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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


レキシントン・アヴェニューの片隅より


    01 Opening

 夜中に携帯電話の着信音が鳴った。
 普段だったら問答無用で電源を切ってやるところだけれど、着信画面に出た名前が意外な人物のものだったので、眠い目を擦りつつ電話に出ることにした。
「Hello? 今何時だと思ってやがるんだよ、」
 クソ野郎、と、英語だから勢いづいて言えるようなスラングを辰彦は吐いた。うちの母親に聞かれたら教育的指導が入ること請け合い。
 電話の向こうで、おそらく時差の存在なんてすっかり忘れているであろうニューヨーカーのブライアン・マクロイが、スミマセン、とあやまった。
『日本は今夜中?』と片言の日本語で訊いてくる。
「夜中だよ、何の用さ。国際電話なんだからちゃっちゃと用件済ませてよ」
 ブライアンの日本語と彼の英語は似たようなレベルだ。眠くて不機嫌なので日本語で押し通すことにした。
『うん、えーと、辰彦に頼み事があるんだけど』
「So what? あー面倒くさい。やっぱり眠いから明日かけ直して」
『明日になったら、俺が夜中になっちゃうよ』
「知るか」
『イジワルだね』
「じゃあさっさと用件言えよ。何さ。頼み事っつったってニューヨークまで行けないかんね」
『それは困る。ゴーストバスターズごっこなんて、面白がりそうなの辰彦くらい』
「……はぁ?」
 思わずマヌケな声を上げてしまった。
 ゴーストバスターズって……ゴーストバスターズ? お化け退治かよ。
『隣りの部屋にゴーストが出るんだ』
「見たの?」
『俺は見てないよ。でも他の人が見たって。おかげで住人が出てっちゃって、家賃取り立てられないから、そのゴーストなんとかしてほしい、って頼まれた』
「ニューヨークのお化け騒ぎを僕に持ち込まないでくんないかなぁ……。だいたいなんでブライアンとこに話が来るわけ? 陰陽師でも呼んだら?」
『オンミョージ?』
「訂正。エクソシストでも呼べば?」
『うちの近所にエクソシストいないよ』
「そんなのごろごろいてたまるか!」
『辰彦、不機嫌?』
「めっちゃくちゃ不機嫌。幽霊退治は面白いけど、ニューヨークまで行く物好きいないから。第一そのお化け、アメリカンだろ。日本語で成仏させられんの? 向こうが理解できなかったらしょーがないじゃん」
 我ながらなんかアホなこと言ってる、と辰彦は思った。それともお化けはバイリンガルなんでしょーか。
『そこをなんとか』とブライアンが哀れっぽい口調で言う。
「変な日本語知ってんね……」
『頼まれてくれない? 俺の今月の家賃かかってるから』
「…………。……また家賃と引き換えに妙なこと安請け合いしたな、おまえ!!」
 ヤスウケアイ? と首を傾げるブライアンの姿が目に浮かぶようだった。


