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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


『そのメロディは死のアナウンス』


「遅刻!」
 三下を睨む碇麗香。その視線は物言わずとも千万の叱責を語っている。
 ダメ社員の烙印を押されている三下である、遅刻の上に彼女から罵声を浴びた上に時には足蹴にされ……そんな風景ももはやここアトラス編集部では珍しいものではなくなっていた。が、今回は少し事情が違うようだ。
 遅延証明書を差し出す三下。よくよく見れば様子がおかしい。顔面は蒼白、脂汗ですべり傾いたままの眼鏡。いつもながらよれよれのワイシャツのカラーが冷や汗でぐっしょりと染まり、不規則かつ細い呼吸で、スーツの肩を揺らしている。麗香の叱責に脅える余裕すらない様子だ。
 中央線の遅延なぞ茶飯事、それを予期して出社しないことこそ怠慢――いつもなら遅延証明などその場で丸めて捨てる麗香だが、ただ事でないことに気付いたようだ。
「……どうかしたの、さんした君。今日は特別に言い訳ぐらいは聞いてあげるわ」
「その、通勤途中で、その……飛び込みが、通過列車に、うう」
 のどから無理やり押し出すように語りだす三下。
 なかなか要領を得ないが、飛び込み自殺を目の当たりにしてきてしまったらしい。遅刻の言い訳にはなっていないが、さすがに編集部中の人間から同情の視線が彼に集まる。不運悲惨は毎度ながら、神経の細い彼には今回の目撃はかなり酷だ。麗香は遅刻に関しては、今日は不問とすることに決めた。もっともその理由に三下へのいたわりはさほど含まれていず、別の思い付きがあったのだが。
「唇が青いわ。顔を洗って気付けにコーヒーでももらってらっしゃい。仕事はその後でいいから」
「は、はいぃ……」
 足を引きずるように給湯室へ向かう彼をついに見かねてか、バイトの女性事務員が介抱に追う。
 その背中を一瞥すると、碇麗香は素早くデスクに戻り最近の読者投稿から特定のものをピックアップしプリントアウトし始めた。
(飛び込み自殺そのものは、記事にするには不謹慎すぎるのだけれど)
 中央線のそれに関する読者からのメールは、ここ最近目に見えて増えていた。それだけのことなら、本来編集長である彼女自ら全てに目を通したりはしない。だが。
 ひとつの共通点。
 発着を知らせるメロディへの黒い噂。
 いくらか気力を取り戻した三下がオフィスに戻ったとき、既に麗香は情報の取捨を終え取材命令を下さんと待ち構えていた。
「例の沿線での飛びこみ自殺についてだけれど、あの電車の発着時に流れるメロディ……アレに関する情報の投稿がかなり多いわ。あれを聞くと衝動的に線路へ飛び込むとか、そのときには音階が変わっているとかノイズが混じっているとか。特定の車両でばかり起きるとか、ね。ネタとしてはありがちなんだけど、数が増えてるのが気になるのよね」
「はあ、その、もしかして」
「と、いうわけで」
 麗香はニッコリ微笑んだ。
「取材にいってきて頂戴」
「そ、そんなぁっ! 僕は今さっきそれを見てきちゃったとこなんですよ! 嫌だーっ! 絶対嫌です!」
「ガタガタ言わない。あなた、それでも仕事できるから出社してきたんでしょ。一人で行けとはいわないから」
「だからってよりによって……うわあああん、鬼! 悪魔!」
「あら、遅刻を不問にしたげたんだから、感謝してほしいぐらいだわ」


「それにしても即日なんて、ヒドイですよぉ……」
「何言ってるの。ネタは鮮度が命なのよ。年末進行だって迫ってるんだから」
「無理ですぅ……」
 呆れからため息をつく麗香。
「……わかったわ、ひとり付き添い人として現場にいてくれるよう、私が電話しとくから。だ・か・ら。とっとと、行きなさい」
 問答無用で麗香は受話器を手に取り、経緯を説明しなにやら話しこんで電話を終えた。
「さ、いってらっしゃい」


