えるな』と、馬鹿馬鹿しいことを考えてみる彼だが、その思考で漸くメシの種になる話を進めなければと思い立った。
「申し訳ないが、もう少し詳しく話してもらえないだろうか?」
草間のその言に、彼女が息を吸い込んだのが解る。
夫(彼氏)の浮気癖か? それとも隣家の騒音問題? いや、もしかすると資産家である両親がなくなってから、見知らぬ親族が蠅の様に飛んできたのをどうにかして欲しいとか?
意味不明な、けれど常識的(?)な妄想をはち切れそうに膨らませたのは、取り敢えずフツーの依頼が欲しいと言う、可成り切実且つ情けない願望からだ。
だがここは草間興信所だ。
腐っても草間興信所なのだ。
「家の前に公園があるんです。そこの桜の木に、死体を埋めている獣がいるんですっ! しかも、毎晩そこの根元を掘っては、前に埋めている死体を食べて、新しく持ってきた死体を埋めるんですっ! もう、気味が悪くておちおち夜遊びも出来ないんですっ!!」
握り拳で今にも殴りかからんばかりの乙女は、先ほどの沈黙は幻だったのかと錯覚しそうになる程に良く喋る。
草間はその話を聞いた途端、そのまま扉を開け、笑顔でもって『お帰りはこちらからどうぞ』と言いたくなってしまった。
いや、それ以前に、『ずっとあんたは見てたんかいっ』とつっこみを入れたくなってしまうのは、もう妙な依頼に慣れっこになってしまった草間故の反応だろう。
それにしても、ヤケに具体的な説明だ。いや説明してもらえるなら、具体的な方が良いのだが。
「……それは本当に死体なんですか?」
「間違いありません! だって、桜の木の下には、死体が埋まっているって言うでしょ?」
何故か自信満々な乙女は、だがしかし、可成りイっちゃった人の様だった。
「えーとですね、……あ、お名前をお聞きしておりませんでしたね」
「新城です。新城絵美」
「えーと、新城さん、貴方が来るところは、ここではない。もっと他のところへ行くべきだ」
具体的な行き先は、草間の口からは言えない。
「お願いしますっ! こちらでお断りされてしまったら、私本当に困るんです。死体じゃないと仰るのなら、何が埋まっているのか調査して下さいっ。このままじゃ私、安心して毎日を過ごすことが出来なくなるんですっ」
人の話を聞いているのだか聞いてないのだか、解らない台詞だ。
「あの…」
草間がとにかくお断り願おうとしたその気配を察知した様に、彼女は更にマシンガントークを繰り広げる。
「それとも、この草間興信所と言うところは、毎日食事も喉を通らないし夜も眠れない、死の恐怖に怯えながら過ごしている人間に、更に鞭打って蹴り出した上に階段から突き落とす様な仕打ちを加えるところなんですかっ?!」
『俺って、そんなに人非なヤツだったのか…』と、思い込みそうになる程の勢いだ。
草間は敗北してしまった。
もうこれ以上、支離滅裂な話は聞きたくなかったのだ。
「解りました。お受け致しましょう」
彼が目差す、固茹で卵への道は遠かった。
「ご依頼は、公園にある桜の木の下に、夜毎何かを埋めては食っている獣を何とかして欲しい。と言うことで、宜しいですね?」
まさに輝くと言った笑顔で、彼女は頷いた。
「はいっ! 宜しくお願いしますっ!!」
扉の向こうで、草間が年代物のソファに腰掛けた音が聞こえる。
「うーん。これだけ見ると、有り難いんだがなぁ…」
恐らく、目の前には、現在の草間に取って可成り有り難いキャッシュの束があるのだろう。
溜息一つ聞こえたところで、彼女は立て付けの悪いドアを開いた。
キィと言う音が立ったところで、草間が意識をこちらに向けたのが見て取れる。
「負けちゃったわね」
唇に微かな笑みを湛えてそう言うのは、中性的な美貌の女性だった。
切れ長の青い瞳は、何処か悪戯っぽくも見える。いや、完全に面白がっているのだ。
彼女の名は、シュライン・エマ。
この草間興信所に取っては、神棚に飾って崇めておきたい程に有り難い存在だ。この3Kとも言える興信所で、草間のお守り……もとい、事務員をやっているのだから。
ちなみに、草間興信所所長、草間武彦とは、浅からぬ仲でもあった。
このことは(余計なお世話ではあるが)、興信所を訪れる者達から『この世の七不思議の一つ』と言われている。勿論、シュラインが何故に草間に惚れたのか、と言うことがである。草間が勝手に惚れて良い様にあしらわれ、ハイヒールで踏みにじられるのならいざ知らず、だ。
とまれ、シュラインは、そう一言言うと居住スペースから事務所の方へ、ゆっくりと入って来た。
「……酷いヤツだな。引っ込んだまま出ても来やがらねぇで」
零がお使いに出てまだ帰ってきていなかった為、シュラインがお茶を出したのだ。その後、何となくそのまま奥へと引っ込んだままでいた彼女に、憮然とした顔を向けている草間だが、そんな彼に恐れ入るシュラインではない。
「そう? 武彦さんを信頼しているからじゃない。武彦さんなら、気の毒な人を見捨てる様な真似、絶対にしないって思ってたのよ」
「…負けちゃったとか言ったクセに」
「ええ、負けちゃったじゃない。『目指せ! ハードボイルド』って信条に」
「……さて、これはどうしようか」
白々しくも話を逸らせた草間は、目の前のキャッシュの束をしみじみ眺めた。
「どうしようかじゃないでしょう」
「このまま知らんぷ……」
シュラインは、問答無用に後頭部を殴りつけると共に、冷たく切って捨てる。
「ハードボイルド志願な人は、ネコババなんてしません」
シュライン相手では、分が悪いと悟ったらしい草間が、これまた年代物の黒電話へと、徐に手を伸ばした。
「おっなかっが減ったっ! おっなかっが減った!」
マイお箸をスティック代わりに、草間興信所の年季の入った机をかんこんとならせているのは、天然満開、典雅な貧乏人のシオンだった。
有り難い食事を頂くマイお箸に、そんなことをさせるのは忍びなかったのだが、背に腹は代えられない。ここはお箸に、ごめんなさいをしておこうと心に誓っている。
ウサちゃんには、取り敢えず何かを食べさせてはいるものの、シオン自身、もう三日ほどまともに食べていないのだ。
「喧しい!」
喧しいと言われても、シオンはここで引く訳には行かなかった。
彼がここで『はい、済みません』と言ってしまえば、自分のみならず、ウサちゃんまでも、飢え死にさせてしまう……かもしれない。
一層激しく、そして彼には珍しくも、必死の形相でマイお箸による演奏を続ける。
はっきり言って、彼の正面に腰掛けている凪砂や、その隣のシュラインからどう見えるのだろうかとは考えていない。当然ながら、窓際に陣取っている草間の迷惑なんぞも、全く考えていなかった。むしろ彼には、このことをアピールしたいくらいだ。