    02 Poltergeist/ing

「問題のアパートっていうのは、ここね」
 シュライン・エマは、メモ帳に書かれた住所と建物の番号とを確認した。
 ニューヨークはマンハッタン、位置的にはスパニッシュ・ハーレムに当たるレキシントン・アヴェニュー北。
 本業の関係でアメリカに来ていたシュラインが日本の知り合いから『ニューヨーク怪談』の話を聞いたのは、こちらでの用事もあらかた済ませた滞在四日目のことであった。残りの二日間は観光に当てるつもりだったのだが、知り合いが困っているのを見捨てるわけにもいかず、つい手伝いに来てしまったのだ。――幽霊退治、を。
 何でも自殺した女性の幽霊がアパートの一室でポルターガイスト騒ぎを起こして、大家さんと住人が大弱り、らしい。
 なるほどいかにも幽霊が出そうなホーンテッド・アパートが、目の前には佇んでいた。
「……確かにいい雰囲気出してるわね」
 ニューヨーク怪談か。シュラインは苦笑を浮かべる。怪奇現象の類いはどこの都会にも満ち溢れているらしい。
 陽気な音楽を垂れ流しにしているデリの横の扉を潜り、シュラインは蜘蛛の巣が目立つ階段を上っていく。
 幽霊退治の依頼人は、二階の端の部屋に住んでいるということだった。玄関チャイムを鳴らそうとすると、
「お待ちしてましたー!」
 ――中から扉が開き、大柄なアメリカ人と共に、片言の日本語が飛び出してきた。
「辰彦に頼まれて日本から来てくれた人だよね! 英語喋る?」
 とこれは英語で聞いてくる。シュラインはその勢いに押されつつ、ええ一応、と頷いた。
「それは良かった! 長旅お疲れ様! さぁ入って入って!」
 エクスクラメーションマークつきまくりの英語で促され、シュラインは内部へ上がり込んだ。外装の割りに、中はわりとまともだった。少なくとも幽霊がうようよしている様子はない。
「疲れてるでしょ、適当に休んで。あ、俺、ブライアン・マクロイ。同居人は今留守。よろしく」
 にこにこ笑顔で右手を差し出される。その大きな手を握り返し、
「シュライン・エマよ。よろしくね。仕事の関係で何日かこっちに滞在してたから、時差ボケはないわよ」
「あ、そーなの? そんなら今すぐ幽霊退治できるね!」
「今すぐ? って……」
 ブライアンは相変わらずにこにこしながら、親指を立てた。グッジョブ、ではなくて、上に注意を促しているらしい。シュラインは天井を見上げる。
 どすんばたんどすんッ!
 と、何やら物凄い音が響いた。次いで、日本の擬音風に表現するならがっしゃーん、とかどっかーん、とかいう大破砕音が聞こえてくる。
「……三階、痴話喧嘩でもしてるの?」
 シュラインはおそるおそる訊いた。いんや、と首を振るブライアン。
「ポルターガイスト現在進行形」
「…………」
 ――何だかとんでもない依頼を引き受けちゃったみたいね、と溜息をつくシュラインであった。


    03 A Noisy Neighbor

 ポルターガイストというのは、ドイツ語で『騒がしい霊』を意味する。
 一時期マスコミで何かと取り沙汰にされていたので、その単語を耳にしたことがある者は多いだろう。
 レキシントン・アヴェニュー沿いの慎ましやかなボロアパートを、恐怖のどん底――もとい、大迷惑のどん底に突き落としているその現象は、まさに『騒がしい霊』の好例であった。
「……というわけなの。ヨロシク」
 どたんばたんどこんどがん、と異音がつづく上階を指差し、依頼人のブライアン・マクロイは、へらっと頼りない笑顔を浮かべた。
「…………」
「…………」
「…………」
 ブライアンの部屋に集まった三人の依頼請負人は、互いに顔を見合わせ、次いで天井を見上げた。
 ぴたり。騒音が止む。
「……痴話喧嘩の間違いじゃないのか?」
 梅黒龍少年は、呆れ顔でもっともありえそうな可能性を口にした。
「痴話喧嘩にしては、派手よね」
 とシュライン・エマ。
「やはりここは、上の階へ行って確かめてみるべきでしょうか」
 シオン・レ・ハイは、誰もが避けたがっていた提案を申し訳なさそうに口にする。
「……そうね……」シュラインは気が進まないといった様子で答えた。「ありえないとは思うけど、誰かが悪戯でやっているっていう可能性も捨て切れないしね。その悪戯に何かメリットがあるのかどうかは別として」
「一度行って確かめてみるのは良い考えかもしれないが……、噂の信憑性は? その自殺した女性の身辺に関する資料はないのか?」
 シュラインは、黒龍の言葉を端的に英語で説明する。ブライアンは、ああ、と頷くと、同じく英語でシュラインに何事か伝えた。
「身寄りのない人だったそうよ」二人に向き直って、シュライン。「若い女性だけど、あまり恵まれた生活は送っていなかったみたいね。他の住人が何度か部屋に男性を連れ込むのを見かけたことがあるそうだけど、交友関係はそれだけ。亡くなったという事実を知らせるべき人間がいなかったんですって」
「それは可哀想に。一人ぼっちで亡くなっていったのですね」
 シオンはいたたまれないというように眉を顰める。
「……力技でどうこうするのは気が進まないな」
 黒龍がつぶやいた。
 それはここにいる全員の総意だった。
 それこそエクソシストを呼んできて聖水でもぶっかけさせれば強制的に昇天させることも可能かもしれないが、「彼女」は決して性質の悪い悪霊の類いではなく、寂しい思いをして死んでいった、哀れな一人の女性なのである。
「そうね……、まず私が確かめにいくことにしましょう。同じ女のほうが刺激しなくて良いかもしれないしね。その間に彼女の身辺を調べてもらえるかしら?」
「了解。簡単にはいかないかもしれないが、できるだけのことはやってみる」
「問題の男性を見つければ、最善の策を取れるかもしれませんね」
 三人は目配せして頷いた。
「やっぱり辰彦の友達、頼りになるね。どーぞよろしくお願いします」
 三人の会話を理解していたのかどうかはさておき。
 ブライアンはありったけの感謝を込めて、下手な日本語を口にした。いってらっしゃい、気をつけて、と手を振る。
 ブライアンの部屋をそれぞれ出ていこうとした三人は、足を止めてくるりと振り返った。
「ところで、今日の夕飯はどうなるんでしょうか?」
 シオンの問いに、ブライアンは笑顔のまま固まった。「はい?」
「今日中に解決して、はいさようなら、っていうわけにはいかないものね。晩御飯、期待してるわね」
「え、えーと。……俺が奢るんですかー?」
 なぜか敬語になっているブライアン。
「宿代には、食事代も含まれているんだよな」
「あ、あれ? そういう契約だったっけー?」
 そもそも契約書がないんだけどね、ブライアン君。と三人の依頼請負人達は思った。文書が存在しないということは、契約内容なんていくらでも変更できるってことであって。
「では、楽しみにしております」
「材料を揃えておいてくれれば、私が作ってもいいわよ」
「よろしく頼んだ」
 三人は好き勝手言い残してから、ブライアンの部屋を出ていった。
「辰彦の友達って……皆こんななのー……?」
 母国にいながら、言葉の通じない異国に放り込まれた心境のブライアンであった。


