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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


お馬さんで過ごそう!



 ……えーと。
 いつもお世話になっている特殊メイクの専門学校に、再び呼ばれた。前回の続きで、今度はもっと本格的にやるのだそう。
(それは、わかるんだけど)
 あたしの眼の前には、妙に張り切っているお母さんが一人。金色の髪を梳かしながら、笑顔で支度を整えている。
(これってもしかして……)
「お母さんも来るの?」
 首を傾げているあたしに比べて、お母さんは驚く様子も無い。それどころか、あらかじめ決められていたことのように「言わなかったかしら?」なんて返してくる。
 ……初耳。
「どうして来るの?」
 お母さんが一緒に来るのを嫌がっている訳じゃないけど、訊かずにはいられない。今までお母さんがついてきたことなんて一度もなかったし、それに用もないのに一緒に行く程お母さんは暇ではない筈だから。
「ちょっとね。親として学校側に“挨拶”しようと思って」
「んー……。そっかぁ」
 少々疑いつつも、納得したような声を出した。
 この答え方じゃあ、何度訊いても無駄だと悟ったから。
(まぁ、危ないことにならなければ……)
 大丈夫、だよね?
 今回のバイトも前回と同じで、一週間学校に泊り込んで行う。学校をお休みしてのバイトだから、勉強が遅れてしまいそうなのが悩みだ。一応、後のことも考えて自分なりに予習をしていたから、大丈夫だとは思うけど……。
(無事に、終えますように)


 いつもの駅に、いつもの道。
 今日は風が冷たい。コートは羽織ってきたものの、手袋を忘れて来ていた。白いコートから、冷えた指が覗いている。マフラーも忘れてしまったし、元々付いていたフードは取ってしまっていた。
(寒いなぁ)
 両手をあわせて身体を震わせていると、首元が暖かくなった。柔らかく、それでいて肌を刺激する感触――お母さんが、自分のマフラーをあたしの首に巻いてくれたのだ。
(暖かいけど)
「お母さんは寒くないの?」
「全然」
 無理をしているのかな、とも思ったけど――お母さんは本当に平気そうだった。震える様子もないし、掌の血色もいい。
 こういうとき、お母さんには気兼ねなく甘えられる。
「借りていてもいい?」
 と見上げると、お母さんは笑っていた。わざわざ訊かなくても、首に巻いてあげた時点でそのつもりよ――とお母さんは言う。それは、そうだけど。確認したかったの、と呟く。

「みーなもちゃんっ」
 校内に入るなり、生徒さんに抱きしめられた。
「ごめんね、寒かったでしょう?」
 頬に触れている生徒さんの顔。ジンと来る程にあたたかくて、気恥ずかしさより心地よさの方が勝ってしまった。
「あ、えっと……」
 あたしが戸惑っている間に、お母さんは笑顔を浮かべて生徒さんの一人と話し込んでいた。いつになく生徒さんの表情は真剣で、早口に喋っている。
(声が小さくて聞き取れない……)
 お母さんは口元に笑みを浮かべて話している。何て言っているんだろう?
 意識だけではなく、身体もそちらへ乗り出そうとするあたし。でもすぐに生徒さんに呼び戻された。
「みなもちゃん、今日もお馬さんだからね」
 そう言われると、緊張してくる。
「はい。あたしに出来ることなら、頑張ります!」
「そうそうその調子で、良いお馬さんに育ってね?」
「が、頑張ります……?」
 よく意味がわからないまま、頷いた。
(前回ってどんな風だったんだっけ)
 結構すんなり終わった気がしたんだけど、あれで良かったのかな?
 促されて、メイク室へ。
 お母さんは挨拶を済ませたらしく、用事があると言って出て行った。
「そっかぁ……」
 複雑な気持ちだった。馬の姿になるのを見られるのは恥ずかしいんだけど、見て欲しい気持ちもある。生徒さんの技術を尊敬しているし、前のときは本当に馬そのものみたいだったもの。
(ちょっと残念かな)
 てっきり、お母さんは見たがると思ったのに。