「喧しいと言ってるだろうがっ!! この依頼を片付けたら、トロでもイクラでもウニでもキャビアでも牛丼でも、好きなだけ食わせてやるっ!!」
最後に牛丼で落とすところが草間だった。が。しかし。
「ホントですかっ?!」
満面の笑みを湛え、シオンの手がぴたりと止まる。
「男に二言はないっ」
実はちょっと張り込みすぎた…と思ったことなど、シオンに解る筈もない。
「えへへ〜。私、牛丼が良いですーー。あ、勿論つゆだくで。ウサちゃんは、お好み焼きが良いでしょうかねぇ。キャベツがいっぱい入ってますし」
「え? もう牛丼って販売されてましたっけ?」
小首を傾げながら言う凪砂に、その突っ込みはちょっと違うかも…と思っていたが、誰も口には出さなかった。別に某チェーン店で、未だ豚丼がメインであってもなくても、ここにいる面々には全く以て、どーでも良かったのだ。
その騒ぎが収まるのを待っていたかの様に、けたたましいブザーの音が聞こえる。
思わず耳を塞ぎたくなる様な音だ。
当然草間が動く筈もなく、零は未だ帰って来ていない。
必然的にシュラインが、その扉の向こうの人物を迎えることになる訳で、苦笑しつつも彼女は席を立つ。
「少々お待ち下さいねー」
通常の事務所なら、そんな声など聞こえる筈がないのだが、ここは安普請の草間興信所だ。中の声は、充分聞こえるだろう。
本当に少々だ。何せこの事務所は狭い。
扉の前に立ったシュラインは、ゆっくりと扉を開き、目の前に立つ者達を見つけて目元を和らげた。そこにま待ち人と良く知った人とが立っている。
「あら、いらっしゃい」
「さて」
草間興信所、もしくは草間オカルト探偵事務所に、総勢七名の人間が詰まっている。
入っているではなく、詰まっている。いや、別段犇めきあっているでも構わないが、取り敢えずは、まさにそんな表現がぴったりの状況だった。
はっきり言って、ここはお世辞にも広いとは言い難い。そんな場所に、そこそこの図体をした男女が七人もいれば、それはもう狭いとしか言いようがなかった。
その面々を見つめ、そこそこ機嫌の良いのは、草間武彦、この興信所の所長だ。
機嫌も良くなろう。
あの依頼を頼もうとして呼んだのは、二人であったのに、勿論その場に居合わせた一人を勘定入れ、解決に勤しんでくれよう人間が二倍になったのだ。
これでわざわざ自分が出て行かずとも済む。楽して解決にこぎ着けることが出来るのだ。機嫌が悪くなろう筈もない。いや、少々出費は嵩んでしまうだろうが、それはそれ。
草間が家族テーブルで言うところの家長席に着き、彼の左にセレスティ、モーリス、汐耶、右にシュライン、凪砂、シオンが席に着いている。彼らの前には、シュラインが各自の好みに合わせた飲み物が置いてある。シオンの前に、何故かキャベツが満載になっているのは、先ほどからウサちゃんの食事の心配をしていた彼への配慮──と言えるかどうかは謎だが──のつもりだが、びみょーにずれていたりする。
とまれ。
なかなかに幸先の宜しい状況になり、草間は得意満面になって今回の依頼と、その内容について話し始めた。この際、依頼内容が怪奇現象かもしれないと言うことは脇に置いておくことにした。
「今回の依頼者は新城絵美と言う、二十五歳の女性だ」
ここで写真を出せれば、約一部の人間のやる気が増すのだろうが、生憎それはなかった。
「彼女は、大層お困りの様だ」
何が? と、シュラインを覗く五人の瞳が聞いた。
「彼女の家の近くに公園がある。その公園にある桜の木の下で、夜毎獣が何かを掘り返しては食っているらしい」
草間が一拍おく様に、それぞれを見回した。
先ほど話を聞いていたシュラインは、黙って優雅にコーヒーを飲んでいる。
凪砂はペンと手帳を取り出し、黙々とメモを取っている。
汐耶は腕を組み、眇めた目つきで草間を見ている。
モーリスは長い足を組み、何処か面白そうな面持ちで笑みを浮かべている。
シオンはひたすらに、キャベツを凝視している。
セレスティは顎に手を当て、暫し思案した後、草間に質問をした。
「依頼人の方は、それをはっきりご覧になったのでしょうか?」
草間は大きく頷いた。
「ああ、新城さんは、そこに夜毎何かを埋めては、前日に埋めたそれを食っているのを見て、恐ろしくて夜で歩けないそうだ。ちなみに埋まっているのは、死体だと言っている」
「死体…?」
ぎょっとした様に凪砂がメモを取る手を止め、草間を見つめる。
「そう、死体」
「最初はモズの速贄かとも思ったけど…。死体だなんて、穏やかじゃないわね」
汐耶は厳しい声を上げる。
シオンですら、見つめていたキャベツから目を離し、己の身を守る様にして両腕で抱きかかえると震えていた。
「埋まっているのは、確かに死体なのですか?」
「…と、本人は言っている」
「まあ、桜の木の下には死体が埋まっていると言いますからねぇ…」
暢気そうにモーリスがそう言うが、草間は嫌そうに顔を顰め、シュラインはクスリと笑う。
「何ですか?」
「依頼人と同じことを言うな」
「……と言うことは、はっきり見た訳ではないのですね?」
セレスティがそう確認すると、草間に変わってシュラインが答えた。
「みたいね。凄かったわよ、彼女の剣幕。武彦さんってば、それに負けちゃったんですもん」
その時の応酬を思い出し、シュラインは思わず笑い出しそうになっていた。
いや、笑っている場合ではない。シュラインに取って武彦の迫力負けは笑い事だが、ここに来た依頼人にとってはそうではない。彼女は顔を引き締める。
「新城さん、必死だったわね。あの様子だと、そこに埋まっているのが死体かどうかはさておき、何かはありそうだと思うわ」
自分の感想と観察の結果を言ってみる。
彼女の発声から、何かを隠していると言うのは解った。けれどそれが何かまでは、流石にシュラインでも解らない。隠し事のある人物の声には、何処か張りがない。それに付け加え、誤魔化す時には大声を上げる。大声を上げつつ張りがないと言う、とても不自然な状況になるのだ。
「亡くなった方がいらっしゃるのなら、ちゃんと供養してあげなくては!」
握り拳を振り上げ、真剣そのものの表情でシオンはそう語る。
「で、今回の依頼だが」
握り拳を振りかざしたままのシオンをすらりと無視し、草間は口を開く。
「公園にある桜の木の下に、夜毎何かを埋めては食っている獣を何とかして欲しいと言うことだ」
「成程、だから私を呼んだんですね」
モーリスは得心顔でそう言った。
草間がモーリスに電話で言ったのは、『何か桜に関係する依頼が入ってきてるんだが、何か桜で思い出す話はあるか?』と言うことだけだ。詳しい話は、こっちに来てからと言うことだった。それで良く来てくれたものだと、シュラインは感謝したい気分になった。