    04 A Solitary Life

 廊下はしーんと静まり返っていた。
 頭上で蛍光灯がばちばちと明滅する。もう寿命ね、と思った矢先に、蛍光灯はその短い生涯を閉じてしまった。光の届かないじめじめした廊下は、闇に鎖される。
「……夜に来たら、なかなか良い雰囲気なんじゃない……?」
 無論暗闇や幽霊に怯える彼女ではない。闇や幽霊というのは、彼女にとって『なんだかわけのわからない怖いもの』ではなく『実害があるもの』なのだった。暗闇に潜む通り魔とか、そういうのと同じ類いである。正体がわかっているのなら対策は講じられる。無闇に怯える必要はない。
(人を傷つける類いの霊には思えないけど……)
 ポルターガイストの実害なんて、やかましいことくらいだろう。私だったら「うるさい」って怒鳴って済ませるわね、などとシュラインは思う。
 今は静かだった。暴れるのも面倒くさくなったのだろうか。
 彼女はそっと問題の部屋の扉を上げる。
「……お邪魔しま――」
 す、と一歩踏み込んだ途端、ポルターガイストが再発した。
 人間一人の力ではとても持ち上がりそうにない家具までもが空中を飛び交っている。
「これは、なんていうか、思ったよりも……」
 凄まじい。霊の性質が悪いとかいうのではなく、これは、あれだ。女のヒステリー。
「貴方をどうこうしようとする気はないわ」
 シュラインは戸口に立って、ホールドアップの姿勢を取る。
「貴方と話がしたくて来たの。私はシュライン・エマ。貴方の名前を聞かせてもらえない?」
 調度品の乱舞は収まらない。しかし、シュラインに危害を加えようという意志はまったく感じられなかった。彼女を避けて飛んでいる。
「何か悲しいことがあるのでしょう? 私が聞いてあげるわ」
 だから、ちょっと落ち着いて。部屋に入らせて頂戴、と諭すように言う。
「…………」
 シュラインを信用することに決めたのか。
 ポルターガイスト現象は、ぱたり、と止んだ。再び静寂が辺りを支配する。
 それを歓迎と取り、シュラインは部屋へ上がり込んだ。
「……っと、部屋が荒れ放題ね。これじゃ落ち着いて話もできないじゃない」腰に手をあてがってふうっと溜息をつく。「少し骨が折れるけど、まずはリビングだけでも掃除しなきゃ」
 シュラインはきょろきょろと部屋の中を見回す。
 手始めに引っ繰り返ったソファを元に戻し、応接用のテーブルを中央まで持ってきた。ちょっとお邪魔するわね、と寝室に入っていき、クッションを二つ持ってくる。伊達にあの興信所に出入りしていない。整理整頓はお手の物だ。
(まだ殺風景ね……うーん)
 シュラインは顎に手を当てて考え込む。
 殺風景な部屋に彩りを添えるには――花。それから紅茶とお菓子。
 ……そういえば一階にデリがなかったろうか?
「そうね、ちょっと行って何か買ってきましょう。すぐ戻るから、それまで大人しくしていてね?」
 姿の見えない霊(?)に向かって言うと、シュラインは部屋を出ていった。