「ソレ、オモシロそう、じゃナイ?」
 いつからそこにいたのか、いや。
 露出度の高いパンキッシュなナリで応接ソファにぞんざいに入り浸る彼女に、誰も容易には声をかけられなかったのであるが――ジュジュ・ミュージーがゆらり、燃えるような髪を揺らし立ち上がった。
「あなた、いたのね。言ってくれればお茶ぐらい出させたのに」
 麗香はミュージーの存在に今気付いたようだ。三下も同様だが、どう贔屓目に見ても彼女が取材命令の取り消しに口添えしてくれるわけではなさそうなのがわかる。落とした肩を更に落とし、いまや這わんばかりの三下。
「ミーも行ってやるヨ、サンシタ。興味、あるからネ。もっともソンナ様子じゃァ、次に線路に飛び込むのはユーかも知れないネェッ?」
 そう言って乾いた笑い声をあげるミュージー。しかし三下を見下ろすその瞳だけは、いつものようにカットされていないエメラルドの如くとろんとしたまま。全く笑っていない。
「良かったじゃない、さんした君。更に心強い同行者が名乗りを上げてくれて。安心していってらっしゃい、あなたが飛び込んだらそれはそれで話題性のある記事になるから」
 麗香にとって下した取材命令は決定事項以外の何ものでもないらしく、既にカップを片手に別の書類に目を通していた。
「タダ麗香、条件はあるヨ」
 ミュージーが彼女に向き直った。麗香が書類から目を上げる。
「なにかしら」
「そのメロディーに怪異をオコシテルのがなんなのかワカンナイ以上、これはモトモト戦闘向けじゃないミーの能力には、専門外の仕事だヨ。報酬は、はずんでほしいネ」
「そうねえ……」
 麗香の頭の中で、編集者としての打算が素早く錯綜する。首都圏の誰もが利用する某路線。記事として成立した場合の話題性は高い。
「いいわ。報酬は特別に経理いじくって奮発するわよ。でもミュージー、あなた」
 麗香はコーヒーをすすって間をとる。
「どうしてわざわざ専門外とわかっていても行くのかしら? 興味って言ってたけど」
「ソウ、興味。ヒトを飛び込ませル……しかも衝動的にネ。ヒトを操るミーの『能力』と同じ。そこに興味があるから、是非やらせて欲しいネ」
「そう。でもあくまでまだ、そう投稿された情報があっただけよ。メロディについて言われだしたのも偶然新しい都市伝説が流行りだしただけかもしれないし。飛び込みについての投稿が増えたのもただの偶然かもしれないわ」