「お前なら、桜の状態を見たり聞いたりすることくらい、訳ないだろ?」
「まあそうですけど」
言外にも、色々と含みのある言葉だ。
モーリスは庭師だ。けれどただの庭師ではない。
「で、これが彼女の住所と、問題の公園の場所だ」
既にシュラインがそれらの書類をコピーしていた。それを各々に回す。
「あ、この公園ですか…」
シオンがしみじみ言うと、草間の顔が輝いた。
「知ってるのか!」
伊達に公園で寝起きし、そしてベンチに座って編み物をしている訳ではない。
が。
「ええ、まあ…。でも最近は行ってませんねぇ」
その言葉になんだと呟きがくりと肩を落とす。だが凪砂が、取りなす様にシオンに問いかけた。
「公園に行かなくなって、どれくらいになるんですか?」
上目遣いにしつつも、目の前のキャベツをちろちろ見るものだから、何だか妙に笑えてしまう。けれどシオンは真剣に考えているのだ。
暫しの沈黙の後、間違いないとばかりに頷くとにーーーっこりと笑って言い切った。
「そーですねぇ。お腹が一万四七三三回減ったくらいでしょうか?」
「何だその計り方はっ!」
「えーと、一日は三回だけど、毎日お腹が減ってる訳じゃないし…」
と、凪砂は計算しようとする。
が。
「計算すなっ!」
呆れた様に、草間は叫ぶ。
「まあまあ…、そう叫ばずに」
「とにかく、当てにならないってことですよね」
セレスティが宥め、モーリスが落とす。
がーんとシオンは俯いて、テーブルの上にのの字を書いていた。
取り敢えず収拾をしなければと、何処までずれていくのか解ったものではない。
「ここはセオリー通り、聞き込みから入りましょうか」
シュラインの尤もな提案に、それぞれ是の返事を返す。
「大勢で纏まってても仕方ないから、三人一組とかに分けない?」
「そうですね。大勢で聞き込みしてたら、警戒されそうだし」
シュラインの提案に、汐耶がそう返す。
組み合わせはあみだくじを引くことで決め、一組目がシュライン、モーリス、凪砂、二組目がセレスティ、汐耶、シオンとなった。
「取り敢えず、依頼人の家にまず行って、そこから分かれましょう。……そうね、一時間程聞き込みして、問題の公園の前に集合でどうかしら?」
「そうですね」
「解りました」
「妥当なところですね」
「はい」
「はいはーーーい、了解でぇっす!」
上から、汐耶、セレスティ、モーリス、凪砂、シオンである。
それぞれが自分の荷物を手に取り、窮屈なソファから立ち上がった。
そこでふと、動作を止めたシュラインは、自分の後ろにいる面々をしげしげと眺めてこう言った。
「って言うか、何で私が仕切ることになってるのかしら…」
シュラインはそう言うと、ちらりとセレスティの方へと視線をやった。ここでシオンを見ないのは、当然と言えば当然なのだろう。
そうしてシュラインの視線を受けたセレスティは、泰然とした面持ちで微笑んだ。
「それは勿論、シュラインさんなら悪い様にはしないと、皆さん信頼しているからですよ」
何のてらいも含みもなく、さらりと言ってのけるセレスティに、シュラインが苦笑する。
「セレスティさんって、やっぱりモーリスさんの上司よねぇ…。口が上手いわ」
草間にも、この程度は言って欲しいと願うのは、少々欲張りすぎなのだろうか…。
一戸建ての可愛らしい赤い屋根の上には、風見鶏が付いている。
それが今回の依頼人の家だった。
「え…? こんなに?」
眉根を寄せ、少々引いた様に絵美が六人を見回した。
取り敢えずどうぞと身を引き、中へと案内したものの、やはり動作はぎこちない。
淡い紅色のブラウスにそれを濃くした様な色のフレアスカート。やはり演出はお嬢様なのだろう。
「あ、あの。…何をお飲みになります?」
「お気を使わないで下さいね」
にっこりと笑うモーリスに、絵美は微かに頬を赤らめた。
「紅茶で宜しいですか?」
「ええ、貴方の淹れて下さったものなら、さぞかし美味しいでしょうね」
これで言ったのが草間なら、速攻白い目で見られるだろう台詞だ。似合ってしまうところが、流石はモーリスだった。
「可愛らしいですねぇ…。こんな状況でなければ、食べてしまいたいくらいに」
下心ありありなスマイルを見て、凪砂は真剣な面持ちで言う。
「モーリスさんて、獣ですよね」
「そうですか? 私はそんなにワイルドでエネルギッシュでしょうかねぇ? 自分ではエレガントでクレバーだとばかり思っていましたが」
モーリスがのほほんと軽口を叩いている内に、依頼人が人数分のカップと、ロシアンクッキーを乗せて戻ってきた。
草間興信所とは違い、そこはゆったりとした広さもあり、それなりに趣味も宜しいリビングである。
先ほどの草間が座っていた家長席に絵美、その右にシュライン、セレスティ、汐耶、左に凪砂、シオン、モーリスが座っている。
シオンの視線は、言うまでもなく、ロシアンクッキーに釘付けだ。
「母はもうすぐ帰って来ますので…」
『それって警戒してる?』と、言う風な視線を、シュラインが皆にそれとなく向けると、誰もが(シオンを除く)そう思っているらしく、苦笑で返事をしていた。
一応、インターホン越しにではあるが、草間興信所から来た旨を伝えたのだが。
「大勢で押しかけて来て、申し訳ありません」
やはり最初に口火を切ったのは、シュラインだった。
その台詞に、絵美は『いえ』とも、『ええ』とも聞こえる様な返事をする。
「今回の依頼について、二、三、調査員の方からお聞きしたいことがあると申しましたので、ご迷惑かとは思ったのですけれど、こうしてお邪魔させて頂きました」
自分を守って欲しいと言う依頼ではなかったので、こう言う風に話を進める。
「何でしょうか…」
絵美は俯いたまま、皺になるのではないかと思える程、スカートを握りしめている。
シュラインはこっそりとセレスティに、『何とかしてよ、私が虐めてるみたいじゃない』と助けを求めた。
「絵美さん、顔を上げて下さいませんか? 私達は君を助けたくて、ここへと参ったのです。ですから、もうそんな風に俯かないで下さい。何があっても、私達がお守り致しますから…」
「…え?」
びっくりした様に顔を上げた絵美に、セレスティはすかさず微笑んだ。ほんわか頬を赤らめるのを見て、シュラインは同じ女性陣と顔を見合わせ苦笑した。
『やっぱり、女の子って王子様の微笑みには弱いのね』と言うことだ。
「同じことも、もしかするとお聞きしてしまうかもしれませんが、お気を悪くなさらないで下さいね」
「……はい」
「君がその獣を見たと言うのは、何時くらいからの話でしょうか?」
「そう…ですね」
