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<東京怪談ノベル(シングル)>


Disagreeable Recollections.

 濁った水の中に素手を突っ込み、何度底を探ったか。日暮れが近付いていて、もう今日中には無理かもしれないと諦めかけた時、重く、すべらかなものが指に触れた。
「見つけたあぁっ!」
 ドブから引き上げた手の中を確認して、賢は歓声を上げた。
 泥を弾き、夕日に鈍く光ったのは、球に磨かれた水晶だった。
「よっしゃ! これで……!」
 鼻息も荒く、賢は水晶球を握った。ピンポン玉ほどの玉からは、かすかに邪な術の残滓が発せられている。本来透明であるはずの水晶は、黒く濁った影を中に孕んでいた。
 これを探して、苦節三時間。真冬のドブ川は冷たかったが、それに耐えた、賢の努力と根性が成果を生んだ瞬間だった――筈なのだが。
「あっ」
 横合いから飛んできた鴉が、賢の手から水晶球をさらった。鴉は、ドブ川にかかった橋の上へと飛び上がる。そこには男が一人、賢を見下ろして立っていた。
「キミ、菱くんだっけ? ご苦労さん」
 肩で翼をたたんだ鴉から水晶を受け取り、男が言った。高価そうなスーツを身につけた、若い男だ。街を歩けばちょっと目を引くようなタイプの、ちょっと美形だった。
「てめえ、陰陽師! 何のつもりだ!!」
 見た目は全くらしくないのだが、男の職業は陰陽師。しかも、平安だか鎌倉だかの時代から続いているという、名門の家系であらせられる。なぜ、それを賢が知っているかと言うと、某有力者の警護という依頼を同時に受け、協力することになった相手であるからに他ならない。
 水晶を手の中で弄びながら、男はしゃあしゃあと笑った。
「何のつもりって。この術具から痕跡を辿ってさ、犯人の術士と雇い主を割り出して、依頼人に突き出すつもりだけど?」
 袴まで泥水でずぶぬれの賢と違い、男のほうは一滴の水も被っていないところが、腹が立つ。
 依頼人に呪いを仕掛けた犯人を発見したところまでは、そして、すんでのところで逃げられてしまったところまでは、確かに二人で協力した。
 しかし、術士が逃げる途中、証拠になりそうなものを落として行ったのを一緒に見ていたのに、男は賢のように探そうとはしなかったのだ。場所がドブ川だという理由で。
 それなら一人でやってやる、と賢が腹を決めたのも無理からぬことだった。
「ふっ……ざけんなよ! 美味しいトコだけ持ってく気かよ! 返せっ!」
 泥水を蹴立てて、賢は土手に駆け上がったが、男はもう車に乗り込んでいる。
「要領よくやんなきゃ、人生ソンするよ。イイお勉強になっただろ?」
 ひらひらと右手を振り、男はキーを回した。排煙を残し、派手な車が走り去る。
「畜生! 待ちやがれコラァ!! てめぇこのクソ寒いのにオープンカーなんか乗ってるんじゃねーよ馬鹿野郎―――!!!!」
 馬鹿野郎ー、馬鹿野郎ー、馬鹿野郎ー……。夕焼けの空に、賢の雄叫びが空しく木霊した。
 菱賢、13歳の冬。僧兵としての仕事を始めたばかりの頃の出来事だった。

 それからわずか数日後、賢は男の名を再び耳にすることになる。禁忌を犯した罪人として。
 先輩僧侶からその話を聞かされ、まず、賢は困惑した。
 いけすかない奴ではあったが、陰陽師としての腕は確かだった。退魔師としての前途は、悠々としたものであったはずだ。しかし男の行為は、その前途を閉ざし、邪法使いとして追われる者となるに足りるものだった。
「あの野郎……なんだってそんなこと」
 詳細を聞くにつれ、賢の困惑は怒りへと変化していく。
 賢から手柄を奪って事件を解決した後すぐに、男は彼の実家からある物を盗んで出奔した。
 男が盗んだのは、人や動物の霊気を食って成長する呪具。そして今現在、彼は街でその呪具を無差別に用いていると言うのだ。
 突然人が斬られて倒れるという通り魔事件は、賢もニュースで目にしていた。
「なんだよ。由緒正しい陰陽師の家系だろ。どうして、身内の不祥事をてめぇで片付けようとしねえんだよ!」
 激昂して喚いた賢に、だからこそだ、と先輩僧侶は苦笑した。
 男の実家は、呪具が盗まれたことも、犯人が一族の若者であるということも、認めていないそうだ。目撃証言や状況から、傍目には明らかであるのに関わらず、である。
 名家の名に傷がつくのを恐れ、男の暴走を知らぬ存ぜぬで通すつもりであろう、と言うのだ。
「……ロクでもねぇな」
 錫杖を握り、賢は寺を飛び出した。怒りに任せての行動だった。