    *

「さて、こんな感じでどうかしら」
 シュラインの尽力で、荒れ果てた部屋は見違えるようになった。リビングだけだが。
 勝手に借りたキッチンで紅茶を二人分淹れ、応接テーブルの上に置く。たった今買ってきた花を花瓶に生け、女性の部屋らしく。
 シュラインはソファに腰かけると、一緒にどう? と紅茶のカップを持ち上げた。
 ふわ、と風が起きた。
「…………」
 風に誘われるように目をやる。
 何もなかった空間に、――一人の女性が立っていた。唇を引き結び、じっとシュラインを見つめている。
 シュラインはにこっと微笑んだ。
「ほら、貴方も座って。女同士、腹を割って話さない?」


    05 A Sorrowful Ghost

 女性の名前は、アマンダ・スミスといった。
 彼女はニューヨーク州校外の生まれだが、若くして両親を亡くしてしまったらしい。二十歳になったばかりの頃に慣れ親しんだ実家を引き払い、単身ニューヨーク・シティへ渡ったという。で、家賃が安いからという理由で借りたのが、レキシントン・アヴェニュー北沿いの、お世辞にも住み心地が良いとは言えないアパートだった。
 大学へ行く金もなく、小さなレストランで働き、それはそれは慎ましやかな生活を送っていた。そんな彼女の退屈な日常に射した光が、ある男性との出逢いだった。――曰く、彼女と同様にその生活は決して裕福ではなかったが、画家になる夢を捨てられずにニューヨークへやって来た青年だったとかなんとか。
 要は、一昔前の恋愛小説みたいなノリなのであった。
 一頻り彼女の話を聞き終えたシュラインは、
「本当に彼のことを愛していたのね……」
 うんうん、と頷いて、切なげな溜息を漏らした。
 一方、男二名は、問題のポルターガイストが起きている部屋の入り口に立ち尽くして呆然としている。
「……どうしたんだ? この有り様は」
「素敵な飾りつけですねぇ……」
 ソファの上にはふかふかのクッション。窓辺に飾られた花。テーブルの上にちょこんと載せられた二つのカップ。おそらく中身は紅茶。
 部屋の反対側を見れば今しがたポルターガイスト現象が起きたばかりとでもいうような惨憺たる有り様である。……なんというか、シュールだ。と男性陣は思った。
「あら、帰ってきたの?」ソファに腰かけてくつろいでいたシュライン・エマは、ようやく戸口に立っている二人の姿に気づいた。「今、アマンダさんとお話してたところなんだけど――」
 途端。
 風が吹いたわけでもないのにカーテンがざっと揺れ、部屋の調度品がひとりでに浮き上がり、
「って、ちょっと待て!」
「男性は立ち入り禁止なのですか!?」
 二人を目がけて飛んできた。
 黒龍は咄嗟に盾座を展開する。バリアの要領で、黒龍の力によって作り出された見えない盾が飛んできた調度品を弾き返した。
 シュラインがあらあらと苦笑する。
「あの二人は貴方のお話を聞きにきてくれたのよ、アマンダさん。悪い人達じゃないから勘弁してあげて」
 シュラインが虚空に向かってたしなめると、ポルターガイスト現象はぴたりと止んだ。空中に浮かび上がっていた卓上ランプやら本、ナイフにフォークといったものが、どさどさどさ、と床に落ちる。
「せ、説得も何も、ないじゃないか……」
「便利な能力ですねぇ、黒龍君……助かりました……」
 二人はぜえはあと肩で息をつく。
 シュラインは唇に手を当て、困ったわね、という顔をする。
「話が見えないのですが……、とにかく彼女とお話をしている最中なんですね?」
「ええ。やっぱりこういうのは、腹を割って女同士で語り合わないと」
 腹を割って、ねぇ?
 なんとなく顔を見合わせてしまう男性陣二人である。
「それじゃボク達の出る幕はなしということで――」
「まさか何も収穫がなかったなんてことは、ないわよね?」
「ないことは、ないんだが」
 あんまり近寄りたくない、と黒龍。ベッドでも投げてこられそうだ。
「アマンダさんに危害を加える気はないわ。二人とも入っていらっしゃいよ」
 でもさっき、ナイフとかフォークがピンポイントで飛んできたような気がするんですけど。
「良いでしょう、アマンダさん?」
 答える声はない。しかしシュラインはなぜか彼女と意思の疎通を図れているようだ。二言三言喋った後、入っていいわよ、と二人を目で促す。