セレスティの質問に、絵美は暫し考えて後、ゆっくりと答えた。
「大体、二週間くらいです」
「それは夜限定ですか?」
これは凪砂だ。
「はい」
「獣は毎晩現れるんですか? それとも、曜日が決まってます?」
これは汐耶。
「毎晩です。夜、大体十一時くらいから二時くらいまでの間です」
「十一時と言えば、まだ人通りはありますよね?」
妙な話だと、モーリスは言外に含ませる。
「で、でも、本当にそれくらいの時間に現れるんです」
唇を噛みしめて、瞬間泣くのではないかと思ったらしいモーリスが、微かに身構えているのが解る。だが、彼女が涙を零すことはなかった。
「絵美さんがその獣を見ていたのは、何処からだったのかしら?」
シュラインの問いには、即答だ。
「家からです。私の部屋の窓から…」
確かに彼女の家は、公園に面して建っている。角度的に言えば、見えない訳ではないだろう。
「後で…そうですね、お母様が帰ってらっしゃる頃、もう一度、お伺いしても宜しいかしら? 絵美さんの部屋から、獣が現れる場所を見てみたいのですけど」
それには僅かに逡巡した様子だ。
だが。
「解りました。母にはお友達だと言っておきます」
彼女のこの言葉に、六人が『おや?』と言う顔をする。
誤魔化すと言うことは、つまり親には秘密だと言うことだ。では獣を見ているのは、彼女一人なのだろうか。
目配せしあい、後で考えようと合図をする。
次にセレスティが、皆が一番気になっているだろうことを聞く。
「絵美さん、私達は君を疑っている訳ではないのですけれど、……桜の木の下に埋まっているのは、本当に死体、なのでしょうか?」
「し、死体よ! いえ、人なの! それは間違いないわ!」
流石にこの面々までにも、『桜の木の下には死体が埋まっているから、あれは死体だ』とは言わなかった。
鬼気迫る剣幕ではあったが、それにしても、彼女が何故にこうまでも人に属するものであると拘るのだろうか。それぞれが己の思考に入り込んでいた中、たった一人、大声で解ったと叫んだ者がいる。
「解った…? 本当に?」
「どうして解ったんですか?」
「是非お聞きしたいですね」
胡散臭げにシュラインが、驚きの表情の凪砂が、余裕たっぷりの笑みを浮かべたモーリスが、その解ったと叫んだ人物──シオンに向けて、問いかけた。
得意満面のシオンは、まるで謎解きをする名探偵の様に、大仰な身振りでもって返答を返す。
「皆さん、埋まってるのはあれですよ、ほら! マネキン型ドックフード!」
しーーーーーーんと言う音が聞こえそうだ。
沈黙の白い天使が、彼らの頭を巡っている。一匹くらい捕まえられそうだなと、誰もが思った。
が。
「えーと、絵美さん、有り難う御座いました。私達はもう少々公園なんかを調べてみますね。獣の正体が解ればと思いますし。あ、いっそのこと、封印出来れば良いですね」
シオンの予想もしない台詞を聞き、シュラインは少々狼狽えて妙な日本語を使ってしまった。くそと心の中で唇を噛むも、表面的にはにこやかな笑顔だ。
その笑顔の中で、シュラインは彼女自身の言った言葉に、絵美が反応していたことは、見逃さなかった。
依頼人の家を出、真正面にある公園へと向かう。
この公園は、住宅地の真ん中にあった。丁度公園と同心円を描く様にして、家々が建っているのだ。
「少し妙ですね」
凪砂は小首を傾げて、先ほどの絵美の言動を評した。
「ええ、私もそう思います」
セレスティがそう言い、他の者もまた思いを同じくしていたのか、首を縦に振る。
「普通は人数が多いと、頼もしく思うものだと、あたしは思うんです」
「何だか怯えていると言うか、困ってると言うか…」
「そんな感じでしたね」
シュラインの後を、汐耶が取った。
「新城嬢はシュラインさんが、最後に言った言葉に、可成り反応してましたね」
モーリスが唇に手を当て、撫でつつ言う。
「封印…ですね!」
何時も元気なシオン・レ・ハイは、人差し指にトンボをとまらせてそう言った。
五人の頭が微かに頷く。
「ともかくは、桜…ですね」
「じゃあちょっと待ってて。この公園の管理人さんに、ちょっとお話してくるから」
セレスティの言葉を受けたシュラインは、そう言うと公園の出入り口付近にあった小さな事務所へと歩いて行ったが、ものの三分で戻ってくる。
「早いですね。何を言って来たのですか?」
「公園の調査許可を貰って来たのよ。さあ、これで何しても、怒られないわよ」
唇に笑みを乗せたシュラインは、意気揚々と公園内に入っていった。
桜の場所は、直ぐに解った。
その場からは、絵美の言ったとおり、彼女の家の二階にある窓が見える。
「これが問題の桜…ですね」
「何故でしょう。私には、この桜が病んでいる様には思えません。…確かに元気はありませんが…」
セレスティ台詞を聞きつつ、モーリスがそっと桜の樹皮に触れた。
暫く桜の様子を窺い、ついで地面の方も同じく調べている様だ。
餅は餅屋とばかり、残る五名はモーリスが調べるのを見ている。
ふぅと溜息を吐いて、微かにスーツについた土を払うと、モーリスは訝しげな顔で、話し始めた。
「セレスティ様の仰る通り、私にも桜が病んでいるとは思えません。この桜は、もう来年花を付けることは出来ないくらいに弱っています。なのに、病んでいる様には思えないんです…」
むしろ…と、そう続けようとして、モーリスは口を閉じた。
「取り敢えず、掘ってみる?」
「え? 掘るんですか?」
シオンがぎょっとした様に聞き返す。
「そうですね。あたしも掘ってみた方が良いと思います」
「私も賛成です」
「右に同じ」
ぴっと手を挙げた汐耶の後で、モーリスが頷いた。
「では、……シオンさん。宜しく」
「えええええっ!?」
そんな大きなものが何処に入っていたのか、シュラインはにっこり笑ってバッグの中から折りたたみ式シャベルを取り出した。
「まさか、本当に死体が埋まってるなんてね…」
何処か痛そうなそして苦々しい様な表情を張り付けて、シュラインはそう呟いた。そのシュラインの呟きは、そこにいる面々の心を代表している。
「しかも子ども…」
「と言うより、赤ちゃんですよこれは」
「ひ、酷いっ! 何て酷いことを…」
先ほどの穴掘りで体力を消耗してはいるものの、中にあったそれを見て、シオンが滂沱の涙を流している。
「…待って下さい。この赤ん坊は、死んでいる訳ではありませんよ」
「どう言うことですか?」
汐耶は訝しげな顔で、セレスティを見た。
「解りません。私が言えるのは、これには何か封印めいた…いえ、封印と言う様な、閉じこめることを目的としたものではありませんが、ともかく何かを仕舞い込んでいる様な気配を感じます」
「封印、ですか?」