「みなもちゃん、ほらっ」
 と生徒さんが見せてくれたのは、茶色い毛の生えた被り物だった。
 そっと指で毛を撫でる。見た目よりも硬く、一本一本が長い。流れに沿って撫でていくと気持ちがいい。
「本物みたいですね。どうやって作ったんですか?」
「そりゃあ、言えないわよ」
 生徒さんは嬉しそうだ。
「前より短時間で出来る筈よ。さっそく着ましょうね」
「……は、はい」
(妙に優しい声だけど……)
 深く考えない方がいいよね?
 校内に入るときにコートとマフラーは脱いでいる。スカートに手を触れ、外そうとしたものの――数秒迷ってから上を先に脱ぐことにした。
(こちらの方が、まだ恥ずかしくないから……)
「どっちから脱いでも同じでしょう?」
 そんな風に言われて、喉に言葉を詰まらせてしまう。顔が赤くなって、声が絡まるのもわかっているけれど、反論せずにはいられない。
「き、気持ちの持ち方が……違うんです!」
「“もう上も脱いじゃったから、スカートも”っていう感じかしら?」
「か、解説しないでください!」
「もうとっくに全部見られちゃってるのにね?」
「そんなの関係ないです!!」
 力強く言い放ったあたしを無視して、
「どうしたら恥ずかしがらなくなるのかしら?」
 と生徒さんは考え込んでいる。
「そんなエッチなこと、考えなくてもいいじゃないですか……」
 気弱に呟きつつ、大人しく脱いでいく。誰かの前で服を脱ぐなんて、一生慣れないんじゃないかと思う。でもそんなことは関係ない。慣れなくても、恥ずかしくても、生徒さんには勝てないのだと実感する。
「脱いでからも、しゃがんだりしないでね?」
「……はい……」
「胸を手で押さえたりするのも、だーめ」
 反射的に胸を押さえていた腕をおろし、心の中でため息をついた。
「…………わかってます……」
 情けないくらい、か細い声での反発だった。仕方ないことなんだけど……。
 生徒さんの手があたしの腕に触れる。藻に抱かれるようなヌメっとした感覚に、身体が鋭く反応する。
「正触媒っていうの」と生徒さん。
 後ろと前に生徒さんがそれぞれ立って、両方から同時に塗られていく。粘ついたものが肌に広がる。首筋から始まって、背中、脇腹、胸のふくらみも撫でられた。
 目をそらしていても、あたしの身体に伸びてくる生徒さんの指が視界に入ってくる。口を結んで声を仕舞う程恥ずかしいのに、目を瞑ることはしない。
(理性が、消えてしまいそうだから)
 生徒さんはしゃがみ込んで、正触媒をあたしの脚に塗りこんでいた。生徒さんの両手が動くたびに、指先についている粘液が半透明に光っている。
「恥ずかしい?」
 小さく頷くと、生徒さんは優しく言った。
「そう」
「…………せ……いとさん、は……?」
「私? 私は愉しいわよ」
 生徒さんの含み笑いが下から聞こえる。
 塗り終わったら、着ぐるみ(と言ったら失礼なのかもしれないけれど)を着込む。ヌメヌメと滑って、なかなか上手く着られない。結局生徒さんに着させてもらった。
 粘液のせいだろう、生暖かいものが肌の上で流れている感じがする。
「変な感じがします……」
「慣れるまでちょっとかかるかもしれないわね。顔をこちらへ向けてくれるかしら。目を瞑ってね」
 生徒さんの方を向いてから目を瞑る。おでこにも、肌よりも少し熱い粘液が塗られ、それが頬に流れていく。その上から馬の毛のついた人工皮膚を貼り付けられた。目の粗い櫛で毛を梳かして整える。さらに上から刷毛で細かい色をのせて、舌も長くなるように変えていく。この辺は以前と変わらない。
「これで首さえ長くなれば完璧だと思うのよ」
 そう零しながら、生徒さんは鏡を持ってきてくれた。
 そこには前回同様に馬そっくりの――前回以上に毛並みのいい馬がいた。
 それも、短時間で出来たのだ。
「凄い!」
 声に出したあたしを生徒さんは影のある笑みで受け止めていた。
「凄いのはここからよ。今にわかるわ。……四本足で歩ける?」
「やってみます」
 心の中では自然に、掌を床につけていた。後ろ足が微かに震えている。まだこの姿勢では立ち辛いのだ。
「ゆっくりでいいのよ」
 包み込むような声。
 右の前足、左の後ろ足を動かして、一歩。左の前足、右の後ろ足を動かして二歩。小刻みに揺れる後ろ足に力を入れて、ゆっくりだけれど確実に歩く。時折倒れそうになるのを、生徒さんが両手で支えてくれた。
 廊下を歩いて、一番端にある“みなもの部屋”へとたどり着く。脚の違和感はなくなりつつあって、部屋に入ってからは亀のような歩みでも、躓くことはなかった。
「いい子、いい子」と生徒さんが言う。
「ひひん」
 あたしが喜んで答えると、生徒さんは嬉しそうな表情を浮かべた。このときは気付かなかったけど、既に人か馬かという意識さえ失いかけていたのだった。


