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<東京怪談ノベル(シングル)>


研究の傍で



 その研究所は、白く清潔そうな建物の中にあった。
 綺麗に片付いてはいるが飾り気のない一室で、みたまはしばしの休息を味わっていた。隣の部屋からは人の歩きまわる音がしている。それにしてもよく歩く。一部の研究者が興奮しているのだろう。
 今頃は、人工の筋肉に獣毛を生やした皮膚をあわせている頃だろうか。
 ――私にはわからないような計算とかしているんでしょうねぇ。
 何人かの研究者の顔が浮かぶ。どれも科学に生涯を捧げているような人物だ。あれでは自分の身体をふっとばさずに銃を撃つことなど出来ないだろう、とみたまは思っている。
 ――まぁ、私の関与するところじゃないけど。
 みたまは最先端の科学とやらに興味があってここにいる訳ではない。夫に警備を頼まれたからいるのだ。
 そう、この研究所で進められている実験の背景には、みたまの夫がいるのだ。それと可愛くてからかいがいのある……もとい、素直な娘もだ。
 科学の最先端を行く技術で作り出そうとしているのは“馬”だった。本物の馬ではない、人間を馬へと導く物――着ぐるみと呼ぶには失礼なほど細部にまで科学の結晶を織り込んだ、衣類に近い馬である。
 提案は夫と、とある専門学校。馬になるのは勿論みたまの愛娘だ。
 みたまがその話を知ったときには、夫は採取した娘の細胞を既に研究所に送っていた。いつもながら用意が良い。

「具体的にはどうやって馬を作るのかしら?」
 夫との会話の延長で、みたまは訊いたことがある。
 人工的に細胞を作ることから始めるのだと、夫は言った。娘の細胞と馬の細胞を増殖させて新たな細胞を作るのだそうだ。
 この細胞Aには、接触してる細胞Bと同化するという性質を持たせた。あとは細胞が勝手に機能のコピーをとり、BがAに馴染んでいくようにしてくれる。ただし、普通の細胞と比べてその命は短い。つまりサイクルもテロメアも短く、一週間が限度だという試作品である。
 夫の話では、ここまでくるのにも大変な苦労をしたらしい。専門学校の生徒たちが希望を出しては、研究者が荒唐無稽な計画だと首を横に振る。その繰り返しだったそうだ。
 人工筋肉も同じだ。作るのはロボットでなく、馬である。今までの機械的なものでは違和感が拭えない。人が、馬になった人間が、気軽に動かせるようなものでなければならない。ロボットを操縦する感覚では意味が無いのだと、生徒たちは強調したらしい。
 ――特殊メイクにかける情熱と言いたいところだけど――
 多分一番大きな理由は、みたまの娘にあるだろう。
 馬の身体に違和感を覚えてしまったら、娘は馬に成りきれないだろう。
「生徒たちにとっては、とてもつまらないことだろうね」
「……ダンナさまにとっても、でしょ?」
 頬を夫の胸につける。夫は答えない。
 数秒ののち、みたまは上目遣いに夫の顔を見た。すると彼はさぁどうだろうと言うように首を傾げている。
 ――だめよ、とみたまは呟く。誤魔化したって。絶対に残念がるわ。
 それは責めるような口調ではない。
 ――だって、私は娘もダンナさまも好きだから。

 半月ほどかけた今、研究は成功間近となっていた。
 そろそろみたまの出番である。
 およそこの研究所とは似つかわしくない仕事仲間と共に、警備をする。
 仕事内容は大変にわかりやすい。金に目がくらんで潜入してくるスパイの方々の記憶を吹っ飛ばして差し上げるだけだ。
 ただし、血を流してはいけないという条件がついていた。研究所の人間は研究以外で血に触れるのが苦手だったためである。それこそ科学の最先端技術を使って証拠を消してしまえばと思うのだが、「そういう問題ではない」らしい。
 ――じゃあ、どういう問題なのかしらねぇ?
 みたまは首を傾げながらも、銃は撃つことに使わず、相手をぶん殴ることに使用することにした。案外地味な作業だ。通路も細いし、これではウォーミングアップにもならない。もっと動きたいのだ。
 たまに蹴飛ばす。これでも退屈だ。もっとも、娘があの専門学校へ行く日は忙しくなるだろう。スパイからすれば試作品を盗む最後のチャンスなのだ。
 ――その日はダンナさまも来ていたりしてね……。
 決して見つけられないだろうが、少々覗きにくる可能性はない訳でもない。
 誰かが「動きをつけたいならスリット入りのスカートでも穿いて蹴れば」と言った。夫が来るのなら、良いかもしれないとみたまは思う。
 そんなとき、専門学校から話があった。夫からの伝言で、学校付近には夫が所有している倉庫があるらしい。自由に使って良いとのこと。
 これはつまり…………。
 みたまは不敵な笑みを零した。
 ――さすがはダンナさま、お見通しなのね――

「お母さんも来るの?」
 唯一事情を理解していない娘は、驚いた顔でみたまを眺めた。
「どうして?」
「ちょっとね。親として学校側に“挨拶”しようと思って」
「んー……。そっかぁ」
 少々疑り深そうな目をしたものの、すぐに娘は納得し、学校へ案内してくれた。
「私は先生に挨拶してくるから、ここで離れるわね」
 教室の前で娘に手を振って別れると、みたまはさっさと外へ出る。
「手筈どおりに頼んだわよ」
 そう仲間に残して向かったのは、倉庫内である。
 校舎へと入り込んだスパイはみたまの仕事仲間によってここへ誘導される。逃げる演技をする仲間。追うスパイたち。やがて彼らは興奮し始め、自分が優位に立っているような錯覚を覚え始めた頃――。
「追い詰めたぞ!」
 倉庫のドアを開けたスパイたちを待っていたものは、赤い目をした女の勝ち誇ったような微笑みだった。
「会ってすぐで悪いけど、サヨナラね」
 そして轟音。

 そういえば。
 娘が着込むことになる“馬”は、首を除けば完全な馬と言える物に仕上がっているらしい。
 ――親として、やっぱり見たいわよねぇ。
 暴れ終えたのち、みたまは爽やかな笑顔で教室へと向かって行ったのだった。




終。