「封印と言うより、もしかすると結界の方が近いかも知れませんね」
汐耶は唇を微かに噛んで、それに親指を当てて考え込む。
「…取り敢えずは、『閉じられている』と考えて良いわけですよね?」
「はい」
「では、私の力でそれを開け放ちます」
「それでは、汐耶さんが開けた後、私の力で、再度これを閉じこめましょうか」
「モーリス?」
「夜、これを求めて獣がやってくる筈です。解放したままより、閉じこめた方が、その獣を捉えやすくなると思うのです。埋めていた獲物に、自分が施していたのとは、違うそれがかかっているなら…」
「成程。何事かと、必死になるでしょうねぇ。ただ、この子は死んではいないのよね? セレスティさん」
シュラインは確認した。
死んでもないのにもう一度埋めるのは、余り気分の良いものではなかった。
「ええ、私にはそう感じられます」
「死んでない赤さんを、また埋めるのは可哀想ですぅーーー」
神様お願いポーズで、シオンは皆に訴える。
シュラインを始め、汐耶や凪砂も、口には出さないまでも同じ考えであることは、その表情を見れば明白だった。
うるうる目のシオンと、眉間に皺を寄せているシュライン、汐耶、凪砂。
だがモーリスは、余裕を持った笑みできっぱりと言い切った。
「お任せ下さい。私のすることに、抜かりはありません。私の揺りかごは、とても快適ですよ。そう、一生出たくないと思えるくらいに…」
背筋が寒くなる様な笑みは、けれどこの上ない程に扇情的にも見えた。
公園から二組に分かれ、まずはご近所さんを調べた。近所では、『ああ、新城さんのご一家ね。普通のご家庭よ。まあ、ウチ達より、ちょっとお金持ちみたいだけどね』と言う、あまり有り難いとは言えない情報を聞き、その後、シュライン、モーリス、凪砂達は右に折れて、アパートや団地、マンションなどの多い地域へとやって来ていた。
「こう言うところって、やっぱり奥さん達が立ち話をしてるもんなんでしょうか」
凪砂が目の前に広がる団地の棟を見ながら、そう感想を漏らす。
「あまりキョーレツなのには、近寄りたくないわねぇ」
シュラインは苦笑混じりにそう言った。おばさんパワーは侮れない。スーパーでの死闘は、シュラインにその言葉を刻み込んでいた。
「まあまあ、贅沢は言っておられませんよ。情報収集出来ると思えば、ね」
爽やかにモーリスが微笑むと、女性陣は『まあね』と同意を示した。
暫く歩いていると、団地内の広場の様な物が見えた。
そこでシュライン、モーリス、凪砂の面々は、井戸端会議をしている三人の女性達を見つけてそっと近寄って行く。
近寄る三人に、一瞬警戒した彼女たちだが、まずはモーリスの笑みに心を奪われ、次にシュラインの言葉巧みな誘導と、凪砂の誠実そうな物言いから、その警戒心がみるみるうちに解けていった。
「それで、少々お聞きしたいんですけれど、宜しいでしょうか?」
「ええ、何かしら?」
「ちょっと小耳に挟んだんですけれど、最近、夜になると公園の方が騒がしい様ですね」
「公園?」
互いに顔を見合わす奥様A、B、C。
その様子に外したかと思ったのだが、彼女たちから出てきたのは何とも興味深い話だった。
「騒がしい様子はないけどねぇ…」
「ああでも、あの公園、近々改装するって話よ」
「改装ですか?」
「ええ。何でも、遊具が古くなって来てしまってね。子ども達が遊ぶのに危ないからってことで」
確かにあそこにあった遊具は、どれもこれも古臭かった。
「それに伴って、大幅に植林もするみたいね。勿論、今ある木も植え替えるとか」
モーリスの眉根が歪む。
「取りかかるのは何時からでしょう?」
「確か、もう一ヶ月もなかったんじゃないかしら」
「あら、もっと早いって聞いたわよ」
「どれくらいでしょう?」
「半月ほどって、私は聞いたけどねぇ」
「あ、半月って言えば、何だかここ半月、いやに体調崩す人が多くない?」
「ああ、そう言えば…。うちの子、風邪引いちゃって」
「うちは旦那があんまりにも怠くて、何をする気も起こらないとか言ってるわ」
「そう言えば、立ち眩みで階段から落ちちゃった人もいるわね」
「角の鈴木さんのお嬢さんのこと?」
「そうそう。体調が悪いってのに、絶対に休めない会議があるからって会社に行ったは良いけど、駅の階段で落ちちゃったって…」
「怖いわねぇ…」
徐々に雑談めいて来たところで、三人は丁寧に礼を言って、その場を離れた。
「どうやら、夜の公園のあれに気が付いているのは、新城さんだけみたいね」
「そうですね。でも、体調崩す人が多いって言うのは、気にかかりますね」
凪砂は小首を傾げて思案している様だ。
「確かに、体力がなくなれば、病気もしやすいですね」
「それって、何かが体力殺ぐ様なことをしてるってことかしら?」
「なきにしもあらず、ってところでしょう」
モーリスのその言葉に、二人の見目麗しい女性は何とも言えない顔をした。
それぞれ、思うところを調査していた面々は、取り敢えず草間興信所に一時戻って夜に備えようと言うことになった。
まさか依頼人宅でタカる訳にも行かなくて、彼らはここで遅い昼食兼、夜食を取っていた。
ふっくらとした白飯に、大根と豆腐のおみそ汁、鯖の竜田揚げにカボチャの花籠蒸し、糸こんにゃくの山椒和え、京水菜の芥子和え、小芋の煮っ転がしと言った、純和風の品々が出そろっている。作ったのは、先に帰ってきていたシュラインと汐耶、シオンだ。その後、モーリス、セレスティ、凪砂の順に戻って来ていた。
皆が揃い、食卓にそれらの料理が並べられると、誰もが『おお』と目を瞠る。
その様を見て、ちょっと嬉しいシュラインだ。
だが草間一人、『け、経費が〜』と呻いていたのがムカつくが、誰も斟酌しなかったので良しとしよう。
嬉々として、頬にご飯粒を付けながらかきこんでいるシオンは、膝上にタッパを隠し持ち、ウサちゃん用と称して取り分けているところを草間に見付かって頭を叩かれる。それを見たシュラインは、『後でウサちゃんには、ちゃんと分けてあげるから』と、思わず言ってしまった。
とまれ、美味しいご飯を美味しく頂き、茶を啜る段階になって、今までの経緯を出し合うことにする。
「まずは、私からね」
そう口火を切ったのは、シュラインだ。
「依頼人と直に話して解ったことは、一応みんな一緒だったから、後回しにするとして…」
「ちょっと待て、俺は知らんぞ。聞いてない」
「もう…。解ったわ。じゃあそこからね。獣は二週間くらいから、桜の下に出てきたらしいわ。出現時間は、毎晩十一時から二時くらいまでの間」
良かったわよね? と五人を見回す。
「獣を見た場所は、彼女の部屋。これは後で確認させてもらったけど、確かに何とか…だけど、見える位置にあるわね」