 生徒さんが言っていた「今にわかる」のが何を指すのか。
 理解したのは暮らし始めてからだった。
 出された草を口に含む。顎が強くなっているか、噛んでも噛んでも顎は疲れない。それに弾力のある草を噛み切ることも出来る。これは歯が強くなったからではなくて、コツを掴んだせいだろう。人間のときよりももっと激しく、歯を上下擦り合わせるのだ。驚く程簡単に草を噛み千切ることが出来る。
 前回では出来なかった噛み方が、今回は始めから出来ているのだった。
(変なの……)
 これが生徒さんの言っていた“凄い”ことなのかな。
 ただし、この食べ方はやたらと喉が渇く。
(ゆっくり噛んでいるからかな?)
 だから重宝するのは隣に置かれた水。
 底の浅い容器に入った水に、舌をゆっくりと浸す。背中に痺れが走る程に冷たい。
 ピチャピチャと音をたてて味わうのも、馬にすれば至福のひと時だ。
 口の中を充分に湿らせてから、再び草を食べる。乾いた舌で味わうよりもずっと美味しい。青臭い匂いが隅々にまで広がって、噛んでいる間も鼻腔をくすぐるのだ。
 毎日部屋を歩き回っているお陰で、今では人間で言う早歩きも出来るようになった。自分の脚と変わらない。
「やるじゃないの」
 お母さんが褒めてくれた。
 そう、帰ったと思っていたお母さんは、いつの間にかこの学校に泊り込むことになっていて、あたしの顔を見ては一緒に遊んでくれる。
(でもなんでお母さんは二本足で歩いているんだろう?)
 あたしのお母さんなら四本足で歩く筈なのに。そういえば、草も食べてはいないみたい。美味しいのに……。それに、鳴き声も変。
 お母さんには何か事情があるのかなぁ?

 頃合を見計らって、生徒さんが鞍具を見せてくれた。
 金色と銀色と、青色。
 生徒さんはあたしのタテガミを撫でながら、
「やっぱり青色がいいのかしら」
 と悩んでいる。
 あたしは何色でもいいと思って、ただヒンヒン鳴いていたんだけど――生徒さんはやがて銀色の鞍をあたしの背中につけてくれた。サイズもピッタリ。
「似合うじゃない」
 鏡で見ると、確かに似合っていた。身体が小さいから、お母さんは乗せられそうにないけれど、小さい子なら走ることも出来そうだ。
 感触は人間のつけるコルセットに似ているかな。最初はくすぐったくて身をよじっていたけれど、次第に慣れた。
 手綱やクツワもつけて――鏡に映っているのは立派な子馬だ。
「子供を乗せても大丈夫?」
 まだ心配そうな生徒さん。
 あたしは自信満々で、ヒヒンと鳴いてみせた。
 今度は前のときのように意識して脚に力を入れなくても大丈夫。無意識のうちに、馬としての綺麗な姿勢は保てているから。
 あのときの女の子を呼んで、背中に乗ってもらった。
(みててね)
 最初は軽く。やがて女の子が怖がらない程度に走り出す。廊下の端から端まで、三往復。
 女の子は楽しそうに声をあげて笑っていた。