「いや、偶然ではないと思いますよ……」
 そばのデスクでなにやらPCを操作していた青年が、何気ないながらも不思議に余韻の残る言葉を発し、オフィスチェアーをくるりと回すとミュージーと麗香に向き直った。つややかな金髪と端正な顔立ち。目立たないとはいえぬ風貌ながら、さも当然のようにそこにいたからだろうか。二人は彼の存在に今気がついたのだが、その原因はなによりも彼の、外見から推測される年齢にしては落ち着き払い悟ったような気配にあったろう。
 青年は立ち上がった。
「ああ、盗み聞きしたみたいで申し訳ありません。私はモーリス・ラジアルといいます。碇さんとミュージーさん、ですね。以後、お見知りおきを」
 少し面食らった格好の二人だが、麗香の思考は彼女らしくすぐさまモーリスの発した言葉へ向かった。
「偶然じゃない、っていったわよね。どういうことかしら」
「ちょっとそこの端末を拝借しまして、うちの財閥のデータベースを覗きましてね。ここ最近の某路線での人身事故。そのうちお亡くなりになった方の個人情報を一覧したのですが、自ら死を選ぶほどに困窮している方は極少数ですね。先日のGDP上昇値低下発表があった点を考慮に入れても、この状況はかなり異常といわざるを得ない。勿論、自殺の動機は経済的理由のみではないでしょうから、一面的な分析ではありますが」
「……まどろっこシイネ、結局ドウいうコトヨ?」
 ミュージーの声は苛立っている。
「つまり、自ら死を選んでいる――要するに電車への飛び込みですが――、そういう方がここ最近異常に多い、ということです。しかも特定の駅で、ですね。三下さんの乗車駅ですよ」
 そう言ってモーリスは三下を見やると、くすくす、と意地悪く笑った。
「どうも三下さんはそういった怪異の感知能力にかなり秀でているようですね、賞賛に値しますよ」
「ヒィ、そんなのうれしくない、うれしくないですっ……」
 麗香の編集者としての嗅覚はモーリスの言った『データベース』に強く反応していた。特定路線での死者の最新の個人情報を弾き出せるデータベース?
「モーリスさん、だったかしら。あなたの財閥のそのデータベースというのは?」
 モーリスの表情から人当たり良さそうな微笑が素早く仮面でも投げ捨てたように瞬時に消えた。冷たく細めた瞳を鋭く麗香に向ける。
「厳密には私の雇い主のものですけどね。記事にするつもりか知りませんが、そこはあまり詮索しないほうが貴女の編集部の為かもしれませんし、万に一つも収穫は得られないでしょう。アクセスの諸痕跡も完全に削除しました。やめておいたほうがいいですよ」
 麗香は肩をすくめた。大きすぎる相手のようだ。
「じゃ、早速だけど行って頂戴。道案内にさんした君も一緒にね」
「その前にミーはちょっと、準備があるヨ」
 ミュージーは手近な受話器を取った。番号案内をコールする。
「N駅でイイんだネ? サンシタ」
「あ、はい……」
 番号をメモすると、続いてミュージーは該当駅に電話をかける。
「モシモシ、駅長サンいないデスカァ? ここのトコロ続いてるソチラでの連続自殺について取材サセテほしいんダケド……あ、キリヤガッタ。まあ、イイんだけドネッ」
 名乗らずの取材申し込み、しかも題材が題材。その上にミュージーの口調、電話を切られても当然といえば当然である。しかし彼女の『デーモン・セックス』は、電話に出た駅員に既に憑依を完了していた。
「これでオーケー、ネ。さ、いきまショ」
「そうですね、時間を置いても犠牲者が増えるだけでしょうから」
「い、いやだああーーっ!」
 ミュージーに襟首をつかまれ連行されるように引きずられていく三下の悲鳴が、編集部外の廊下に空しく響いた。

■□□■

  菊の花束を手に、シオン・レ・ハイはN駅3番ホームの端に佇んでいた。編集部にコールバックし、三下が目撃したという飛び込みの場所を詳しく聞いておいたのである。
 思いふける彼の黒髪が、初冬の風になびく。
(麗香さんからの電話では、そのメロディで衝動的に飛び込むとの噂ということでしたが) 

手を合わせるシオン。
(おそらくは、狙われるのは死への願望をふと思うことのあるような、いわば心に隙間のある方……びんぼーでもなんでも、死んだら終わりではないですか……)
 普段温厚で理知的なシオンには珍しく、今彼の心中にはこの怪異の元凶に対する強い怒りがくすぶり始めていた。自称とはいえ彼の紳士としての心が、弱い者のみを狙っては喰らい死に至らしめているであろう、そのやり方に激しい嫌悪と正義感からの反発を抱かせたのである。
 花束をそっと、コンクリートの上に捧げるように置き、再度手を合わせた。
 ダイアはまだ混乱しているようだ、1番2番ホームから各駅停車の車両が、寿司詰めの状態で忙しく発着を繰り返しており、シオンのいる対岸の3,4番ホームに人影は疎らである。
 急行の3番4番線が未だ混乱しているとはいえ、各停でこちらに向かっているとすれば、とシオンは腕時計に目をやる。
「そろそろ三下くんが着いてもいい頃なんですがねえ……」
 顔をあげ辺りを見回すシオンの目に映ったのは、遠くオレンジの車両が自身の立つホームに入ってこようとしているところだった。
「やっと快速が一本動きましたか。人がぎっしりでしょうな」
 列車が停車した。
 シオンは少し身を引き、踏まれぬよう花束を拾いなおす。
「さて、三下くんがこれに乗っている可能性もなきにしもあらず……」