「それにしても、妙に埋まっているものに拘っている様でしたよねぇ…」
モーリスは小首を傾げ、悪戯っぽく言う。
「死体にか?」
「違いますよ。死体じゃないかもしれないけれど、あれは取り敢えず人型だと仰ってたんです。更に…、ねぇ」
凪砂が、意味深な視線を投げかけたモーリスの後を取る。
「ええ、シュラインさんが、最後に獣を封印出来れば、と仰った時に、絵美さん、何故か凄く動揺してたみたいなんです」
凪砂は主観も交えて言うが、彼女が感じたことは、他の面々も同じく感じていたことだったので、誰もが首肯することで同意を示した。
「それと親御さんに隠している様だったのも、私は気になりますね」
セレスティは静かにそう言った。
「様だったと言うより、隠してたわよ。彼女。後で凪砂さんと二人で彼女のお母様にお会いしたんだけど、今回の件は全く知らないみたいだったわ。つまり、収穫はゼロ」
「ここまでを纏めると、こうなりますね」
汐耶はそう言うと、テーブルの上にある紙にすらすらと書き出した。
・獣は二週間くらいまえから現れた
・出現時間は、午後十一時から午前二時の間
・獣を見たのは、依頼人の部屋の窓
・埋まっているのは、死体、もしくは人型の何か
・依頼人はその埋まっているものを気にかけている
・依頼人は母親に今回の件を隠している
「汐耶さん、解りやすいですーー」
有り難うと呟くと、次いで自分達が聞き込み、ないし個々で調べたことに話は移る。
「そこから二手に分かれて、私はモーリスさんと凪砂さんの二人と一緒に聞き込み。その後、もう一度桜の周囲を見ると言うモーリスさんと別れて、凪砂さんと再度依頼人の家に戻ったの。その時、部屋を見せてもらったのよ」
結果はさっき言った通りだと、付け加える。要は、桜は見えると言うことと、依頼人の親は何も知らなかったと言うことだろう。
「私は汐耶さんとシオンさんと一緒に、別の方向を聞き込みしておりましたね。その後、汐耶さんとシオンさんは汐耶さんの勤める図書館へ調べものに、私はその区域の公民館へ行って公園と桜に関することを調べておりました。まあ、私の方は、収穫はありませんでしたが」
「聞き込みの結果、公園に関する噂はゼロ…と言うか、近々改装されるとはお聞きしましたね」
モーリスの言葉の後を、凪砂が取った。
「公園に関することではなくて、ここ二週間の間、疲れやすいと言う人が増えているみたいですね。その所為で、駅の階段から落ちたと言う方もいるみたいです」
「ええっ!? そ、それ、私達も聞きましたよね! ね?」
「公園の話かしら?」
「いえ、疲れやすいと言うことと、怪我をした方がいらっしゃると言うことです」
首を振るセレスティに、草間が問いかける。
「それはここ二週間の間に起こってるんだな」
「獣の出現時期と、重なりますねぇ。…それにしても、私はあれほど植物に拒否されたのは、初めてのことですよ。戻って、もう少し元気にしてさしあげようとしたのに、全く受け付けてくれませんでしたからねぇ。あれは足があれば、きっと走って逃げてたのではないかと思いますよ」
眉をひそめ、指で唇を撫でるモーリス。暫しの沈黙の後、徐に汐耶が口を開いた。
「私は図書館で毎日の天候、月の満ち欠け、それと呪術的なことも関係あるかと疑ってを調べてたんですけど…。特にこれと言った、めぼしい情報はありませんでしたね」
シオンさんはと話を振るが、彼もまたぶるぶると扇風機の様に首を振った。
「収穫と言うのは、つまりのところ依頼人へのインタビューと、周囲の聞き込みだけと言うことだな」
腕組みをし、苦虫を噛んだ様な顔で草間は言う。
が。
「忘れてますよ! 皆さん!」
「……桜の木の下に埋まっていたもののことですか?」
「おい、一番重要だろうが、それ。何が埋まってた?」
互いに顔を見合わせる。シュラインが再度五人を見渡すと、セレスティとモーリスは笑みを返し、汐耶と凪砂は視線を逸らせた。シオンは…、取り敢えず誰が言うのだろうときょろきょろしている。仕方ないと、シュラインは諦めて口を開く。
「……赤ちゃん」
「?!」
流石の草間も、目を剥いて絶句した。
「ちょ、ちょっと待て! そりゃ、警察の領分だろうが!」
「待って下さい。違うのです。聞き込みを行った際、誰一人として赤ん坊が誘拐されたと言う話は仰いませんでしたし、何やらその赤ん坊には封印…と申しますか、結界の中に入れられていた様なのです」
「つまり、どう言うことなんだ?」
「赤ん坊の誘拐事件は発生しておりません。これは住人が隠していると言うより、あの赤ん坊は、付近の方々の誰の子どもでもないと思えるからです。あの赤ん坊は、恐らく人ではないでしょう」
きっぱりと言い切るセレスティに、そうなの? と問いかける。彼は頷くと、更に言葉を繋げた。
「正体までは解りかねます。恐らくモーリスの力を使えば、あるべき姿に戻すことも出来るでしょうが」
視線を受けたモーリスは、軽く頷く。
「出来るでしょうね。丁度良い時間でもあります。そろそろ移動しませんか?」
古い時計は、既に午後九時半を指していた。
依頼人の家、つまりは問題の公園に到着すると、それぞれが分かれて公園の周りを張り込んだ。桜の側で張り込んでみると言ったモーリスと凪砂が中へと入り、シュラインとシオンが依頼人の家の近く、セレスティと汐耶がその反対側にある入り口へと付いた。
獣が律儀に入り口から入るとは思えないが、少なくとも人はそこから入るだろう。
依頼人の入り口近くにいる二人は、その家と公園の両方に注意を払っている。
「もう、十一時回ってますよ…」
情けなさそうな顔で、シオンが言う。きっと葉陰が揺れるのも、お化けの所為かもしれないと思っているのだろう。要は怖かったのだ。
シュラインの耳が、依頼人新城絵美の部屋の窓が開いた音を聞き取った。
その直後だ。
何か、いる。
けれど同じその耳には、何もそれらしい『音』は聞こえなかった。
けれどそれは確かにいる。
シオンの背筋がピンと伸び、冷や汗が流れた。
おどおどとシオンは言う。
「あやかし…ですね」
つまりそう言うことだ。
とにかく一旦戻った際に聞いていた、依頼人の携帯へ電話をかける。
「絵美さん、見えているとは思いますけど、何があっても出ないで下さいね。良い…」
シュラインは最後まで、言葉を継げることは出来なかった。
「あああ!!! シュラインさん!!」
近所迷惑になるだろう声を上げつつ、シオンがシュラインの服を引っ張っている。
「ええ?!」
振り返ったシュラインが見たものは、丁度桜の辺りから出ている火だった。
「火っ……!!」
と、続けようとしたシオンの口を、むぐと塞ぎ、再度依頼人に出ない様、念を押す。
