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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


鍋を囲んで


 ぴゅう、と冷たい風が吹き、藤井家の窓をガタガタと揺らした。
「持ち主さーん。窓がガタガタ言ってるのー」
 藤井・蘭(ふじい らん)は、緑の髪の奥にある大きな銀の目で窓の外を見つめながら叫んだ。
「木枯らしが吹いてきたんだ」
 台所から蘭の声に応え、藤井・葛(ふじい かずら)はそう言った。ざくざくという音をさせながら様々な野菜を大ぶりに切っていく。春菊に白菜、人参に大根。
「全く、最近野菜が高いから困ったもんだ」
 葛は誰に言う事なくそう呟き、苦笑した。さらりとした黒髪から覗く翠の目は、まな板の上で鮮やかな緑を保ったままのホウレンソウに向けられている。
「肉よりも野菜が高級品……っていうのも、変な話だよな」
 葛は切り終えた野菜を、大皿に入れながら呟く。今年の気象は、台風ばかりだった。各地で多大な被害があるとニュースで報道していた。異常気象だと、その時のレポーターが真面目な顔で喋っていたように思われる。尤も、葛にとっては異常気象が困った事なのではない。勿論、異常気象は充分に困ったものかもしれない。だが、それ以上に困った事が目の前にあるのだ。野菜の高騰である。
「……でもさ、やっぱり野菜は欠かせないよな」
 思い切って買った事は間違いではないのだと、葛は自分に言い聞かせる。思えば、そのような高級品を使った夕飯というのはなんとも贅沢ではないか。
(野菜だけど)
 こっそりと、葛は心の中で付け加えた。
「こんなもんかな?」
 葛は大皿に並べられた野菜を見、うん、と頷いた。そして、棚を開けてガタガタと音をさせながら大きな箱を取り出す。箱にはマジックで大きく『コンロ』と書かれてある。
「燃料は……ああ、大丈夫みたいだな」
 ガスのストックを確認し、葛は箱をそのまま居間に運んだ。居間にあるコタツには、既に布団がかかってある。もう大分、寒くなってきていたからだ。
「……ふにゃ」
 コンロの箱をコタツ机に置き、中から取り出していると傍から声が聞こえた。見ると、いつの間にか窓から移動してきたらしい蘭が、コタツの中にすっぽりと入ってうとうととしていた。
「蘭、そんな所で寝ていたら風邪ひくぞ」
「……はーい……なの」
 半分聞いて、半分眠りながら蘭が返事する。葛は「しょうがないなぁ」と苦笑しながら、コタツ布団をしっかりと蘭にかぶせてやる。そうしておいてから、コンロをコタツの上にセットをした。
「やっぱり、寒い時は鍋だよな」
 セットされたコンロを見て、葛はにやりと笑う。
「あとは……箸と湯飲みと……取り皿と……」
 葛は立ち上がり、台所に行って先ほど自分で確認しながら言ったものを、次々にお盆の上に置いていく。置き終わると、それらをコタツの元へと持っていく。持ってきた箸と湯飲みと取り皿を、コタツ机にセットする。全部で、三人分。
「……そろそろ来るかな?」
 葛がそう言った、正にその瞬間だった。ピンポン、と軽快なチャイム音が鳴り響いたのだ。その音に、眠っていた蘭の目がぱっちりと開く。
「来たのー?」
「ああ、来たみたいだな」
 葛はそう言って玄関へと向かう。鍵を開けてドアを開けると、そこには藍原・和馬(あいはら かずま)が立っていた。茶色の髪の奥にある黒の目を真っ直ぐに葛に向け、にかっと笑う。
「よ、遅くなったな」
「そんな事は無い。丁度、こっちも用意が出来たばかりだからな」
 葛はそう言い、和馬にスリッパを勧めた。和馬はそれに足を通し、手にしていたスーパーの袋を高く掲げてみせる。
「葛、こんなもんで足りるか?」
「どれどれ?」
 葛はそう言いながらスーパーの袋を受け取る。和馬に肉と野菜を買ってきてもらうように頼んでいたのだ。
「……肉、多いな」
「……そうか?」
 スーパーの袋の中に入っていた肉と野菜は、7:3くらいの割合で肉が多かった。主に肉、と言っても過言ではないくらいだ。
「ま、いいじゃねーか。どうせ食べるんだし」
 和馬はそう言い、葛の背をぽんと叩く。葛は苦笑し、「ま、そうか」と言った。