 客を注意して眺めるシオンの目の前に、押し出されるようにふわふわと女性がホームへ降り立ち、……つまずいて、こけかけた。
 豊かでつややかな長い黒髪の女性ではあるが、流石にラッシュで押しつ押されつしたせいだろう。トップ付近の数本の毛束が根元から少しハネている。だが、長身に黒いスーツを纏った彼女には逆に着崩したような、チャーミングな印象を付加していた。
「ふう〜、これが“らっしゅあわー”というものなのですね、貴重な体験でしたわ〜」
 シオンは思いっきり反応に困っている。
「周りの方によっかかって、わたくし、思わず立ったまま寝そうになってしまいました〜。ところが駅に着くたびにおしくらまんじゅうのようで。面白いものなのですね、“らっしゅあわー”といいますのは……あら?」
 黒髪の女性は傍らのシオンの存在にようやく気がついたようだ。
「あなたは……あなた様の双手に感ぜられるエレメンタルの眷属……もしやあなた様がシオン様でしょうか〜?」
「え、あ、はい。私、シオン・レ・ハイです」
 軽く戸惑うシオン。
「やはりあなたがシオン様であらせられましたか〜。わたくし海原・みその(うなばら・みその)と申します、どうかよろしくお願い致します〜」
「い、いえ、こちらこそ……ですがあなたは何故私を知っていらっしゃるのです?」
 ゆったりとした手つきで漆黒の髪に手櫛をとおし、乱れをなおしながら、みそのは答えた。
「おもしろいお土産話でもないかと思いまして、アトラスさんに遊びに行かせていただいたんですの。そうしたらこの駅の怪異を三下さま達が調査に出立した後とのことでしたので、わたくしにもお手伝いできればと〜。そこでシオン様が先に行っていっていらっしゃるとお聞きしたのです〜」
「なるほど、合点がゆきました」
 アトラス出発は三下達より遅かったが、タイミング良く快速にでくわして先に此処へ着いてしまったのだろう。
「ですが三下様達はまだのようですねえ」
「もうすぐくると思いますよ、彼らは多分各駅停車で……あ、ほら」
 ホームへの階段を上りこちらに近づいてくる、三人の姿が見えた。
 遠目で見ると三下が変に飛び跳ねているような歩き方をしている……、と思ったシオンが目を凝らすと、後ろのミュージーから尻を蹴飛ばされつつイヤイヤ歩いているのであった。