 黒龍とシオンは、居心地の悪い思いをしながらもとりあえず部屋に入った。それぞれ、シュラインの向かい側に腰かける。
「それで、何か収穫は?」
「はぁ……」シオンは煮え切らない返事をした。「その前に、彼女? を紹介していただきたいのですが。……どちらにいらっしゃるんですか?」
「え?」きょとんとするシュライン。「いるじゃない。私の隣りに」
「どうも、ボク達には彼女の姿が見えていないようなんだが」
「本当に?」
 シュラインは軽く目を見開き、ソファの隣りに目をやった。もちろんそこには誰もいない。ように、見える。
「それじゃあ、彼女の声も聞こえないのね?」
 二人は同時に頷いた。
「そうか、完全に一方通行ね……」
「シュラインさんが通訳と化しているな」
「そのようですね」
 こちらは見えないのに、あちらは認識できるというのも、何だか気持ちの悪いものだ。マジックミラーのようなもので。相手が幽霊となれば尚更である。
「とにかく、そういうことなのよ」シュラインは誰もいない虚空に向かって話しかけた。「貴方を成仏させてあげたくて来たの。……成仏? 昇天の間違いか」
「なんとなく、調子が狂うのですが……ともかく、除霊を試してみましょうか?」
 シオンは宣言すると、おもむろに上着の内側から小さな本を取り出した。
「何、それ」
 表紙に書かれたタイトルに目をやり、シュラインは胡乱げな視線を向ける。
「『今日からできる楽しい除霊!』ですが」
 何か? と首を傾げるシオン。
「胡散臭いな」「胡散臭いわね」
 黒龍とシュラインの声が重なった。
「まあ、そう言わずに。まずは試してみようではありませんか」
「一体何が書かれているのよ」
「ええとですね……、一、トルネコの木から杭を削り出し……」
「……それは吸血鬼の退治の仕方じゃないのか?」
「おお、そうでした。では五行説を――」
「それは陰陽道よ」
「……アマンダさんには効かないのでしょうか?」
「たとえ効いたとしても、試したら可哀想でしょう!」
「では」こほん、と溜息をついてやおら立ち上がるシオン。「アフリカ奥地の部族の踊りを――」
 だから胡散臭いのよ、とシュラインの手刀がシオンの額にヒットした。突っ込みにしてはわりと本気っぽかった。
「シュラインさん……、頭から血が、ですね」
 流血大惨事になっている額を押さえて、シオンは呻くような声を漏らす。
「次行きましょう、次!」
「お待ち下さい。もう一つ試したいことがあります」
 不意に真剣な眼差しになるシオン。きらん、と目が光っていた。
「今度はまともなんでしょうね?」
「ええ、もちろん。少々お待ち下さい」
 言い置くと、シオンはソファを立って部屋から出ていった。
 残された二人、プラス一霊は、微妙な間を持て余している。ずずっと紅茶を啜るシュライン。
 ほどなくしてシオンが戻ってきた。なぜか、掃除機を抱えて。
「ブライアンさんから借りてきました」
 晴れやかな笑顔で、シオンは掃除機のプラグを壁に差し込んだ。
 一抹の不安を感じつつ、シュラインはシオンに訊ねた、
「……それでどうする気なの?」
「もちろん、幽霊さんを吸い込めるか試し――」
 紅茶のカップが華麗に空中を舞った。で、再びシオンの額にヒットする。ちなみにポルターガイストではない。物理現象だ。
「シュラインさん……、なかなか、手厳しいですね……」
 そういうあんたはなかなか不死身ね、と冷たい声で言うシュライン。「シオンさんはちょっと黙っていて頂戴」
「了解しました……」
 シオンはふらふら立ち上がってリビングの中央に戻ってくると、すとんとソファに腰を降ろした。シュラインは黒龍に向き直る。
「黒龍君は? 何か良い方法はないかしら?」
 つまり成仏させる良い方法、だが。本人(?)を前にしてこんな会話をしていても良いのだろうか、などとちらっと思う黒龍である。
「彼女と話をできるなら、何か手段も思いつきそうなものだが……」
「ですって。皆、貴方とお話したいそうよ。姿を見せてあげることってできないのかしら?」
 シュラインはゆっくり諭すような口調で問いかける。
「ボク達に対してのみ姿を隠しているということか?」
 黒龍は、彼女がいるであろう場所、に向かってゆっくりと言う。それならボクは貴方と話してみたい。