「にしてもよ、野菜高いなー。俺、凄くびっくりしたんだけど」
「そうだろう?高級品扱いだ」
「だから思わず肉を一杯買ったんだけどな」
 和馬が取ってつけたように言うと、思わず葛は吹きだした。それにつられ、和馬もははは、と笑う。
「で、俺は何をすりゃいいんだ?」
「そうだなー……」
 野菜は和馬が持ってきたものを切ればいいだけだし……と、葛が思案し始めたそのときだった。
「僕と遊ぶのー!」
「お、蘭じゃねーか」
「和馬お兄ちゃん、こんにちはなのー」
 蘭がひょっこりとコタツから出てきて、和馬にぎゅっと抱きついた。
「そうだな。和馬は蘭の相手をしてやっていてくれ」
「……だな」
 互いに苦笑しあい、葛は鍋の用意に取り掛かり、和馬は蘭の相手をする事になった。


 野菜と肉を入れた大皿と、お茶碗に入ったご飯をコタツへと運び終えると、いよいよ鍋の番になった。
「和馬、コンロに火をつけてくれ」
「はいよ」
 きゃっきゃっという蘭の声に混じって、和馬が返事した。それを確認すると、葛は鍋つかみに手を入れて鍋をコタツの上のコンロまで移動させた。先ほどまで粗方煮込んでいた鍋は、コンロの上に置いた途端にぐつぐつという音をさせ始めた。
「……いい匂いなのー」
 鍋から漂ってくる良い匂いに、蘭がくんくんと鼻を鳴らした。
 ぐつぐつという音と、鍋から漏れる良い香りの白い湯気。ふわりふわりと立ち昇っていく姿もほっとさせられる。
「ご飯、持って来る」
 葛はそう言い、台所に行って茶碗にご飯をよそう。
「和馬、お茶入れといて」
「了解」
 ごぽごぽと、ポットから急須にお湯が注がれる音がする。
「蘭はお水がいい?」
「お水がいいのー」
 蘭がお気に入りのビーズクッションに座ったらしい、くしゃりという音がする。
(緩やかだなぁ)
 葛は時間がゆっくりと流れて行くのを確かに感じ、くすくすと笑った。何故だか分からないけれど、何となくくすくすと笑ってしまった。
 ほわほわと白い湯気をあげているご飯をよそった茶碗を、コタツの方へと葛は持っていく。青と緑のストライプの茶碗が和馬、にゃんじろーの茶碗が蘭、そしてピンクの花柄の茶碗が葛のだ。
「お鍋、開けたいのー」
 蘭がパンダの形をした鍋掴みに手を突っ込みながら、ひらひらと手を振った。
「危ないよ?」
 葛がそう言うと、和馬がにやりと笑う。
「びっくり箱みたいな感覚なんだろう。開けてみたいんだよな?蘭」
「そうなのー」
「じゃあ、気をつけて開けるんだぞ?」
「和馬」
 蘭に鍋を開ける事を勧める和馬に、葛は思わず声をかける。だが、ただ和馬はにやりと笑って見せるだけだ。
「大丈夫だ。……ほら、開けてみろよ」
 和馬は自らもパンダの形をした鍋掴みに手を突っ込みながら、蘭を促した。蘭はこっくりと頷き、「んしょ」と言いながらゆっくりと鍋の蓋を開けた。途端、ふわりと大きな白い湯気が立ち昇っていく。いい匂いも、部屋中に広がっていく。
「凄いのー!」
 感動する蘭の手から、和馬は鍋の蓋を受け取り、傍にごとんと置いた。葛はとりあえず何事も無く開けられた事にほっとする。
「ほらな、大丈夫だろ?」
「そうだな」
 得意そうな蘭の頭をくしゃりと撫でてやりながら和馬は言う。その顔に、思わず葛も蘭の頭を撫でてやる。
「さあ、食おうぜ!」
 和馬はそう言って、大皿に盛り付けられた肉を一気に鍋に突っ込んだ。綺麗に並べて入っていた野菜たちに乱入する膨大な肉。
「和馬、一気に入れすぎ」
 葛が思わず突っ込むと、和馬はにこにこと笑いながらひらひらと手を振る。
「いいんだっていいんだって。どうせ食べるんだし」
 和馬はそう言うと菜箸で肉に均等に熱が行くように動かす。葛も苦笑しながらお玉で灰汁を取っていく。
「食べたいのー」
「はいはい」
 蘭の催促に、葛は煮えていそうな野菜と肉をよそってやる。ほわほわと湯気を上げる皿を受け取り、蘭は嬉しそうに「わーい」と言いながら箸を手にする。はふはふと言いながら鍋を食べていく。
「取ろうか?」
 葛はそう言って和馬に手を差し出すと、和馬は「ああ」と言って皿を差し出す。煮えている野菜と肉を取よそってから差し出す。
「……肉、少なくねぇ?」
「そうかな?」