「サァテ、これで全員、てコトでオーケィデスカ?」
 みそのとシオンが簡単に自己紹介を済ませ、最初のアトラス出立組と、互いの情報を補完し終えた。
「実はみなさんが到着するまで結構時間がありましたもので」
 シオンが一歩前に出るようにしながら語りだした。
「いろいろやってみてたんです、発着メロディを変えてもらえないかと駅員に交渉してみたり。私が作曲した、ラーメンが食べたくなるようなものに変えてもらえないかと粘ったのですが、残念ながら」
 俯き、悲しそうに首を横に振るシオン。
「残念ながら、却下されました」
(そりゃそうだ……)
 シオンの捉えどころの無い真剣な口振りに誰も口には出せなかったが、それぞれ一様に心中、ツッコミを入れる。
「あ。呆れないで下さいよ。それだけじゃないですよ。例えば……ほら」
 シオンは小型のテープレコーダーを取り出すと、軽快にスイッチを二つ続けて叩く。キュルリ、という早回しのあとに、控えめな音量で発着メロディが逆回転で再生された。当然ながら奇妙な音階が響くが、その流れの中に、はっきりとした固いノイズのような言葉が混じっている。
「それ……わたくし、聞きたくありません」
 みそのがピクリと肩を震わせ、耳を塞いだ。先程まで彼女が浮かべていた微笑は今はなく、陶器のように白くつるりとした眉間にはかすかに皺を寄せている。明らかに、嫌悪と苦悶を示す表情だ。それを察したシオンは即座に停止ボタンを押した。
「ユー、聞き覚えでもありましタカ?」
「御方を……神を穢す言葉ですわ」
「今のは、中世期の悪魔崇拝のものですね。もっとも本質的にはみそのさんの言った通りなのですが」
 モーリスが淡々と補足する。
「そもそもその言葉は、契約と忠誠の儀式に用いられるもの。教団内でも秘儀に属していたでしょう。……それを数百年経た現在知っており、尚且つスピーカーに霊子干渉させうるような人間がいるとは仮定しにくいですね」
「と、なるとやはり、あれ、ですかな」
 シオンが黒手袋をした左手を見つつ呟いた。自らもまた、神格の血を引く物として思うところがあるのだろうか。
「そうですね、まず間違いないでしょう」
「ねェユー達、アレって何ヨ? よくわかんないネ」
「つまり、どの程度の相手かわかりませんが、おそらくこれを引き起こしている相手は人間ではないということです。私のような長生種の類の線も考えられますが、蓋然性から言えばありえない。おそらくは虚無と冒涜を司る、邪な下級神格者かその使徒だろうということですよ」
「それは御方の前に、ゆるされざる存在です。わたくしの前に顕現した以上、滅して頂かなければなりません」
 みそのの表情は先程とは一転、真剣そのものである。
「ちょっト待ってヨ。ミーの『デーモン・セックス』と似たようなヤツってワケ? なんか、ムカツクネェ」
「ミュージー様がお操りになっているのは正邪の理無き純然たるダイモーン。似て全く非なるものですわ」
「でも似てるンデショ?」
「存在本質に置いてのみ、ですわ」
「hmm……? とにかく気に食わなイ相手だってことはワカッタヨ。ちょッとミーに任しトイテ。引っ張りだしテ……。ブっ殺してやルヨ」
 ミュージーは瞳を閉じ、編集部の電話から憑依させた『デーモン・セックス』に自我をコネクトさせた。髪が燃えるようにゆったりと波打つ。憑依された駅員は、幸い、マイクのある事務室にいたままだ。
(動いテ、もらうヨ)
ふらふらとマイクへ向かう駅員。彼は特に今行う必要のない――つまりはついさっき行ったばかりの――遅延状況案内のアナウンスを駅構内へしっかりとした声量で発した。同僚の駅員が幾分不思議そうに彼を見たが非難されることをしたわけでもない。
 アナウンスを介し、駅の放送回線内に電子の速度で侵入する『テレホン・セックス』。
 そして。
「……例のスピーカーに侵入、カイシするヨ」
 初めから戦々恐々、緊張も何もなく震えている三下はともかくとして……。
 そのミュージーの一言で四人に緊張が走った。
「では私も準備に入っておきましょうか。聖櫃の如く冒されざる領域のね」
 モーリスは不敵な微笑を浮かべている。
「ミュージー様は、大丈夫なのでしょうか?」
「ここは彼女を信頼するしか、ありませんな」
 シオンは特に構えるでもなく、待っている。しかし表情は険しい。ミュージーによってこれから眼前に現れるであろう元凶に対する怒りが、まだ彼の中にあった。
  ――スピーカー内。
 ミュージーの意識と同調した『テレホン・セックス』が全電機部品の回路の迷宮を、ミクロンの狂いも無く最短距離で矢の如く、隈なく捜索する。その最深部のソケットに、“それ”は在った。
 死した血色と虚無の暗黒、不浄の瘴気をゆらめかせながらとぐろを巻いている。
「いタ! こいつダ……いケッ!」
 『テレホン・セックス』の先端が無数の神力を帯びた電子のジャベリンとなり、一斉に“それ”へと襲いかかった。一瞬の内に針ネズミとなる怪異の元凶。
(刺さっタ! イける!)
「サァ、引っ張りダしチマイナァッ、『テレホン・セックス』!!」
 全力でデーモンに逆流をかけるミュージー。
「闇へ帰すべき者は、我らの前で滅すが運命ですわ」
スピーカー内の電子と霊子の流れを感知していたみそのが、その流れを操り、更に強める。