更に草間に、手がいるかもしれないから、とにかく来いと電話する。ここからなら一時間もかからない。ボロいとは言え、車を飛ばせば半分以下の時間で着く。
「ここで大声あげたら、他の人が出てくるでしょ。私達で何とかするのよ。あそこには、普通じゃないものがいるんだから」
そうだ。
人ならざるものがいる筈。
そんなところに一般人が出張ってきては、怪我をする。
消防車を呼ぶと言う常識的対応は、この場では出来ないことを、シュラインは良く知っていたのだ。
桜の前には、既にセレスティと汐耶が到着していた。
彼らが遅れたのは、家から飛び出ようとした絵美を、何とか説得していたからだ。
そして六人揃い、殆ど睨み合い状態になっていると言うのが、現状だった。
が、その膠着状態に耐えきれず、動いたのは獣だ。
口をくわっと開け、炎を繰り出すも、セレスティが即座に水で防御する。
「いけませんねぇ…。私達に逆らうなんて。お仕置き、ですよ」
モーリスが、そっと懐に手を忍ばせたのが見えた。
「お待ちなさい、モーリス」
「セレスティ様…?」
「そうね。何か、可笑しい気がするわ」
セレスティが止めた訳を、シュラインも何となく感じている。
「ええ。あの、何て言うんでしょう。気配が……。この獣のものもそうなんですけど、何かを守っている様な気がします」
「もう一度、桜に聞いてみますか?」
昼間は拒まれたものの、今この状況で尚、黙(だんま)りはないだろう。
「取り敢えず、あの獣を何処かに隔離しないとそれも出来ないですよね。攻撃するんじゃなくて」
凪砂がそう言うと、モーリスは心得たとばかりに頷いた。
「では、私が」
すっと手を持ち上げると、夜闇の中、ぼんやりとした光がモーリスの掌に現れた。
そのままそれは、ぱぁんと弾けた様に獣の四方へ散ると、それを中心にぐんと光の格子が芽を吹いた。見る間に頂点目差して伸びると、きゅんと言う何かが絡み合う音が聞こえ、一つの檻が出来上がる。
「少し大人しくしていて下さいね。悪い様にはしませんから」
「ごめんなさい。ちょっとだけだから」
にっこり笑うモーリスと、済まなそうに言う凪砂の言葉が通じたのか、何処か怯えつつも好戦的な雰囲気が消えた。
ひたすら鳴き続ける獣を背後に、六人が桜に近づいて行く。殿にいたシュラインが、ふと何気なく檻の中に視線をやった。
「え? ちょ、ちょっと…」
自分の声が裏返っているのを、何処か遠いところで聞いている様だ。彼女の声を聞いて、五人が一斉に振り返る。一様に見える表情は、驚きだ。恐らく自分も同じ顔をしているのだろう。
その檻の中にいたのは、一人の女性だった。
今にも倒れそうな青白い顔をしている。大層具合が悪いと言うのが、一目見て解る。
「これは……。お美しい」
うっとりと檻の中の女性を見つめ、モーリスが呟いた。
「お美しいじゃなくて、これなら話も出来るんじゃないですか?」
汐耶のその声に、セレスティが笑ってそうですねと答えた。
「モーリス」
「はい。セレスティ様」
手を翻すと、その檻は先ほどと逆の行程を辿って消滅した。
すとんと宙に浮いた形であった女性は、地面へと降りるとがっくりと地面へ崩れ落ちそうになる。
「わわっ! 大丈夫ですかっ?!」
慌てて飛び出したシオンが、彼女を支えることで、地面に倒れることを防いだ。
「上出来よ。シオンさん」
そうシュラインに褒められ、シオンは照れくさそうにえへへと笑う。
「返して…。私の坊や…」
「「「「「「坊や?!」」」」」」
唖然とした六人が、その息も絶え絶えな様子で切なげに告げる女性を見た。
そこに脱兎の勢いで、駆け込んできた人物がいる。
「ごめんなさい、すみません。本当にごめんなさい。この人達を、封印しないで!」
「え…? あの、絵美、さん……?」
「どう言うことなんでしょうかねぇ…」
パジャマ姿に、左右違うサンダル履きと言った、どう考えてもこの季節に相応しくない格好の依頼人がそこにいた。
「ごめんなさい。私、嘘を吐いていました」
俯いたまま、そう言う依頼人、新城絵美がぽつぽつと話し始める。
その身体には、モーリスの上着がかかっていた。
「私、この子達を、助けて欲しかったんです」
「助けて欲しかったとは?」
シュラインの電話を受け、漸く到着した草間が銜え煙草でそう聞いた。
「この公園、改装されるのを御存知ですか?」
「そうらしいですね。草木も全て、植え替えると聞きましたが」
モーリスが、何処か苦々しげに言う。簡単にほいほいと、植物を抜いたり植えたりしないで欲しいと思っているのだろう。
「あの桜の木は、もう古いから真っ先に抜かれるんだそうです」
「そ、そんなぁ…。そしたら赤さんの目印が……」
ちらりとシオンが、今は元の姿に戻り、穏やかな表情で赤子にぼんやり輝く餌らしきものをやっている母親を見やる。
「目印はともかく、あの母親が、そこで子どもを育てているのを、私は見て知ってました。毎晩、子どもに、ご飯をあげているのが解ったんです。そのご飯が何かと言うことは、解らないんですけど」
「つまり、最初言ってた、夜毎死体を埋めては食うと言う話は、夜毎子ども掘り出して、育てる為にメシをやってると言うことだったんだな?」
絵美は『はい』と、素直に頷いた。
「でも、公園が改装され始めたら、あの親子はここを追い出されてしまいますよね?」
「まあ、な。ショベルカーだの何だと入っては、おちおち子育てなんぞ、出来ないだろうなぁ…」
「ですから、草間さんのところにご依頼して、この公園のことを色々と聞いて回って下されば、公園が曰く付きに思われて、改装が中止までは行かないものの、子どもを連れて移動出来る時間は稼げると思ったんです」
「じゃあそう言う風に、話して下されば良かったのに…」
シュラインは半ば呆れて、半ば困った様にそう言った。
最初から話してくれていれば、話はとてもスムーズに理解されたのだ。
「だって、こちらは怪奇現象専門に扱っているところですよね? あまりに普通のお話だと、お受けして頂けないと思ったんです」
いや、普通の依頼の方が良いんだが…と、草間は心の中で力一杯力説していることだろう。への字口になっている草間を見て、シュラインの口元が弛んだ。
まあそれ以前に、獣が子どもを育てているのを守ってやって欲しいと言うのも、もう既に普通の依頼ではないが。
互いにそう思ったのか、そこにいる者全てが苦笑いをしている。
事件性のある人骨が出たと言うならいざ知らず、高々噂如きで、工事の予定は変更されない。浅はかだと言えば、これ以上ないくらいに浅はかだった。だが、さらりと流されたくない為、必死であったと言うことは良く解った。
「草間さん、今回は、君のオカルト探偵としての知名度が、事件をややこしくした様ですねぇ」