 ぼんやりと、何もない空間が淡く光った。ふわり、舞い上がるカーテン。黒龍は身構えて盾座を展開しようとする。しかし黒龍が予想していたような出来事は何も起こらなかった。
 代わりに、シュラインの横に一人の女性が腰かけていた。
「あ――」
 幽霊を目の前にして、黒龍とシオンは、思わず間抜けな声を上げてしまった。
 白い肌と青い瞳。ストレートの金髪。唇を引き結び、じっと黒龍を見つめるその表情には憂いが刻まれている。物言いたげな視線、けれど無言。ホログラムか何かのように、向こうの風景が透けて見えている。
「驚いた……本当に」
 対等に会話を交わすことができる幽霊が、存在するとは。
「綺麗な人でしょう?」
 彼女にわからないように日本語で囁いて、ふふっと微笑を零すシュライン。
 確かに彼女は綺麗だった。儚げな美人とでもいうのか。
 なぜこんな娘が、自殺なんて悲しい死に方をしなければならないのか、と思わせる。
 というよりむしろ。
「本当に貴方がポルターガイスト騒動を……?」
 なんて、疑ってしまうわけで。
 彼女は口を利かず、ふ、と伏せ目がちになる。
 その仕種一つ取っても、偉く繊細だった。とてもナイフとフォークを飛ばしてくるような人物には思えない。
「何か未練があってこの世に留まっているなら、彼女の願いを叶えてあげれば……」
「その願いが何だか思い出せないそうなのよね」
「恋人にもう一度会うというのは?」
 そういえば――、と自重して口を噤んでいたシオンが顔を上げた。「貴方の恋人かどうかはわかりませんが……」
 ――貴方のお墓に、最近花束を捧げにきた男性がいたそうですよ。
 その一言で、明らかに彼女の様子が変わった。
「ひょろっと背の高い男性で、眼鏡をかけていた、と」
「それって――」シュラインは目を見開いて彼女を見た。「貴方の恋人にぴったり当てはまるじゃない」
「希望が見えてきましたね。容易ではありませんが、なんとかその男性を探し出すことも可能かもしれませんよ」
「無理よ」ぴしゃりとシュラインが言い放った。「彼女の恋人、死んでいるもの」
「……どういうことですか?」
「亡くなったのはアマンダさんじゃなくて、彼女の恋人が先なのよ。交通事故で」
 要は後追い自殺なのよ、とシュラインは低い声で言う。
「それでは、アマンダさんだけが幽霊としてこの世に留まっている理由が理解できない」
「ええ、だから……、彼女自身、どうしたらいいかわかってないの」
 それで苛立って、こんな騒ぎを起こしているんでしょう? とシュラインは優しく問いかける。白人女性の幽霊は、こっくりと頷いた。
「それでは途方に暮れるのも無理はありませんね……」
「強制的に成仏、もとい、昇天させる方法もないではないが……」
「彼女自身が納得して昇天するのが、一番平和的でしょう?」
「そもそも、その平和的な解決方法を探すためにわざわざ彼女の家まで行って――」
 そこまで言い、ふと何かに思い至ったように黒龍は口を噤んだ。
「――そうだ。悪いとは思ったんだが、彼女の家に勝手に上がり込んで……」黒龍はごそごそとポケットの中を探った。「これを見つけたんだが。――これは貴方の?」
 黒龍はポケットから取り出した鈍い銀色に輝く指輪を、中央の応接テーブルの上に置いた。
 そのときだった。再び彼女に変化が現れたのは。
 彼女はそっと手を伸ばし、黒龍がテーブルの上に置いた指輪に触れる。
 霊体であるはずのその手の、薬指に、彼女はそっと指輪を嵌めた。サイズはぴったりだった。
 彼女は唇を動かし、何事かつぶやいた。
「え?」
 シュラインは眉を顰める。シュラインにも聞き取れなかったらしい。
 ふわり。風もないのにカーテンが揺れる。
 アマンダはすっと立ち上がると、窓際へ歩いていった。触れてもいないのに窓がひとりでに開く。
 彼女は、くるり、と踵で振り返った。
「アマンダさん?」
 名を呼ばれ、彼女は――にこりと、この上なく優しい微笑を浮かべた。
 指輪を嵌めた左手で、三人に向かって手を振る。
「え? ちょっと待って――」
 シュラインはソファから立ち上がった。
 徐々に薄くなっていくアマンダの姿。幽霊を引き止めるというのもおかしな話だ、しかし。
「アマンダさん、ちょっと!?」
 彼女は、ゆっくりと唇を動かした。
 今度は、何を言っているか読み取ることができた。