 午後は水浴びをして遊ぶ。
 この部屋は日当たりが良いこともあって、水を身体に浴びるのは本当に気持ちがいい。
 ビニール製のプール。そこに脚を入れて身体を伏せる。水によく身体を浸してから起き上がって、身体を震わせて水を飛ばす。生徒さんも笑顔で眺めてくれる。
 ただ一度だけ、水が生徒さんに思い切りかかってしまったことがあって――そのときだけは笑われながら怒られたけど。
 水で濡れたタテガミは、このままにしておいて風邪を引いてはいけない、という生徒さんの考えから、ドライヤーで乾かすことになっている。あたしが熱くならないように温度設定は常に“ドライ”だ。
 あたしが一番馬になって良かったと思うのは、このあとのブラッシングだ。柔らかい櫛で、優しくタテガミを梳いてもらう。この気持ちよさと言ったら、人間が自分で髪を梳かすのとは全く比べものにならない。身体を洗ったあとだから気分もいいし、ついまどろんでしまう。
 生徒さんに世話をしてもらっている最中だから――寝ないように、寝ないようにと首を振って頑張るんだけど、いつも途中で夢の中へと落ちてしまう。
 生徒さんもこのときが一番楽しいらしい。浅い眠りの中で、生徒さんの笑い声が響いてくるときがある。

 こうして過ごしていると、人間は本当に面倒くさい生き物なのだと思う。
 馬とは違って服を着ているから、水浴びするのにも服を脱がなければいけないし、ご飯もお箸を使わないと食べないみたいだ。二本足だけで歩いているせいか、足も遅いし……。
 それにトイレも、いちいち場所を変えないといけないらしい。生徒さんの一人が「ちょっとトイレに行ってきます」なんて言って部屋を出て行くのを何度も見た。あれはどういうことなんだろう。
 馬はその場でしてしまえばいいから、本当に楽だ。気ままでいい。“服”を脱ぐ必要もないもん。
 この前も、お母さんがトイレに行っていた。あたしのお母さんなんだから、そんな人間みたいなことをしなくてもいいのに。
(恥ずかしがりやなのかなぁ……)
 あたしのお母さんの性格は、よくわからない。
 変わっているのかなぁ。

 変わっていると言えば、ここ数日というもの生徒さんが名残惜しそうにあたしを見るようになった。
「一週間って短いと思わない?」
 いっしゅうかん? みじかい?
「でも学校のことがある以上、そろそろ……」
 生徒さんの話し声が聞こえる。部屋のドアの向こうからだ。そろそろって、何がどうしたんだろう。それに学校って言葉、妙に聞き覚えがあるような……。
 部屋に入ってきた生徒さん。
 と、突然毛を掴まれた。
「ヒヒン!?」
 一瞬何が起きたかわからなかったけど、ビリビリという音がして――ビチャビチャと粘液が藁の上に滴り落ちていった。
「ほら、取れてきた」
 と生徒さんの声。
 胸や腕、首筋についた毛がどんどんと落ちていく。
 唯一、太ももについた毛がなかなか剥がれない。
「あたしも手伝います」
 生徒さんの上に手を置いて、一緒に引っ張り上げた。
 布を裂くよりも低い音と一緒に、毛が抜け落ちる。
「ごめんね、痛くない?」
「大丈夫ですよ。間に正触媒がありましたから……」
 これを塗っておいたのは正解だった。問題の太ももは、少し赤くなっただけで特に痛むことはなかったのだから。
 生徒さんは嬉しそうに毛をゴミ箱へ放り込んでいる。
(この様子だと上手くいったのかなぁ)
 あんまり記憶がないから、わからないけれど……。
「どうでした?」
「大成功よ!」
(良かったぁ……)
「本物そっくりだったわよ」
 お母さんも感心した様子で言っている。
(あれ、いつからお母さん来ていたんだろう……)
 ずっと前から居た気もするし、ついさっき来たのかもしれない。帰っていたんじゃないか、とも思うし……。


 学校から駅までの帰り道。
 二人で今日の夕食のメニューを考えながら歩いていた。
「やっぱりシチューが食べたいわ」
 お母さんの意見を尊重して、あたしはどのスーパーで野菜が安く買えるかを考える。
(あ、でも)
 その前にひとつだけ。
「ねぇお母さん」
「なーに?」
「結局、何しに来たの?」
「あら、言わなかったかしらねぇ」
 ゆっくりと、白い息を吐きながらお母さんは言った。
「挨拶よ。挨拶」




終。