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ハードルの高さを測ってみる
――エピソード
女友達とイタリアンレストランに入って、ランチコースのごはんを食べていた。
久し振りの丸一日分の休日だったので、気合を込めて早起きをした日だった。今日は、カーテンからこぼれた朝日で目が覚めるほど日差しが強く、起きた早々から気分がよかった。早いと言ってもいつもほどではなかったので、一緒に住んでいる兄や居候の姿はない。
兄は実質自宅勤務のような状態なのに、いったいどこへ行ったのだろう。
一度はそう頭をめぐらせたが、数々の奇行を繰り広げる彼のことだ。止めようが止めまいがどこへでも行くだろうし、いつのまにかいないだろう。
そんなことをツラツラ考えながらコーヒーを一杯飲んだ。
それから大学院生の友人に電話をかけた。彼女は七回目のベルで受話器をとった。夕日にとっては七回目のベルだが、相手方にとっては数秒間の着メロだったに違いない。彼女は明るい声で電話に出て、夕日からのショッピングの誘いを受けた。
時計を見ると、十時を回ろうとしていた。
それから一時間後に渋谷の駅前で待ち合わせた。
イタリアンレストランへ入ってからも、話題はショッピングのことだ。
「さすがにねえ、アパレル関係じゃないし」
冬場に春……いや夏の洋服を買うのがベターらしいが、ファッションショーとは無縁な夕日には関係のない話だ。秋に冬物を買ったって、冬にはまた冬物を買う。やわらかいニットでできた半袖の白いセーターを着ていた。もちろん、外はコートなしでは歩けない。
「それで、別れたって?」
さっきまで話していた友達の彼氏の話題に戻す。
「うーん、別れたってわけじゃないけど、なんていうのかな距離を置くというか」
「それって別れたんじゃないの」
夕日は眉をあげて訊いた。
デザートをウェイターが運んでくる。そのウェイターはなぜか夕日に微笑みかけたようだった。
彼が去っていったあと、友達が言う。
「あんた、あれ超好みなんじゃないの」
「え? 好み」
意図が汲めずに繰り返す。
友達はウェイターの背中を指差している。
「柏原崇似じゃない」
「カシワバラ? そう言われてみれば似てるかもね」
「やだ、顔だけじゃときめかないってわけ。やあよね、学歴の高い女って」
夕日を呆れたように眺めて彼女ははあと深い溜め息をついた。
「あんたの理想高すぎるのよ。背ももっと高い方がいいんでしょう」
「なに言ってんの。別に私、外見にも学歴にもこだわらないわよ」
友達が静止する。
「あんた熱でもあるんじゃないの」
「ないよ、そんなさ、学歴や外見で男の価値はわかんないわよ」
夕日はひらひら片手を振ってみせる。それから冷たいスプーンを手にとって、デザートのパンナコッタをすくって口へ運んだ。
「……なにがあったの」
「昔からそうよ」
友達がスプーンにも手を伸ばさないので、夕日はわざわざスプーンを持ち上げて合図をした。弾かれたように彼女もスプーンを手に取る。
「じゃあ、どういう男がいいわけ」
「どういうって、要は心よ心」
「嘘だあ、もっと他に条件があるんでしょう」
言われて夕日はスプーンをくわえたまま少し考えた。残りのパンナコッタを無言で食べてしまう。
「たとえよ、たとえ」
「はいはい」
「背と足は長い方がいいわよ、長い方が。あと煙草を吸ってる姿がサマになる人がいい。トレンチコートが似合うと尚いいわ」
友達が苦い顔をする。
「あんたどこのハードボイルド男に惚れたのよ」
「頭は天パでしょ。顔はいつもやる気がなさそうで、まあ実際やる気がないんだけど。それにああいう軟弱そうなのはパスね」
「軟弱……」
「手が早いのも困り者だけど、喧嘩は強くないとお話にならないわ。ヘビースモーカーで大食漢で、雨の日は傘なんて邪魔な物は持ってなくて、格好はまあ小汚くてもこの際贅沢は言わないわよ。特に足癖が悪いの。特に。あとはそうね、何にも興味がなさそうでぶっきらぼうで、ときどきすごく優しいの」
深い沈黙が落ちてきた。
その間にデザートの皿は片付けられ、話の発端になったウェイターがコーヒーを運んできた。
夕日はそちらも見ずに、想像の彼に夢中の様子だ。目の前の友達は、頭を抱えるようにして夕日を眺めている。手がつけられない、そんな顔で。
「それで、学歴も関係ないわけね」
「あるわけないでしょ、そんなもん。人間の価値に学歴なんて無意味よ」
「あんたが言うと嫌味に聞こえるわ」
コーヒーに砂糖とミルクを入れてかき回しながら、夕日がくすりと笑う。
「言い掛かりつけないで」
「まあいいけどね、でも一言言わせてもらうけど」
「なに」
コーヒーカップに片手をかけたまま、彼女は言った。
「あんたの趣味悪くなったわ、確実に」
「……ちょっと、なによそれ。悪くないわ」
「どこの馬の骨だかわからないとはこのことじゃないの」
夕日は思案するように店内を目だけで見回した。言われてみれば、キャンピングカーに住んでいるあの男はどこの馬の骨とも知れないという表現が一番合っている。
「ああ、言われてみればどこの馬の骨ともしれないかも」
「納得してんじゃないわよ」
はあと溜め息をつく友達の姿に、夕日はきょとんとした。
夕日を見つめながら、彼女は言った。
「わかったわ、じゃああんたの条件をなんとか汲んで、合コン組んであげるわよ」
「はあ? こないわよ、あの男は」
「……その人連れてきてどうすんのよ。せめて学歴ぐらいついてんのにしなさい」
夕日が仏頂面をする。
「いいよ、そんなの。興味ないし」
「興味なくたって心配なのよ。あんたの条件、どんだけ揃えられるやら……」
彼女は指折り数えて夕日の上げた特徴を数えている。どう考えても叶えられそうな条件ではない。そんなくたびれた男がどこにいるというのだ。
「やだー、ホント合コンに出てくるような人じゃないから」
「だから別人呼ぶつってんでしょ」
「興味ないし」
「うるさいわよ、どうせあんた片思いでしょ」
ぐさりっと刺されて夕日が押し黙る。
「そうだと思ったわ、その盛り上がり方は片思いよね……」
彼女は一つ嘆息してコーヒーを飲んだ。夕日もならって手を出したが、夕日にとってまだコーヒーは熱かった。
――end
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/23/警視庁所属・警部補】
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■ ライター通信 ■
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ハードルの高さを測ってみる
夕日さん初のシングルシチュノベということで、会話を多くお届けしました。
お気に召せば幸いです。
ご意見ご感想お気軽にお寄せ下さい。
文ふやか
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