 モーリスとシオンがスピーカーを見上げる中、ついにその元凶は姿を現し始めた、ダリの描く流れる時計のように。ずるり、とゆっくりスピーカーから引きずり出され……そして、流動体のようなままホームのコンクリートへと音も無く落ちる。姿は壊疽色の臓物の塊と言ったところか。
「フン、予想通り、下級邪神の遣う下っ端ですね。敢えて呼ぶならテイルイヴルとでも言ったところですか。知能もかなり低いでしょう」
 モーリスが冷たく見下しながら何事でもないように言う間に、テイルイヴルはゆっくりと形を成し始めた。伝承上のガーゴイルに似た姿ではあるが羽はなく、死した組織で形づくられたその姿は醜悪、の一言に尽きる。
 ミュージーが素早く『テレホン・セックス』を手元に呼び戻し、油断無く構えをとる。
「ワレノ、ネムリ妨ゲ、常世ニ顕セシ、ハ……人間ゴトキ、カ」
「ハッ! ガキの使いテイドがエラそな口キクンじゃナイヨッ! ぶっ殺ス!」
「潔く、御方の前に跪き、悔いなさい。でなければわたくし達の手にかかり、浄化にて滅して頂きますわ」
「……ワガ主サダメシ、ワレノ、役目。イマハ、時、デハナイ」
「ダメネ、コイツ聞いてナイ。オツムイっちャッてるヨ」
「役目、ですか。 弱い心に浸けこんで自殺に追いやることが」
 呟くシオンの左手は固く握り締められ、小刻みに震えていた。
「イマハ、アルジサダメシ、トキデハナイ」
 テイルイヴルは跳躍せんと構える。
「おや、逃がしはしません」
 モーリスの掲げた右手には、いつからか光条辺の立方体が輝いていた。
「何人も、この檻を破ることはかなわない――“アーク”」
 はじける様にその手から広がった領域が、周囲を完全に包んだ。
 かまわず跳んだテイルイヴルが見えない壁に衝突し、転がる。
「ギ……」
「皆さん、霊的、有機無機物に関わらず閉じこめる檻を展開しました。奴はもう逃げられません」
 そう言ってモーリスはちらりと後ろを見やった。
「そこで頭抱えて震えてる三下さんも逃げられないんですけどね……」
「ヒィ〜」さらに縮こまる三下。
「キサマ、ラ」
「! その者の敵意がわたくし達に!」
 みそのがそう言い終わらぬ内にテイルイヴルは俊速で地を這い、蹴る。その腐臭を放つ爪がみそのの喉元に――。
 数回の破裂音。