 あ・り・が・と・う

 おそらくはそれしか知らないであろう日本語を口にしたかと思うと、彼女は――空気に溶け込むように、ゆっくりと、消えてしまった。
「待って、って……言ったのに」
 後に残された三人の心境を代弁して、シュラインがぼんやりとつぶやく。
「……行ってしまったんでしょうか?」
 恋人のところへ、とシオン。
「あの指輪を探していたんだろうか……?」

 ――答えは誰も知らない。

 開け放たれた窓から吹き込む風が、カーテンを揺らしていた。
 哀れな幽霊が、苛立ちを堪え切れずに暴れているのではない。風が、都会の匂いを主のない部屋へ運び込む。
 それから二度とポルターガイスト騒ぎが起こることはなく、
 二度と彼女が姿を現すこともなかった。


    06 Epilogue

 そんなこんなで幽霊騒ぎも片がつき、シュラインは、ようやく手に入った休暇をショッピングに費やしていた。
 横にはシオンが連れ立っている。帰りの航空運賃を稼がなければならない貧乏人のシオンは、目ぼしい店を見つけては入っていき、店員と何やら死闘を繰り広げ、
「やりましたよ、シュラインさん」
 その度に勝利を勝ち取ってくるのであった。
「商売上手なのねぇ、シオンさんって」
 ついでに手先も器用なのね、とシオンが両手から提げている紙袋を覗き込むシュライン。ウサギの耳がぴょこんと覗いている。
「シュラインさんにも一匹差し上げましょう。ブランド名はcionですよ」
 シュラインはピンク色のウサギを受け取り、しげしげと眺め回した。「クリスマスプレゼントに良いかもね」
「そのつもりです」
 ――何をしているのかというと、雑貨屋や服屋を見つけては、私の手作りの品を置かせて下さい、と拝み倒しているのであった。cion印のぬいぐるみに、手編みのマフラーエトセトラ、である。その売り上げで帰りの航空運賃を賄おうという魂胆だった。
「……ところで、行きはどうやって来たの?」
「飛行機で、ですよ?」
「片道切符で入国できたの?」
「はっはっは。細かいことを気にしてはいけません」
 気になるわよ、とシュラインはぼやいた。
 二人は、ふと足を止める。街頭にはクリスマスソングが流れていた。
「そうか……もうクリスマスか。早いわね」
「ニューヨークはホワイトクリスマスになるんでしょうかねぇ……」
 なんとなく見上げた先には、ニューヨークの寒空。
 白い息が空中で弾む。
 シュラインは小さな声で言った。
 ――少し早いけれど、メリー・クリスマス、アマンダさん。