 葛はそう言い、自分の皿にも野菜と肉をよそう。はふはふと言いながら食べる三人の姿が、なんだか楽しい。
 二杯目からは自分でよそって食べることが、暗黙のルールになっていた。和馬は肉を率先して食べ、少なくなれば再びがばがばと入れていった。葛は灰汁をこまめに取り、肉しか入れない和馬の代わりに野菜を入れていった。蘭は「おいしいのー」と言いながらはふはふと鍋を口にしていく。
「あ」
「お」
 そんな中。ふと、葛と和馬の箸が同じ肉を取ってしまっていた。互いに顔を見合わせ、思わず顔を赤くしながら互いに肉から箸を離す。
「ごめん。和馬、食べていいよ」
「いや、俺は結構食ったし。葛、食べろよ」
「俺、野菜食べるからいいよ」
「まあまあ、食べとけ食べとけ」
 二人とも、互いに譲り合ってばかりいた。小さな事を主張し合い、小さな事を繰り返し。そんなやり取りを見ていた蘭は、にこっと笑ってその譲り合っていた肉をひょいと箸で取って自分の皿に入れた。葛と和馬が呆気に取られる中、自らの口にぽいっと放り込む。もぐもぐ、ごっくんと飲み込んでからにっこりと笑う。満面の笑みで。
「おいしいのー」
 ぐつぐつと鍋が煮えている。ただ、それだけの音が室内に響いていく。
 しばらくし、葛と和馬は互いに顔を合わせ、ぷっと吹きだした。
「どうしたのー?」
 蘭はきょとんとして突如笑い出した二人をかわるがわるに見た。
「何でも無いことなんだけどね」
 くすくすと笑いながら、不思議そうな顔の蘭に葛が答える。
「何でも無いことが可笑しいんだって」
 くつくつと笑いながら、小首をかしげたままの蘭に和馬が答える。
 蘭はそんな二人の様子に「そっか」と言って、にっこりと笑う。
「お鍋、おいしいからなのー」
 今まで解けなかったクイズを解いたような顔で得意そうに言う蘭に、再び葛と和馬は顔を見合わせて笑った。互いに、それでもいい、と思っていた。いや、寧ろそれがいいのだと。
 白い湯気が部屋一杯に広がり、いい匂いが部屋中を埋め尽くし、ぐつぐつという音が空気を震わせる。
(それが、一番じゃないか)
 葛はしみじみと思う。それこそが鍋の醍醐味であり、鍋の存在意義そのものなのだと。
「葛、もっと肉入れようぜ」
 和馬はそう言うと、既に肉を鍋の中に入れていた。
「野菜も入れないと」
 葛はそう言いながら、鍋の中に野菜を入れていく。こまめに灰汁を取りながら。
「僕、もっと食べられるのー」
「お。今日はよく食べるな、蘭」
 皿を持ち上げてにこにこと笑っている蘭に、和馬は笑いかける。
「お鍋、おいしいのー。僕ね、お鍋大好きなの」
「それはいいな。栄養もちゃんと取れるし、意外と簡単だしね」
 葛が蘭の意見に微笑みかける。和馬も「だな」と言って笑う。
 いつしか大皿一杯にあった野菜と肉は、すっかりなくなってしまっていた。三人ともの頬はほんのりと赤く染まり、コタツのスイッチもいつの間にかきられていた。体中がぽかぽかとしていたからだ。下手をすると、汗をかくかもしれない。
「いいな、こういうの」
 ぽつりと葛が漏らす。和馬は「そうだな」と頷く。
「またしようぜ。……もう少し、肉があっても良かったしな」
「まだあったら食べる気なのか?」
「勿論。多分、蘭だって食べると思うぜ」
 なあ、と和馬が蘭に言うと、蘭は「食べるのー」と言ってにこっと笑った。そしてすぐに「あ」と言って訂正する。
「でも、今はもういいのー」
「そうだな」
「だろうな」
 葛と和馬は互いにそう言い、再び笑い合った。蘭もそれに便乗し、三人で笑い合った。
「雑炊、するか?」
 ふと、和馬が漏らす。もう少し、食べたいらしい。
「あ、いいな。俺も食べる」
 葛もそれに便乗する。一旦火を止めていた鍋が再び火にかけられ、ぐつぐつとまた音をさせ始めた。それにご飯を入れて煮込んでいると、先ほど「もういいの」と言った蘭までもが匂いに負けたらしく、再び茶碗を握り締めた。
「僕も、食べるのー。……ちょっとだけなの」
 三人で再び顔を見合わせて笑い合い、雑炊をゆっくりとお腹に収めていった。先ほどまでに流れていた緩やかな時間を、再び堪能するかのように。
 こうして、三人の心もお腹も鍋によってすっかり満たされ暖められているのであった。

<鍋の中身はすっかり空となり・了>