 横ざまに吹き飛び、テイルイヴルは再び地に落ちていた。その両爪がみそのに達する前に、モーリスが踏み込みつつ短銃を抜き、敵の横っ腹にぶち込んだのだ。その延長線上に、テイルイヴルを貫通し“アーク”の隔壁に当たって落ちた銃弾が転がっている。
「間一髪ですか。知能が低いだけに行動が読めないですね下等種は」
 一方、シオンとミュージーは両耳に手をあて軽く悶絶していた。
「モ、モーリスさんはそんな物騒なものを持ち歩いているのですか」
「ちょっとユー、撃つナラ撃つって言ってヨ!」
「ああ、アーク内では発砲音も反響するんでした、失礼。しかし……。耳を塞いでてくださいね」
 立ち上がらんと這う敵に素早く歩み寄ると、モーリスは見下ろしながら続けざまに引き金を引く。弾を受けるごとに痙攣する如く悶えるテイルイヴル……。だが最後の一弾は、魔物ではなくコンクリの地面をはじき跳弾した。
 既に敵は後方に跳躍し、モーリスから距離をとっている。
「ご覧の通り、物理的にダメージを与えても、無駄なんです」
「キサマ、ラ。………ナンダ!?」
 何かが吹きすさんだ。
 魔物の四肢が見えない網へ押し込まれるように俊敏さを失い、ゆっくりとその足が地を離れ、浮く。自らを包み緊縛する空流を振り払わんと必死で抗うテイルイヴル。
「あなたごときでは、この流れに逆らうことはかないませんわ」
 テイルイヴルのバックステップ時に起こった空気の流れを、みそのが見逃していなかったのだ。
「今です、どなたかその不浄なる者に終刻を――」
  ……そのとき、宙に黒い、布片のような何かが舞った。
 もがく魔物の正面に立ちはだかるように踏み込んだのは、シオン。
 そして今地に落ちた黒い何かは、抜き去った彼の左手袋。
「普段はあまり使わないんですがね」
 彼は左手の鮫のタトゥをちらりと見やると、弓を引き絞るようにゆっくりと構えた左腕でバックモーションをとり、ピタリと静止させる。
「あなたに言っても理解出来ないでしょうが、弱い心の隙間を獲るそのやり口、私は許せません」
 そして空を裂く蒼い鮫。
 次の瞬間には、放たれたシオンの左貫手がテイルイヴルの腹部に手首まで埋まっていた。
「ギッ!……コ、コノ、炎、キサマ、眷属、ノ」
 躊躇いのない、激怒でもない不思議な無表情のシオン。
「そう、ただの炎ではありません。燃えちゃって、ください。……いいや……灰も残さない」
 テイルイヴルの内側から噴出すように上がりだした蒼炎が、やがて舐めるように全身を包んだ。
 手刀を抜き、血を掃うように左腕を一振りする。
 音のない断末魔を上げるテイルイヴルに一瞥もくれず、シオンは手袋を拾い上げタトゥーをその中に収めた。
「ふう。私のガラじゃ、なかったですかね」
「お見事でしたわ」
 ヒュー、とミュージーが口笛を鳴らす。
「クール。」
「……さて、そろそろアークは解いてもよさそうですね」
 既に青い火を灯したバースデイ・ケーキほどのテイルイヴルの残骸を見てモーリスが言う。
「銃弾は放置しておいて構いません。日本の鑑識にこの銃の弾紋を取られた事はありませんし、銃声はアークの外の人間には聞こえていませんから。周囲の瘴気や痕跡は、私が能力で調和・調律しておきます。このムンディのこの場所においての、あるべき姿に」
「ユーの言うことはまたムツカシイねェ。ツマリどういう事ヨ?」
「この場はめでたし、ということですわ、きっと」
「でもヤツの“主”ってのガ、ミーは気にナルんダケド」
「調律終了、と……。おそらく主というのは『虚無の境界』の教祖あたりでしょう。行動動機が一致していますからね。みそのさんの言った通り、今この場では手の出しようがない」
「ですがその……まだ仕事が残ってそうです、彼を編集部まで連れ帰るという」
 シオンが三下を見ながら言った。まだ頭を抱えたまま、縮こまって震えている。
 気絶しなかったあたり、実はかなりがんばっていたのかもしれない。
「ま、ミーがケトバしてでも連れ帰ってやるヨ。報酬のコトもアるしネ。ホラ、立ちナっ」
「うっひゃあああぁ」
 背後から小突くミュージーのつま先を何と勘違いしたのか、ここでもまた彼の悲鳴がこだましたのだった……。


---------エピローグ----------
 
「怖くて何も見えませんでした、ですってぇ!?」
 毎度とはいえ、碇麗香の怒号が編集部内に響いた。
 他の四人は取材協力費を受け取ったり受け取らなかったりののち、既に解散している。
「だって、だって銃声とかしたんですよぉ。這っても見えない壁で逃げられないし」
 言い訳する三下はもはや半ベソ状態である。
「何なのよ。訳がわからないわ。ハァ……これじゃ、記事にならないわね」
「うぅ、すいませんすいません」
「まあ、いいわ」
「ほ、ほんとですか?」
 見下ろす麗香の目が冷たく光る。
「……遅刻じゃなく、欠勤扱いにしておくから。仕事してないんだから、当然よね?」
 労働基準法云々などと言い出す勇気も即座に思いつく機知もなく、三下は床にくず折れた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0585/ジュジュ・ミュージー/女性/21歳/デーモン使いの何でも屋(特に暗殺)】
【2318/モーリス・ラジアル/男性/527歳/ガードナー・医師・調和者】
【3356/シオン・レ・ハイ/男性/42歳/びんぼーにん(食住)+α】
【1388/海原・みその(うなばら・みその)/女性/13歳/深淵の巫女】
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■         ライター通信          ■
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みその様とははじめまして、でしょうか。


この度は依頼にご参加いただき、どうも有難う御座いました。
そしてお待たせして申し訳ありませんでした。
モーリス様の創造した檻内ではなかなか『流れ』が存在せず、縦横無尽の大活躍とはいかず、申し訳なくも思っております。
もっともみその様の援護がなければあのラストは描けなかったのですが……その点非常に感謝しています。
”らっしゅあわー”は楽しんでいただけたでしょうか(笑)

ではみその様の更なるご活躍を祈りつつ。

 あきしまいさむ