 夜の街、事件の現場付近をうろつけば、なるほど、禍々しい気に満ちていた。
 相手の得物は、霊気を食う呪具だ。人気のない路地裏で、賢はわざと自らの気配を強めた。狙い通り、強い邪気が近付いてくる。
 その邪気を隠しもしないのは、よほど力に自信があるからだろう。ややあって、白い、抜き身の刃が夜陰を切り裂いて現われた。日本刀の雰囲気を持っているが、古い形をしている。両刃の剣だった。
 知らず、湿った指先を揉んでいた。こんな獰猛な輝きを持つ刀を、賢は初めて見た。武器というよりも、まさしく、呪具と呼ぶのがしっくりくる。
 見覚えのあるあの男が、その柄を握っていた。賢を認め、少し驚いたような表情をしている。
「あれ。ちょっと良さげな獲物が居ると思ったら……キミ、橋くん、だっけ? お久しぶり」
「菱、だ」
「ああそうそう、菱くんね」
 ゆらり、と黒い靄のような霊気を揺らしながら、しかし男の声は明るかった。それが、いっそ不気味だった。一体何人の人間の、動物の、命を食らってこの邪気を溜め込んだのか。それなのに、男の仕草にも声にも、一片の罪悪感も見られないのだ。
「再会して早々で悪いんだけど、ちょっと斬られてくれる?」
 言いざま、男は何の構えもなく、片手で刃を振った。届く距離ではない。だが異様な風圧を感じて、賢は錫杖を横に薙ぎ払った。じゃらん、と杖の輪が鳴ったのと同時に、甲高い音がした。何かが杖に弾き返され、火花が散る。
「残念。首、落とそうと思ったのにな」
 男の持った刃の周囲で、暗い靄が凝っていた。それが賢を襲ったのだ。 
「すごいだろ、これ。ほんのニ三日でここまでになった。本当、真面目に修行なんかしてるのがアホらしくなるね」
「……黙れ」
 嫌悪の視線に射られ、男は軽く肩を竦めて笑った。
「そっか、キミはならないか」
「当たり前だ!」
「ダメだよー? 要領よくやらないと、人生ソンするんだから」
 呑気な調子で言って、その後男が刀を振ったのか何をしたのか――賢には見えなかった。不意に、肩口に衝撃がぶつかった。反射的に法力でそこを守ったものの、体ごと吹き飛ばされるのは防げない。
「ぐ……!」
「おっと。流石に丈夫だね、キミ。普通の人間なら、腕が千切れてるんだけど」
 立ち上がろうとしたところを、体中続けざまに撃たれる。ゆっくりと、男は地面に崩れた賢に歩み寄った。体が動かない。冷たい刃が顎の下に当たり、ぐいと上向かされる。勝利を確信した男の顔を、賢は見た。
「この刀、ずっとうちの蔵に封印されてたんだ。勿体無いよね。禁じられてる邪法ってさ、べらぼうに強い術ばかりなんだ。なのに、犠牲が多いからダメだなんて、馬鹿馬鹿しいよねえ」
「んな、勝手な理屈が……」
「それが、通るんだよ。現に、真面目に修行を積んできたキミは今、こんなにカンタンに殺されようとしているわけだ。何故かって言うと、それは禁忌を犯して力を得た僕が、キミより強いからさ」  
 男の目には、先日会った時にはなかった、常軌を逸した光が宿っている。
「人間は、犠牲になる弱者と犠牲にする強者と、二種類に分かれる。自然なことだろう? そして僕は強者だ」
 あまりにも勝手な言い分に、体をぶつけたせいだけでなく吐き気がした。
「てめぇ……!」
 唇を噛んで睨み上げ、ふと、賢は違和感を覚えた。男はずっと左手だけで剣を繰っている。彼の利き手は、右ではなかったか。その右手は今、包帯を巻かれ、だらりと体の横に垂れ下がっていた。
 意識して近くで見て初めて、そこに剣とは別の邪気が宿っているのがわかる。それは、あの水晶球に残っていたのと同じものだった。
「その手……何があった?」
「!」
 余裕の笑みを浮かべていた男の顔が、一瞬にして強張った。
「うるさいよ!」
 頬を引きつらせ、男が左手を振り上げた。刃にまとわりついた黒い靄が、一緒に蠢く。賢の首に向かってそれが下ろされようとした、まさにその時。
 金色の法輪が、男の手から剣を弾き飛ばした。路地の向こうから、賢を呼ぶ声がする。賢が姿を消したことに気付いて追ってきた、先輩僧侶たちだった。


            +++


 結局、男は逃げて姿をくらました。それきり、どこで何をしているのか噂一つ聞かない。
 賢はというと、先輩及び師匠に、無茶をするなとこっぴとく説教を食らった。
 後日になって賢が聞いたところによると、男は水晶球の件で賢を出し抜いた後、相手の術士に返り討ちにあっていたらしい。世間的には何事もなく事件が解決していたのは、男の実家が総がかりで後始末をし、身内の失敗をカバーしたからだそうだ。
 邪法の使い手に破れ、呪術で利き手を奪われた上、仕事も失敗。先輩僧侶曰く、初めての挫折がショックで、自分を負かした邪法の力に魅入られてしまったのではないか、云々。
 そんな心理わかるものか、と賢は思ったものだった。
 いつか再会したら、その時は絶対に負けない。そして、あの男の勝手な理屈をひっくり返してやるのだ。
 鍛錬の日々を送りつつ、賢は拳を握っている。
 一つ、困ったことがあった。金持ち、美形、名家の出身、というキーワードを持つ人間を見ると、パブロフの犬のように、あの時の嫌悪感が甦ってしまうのである。
 つまり、金持ちだったり美形だったり名家の出身だったりする男とは、仲良くできない。それが原因で、要らない衝突を招くこともしばしば。
 この奇妙なトラウマが消えるのはいつの日か、それは、賢本人にもわからない……。


                                          END