「誰がオカルト探偵だ!!」
それは言い掛かりだと、草間は真っ向から抗議するが、セレスティは何処吹く風とばかりに笑っている。草間に追い打ちをかける様に、汐耶もまた突っ込んだ。
「いっそのこと、オカルト専門って看板を出せば良いのに」
「だーかーら!」
「もう、五月蠅いわよ。武彦さん。取り敢えず、この親子をどうするかを考えましょう。武彦さんがオカルト探偵かどうかなんて、ささやかな問題だわ」
冷たくシュラインが切って捨てると、草間はがっくりと項垂れてしまう。これは後で、慰めないとダメだろうかと思ってしまったシュラインだ。
「それにしても、あの獣。アモンにそっくりですよね」
「アモン? 何だそれ」
汐耶の言葉を聞き返す草間に、そうですとばかりに頷いた。
「アモンと言うのは、ソロモン王が書いたとされる魔法書『レメゲトン』にある、七十二人の悪魔の一人です。顔はフクロウ、身体はオオカミ、尾が蛇の格好をしているそうですね。まあアモンは、獣姿で火は噴かないらしいですし、人の生気を食べると言う話も聞きませんけど」
「赤ん坊に与えてるのは、人の生気だって言うのか?」
「人だけとは限りませんね」
セレスティの後を取って、モーリスは言う。
「まあ、子どもを育て始めてからと、周囲の住民が疲れやすくなったと言う時期があっていると言うことからも考えて、生気を貰っていたと考えるのは妥当ですね。それに、それだと桜の木が衰えていた理由も説明が付きます」
「つまり、桜も自分の精気をあげていたってことですか?」
凪砂がそう問う。
「その様ですね。親もまた、同じく精気をあげていたんだと思いますよ。だからあれほど弱っていると言うことです」
セレスティは、そっと桜に手を触れ、今までの経緯を聞いていた様だ。
「それにしても、何も埋めなくても…」
汐耶は何処か呆れた様にそう言った。
同感とばかりに他の五人は頷いた。
シオンだけが、その言葉を聞いてなかった様で、ただただ、子どもに対する愛情の深さに感動しているらしい。
「自分の命を削って、子どもを育てているなんてっ! おじさん、感動しちゃいましたよっ!!」
「じゃあ、シオンさんが、彼らを預かる?」
簡単に言ってくれるシオンに、シュラインは満面の笑みを浮かべて一歩出る。
シオンは思いっ切りびびっている様で、思わず後ずさっていた。流石に、誰も自分の生気をやりたいとは思わない。預かると言うことは、食の面倒も見ると言うことだ。
「う、嘘っ! 何なの?! どうして?!」
じっとシオン、シュライン、汐耶、凪砂、草間の四人が、視線で押し付け合いをしている中、彼らの外側で、絵美の素っ頓狂な声が上がった。
先の睨み合いの面々は、今度は何事だとばかりに振り向くと誰もが口を開いたまま絶句する。
「……」
固く閉じられていた赤ん坊の目が、ぱっちりと開いていた。
徐々にその姿が、人型から母親に近い形へと変わって行く。
「桜の衰えが、気に掛かりましたからね。少々細工をしたんです。この赤ん坊には、精気が足りなかったんです」
にっこりと笑うモーリスと、それを恐らく察していたのだろうセレスティ。
「成程ね…。だから『私の揺りかごは、とても快適ですよ。そう、一生出たくないと思えるくらいに』なのね。栄養満点のカゴの中は、そりゃー快適よねぇ…」
こっちも最初からそう言えと、声を大にして言いたい。
確かに、器に入っているべきものが欠けている状態であったなら、それを埋めてくれるものは有り難いに決まっている。
しかし、何故こうも、内緒事が多いのだろう。シュラインは、はあと大きく溜息を吐いた。
「本来持つべき筈の、容量分の精気を与えていた…と言うことかしら?」
汐耶はモーリスを見やるとそう呟く。
「じゃあ、一件落ーー着、ですよねっ?」
「そうね。子どもも動けそうですし」
シオンの言葉に凪砂が同意を返す。
全員で草間を見ると、彼は大きく溜息を吐いた。
彼の心境はこうだろう。
『また詰まらぬ依頼を受けてしまった……』
だが。
「有り難う御座いました!」
絵美が満足した笑顔で、草間を初めとする七人に頭を下げる。
「まあ、こう言うのも、悪くはない…か」
少し照れた風の草間に、草間興信所の調査員達が小さくそっと吹き出した。
Ende
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1883 セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) 男性 725歳 財閥総帥・占い師・水霊使い
3356 シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい) 男性 42歳 びんぼーにん(食住)+α
1449 綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや) 女性 23歳 都立図書館司書
0086 シュライン・エマ(しゅらいん・えま) 女性 26歳 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2318 モーリス・ラジアル(もーりす・らじある) 男性 527歳 ガードナー・医師・調和者
1847 雨柳・凪砂(うりゅう・なぎさ) 女性 24歳 好事家
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ライター通信
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こん●●わ、現在風邪引き真っ最中の斎木涼です。
職場で風邪を貰いました。皆様、日頃、野獣並の体力を持つ人が風邪を引いた場合、近寄ってはなりません。ええ、もう貰ったら死んじゃいますよ、人間止めたくなっちゃいますよ。ひ弱い人間は…。
それはさておき。
> シュライン・エマさま
初めまして、斎木涼と申します。
今回は依頼を受けて頂き、有り難う御座います。
シュラインさまは、世話好きで気っ風の良いお姐ぇさんと言うイメージが、まず最初に私の頭に浮かびました。上手く書けていますでしょうか。
プレイングの方も細やかで、こちらが『あ、確かに必要』と気付かせて頂くこともあり、とても助かりました。有り難う御座います(^-^)。
シュラインさまに、このお話をお気に召して頂ければ幸いです。
ではでは、またご縁が御座いましたら、宜しくお願い致します(^-^)。
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