    *

 上階の住人が天界へお引越したおかげで、ブライアン・マクロイ宅にはほぼ一ヶ月ぶりの静寂が訪れた。パトカーのサイレンがうるさかったりはするのだが、それはいつものことなので気にしてはならない。
 シュライン手製の料理を囲みながら、四人はポルターガイスト騒動の原因についてあれこれ議論を交わしているところだった。
「あの指輪を探してた、ってことになるのよね? やっぱり」
「一度死んだ際に忘れてしまったのかな」
「シオンさんが言っていた、彼女のお墓に花束を捧げにきた男性っていうのは?」
「直接見たわけではないので何とも言えませんが……」
「平和に解決したんだから、いーんじゃない?」
 ない? とにこにこ笑顔でブライアン。
 良くない。謎を謎のまま放置しておくなんて許せない。
 なんだかんだと職人気質の三人は、真剣な顔つきで議論を再開する。
「花束を捧げに来たと言っていたか?」
「ええ、真っ赤な薔薇の花束だったと」
「……それって、もしかして」シュラインはフォークを動かす手を止めた。「プロポーズだったんじゃないの?」
「冥界からの、でしょうか?」
「迎えに来たつもりだったのかもな。彼女が未だにこの世に留まっていたから」
 彼女が愛しげに薬指へ嵌めた指輪の、やわらかい輝きを思い出す。
「……そっか」シュラインは納得したように何度か頷いた。「大事な婚約指輪だったのかもしれないわね」
 四人はなんとなく顔を見合わせ、それから、窓の外へ視線を移した。
 細く開けた窓から穏やかな夜風が吹き込み、カーテンをそっと揺らしていた。



fin.



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■シュライン・エマ
 整理番号:0086 性別:女 年齢:26歳 職業:翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

■梅・黒龍
 整理番号:3506 性別:男 年齢:15歳 職業:中学生

■シオン・レ・ハイ
 整理番号:3356 性別:男 年齢:42歳 職業:びんぼーにん(食住)+α


【NPC】

■ブライアン・マクロイ
 性別:男 年齢:20歳 職業:大学生


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
 長らくお待たせしました、ニューヨーク怪談のお届けです。
 事前にコメディ寄りと告知していたせいでしょうか、皆さんのプレイングが愉快で、当方が予想していたよりももっとゆるゆるな話になってしまいました。ノリをお楽しみいただければと思います。
 皆さんが平和的な解決を試みてくれたおかげで、彼女も安心して天国へ行けたようです。幽霊などといった非科学的な題材を扱うのは実は今回がはじめてでして、何かと表現に手惑いました。幽霊は人間と会話をしないという先入観があるので(そのほうが怖さが増しますし)、敢えて幽霊の彼女には何も語らせませんでしたが、上手くいったかどうかは何とも微妙です。
 それでは、またニューヨークのどこかでお会いできることを祈りつつ。今回はご参加ありがとうございました!

シュライン・エマ様
 やはり同性のほうが話しやすかろうというわけで、シュラインさんは大活躍と相成りました。英語の壁もシュラインさんのおかげで取っ払えたようなものです(笑)。色々愚痴を聞いてもらって、彼女も気が晴れたことでしょう。

梅・黒龍様
 こっそりご姉弟のお二人にも登場していただきました。今回も黒龍君の能力を生かし切れなかったのですが、その代わり大事な役目を果たしていただきました。お土産リストに何が書かれていたのかとても気になります……自由の女神饅頭とかでしょうかね?

シオン・レ・ハイ様
 シオンさんの除霊霊の方法が愉快で、一人笑いこけておりました。全部は反映できなかったのですが、とりあえず掃除機は持ち出してみました(笑)。ゴーストバスターズごっこですから! 無事に帰国することができたのか、ちょっと気になります。